2008年05月20日

【九州リーグ】 ヴァンクール熊本、またもや惜敗(涙)

またブログさぼってました・・・。
サボってる間にロアッソも連敗。しかも連続完封負け・・・。
ただ、ネガティブにまだ考える必要もないと思います。
今ではJ2の強豪の一つに数えられえるサガンもつい数年前、J2で年間3勝しかしませんでしたし、昨シーズン最下位のヴォルティスも6勝しかできなかったことを考えると、第1クール終了前に3勝しているということは逆にポジティブに考えていいと思います。


さて、先日の日曜、ロアッソのアウェーでのヴォルティス戦の観戦を諦め、更にはテレビ観戦すら行わず、ヴァンクール熊本のホームゲームの応援に行ってきました。
今期2度目となるホームゲーム、お客さんの数は40人ほどでしたが、試合も気温も熱いものとなりました。
相手は強豪である新日鐵大分。レベルの高い九州リーグにあって、毎シーズン上位に顔を出すチームです。正直、厳しい試合になるとは予想していましたが・・・

試合は開始1分に失点。更にその後、キーパーへのバックパスの処理にGKが失敗し、相手にボールを奪われ、あっという間に2点差がついてしまいました。
大量失点も已む無しなのかと心配しましたが、その後、精神的に切れることなく建て直すことができました。
後半、2点を奪い、新日鐵をギリギリまで追い込んだのですが、終了間際に前がかりになったところをつかれ失点。結局は2-4で負けてしまいました。


前半の試合の入り方などに問題が多少あったにしろ、90分を通して気持ちがこもったいい試合でした。声もよく出ていましたし、今後につながる試合だったと思います。

試合前、スタッフの方と少し話す機会があったのですが、
「メンバーさえ揃うようになればもう少し戦えるようになる。今はガマン。」と話されていました。

基盤が弱いクラブチーム全般に言えることですが、選手それぞれが別々の仕事についていますし、試合当日にベストメンバーが組めることは稀だと思います。


今期はまだ1勝しかできていないヴァンクール。しかし、今期の九州リーグは上位と下位の差がはっきりしていて、下位のチームはほとんど勝ち点を積上げることができていません。恐らく、今期は18試合中、4勝程度(九州リーグには引き分けがない)で残留できると思うのですが、次節は残留争いのライバルである大隅NIFS戦。アウェーですが、なんとか勝ってほしいものです。


ヴァンクールもロアッソもここ数試合、厳しい戦いが続いていますが、必ずトンネルは抜けることができると思いますし、早く両チームそろって白星をあげることができる週末が来てくれることを願っています。

posted by loveroasso |09:34 | 熊本のサッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年05月02日

2001年12月2日、三ツ沢球技場にて

我らがロアッソの次節の対戦相手は横浜FC。
8位とイマイチ波に乗れないながらも、ここまで負けは僅か1試合のみという手固いチームです。
前節、試合なしだった横浜に対し、タイトなスケジュールのロアッソ。厳しい戦いになるとは思いますが、好ゲームを期待したいものです。

さて、今回、横浜とはアウェーでの対戦であり、試合会場は当然、横浜FCのホームスタジアムであるニッパツ三ツ沢球技場。

三ツ沢に横浜FC、忘れもしません、今から6年半前の2001年12月2日、私は三ツ沢競技場にいました。
天皇杯2回戦アルエット熊本対横浜FCの応援に熊本から駆けつけていました。
JFLの初年度だったアルエットはリーグを8位という好成績で終了し、シーズンの締めくくりにJ2相手にどこまでやれるのか、スコア云々ではなく、ただ自分が応援する地元のチームがJクラブに挑む姿を観たくて横浜まで足を運んだのでした。

横浜FCは当時、まだまだJ2でも下位のクラブだったのですが、このシーズンは2バックという超攻撃的なシステムを採用するチームで、天皇杯初戦の埼玉FC戦を14-0で粉砕したりと、勢いの乗せると恐すぎる相手でした。
対するアルエットは中心選手であった村上や大濱を怪我で欠く苦しい布陣でした。
それでもキックオフ直後はなんとか横浜の攻撃を凌いでいたのですが、前半僅か13分に攻守の要であった西村が相手選手のチャージにより骨折。
代わりに入った前田もリーグ戦にほとんど出場機会がないながらも奮闘してくれたのですが、その後はバランスを崩し、終わってみれば0-5の大敗を喫してしまいました。
結果以上に西村の骨折が痛かったのをよく覚えています。

試合後、顔見知りのライターさんと話した際の言葉なんですが、次はウチがJのチームとなってこの三ツ沢にリベンジに来てやる!・・・そう話したものでした。

あれから6年半。

アルエット熊本として三ツ沢にリベンジをしに行くことは叶いませんでした。しかし、アルエットの歴史を継ぐロアッソが6年半前の仇を討ちに明日、三ツ沢のピッチに乗り込みます。
まぁもっともチームや選手にはそんな感情はないと思いますがね。
あくまで勝手に私が当時を思い出して思っていることなんですが、それでも三ツ沢で勝ち点を取るということは6年半で熊本のサッカーがJのサッカーに追いついたということを実感できるものと信じています。


