2008年04月15日

サッカー選手も社会人

昨日テレビ東京の番組「カンブリア宮殿」を見ておりました。
昨日のゲストはアルプス技研の創業者、松井利夫さんでした。

アルプス技研と言う会社は、メーカーに設計者を派遣する派遣会社で、ソニーやキャノンなど様々な分野の会社に技術者を送り込んでいるようです。アルプス技研では、技術者の技術力でなくあいさつやマナーなどの教育も徹底的に行います。
新人教育の様子を放送していましたが、大きな声で叫ぶ訓練などその様子はまさに軍隊のようでした。

またこの研修では訓練のほかに、「内省」といってひたすら自分自身を省みるということも行われます。
自分のいい部分、悪い部分、伸ばすべきところ、直すべきところを徹底的にえぐり気づかすという作業を行っているようでした。


そのVTRを見たパーソナリティの村上龍さんが、その新人教育の方法論について疑問を投げかけました。
「徹底的に”しごく”ことで余計な何かをそぎ落としている、そんな風に見える」と村上さんはおっしゃっていました。

それに対し松井さんはこう言います。
「意外と人間という生き物は勘違いが多いんです。
プライドと思っているものが、実は単なるわがままだったり、
自信と思っていることが、実は過信であったり、
優しさだと思っていることが、実は甘やかしであったり・・・・
そういったものを、一度リセットして何が社会人として正しいことか把握させることが、
まず社会人になる人に対しては必要なのです。」



昨日この番組を見て、同じようなことをサッカー選手にもさしたら、日本のサッカーも強くなるのではないか?と思うです。
どうも日本のサッカー選手の多くを見ていたら、自分の良さ悪さをちゃんと理解していない選手が多いように思います。
特に絶対的な良し悪しではなく、その状況ごとの良し悪しを分かっていない考えられていないではなかろうか?と感じるんです。


ドリブルが得意だからって、ずっとドリブルばっかりしていたらチームのリズムが悪くなるとか、
ゴール前でフリーなのにパスしたら、相手が楽であるケースが多いとか、
キープ力に自信があるからといって、足元ばかりにパスを要求したらチームとしての動きが停滞するとか、
いろいろいろいろ・・・・。


そのプレープレーでの判断ミスは仕方ないにしても、ちゃんと省みているだろうか?何が良くて何が悪いかちゃんと考えてるんだろうか?と疑問に思うんです。
もしかしたら、ドリブルが得意だと自信を持っていた選手が、本当はパスの出し役をやった方がチームとしては生きたり、パスばかり出している人がシュート撃ちまくった方がチームにとっては一番良かったりするのかもしれません。
俺は「ドリブルの人だ!」、そんな思い込みは捨て去ってしまった方が良いのかもしれません。


サッカー選手に友達は居ないし、彼らが日頃どんなことを考えているか分かりません。
中にはインタビューなんかでしっかりした論理立ての元、プレーしているんだなぁと分かる選手もいます。
しかしどうも論理立てのない仕事ぶりやしないか?と思う選手が多いように思います。


体の小さくて足も速くない日本人が、野生動物みたいなドログバとかエトーみたいな連中と同じ土俵で勝負しようと思ったら、全然違う部分で勝負していかないといけないだろう?と思うんです。
日本サッカーの問題は、サッカーと関係ない部分にも大きな理由があるように思うのですが、どうでしょうか?

posted by long |17:55 | つぶやき・コラム | コメント(3) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年04月09日

なにか物足りない2:遠藤保仁

もうちょっと頑張れるんじゃない?と思う人に対して提言パート2。
本日は日本が誇る屈指のバランサー遠藤保仁選手について。


鈴木啓太選手に対しては、失礼ながら「テクニックの不足」を指摘させていただきました。
しかし正直なところ遠藤選手に対しては、ものすごく物足りなく感じている部分はあるものの、その改善策を考えた時明確な答えを見つけることができていません。
そこで遠藤選手に対してはこういう考え方もできるんじゃないか?という提言をさせてもらおうかと思います。


