2006年09月07日

言葉のサッカー~日本代表報道を考える

日本代表監督就任から約1ヵ月半。
早くもオシム監督に対する批判が、スポーツ新聞や夕刊紙に出始めてきた。
「言い訳ばかりのオシム監督」「名言ではなく迷言のオンパレード」といった具合だ。
なぜ、こうした「報道」に名を借りた「憂さ晴らし」が紙面に出るのか。
それは勝利という結果、アジアレベルでは圧勝という結果が出ないがためだ。

もちろん、普通のサッカーファンの大半は、こうしたスポーツ新聞や夕刊紙は刹那的な記事を書き散らかすのが仕事で、そこに信憑性や見識など求めることは愚の骨頂であるということを十分に知っている。
しかし、こうした記事が「天下の公器」である新聞などの紙面に載ると「新聞に書いてあったけど」という言葉とともに流通を始め、何となくそれが真実であるかのようになってしまう。

現在日本で最も人気のあるサッカーチーム、それは「日本代表」だ。
Jリーグでは視聴率が取れないため、地上波全国ネットで放送されることは少ない。
リーグ優勝がかかった試合、J1とJ2の入れ替え戦など一般の人にも多少なりとも注目してもらえそうな試合に限って放送されている感がある。
普段のリーグ戦などは、めったに放送されることはなく、あったとしてもローカルの深夜だったりすることも珍しくない。
しかし、「代表戦」は現在スポーツ界最高のコンテンツの一つであり、例え親善試合であったも全国ネットで生中継される。

当然代表に関する記事は、様々なところで見られるようになってくる。
選手のプライベートに関しては、非常によく調べているようだ。
選手の小学校時代の作文なども探し出してきて、解説つきで紹介してくれる念の入れようだ。
しかし、ことサッカーそのもののこととなると、途端に怪しくなってくる。

ジーコ前監督の頃、ある試合でのこと。
終盤に人数をかけたセットプレーがあり、途中交代で入っていた選手が頭で旨く合わせ得点したことがある。
別段珍しくも無いプレーだ。
中学サッカーでも普通に見られることだ。
しかし、翌日のスポーツ新聞は一斉に「ジーコ采配ズバリ!」ときた。

結局、勝利という結果が出れば「名采配」、辛勝もしくは敗戦時は「監督失格」という称号を与えることは試合前に決まっているのだ。

サッカーにおいてチームを作るということはどれだけ大変なことか。
クラブチームという、毎日一緒に時間を過ごすチームですら半年とか1年は絶対にかかってしまう。
そこへきて代表となると、1年のうち大半は一緒にいられない。
しかも、選手のコンディション管理も、各クラブに依存せざるをえないのだ。

そもそもオシム監督に就任してもらった時点で、目標はワールドカップでの躍進だったはずだ。
要は4年後に強いチームにしてください、という意味。
もちろんアジアカップも重要な大会だ。
ここを勝つことも決して無意味ではない。
しかし、アジアカップを連覇中の日本よりも、ワールドカップで2大会連続で上の成績を残している韓国の方が、世界での評価は高い。

オシム監督に対する最終判決は4年後に出せばよい。
それまでの間、我々は結果ではなく、そのプロセスに注目するしかない。
そこにはオシム語録なるものは必要ない。
彼のサッカーを理解する上で必要な情報だけを吸収していけばよいはずだ。
結局「オシム語録」というのは、マスコミがサッカーを理解せずに済ませるために、愚痴やボヤキを言ってもらい、それを語録と称して遊びたいだけなのだ。

「オシムは言葉遊びばかりでメッキが剥げてきた」と書いた夕刊紙には「天に唾する」という言葉を贈りたい。
まぁ、はがれるほどのメッキがあればだが。

posted by lovesportslove |17:53 | サッカー日本代表 |
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2006年08月17日

知性と知識~日本代表イエメン戦

お盆だから、というわけではないがまただいぶ間を空けてしまった。
その間に、サッカー日本代表チームは、オシム監督就任後初の公式戦を迎えた。
アジアカップ予選のイエメン戦だ。