ちなみに横浜FCのFWである難波。彼は2002年にアルエットのセレクションを受けています。当時、セレクションも見学に行ったのですが、彼の動きは他の選手に比べ、頭一つ抜けており、何としても欲しい選手だったのですが、気付いたら栃木SCに行ってました・・・。
まさかこんな形で熊本のチームと再会するというのも面白いものです。

posted by loveroasso |15:22 | 熊本のサッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年05月01日

熊本のもう一つのチーム ヴァンクール熊本

土曜日に行われたロアッソ対サンフレッチェ戦、会場となったKKウイングには6000人近い観衆が集まり、おおいに盛り上がったのですが、その翌日、熊本ではもう一つのチームの試合が行われていました。

そのチームとはヴァンクール熊本。

今期より九州リーグに所属するこのチーム、過去のエントリーでも書きましたが、ロアッソの前身である、アルエット熊本の選手やスタッフが立ち上げたチームであり、そういう意味ではアルエットの正統な後継チームです。
九州リーグ昇格を決めたことを報道した新聞には「九州リーグ復帰」という言葉を用いたところもあったほどです。

そのヴァンクールのホーム開幕戦が日曜日に行われたのでした。
会場はKKウイングから車で15分ほどの場所にある益城町陸上競技場。昨年オープンしたばかりの競技場ですが、スタンドは全くなく、やや傾斜のある原っぱが広がっているだけであり、ピッチは人工芝という場所でした。
私はキックオフ直前に会場に到着したのですが、その頃には対戦相手であるヴォルカ鹿児島のサポーターが声高らかに歌っていました。
アルエットやロアッソが九州リーグ在籍時にもいたサポーターの顔もあり、懐かしく感じました。
対するヴァンクールには残念ながらサポーターの姿はなく、ホームでありながら少し寂しいものでした。
観衆の数もざっと数えたところ100名弱。もっとも告知も何もない状況であり、熊本市内からも距離があり、アクセスが悪い場所なので仕方ないですが。

私はピッチからわずか数mの場所に座り、懐かしい顔を追いながら観戦。
ヴァンクールは今期から九州リーグということで新メンバーを多く加入させたのですが、先発にはGK中西、DF松浦、藤家、ベンチにも藤田、林田といった元アルエットの選手に濱田といった元ロアッソの選手がおり、それだけでワクワクしました。

試合の方は先制しながら追いつかれる苦しい展開。後半に入ってアルエット、V・ファーレンで活躍した松浦が負傷退場。また交代で入った濱田が僅か14分で退場処分となってしまい、堪えながらもロスタイムに勝ち越し点を喰らって残念ながらホーム開幕を白星で飾ることができませんでした。

それでも開幕戦で0-12、第2節で3-8と大敗しながら3節で勝利し、今節でもリーグ上位の常連の鹿児島に善戦したことは確実にレベルアップしている証拠でしょう。

まとまって練習することができず、試合の日に初顔合わせする選手もいる中、よくやっていると思います。

試合後、元ロアッソの濱田選手としばらく話しました。全然練習していないからキレがないと自分でも反省しており、これからは学生達(現在、高校で監督をしている)と一緒に練習をしてコンデションを整えていくと話していました。


春の休日、草原に近いスタジアムで地元のチームを応援するというのはいいものです。ヴァンクールを見ていると、プロとかアマとか関係なく、地元のチームを応援できる喜びを再実感できました。
ロアッソに比べれば何一つ恵まれていない環境かもしれませんが、同じ熊本をホームとするチーム。特にアルエットに思い入れがある私はヴァンクールに特別な感情を抱いてしまいます。
これからも極力応援に駆けつけたいと心から思いました。できればアウェーにも。

しかしサポーターがいないのはやはり寂しい。しようかな・・・。

posted by loveroasso |01:15 | 熊本のサッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年04月11日

熊本城スタジアム構想

ロアッソのホームスタジアムはKKウイング。
99年に行われた熊本国体用に作られた、比較的新しいスタジアムであり、最新の設備を誇る、とても素晴らしいスタジアムです。
しかしこれがいかんせんデカイ。
熊本という地方都市に32000人規模のスタジアムはデカ過ぎるわけです。
過去に満員になったことどころか、2万人以上入ったことも1回のみ。
アクセスの問題、駐車場の問題もいまだ解決できないでいます。
国体用ということから、もちろんサッカー専用ではなく陸上競技場。
かなりスタンドからピッチが遠いのが現状です。

ここ数年でJ2に新規参入したクラブやこれから参入をねらっているクラブにしてみればJ規程になんら問題のないスタジアムも持っているというだけで恵まれているのも確か。しかもKKウイングの他に熊本市内には水前寺競技場という、もう一つ、Jリーグを開催できるスタジアムを保持してますし。
贅沢な悩みというのは百も承知の上でサッカー専用のスタジアムが欲しいなと、一サッカーファンとして考えてしまうのです。

