2012年02月02日
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サーニャは祖父に肩を貸し、家に入った。祖父の寝室。
AC美南で日本社会人サッカー選手権を制したときの写真が飾られている以外は、特別なんの特徴もない質素な洋室だ。
「ある大会をまたやろうという話での。」
祖父に掛け布団をかけ、サーニャが部屋を出ようとしたところ、オスカルが口を開いた。佐久間会長の訪問を受けてちょっと興奮しているのかも知れない。祖父の目はいつもよりも生気がある様に見える。
「ある大会って?」
「うん、5年ほど前までは定期的にやっとったんじゃよ。美南でやったり大阪でやったり九州でやったりの。」
「子どもの大会?」
「いや、大人じゃよ。大々的にやっとったわけではないが、JFBのオフを利用して2年に一度はやっとった。サーニャは知らんかもしれんが、5年前の大会が第9回大会じゃったから、20年近くやっとったんじゃよ。」
サーニャはベッドの脇に置いてあるスツールに腰を下ろした。
「JFBリーグの選手たちが出るような大会なのね。」
「あぁ。ある大企業の会長とわしで主催しての。まぁその会長の道楽じゃが、わしにしてみれば日本サッカーを強くする為にすごく有効な大会じゃと思うとった。佐久間もそう思うとった。」
「どうして開催しなくなったの?」
「いや、その会長が亡くなっての。後を継いだ息子や役員たちはそんな意味の分からんもんに金を出すわけにはいかんて言うて。そんでスポンサーがいなくなったから出来んようになっただけの話じゃ。まぁわしも体が動かんようになっとったしの。」
サーニャはその大会の話にすごく興味をひかれたが、話を続けること対してに戸惑っていた。
普段であれば“体に障るからもう寝ましょう、お爺ちゃん”と言って話を切り上げていただろう。
いや、サーニャがそう言わなくても祖父が話すことを億劫がり、目を閉じていたはずだ。
でも今日の祖父は少し違う様に思った。目を強く見開き、意思を持った表情でサーニャを見つめている様子は、この数年見たことのない躍動感が宿っていた。
「でもどうやら佐久間があちこちでその大会の話をしとるらしくっての。その中で興味を持った新しいスポンサーがおるそうなんじゃ。しかも第10回大会はこれまでにない様な大規模な大会にすると言うとった。」
祖父の目はますます輝きを増していく。
元々AC美南の監督時代は熱血漢と言われ、いつも熱く選手やコーチを怒鳴り、励まし、ピッチへ送り出していた祖父。
今、サーニャの目の前にいる祖父は、昨日までの寝たきりの祖父の目とは違い、その当時の意志を持った目に戻っていた。
オスカル・パレルモ - 009 へ続く
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2012年02月01日
この1月の移籍市場、やっぱり我々日本人にとっては本田選手の移籍の可否が最大のトピックでしたね。
これまでも本田選手はミランだのリバプールだの、移籍市場が開くたびにニュースを提供していたわけですが、これまでの報道はどれも信憑性に乏しく、噂の域を出ていませんでした。
その点、今回はかなりリアルな交渉が行われていたのは間違いないですし、“決定!”という報道まで飛び出し、ツイッターなどではCSKAの強欲ぶりを非難する方やスポニチの決定報道を批判する方など、かなり賑やか。
“ぬか喜び”させられたファンにしてみれば、そりゃ文句も言いたくなりますよね。
そこで思ったのは、我々日本人はあまりこういう交渉ごとに慣れていないということ。
野球では去年の岩隈選手など、ファンにとって残念な結果を突きつけられるケースもありましたが、サッカーでは日本人選手の移籍については“お!決まったのか!”という様な、比較的あっさり決まったケースが多かったように思います。
日本では“選手の事を思って海外進出をサポートしてあげる”というところに価値観が置かれている結果、日本からは殆どの場合移籍金無しで海を渡っていますし、それと同じ感覚で“CSKAはもっと本田のステップアップを考えてやれよ!”という論調があるのも確かです。
でもCSKAの側に立ては、彼らは当然商売なわけですし、NOなものはNO!というのも当たり前の話。
“飼い殺し”みたいな報道もありますが、別に契約違反をしているわけではないわけですから、CSKAにしてみればそんなことを言われる筋合いはない、というところでしょう。
