2009年07月09日

パッツの歴史その4――最悪のHC――

チーム創設50周年を記念して、これまでパッツお笑いの歴史としていくつかの昔のエピソードを書いてきましたが、色々探しているうちに、笑えない悲惨な話がいくつも見つかったので、今後は「パッツの歴史」シリーズとして続けて行きたいと思います。

「お笑い」がとれた歴史シリーズのオープニングは、パッツ歴代HCの中で、一番悲惨ではないかと私が考えるクライブ・ラッシュの話です。

クライブ・ラッシュは1969年にパッツのヘッドコーチに就任しました。
就任記者会見でのことです。ラッシュが話をしようとマイクをつかんだ瞬間、感電してラッシュはその場に倒れてしまいました。幸い大事には至らず、しばらくして起き上がったラッシュは「ボストンのメディアはひどいと聞いていたが、いくらなんでもこの歓迎はひどすぎる」といって周りを笑わせました。しかしこれが彼がパッツで見せた唯一の輝きでした。ラッシュはプロHCとしての重圧に耐えられなかったようで、かれのコーチ室の棚にはバーボンがぎっしり詰まっていたといいます。選手を呼んで話をする時も自分はお酒を飲みながらということもあったといいます。
そんな彼の悪名高いエピソードのひとつに「ブラックパワーディフェンス」があります。当時は、今よりはるかに激しく厳しい形で黒人差別がありました。そんな時代背景のなか、ラッシュは「ブラックパワーディフェンス」としてディフェンスの選手全員を黒人で固めるアイデアを出しました。黒人選手や社会を励ますメッセージを送ろうとしたのです。ここまではすばらしかった。ところが問題は当時パッツの黒人ディフェンス選手は11人に足りないということでした。自らのアイデアにこだわったラッシュは黒人オフェンス選手を適正も考えずにディフェンスにコンバートしたのでした。当然この守備は破綻し、ブラックパワーディフェンスはパッツの先進性を示すのではなく、悲惨さを示すエピソードとして残ってしまったのでした。

なお今回のエピソードは、マイケル・フェルジャー著「Tales from the Patriots Sideline」、クリストファー・プライス著「The Blueprint」などから引用して書いています。

posted by letsgopats |05:49 | 50周年 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年04月22日

パッツ、お笑いの歴史 その3

1961年、11月3日、ボストンユニバーシティスタジアムで行われたダラステキサンズとの試合は、パッツ主催で始めての全席完売の試合でした。28対21と、パッツ7点リードで迎えた最後のプレーのことです。テキサンズのQBからエンドゾーンのWRに向けてパスが投げられましたが、なんと観客が妨害してインコンプリートとなり、そのまま試合終了になってしまったのでした。

伝説によると、パスを邪魔した男はトレンチコートを着ていて、パッツオーナーのとそっくりな帽子をかぶっていたということです。そのためボストンのファンの間では当時のパッツオーナー、ビリー・サリバンがそのトレンチコートの男だと信じられていました。

実際はもちろんオーナーではなく正体不明です。関係者の話では賭けのブックメーカーがらみの仕業だろうということです。

当時パッツは自前のスタジアムがなく、その後フェンウェイパーク、ハーバードスタジアムなどを転々とさせられたとはいえ、まったくお粗末な運営です。現オーナー、ボブ・クラフトがスタジアムもチームも買い取ったことは本当にパッツにとっていいことだったのだなと思います。

それにしても、今こんなことが起こったらコミッショナーからどんな罰を課せられるか・・・。

(なお今日の話は「The Tales from the Patriots Sideline」などを参考にしています。)

posted by letsgopats |04:28 | 50周年 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年03月29日

パッツ、お笑いの歴史 その2

1970年のことです。パッツから10日ほど前にカットされたボブ・グラデューは友人と元チームメートの試合でも見ようとパッツードルフィンズの開幕戦を観戦しに行きました。

試合開始30分ほど前に友人はビールとホットドッグを買いに行きました。友人が席に戻るとグラデューの姿が見当たりません。隣の席の人が言うには「さっき席を離れたよ、トイレじゃないか」とのこと。

そうするうちに、ドルフィンズのレシーブで試合が始まってしまい、右サイドライン沿いでドルフィンズのリターナーーが止められました。場内放送が解説します。「タックル。背番号24ボブ・グラデュー!」 なんとグラデューはスペシャルチーマーとして出場していたのです。

ことの次第はこうです。友人が席を離れた後、グラデューは場内放送を聞きました。「ボブ・グラデューさん、いらっしゃいましたら、ロッカールームまでお越しください」。不思議に思って行ってみると、ヘッドコーチがいて、「お前はたった今アクティブロスターに入った。これに着替えろ。」とユニフォームを渡されたのでした。実は契約のごたごたから試合開始数時間前にある選手が解雇されたため、ロスターに空きができたのでした。
しかし、人数が足りないわけじゃないのに、こんなことをわざわざしなくてもいいと思うのですが・・・。

この日、朝からたっぷりお酒を飲んでいたグラデューは、最初のプレーの後気分が悪くなり人知れず吐いていたそうです。

漫画に出てきそうな本当の話でした。

posted by letsgopats |03:43 | 50周年 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年03月25日

パッツ、お笑いの歴史 その1

今年はパッツにとってチーム創設50周年になります。創設者のウィリアム・サリバンがペイトリオッツ殿堂入りしたというニュースに触発されて、パッツの過去のエピソードを紹介していきたいと思います。今のベリチック体制では考えられない笑いに満ちた過去です。

とりあえず今日はドラフトに関するエピソードを。

1968年、パッツはメディアの注目を集めようとドラフトのテーブルに記者たちを招待しました。
パフォーマンスとして、当時のHCのマイク・ホロバックが、デニス・バードという選手に、指名を知らせる電話を直接かけることになりました。以下そのやりとりです。

コーチ:もしもし、デニス君いますか?
相手:いいえ、留守ですが。
コーチ:私はボストンペイトリオッツのHCのホロバックです。彼と連絡を取りたいんですが、彼は今どこに?
相手:病院ですよ。
コーチ:病院? 病院で何してるんですか?
相手:ちょうど膝の手術を受けたところですよ。
コーチ:・・・・・

ちょっと考えられないくらいずさんな体制ですね。パッツはこの日、1ヶ月前に交通事故で死んでしまったWRも危うく指名しかけたそうです。




私は最近ファンになったにわかなので、その2があるかわかりませんが、とりあえず時々書いてみる方向で考えています。なおエピソードはクリストファー・プライスのThe Blueprintという本より引用しています。

posted by letsgopats |09:21 | 50周年 | コメント(2) | トラックバック(0)
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