2006年07月05日
気合(ガッツ)とは技術也
ずいぶん更新をサボってしまった。 まぁ、私は元来が3日坊主なので、ちゃんとここに帰ってきて更新しようとしていることで良しとしよう。 中田英寿引退はニュース速報にまでなったらしい。 彼自身の評価とは無関係な部分で、ワールドカップ前に大騒ぎ(バカ騒ぎ?)したテレビ・スポーツ新聞にとっては絶好のタイミングでの引退なのではないだろうか。 「不甲斐ない戦いをした日本チームにあって、唯一人気合を前面に戦い続けたSAMURAIがスパイクを脱ぐ。我々は彼の戦う意思を受け継いでいかねばならない」っていうストーリーに置き換えて、自らのワールドカップ報道最終章とするんだろうと思う。 そこで今日考えて見たいのは、中田が最後まで独りで見せ続けていたといわれる「気合」という代物。 日本のスポーツも、ここ10年位の間に大きく様変わりした。 中でも「精神第一主義」から「現実直視型合理主義」への転換は、大きな変化といえるだろう。 私もかつては体育会的世界に身を置いていたことがあり、その上で思うことだが、一部の人間のストレス発散のための言い訳として「気合」という言葉が使われてしまったために、本来スポーツにおける大きなウエイトを占めるべきテクニック「気合」が、ともすると戦前の精神主義の遺物のようにとらえられてしまっていることは悲しい限りだ。 気合と聞くと、多くの日本人は「夕日の中重いタイヤを腰に縛り、汗でフラフラになりながらも走る」こんな光景を思い出すだろう。 しかし、気合というのはそんなものではない。 毎度のことで恐縮だが、私の応援するヴィッセル神戸には栗原圭介という33歳になるベテラン選手が在籍している。 彼は相手ライン裏へのポジショニングや、前線での早いチェックなど随所にベテランの味を見せてくれている(ゴール前での精度はちと低いが・・・)。 しかし、栗原の最高に素晴らしいのは「気合」だ。 彼は途中交代ではいることも少なくないが、ピッチに降りた最初の段階から、ものすごい気合を発揮している。そして途中交代にもかかわらず、ゲームの流れにきっちりと入り込んでいるのだ。 逆に若い選手で、栗原よりは技術では勝っているであろう選手も、交代でピッチに出ても、ゲーム自体がキックオフから数十分かけて、両チームの選手を使いながら作り上げてきたテンションに乗り切れずに、どこかチグハグナプレーに終始してしまうことも珍しくはない。 また、もう一人ヴィッセル神戸の選手を紹介しよう。 エメルソン・トーメ選手。 彼はチェルシーやボルトンといったプレミアリーグで長くプレーしていたセンターバックで、プレミアではその高さを評して「WALL(壁)」と呼ばれていたらしい。 普段、練習場やピッチ外で見かける彼は、非常に気さくで我々ファンの声援にも気軽に応えてくれるナイスガイだ。 しかし、ピッチに入るとものすごい気迫で、相手FWの侵入を潰していく。 文字通り潰していくのだ。 そのハードなプレーには、警告も出され、相手FWとガチでにらみ合いになっている(ように見える)ことも少なくない。 しかし、いつしかその周囲の選手を巻き込んで、スタンドをも巻き込んでいくテクニックはベテランならではのものだ。 このようにガッツを巧く使いこなすベテランは、ここ一番で期待通りの仕事をしてくれることが多い。 ガッツあふれるプレーというのは、歯をむき出しにして走り続けることではないだろう。 陸上の故フローレンス・ジョイナー選手などは、笑顔で100mを世界記録で走り抜けたが、スタート寸前の彼女の周囲は、その気合で空気が薄くなったような錯覚に襲われたという話を聞いたことがある。 ガッツを出してプレー、というと周囲は楽だが、怒鳴っていればガッツがある。下を向いていたらガッツがないなんていう単純な二元論で見るのは止めたほうが良い。 ガッツとは誰にでも仕えるものではなく、それを身につける努力をした人だけが使いこなせるテクニックなのだから。
posted by lovesportslove |16:17 |
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