では熊本市に本格的なサッカー専用スタジアムを作るという構想がなかったのかというと、そうではありません。
数年前、熊本市の、しかも中心市街地にスタジアムを作る運動が水面下で行われました。もちろん、ぽしゃりましたが・・・

その構想とは、熊本城敷地内に作るというものでした。これだけでも凄い構想ですw
以前、熊本城敷地内に熊本県営熊本城プールがあり、市民が気軽に水泳や水遊びをできる場所として賑わっていました。
しかし、老朽化と熊本城整備の為に廃止。そこでその跡地にスタジアムを作るという構想が生まれたのでした。
場所的に市街地に隣接している為、マイカー社会である熊本であっても、マイカーを使うことなく市内中、もしくは県内中から人が気軽にやってくることができます。バス、JR、路面電車、様々な方法で。
また、マイカーを使わないことのメリットとして、KKウイングでの試合の場合、スタジアム周辺に何もないし、試合が終わったらすぐ帰宅するだけですが、市街地に近い、このスタジアムであれば、試合後、そのまま繁華街で祝勝会や残念会、または買物等をして帰れるし、酒飲んでも大丈夫ですし。
そういう意味では市街地にサッカー客がお金を落としていくので、街ぐるみで盛り上がると。
マイカー社会の熊本でいくら市街地近くのスタジアムとはいえ、本当にマイカーなしででも人は集まるのかという疑問もあるかもしれません。
でも大丈夫。熊本城敷地内には藤崎台野球場があるのですが、先日、ここでソフトバンクスホークスの公式戦が行われ、平日にも関わらず13000人もの観衆が集まりました。
観客の中には周辺の有料駐車場に停めた方もいたとはいますが、ほとんどは公共の交通機関やタクシーで来られたと思います。
限られた駐車場と整備されていない公共交通機関で郊外のスタジアムに人を呼ぶより、実に集客に効果的な立地場所だったわけです。

しかし、結局この場所にスタジアムが作られることは当然ありえず、現在は駐車場として使われています。

当時はまだアルエットが九州リーグで活躍していて、ロアッソも誕生していませんでしたし、すでにKKウイング、水前寺競技場と、共に陸上競技場であるものの、市内に2つも箱を持っているということで却下されたことは当然といえば当然のことだったと思います。
しかし、もし作られていたらと思うだけでワクワクしませんか?
スタジアムの真後ろに石垣と天守閣があるという絵を想像してみてください。
恐らく、景観を守る為にスタジアムの作りも和風のテイストが盛り込まれていたことでしょう。世界にも類のない、お城の敷地内のスタジアム、実現してほしかったなぁ。



posted by loveroasso |10:32 | 熊本のサッカー | コメント(3) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月20日

データで見るロアッソのビルバオ化

現在、ロアッソに所属する全32選手の内、熊本出身の選手は11名。
約3分の1が熊本出身ということになります。

まずはこの数が多いのかどうか、検証する為に他チームと比較してみましょう。

チーム 選手数  地元選手数
札幌  30名   6名     20%
鹿島  30名   8名     27%
浦和  31名   7名     23%
大宮  31名   8名     26%
千葉  38名   6名     16%
柏   30名   4名     13%
FC東京 30名   8名     27%
V 東京 32名   7名     22%
川崎  31名   5名     16%
横浜FM 36名   6名     17%
新潟  25名   4名     16%
清水  32名   8名     25%
磐田  34名   15名     41%
名古屋 33名   3名      9%
京都  30名   4名     13%
G 大阪 29名   10名     34%
神戸  35名   9名     26%
大分  28名   4名     14%

J1          平均  7名   平均 21%  
 
             J2      
仙台  29名   2名      7%
山形  29名   2名      7%
水戸  31名   5名     16%
草津  30名   6名     20%
横浜FC 27名   1名      4%
湘南  34名   7名     21%
甲府  33名   2名      6%
岐阜  32名   5名     16%
C 大阪 28名   3名     11%
広島  28名   9名     32%
徳島  29名   1名      3%
愛媛  31名   5名     16%
福岡  24名   6名     25%
鳥栖  29名   0名      0%

J2          平均  4名  平均 13%

熊本  32名   11名     34% 

※地元出身選手の地元とはホームチームが存在する都道府県と考えてカウントしています。



データで見てみると、ロアッソの地元出身選手率がかなり高いことに気付きます。
ロアッソ以外のチームの地元出身者のほとんどはユース出身の選手達でした。
ですからユースが強い広島などは結果的に地元選手が多いようです。
そういう意味ではまだユースチームがないロアッソの数字は異常に高いと思えます。
またホームタウンにサッカーの強豪高校が少ない地域や育てるより即戦力が必要なJ2クラブは地元出身選手は少なめです。
意外だったのがエスパルス。静岡出身者の塊と思っていましたが、全体の25%程度でした。一方、同じ静岡のジュビロは全チーム1の数字となる45%もの選手が地元出身でした。

