2008年08月23日
星野監督は戦犯なのか?
北京五輪を最後に正式種目から外れる野球。 その最後の大会で、日本はメダルを逃し、4位に終わった。 おそらく、日本中の野球ファンは「失望感」に包まれていることだろう。 既に、様々な場所で星野監督への批判が出始めている。 確かに投手交代のタイミングも悪かったと思う。 攻撃時の采配も、思い切りが悪かったように見えた。 もちろん、指揮官は結果についての責めを負うべきであろうし、こうした結果に終わった以上、野球ファンから謗りを受けることは星野監督自身が十分に覚悟を決めていたことと思う。 しかし、今さらだが、星野監督が五輪監督に適任とした人たちの責任はどこにいくのだろう? ご存知の通り、星野監督は日本シリーズに一度も勝利していない。 いわば短期決戦では勝利したことがないのだ。 今回の監督には、明らかに不向きであることは、最初からわかっていたことだった。 ドラゴンズ、タイガースのどちらでも、星野監督の野球は、実に手堅い野球だった。 あの闘志を前面に出したスタイル(=パフォーマンス)に釣られて、見落としがちだが、実は昭和40年代の川上監督に通じるオーソドックスな野球を見せていた。 そして、第一期中日時代の郭源治に代表されるように、一人の軸となる投手を決め、そこに如何につなぐかという守備の野球を身上としていたのだ。 確かに星野監督の存在は、チームに喝を入れる。 そして、セルフプロデュースに長けているため、周囲の人を熱気に巻き込んでいく。 しかし、それはモティベーター的要素であり、戦術家的要素ではないではない。 「闘将」という言葉を加えられることが多いが、実は慎重居士の確率論者である。 そんな星野監督が、短期決戦の監督として相応しいかといえば、答えは否である。 もし、今回のチームが6試合総当りのように、ある程度の試合数があるリーグ戦であれば、期待通りの結果を出しただろう。 しかし、こうした短期決戦では、軸を決めてしまう星野監督の野球は、非常に不向きということになる。 では今回どういった監督が良かったのか、と問われれば、私が名前を挙げたいのは権藤博氏と森祇晶氏だ。 この両者は野球感こそ対極にあるが、共通しているのは投手の見極めが実に正確であるということだ。 権藤氏は、横浜時代は抑えこそ々木という「型」を持っていたが、先発は手薄な投手陣を見事に遣り繰りしていた。 そして近鉄のコーチ時代も、その投手交代が的確であるが故に、ベンチの故・仰木監督と衝突していたのは有名な話だ。 森氏も西武黄金期の監督としてもそうだったが、その前のヤクルトのコーチ時代に、やはり弱体投手陣を見事に遣り繰りして、広岡監督を助けチームの日本一に一役買っていた。 この両名以外にも、今回監督に適任といわれる人は大勢いたことだろう。 まず何よりも必要なのは、前述した通りに選手~特に投手の調子を見極める能力だ。 しかし、今回の選考過程で重視されたのは「闘う姿勢」という曖昧模糊としたことだった。 そして一番問題なのは、幾多の経験も能力もある野球人がいる中、最初から星野監督ありきで話が進んでいた点だ。 しかし、今回の総括として話が及ぶことはなく、星野監督の敗戦という形で、今回の五輪はカタがつきそうな気配だ。 どこかの国の官僚が得意な「責任のなすりあい」を見せられるような嫌な予感がする。 今回の敗戦により、負けるわけにいかなくなった次回のWBC、監督は誰になるのだろう? 今度はプロ野球機構の問題だが、また不透明な選考が続きそうな予感がしている。
posted by lovesportslove |15:08 |
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