2009年10月21日

新シリーズスタート!!あの選手のアマチュア時代を恩師が明かす

①日本ハム・高橋信二

津山工業野球部監督(現在は水島工業教頭)・赤木恭吾氏

 高校時代の彼は個人的にはプロを目指していましたが、それが実現するかはわからないレベルでした。2年生のときは、ひとつ上の先輩に駒澤大学から日本通運に行って活躍した選手がいたことからファーストだった。そのためプロのスカウトの方は興味を示さなかったんです。肝心の3年生の時はチームとして成績がイマイチで、プロのスカウトの方に情報が上がらなかった。ですから、東北福祉大に進学希望でした。セレクションを受けてOKをもらっていたのですが、ドラフト近くになって急遽、日本ハムから指名すると話があったのです。当時の彼は体が細かったので、名門大学で鍛えてからプロを目指した方がいいと思っていました。周囲は大学進学をすすめましたが、本人がどうしてもやりたいということでプロに送り出しましたんです。大学に相当する4年間でどれだけ頑張れるかという話をよくしましたね。
 
 ドラフト7位の入団、ましてや名の通った高校ではないですし、甲子園にも出ていない。我々が知らないところのでの苦労は並大抵ではなかったと思います。でも、彼にはそれを克服する努力とメンタリティがあった。同期は8人いましたが、今でも残っているのは小笠原(道大)と高橋だけ。頑張っていると思います。
 
 彼は常々「人との出会いに恵まれた」と話していて、その出会いを力に変えています。そのひとつがトレイ・ヒルマンさんとの出会い。2年目の11月にアメリカでヒルマンさんと出会った。当時の日本ハムはヤンキースと業務提携していて、若手選手をヤンキース傘下の3Aのチームに派遣していた。そのチームの統括コーチがヒルマンさんで、彼の指導により飛躍的に技術が向上したそうです。
 
 入団4年目の最終戦で初打席初安打を記録し、当初の目標は実現できましたが、その後も出番に恵まれなかった。そうして7年目の時にヒルマンさんが監督になった。キャンプで会ったときは、むしろヒルマンさんのほうが高橋のことを覚えていたそうです。彼は「ヒルマンさんとの出会いがなかったらここまでなっていなかった」と常々話しています。
 
 同郷の先輩である川相昌弘さんの存在も大きかったそうです。川相さんには折に触れて相談に乗ってもらったそうです。川相さんが巨人を離れる年のことです。川相さんが日本ハムの練習を見に来てくれて、「(俺は)降りるからな。お前が岡山の代表としてがんばれ」と激励されたそうです。川相さんの激励は大きな力になったそうです。これは本人が言ったわけではありませんが、恵まれない体にもかかわらず巨人で活躍したという努力の部分に共感したのだと思います。

posted by koshien2009 |18:25 | プロ野球選手「恩師が語るアマチュア時代」 | コメント(0) | トラックバック(0)
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