例えばブラジルやアルゼンチンなどの選手輸出大国にしてみれば、こんなことは半年に一度必ず訪れるニュースなわけで、もっと酷いケースもあるでしょうし、“今回は縁がなかったけどまた次があるさ”という程度の事なのかも知れません。
そもそも、ラツィオの方がCSKAより良かったのかどうかなんて誰にも分からない事。
夏には“あの時ラツィオに行ってなくて良かったよな~”なんて話をしてるのかも知れません。
こういうことを繰り返して、悔しい思いもして、それで日本人も国際社会の中で洗練されていくんでしょうし、日本からの“輸出”についてもタフ・ネゴシエーターが出てきて、名だたるビッグクラブから大金を毟り取ることが出来る様になるのかも知れません。
どっちみち、日本人選手が海外に出て行く際には無償でどうぞどうぞっていう時代が続いていくとも思えないですし、それが健全だとも思いません。
交渉の際のドギツさを教えてもらったという意味では、いい勉強になったのかも知れませんね。
1on1 Football "FootProm"
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2012年01月24日
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サーニャが帰宅すると、祖父のオスカル・パレルモは珍しく庭に出て、3mほどの高さになっているジューンベリーの樹を愛でる様に見つめていた。
「ただいま、お爺ちゃん。起きてるなんて珍しいね。」サーニャが声をかける。
「あぁ、おかえり、サーニャ。今日はちょっと気分が良くての。」
オスカル・パレルモは今年75歳。
髪は完全に白くなっており、2年ほど続いている寝たきりの生活で食べ物も殆ど口にせず、頬はこけ、憔悴しきった老人の様に見えるが、180cmを越える身長と彫りの深い顔立ちから、昔はさぞ格好良かったのだろうと想像させる。
サーニャは小さいころからこのオスカルお爺さんが大好きで、遊園地やスケートリンク、キャンプなど様々な場所に連れて行ってもらった。
小学2年生の夏休みには初めて彼の故郷であるアルゼンチンにも連れて行って貰い、その際にお爺ちゃんに肩車してもらって写っている写真がサーニャのお気に入りだった。
結局サーニャが日本を出たのはその時と、去年ゆずきら大学の友達4人で韓国に観光に行っただけだ。
彼が長年務めていたAC美南の監督を辞任したのは6年前。
子ども達の指導も3年前まで続けていたが、持病の腰痛で立っているのが辛くなったことに加えて心臓も良くなく、辞任。
人生の多くを捧げた美南市のサッカーへの関わりをなくしてからは、生きる目的と失ったかのように無口になり、食事の量も減り、ほとんど家から出ることもなくなった。
サーニャもそんなオスカルお爺さんを心配し、何度かAC美南の試合に誘ったりしたのだが、優しく微笑むだけで一緒に玄関を出てくれることはなかった。
美南市サッカー協会の後輩たちやAC美南の教え子たちも最初は足しげくお見舞いに通ってくれたが、体調不良を理由に会わないケースが徐々に増えていき、ここしばらくは家族以外殆ど誰とも会っていない。
「何かいいことでもあったの?」
「今日は昔の教え子が訪ねてきてくれたんじゃ。久々にサッカーの話をしたよ。」
「ふぅん。久しぶりね、訪ねてきて下さった方とお爺ちゃんがお話するの。」
「東京からわざわざ来てくれたそうなのでね。それなりの地位についている人がわざわざ訪ねてきてくれたんだから会わないわけにもいかんじゃろう。」
「偉い方なのね。」
「あぁ、日本サッカー協会の会長じゃよ。」
「え!? ということは佐久間会長?あの人お爺ちゃんの教え子なの?」
「ずいぶん昔じゃがの。」
佐久間 浩司。
元日本代表のDFで、引退後には協会の幹部としてJFBリーグの創設やワールドカップ招致にも尽力し、4年前には協会のトップに上り詰めた人物だ。
強力なリーダーシップで辣腕会長と評される人物で、ワンマンで独裁的、敵も多いと言われているが、佐久間会長なくしては現在の日本サッカーはなかっただろうというのが共通の認識だった。
その佐久間が教え子だったとは、サーニャは全く知らなかった。
確か佐久間は60歳前後だと思うので、祖父とは15歳程度しか離れていない。少年時代に指導したわけではないだろうし、サーニャの知る限り、AC美南に選手として在籍していたわけではない.
