2008年02月14日

アウェーサポーターの為のスタジアムガイド

今期からJ2に参戦するロアッソ熊本。

わが街熊本をJの戦いの舞台にするのは何もロアッソだけではなく、当然ですがアウェーのチームも同じです。
特に1年目ということもあり、アウェーサポーターも多く来ていただけるのではないかと思っています。

そこで我らがホームスタジアムについて説明。

メインホームスタジアム
KKウイング

99年の熊本みらい国体に合わせて作られた、九州では大分の九州石油ドームに次ぐ規模を誇るスタジアムです。
総座席数は32,000席。スタジアムの形状は流行(?)2層式ではなく、すり鉢状であり、広島のビッグアーチに屋根をつけたような形をしています。
ただこの屋根、芝の育成に影響を与えないように設置してあるので、けっこう濡れる場所が多いのが難点です。
最近は県サッカー協会の努力で年代別の日本代表の試合も頻繁に開催されるようになりました。
U-17、U-20、Uー23、女子といった具合にA代表以外の試合は開催経験があります。

ところで大分はワールドカップの誘致の為という大前提があったので42000席の座席数があります。熊本は中途半端な32000席。

熊本もワールドカップの日本開催の話が出たとき、一部からはワールドカップの開催規程の規模である、40000万人以上収容のスタジアムを作ろうという話も出ました。
しかし、時の首長はワールドカップがそんなに注目が浴びるわけない、盛り上がるわけがないという判断で、3万人規模となったわけです。
結局、ワールドカップ熱が日本中で盛り上がってしまったので、熊本は参加チームのキャンプ誘致に必死となりました。

最終的にベルギーが来てはくれましたが、このキャンプ誘致にかかった費用は約5000万円と言われています・・・。

この中途半端な規模のスタジアム、いまだに満員になったことはありません。
最高は2002年に行われた、ベルギー対コスタリカ戦での2万人が最高です。

かなり話がそれましたねw

スタジアム自体は完成から10年程度しか経っていないので、かなり立派なものです。
しかしその環境はかなり悪いと言わざるえません。

まず駐車場が極端に少ないのが難点です。熊本は車社会なので、基本的にどこへ行くにもみんな車です。そういうこともあり、試合開催時の駐車場は車でごったがいします。
しかも駐車場の出入り口が一箇所しかなく、駐車場から出るのに1時間以上かかることもあります。

公共の交通機関を利用することをオススメしたいのですが、最寄の駅から歩いて50分・・・。無理です。

臨時バスも出ると思いますが、本数は決して多くありませんし分かり辛いです。

利用をオススメするのはパークアイランド方式によるシャトルバスです。

スタジアムから車で10分程度のところに大型ショッピングモールがあり、そこからシャトルバスが運行されます。

案外、これが一番賢い行き方かもしれません。

熊本インターからとても近いので県外の方も車で行くのが一番てっとり早いのですが、メチャクチャ混む覚悟をしておいてください。

また、阿蘇からの吹き降ろしの風が強く、熊本市中心に比べ、冬場は5度ほど寒いので覚悟してくださいw
南国九州と思って甘く見ていると痛い目にあうので防寒対策をバッチリとしてきてください。

夏は日本で一番といえるほどの蒸し暑さが待ってます。屋根の下にいても熱射病で倒れる方がいらっしゃるくらいですので水分は必ず持ち込んでください。

スタジアムに入る前に買物をしようと思う場合も気をつけてください。
近隣にはコンビニがありませんw
かろうじて弁当屋が1軒ありますが、スタジアムからは歩くとけっこうな距離があります。
スタジアム内のグルメは今年から力を入れるとのことですので、どうなるか分かりませんが、火気厳禁なので焼き関係のものはないと思ってください。

こんな使い勝手の悪いスタジアムですが、来場をお待ちしています。


サブホームスタジアム
水前寺競技場

1960年の熊本国体の為に作られたスタジアムである為、かなり古いです。しかもホームサポーターがホーム側に行く為にはアウェーゾーンを歩いていかなければならず、トラブル注意の構造ですw(九州ダービーで使用予定!)