一昔前と比べ、熊本出身のJリーガーがどんどん増えています。
特にここ数年、全国大会の常連となっている大津高校出身のJリーガーが13人もいますし。

ロアッソは金がないし、九州の片隅のJ2クラブということで、いいメンバーが集まりにくい土地柄だと思います。
ではそれを逆手にとってみて地元出身選手のみを集めてみるのも面白いかもしれません。
ちょっと前のアビスパが福岡を中心に九州の選手を集めていた時期がありましたが、ロアッソは更に特化して熊本出身者もしくは熊本にゆかりのある選手で固め、県外選手も外国人扱いで3人までとかにすると面白いかもしれません。

より一層、「オラが街のチーム」という思いが県民に生まれ、応援したいという思ってもらえるかもしれません。
まさにJリーグ版アスレティックビルバオを目指してみると。

他チームの有力選手も普通ならロアッソには来てくれないかもしれませんが、地元出身選手ならキャリアの最後は地元でと思って来てくれるかもしれませんし。

熊本出身者だけでは勝てないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
現在、34名もの熊本出身の選手がJリーグで活躍していますし、代表レベルの選手も出てきています。

ちなみに私が考えるベストイレブン@熊本は

          巻(千葉) 森田(大宮)

         岡本(札幌)  宮崎(山形)
     
          田中(神戸) 原田(川崎)

    高木(清水) 矢野(熊本) 坂本(浦和) 藤本(C大阪)
                         櫛野(千葉)

まぁJ2中位以上の力はあるかな・・・・(汗)
デフェンスは県外選手枠を使わねばw

しかしこれぞホームチームだと思います。
熊本出身者だけでJ1チームに勝利したら、それだけで武者震いしそうです。



・・・・まぁ現実的にはありえないので、今日はただの妄想でした・・・。
          

posted by loveroasso |09:14 | 熊本のサッカー | コメント(3) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月13日

熊本からJリーグを!その6 番外編(ランザ&ヴァンクール)

熊本には過去にブレイズ、アルエット、そしてロアッソと、3チームもJリーグを目指したチームがありました。
その詳細は過去記事に譲るとして、この3チームから派生した2チームを紹介したいと思います。

全国的には無名のチームですが、九州ではそれなりに名が通っており、Jを目指していた(目指している)と誤解している方も多いチームです。

ランザ熊本
ブレイズ熊本がJ入りを目指すものの、地域リーグ決勝大会でことごとく弾かれ、また、母体企業の衰退によりフェードアウトしていく中、ランザは誕生しました。
簡単に言えばお家騒動。ブレイズの主力選手やスタッフが離脱し、新たに立ち上げたチームでした。
当時のブレイズ同様、ジュニアからトップチームまでを持ち、一貫した育成システムを持ったチームでした。
このチームは当初からJという目標は据えず、県でトップを目指す、そんな目標を持つチームでした。

また、そのトップチームも元々は九州リーグで上位争いをしていたブレイズの選手がベースになっていたこともあり、トントン拍子に県リーグを上がっていき、創部から数年で九州リーグまで上りつめていきました。

しかし主力の高齢化による引退や資金力不足によるユースチームの廃部などもあり、有力選手の安定供給がなくなり、チームは弱体化。
九州リーグからも降格してしまいました。

現在は県リーグの1部に所属し、将来の九州リーグ復帰を見据えていますが、戦力的には厳しい状態です。

一時期はアルエットと互角に近い実力を持ち、天皇杯予選決勝等で度々対戦していましたが、現在では県の強豪高校にも勝てず、表舞台からは遠ざかっています。


ヴァンクール熊本
アルエットの項でも書きましたが、アルエットの血を正統に受け継ぐチームがこのヴァンクールです。

ロッソ誕生と共に発展的解散を迫られたアルエット熊本。選手の半数はロッソのセレクションを受けたものの、落選。
そういうことでロッソにはアルエットから引き続きプレーする選手が皆無となってしまいした。

当時、ロッソの胸スポンサーでもあった鶴屋百貨店。そこの同好会的なサッカー部があったのですが、そこにアルエットの元選手、スタッフのほとんどがごっそり移籍。
県リーグ3部から再び九州リーグを目指す戦いが始まったのです。

選手の半数はベテランといえ、JFLをも経験したことある選手達。県リーグ下部レベルで歯が立つチームは存在しませんでした。

ラグビーのようなスコアで3部、2部を勝ち上がると、早々に1部へ。1部昇格を機にチーム名もヴァンクール熊本と改名しました。

1部では若干苦戦するものの、結局負けたのはPK戦での1敗のみという驚異的な強さで1部を制覇。
九州各県リーグの優勝チームで九州リーグ昇格を争う大会でも2位となり、アルエット解散から僅か3年で九州リーグへ復帰しました。

主力の高齢化という問題はありますが、少しずつ有力な若手も入団しています。
おそらくこれから熊本のアマチュアサッカーを引っ張っていくチームとなることでしょう。

ちなみにチームの目標は元々九州リーグ復帰。将来的にはJFLといことも頭の片隅にはあるかもしれませんが、Jは狙っていません。

もっとも熊本にプロチームを2チームも抱えるだけの体力はありませんがね。

posted by loveroasso |09:14 | 熊本のサッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月08日