遠藤選手の持ち味は、なんと言ってもテクニック。
しっかりボールを収めキープができ、正確なキックでゲームを作ります。
またタイミングを見たスペースへの飛び出しや、ミドルシュートで相手ゴールを脅かします。
守備でもボランチやサイドバックのあがったスペースをしっかり消し、時々サボり癖はあるものの2列目からの飛び出しにもケアを怠りません。
味方にいるとこんなに助かる選手はいないでしょう。


しかしながら、中村俊輔選手、中村憲剛選手、山瀬功治選手などの中盤の面々と比べても、何か物足りなさを感じるのです。
「旨さ」でいうとおそらくこの3選手に遠藤選手は負けていないと思います。
ただ「恐さ」「強さ」で比べたときに、何か足りていない様に思います。



遠藤選手のプレーを見ていると、マリノス時代の中村俊輔選手と何かイメージが被ります。
なんとなく「味方をうまく使ってあげよう」と思いすぎて、1対1の勝負を仕掛けられた方が恐いのにも関わらず、パスに走ってしまう。そんなイメージです。
パスにも「行っておいで」みたいなメッセージを感じます。


それが悪いことでは決してないのですが、日本代表やガンバが勝つためにはそれでいいなのか?と思っています。
仮に遠藤選手がピルロほどのクオリティをもっていて、どんな位置からでも思ったところにボールを置けるような破壊的な選手であればそのスタイルも良い様に思います。しかし客観的に見て遠藤選手がチャンピオンズリーグなんかで通用するような、破壊的なプレーヤーであるとは残念ながら思えません。

Jリーグトップクラスの遠藤選手を以ってしても、世界のトップにはまだ及ばないのであれば、同じやり方をしたところで世界に通用するとは思えません。メソッドだけバルサのサッカーをしても、勝てないのと同じです。



そうであるならば、遠藤選手はもっと今の自分の枠を壊すことが大事なんではないかな?と思います。
味方がやり易いようやり易いようサポートすることも大切ですが、もっと遠藤選手は何をしてくるか読めない選手になっていく必要があるのではないか。そう私は思います。

おそらくドリブルの勝負にしても、裏に飛び出す動きにしても、遠藤選手ならレベルの高い動きができると思います。
もっと今の「基本的には気に利いたプレイ。チャンスがあれば狙う。」というスタンスを、「常に狙いながら、サポートも怠らない」というスタンスに切り替えていけばもっと遠藤選手は恐い選手になるのではないか?と思っています。


私の中で中村俊輔選手はセルティックに行ってよい方向に変わったと思います。
遠藤選手も同じようにブレイクスルーして欲しいと思います。

posted by long |20:02 | つぶやき・コラム | コメント(11) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年04月07日

なにか物足りない1:鈴木啓太

ものすごく期待をしてしまって、その分「もう少し!」と物足りなさを感じてしまう選手に対し、ポジティブな改善を求めて密やかに意見を述べてみようかと思います。

第一回目は浦和レッズ・日本代表の中盤の底、鈴木啓太選手。


個人的に自分も守備的なポジションでプレーすることもあり、鈴木選手にはものすごくシンパシー(共感)を覚えます。
足が速い訳でも、一対一での守備がネスタみたいに強い訳でもありません。
常に労を惜しまず自分自身が守備チェックの起点になったり、見方を動かして自分がボール奪取しやすいポジションに居る。
見方にいればかなり心強い守備の人だと思います。
中村(俊・憲)や遠藤はパスに意図を込めて味方を指揮しますが、彼は守備に意図を込めて味方を指揮しているように思います。
そういう意味で彼は、守備の司令塔であると思います。