立地は熊本市中心部から近く、バスや電車の本数も多いので、公共の機関を使っていくのがベストです。
というか駐車場がありません。民間のパーキングが数ヶ所ありますが、停めれる台数は少なく、その上、ぼったくられますw

屋根はメインスタンドのみに設置されていますが、柱がでかく、かなり死角がありますので、座る場所に注意してください。

元々、メインスタンド以外は芝生席だったのですが、フリューゲルスが準ホームとして使うのを機に座席に変わりました。公式には15000席となっていますが、10000人が限度のようです。
また、照明のルクス数が少ないので、Jのナイター開催時はデカイ投光車が2台来て、スタジアムを照らしていました。
おそらく、今の基準ではJリーグの規程から外れているスタジアムですが、今年は2試合程度の開催を予定しています。

すぐ隣が競輪場なのですが、そちらが立派すぎるので、余計にみすぼらしく見えるスタジアムですが、みなさんの来場をお待ちしています。


kk


posted by loveroasso |09:49 | ロアッソ | コメント(4) | トラックバック(1)
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2008年02月13日

熊本からJリーグを!その6 番外編(ランザ&ヴァンクール)

熊本には過去にブレイズ、アルエット、そしてロアッソと、3チームもJリーグを目指したチームがありました。
その詳細は過去記事に譲るとして、この3チームから派生した2チームを紹介したいと思います。

全国的には無名のチームですが、九州ではそれなりに名が通っており、Jを目指していた(目指している)と誤解している方も多いチームです。

ランザ熊本
ブレイズ熊本がJ入りを目指すものの、地域リーグ決勝大会でことごとく弾かれ、また、母体企業の衰退によりフェードアウトしていく中、ランザは誕生しました。
簡単に言えばお家騒動。ブレイズの主力選手やスタッフが離脱し、新たに立ち上げたチームでした。
当時のブレイズ同様、ジュニアからトップチームまでを持ち、一貫した育成システムを持ったチームでした。
このチームは当初からJという目標は据えず、県でトップを目指す、そんな目標を持つチームでした。

また、そのトップチームも元々は九州リーグで上位争いをしていたブレイズの選手がベースになっていたこともあり、トントン拍子に県リーグを上がっていき、創部から数年で九州リーグまで上りつめていきました。

しかし主力の高齢化による引退や資金力不足によるユースチームの廃部などもあり、有力選手の安定供給がなくなり、チームは弱体化。
九州リーグからも降格してしまいました。

現在は県リーグの1部に所属し、将来の九州リーグ復帰を見据えていますが、戦力的には厳しい状態です。

一時期はアルエットと互角に近い実力を持ち、天皇杯予選決勝等で度々対戦していましたが、現在では県の強豪高校にも勝てず、表舞台からは遠ざかっています。


ヴァンクール熊本
アルエットの項でも書きましたが、アルエットの血を正統に受け継ぐチームがこのヴァンクールです。

ロッソ誕生と共に発展的解散を迫られたアルエット熊本。選手の半数はロッソのセレクションを受けたものの、落選。
そういうことでロッソにはアルエットから引き続きプレーする選手が皆無となってしまいした。

当時、ロッソの胸スポンサーでもあった鶴屋百貨店。そこの同好会的なサッカー部があったのですが、そこにアルエットの元選手、スタッフのほとんどがごっそり移籍。
県リーグ3部から再び九州リーグを目指す戦いが始まったのです。

選手の半数はベテランといえ、JFLをも経験したことある選手達。県リーグ下部レベルで歯が立つチームは存在しませんでした。

ラグビーのようなスコアで3部、2部を勝ち上がると、早々に1部へ。1部昇格を機にチーム名もヴァンクール熊本と改名しました。

1部では若干苦戦するものの、結局負けたのはPK戦での1敗のみという驚異的な強さで1部を制覇。
九州各県リーグの優勝チームで九州リーグ昇格を争う大会でも2位となり、アルエット解散から僅か3年で九州リーグへ復帰しました。

主力の高齢化という問題はありますが、少しずつ有力な若手も入団しています。
おそらくこれから熊本のアマチュアサッカーを引っ張っていくチームとなることでしょう。

ちなみにチームの目標は元々九州リーグ復帰。将来的にはJFLといことも頭の片隅にはあるかもしれませんが、Jは狙っていません。

もっとも熊本にプロチームを2チームも抱えるだけの体力はありませんがね。

posted by loveroasso |09:14 | 熊本のサッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年02月12日

ロアッソ熊本初の外国人選手

ロアッソが誕生して4年目、チームについに初めて外国人選手が加入しました。
その名はチャ・ジホ(車 智鎬)。

韓国出身のプレーヤーです。J2の弱小チームに加入するくらいですから、当然無名の選手(失礼!)