熊本からJリーグを!その5 続ロッソ熊本編

昨日の続きです。

なんとか選手も集まった、2005年1月末、チームはいよいよ始動します。
始動初日、大雪でグラウンドが使えないという前途多難なスタートではありましたがw

ロッソが挑む最初のステージは九州リーグ。地域リーグレベルでは異例の全員プロ契約、運営資金1億円ということで、世間の雰囲気は勝ってあたり前。

某、スポーツ新聞には地域リーグ版マンチェスター・Uと書かれるほどでしたw

プレッシャーかかる中、ロッソは最終戦までもつれたものの、なんとか優勝。

思えば、九州リーグの1年目、ホーム開幕戦でのロスタイム勝ち越し、2位以内を決定付ける試合でのロスタイム2得点の大逆転、最終戦、2位との直接対決を制しての優勝決定と、シナリオがあったかのごとく盛り上がりを作っての優勝でした。

九州リーグ突破というのは大前提中の大前提。ロッソ初年度の最大の難関は地域リーグ決勝大会でした。

一応、リーグ戦ながら一発勝負に近いこの大会。一次リーグでの一敗は即敗退に繋がります。
監督曰く、この大会が過去において一番プレッシャーがかかった試合だと言っていました。

ちなみにここで敗退していた場合、チームは解散していた可能性が非常に高かったのです。初年度こそスポンサーも付いてくれましたが、それは将来のJ入りを見据えた先行投資。広告効果が期待できない九州リーグに2年連続でお金を払う企業はほとんどない状態だったのです。

しかしこの年の地域リーグ決勝大会のレギュレーションはまさにロッソをJFLに上げるためのものだった思います。
そういう意味では県サッカー協会の根回しに感謝しなければいけないでしょう。

一番、過酷な一次リーグは地元開催となり、ホームで2試合を戦うことができました。

そして無事に2勝し、決勝リーグに進むわけですが、本来はこの大会で勝ち上がり、JFLに昇格するには2位以内に入り、その後、JFLの下位チームとのハンデを伴った入れ替え戦に勝つ必要があるのです。

しかしこの年に限り、翌年からのチーム数増加や愛媛FCのJリーグ昇格という好条件が重なり、決勝リーグに残った4チーム中3位までが自動昇格できることになったのです。

ロッソは初戦のFC琉球戦、ロスタイムに追いつかれPK負けするという最悪のスタートでしたが、2戦目のバンディオンセ神戸に快勝し、この時点で3位以内を決め、JFL昇格を事実上、手に入れることができました。
結果的にロッソは最終戦のジェフアマ戦にも負け、1勝2敗の3位だったことを考えると、本当にラッキーだったと言えます。

愛媛FCがJFL最終戦に勝利しJ2昇格を果たしたお陰でロッソもJFLに上がれたのですが、愛媛が負けてたらロッソも消滅していたかもしれないと思うと四国に足を向けては寝れないのですw

当初の予定通り、1年で九州リーグを駆け抜けたロッソ熊本。次のステージはJFL。
各ポジションに効果的な補強を行い、ここも1年で駆け抜けるとの意気込みでスタートしました。
序盤は順調に勝ち点を重ね、昇格圏内の2位以内を確保していたのですが、夏ごろから勢いを失っていきます。

上位対決に勝つことが出来ず、ずるずると順位を下げていき、最終的に5位という結果で終えました。

チームはJ加入の申請を行っていましたが、やはり成績面で2位以内にはいれなかったことが響き、昇格を失敗してしまったのです。

2年目のJFL、さらに各ポジションに核となるような選手、ピッチから鼓舞できるベテランを加え、スタート。
リーグ中盤から佐川急便が抜け出し、リーグは早々と2位を争う状態だtったのですが、門番Hondaの調子が上がらず、また上位陣の潰しあいもあり、ロッソも終盤には2位をがっちりキープ。
この年のJFLからJ2への昇格条件がリーグで2以内から4位以内に変わったことで、極度のプレッシャーからも開放されたロッソは4試合を残し4以内を決定。

元々ハード面等にはほとんど問題がなかったロッソ。最大の関門であった成績面をクリアし、チーム結成から僅か3年でJ2入りを決めたのです。

しかしながら今となってはロッソ熊本というチームは存在しません。

そう、チーム名決定以来から危惧していた名称問題が表沙汰になったのです。

リーグ戦も架橋にに入っていた11月、どうもロッソから来期は「ロアッソ」に変わるという情報がネットに流れます。
(チーム関係者が意図的に流したという噂もありますが定かではありません)

何の説明もなく行われた、このチーム名変更にはもちろん反発がでます。
しかも8月の段階ですでに「ロアッソ」の商標登録手続きを行っていたこともわかり、さらに混乱を招く始末。

結局は「ロッソ」は商標に引っかかるのでJでは使えない。ロッソに決まった時にいたスタッフは今はもういないからその時の経緯が分からないという、ようわからん説明でした。