恐らくは選手として指導したわけではないだろう。
どういう関係なのか、またどういう話でわざわざいらしたのか知りたかったが、あまりお爺ちゃんに話させると疲れてしまうだろうと思い、質問は控えた。
いずれにしても、日本サッカー界のトップが自分の祖父を訪ねてきてくれるのだ。
そのことがサーニャには誇らしかった。
「ちょっと冷えてきたの。中に入ろうか。」
「そうだね。」
オスカル・パレロモ - 008 へ続く
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2012年01月18日
ちょっと時間が経ってしまいましたが、表題の件について。
やっぱり最初はカズだった。
もうアチコチで賞賛されすぎている感もありますが、カズ選手については本当に頭が下がる思いです。
フットプロム協会としては、今回カズ選手が加わったエスポラーダ北海道の対戦相手となった府中アスレティックや、同じく東京を本拠地としているペスカドーラ町田を中心に、フットサル選手に数多くプレーしていただき、高い評価をいただいていている事もあって、フットサルの地位向上についてはすごく応援していますし、広報誌などでも積極的に取り上げさせていただき、本当に微力ながら、認知向上に貢献させていただいています。
ただ、どうしてもサッカーファンの皆さんにしてみればフットサルを“下に見ている”状況があるということも確か。
認知や集客力についても、JリーグとFリーグでは大きな差があります。
そんな中でのカズ選手の参戦。
当然のごとく、やべっちFCをはじめとするスポーツ番組や新聞などでは大きく取り上げられましたね。
今回のカズ選手の参戦を受けてFリーグの存在を知ったという方もいらっしゃったことでしょう。
カズ選手のプレーも見事でした。
フットサルはサッカーに比べキックインを含めたセットプレーの機会が多く、その分サインプレーの数も多いわけで、カズ選手は前日に合流したとのことですからそのあたりの洗練は望むべくもないですが、裏へ抜け出す動きや積極的にシュートを放つ姿勢などは“さすが”と呻らせるものがありました。
足裏を使ったトラップも試みていましたし、シザーズフェイントも見せていましたね。
もちろん、フットサル側から見ると幾度か危ないというシーンもあったようですし、フットサルプレーヤーとして注文をつけたくなるシーンは幾らでもあるでしょう。
でも、少なくともカズ選手はフットサルを決して“下に見て”はいなかったのではないかと思いました。
恐らく、今回の件でJリーガーにとってのFリーグへの挑戦ということに対しての精神的な障壁はかなり低くなったでしょう。
日程的、フィジカル的な条件が許せば、今後参入してくる選手も増えるのではないでしょうか。
そうなると当然、活躍できる選手もいれば期待はずれに終わる選手も出てくるでしょう。
“期待はずれ”に終わった選手は「フットサルみたいなあぁいうチョコマカしたのは俺には合わん」とかって憎まれ口を叩くかも知れません。
でも、そういうことの積み重ねこそが歴史を作っていくんでしょうし、挑戦することに対しての前提条件というか、覚悟みたいなものが醸成されていくんだと思います。
そう思うとやっぱり、最初のきっかけを作ったカズ選手がいかに偉大か。
やっぱり最初はカズだった。
いつまでもそう言われている様ではいけないとも思いますが、カズ選手の様なプレーヤーが日本にいてくれることが本当に誇らしい、と感じました。
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2012年01月13日
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30cmのパフェは、思っていたより大きくなかった。食べきれないかと思い、2人で1つのパフェを注文したのだが、半分も食べないうちに目黒サーニャはもう1つ頼むべきだったと後悔し始めていた。
「上に刺さってたポッキーまで入れたら30cmあったかも知れないけどね」
最後の一口をサーニャが「食べていいよ」と言ったところ、伊藤ゆずきは「本当!?」と目を輝かせ、ぺろりと平らげて言った。
サーニャも同感だった。チラシに30cm!とデカデカと載せている割に、ポッキーを入れれば…というのはいかにもうそ臭く感じる。
「でもまぁ、良かったわ。沢山食べずに済んで。」
「サーニャ、途中でもう一個頼もうかどうしようかって考えてたでしょ!?」
「え…!?うん、まぁね。でももうおさまった。ダイエットダイエット。」
「サーニャがダイエットなんて言ってたら、周りの女子たちにぶっ飛ばされるよ~。」
「ゆずきだって十分細いじゃない。」
「私はダイエットなんて言わないもん。食べたいのも我慢しないし。今のところね。」
「いいなぁ…。食べても太らない人は。」
「でも分からないわよ。ちょっと太りだしたら急に焦り出すのかもしれないし。」
「ゆずきは大丈夫よ。」
「あ、そうだ!そういえばサーニャ、向居さんが戻ってきてるの知ってた?」
「向居さん?」
「ほら、愉辺高から大阪ガンツに行った向居さん。サーニャの先輩でしょ?」
「あぁ、あの向居さんね。なんで?戻ってきて何してるの?」
「私もよく知らないけど、どこかの工場で働いてるんだって。」
「え!?じゃぁサッカー辞めちゃったの?」