試合の感想からいえば「オシム監督、これから苦労しそうだな」となる。
選手たちにオシム監督の意図が正しく伝わっているとはとても思えない。
選手たちが「オシムサッカー」という、実体無き言葉に踊らされているように感じた。

そもそも「オシムサッカー」とは何だろうか?
ジェフのサッカーが「走るサッカー」というならば、それはあまりに表層的な捉え方になる。
そもそもサッカーとはボールを相手のゴールに向けて、蹴りながら運んでいくものなのだから、どんなに弱いチームでも走っている。
ただ、走るサッカーとだけ言ってしまうと、闇雲に走っているかのような印象を受けてしまう。

これに対しては「有機的にプレーヤーがつながり、目的を持って走るサッカー」という意見もある。
「有機的にプレーヤーがつながる」。
フィールド上に一つしかないボールを「パス」という行為でつないでいく以上、有機的なつながりになるのは当然だ。
「目的を持って走る」
オシム監督風にいえば「目的無く走っているチームを教えてくれ」といったところか。

サッカーに限ったことではないが、スポーツにおいて最も怖いのは「キーワードだけ並べた評論」で語られてしまうことだ。
オシム監督就任後、崩れかけた日本サッカーの救世主、という趣の報道が目に付く。
オシム語録なるものに人気が集まり、オシム監督が比喩を多用するため、その意図を読み解くできない人までもが、そうした比喩で語りたがり、却ってそうした風潮に拍車がかかってしまっているのは皮肉なことだ。

ここで考えなければならないのは「崩れかけた日本サッカー」というもの。
サッカーにおいてはシステムと能力のバランスが必要とされる。
しかし、日本はとかくこの紐帯を切断したがる。
中盤からキラーパスなるものが飛び出し、大きく曲がるFKが繰り出されるチームは「美しいサッカー」。
全員がショートパスでつないでいき、ゴール前でも細かなパス交換で崩すと「システマチックなサッカー」となる。
こうしたサッカーをシンプルに断じつつも、キーワードを織り込んで話すのが「流行」したために、日本サッカーの本質的問題点を論じられることはなくなってしまった。

こうした風潮に最も頭を痛めているのがオシム監督ではないだろうか。
キャッチコピーを付けて、象徴的にあらわすことは、決して悪いことではない。
かつての池田高校の「やまびこ打線」などは、正に言い得て妙、という奴だ。
しかし、そのキャッチコピーが戦術全てをあらわすものではない、こんな当たり前のことを私たちは肝に銘じておかねばならない。

おそらくオシム監督は「渦巻き理論」などが、戦術の原点にあると思う。
そして、あの当時の東欧諸国では、国家のスポーツインフラを全て受け取れるだけの地位にサッカーが存在したことも自覚しているだろう。
しかし、現在の日本においてはJリーグとの関係すらままならないのが実情だ。
では日本代表とクラブの関係はどうするべきなのか?
そうした視点もなく、たった一つの試合だけで「オシムサッカーはどうがこうだ」言っているのは滑稽だ。

posted by lovesportslove |17:55 | サッカー日本代表 |
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2006年08月11日

新井戸は一日にして成らず~過剰なる期待感

オシム監督になって初の日本代表の試合、トリニダード・トバゴ戦が行われた。
既に様々なところでその結果については語られている。
私もその大半と同様、この試合の結果からは何も語ることはできないと思った。

オシム監督の言葉には確かに含蓄がある。
しかしそれは、とかく表象的な部分ばかりに目を向けようとする「スポーツマスコミ」に対する警告である場合が多い。
たった一つの試合だけを捉え、その試合、ひいてはそのチームのシーズンをまでも語ろうとする「スポーツマスコミ」に対して、「サッカーはそんなに簡単に語れるものではないよ」と諭している様に思えた。

オシム監督就任以降、その含蓄のある言葉を「オシム語録」という括りの中で語ろうとする「スポーツマスコミ」は多い。
日本代表に対しても、皮肉を言って欲しい、それは一見解り難い例えであって欲しいという質問の意図がありありと感じ取れた。