しかしながら、攻撃面での実効力は高いとは言えません。
その部分がボールキープ時に目立ってしまうので、代表ファンからも不要論が飛び出していたりします。
中村(俊・憲)や遠藤などの日本代表の他の中盤選手と比べると、圧倒的にボール扱い(止める、蹴る)の精度が低いです。
また視野が狭く判断も遅いので、早い展開になった場合遠くにボールを蹴ることができない。遅い展開のとき以外逆サイドにボールを散らしているところを見たことがありません。

本人も改善すべき点として改善しようとしているようで、一時期前に比べるとプレースピードも上がったように思います。それでも浦和でも決定的なパスミスをすることが少ないとは言えません。


そんな鈴木選手なので、彼が中盤でボールを持つときはヒヤヒヤしてしまいます。


が、今更鈴木選手が中村俊輔や憲剛みたいになるのは、限りなく難しいことに思えます。
それよりはストロングポイントを活かし、欲張らないことがいいのではないかと思います。
ゲームメイク能力は、飛躍的に伸びることは難しいように思います。
ゲームメイクは判断力、テクニック、アイデアがそろっていなければならない、複雑な作業です。
もっと鈴木選手はシンプルなことで攻撃に参加したほうが、相手にとっても脅威的なのではないかと思います。


そこで提案したいのが、ミドルシュートの徹底的な練習。
おそらく予想なのですが、彼はミドルレンジのキックに自信があまりないように思います。
ミドルシュートを撃ってもふかしたり、コースがあるのにミドルシュートを撃たずにパスをしたりしています。

もし彼のミドルシュートが、10回中8~9回枠に飛んでくるようになれば、めちゃくちゃ相手からは嫌な選手になると思います。
Jリーグを見ていても「鈴木が遠くならそんなに気にするな」という雰囲気がなんとなく見えます。
あいつには撃たせるな!と相手に思わせることができるようになったら、他の選手も楽になるし攻撃パターンも増えます。


中村憲剛だって日夜キックの練習してるようなんだし、鈴木も死ぬほど頑張ってもらいたいと思います。

posted by long |18:58 | つぶやき・コラム | コメント(16) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年12月19日

クリアはナイスプレーか?

よく草サッカーや少年サッカーで、タッチラインにボールをクリアすると

「ナイスプレイ」

と言われますが、本当にそれはナイスなんでしょうか?


CWC決勝戦で、ピルロが自陣ペナルティエリア付近でボールを拾いました。
体勢は自陣ゴールに向いていて、背中にはボカの選手が2人くらいボールを狙っていました。
ピルロはそこで、ターンして2人とも交わし、左サイドにポジショニングしていた選手(確かセードルフ)にパスをしました。


解説も何にも言ってませんでしたけど、自陣ゴール前で何でも無いようにボールをキープしてしまったピルロが凄いなぁと一人で唸っていました。
このプレーはピルロだからできたのかもしれません。ガットゥーゾなら危なっかしかったかもしれません。そういう条件があるかもしれませんが、結果的にボカの攻めを断ち、スローインさえも許さなかったピルロのプレーは「ベスト」だったと思います(もっともそこでボールを奪われていたら最低だった訳ですが)


「外に出す」と「セードルフにパスを通す」のどっちが良いか?とそれだけを比べたら、間違いなく「セードルフにパスを通す」の方が良いでしょう。
だから可能な限り「セードルフにパスを通す」を選んだ方が、チームにとって有益になるわけです。ただ気をつけるべき点は、この場合「パスを出す」ではなく「パスを通す」でなくては意味がないと言うことです。浦和はこの奪ってからの「パスを通す」ということがミラン戦で出来ませんでした。もしこれが出来ていたら、もう少し状況は変わったでしょう。


「パスを通す」の方が「外に出す」よりもチームにとって有益になるならば、「外に出す」は「必ずナイスプレーか」と言われると疑問に思います。
状況によってはクリアはナイスもしくはベストな選択だと思います。
たとえば、チーム全体が押し上げたところカウンターをくらい4対2の数的不利状況。
ここでクリアを選ぶのはチームの戻りを助けます。
しかし、押し込まれている状況であれば、クリアをしてもまた押し込まれます。
この場合クリアは「バッド」ではないにせよ「ナイス」でもないと私は思います。