しかし彼は苦労人であり、活躍の場を求め、世界を渡り歩いた、国際経験豊富な選手でもあります。

彼の経歴を簡単に紹介すると・・・
学生時代はU-17、U-20韓国代表に選出されるなど、将来を期待されていた選手の一人でした。高校卒業後は当然、Kリーグに行くものだと誰もが思っており、特にテストを受けていた大田のサポーターからは「新星現る」とまで言われていました。

が、結局、大田だけでなく、その他のチームのテストにも落ちてしまい、チャはKリーグの道を閉ざされてしまったのです。

しかしプロサッカー選手になる夢を諦めきれなかったチャにチャンスが訪れます。ノルウェーにパイプがある、韓国人エージェントに出会い、ノルウェーリーグのリン・オスロの入団テストに漕ぎ付けることができたのです。

そしてそのチャンスを見事に掴んだチャは2002年、ノルウェーリーグ初の韓国人選手となりました。

それほどノルウェーでの出場機会に恵まれることはありませんでしたが、それでも少ないチャンスでゴールを決めるなど、そこそこ活躍。

その活躍が母国にも伝わり、念願だったKリーグの釜山に入団。

しかしながらほとんど活躍できずに退団。その後はオーストラリアに渡り、メルボルン・ナイツというアマチュアチームへと移っていました。

ロアッソは外国人選手は獲らないという方針でしたが、昨年末にチャをテスト。元々選手層が薄かったサイドバックの補強という形で入団を果たしたわけです。

プロとなってからは目立った活躍はできませんでしたが、若いころは年代別の代表にも選ばれているほどなので、元々のポテンシャルは高いと思います。
また、若くして海外での生活を経験していることから、熊本への順応も早いことでしょう。

まだ、練習試合等ではコミニケーション不足を露呈し、思ったような動きが出来ていないようですが、熊本からの飛躍を切に祈るばかりです。



余談ですが、ロアッソは2年前、あるブラジル人と契約寸前までいきました。後はサインをするまでだったらしいのですが、社長はやっぱり日本人だけでと直前で決めたため、ご破算となったとか。

そのブラジル人の代わりに獲ったのが現Vファーレンの福嶋と現ツエーゲンの米山。

うーむ、ブラジル人獲っとけば・・・。





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posted by loveroasso |10:19 | ロアッソ | コメント(4) | トラックバック(0)
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2008年02月08日

熊本からJリーグを!その5 続ロッソ熊本編

昨日の続きです。

なんとか選手も集まった、2005年1月末、チームはいよいよ始動します。
始動初日、大雪でグラウンドが使えないという前途多難なスタートではありましたがw

ロッソが挑む最初のステージは九州リーグ。地域リーグレベルでは異例の全員プロ契約、運営資金1億円ということで、世間の雰囲気は勝ってあたり前。

某、スポーツ新聞には地域リーグ版マンチェスター・Uと書かれるほどでしたw

プレッシャーかかる中、ロッソは最終戦までもつれたものの、なんとか優勝。

思えば、九州リーグの1年目、ホーム開幕戦でのロスタイム勝ち越し、2位以内を決定付ける試合でのロスタイム2得点の大逆転、最終戦、2位との直接対決を制しての優勝決定と、シナリオがあったかのごとく盛り上がりを作っての優勝でした。

九州リーグ突破というのは大前提中の大前提。ロッソ初年度の最大の難関は地域リーグ決勝大会でした。

一応、リーグ戦ながら一発勝負に近いこの大会。一次リーグでの一敗は即敗退に繋がります。
監督曰く、この大会が過去において一番プレッシャーがかかった試合だと言っていました。

ちなみにここで敗退していた場合、チームは解散していた可能性が非常に高かったのです。初年度こそスポンサーも付いてくれましたが、それは将来のJ入りを見据えた先行投資。広告効果が期待できない九州リーグに2年連続でお金を払う企業はほとんどない状態だったのです。

しかしこの年の地域リーグ決勝大会のレギュレーションはまさにロッソをJFLに上げるためのものだった思います。
そういう意味では県サッカー協会の根回しに感謝しなければいけないでしょう。