正直、格好悪いのですが、アルエットからロッソに変わった時の衝撃に比べれば何のことでもないのかなと思ったりもしてますw




ブレイズが熊本がJを目指し13年。その思いはアルエットからロッソ、そしてロアッソとゆっくりとながらも確実にバトンは渡され、ついに今年、熊本にJリーグがやってきます。
二度もJを目指し頓挫した地で三度、このようなJへの機運高まったこと自体が奇跡でした。
この13年の間に華やかな表舞台ではなく、裏方として支えた人達、夢半ばで諦めざるを得なかった選手達がどれだけいたことか。

そんな大勢の人達に心より感謝し、今年からJリーグでホームチームを応援できる幸せを噛み締めたいと思います。



次回は番外編。ランザ熊本、ヴァンクール熊本。

posted by loveroasso |09:18 | 熊本のサッカー | コメント(5) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月07日

熊本からJリーグを!その4 ロッソ熊本編

ブレイズ熊本、アルエット熊本、この両チームからJリーグという夢のバトンを受けたチーム。

熊本からJを目指す、おそらく最後のチャンスというプレッシャーの中誕生したロッソ熊本。
今日はそのロッソについて。


ロッソ熊本

アルエット熊本が九州リーグに降格し2年目のシーズンを戦いだしたばかりの時、唐突に「くまもとからJリーグを!」という運動が表面化しました。

アルエットの幹部であった某氏が県内の新聞社の会長の力を借り、不況で元気がなくなっていた熊本をサッカーで盛り上げようと、プロチーム設立に動き出したのです。

この話を聞いた時には当然、アルエットを本格的に強化できる目処がたったのだと思っていました。しかし、蓋を開けてみればそうではなかったのです。

運動が表面化したのは04の4月あたりだったと思います。
この時点で具体的にどのようにして強いチームを作り上げるかは決まっていませんでした。
強化の選択肢として上がっていたのは、

1、県内でカテゴリー最上位にあるチームの強化(アルエット)
2、県外からの有力チームの誘致(Honda等)
3、ゼロから新チームの設立

この3つです。
そして協議の末、決まったのは3案だったのです。
この理由として、やはりアルエットでは「NTT」というイメージが強く、地元のサポートが受けれなった過去がある為、アルエットをイメージするもの全てを払拭する必要があったからなのです。
また、県外チーム誘致にもお金がかかるということで2案もボツとなりました。

しかし、3案の場合、チームは県リーグ3部からのスタートとなってしまい、Jリーグへ昇格するには最短でも5年を要してしまうことになります。

そこで考えられたのが、新チームを設立するが、名義だけはアルエットから引継ぎ、九州リーグからスタートをするというものでした。

アルエットの選手にとってはまさに寝耳に水。
ある意味、チーム乗っ取りなわけですから。
この件に今でもシコリが残ってしまっていることがとても残念で仕方ありません。

ここからは話がどんどん進んでいきました。
熊本の某新聞社の会長の力というのは凄まじく、県内の政財界の協力をどんどん取り付けていきます。
アルエット時代、
「サッカーで盛り上がってるのは市民の極々数パーセント。協力はできない」
と話していた市長すら協力に名乗りを上げたのです。

そして9月には知事、市長、県内政財界のトップが一同に会し、「くまもとからJリーグを!」の県民運動が始まったのです。

この様子は連日のようにマスコミにも取り上げられ、一気に認知度も増していきました。

この時点ではまだチーム名も監督も選手も何も決まっていませんでした。
そこでまずはチームカラーの公募が行われました。
当初からチームカラーはレッドでということは決まっていたのですが、募集や情報を小出しにすることで興味を引きつけるという意味で公募されました。

そして予定通りチームカラーはレッドとなったのです。

次にチーム名の募集が行われました。
そして最多の応募があったのはAC熊本でした。

が、見事に選ばれたのは「ヒゴロッソ熊本」でした。

しかし、最終的には「ヒゴ」が外され、誰も応募していない「ロッソ」に決まったのです。

この「ロッソ」という名前に私は始めから商標に引っかかるという思いがありました。
Google等で「ロッソ」と検索すると、様々な商品や企業が出てきましたし。

このままでは将来、大分や福岡、仙台や新潟のようにJ参入時に名称変更を余儀なくされる危険性をチームに訴えました。

しかしその返事は業種が被っていないからこのままで大丈夫というものでした。
まぁその後の結果はみなさんご存知の通りです(苦笑)

