2007年10月11日

どうして未だ人の判断だけを頼るのか?

どうやらFIFAがゴール判定をする審判を配置するとかしないとか。
ゴール判定審判を試験導入へ=FIFA
そんな審判増やす前に、カメラ判定導入すればいいんじゃないでしょうか?

なぜFIFAは判定に対して、機械を用いることに消極的なのでしょう?

陸上競技しかり、モーターレースしかり、競馬しかり、目で見て曖昧な場合はカメラやVTRが利用されています。
しかしどうして、未だ多くのスポーツ界は人の判断という不確かで曖昧なもので、物事を判断しているのでしょうか?多くのスポーツで判定に関わることで問題が発生しています。


サッカーの場合、公平でないジャッジやミスジャッジのため、試合が荒れたり大きな問題が発生したりしています。試合が荒れれば危険なファウルも多くなり、怪我の可能性も高くなります。
客観的かつ公平なジャッジは、ピッチ上の暴力の軽減にもなるのではないでしょうか?

また審判はファウルやカードを選手に与える時、プレーヤーやファンからのプレッシャーに耐えなければなりません。自分の判断があやふやな場合、機械を利用すればそのプレッシャーの多くを取り除けることでしょう。

このような利点から、私はカメラ判定などの導入を行うべきだと思います。
「審判が全て」といわれるのは、今のように確認のしようが無かった時代の名残のようなきがします。今ではいたるところからカメラがピッチを捕らえ、ファンも大きなスクリーンでそれを確認することができます。
今後のサッカー界のためには、そのような古い名残にとらわれないことが、必要なだと私は思います。


しかしながら、審判が数々の伝説を生み出したことも確かであり、サッカーのエンターテイメント性(あるいはスキャンダラス性)を高めていたことも確かです。
マラドーナの神の手ゴールは、人が審判だったからこそ生まれたゴールです。審判がプレーヤーと共に、時代を作ってきたといっても過言でないでしょう。

現在フィギュアスケートの採点方式は、かなりシステマチックな判定になっています。
現在の採点方式に切り替わってから、「つまらなくなった」という意見も聞かれるようになったそうです。
そう考えると、情緒的に機械の判定を拒む気持ちは分からなくありません。


しかしサッカーのピッチ上で起こっていることは、一昔前から比べるとものすごく複雑でスピーディです。そんな中で発生する、さまざまな問題をホイッスルを持つ人間一人の判断に押し付けるということは、もはや不自然なことのように思います。

のらりくらり、審判を増やすといった対応をとるよりも、FIFAは思い切った英断をしてもらいたいと思います。

posted by long |22:40 | つぶやき・コラム | コメント(12) | トラックバック(0)
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2007年10月10日

過密日程問題

サッカー選手という職業は、世界中のサッカーを愛する者にとって憧れの職業です。
しかしこの職業は、有能になればなるほど過酷な職業です。
特に代表に入り、リーグ上位のチームに所属する選手などはずっと休みがありません。

国内リーグ
国内カップ(複数ある国も多い)
地域連盟のクラブ選手権(ex:チャンピオンズリーグ)
代表親善試合
地域連盟の選手権(ex:ユーロ)
ワールドカップ
オリンピック
etc.

次から次に試合が行われ、一週間にだいたい2試合が組まれています。
場合によっては2~3年休みがない場合もあります。

※大住良之さんの「悪化する日程問題とは何か」参照
http://footballtruth.at.webry.info/200705/article_2.html
http://footballtruth.at.webry.info/200706/article_1.html

有能な選手ほど監督は使いたいと思うし、ファンもその選手のプレーを見たいと思う。
そして選手もそれに応えようとする。

しかし、過密日程であればあるほど選手はコンディションの維持が難しくなり、怪我などのリスクも高まります。ビッグクラブにけが人が多いのも、日程の影響が無関係とは思えません。

そんな過酷な日程をこなしていてもそれに対して「NO」と断れば、代わりの選手が呼ばれ自分は職を失ってしまいます。サッカー選手という職業を希望する人が多い故に、使い捨てにされるサッカー選手もまた多い職業です。
しかし、選手を使い捨てにすることがサッカー界全体にとって、いいことだとは思えません。
大住さんがコラムでも書かれていますが、財政面で後戻りしたとしてももっと選手を大切に扱っていく必要があると思います。


それぞれのリーグ、カップはスポンサーも収益団体もばらばらです。
だからどれかの試合を1年おきに開催したりすることは、現実的に難しいことです。
日本で言うと天皇杯、ナビスコカップを隔年で開催するといったことです。

しかしそれでもクラブ・代表関係なくサッカー界全体が、抜本的な見直しをする必要に迫られているのではないかと思います。
クラブ・代表、両方に選手が全力を出せるような状況が実現すれば、クラブも代表に選手を送り出しやすくなるでしょう。
またそれはファンにとってもうれしいことだと思います。


ただ、この問題は地球温暖化問題のように、利権のひっぱりあいになるでしょうが・・・・。



■関連記事
「波紋を呼ぶバルセロナのラポルタ会長の代表軽視発言」

posted by long |18:39 | つぶやき・コラム | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年10月09日

セオリー通りの組織(高円宮杯雑感)

高円宮杯決勝(U-18)
広島ユースvs.流経大柏(0-1)

昨日の深夜に高円宮杯の決勝が放送されていたので見ていました。
深夜にもかかわらず大幅に内容をカットされていて、かなり不満が残る放送でした。
そんな訳で詳細な戦評は書かず、雑感を記そうと思います。

