2008年02月07日
熊本からJリーグを!その4 ロッソ熊本編
ブレイズ熊本、アルエット熊本、この両チームからJリーグという夢のバトンを受けたチーム。 熊本からJを目指す、おそらく最後のチャンスというプレッシャーの中誕生したロッソ熊本。 今日はそのロッソについて。 ロッソ熊本 アルエット熊本が九州リーグに降格し2年目のシーズンを戦いだしたばかりの時、唐突に「くまもとからJリーグを!」という運動が表面化しました。 アルエットの幹部であった某氏が県内の新聞社の会長の力を借り、不況で元気がなくなっていた熊本をサッカーで盛り上げようと、プロチーム設立に動き出したのです。 この話を聞いた時には当然、アルエットを本格的に強化できる目処がたったのだと思っていました。しかし、蓋を開けてみればそうではなかったのです。 運動が表面化したのは04の4月あたりだったと思います。 この時点で具体的にどのようにして強いチームを作り上げるかは決まっていませんでした。 強化の選択肢として上がっていたのは、 1、県内でカテゴリー最上位にあるチームの強化(アルエット) 2、県外からの有力チームの誘致(Honda等) 3、ゼロから新チームの設立 この3つです。 そして協議の末、決まったのは3案だったのです。 この理由として、やはりアルエットでは「NTT」というイメージが強く、地元のサポートが受けれなった過去がある為、アルエットをイメージするもの全てを払拭する必要があったからなのです。 また、県外チーム誘致にもお金がかかるということで2案もボツとなりました。 しかし、3案の場合、チームは県リーグ3部からのスタートとなってしまい、Jリーグへ昇格するには最短でも5年を要してしまうことになります。 そこで考えられたのが、新チームを設立するが、名義だけはアルエットから引継ぎ、九州リーグからスタートをするというものでした。 アルエットの選手にとってはまさに寝耳に水。 ある意味、チーム乗っ取りなわけですから。 この件に今でもシコリが残ってしまっていることがとても残念で仕方ありません。 ここからは話がどんどん進んでいきました。 熊本の某新聞社の会長の力というのは凄まじく、県内の政財界の協力をどんどん取り付けていきます。 アルエット時代、 「サッカーで盛り上がってるのは市民の極々数パーセント。協力はできない」 と話していた市長すら協力に名乗りを上げたのです。 そして9月には知事、市長、県内政財界のトップが一同に会し、「くまもとからJリーグを!」の県民運動が始まったのです。 この様子は連日のようにマスコミにも取り上げられ、一気に認知度も増していきました。 この時点ではまだチーム名も監督も選手も何も決まっていませんでした。 そこでまずはチームカラーの公募が行われました。 当初からチームカラーはレッドでということは決まっていたのですが、募集や情報を小出しにすることで興味を引きつけるという意味で公募されました。 そして予定通りチームカラーはレッドとなったのです。 次にチーム名の募集が行われました。 そして最多の応募があったのはAC熊本でした。 が、見事に選ばれたのは「ヒゴロッソ熊本」でした。 しかし、最終的には「ヒゴ」が外され、誰も応募していない「ロッソ」に決まったのです。 この「ロッソ」という名前に私は始めから商標に引っかかるという思いがありました。 Google等で「ロッソ」と検索すると、様々な商品や企業が出てきましたし。 このままでは将来、大分や福岡、仙台や新潟のようにJ参入時に名称変更を余儀なくされる危険性をチームに訴えました。 しかしその返事は業種が被っていないからこのままで大丈夫というものでした。 まぁその後の結果はみなさんご存知の通りです(苦笑) チームカラー、チーム名は無事に決まったのですが、難航したのは監督でした。 現在の池谷監督に決定するまで何人の人物に断られたことか・・・。 ここで名前はあげれませんが、現J1やJ2の監督をされているあの方やこの方、かなりたくさんの方に声をかけて断られました。 地理的なこともさることながら、このJへの挑戦という仕事は魅力的ではあるものの、リスクが高すぎるというのが理由です。 たとえばJ1やJ2の監督を行い、成績不振でクビになってもまた監督の仕事がまわってくることはよくあります。 しかし、九州リーグで失敗しては監督業を行っていく上でかなりの汚点になってしまうのです。 最終的には日本サッカー協会の熊本出身者の某氏の仲介で池谷氏を紹介してもらい、監督就任にまでこぎつけました。 チームはできた、監督も決まった、しかし選手はいない。 ということで12月、セレクションが行われました。 Jリーグから戦力外となった選手やJFLの選手、大学生にアルエットの選手達が参加しました。 前回も書きましたが、残念ながらアルエットの選手でこのセレクションを勝ちあがった選手はいませんでした。 ただ、元アルエットの選手として、当時、九州リーグのヴォルカ鹿児島に在籍していた松下選手の加入がありました。 このセレクションで選ばれた選手に監督がスカウトしてきた駒澤大学勢などを加え、2005年1月、いよいよチームがJへ向かって始動するのでした。 続きはまた次回。
posted by loveroasso |11:05 |
熊本のサッカー |
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