一番、過酷な一次リーグは地元開催となり、ホームで2試合を戦うことができました。

そして無事に2勝し、決勝リーグに進むわけですが、本来はこの大会で勝ち上がり、JFLに昇格するには2位以内に入り、その後、JFLの下位チームとのハンデを伴った入れ替え戦に勝つ必要があるのです。

しかしこの年に限り、翌年からのチーム数増加や愛媛FCのJリーグ昇格という好条件が重なり、決勝リーグに残った4チーム中3位までが自動昇格できることになったのです。

ロッソは初戦のFC琉球戦、ロスタイムに追いつかれPK負けするという最悪のスタートでしたが、2戦目のバンディオンセ神戸に快勝し、この時点で3位以内を決め、JFL昇格を事実上、手に入れることができました。
結果的にロッソは最終戦のジェフアマ戦にも負け、1勝2敗の3位だったことを考えると、本当にラッキーだったと言えます。

愛媛FCがJFL最終戦に勝利しJ2昇格を果たしたお陰でロッソもJFLに上がれたのですが、愛媛が負けてたらロッソも消滅していたかもしれないと思うと四国に足を向けては寝れないのですw

当初の予定通り、1年で九州リーグを駆け抜けたロッソ熊本。次のステージはJFL。
各ポジションに効果的な補強を行い、ここも1年で駆け抜けるとの意気込みでスタートしました。
序盤は順調に勝ち点を重ね、昇格圏内の2位以内を確保していたのですが、夏ごろから勢いを失っていきます。

上位対決に勝つことが出来ず、ずるずると順位を下げていき、最終的に5位という結果で終えました。

チームはJ加入の申請を行っていましたが、やはり成績面で2位以内にはいれなかったことが響き、昇格を失敗してしまったのです。

2年目のJFL、さらに各ポジションに核となるような選手、ピッチから鼓舞できるベテランを加え、スタート。
リーグ中盤から佐川急便が抜け出し、リーグは早々と2位を争う状態だtったのですが、門番Hondaの調子が上がらず、また上位陣の潰しあいもあり、ロッソも終盤には2位をがっちりキープ。
この年のJFLからJ2への昇格条件がリーグで2以内から4位以内に変わったことで、極度のプレッシャーからも開放されたロッソは4試合を残し4以内を決定。

元々ハード面等にはほとんど問題がなかったロッソ。最大の関門であった成績面をクリアし、チーム結成から僅か3年でJ2入りを決めたのです。

しかしながら今となってはロッソ熊本というチームは存在しません。

そう、チーム名決定以来から危惧していた名称問題が表沙汰になったのです。

リーグ戦も架橋にに入っていた11月、どうもロッソから来期は「ロアッソ」に変わるという情報がネットに流れます。
(チーム関係者が意図的に流したという噂もありますが定かではありません)

何の説明もなく行われた、このチーム名変更にはもちろん反発がでます。
しかも8月の段階ですでに「ロアッソ」の商標登録手続きを行っていたこともわかり、さらに混乱を招く始末。

結局は「ロッソ」は商標に引っかかるのでJでは使えない。ロッソに決まった時にいたスタッフは今はもういないからその時の経緯が分からないという、ようわからん説明でした。

正直、格好悪いのですが、アルエットからロッソに変わった時の衝撃に比べれば何のことでもないのかなと思ったりもしてますw




ブレイズが熊本がJを目指し13年。その思いはアルエットからロッソ、そしてロアッソとゆっくりとながらも確実にバトンは渡され、ついに今年、熊本にJリーグがやってきます。
二度もJを目指し頓挫した地で三度、このようなJへの機運高まったこと自体が奇跡でした。
この13年の間に華やかな表舞台ではなく、裏方として支えた人達、夢半ばで諦めざるを得なかった選手達がどれだけいたことか。

そんな大勢の人達に心より感謝し、今年からJリーグでホームチームを応援できる幸せを噛み締めたいと思います。



次回は番外編。ランザ熊本、ヴァンクール熊本。

posted by loveroasso |09:18 | 熊本のサッカー | コメント(5) | トラックバック(0)
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2008年02月07日