「AC美南でやってるみたいだけどね。働きながらだから、もう選手としてはあきらめたって事じゃないかな。一昨年、ガンツから戦力外になって、去年は入ってはクビ、入ってはクビって地域リーグの2チームから戦力外になっちゃったって聞いたよ。それで結局、行くとこ無くなっちゃったのかな。あの人カッコよかったのにな~。」
「そう。やっぱりプロの世界はそれだけ厳しいって事よね。」
「でも私たちの2コ上だからまだ23でしょ?もう24かな?もうちょっとやれると思うけどね~。」
「そうね…。」
「お祖父さんのところに挨拶に来たりはしてないの?体育会系だからそういう挨拶とかは欠かさなそうじゃない?」
「う~ん、どうなんだろうね。お祖父ちゃん、最近あんまり人と会わないから。」
「でもなんだか切ないよね。県予選の時に私、愉辺高の応援に行ったんだよ。出待ちまでしたんだから。向居さん、カッコよかったな。」伊藤ゆずきがパフェの底に残ったクリームをスプーンで掬いながら言う。
「でも向居さんってマッチョじゃないじゃない。ゆずきの好みとは違うんじゃないの?」
「え?十分マッチョじゃない!太マッチョと細マッチョがいるのよ。まぁ、私は太マッチョの方がどちらかと言うと好きだけどね。分かってないなぁ、サーニャは。」
「細マッチョでもいいなら、私も好きよ。ガリガリよりは細マッチョの方がいい。」
「でしょ?向居さんは細マッチョの中でもかなりいい体してた。高校の時はほんとカッコ良かったよね。」
「あの時はメディアも沢山来てスター扱いだったもんね。でも私はなんかあんまり好きじゃなかったな。なんか横柄で偉そうでさ。同級生のサッカー部の子たちとかパンとか飲み物とかいろいろ買いに行かされてたもん。」
「高校の運動部なんてどこもそんなものよ。でも学校ではモテモテだったでしょ?」
「まぁね。同級生の女の子とかもバレンタインとか、チョコレートを渡しに行ってたね。」
「それが5年経ったら美南の町工場で働いてるなんて。なんかショックだよね。代表とか入ってほしかったな。」
「そうね。でも代表にまでなれる人って本当に一握りじゃない。プロになれるのだって一握りなのに、その中でさらに一握り。向居さんの代の愉辺高は全国ベスト4まで行ったのに、プロになれたのは向居さんだけだもん。厳しいよ。」
「そうだよね。じゃあサーニャ、今度向居さんに会いに行ってみない?紹介してよ。」
「えぇ?だってどこで働いてるのかも知らないのに。それに私だって高校を卒業してから1回も会ってないんだから、いきなり“友達のゆずきちゃんです”ってのも変でしょ?ってかゆずき、こないだいい感じの人がいるって言ってたのはどうなったの?」
「え?あぁ、あれはもう終わっちゃった。」
「あっさり終わっちゃうのね、確か先週でしょ?それ言ってたの。」
「えへへ。まぁいいじゃないの。」
その後、伊藤ゆずきはサーニャに対してダイエットなんて言わずにもっと美味しいものを一緒に食べに行くことを半ば無理やり約束させて、2人は別々の方向へ帰って行った。ゆずきは電車に乗り、サーニャはバス。
(向居さんが帰ってきてるのか…)
同じ愉辺高校の卒業生で、2歳離れている2人は1年間、高校で一緒だったのだが、サーニャ自身は小学校に上がってすぐの頃から向居を知っていた。
サーニャの祖父、オスカル・パレルモは、FC美南を率いて全日本社会人選手権の日本一になった時の監督であり、街では“伝説の監督”と呼ばれる程の人物だった。
そのオスカル爺さんに、向居は小学校の6年間サッカーを学んでおり、サーニャも遊びにいくうちに仲良くなり、当時は“友也兄ちゃん”と呼んでまとわりつくように遊んでいた。
向居もサーニャを可愛がっており、当時サーニャの将来の夢は“友也兄ちゃんのお嫁さんになる”ことだった。
高校生になっても向居は祖父のところに相談に来ていたのだが、サッカーで実績を出すにつれて徐々に傲慢になっていく向居に対して、思春期のサーニャは距離を置くようになっていた。
向居がサーニャの同学年の女子に人気があったために余計な詮索をされたくないという事もあって、呼び方も“友也兄ちゃん”から“向居さん”に変わったし、友達と一緒にいる時に遠くから“おーい、サーニャ!”と声をかけられた時には気づかないふりをして逃げるようにその場から去ったこともあった。
卒業後、大阪ガンツに入る直前にも祖父に挨拶に来ていたが、プロになってからはサーニャの知る限り、祖父に会いに来てはいない。
サーニャのいない時に来ていたのかも知れないが、そもそも祖父のオスカルはその頃から元々良くなかった心臓と腰の具合が悪く、殆どをベッドの上で過ごす生活になっていたのだ。
(お祖父ちゃんに話してみよっと。)
オスカル・パレルモ - 007 へ続く。
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2012年01月07日
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目黒サーニャは、そんな美南市にある県立愉辺(ゆべ)大学に在籍している大学3年生で、アルゼンチンを自らのルーツに持つ影響からスペイン語を専攻しつつ、衰えた祖父の介護をしている中で介護の道に進もうかとも考えていた。
(あんまり筋肉がついちゃうとモテなくなっちゃうのが悩みどころよね)
ハーフであるサーニャは、母や祖父母のいかにも南米的な楽天的な性格を愛しつつも、やはり日本で人気のあるファッションブランドやモデルたちの着こなしを真似たいと思っていた。