チームカラー、チーム名は無事に決まったのですが、難航したのは監督でした。
現在の池谷監督に決定するまで何人の人物に断られたことか・・・。

ここで名前はあげれませんが、現J1やJ2の監督をされているあの方やこの方、かなりたくさんの方に声をかけて断られました。

地理的なこともさることながら、このJへの挑戦という仕事は魅力的ではあるものの、リスクが高すぎるというのが理由です。

たとえばJ1やJ2の監督を行い、成績不振でクビになってもまた監督の仕事がまわってくることはよくあります。

しかし、九州リーグで失敗しては監督業を行っていく上でかなりの汚点になってしまうのです。

最終的には日本サッカー協会の熊本出身者の某氏の仲介で池谷氏を紹介してもらい、監督就任にまでこぎつけました。

チームはできた、監督も決まった、しかし選手はいない。

ということで12月、セレクションが行われました。
Jリーグから戦力外となった選手やJFLの選手、大学生にアルエットの選手達が参加しました。

前回も書きましたが、残念ながらアルエットの選手でこのセレクションを勝ちあがった選手はいませんでした。
ただ、元アルエットの選手として、当時、九州リーグのヴォルカ鹿児島に在籍していた松下選手の加入がありました。

このセレクションで選ばれた選手に監督がスカウトしてきた駒澤大学勢などを加え、2005年1月、いよいよチームがJへ向かって始動するのでした。


続きはまた次回。



posted by loveroasso |11:05 | 熊本のサッカー | コメント(1) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月06日

熊本からJリーグを!その3 続アルエット熊本編

昨日の続き、アルエット熊本編です。

初のJFL参戦の開幕前から水面下では色々あったアルエット。財政的に厳しいチーム状態でしたから、補強もままならなりませんでした。大卒の選手を2名ほど獲得したのみで、あとは現有戦力での挑戦。しかも開幕前から怪我人が複数いるという状態でした。

案の定、開幕してから勝てない日々が続きます。しかしそんな状況が一転したのはリーグの3分の1が過ぎようとしていた頃でした。怪我人の復帰も大きかったのですが、それ以上に同じNTTを親会社とする、大宮アルディージャから無償レンタル選手(2名)の補強が行われたのです。

本来、レンタル移籍とはレンタル中は借り入れ先が選手の給料を払うわけですが、移籍金はもちろん、給料もすべて大宮持ちという好条件でした。

加入した選手は結果を出さなければクビになるという必死な思い、そのプロ意識を間近で見た、アルエットのアマチュア選手の気持ちにも変化が訪れ、後半戦は快進撃。
結果、アルエットはJFL1年目、16チーム中8位という好成績で終えたのです。

そしてJFL1年目の最終戦終了後のインタビューにてついに「5年以内のJリーグ参入を目指す」との宣言があったのです。

ちなみにアルエットは始めからJリーグを目指していたように思われていますが、チームが公式な見解として「Jリーグ入りを目指す」という発表は最後までありませんでした。
もちろん、フロントの人たちはJを目指していましたが、周りのサポートの現状を踏まえると、とても発表することができなかったのです。

さて、JFL1年目に旋風を起こしたアルエットでしたが、2年目は厳しいシーズンになってしまいます。
開幕前、快進撃の原動力になった大宮の選手はいなくなりました。彼らは結局、大宮を解雇されたので、アルエットで雇用することも可能だったのですが、とてもプロ選手を抱えるだけの余裕はなく、獲得を泣く泣く見送ったのです。
また、開幕前から主力に怪我人も続出。そしてNTTから完全に離れてしまった為、社員選手にも選手特権がなくなり、主力選手でありながら、県外への転勤というかたちでチームを離脱する者すら出てきたのです。

確かに抜けた人数分以上の補強はありましたが、抜けた穴を埋めるだけのポテンシャルを持った選手はいませんでした・・・。

序盤こそ1勝2分という、上々の滑り出しでしたが、その後、10数試合も勝てない日々が続きました。気付けばアルエットは降格圏内にいたのです。

そして一度陥った負のスパイラルを振り払うことができないままアルエットは最終戦も敗戦。僅か2年でJFLから降格することになってしまいました。

チームはその後、存続の危機に陥ります。
「JFLで戦えるから」という理由で集まっていた選手のほとんどが離脱。残ったのはNTT時代からのベテランと地元出身の若手という状況でした。
そしてカテゴリーが下がったことで、ただでさえ少なかったスポンサーも減ってしまったのです。

チームフロントは解散も視野にいれたのですが、もう一度、JFLに挑戦することを決意。
(この決定まで時間がかかったのでかなり焦りました・・・)

チームは九州リーグから再出発することになったのです。
しかし、当時の九州リーグはかつてNTT九州が天下だった頃とは一変していました。
Jを目指し、強化を図っていたチームがゴロゴロいたのです。今は衰退してしまいましたが、加藤久率いる沖縄かりゆし、前田浩二率いるヴォルカ鹿児島、同じJFLからの降格組あるサン宮崎、数年後のJリーグ入りを宣言し、現JFLのニューウェーブ北九州。そんな厳しい状況の中、アルエットの新たな挑戦は始まるのでした。