オシム監督は、そうした妙な期待感に辟易しているように感じられる。

今回の日本代表は、Jリーグのスケジュールから考えても真の日本代表を招集し、十分なトレーニングができるはずがないことは自明の理だ。
「スポーツマスコミ」がすぐに引き合いに出していた「オシムサッカー」はクラブチームならではのモノ。
固定された選手たちが、日々共に過ごす中で組み立てらる連携プレーは、即席チームである代表のサッカーとは趣を異にする。

私の応援するヴィッセル神戸とジェフ千葉が2005年に対戦したときには実に26本のシュートをヴィッセルゴールに向かって放ってきた。
結果こそ1-1のドローに終わったが、あるときにはヴィッセルのペナルティエリア内に8人の選手が入り、シュート、クリアしたボールをさらにシュートという文字通りの波状攻撃を仕掛けてきた。
その当時私は、その見事につながったサッカーに感動すら覚えた。
しかし、その有機的つながりは日々同じメンバーが共にプレーする中でこそ生まれ得るものだ。

今回、試合後の会見でオシム監督は「チームを作る時間がないので同じチームからグループで選出していった」という意味のことを言っている。
今回は「新しい井戸」を掘っている時間はなかった、ということだろう。

それにしてもこの国の「スポーツマスコミ」はスキャンダラスに物事を捉えるのが好きなようだ。
ジーコ時代の代表からは殆ど選ばれていない→古い井戸の水は澱んでいた、というシナリオを勝手に構築し、それに従った発言を何とか引き出そうとしているように思えてならない。

オシム監督には、この国の「スポーツマスコミ」を育てて欲しい。
私を含めた大半の人にとって、スポーツの情報はスポーツ新聞などのメディアを通じて入ってくることが多いからだ。
彼ら独自のバイアスのかけ方が、いかにスポーツそのものの本質とかけ離れているかを、その「語録」で語って欲しい。

そして「スポーツマスコミ」の人たちには、その発言の意図を考えてから記事にして欲しい。
彼らの特ダネ合戦が、スポーツ本来の楽しみ方とかけ離れた部分に立脚していることを十分に理解して欲しい。
切にそう願う。

posted by lovesportslove |03:59 | サッカー日本代表 |
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2006年06月29日

どうなる代表監督

いよいよ日本代表監督選びが佳境に入ってきたようだ。
先日来、候補一番手となっているオシム監督(ジェフ千葉)は、今日チームと会談しているようで、数日中にも結論は出ると思われる。

私もオシム監督の手腕は十分だと思っているが、若干の不安がないわけではない。

オシムサッカーというと「走力」に重点を置いたサッカーといわれているが、ジェフをあそこまで体質改善できたのは、クラブチームだからこそ可能だったのではないだろうか?

クラブチームは、毎日一緒に練習できるため、監督の指針をある程度の期間の中で実現化しやすいという利点がある。

しかし、代表チームは試合の数週間前に召集される。
その練習では、戦術確認やセットプレーなどが中心とならざるを得ず、体力トレーニングのような基礎練習に費やす時間は限られてしまう。
「じゃあ走力のあるやつだけ選べば」ということになってしまうが、次の日本代表監督は、まさに日本サッカーの浮沈を握ることとなる。
喪失した自信を回復させ、世界への挑戦を続けていくための体制をより確固たるものとすることが義務となってくる。

となると、仮にオシム監督が就任するのであれば、オシム監督とJチーム強化担当者とのミーティングを行って欲しい。
それも徹底した形で、どのようなサッカーをオシム監督が目指し、どのような選手を必要としているかということをJクラブに理解してもらい、各チームの戦術を守る中で、実際にどのような育成が可能なのか、その可能性を徹底的に追求してもらいたい。