自身の評価は“それなりに可愛いはず”であって、実際高校から今まで、毎年誰かしらに告白されていたし、長くは続かなかったが彼氏もいた。
1度だけ、芸能界のスカウトらしき男性に声をかけられたこともある。その時にはキャバクラか何かのスカウトだと思って走って逃げたのだが、やっぱり話を聞いておくべきだったのかも、と後悔することが時々ある。
ただ若いころの写真とは比べ物にならないほどに太ってしまっている母や、時折無性にスナック菓子やチョコレートを食べたくなり、買ったと思ったら家まで我慢できずにすぐに全てを食べてしまい、その上晩御飯もいつもどおり食べてしまう自分を発見するたびに自己嫌悪に陥っていた。
今でも時々母は、バケツをひっくり返したような量のポテトフライを食卓に出して嬉しそうに食べることがある。
サーニャも小さい頃は喜んで食べていたのだが、思春期を過ぎて太ることを意識するようになってからは手をつけなくなった。
基本的には母のことが大好きだし、こんな母親になりたいと思うが、“女の子は太っている位の方が可愛い”という意見にだけは賛同できなかった。
中学時代に、仲の良かった友達に食べていたチョコレートをちょっとちょうだいと言われ、心の底からあげたくないと思ったことを覚えている。結局はあげたのだが、さんざん渋ったあげく“ホントにちょっとだけだよ!”と言ってチョコレートを差し出したその時の自分の態度は本当に嫌なヤツだったろうと思い出す。
その時の事だけが原因ではないだろうが、結局その友達とは中学を卒業してから一度も連絡を取っていない。
通訳や外交官になれるほどの学力はない彼女にとって、スペイン語を極めてどうしようか、商社や航空会社になんてなかなか入れないし、それよりも介護の仕事について安定的な収入を得、30前で結婚するという方がよっぽど具体的なことのように思えたのだが、肉体労働である介護の仕事と、その肉体労働の後に食欲を抑えられるのだろうか、というのが今の彼女の一番大きな悩みであった。
(レスラーじゃあるまいし、デブマッチョになっちゃったら結婚なんて出来るはずないじゃない。)
「サーニャ、今日終わったらさ、駅前に新しく出来たカフェに行ってみない?超大きなパフェがオープン記念で半額なんだってさ。30cm位あるらしいよ!」声をかけてきたのは同級生の伊藤ゆずきだった。
「えぇ!?だってゆずき、30cmもあるパフェなんてすごいカロリーじゃない。嫌だよ~、ダイエット中なんだから!」
「ダイエット?ってサーニャ十分細いじゃん。大丈夫だよ、たまにだから」
「いやいや、今は頑張って維持してるけど、ゆずきと違って私は食べたら太るんだから!前にお母さんにあったでしょ!?」
「でもお母さん綺麗じゃん」
「綺麗だけど太ってる。」
「そりゃ確かに痩せてはいなかったけどさ。太ってても綺麗な人なんて日本人ではあんまりいないよ!?そういうのはハーフの特権なんだから活かさないと!」
「とにかく私は太りたくないの!」
「いいからパフェ食べに行こうよ~。オープン記念セールが明日までで、私明日はバイト入ってるから今日しかいけないんだもん。」
「えぇ~…」
「よし、決まり!じゃ4限終わったらテラスでね!」
勝手に“決まり”にして伊藤ゆずきは自分の教室へ駆けていった。
サーニャは強く断れなかった自分を責めつつも、30cmのパフェのことが既に頭から離れなくなっていた。
伊藤ゆずきは、大学に入学してから最初に仲良くなった友達で、それから今まで毎日の様に一緒に過ごしている。入学式の際に“え、ハーフ?いいな~、超可愛い~!”と声をかけられ、履修科目が重なっていたこともあって一緒に服を買いに言ったり食事に行ったり、時には合コンに一緒に行く仲になったのだ。
見た目はいわゆる“女の子女の子した女の子”という感じ。
同じブランドの服が好きだという事で、大学に入学してしばらくしてから一緒にそのショップに買い物に行ったのだが、ことごとく選ぶ服が違っていた。
どちらかと言うと黒やダークカラーを基調としたシックな服をチョイスするサーニャに対して、ゆずきはピンクやオレンジなどの服を選び、しかもふわっとしたシルエットのものを選ぶので、同じ服を選ぶということはまずなかった。
それは男性の好みについても同様で、入学からしばらくしてから紹介されたゆずきの彼氏は、サーニャからすればクマにしか見えなかった。同じ愉辺大学に籍をおいてサーニャたちの2学年上のその“クマ”は、アメリカンフットボール部に所属していて無精ひげを生やし、ユニフォームかジャージ以外の姿を見かけることは殆どなかった。
“あんなクマのどこがいいの!?”とサーニャは何度も口に出かかったが、結局言わずにいたところ、2ヶ月もしないうちに別れたという話を聞き、これでようやく気がねせずにどこが良かったのか聞ける、と思い何気なく聞いたところ、“体”だという答えが返って来た。
いわゆる性的な意味での“体”ではなく、ゆずきはいわゆるマッチョが好きで、80kgを下回る体重の人には魅力を感じないのだという。
もちろん体重計に乗らせてから付き合うかどうかを決めるわけではないだろうが、実際その“クマ”はどう贔屓目に見ても80kgを下回る体重には見えなかったし、何しろ“クマ”なのだ。
“そういう人からしたらきっとゆずきは天使に見えるよ!”とサーニャが言ったところ、“いやぁ、だってモテるから遊びだとしか思われていないよ”とゆずきが言ったのを聞いて、最初は冗談を言っているのかと思った。
“なんでゆずきみたいな可愛い女の子がクマに遊ばれるのよ!”