熊本からJリーグを!その4 ロッソ熊本編

ブレイズ熊本、アルエット熊本、この両チームからJリーグという夢のバトンを受けたチーム。

熊本からJを目指す、おそらく最後のチャンスというプレッシャーの中誕生したロッソ熊本。
今日はそのロッソについて。


ロッソ熊本

アルエット熊本が九州リーグに降格し2年目のシーズンを戦いだしたばかりの時、唐突に「くまもとからJリーグを!」という運動が表面化しました。

アルエットの幹部であった某氏が県内の新聞社の会長の力を借り、不況で元気がなくなっていた熊本をサッカーで盛り上げようと、プロチーム設立に動き出したのです。

この話を聞いた時には当然、アルエットを本格的に強化できる目処がたったのだと思っていました。しかし、蓋を開けてみればそうではなかったのです。

運動が表面化したのは04の4月あたりだったと思います。
この時点で具体的にどのようにして強いチームを作り上げるかは決まっていませんでした。
強化の選択肢として上がっていたのは、

1、県内でカテゴリー最上位にあるチームの強化(アルエット)
2、県外からの有力チームの誘致(Honda等)
3、ゼロから新チームの設立

この3つです。
そして協議の末、決まったのは3案だったのです。
この理由として、やはりアルエットでは「NTT」というイメージが強く、地元のサポートが受けれなった過去がある為、アルエットをイメージするもの全てを払拭する必要があったからなのです。
また、県外チーム誘致にもお金がかかるということで2案もボツとなりました。

しかし、3案の場合、チームは県リーグ3部からのスタートとなってしまい、Jリーグへ昇格するには最短でも5年を要してしまうことになります。

そこで考えられたのが、新チームを設立するが、名義だけはアルエットから引継ぎ、九州リーグからスタートをするというものでした。

アルエットの選手にとってはまさに寝耳に水。
ある意味、チーム乗っ取りなわけですから。
この件に今でもシコリが残ってしまっていることがとても残念で仕方ありません。

ここからは話がどんどん進んでいきました。
熊本の某新聞社の会長の力というのは凄まじく、県内の政財界の協力をどんどん取り付けていきます。
アルエット時代、
「サッカーで盛り上がってるのは市民の極々数パーセント。協力はできない」
と話していた市長すら協力に名乗りを上げたのです。

そして9月には知事、市長、県内政財界のトップが一同に会し、「くまもとからJリーグを!」の県民運動が始まったのです。

この様子は連日のようにマスコミにも取り上げられ、一気に認知度も増していきました。

この時点ではまだチーム名も監督も選手も何も決まっていませんでした。
そこでまずはチームカラーの公募が行われました。
当初からチームカラーはレッドでということは決まっていたのですが、募集や情報を小出しにすることで興味を引きつけるという意味で公募されました。

そして予定通りチームカラーはレッドとなったのです。

次にチーム名の募集が行われました。
そして最多の応募があったのはAC熊本でした。

が、見事に選ばれたのは「ヒゴロッソ熊本」でした。

しかし、最終的には「ヒゴ」が外され、誰も応募していない「ロッソ」に決まったのです。

この「ロッソ」という名前に私は始めから商標に引っかかるという思いがありました。
Google等で「ロッソ」と検索すると、様々な商品や企業が出てきましたし。

このままでは将来、大分や福岡、仙台や新潟のようにJ参入時に名称変更を余儀なくされる危険性をチームに訴えました。

しかしその返事は業種が被っていないからこのままで大丈夫というものでした。
まぁその後の結果はみなさんご存知の通りです(苦笑)

チームカラー、チーム名は無事に決まったのですが、難航したのは監督でした。
現在の池谷監督に決定するまで何人の人物に断られたことか・・・。

ここで名前はあげれませんが、現J1やJ2の監督をされているあの方やこの方、かなりたくさんの方に声をかけて断られました。

地理的なこともさることながら、このJへの挑戦という仕事は魅力的ではあるものの、リスクが高すぎるというのが理由です。

たとえばJ1やJ2の監督を行い、成績不振でクビになってもまた監督の仕事がまわってくることはよくあります。

しかし、九州リーグで失敗しては監督業を行っていく上でかなりの汚点になってしまうのです。

最終的には日本サッカー協会の熊本出身者の某氏の仲介で池谷氏を紹介してもらい、監督就任にまでこぎつけました。

チームはできた、監督も決まった、しかし選手はいない。

ということで12月、セレクションが行われました。
Jリーグから戦力外となった選手やJFLの選手、大学生にアルエットの選手達が参加しました。

前回も書きましたが、残念ながらアルエットの選手でこのセレクションを勝ちあがった選手はいませんでした。
ただ、元アルエットの選手として、当時、九州リーグのヴォルカ鹿児島に在籍していた松下選手の加入がありました。