クラブが代表のサッカーにあわせる必要は当然ない。
しかし、クラブは代表の可能性のある選手を大事に育て、代表へ送り出すことも、今の日本サッカー界では必要だと思う。
「代表チーム」というコンテンツが、最も人気のあるコンテンツである以上(ここにまだサッカーがナショナルスポーツになっていないことが表れている・・・)、代表選手を送り出すことはクラブにとっても大きなプラスだと思う。

この流れはU-23代表チーム、いわゆるオリンピック世代との連携にまで広げていく必要がある。
この4年間で日本サッカー協会が犯した最大の過ちは、オリオンピック世代とフル代表との間に「溝」を作ってしまったことにあると思う。

この話はまた別の機会に書きたい。

どの国でも附いて回る問題ではあるが、クラブと代表はその利害を一にすることはない。
しかし、ここまで順調に、しかも想像以上の速度で急成長を遂げた日本のサッカーが岐路に立っている今こそ、クラブと代表の幸せな関係が見たい。

posted by lovesportslove |17:35 | サッカー日本代表 |
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2006年06月28日

ブームで終わらせないために

日本代表が早々と敗退したことで、ワールドカップブームも落ち着いたものになっている。
世間的には「オシムジャパン誕生へ」が最大の関心事であり、テレビのバカ騒ぎも収束に向かっているようだ。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?

94年大会の予選から、今回の大会まで、テレビが日本が敗戦するごとに、毎回使っているフレーズは「このブームを一過性のものにしないこと、それが次のステップにつながるのです」「私たちはこれからも日本代表を応援し、サポートしていきます」

だったらそうしろよ!

何度こうテレビに向かって突っ込んだことか。
多くの日本人にとって、ワールドカップは、サッカーを知らなくても盛り上がりやすい、いわば導入口として最適なイベントと位置づけられている。
しかし、その導入口に辿り着いた人たちを、その先へ連れて行こうとしたマスコミがどれほどいるだろう。

スポーツ新聞などは記者そのものがサッカーをまともに知らないのでは、と思うことが多々ある。
今回の日本代表でも「日本のFWは前に出て勝負しない」と書き立てる。
それはその通り。
誰でも見れば解る。

しかし、少しでもサッカーを見てきた人ならば、日本人で強引な突破を図るFWなんて殆どいない。
今回やり玉に上がっている柳沢は、そういったタイプではないなんてことは百も招致だった。
むしろ柳沢がどこからでもゴールを狙ったシュートなんか打ち始めたほうが、腰を抜かすだろう。
(ヴィッセル神戸の近藤は珍しい強引なタイプです。よかったら注目してやってください)

結果を見て、そこで見えたことを勿体付けて書くのが今のスポーツ新聞。
他に書くことはといえば、「中田はチームで浮いていた」。
そりゃそうだろう。
別に中田選手が和を尊ぶタイプではないことなんか、誰でも知っている。
彼自身のプロ意識として、個々がしっかりと、自分のなすべきことをやるのがプロフェッショナル、と考えており、そうした発言を各所でして来たことも誰でも知っている。
周りの選手は、もっと良く知っているはずだ。

このように知っていることだけを、少しでもスキャンダラスにしようとするスポーツ新聞。

本当にスポーツ新聞って必要ですか?

posted by lovesportslove |17:29 | サッカー日本代表 |
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2006年06月25日

川渕キャプテン天晴れ!

今日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
川渕キャプテンが記者会見の中で、今後の日本代表について語る中で、ジェフ千葉のイビチャ・オシム監督に、代表監督を要請していることを漏らしてしまったという。
報道を見る限り、本気での失言といわれている。

オシム監督の実績については、既に様々な場所で語られており、何の文句も付けようがない。
唯一気になるのは、現在65歳という年齢だけだ。

私がこの報道を聞いて思ったのは、川渕氏は確信犯ではないか?という邪推ともいうべきことだった。
以下馬鹿らしいかもしれないが、思ったことを書いてみる。

川渕キャプテンは、自分自身の最大の仕事は「日本にサッカー文化を根付かせること」と思っているのだろう。
それはJリーグのチェアマン時代から、様々な言動に感じられた。