そういう人を好きになる人が存在するということがサーニャには驚きだった。
高校生までのモテる男子というのは、決まってスラッと背が高くて、どこか中性的なイメージの男子で、サーニャもそうだったが、他の多くの女の子たちもそういう男子にキャーキャー言っていたイメージがあったのだ。
そういう男子か、もしくは面白くて話し上手で優しくて、という男子。
サーニャも含めて、高校まででサーニャの知りうる限り可愛い女の子の彼氏になっていた男子は必ずそのどちらかだった様に思う。
ゆずきがサーニャの家に泊まりにきた際、夜中にデブとマッチョは違う、ということで2時間も口論になったことがあったが、サーニャにしてみればどう言われても同じにしか見えなかった。
でも、そういう好みの違いのおかげで、サーニャとゆずきは仲良く出来ている、とも思っていた。何しろ服を選んでも男を選んでも“カブる”という事はまずない。
そのくせ音楽やスポーツの話になると、好きなミュージシャンやスポーツ選手が驚くほど似通っており、ゆずきと一緒にいて話が尽きるという事はまずなかった。
美南市 - 006 へ続く
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2012年01月06日
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阿須利(あずり)県・美南(みなん)市。
人口およそ40万人、大手自動車メーカーの大型工場を中心に栄えたこの街は、ブラジルやペルー、アルゼンチン、チリなど南米からの労働者が多いことでも知られている。
自動車関連部品メーカーは市内に100以上あり、関連のアッセンブリーメーカーやそれに伴う配送業者など、市外からの労働者も合わせて20万人ほどの労働人口を抱え、市内にある飲食店や小売店などもそれらの労働者によって成り立っている、工業の街。
この街の数多ある中小企業の中には、ロケットや潜水艦などに使われる部品を製作していたり、ある特定の部品に関しては世界シェア50%を握っているなど、特殊な技術を有する企業も多く、年に数回はテレビが取材に訪れている。
美南の職人が集まればロケットだって何だって作れる、というのがこの街の職人たちの合言葉の様になっている。
ただ、昨今の不景気や大企業のグローバル化の影響で、6年ほど前に美南の労働者雇用の大部分を担っていた大型工場がベトナムへ移転した。
その移転の際に起こった外国人労働者によるデモがテレビに取り上げられ、日本の国旗やその大手自動車メーカーのロゴマークが描かれた布が燃やされる映像や、警官に対して中指を立て極端に下品な言葉を連呼したシーンが全国に放送されてしまった事で、現在では外国人労働者に占拠された恐ろしい街、というイメージがついてしまっている。
実際には、占拠もされていなければ一部の過激な外国人労働者を除いては非常に規律のあるデモだったのだが、イメージが先行してしまった結果として、市外の大手企業は美南市の工場というだけで“なんとなく付き合いたくない”という空気が蔓延してしまい、市内の中小企業の多くは大打撃を蒙っていた。
過激な外国人労働者を中心とするグループは、今の美南の状況はベトナムへ移転を決めた大手自動車メーカーの策略だ、外国人労働者に占拠された様な報道になったのは当時の経団連会長の不倫スキャンダルを揉み消すためだ、と決めつけ、自動車メーカーの社長や当時の経団連会長を誘拐する計画を練っているという噂が移転後6年経ってもまことしやかにささやかれている。
市の中心部にある歓楽街は、特に夜間に営業する店がこの6年で半分近くにまで減少してシャッター街と化し、健全な市民は中心街には近寄らず、国道沿いに4年前にオープンした大型ショッピングモールを中心として人口分布図が変わりつつあった。
過激派の外国人労働者に占拠された中心街と、ショッピングモールを中心に広がる“安全な”郊外、というイメージ。
ただ、これもショッピングモールを開発した大手不動産ディべロッパーによる情報操作だと考えられており、元々美南市で生まれ育った多くの市民たちにとっては、中心街であっても自らの街を捨てて他へ引っ越そうというほどに劇的な変化が起こったわけではなく、多少治安の悪くなった街を案ずることはあれど、いずれあの活気が戻ってくる、今は辛抱だと奥様同士の話題に上るほどには平和な街であると言える。
そしてこの美南には、職人たちの他にもう一つ、市民たちの誇りになっていることがある。
1970年代に、全日本社会人オープンサッカー大会で並み居る実業団チームを次々に倒し、優勝したAC美南だ。元々南米からの労働者が多いこの街では、サッカーは非常にメジャーなスポーツであり、古くから殆どの子ども達は野球ではなくサッカーを選んだ。
美南市を中心とした阿須利県は、小・中・高・大・社会人全てで全国大会制覇の経験を有しており、中でもAC美南は伝説的なチームとして語り継がれていた。
しかしそのAC美南は、16年前のFBJリーグ創設時にはすでに地域リーグでも下位のチームとなっており、現在もチームとして存続してはいるものの、県リーグ2部と3部を行ったり来たりしている状況で、選手たちも試合後のビールを楽しみにやってくる、というチームに成り下がっており、40年近く前の日本一の偉業は、50歳以上の一部サッカーファンの中で飲みの席で語られる伝説となってしまっていた。
美南市 - 005 へ続く