両チームとも組織的に良く整備されていて(まぁ最近の勝ち残ってくるユース世代はどこもそうですが)、守備網はなかなか乱れません。
特に流経大柏の出足は早く、テクニックで勝る広島ユースを見事に封じていました。

が、私は見ていて両チームとも、こじんまりとした印象を受けました。
一人一人を見てみると高いテクニックやフィジカルを彼らは持っています。
しかしチームとしてみた時に、プログラムされたゲームのように素直過ぎる印象を受けました。
守備組織がお互い優れているからという理由もあるでしょうが、一人一人がアイデアを持って崩していくことまだまだ足りないのではないかなぁと思います。

広島ユースは流経大柏のプレスによって組織的攻撃は機能不全を起こしていきましたが、その裏を突くようなプレーは結局見れず無理な突破が目立つようになっていました。
今の日本のチームに必要なのは、自チームのセオリーが相手に通じなかったとき、どのようにチームとして対応するかということじゃないでしょうか。
そういう部分は、ある程度監督がカバーする範囲ですが、戦うのは選手自身です。

スポーツナビのコラムでも書かれていましたが、流経大柏も今後トーナメントで機能不全を起こす可能性は大いにあります。高校選手権を制覇した野洲高校に敗れた鹿児島実業高校のように。

日本人はアフリカンのようにフィジカルに優れません。
だから組織で戦わなければならないのは必然です。
しかし機械のような無機的な組織では、相性の悪い相手が必ず出てきます。
トルシエが率いていたときの日本代表のように。

強い組織は企業でもそうですが、状況に応じて変化できる有機的な組織です。
しかしそういう組織をつくることは簡単なことではありません。
常に周囲とコミュニケーションし合い、メンバーの一人一人がユニットとして自立していなければなりません。

高円宮杯の決勝を戦った2チームはまだ無機的な組織に見えました。
ユースの世代から一人一人の自立を促し、有機的な組織を作ることを指向していけば日本のサッカーはもっと発展していくのではないか?
そう試合を見ていて思いました。

<関連記事>
「冴えた先手必勝」と「思わぬ彷徨」

posted by long |13:44 | つぶやき・コラム | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年10月08日

選手兼任監督のメリット


今期限りでヤクルトの古田敦也選手兼任監督が、今シーズン限りで引退、そしてヤクルトからも退団します。
昨日10/7日には引退試合も行われました。
選手兼任監督になってからのヤクルトの成績と、古田選手自身の体調・調子から考えても引退・退団はやむなしかなと思います。

選手と監督を兼任していることで、単純に考えても仕事量が2倍になります。
監督業というストレスのたまる仕事をやりつつ、自分のコンディション調整も行わなければならない。
ものすごく大変だったと思います。
ひとまずお疲れ様と申し上げたいと思います。


さて、視点を変えてみて「選手兼任監督」を起用することは、メリットのあることなのでしょうか?今回古田選手兼任監督は結果的に失敗に終わったわけですが、選手兼任監督というチャレンジはチャレンジをするだけのメリットがあるものなのでしょうか?


私は無いように思います。


まず選手として、コンディションの調整が行いにくい。
チームのことを考えると、自分が選手であるよりも監督である方を優先させなければなりません。自分のことは回りの選手の調子を確認したり、指導を行ったりしてから行わないといけません。
結果圧倒的に練習量が不足し、プロの最前線では戦えない状態になってきます。
プロはそんなに甘いものではありません。

そして監督としても、選手という立場を持っている監督として非情になりきれない部分があるのではないでしょうか?選手同士というものは、同じ目的の為に一致団結してプレーしなければなりません。
しかし監督は、選手とはある程度距離を取って、時には非情と呼ばれても冷静に振舞わなければなりません。兼任という立場を取っていると、自身の振る舞いを選手寄りにも監督よりにも振り切ることができず、ジレンマに陥ってしまうのではないかと思います。


メリットと言えば「話題性がある」くらいなんじゃないでしょうか?


ヤクルトのフロントとして、おそらくその辺は分かっていたんじゃないかなと思います。本当は専任監督になってもらいたかったんじゃなかったんでしょうか。
ただでさえ大変な監督業が、どう考えたって兼任監督でうまくいくとは考えにくいです。(まぁ結果論と言えば結果論ですが。)
しかし当時古田氏はマスコミに対し、現役続行の姿勢を表明していました。そんな古田氏を繋ぎとめておくために、ヤクルトは兼任監督という策を出したのだと思います。
元ヤクルトの野村監督が現役時代、同じように兼任監督だったこともあり、話題性の面で惹かれたのかもしれません。


そう思うと、結果はでませんでしたが、古田氏はやるだけやったという達成感を得られ、ヤクルトとしては成績は最低でしたが古田専任監督誕生の布石を打て、お互いあきらめのつく2年間だったのかなとも思います。
(他の選手のことはとりあえず置いておいて)


相当古田氏はこの2年間で精神的に磨り減ったとは思いますが、また英気を養って今度は専任という形でグラウンドに戻ってきてもらいたいと個人的には思います。


・・・・とは言え、フロントの仕事はプロの仕事とは言いがたく、この2年のツケはかなり来期支払いそうですね。
ヤクルトの再建はできるでしょうか?

posted by long |20:51 | つぶやき・コラム | コメント(3) | トラックバック(0)
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2007年10月08日

ブログ開始

今日からスポーツナビのブログで色々書いていこうかと思います。

できるだけ、斜めから独自の視線で記事をかけたらなぁと思います。

よろしくです^^

posted by long |17:22 | つぶやき・コラム | コメント(2) | トラックバック(0)
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