じゃぁ、なんでみんなそろって「ナイスプレイ」って言っているのか?
それはクリアの方が確実だからだと思います。
失敗が少ないからクリアを選ぶんだと思います。
もし低い位置でキープして失敗したら・・・・と思うので、安全な道を選びやすいんだと思います。

しかしサッカーはチャレンジせねば勝負に勝てないスポーツです。
セーフティファーストも大切ですが、クリアせずにパスを出して攻めに繋げるチャレンジも必要な気がします。そしてそれを容認する姿勢も教育者には必要なんじゃないか?と思います。もしキープできる確率が低いならば、野洲高校みたいにトレーニングすればいいのです。出来ないんなら出来るように試みるだけです。


南米なんかではボールを取られたりタッチラインを割ったりしたら、仲間が「相手ボールにしてんじゃねぇ!!」とものすごく怒られると、誰かから聞いたことがあります。
日本も世界との差を詰めるなら、そういう部分をもっとシビアに攻めていかないといけないんじゃないか?
そう感じさせられたピルロのワンプレーでした。

posted by long |08:58 | つぶやき・コラム | コメント(17) | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年12月17日

具体的な「技術の差」とは何か?

CWC準決勝、浦和対A.C.ミランの一場面。

左サイドでボールをキープする浦和。
相馬(?)から右サイドでフリーの細貝にサイドチェンジ。
細貝はトラップするもボールを浮かしてしまい、ワンタッチでボールをコントロール仕切れない。
そこにここぞとばかりに走ってきたミランの左SB、ヤンクロフスキが猛烈にダッシュ。
細貝からボールを奪う。


このシーンは直後にボールがタッチを割ったため、浦和にとっては致命傷になりませんでしたが、A.C.ミランと浦和が決定的に違う部分を、表していたシーンだったと思います。細貝のトラップは確かに大きかったですが、Jリーグなら見逃されているレベルだったように思います。

細貝にトラップをぴたりと止める技術があれば良かったか、というとそれだけでも無いように思います。サッカーとはミスを犯すスポーツです。いかにミスをしないか、ミスをしてもいかに致命的なミスにしないかが重要です。
この場面で細貝は相手ゴールを(確か胸で)向いてトラップしました。
ヤンクロフスキは、そのワントラップが大きくなったのを見て加速度を上げました。それまでは右サイドへのチェックを行うレベルのスピードで、細貝に対し詰めていました。

そこで細貝は体の向きを変えませんでした。
もし細貝が体の向きを変え、体をボールと相手の間に入れていればボールを取られていなかったかもしれません。(たらればの話ですが、可能性の話です)
これはたくさんあるプレーの中のひとつでしたが、細貝とヤンクロフスキの判断のスピードが全く違うことを如実に表しているシーンだなぁとテレビをみて思いました。


「日本人は技術がない」と言われますが、その技術ってなんだろか?と思うわけです。
そんなに日本人は下手なのか?と疑問に思うんです。
前々から思ってたんですけど、技術とひとくくりに言っても色んな技術があるわけで、一側面の技術では日本人ってものすごい上手いと思うんです。

立ち止まった状態でのトラップや、プレースキック、リフティングなどのテクニックは、周りのアマチュアの人を見ても、ものすごい上手い人ってちらほらいたりします。
でもそういう人が「必ず試合で活躍できるか」というとそうでもなかったりします。ボールを持ちすぎで全体のリズムが悪くなったり、自分でのラストパスにこだわったり・・・・というのは、サッカーをやったことがある人なら、経験したことあることなんじゃないでしょうか?

