2008年06月20日
ケンタロウとハマちゃん
交流戦も終盤。優勝の可能性あるチーム同士の対戦とそれなりの盛り上がりを見せてきました。 昨日ソフトバンクが勝ったことで若干ソフトバンク有利ですが、ここまで来たら総力戦です。 とにかく2連勝(引き分けは除く)必須です!! 話は変わりまして、この間の楽天戦、2試合連続で関本がお立ち台に立ちました。 1試合目は「4打席連続犠打」を、2試合目は「先制本塁打」を評価されてのヒーローでした。 それを見ながら(正確にはその記事を読みながらですが…)思ったことがありました。 未だ暗黒時代の阪神。1996年のドラフトで関本は入団しました。その時の1位は今岡、3位は濱中でした。(ちなみに4位は星山です。) 「パンチ力が売り物だが、ルーキーの昨季はプロの壁にぶち当たった。内野ならどこでもこなせるユーティリティープレーヤー。プロの水にも慣れまず1軍昇格。将来はクリーンアップに。」 「1年目から1軍昇格。阪神では掛布以来となる高卒新人としてスタメン出場と安打を記録。非凡なセンスを見せつけた。スケールの大きいスイングは将来性十分。守備強化。」 これは1998年度(2年目)の日刊スポーツの選手名鑑のコメントです。 ちなみに上が関本で下が濱中です。濱中の方が1歩先を進んでいましたが、2人はライバル同士で競い合っていました。 「プロに入ったときは、やっぱりホームランバッターになりたかったですけどね。」 (関本談・スポニチ紙面より) 天理高校で高校通算20本(30本の説アリ・未確認)打って入団してきた当時、本人も球団も当然クリーンアップ候補として育てられていたと思います。 ところが、 「1軍に生き残るために何をすべきか考えたとき自分に20本塁打打つのはキツかった。なら3割を打てるバッターになりたいと思った。当時は二遊間のポジションがあいていたんですけど、そこを獲るためにはやっぱりバンドもできないといけなかったんです。」 (関本談・スポニチ紙面より) と選手として生き残るための道筋を変更していきました。 一方浜中は順調に4番候補として育ち2001年にブレイクします。 年度 打率 本塁打 打点 2001 0.263 13 53 2002 0.301 18 51 2003 0.273 11 48 2004 0.118 1 1 2005 0.284 1 20 2006 0.302 20 75 2007 0.193 6 14 ブレイク後順調に成績を上げていき、阪神が21年ぶりに優勝した2003年にはついに開幕から4番に座ります。4月だけで本塁打を10本と好調ぶりを見せつけましたが、ここで事件が起きました。右肩の故障です。 この故障は現在の浜中にも大きな影響を与えています。2006年には打撃面では1度復活しますが持続せず、何より守備に大きな課題を抱えることとなりました。若手の有望株「林」の台頭もあり、守れない濱中はついに放出されることになりました。 路線変更した関本は2002年ころから1軍に呼ばれるようになり、2004年にブレイクします。 年度 打率 本塁打 打点 犠打 2002 0.254 5 11 6 2003 0.269 4 12 0 2004 0.316 5 41 2 2005 0.297 0 24 11 2006 0.301 9 33 33 2007 0.243 7 25 29 藤本との併用、今岡との併用、平野のサブとして毎年便利に使われているのでなかなか規定打席に到達しませんが、通算打率(2007年まで)は.282とそこそこ打っています。犠打もこの間100犠打到達と2番打者としての適正も見せています。 今年の開幕ダッシュ成功の立役者・平野が怪我で離脱した時に、関本の存在は大きかったと思います。平野が戻ってきたときにに打順がどうなるかわかりません。が、メインとしてもサブとしても関本はチームに必要とされる選手になっています。 右肩の怪我が大きかったとは言え濱中はオリックスにトレードされ右の代打(または左投手対策要員)、関本は阪神で2番・レギュラー(平野離脱もありますが…)と、かつての若虎・クリーンアップ候補生はその働き場所を変えました。 2人とも今年30歳とベテランの域に足を突っ込み始めましたが、まだまだ現役です。これからこんなことが起こるかわかりません。2人それぞれの活躍を見守っていきたいと思います。
posted by lovenpb |11:24 |
プロ野球(阪神) |
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