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2012年01月04日
皆様、明けましておめでとうございます。
2009年に誕生したフットプロム。
2012年はフットプロムが誕生して4年目の年ということになります。
4年というのは、オリンピックやワールドカップを区切りとするスポーツ界にとってはひとつの区切りの年というイメージですよね。
振り返ってみればアッと言う間で、何が出来たのかと言うと何も出来ていないような気もします。
始めた当初は、数年もすればテレビでトーナメントを放送するくらいに成長していて、多くの方がフットプロムという名前ぐらいは知っているという状態になっている予定でいました・・・。
そう思えば、その予定は甘かったと言わざるを得ません。
この4年間は、何度も計画を立てては頓挫し、またやり直し、という作業の連続でした。
でも逆に言えば、どんな形であるにせよ4年間続けられているという事には感謝しなければならないとも思っています。
皆様に数多くご協力いただいた結果であると思っています。
昨年は、2度のトーナメントに加えて団体戦も開催し、広報誌も発行、小野伸二選手やカレンロバート選手にもサイトを飾っていただき、また、松原 渓さんや岡田 茜さんがサイトや広報誌、イベントに彩りを添えて下さって、多くの方にフットプロムという競技を知っていただいた1年だったと思います。
今年はもちろん、更なる飛躍を求める1年。
あくまで前を向いて、信念を持って進めてまいります。
設立当初の様にあまり無茶なプランは立てず、ゆっくりじっくりと・・・。
ご協力の程を何卒、宜しくお願い致します。
2012年1月4日
一般財団法人フットプロム協会
代表理事 藤間 洋介
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1on1フットボール“フットプロム” |
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2011年12月28日
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“カウンター来るぞ!戻れ!”
サポーターが叫んでいる。先ほどまで向居とマッチアップしていたサイドバックの選手が既にセンターラインを越えて上がっていくのが見えた。
向居も急いで追う。
だがこの場面は、味方のサイドバックのスライディングで名古屋のボールはタッチを割り、なんとか事なきを得た。
“おい向居、オマエちょっとバランス崩してるぞ。周り見てポジショニングしっかりな!”飯塚から声が飛んだ。
“はい!すみません!”
(ちくしょう、上手くいかねぇ)
名古屋のペースと言っていい。向居が入った後、失点の場面を除いても大阪はバランスを崩している様に見えた。
ゲームメーカーであり、チームの中心である飯塚が、どことなくやり難そうにしているのが分かる。
向居自身も、それを感じている。
攻め、守りともに、微妙にずれている。名古屋に数的有利を作ってしまわれている機会が多い。
向居のマッチアップであるサイドバックの選手も、熊谷が出場していた時間よりも積極的に攻めあがるようになっていた。
そしてここまでの向居はそれに対応出来ているとはいい難い。ウイングのポジションである向居には、前線に残ってカウンターを仕掛けたいという思いと、戻って守らなければいけないという思いが交錯していた。
迷いが、判断を遅らせていた。
途中出場した向居ばかりのせいではないが、こういった迷いがチーム全体にあり、“微妙なずれ”を産み出してしまっていた。
(流れを変えなきゃ…)
スローインからのボール。
大阪ガンツディフェンス陣が相手を囲い込む。そしてボールを奪った。中央にいた飯塚にボールが渡った。
“飯塚さん!裏!”
走り出す向居。そこへ飯塚からのパスが飛んだ。
(ナイスパス!)
向居の10mほど先でバウンドするボール。既にディフェンダーを振り切っている。
(よっし来た!これは行ける!このまま一気にシュートまで!)
ピーーッッ!
審判の笛。ラインズマンの旗が上がっている。
“えっ!?”
オフサイド。
“なんで!今オフサイなかったでしょ!”ラインズマンに詰め寄る向居。
しかしラインズマンは旗を上げたまま。向居の方を見ようともしない。
“ちょっと待てよ、今の違っ…”
ラインズマンが旗の先端を逆の手で持ち、両手で掲げた。選手交代の合図だ。
(ん?)
ベンチの方を見ると副審が電光掲示板を高々と掲げている。29番。
向居の番号だった。
(俺…なの?)
ハンマーで頭を殴られたような気分だった。
途中交代で出た選手が交代させられる。怪我でもなければまず考えられない。
でも自分はピンピンしている。スタミナも充分だ。
それでも、交代させられる。自分が。
“最後のはいい飛び出しだったけどな”飯塚が声をかける。
“すいません”と向居。
(最後“のは”ってなんだよ。他は全部駄目だったって事か)
交代させられる。自分が。
“よーし、まだ時間あるぞ!みんな最後まで気を抜くなよ!”飯塚は既に向居を見ていない。そして、他の選手たちも向居を見ていない。
それぞれが水を飲んだり、ポジショニングの確認をしたり、監督の指示を聞いていた。
(何で…俺なんだよ…)
交代で入る選手に何か言われたが、何を言われたのか聞き取れなかった。ベンチに戻る際にコーチからも何か言われた様だったが、聞き取れなかった。
向居は、何も言わなかった。
(何で、俺なんだよ…!)