このセレクションで選ばれた選手に監督がスカウトしてきた駒澤大学勢などを加え、2005年1月、いよいよチームがJへ向かって始動するのでした。


続きはまた次回。



posted by loveroasso |11:05 | 熊本のサッカー | コメント(1) | トラックバック(1)
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2008年02月06日

熊本からJリーグを!その3 続アルエット熊本編

昨日の続き、アルエット熊本編です。

初のJFL参戦の開幕前から水面下では色々あったアルエット。財政的に厳しいチーム状態でしたから、補強もままならなりませんでした。大卒の選手を2名ほど獲得したのみで、あとは現有戦力での挑戦。しかも開幕前から怪我人が複数いるという状態でした。

案の定、開幕してから勝てない日々が続きます。しかしそんな状況が一転したのはリーグの3分の1が過ぎようとしていた頃でした。怪我人の復帰も大きかったのですが、それ以上に同じNTTを親会社とする、大宮アルディージャから無償レンタル選手(2名)の補強が行われたのです。

本来、レンタル移籍とはレンタル中は借り入れ先が選手の給料を払うわけですが、移籍金はもちろん、給料もすべて大宮持ちという好条件でした。

加入した選手は結果を出さなければクビになるという必死な思い、そのプロ意識を間近で見た、アルエットのアマチュア選手の気持ちにも変化が訪れ、後半戦は快進撃。
結果、アルエットはJFL1年目、16チーム中8位という好成績で終えたのです。

そしてJFL1年目の最終戦終了後のインタビューにてついに「5年以内のJリーグ参入を目指す」との宣言があったのです。

ちなみにアルエットは始めからJリーグを目指していたように思われていますが、チームが公式な見解として「Jリーグ入りを目指す」という発表は最後までありませんでした。
もちろん、フロントの人たちはJを目指していましたが、周りのサポートの現状を踏まえると、とても発表することができなかったのです。

さて、JFL1年目に旋風を起こしたアルエットでしたが、2年目は厳しいシーズンになってしまいます。
開幕前、快進撃の原動力になった大宮の選手はいなくなりました。彼らは結局、大宮を解雇されたので、アルエットで雇用することも可能だったのですが、とてもプロ選手を抱えるだけの余裕はなく、獲得を泣く泣く見送ったのです。
また、開幕前から主力に怪我人も続出。そしてNTTから完全に離れてしまった為、社員選手にも選手特権がなくなり、主力選手でありながら、県外への転勤というかたちでチームを離脱する者すら出てきたのです。

確かに抜けた人数分以上の補強はありましたが、抜けた穴を埋めるだけのポテンシャルを持った選手はいませんでした・・・。

序盤こそ1勝2分という、上々の滑り出しでしたが、その後、10数試合も勝てない日々が続きました。気付けばアルエットは降格圏内にいたのです。

そして一度陥った負のスパイラルを振り払うことができないままアルエットは最終戦も敗戦。僅か2年でJFLから降格することになってしまいました。

チームはその後、存続の危機に陥ります。
「JFLで戦えるから」という理由で集まっていた選手のほとんどが離脱。残ったのはNTT時代からのベテランと地元出身の若手という状況でした。
そしてカテゴリーが下がったことで、ただでさえ少なかったスポンサーも減ってしまったのです。

チームフロントは解散も視野にいれたのですが、もう一度、JFLに挑戦することを決意。
(この決定まで時間がかかったのでかなり焦りました・・・)

チームは九州リーグから再出発することになったのです。
しかし、当時の九州リーグはかつてNTT九州が天下だった頃とは一変していました。
Jを目指し、強化を図っていたチームがゴロゴロいたのです。今は衰退してしまいましたが、加藤久率いる沖縄かりゆし、前田浩二率いるヴォルカ鹿児島、同じJFLからの降格組あるサン宮崎、数年後のJリーグ入りを宣言し、現JFLのニューウェーブ北九州。そんな厳しい状況の中、アルエットの新たな挑戦は始まるのでした。

