2006年09月07日
言葉のサッカー~日本代表報道を考える
日本代表監督就任から約1ヵ月半。 早くもオシム監督に対する批判が、スポーツ新聞や夕刊紙に出始めてきた。 「言い訳ばかりのオシム監督」「名言ではなく迷言のオンパレード」といった具合だ。 なぜ、こうした「報道」に名を借りた「憂さ晴らし」が紙面に出るのか。 それは勝利という結果、アジアレベルでは圧勝という結果が出ないがためだ。 もちろん、普通のサッカーファンの大半は、こうしたスポーツ新聞や夕刊紙は刹那的な記事を書き散らかすのが仕事で、そこに信憑性や見識など求めることは愚の骨頂であるということを十分に知っている。 しかし、こうした記事が「天下の公器」である新聞などの紙面に載ると「新聞に書いてあったけど」という言葉とともに流通を始め、何となくそれが真実であるかのようになってしまう。 現在日本で最も人気のあるサッカーチーム、それは「日本代表」だ。 Jリーグでは視聴率が取れないため、地上波全国ネットで放送されることは少ない。 リーグ優勝がかかった試合、J1とJ2の入れ替え戦など一般の人にも多少なりとも注目してもらえそうな試合に限って放送されている感がある。 普段のリーグ戦などは、めったに放送されることはなく、あったとしてもローカルの深夜だったりすることも珍しくない。 しかし、「代表戦」は現在スポーツ界最高のコンテンツの一つであり、例え親善試合であったも全国ネットで生中継される。 当然代表に関する記事は、様々なところで見られるようになってくる。 選手のプライベートに関しては、非常によく調べているようだ。 選手の小学校時代の作文なども探し出してきて、解説つきで紹介してくれる念の入れようだ。 しかし、ことサッカーそのもののこととなると、途端に怪しくなってくる。 ジーコ前監督の頃、ある試合でのこと。 終盤に人数をかけたセットプレーがあり、途中交代で入っていた選手が頭で旨く合わせ得点したことがある。 別段珍しくも無いプレーだ。 中学サッカーでも普通に見られることだ。 しかし、翌日のスポーツ新聞は一斉に「ジーコ采配ズバリ!」ときた。 結局、勝利という結果が出れば「名采配」、辛勝もしくは敗戦時は「監督失格」という称号を与えることは試合前に決まっているのだ。 サッカーにおいてチームを作るということはどれだけ大変なことか。 クラブチームという、毎日一緒に時間を過ごすチームですら半年とか1年は絶対にかかってしまう。 そこへきて代表となると、1年のうち大半は一緒にいられない。 しかも、選手のコンディション管理も、各クラブに依存せざるをえないのだ。 そもそもオシム監督に就任してもらった時点で、目標はワールドカップでの躍進だったはずだ。 要は4年後に強いチームにしてください、という意味。 もちろんアジアカップも重要な大会だ。 ここを勝つことも決して無意味ではない。 しかし、アジアカップを連覇中の日本よりも、ワールドカップで2大会連続で上の成績を残している韓国の方が、世界での評価は高い。 オシム監督に対する最終判決は4年後に出せばよい。 それまでの間、我々は結果ではなく、そのプロセスに注目するしかない。 そこにはオシム語録なるものは必要ない。 彼のサッカーを理解する上で必要な情報だけを吸収していけばよいはずだ。 結局「オシム語録」というのは、マスコミがサッカーを理解せずに済ませるために、愚痴やボヤキを言ってもらい、それを語録と称して遊びたいだけなのだ。 「オシムは言葉遊びばかりでメッキが剥げてきた」と書いた夕刊紙には「天に唾する」という言葉を贈りたい。 まぁ、はがれるほどのメッキがあればだが。
posted by lovesportslove |17:53 |
サッカー日本代表 |