例えば、読売新聞の渡邊恒夫氏とヴェルディを巡り様々にやりあったときでも、ことさらに週刊誌などに登場することで、世間の耳目をしっかりとJリーグに惹きつけていた。

あれほどの影響力を行使できる人間とやりあうときには、あえてマスコミには登場せずに、確執を否定しつつ、裏側で妥協点を探りあうのが、日本では一般的だ。
しかし、あのように川渕氏がマスコミに登場し、ことさらに渡邊氏を挑発することで、スキャンダラスな事件となり、通常サッカーを報道しないワイドショーなどの番組までもが、この事件を取り扱う。
当然、その中では「Jリーグ」という言葉が取り上げられ、多くの人がJリーグの存在を意識するようになっていく。
その広告効果たるや、計り知れないものがあった。

インタビューなどを見聞きする限り、川渕氏は非常にクレバーな方という印象を受ける。
その川渕氏が、軽々しく「オシム」などと口を滑らせるだろうか?

川渕氏は、今回のドイツワールドカップでの日本の惨敗に大きな危機感を持っていたのではないだろうか。
その危機感とは、今回のワールドカップでサッカーに興味を持った「にわか」と呼ばれるファン層が離れていくことに対してだ。

サッカーファンといわれる人の中には、この「にわか」ファンを嫌う人が少なからず存在する。
しかし、私はこの「にわか」といわれるファンが生まれるというのは素晴らしいことだと思っている。
スポーツの底上げを果たす上では、ファン層の拡大こそが必須条件であり、そのためには「にわか」ファンを少しでも多く生み出し、それをひきつけ続け、自然的な流れの中で「にわか」ではないファンに転化させることこそが王道だ。

だからこそ、川渕氏はこのワールドカップ報道が、日本の敗戦により、急速に萎んでしまうことを恐れたのではないだろうか。

そう考えると、今回のオシムという名前を「失言」で漏らしてしまったことは川渕氏の確信犯的行動に思えてくる。

そうであれば、川渕氏は素晴らしい日本サッカー界の指導者だと思う。
少しでもサッカーが日本人の興味を引き続けるように、そしてサッカーの底辺を拡大するように、そのことだけを考えているのだろう。

確かに今回の日本代表は惨敗した。
しかし、日本サッカーのワールドカップ出場はまだ3回目だ。
日本サッカーが世界の頂点に立つ、この意思が脈々と受け継がれていってこそ、初めてサッカーが日本人にとって特別なものでなくなり、その思いが形になるのかもしれない。
それは川渕氏が鬼籍に入った後かもしれない。
それでも、その思いを確実に次代に伝えること、これこそが彼に課せられた使命だ。
だからこそ、彼のようにメッセージを発信できるリーダーを簡単に挿げ替えるようなことをしてはならないし、私たちは彼を信じて付いていくべきなのだろう。

posted by lovesportslove |01:09 | サッカー日本代表 |
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2006年06月23日

責任、責任って不愉快だな~

やはり奇跡はめったに起きないから奇跡だった。
日本代表がブラジルに完敗、ワールドカップ2大会連続決勝トーナメント進出は叶わなかった。

それにしても各マスコミ(主にスポーツ新聞)の手のひら返しには、予想されていたことだが、改めて驚かされる。

早くも「神様」ジーコは「貧乏神」呼ばわりだし、「日本の誇る天才レフティー」中村俊輔は「体力不足を露呈したワーストMF」だし、「日本サッカー界の改革者」川淵三郎キャプテンは「独裁者」になっている。

もちろん、今回の敗戦、そして4年間の総括は行わなければならない。
この4年間で進歩したもの、そして進歩し切れなかったものそれぞれを明確に洗い出し、それが誰の責任に帰すべきものなのか、それぞれを関係者が認識することで次の4年間の指針が決まる。

この作業に時間をかけることは許されない。
どうやら8月には次の日本代表が動き出すようだ。
次の監督候補として様々な人の名前が挙がっている。
誰がなるにしても、4年間でどういったサッカーを日本にもたらすのか、オリンピック世代、ユース世代との連携はどのように取っていくのか、Jリーグとの関係はどのように保っていくのかなど根底となるべきことをしっかりと話し合い、協会、関係者がしっかりと早急に話し合い、認識を一にして欲しい。

