2008年07月21日
カープ!男の線香花火。
夜も10時を過ぎたあたり。
トイレを拝借しに公園に立ち寄る。
5連敗のショックが、夏の夜の蒸し暑さとなって、首筋に汗を浮かせる。
“もうひと踏ん張り”
戦うカープの選手へ、そして今宵の自身のバイトへ、そう呟きながら用を足す。
トイレを出ると、公園の隅の辺りで、色鮮やかな花火。
嬉々とした子供の声も聞こえてくる。
夏休み。
三連休。
夏の夜。
何もこんな遅い時間からしなくてもいいのにと、大人がいるかどうか心配になり、目を凝らして公園の隅を見てみる。
父親らしき男性が一人、ベンチに腰掛け子供らを見守っていた。
手に、線香花火を持って。
子供らには不人気なのかもしれない。
仕方なく父親は、線香花火に火をつけたのかもしれない。
無理もない。
鮮やかさも賑やかさもない線香花火の味わいが理解出きるのは、大人になってからだ。
これほどせつない手持ち花火は、他にない。
夏の到来を告げるのではなく、夏の終わりを予感させるような線香花火を、好む子供など滅多にいない。
7回。
1アウト満塁。
ブラウン監督がマウンドへ向かう。
ラジオを聞きながら、ひたすら続投を願う。
球数だの疲労だの、そんなことは無視して欲しい。
今夜、カープが勝つにしろ負けるにしろ、這い上がるためには高橋建の背中を、とことん見せる必要がある。
例え、このピンチを抑えきれず、神宮の夜に沈んだとしても、高橋建の勝ちたいという姿勢を、全ての選手の目に焼き付ける必要がある。
ここまで、苦しみながらも、勝利を求めてマウンドで奮闘してきたベテランの姿を、何かが変わる兆しにしなければならない。
そして、そういう選手を心から信用し、試合を任せるという気持ちを、監督はチームに伝えなければならない。
3年目の絆を、全ての選手に伝えなければならない。
だから…続投しか、ない。
ここでピッチャー交代なら、2008年のカープの戦いは終わると思った。また1から、積み上げていかなくてはならない、そう思った。この時期、この状態でのリセットは、終わりを意味するのだから。
続投。
3年目の絆。
ただ勝ちたいというのではない。
ただ勝てばいいというのではない。
こういう勝ち方をしなければ意味がない。
心を通わせて、共に胸を震わせて、助け合い信じ合い、カープのために戦う。
そういう勝ち方をしなければ、カープ再生などあり得ない。
それを身をもって示したブラウン監督と高橋建の、夏の夜。
二者連続三振。
毎夜毎夜、敗因をあれこれ探すのは容易い。
地元紙のように、五番シーボルが限界とか、ミスが多いとか先発陣がどうとか、運もないとかどうとか、挙げれば切りがない。
実際、負けているのだから…。
だけども、試合には負けても、安堵感にも似た満足感を抱いた昨夜の敗戦。
高橋建とブラウン監督が放ったメッセージを、若い選手がどう受け取るか、これからが楽しみで仕方ない。
エースと呼ばれたことはない。大記録を残しているわけでもない。自慢らしい自慢といえば、この歳まで野球を続けられていること。今もカープのユニフォームを着てマウンドに立っていること。
“上野、気にするな。これからも頼むぞ”
“マエケン、どうだ?オヤジもやる時はやるぞ!”
“青木、見てるか?これが先発の仕事だ”
“篠田、早く上がってこい!”
“大竹、お前には若さがある。怖れずにいけ!頼むぞ”
この夜、高橋建の流した汗は、カープの未来のための汗。
それを理解出来ない選手は、カープには必要ない。
勝ちたい!勝ちたい!と戦う高橋建と、それを信じて試合を任せたブラウン監督の気持ちを、皆が同じように共有出来た時、カープは再び浮上する。
強引に前向きになっているのでは、ない。
ブログを書くために、無理矢理ポジティブになっているのでも、ない。
ましてや愛するが故に、盲目的にカープを信じて、これを書いているのでは、ない。
昨夜の試合には、紛れもなく心を熱くするドラマがあった。ただ、それだけのこと。
勝てなかったことは残念だけど、いいものを見せてもらったという、感謝の気持ちが確かに胸に残った。
派手さもない。
賑やかさもない。
だけれど、静かに燃える炎がある。
囁くように音を立て、火花を散らす線香花火。
高橋建も、そしてカープも、まだまだその火を地に落とす時ではない。
夏はこれから…なのだから。
posted by koita |12:34 |
広島東洋カープ |
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