草サッカーレベルだったら、ある程度通用して気分はリケルメやC.ロナウドみたいなのかもしれません。でもちょっと強いメンバーがそろうチームと当たると、そういう人はほぼ間違いなくすばやく囲まれて潰されていました。
いかにテクニックがあろうが、プレースピードが遅い人はレベルが上がればついていけなくなるんだろうなぁと思います。上手いのに試合での実効力があまり無い人を見ると、いつも「そんなに上手いのにもったいないなぁ」と思います。


A.C.ミランのカカー、ピルロ、セードルフ辺りを見ていると、状況判断がものすごい早いなぁとため息がでます。トラップの時にボールを置く場所がものすごい正確で、適切に思いました。だから次のプレーが素早く行える、ボールをキープできる、無理な体勢にならない。(正確に行えるのは、足元の技術があるから。適切に行えるのは状況判断がいいから。)
これはパスが正確だからできるというのもありますが、ルーズボールなどに対しても同じだったので、ただ単にトラップが上手いだけではないと思います。「どこに置くか」を判断するのが物凄く早いのだと思います。


そこの違いが浦和とミランの試合でポゼッションという形で、如実に現れたのではないかと私は分析しています。
今後の日本の選手育成を考えると、「止める蹴る」「戦術をこなす」というトレーニング以外に、考えるスピードを上げるということが、今まで以上に必要になると思います。日本人は止めるのも蹴るのも上手いと思います。戦術理解力も世界的にもかなり高い人種だと思います。

しかし状況判断能力はまだまだ遅いと思います。
組織だフォーメーションだと言っても、ピッチ上の全ての事象をそれで補える訳ではありません。組織・フォーメーションを考慮した上での、状況判断力を身につける。
そして早くなったプレーにもついていける、キックの技術を身につける。
それが大切なんだと思います。


ミランの中でもフィジカルの劣るピルロが、チーム随一のキープ力を持ち長短のパスを高確率で通すことができることを考えたら、日本人だって同じことが出来る可能性があるかもしれないわけです。
練習では物凄い上手いけど、試合ではいまいちの選手を増やさないように。
状況判断だけでサッカーは出来ませんが、日本人が世界と戦うために必要な技術の一つだと思っています。

日本のサッカー界に期待すると共に、自分自身も早い判断力を!と思ったCWCでした。

posted by long |00:14 | つぶやき・コラム | コメント(13) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年12月14日

世界の扉は大きいけれど

昨日の浦和対ミランは、色々な所で書かれているように世界の壁の大きさを痛感させられた試合でしたね。
全ての部分で足りない部分があったと思います。
多分昨日のミランなら10回やっても浦和はほとんど勝てないでしょう。

必死に守っている浦和の選手を見ていると、なんとなくフランスワールドカップのときの日本代表を見ているようでした。
あの時もアルゼンチンに善戦しましたが、遥か大きな壁を感じました。
必死で走って守って守って・・・・最後にバティストゥータの前にボールが飛んで・・・・。

それでも昨日初めて欧州王者A.C.ミランと浦和はガチンコ勝負をしたわけです。
A.C.ミランが日本にやって来て、おそらく初めて敵としてブーイングを受けたわけです。
欧州のビッククラブが日本にやって来てブーイングを食らうなんて、今まで無かったと思います。
全てはこれからです。


そして今回の浦和の出場が、Jリーグにも影響を与えることを期待します。
JのトップクラブがACLを戦うために、もっと技術向上を目指します。
それにひっぱられる形で、Jリーグの底上げが行われることで、日本代表がそして日本のクラブチームが、欧州や南米のトップチームと少しずつ戦えるようになるのではないかと思います。

そのために浦和・ガンバ・鹿島のような日本のトップチームは、他の追随を許さないような強さを身につけてもらいたいと期待します。
今年の浦和が単発であってはいけません。
少なくともガンバ・鹿島には、ACLの決勝トーナメントには残ってもらいたいです。浦和は連覇を目指してもらいたいです。


まだ世界のドアは開いていないと思います。
まだドアの前に立ったくらいだと思います。
これから重くとも、大きくとも、その扉を開いていくクラブが出てきてほしいと思います。

個人的にはそれが浦和であって欲しいと思います。

「昨日に涙なし、明日に後悔なし」
頑張れレッズ!!