責任を認めることと辞任をイコールのようにするのはどうかと思う。
人数合わせのためだけにいるような代議士が、秘書給与疑惑で辞任するのは大勢に影響を与えないが、サッカー協会の重要ポストにいる人が、今回負けたというだけでの責任として辞任するというのは、どう考えてもおかしい。

勝つことを求められたプロの監督が、その結果に対して続投を拒まれるというのは解る。
しかし、サッカー協会の役職というものはそうしたものではなく、日本においてサッカーをどのように根付かせるか、ここにこそ主眼をおいて行動すべきであり、勝敗の責任論となる話ではないはずだ。

勝敗に対しての責任を、背広組みにも詰め腹のように切らせるとしたら、それ自体が現場に対する冒涜となるはずだ。
川淵氏は、解り易くするために掲げた「2050年までにワールドカップで優勝する」という目標に向かい、自身の後継者を作り、組織を一枚岩にすることこそが責任のはずだ。

93年のJリーグ発足を契機に3回のワールドカップに挑戦、アメリカ大会はアジア予選敗退、フランス大会ではワールドカップ初出場、日韓大会では決勝トーナメント進出とここまでが順調すぎたのだ。
毎回以前よりも上に行くのだったら、2014年の大会で優勝してしまう。
日本人が特別サッカーに向いている特殊な肉体を持っているのでもない以上、
当然時間はかかる。

あのオランダですら手にしていない世界一の称号。
それを手にするためには、じっくりとサッカー文化を育てながらそこに向かっていくしかない。
そのためにも、代表ファンの皆さんはJリーグにも目を向けてください。

posted by lovesportslove |17:10 | サッカー日本代表 |
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2006年06月20日

決定力って??

4日間も更新を忘れてしまった。
その間にもワールドカップはしっかりとスケジュールを消化していた。
日本が起死回生を狙ったクロアチア戦は引き分け。
その中には柳沢の「ワールドカップ史に残る」とまで言われている(らしい)シュートミスもあり、日本はまたしても「決定力不足」と言われる問題を抱えてしまった。

この「決定力」という言葉を考えるときに、日本サッカーの抱える問題点を直視せずにはいられない。
日本サッカーは93年のJリーグ発足をきっかけとして、実力を急速に伸ばしてきたことは間違いない。
ただ、Jリーグも勝利を目指すクラブ同士のぶつかり合いであるため、手っ取り早いチーム強化策として、FWに外国人を置いてきた。
リネカー、ディアス、スキラッチなど世界でも名を知られた錚々たるメンバーがFWとしてプレー、その結果、日本のDFやパスまわしといった部分は文字通り、実戦の中で鍛えられていった。

これはサッカーに限った話ではないが、どれだけのハードな練習よりも、実力を伸ばす上で効果があるのは実戦だ。
生活のかかった実戦だけがもつ緊張感は、プレーヤーに練習では醸し出されることのないシビアな選択を常に迫る。
そうした中での失敗こそが、次のステップへ行くための確かな階段となりうる。

では今回のワールドカップでの日本人FWは?というと、高原、柳沢ともに日本国内では一定以上の結果を出し、それを裏付けるだけの実力の持ち主だとは思うが、海外の一流どころを相手にしたときには、と考えると、高原はブンデスリーグの強豪チームで控えの1番手、そして柳沢はセリエAの下位チームでスタメンとベンチの狭間の選手であり、3年間で0ゴール。
悲しいかなこれが現実だ。

ではどう考えるべきなのだろうか?

そもそも世界中で、決定力のある、といわれるFWって何人いるのだろう?
例えばフランスのアンリ、オランダのファンニステルローイ、ブラジルのアドリアーノ、スウェーデンのイブラヒモビッチ、ウクライナのシェフチェンコなど誰もが認める超一流はいるだろうが、こんなレベルの素材は「強豪国」に一人いればいいほうのはずだ。

こうしたストライカーが誕生するのを待っているよりは、日本人の得意とするパスまわしやセットプレーといった流れの中からの得点パターンを作り出すべきではないだろうか?