補強はほとんどできなかったアルエット、序盤こそ維持を見せて上位争いをしていましたが、中盤以降失速し、屈辱の5位で九州リーグ1年目を終えてしまいました。

翌年、今年こそはと選手を多く補強しJFL復帰へと動き出しました。
しかし時を同じくしてあるプロジェクトが水面下で動き出していたのです。

そう、それが現ロアッソ熊本の構想。

この件の詳しい話はロッソ熊本編で書きたいと思います。

「くまもとにJリーグをつくろう!」という運動が表面化し、マスコミにも取りあげらるようになりました。

そしてアルエットをベースにはするものの、チーム名、チームカラー、選手の入れ替えも決定したのです。

そう、アルエット熊本としての活動はこの年が最後となってしまったのです。
九州リーグ中盤を過ぎた頃にはアルエットにJFL昇格の可能性はなくなっていました。しかし、観る側からすれば順位などはすでにどうでもよく、このチームも目に焼き付けておきたい、そういう思いに変わっていました。

そして九州リーグ最終節を勝利で飾り有終の美を飾ったアルエットイレブン。

チームはそのJへの夢のバトンをロッソに渡し、静かにその長き活動に終止符を打ったのでした。


彼らのその後ですが、そのままサッカーを諦めた選手はいませんでした。みんなサッカーを愛していたのです。
元アルエットの選手と監督コーチ陣は新たにチームを設立。

そのチームは県リーグを圧倒的な強さで勝ち抜き(35-0とか凄いスコアもありましたw)今期、九州リーグに「復帰」しました。

アルエットの血を正統に引くのはロッソ(現ロアッソ)熊本ではなく、彼らが設立し、九州リーグに復帰したヴァンクール熊本なのかもしれません。

次回はロッソ熊本。


最終戦でのアルエットの選手達


posted by loveroasso |10:37 | 熊本のサッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月05日

熊本からJリーグを!その2 アルエット熊本編

今日も昨日に引き続き、ロアッソ以前に熊本からJリーグを目指したチームのお話です。
昨日はブレイズ熊本でしたが本日は・・・

アルエット熊本
元々は1969年に創部された日本電信電話公社熊本サッカー部が起源となるチームであり、歴史はヴェルディと同じくらいありますw
その後、85年に親会社の民営化に伴い、NTT九州サッカー部へ。

同時期には九州リーグへ昇格し、着実に強化を図りだします。優良企業のサッカー部ということで全国の大学から有力な選手が集まってきました。
時期が時期ならプロすら目指せるほどの選手達でした。

90年代に入るとその実力は九州で飛びぬけた存在となり、Jを目指していたブレイズとリーグで2強を形成していました。

また98年にはチーム初となる全国でのタイトル、全国社会人大会での優勝を果たし、名実共に九州の雄としてチームは成長していったのです。

この優勝が全国を目指す起爆剤になったNTT九州は2000年、JFL挑戦を宣言しました。その言葉通り、00年シーズンの九州リーグで優勝を飾ったチームは勢いそのままに全国地域リーグ決勝へ。
(ちなみに2000年、チームは名前をNTT西日本熊本FCと改名してます)

上位2チームが無条件でJFL昇格が決まる大会でしたが、NTT西日本熊本は惜しくも3位となり、自動昇格を逃していまうのでした。

熊本のコアなサッカーファンはブレイズの悪夢が再び脳裏をよぎったのですが、この年、JFLのチーム数拡大構想により、地域リーグ決勝大会出場チームで希望があればJFLに参入できるという棚ボタ的なウルトラCでなんとか目標のJFL昇格を決めるのでした。
(同年にJFL参入したチームに愛媛FCや佐川急便、YKK※現カターレ等があります)
JFL昇格後、チームは公募により愛称をアルエット熊本としました。
(実は某選手が命名したのですが、表向きは公募で決まったとなってます)
アルエットは公式に公表はしなかったものの、水面下でJ参入を目指し、動き出します。
しかし、これは表にでなかったことですが、JFL昇格後、正式名称はNTT西日本熊本FCであるにも関わらず、親会社からの資金提供はゼロになり、また会社のサッカー部という位置づけからも外されていました。

表向きはクラブチーム化を図るということでしたが、実際は急激に親会社の業績が落ち込み、チームを抱えれなくなったことが原因です。実際、九州でも強豪だった同会社の野球部などは廃部となったのです。アルエットもそのまま会社のサッカー部のままでは廃部に追い込まれる為、クラブチーム化を図り、スポンサーを募る必要性にせまられたのです。

しかしスポンサーもそう簡単に集まりませんでした。NTTの子会社などは小口ながらもスポンサーになってくれましたが、それ以外は厳しいものでした。

いくら親会社から離れても世間一般の目は「NTTのサッカー部」。
上記の理由でスポンサーになってくれるところはほとんどありませんでした。
結果的にこのことがロッソ(ロアッソ)誕生に繋がるのですが・・。

JFLで戦うにはリーグに年会費を払わなければいけません。その額は1000万円。
地方のアマチュアクラブにはかなり厳しい額です。

頑張って集めたスポンサー料だけでは到底足りません。

そこでアルエットはそのお金を捻出するためにチームフロントの人が働いていた会社を退職し、その退職金を年会費に当てたのです・・・。

長くなりそうなので続きはまた次回。

posted by loveroasso |10:53 | 熊本のサッカー | コメント(3) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加