posted by long |11:10 | つぶやき・コラム | コメント(7) | トラックバック(2)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年12月13日

言うこと聞かないゴンザレス

「ゴンザレスは上がるなといわれてましたが、あそこまで上がってきましたねぇ・・・」
「日本人はなかなか上がるなと言われて上がれませんよ。見習わないと。」


昨日のCWCのボカジュニーア-ズvsエトワールサヘルのテレビ中継でのやり取り。
これを見ていて、やれオシムだ岡ちゃんだと騒いでいる自分が、ものすごく日本人的感覚なんだということをまざまざと実感させられました。

「監督が言っていることが全てじゃねぇ」そう思えるメンタリティって、仕事人としてものすごい独立していると思います。たとえるならゴンザレスは踊る大走査線の青島警部補で、「事件は現場で起きてるんだ」とばかりにゴール前まで上がっていったわけです。でももし仮に、そのオーバーラップが原因で失点していたら、それは彼の責任になるわけです。そしてその後の彼の仕事に差し支えるかもしれないわけです。
でもその責任を自分に負って、やらなければならない仕事が目の前にあるからやる!というのは、職業人として正しいと私は思います。やらなければいけないことを、しっかりとこなすというのはプロとしての仕事だと思います。逆に「言うことを聞く」といのもプロの仕事かもしれません。
いずれにせよ自分の思ったことを指示を無視してやるということは、相当自信や信念がないとできないことだと思いますが。
自分の仕事に置き換えてみると、かなり難しい話に思えます。

ジーコが「監督にごちゃごちゃ言われるのは嫌だった。だってプレーしているのは自分たちだったから。」と言っていましたが、南米人のメンタリティって「俺がやるからごちゃごちゃ言うな」って感じなんでしょうね。
だからペレやらジーコやらロナウジーニョやら、マラドーナやらメッシやら「俺がやる」連中が出てくる。

そういうメンタリティに私は憧れます。そうありたいとも思います。
でもその感覚は和を重んじる日本では、なかなか育たないメンタリティだなぁとも思います。
サッカーのときだけそういうメンタリティを持てと言っても、それは土台無理な話です。

それでも、昨日のボカをみていると、日本人にもすくなからずそういうメンタリティが必要なんだろうなぁと思いました。エトワールサヘルの選手はテクニックもあり、戦術的にも整備をされていましたが「俺がやる!メンタリティ(勝手に命名)」は無かったように思います。
そこがボカとエトワールの差ではなかったかと思います。

しかし、そういうメンタリティを育てるって、かなり根深い問題ですよね。
また「俺がやる!メンタリティ」を日本で育てる方法論は時間があるとき考えようと思います。

posted by long |13:26 | つぶやき・コラム | コメント(6) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年11月02日

勝ったから言えるたられば

中日が53年ぶりに日本シリーズを制し日本一。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20071101-00000040-kyodo_sp-spo.html

日本ハムに1安打も許さない完全試合で優勝。
日ハム打線は本当に調子を落としちゃいましたね。


一方中日ですが、9回山井の交代はさすがにびっくりしました。
8回まで完全試合ですからね。
新聞やテレビでも取り上げてますね。


テレビでの街頭インタビューなんかだと「あのままやってほしかった」という声が多かったですね。一部報道では「山井の手にまめができた」ということが報じられていましたが、ほんとのところはどうなんでしょうね?
もしかりに落合監督の判断で山井を代えていたとしても、私は落合監督の英断を称えたいと思います。

山井という投手は、昨シーズン1回も1軍で投げていないようで、今シーズン最後に投げたときも2回でマウンドを降りたようです。
さらに日本シリーズの第4戦、9回1点差、しかもヒット0更新中、8回には山井コールで観客が後押し。
これ以上のプレッシャーはなかなか無いでしょう。