FWとストライカーを、一度分けて考えてみる必要があると思う。
スーパープレーヤーに頼らないサッカーだって、それ自体が熟成していけば十分に鑑賞に堪えるものになると思う。

レベルこそ違えどJ2リーグにはそうしたチームがある。
それはモンテディオ山形だ。
先日、ヴィッセル神戸と対戦したのを見たが、正直個々のタレントは劣っていても、高い位置でのプレス、そしてラインを常に押し上げとにかく2バックで攻める。そしてSH、SBもあがり神戸の守備を左右に振り続け、その隙間にスピードのある選手が走りこんでいくサッカーは、見ていて敵ながら惚れ惚れするものだった。

こうした統一された意思が見えないから、今の代表には不甲斐なさを覚えてしまうのかもしれない。
まあそれ以上に、サッカーを全然知らないスポーツ新聞の記者が、結果だけから、適当な記事を書き、それが「新聞に書いてあった」という一言で世間で流通していく悪循環を断ち切ることのほうが先かもしれないが・・・

posted by lovesportslove |17:51 | サッカー日本代表 |
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2006年06月13日

ワールドカップもいいけどJリーグもね

日本3度目のワールドカップが幕を開けた。
結果は誰もが知っているように1-3の完敗。

早くも新聞やネット上では「犯人探し」が始まっている。
最も多いのが「ジーコ」犯人説だ。

曰く交代のタイミングが遅い。
曰くヒディングとの差が表れた。
曰く監督経験のなさが響いた。

だがちょっと待って欲しい。
スポーツ新聞、テレビ、雑誌などのメディアの大半はジーコのことをどう取り上げてきただろう。

曰くジーコ黄金の四人復活だ
曰くブラジルサッカーの自由さを持ち込んでくれる
曰くトルシエは認めなかった選手の自主性が育つ

結局、日本のスポーツマスコミといわれる人たちは、そのスポーツの魅力ではなく、結果とそれに伴うスキャンダラスな部分にのみ関心があるのだろう。

日本のサッカーには(露出の部分において)代表を頂点として、以下J1、J2、JFL、地域リーグと続くヒエラルキーが存在している。
例えば宮本恒靖は、その人気ぶりで少年マガジンにマンガが掲載されるほどの露出だが、彼が自分の所属するガンバ大阪では、絶対的なレギュラーでないということは意外にも、殆ど報道されない。

サッカーにおいてはクラブチームがあり、そこで日々鍛えられたものが代表へと上っていく。しかし、代表に入っていないからといって、それが一流選手でないということにはならない。

例えば、現在好調の川崎フロンターレには我那覇和樹というFWの選手がいる。彼は現在J1リーグ戦で8得点しており、日本人FWとしてはトップに位置する(全体では3位)。
彼は今回の代表選出に当たっては名前も挙がらなかった。
しかし、このことは彼のFWとしての評価にはいささかの影響も与えないはずだ。

また私の応援するヴィッセル神戸には三浦淳宏という選手がいる。
彼はFKの名手としても知られており、その回転しない「ブレ球(本人命名)」は、魔球とさえ言われる。
そんな彼も最終的には代表メンバーにはエントリーされなかった。
しかし、彼が国内で屈指の選手であることには異論はないと思う。

結局テレビ主導の視聴率を取れるコンテンツとしての代表サッカーがあり、そこでは極めて表層的な部分だけを取り上げるために、サッカー本来の楽しみ方を伝えることはない。
芸能人が代表選手と友達で云々という図式にはいい加減飽きている人も多いと思うのだが。

98年に日本が始めてワールドカップ出場を決めた直後の、中田英寿の「代表は大丈夫だから、今度はJリーグをお願いします」という台詞は、悲しいことに未だに輝きを放ってしまっている。

posted by lovesportslove |18:41 | サッカー日本代表 |
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