補強はほとんどできなかったアルエット、序盤こそ維持を見せて上位争いをしていましたが、中盤以降失速し、屈辱の5位で九州リーグ1年目を終えてしまいました。

翌年、今年こそはと選手を多く補強しJFL復帰へと動き出しました。
しかし時を同じくしてあるプロジェクトが水面下で動き出していたのです。

そう、それが現ロアッソ熊本の構想。

この件の詳しい話はロッソ熊本編で書きたいと思います。

「くまもとにJリーグをつくろう!」という運動が表面化し、マスコミにも取りあげらるようになりました。

そしてアルエットをベースにはするものの、チーム名、チームカラー、選手の入れ替えも決定したのです。

そう、アルエット熊本としての活動はこの年が最後となってしまったのです。
九州リーグ中盤を過ぎた頃にはアルエットにJFL昇格の可能性はなくなっていました。しかし、観る側からすれば順位などはすでにどうでもよく、このチームも目に焼き付けておきたい、そういう思いに変わっていました。

そして九州リーグ最終節を勝利で飾り有終の美を飾ったアルエットイレブン。

チームはそのJへの夢のバトンをロッソに渡し、静かにその長き活動に終止符を打ったのでした。


彼らのその後ですが、そのままサッカーを諦めた選手はいませんでした。みんなサッカーを愛していたのです。
元アルエットの選手と監督コーチ陣は新たにチームを設立。

そのチームは県リーグを圧倒的な強さで勝ち抜き(35-0とか凄いスコアもありましたw)今期、九州リーグに「復帰」しました。

アルエットの血を正統に引くのはロッソ(現ロアッソ)熊本ではなく、彼らが設立し、九州リーグに復帰したヴァンクール熊本なのかもしれません。

次回はロッソ熊本。


最終戦でのアルエットの選手達


posted by loveroasso |10:37 | 熊本のサッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年02月05日

熊本からJリーグを!その2 アルエット熊本編

今日も昨日に引き続き、ロアッソ以前に熊本からJリーグを目指したチームのお話です。
昨日はブレイズ熊本でしたが本日は・・・

アルエット熊本
元々は1969年に創部された日本電信電話公社熊本サッカー部が起源となるチームであり、歴史はヴェルディと同じくらいありますw
その後、85年に親会社の民営化に伴い、NTT九州サッカー部へ。

同時期には九州リーグへ昇格し、着実に強化を図りだします。優良企業のサッカー部ということで全国の大学から有力な選手が集まってきました。
時期が時期ならプロすら目指せるほどの選手達でした。

90年代に入るとその実力は九州で飛びぬけた存在となり、Jを目指していたブレイズとリーグで2強を形成していました。

また98年にはチーム初となる全国でのタイトル、全国社会人大会での優勝を果たし、名実共に九州の雄としてチームは成長していったのです。

この優勝が全国を目指す起爆剤になったNTT九州は2000年、JFL挑戦を宣言しました。その言葉通り、00年シーズンの九州リーグで優勝を飾ったチームは勢いそのままに全国地域リーグ決勝へ。
(ちなみに2000年、チームは名前をNTT西日本熊本FCと改名してます)

上位2チームが無条件でJFL昇格が決まる大会でしたが、NTT西日本熊本は惜しくも3位となり、自動昇格を逃していまうのでした。

熊本のコアなサッカーファンはブレイズの悪夢が再び脳裏をよぎったのですが、この年、JFLのチーム数拡大構想により、地域リーグ決勝大会出場チームで希望があればJFLに参入できるという棚ボタ的なウルトラCでなんとか目標のJFL昇格を決めるのでした。
(同年にJFL参入したチームに愛媛FCや佐川急便、YKK※現カターレ等があります)
JFL昇格後、チームは公募により愛称をアルエット熊本としました。
(実は某選手が命名したのですが、表向きは公募で決まったとなってます)
アルエットは公式に公表はしなかったものの、水面下でJ参入を目指し、動き出します。
しかし、これは表にでなかったことですが、JFL昇格後、正式名称はNTT西日本熊本FCであるにも関わらず、親会社からの資金提供はゼロになり、また会社のサッカー部という位置づけからも外されていました。

表向きはクラブチーム化を図るということでしたが、実際は急激に親会社の業績が落ち込み、チームを抱えれなくなったことが原因です。実際、九州でも強豪だった同会社の野球部などは廃部となったのです。アルエットもそのまま会社のサッカー部のままでは廃部に追い込まれる為、クラブチーム化を図り、スポンサーを募る必要性にせまられたのです。