川上や朝倉が同じ状況であれば、投げ続けさせたかもしれません。
まめができていたとしても、もう少し点差があれば投げさせたかもしれません。

もし仮に山井が投げて打たれでもしたら、次は北海道で戦わないといけなくなります。
北海道の日ハムはファンの後押しを受けて、より一層手ごわい相手になります。


そういう状況の中、一番信頼のおける岩瀬を送りこんだのは、勝負師として当然かなと思います。山井が打たれても、岩瀬が打たれても批判を浴びるのは落合監督です。
それなら最も信頼している方法でやられる方が、納得いくような気がします。

なんか今日は「~たら、~れば」ばっかりですが、まぁそんなことは勝ったからそんなことが言えてる訳です。あのまま投げていても完全試合が達成されていたかは分からないわけです。
私も見れるものなら完全試合見たかったですが、ギリギリの判断にとやかく言う筋合いもないかなぁと思います。

とりあえず、中日ドラゴンズおめでとうございました。

posted by long |08:30 | つぶやき・コラム | コメント(5) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年10月24日

スターは作り出すものではない

TBS“亀田路線”の中継見直し

 TBSが23日、大みそか恒例の「Dynamite!!」放送決定の発表会見で、社会問題にまで発展したボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ・内藤大助-亀田大毅戦(11日)を比較対象とした上で「K-1はちゃんとした大会」とコメント。裏返せば“亀田びいき放送”で批判が殺到したボクシング中継が“ちゃんとしていなかった”ことを認めた。
 会見にはTBSテレビ取締役の信国一朗・事業本部長が出席。「大みそかにまで格闘技番組を放送するのはいかがなものか-という声がTBS社内になかったのか?」と質問された信国氏は「K-1格闘技は(亀田絡みの)ボクシングと違って、5年間やってきた、ちゃんとした大会。視聴者やメディアにも認められている。ボクシングとは切り離して、立派な大会にしたい」と明言。“亀田路線”のボクシング中継見直しを示唆した。
(デイリースポーツ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071024-00000000-dal-fight


TBSの亀田戦にしても、テレビ朝日の日本代表戦にしてもそうなんですが、スポーツのテレビ放送って何十年前からスタンスって、変わってないんだなぁとこの記事を読んで思いました。
テレビ局は常にスターを求めているように思います。

この前の「U-22日本代表 × U-22カタール」でも、某局同じみKアナが
「柏木陽介19歳」
「ここで柏木」
「柏木!」
と連呼していましたが、あの時間にあの試合をわざわざ起きて視聴している人にとって、柏木一人だけが活躍することなんの意味がありましょうか?

当然柏木が活躍してもらうことは大事ですが、それ以上にあの試合では「日本代表が勝つ」というその一点のみが重要だった訳です。そういう場で柏木一人にフォーカスを当ててみても、それは全く的外れなものになります。
結婚式の祝辞で、全然関係ないことを言いまくってる、あの痛い感じに似ています。


昔であれば長嶋茂雄や力道山がテレビに出ていれば、それだけで視聴者は満足していたかもしれません。
今よりも情報が少なく、人気者になれそうな人を人気者にしたてて、ただ居てくれれば、それで盛り上がっていたのかもしれません。


しかし、もはや人気者が居たところで、そのコンテンツが貧弱なものであれば、もはや我々は満足できないのです。
私はF.C.バルセロナが好きですが、シーズンオフの全然体ができていない時期に日本で行われる試合なんてどうでもいい訳です。動けないロナウジーニョなんて見たい訳じゃないんです。誰にもできないようなすごいプレーを楽しそうにするから、彼は人気者なのです。
遊びまくって動けないロナウジーニョなら、その人気は下がっていくでしょう。
石川遼君が注目され人気がでたのも、プロのトーナメントで優勝したという実績があってのことです。


そういう状況にも関わらず、テレビは無理やり相変わらず人気者を作り出そうとします。
実績もなにもないのに無理やり作り出そうとするから、受け入れらなかったり批判が増ているような気もします。
なぜそういうことがわからないんでしょうか?
また分かっても、それにすがりつく意外コンテンツ作りができないのでしょうか?