後半39分。
わずか14分で、向居の出場時間は終わりを告げた。
そして、これが大阪ガンツでの向居の最後のプレーとなった。
美南市 - 004 へ続く
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2011年12月21日
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プロローグ - 002
向居のファーストタッチ。
ボールを奪った大阪ガンツのサイドバックから向居へ長めのパスが通った。ショートバウンドの低いボールをインサイドで押さえる。
センターラインをやや越えたあたりの左サイド。熊谷の忠告どおり、グランディスタ名古屋のサイドバックはさっそく厳しいチェックを仕掛けてきた。
(おっと)
なかなか前を向かせてくれそうにない。前にいるカルロスには相手DFが既にマークについており、さらにはパスコースにもDFが狙っていて、カルロスへのパスを警戒している。
(一回下げて裏でもらうか)
向居は近くにいたボランチの飯塚にボールを下げた。
が!パスが弱い!
グランディスタ名古屋のボランチの選手が飯塚の直前でボールをカットした。
“ナニやってんだ、向居!”
叫びながら相手選手を追う飯塚。
(やべぇ!)
向居も慌てて追いかける。
が、スルーパス!
攻めに入ろうとラインを高くしていた大阪ガンツのディフェンダーの裏に速いボールが通った。キーパーとの1対1。
(やべぇやべぇやべぇ!)
必死で前に出るキーパー。
その瞬間!グランディスタ名古屋のFWがシュート!キーパーが手を伸ばす!
しかし、シュートの直前で足を止めた。
“シュートフェイント!”“うわあぁ~!”サポーターが声を荒げる。
思わず手を出したキーパーの逆をつき、キーパーをかわす!
(やべぇやべぇやべぇやべぇやべぇ!)
インサイドキックでゆっくりと蹴られたボールは、無人のゴールへ。
大阪 0-1 名古屋。
後半28分、ついに均衡が破れた。ひとつのパスミスからわずか数秒後の出来事。
“何やってんだ向居!オマエ集中しろよ!”飯塚。
“すいません!”
“もういい、切り替えていくぞ!まだ1点差だ、下向くなよみんな!”
(やべぇ、本当にやべぇ。決めなきゃ、決めなきゃ)
キックオフ。
高い位置を取ろうとする向居に再びサイドバックの激しいマーク。必死に気持ちを切り替えようとする向居を挑発するように、マッチアップする名古屋DFが声をかける。
“さっきはサンキュー。オマエ、あんま試合出てないからビビってんだろ。”
“ビビってないっすよ。さっきはちょっとミスしただけで…”
(なんだよコイツ、プレッシャーかけてきやがって)
“大阪の攻撃陣はここんとこ不調だったからな。オマエが出て流れを変えられるかと思ったんだけど、良い方に変えてくれたよ。へへ”
(チクショー、言いたい事言いやがって。すぐにぶち抜いてやるよ!)
カルロスからの横パスが向居に通った。向居はトラップで方向を転換し、相手DFと正対する形を取った。左サイド、ペナルティエリアまで10mほどの位置。
(よし、勝負!)
右、左とボールを跨ぐ。腰を落としてつられないように間合いを取るDF。ほんの少しの体重移動を向居は見逃さなかった。
(こっちだ!)
DFの右を抜こうとするが、抜ききれない。DFもついてくる。向居のユニフォームを掴む。さらには前からセンターバックの選手がケアしようと近づいてくる。
“バカ、ドリブル大きい!”
向居のドリブルは、トーキック気味に当たってしまってボールが流れ、センターバックのクリアにあってしまった。
“おい審判!引っ張ってるよ!”
向居を見て軽く首を振る審判。
“向居、逆サイドで荒井がフリーになってたろ。よく見ろよ、集中!”と飯塚。
マッチアップする名古屋ディフェンダーも声をかけてくる。“オマエごときにシュートまで行かせるかっての”
(んだよコイツ、鬱陶しいな)
さらに飯塚から指示。
“オマエもうちょっとサイドに張ってろよ。あとディフェンスもしっかりな!”
“はい!”
(ちくしょう、分かってるようるせぇな)
引き続き大阪ボール。飯塚から今度は右サイドへ展開。クロスを受けようとゴール前に走り込む向居。
“アラさん、クロス!こっち!”
しかし、ここでも上手くいかない。
向居が走りこんだ場所にはカルロス。ポジションが“カブって”しまっていた。
荒井からのグラウンダーのクロスは二人の数センチ前を通過し、無人の左サイドに流れていった。
“ヘイ!○△●××○△…!”ポルトガル語で何やら叫ぶカルロス。向居は聞き取る事が出来ないが、怒っていることは分かる。
“わりぃわりい”
(なんだよ、デケェんだからオマエがファーに回れよ)
さらにカルロスが何かジェスチャーを交えて話している様だったが、向居は気付かないふりをして自分のポジションに戻った。
プロローグ - 003 へ
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