2008年02月04日

熊本からJリーグを!その1 ブレイズ熊本編

初めまして。本日よりここでロアッソ熊本について書かせていただきます。

幾多の困難を乗り越え、我等がロアッソはJ2に参入することができました。

しかし、ロアッソの挑戦以前にも熊本ではJへの動きはありました。
そのいずれも頓挫してしまったわけですが、今のロアッソがあるのは間違いなくそういう挑戦の歴史があったから。
今日はその熊本からのJ挑戦の歴史を振り返ってみます。

ブレイズ熊本
当時、九州で一番Jに近いと言われていたチームです。早くからJ参入を目標に掲げ、強化を図っていたチームでした。
元々は1982年に創部された、地元企業である、東亜建設工業のサッカー部だったのですが、94年にブレイズ熊本と改名しました。
九州リーグでは、同じ熊本のNTT九州と2強を形成し、ブラジル人やイングランド人、元Jリーガーなどを補強し、Jを目指していました。
しかし、JFL参入を決める大会である、地域決勝にてことごとく敗退。99年には九州リーグ3位となり、地域決勝にすら出場できなくなり、次第に弱体化。チーム内のゴタゴタもあり、主力が大量に離脱し、チームはユース上がり主体で戦わなくてはいけなくなり、2000年にはとうとう九州リーグで最下位となり県リーグに降格となってしまいました。
また、2002年には全国的なゼネコン業界の不況の波に飲まれ、親会社が事実上の倒産。それに伴い、トップチームは解散となってしまいました・・・。

J2アクションプラン構想の記事がサッカーマガジンに載った際、地域リーグからJ2へ参入予定のチームに新潟と共にこのブレイズも紹介されていました。しかし、結果的にアクションプラン発動時には資金難に陥っており、J2への参加は見送られる形となったのです。

元々、一つの親会社がJという夢を持って作ったチームであった為、そこ以外からスポンサーになるところはほとんどなく、その企業の業績がチームにダイレクトに帰ってくるという状態でした。

このチーム、誕生が早すぎたのかもしれません。

ちなみに時を同じくして九州からJを目指して誕生したチームに大分トリニティ(現トリニータ)があるのですが、あそこは1年で九州リーグを駆け抜けていきました。で、トリニティは九州リーグで2敗しかしなかったのですが、その2敗はいずれもブレイズが土をつけたのです。


チーム自体の頑張りとは裏腹に県民からの認知度も低かったブレイズですが、一度だけ脚光を浴びたことがあります。
95年の天皇杯1回戦、水前寺競技場で行われた、ベルマーレ平塚(現湘南)との一戦になんと15000人近くの観衆が集まったのです。
もっとも当時のベルマーレには代表クラスの選手が多数いたということもありますが、ロアッソの平均観客動員が3000人程度ということを考えても、凄い数でした。

試合は1-5で負けはしましたが、数年後、Jの舞台での再戦を夢見たものでした。


トップチームがなくなったものの、今でもJrユース等の下部組織は活動しています。
ユニホームのデザインも当時のまま。

熊本のコアなサッカーファンに初めて夢を見せてくれたサッカーチーム、ブレイズ熊本。
彼らに心から感謝。

次回はアルエット熊本。

posted by loveroasso |15:57 | 熊本のサッカー | コメント(9) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加