真摯なコンテンツ作りがあれば、そこから予想外の人気者って出てくるような気がします。


信国氏は「K-1格闘技はちゃんとした大会。」と発言していますが、何をちゃんとしているのでしょうか?
「ちゃんと」の内容を正しく捉えていないと、K-1もPRIDEのようになりかねません。

本当に「ちゃんと」やってもらいたいもんです。

posted by long |13:22 | つぶやき・コラム | コメント(1) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2007年10月12日

どうして未だ人の判断だけを頼るのか?2

先日のエントリーでは皆様コメントありがとうございました。
さまざまな意見を頂いて、色々考えさせられました。

多かった意見としては以下のふたつでしょうか。
・カメラ判定でのファウルの確認など、試合の流れを妨げるものは難しい
・カメラを使った判定でも、人の判断が入り揉め事はなくならない

FIFAがゴール判定員を追加するというニュースを読んで、エントリーを書いたので「カメラ判定を導入すればいいんじゃないか」と私は書きました。
確かにゴール判定以外でカメラ判定を利用したら、角度によっては分からないでしょう。
また試合の流れを妨げることは十分に考えられます。
すべてのプレーにカメラ判定の導入は現実的ではありません。


しかし微妙なゴール判定には有用なものだと思います。
人の目よりはカメラの方が、細かく物事を記録できます。
ゴールポストの内側にいくつかカメラをつけることで、ほとんど死角もなくなるでしょう。
ゴール判定に関してカメラを導入することに、あまり問題があるように思いません。
(それでもカメラ判定という方法論では、微妙な判定はあると思いますが、それについては対応策を十分に練ればいいと思います。)


技術的に問題なければ、機械の導入は問題ないんじゃないか?と私は思います。
要は方法論だけの話なんではないでしょうか?

たとえばカメラじゃなくて、仮にテレビゲームのようにファウルを判定できれば問題ない訳ですし、場合によっては審判がピッチに立っている必要もありません。
他にもユニフォームにセンサーが付いていて、相手選手に引っ張られたら審判のインカムでブザーがなるようなシステムが実現できれば、ユニフォームを引っ張るファウルは格段に減るでしょう。
またスパイクにセンサーがついていて、力のかかり具合でシミュレーションが判定できるようになったら、それもシミュレーションの防止に繋がります。

機械が壊れたり、誤動作したらどうするんだ?という問題には、人の判断が入ればいいと思います。


今現在ではこれらのことは技術的に難しいですが、実現すればつかってもいいんじゃないかと私は思います。
公平かつ客観的ジャッジって、事実に基づいていることが大事なんじゃないかと思います。

今のスポーツでは、審判が見えたものが全てです。
審判から見えてなければ事実ではありません。
だから選手は見えないところで、相手を蹴る殴る、シャツを引っ張るなど汚いプレーを行います。

>たとえばコーナーキックからゴールを決められた後にカメラ判定を要求すれば、ファールなどいくらでも見つかるのではないでしょうか。

というご意見がありましたが、後からでも事実確認が取れればファウルを取るという方針を打ち出せば、ファウルは減るのではないかと思うのです。
ピッチ上でクリーンな試合が行われることを望むなら、使えるものはどんどん使えばいいと思います(当然慎重な議論は必要です)。


しかし、審判から見えていないところの駆け引きを、サッカーのプレーの一部とするならば、それはもはやそういうルールです。
「見えないところでは何やってもいい」というルールです。
そのいう方針をFIFAが取るならば、ジャッジは曖昧かつ完璧であってはいけません。
その場合審判の目が何より重要で、ボールがゴールラインを越えたとか、ダイブしたとかしてないとか、事象としての事実はどうでもいいわけです。
機械の導入など全く持って無意味です。


でも私はその方針には生理的に反対します。

posted by long |21:24 | つぶやき・コラム | コメント(22) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加