しかしスポンサーもそう簡単に集まりませんでした。NTTの子会社などは小口ながらもスポンサーになってくれましたが、それ以外は厳しいものでした。

いくら親会社から離れても世間一般の目は「NTTのサッカー部」。
上記の理由でスポンサーになってくれるところはほとんどありませんでした。
結果的にこのことがロッソ(ロアッソ)誕生に繋がるのですが・・。

JFLで戦うにはリーグに年会費を払わなければいけません。その額は1000万円。
地方のアマチュアクラブにはかなり厳しい額です。

頑張って集めたスポンサー料だけでは到底足りません。

そこでアルエットはそのお金を捻出するためにチームフロントの人が働いていた会社を退職し、その退職金を年会費に当てたのです・・・。

長くなりそうなので続きはまた次回。

posted by loveroasso |10:53 | 熊本のサッカー | コメント(3) | トラックバック(1)
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2008年02月04日

熊本からJリーグを!その1 ブレイズ熊本編

初めまして。本日よりここでロアッソ熊本について書かせていただきます。

幾多の困難を乗り越え、我等がロアッソはJ2に参入することができました。

しかし、ロアッソの挑戦以前にも熊本ではJへの動きはありました。
そのいずれも頓挫してしまったわけですが、今のロアッソがあるのは間違いなくそういう挑戦の歴史があったから。
今日はその熊本からのJ挑戦の歴史を振り返ってみます。

ブレイズ熊本
当時、九州で一番Jに近いと言われていたチームです。早くからJ参入を目標に掲げ、強化を図っていたチームでした。
元々は1982年に創部された、地元企業である、東亜建設工業のサッカー部だったのですが、94年にブレイズ熊本と改名しました。
九州リーグでは、同じ熊本のNTT九州と2強を形成し、ブラジル人やイングランド人、元Jリーガーなどを補強し、Jを目指していました。
しかし、JFL参入を決める大会である、地域決勝にてことごとく敗退。99年には九州リーグ3位となり、地域決勝にすら出場できなくなり、次第に弱体化。チーム内のゴタゴタもあり、主力が大量に離脱し、チームはユース上がり主体で戦わなくてはいけなくなり、2000年にはとうとう九州リーグで最下位となり県リーグに降格となってしまいました。
また、2002年には全国的なゼネコン業界の不況の波に飲まれ、親会社が事実上の倒産。それに伴い、トップチームは解散となってしまいました・・・。

J2アクションプラン構想の記事がサッカーマガジンに載った際、地域リーグからJ2へ参入予定のチームに新潟と共にこのブレイズも紹介されていました。しかし、結果的にアクションプラン発動時には資金難に陥っており、J2への参加は見送られる形となったのです。

元々、一つの親会社がJという夢を持って作ったチームであった為、そこ以外からスポンサーになるところはほとんどなく、その企業の業績がチームにダイレクトに帰ってくるという状態でした。

このチーム、誕生が早すぎたのかもしれません。

ちなみに時を同じくして九州からJを目指して誕生したチームに大分トリニティ(現トリニータ)があるのですが、あそこは1年で九州リーグを駆け抜けていきました。で、トリニティは九州リーグで2敗しかしなかったのですが、その2敗はいずれもブレイズが土をつけたのです。


チーム自体の頑張りとは裏腹に県民からの認知度も低かったブレイズですが、一度だけ脚光を浴びたことがあります。
95年の天皇杯1回戦、水前寺競技場で行われた、ベルマーレ平塚(現湘南)との一戦になんと15000人近くの観衆が集まったのです。
もっとも当時のベルマーレには代表クラスの選手が多数いたということもありますが、ロアッソの平均観客動員が3000人程度ということを考えても、凄い数でした。

試合は1-5で負けはしましたが、数年後、Jの舞台での再戦を夢見たものでした。


トップチームがなくなったものの、今でもJrユース等の下部組織は活動しています。
ユニホームのデザインも当時のまま。

熊本のコアなサッカーファンに初めて夢を見せてくれたサッカーチーム、ブレイズ熊本。
彼らに心から感謝。

次回はアルエット熊本。

posted by loveroasso |15:57 | 熊本のサッカー | コメント(9) | トラックバック(1)
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