2008年09月24日

サマーリーグ決勝と外国人監督について

20日(土)、21日(日)とサマーリーグ決勝大会が行われました。

夏のトレーニングの成果を確認するため、それぞれのチームが様々な選手、様々なシステムを試していました。

優勝したのは3戦全勝のJT、準優勝が2勝1敗で東レ、3位が1勝2敗で豊田合成、4位は3敗でジェイテクトでした。


今シーズンのJTは新たにアメリカ人のゴードン監督を迎え、チームの改革に着手しています。
その第1歩としてサマーリーグ優勝は、いろいろな意味で思惑どおりの成績だったのではないでしょうか。

以前もJTサンダースはロシア人のパルシン監督を迎え上位進出を果たました。

ロシア人監督、アメリカ人監督、国籍の違いやキャリアの違い個性や考え方の違いなど、様々ありますから、外国人監督というひとまとめにして考えるのは乱暴かと思いますが、外国人の監督が日本人監督ではなかなか出来ないことをやれるとしたら、どんなことがあるか考えてみました。

●過去や周りとのしがらみがない

●言葉が通じないために論理的説明する必要がある

●目新しさがある

●評価基準が見直され控え選手のモチベーションがあがる

●外人監督なら「やってくれそうだ」という日本人的感覚


こんなところでしょうか。

やはり外国人に監督を任せる以上、日本人とは一線を隔している部分がある事と思います。

日本人的な、「言わなくてもわかる」であるとか、「以心伝心」といった感覚は恐らく通用しないのではないでしょうか?
オーバーアクションが当たり前、はっきりと物を申すのが当たり前の外国人が監督をすることは、日本人選手にとっては受け入れがたい気持ちがある反面、求めている部分でもあります。

ただし、ただ外国人が監督でやってきたとしても、選手も「この人についていってもいいのか?それともよくないのか?」といった評価的視点で外国人監督をみていますから、結局結果を重視するわけです。

その点、今回のサマーリーグでJTが優勝したことは、ゴードン監督が選手からの評価○○をクリアしたこととなります。
選手の中にも「この監督についていけば大丈夫」といった安心感みたいなものが生まれたはずだし、監督との信頼関係も深まったことが予想されます。

監督という職業はいかに選手を「やる気」にさせるかが勝負だと思います。

JTが監督交代&サマーリーグ優勝でますます「やる気」になったとしたら、非常に厄介な存在となるでしょう。




東レアローズは現在、清水のトレーニングセンターで合宿の真っ最中です。


以上サマーリーグの報告&近況報告でした。

posted by kobayashi |12:30 | 日記 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年09月19日

齋藤信治引退

東レアローズNo7 ノブコフ205こと 齋藤信治が引退を発表しました。


齋藤は僕と同期入社の34歳です。
齋藤とは選手として11年、コーチとして2年、共にプレーしました。
そしてオリンピック出場を果たした今、彼は引退を決意したのです。


齋藤の存在を知ったのは忘れもしない、大学1年時の春のリーグ戦開会式でした。
当時全日本選手として活躍していた、泉川さん、南克之さん、などが顔を揃える開会式の注目を独り占めしていたのは、日本体育大学の部旗を掲げて先頭に立っていた齋藤でした。
部旗を持つ者は1年生という暗黙のルールが浸透していましたから、僕は「こんなでかい同級生いたんだ!」という驚きのまなざしで齋藤を見つめていました。
そしてさらに驚きだったのが、開会式後のリーグ開幕戦では、スターティング、モッパーとして、あの巨体を小さく折り畳んで、必至にワイピングしていたのです。

その後、日本体育大学は2部に降格してしまったために、齋藤の姿を見ることはなくなり、その存在も記憶の奥底に消え去ってしまっていたのですが、大学4年時の春のリーグ戦でした。
久々に1部リーグに昇格した日本体育大学との初戦、スターティングラインナップに齋藤の姿があったのです。
3年前にモッパーとしてコートサイドに立っていた齋藤が、今度は日本体育大学のエースとしてコートに立っていたのです。

当時常に優勝争いをしていた我々筑波大学でしたが、齋藤率いる日本体育大学にストレート負けを喫したのです。齋藤が大車輪の活躍で、どうにも手がつけられませんでした。
このときの衝撃は、あの部旗を持って立っていた1年の開会式の衝撃を遙かに上回りました。


僕が、東レアローズを選んだ理由の一つに、齋藤と一緒にバレーボールがしたいという思いがあったことは、気持ち悪いので彼には内緒にしていましたが、そろそろ告白してもいいでしょう。


そんな齋藤も東レに入社して、何度も苦しい思いをしながら日本のスーパーエースにまで成長し、センタープレーヤーにコンバートしてからもその才能は輝き衰えずリーグスパイク賞を何度も獲得する活躍をみせました。


最近は膝や腰の故障で戦列を離れることもしばしばありましたが、持ち前のガッツで北京オリンピックという大舞台に立つという偉業を達成しました。


大学1部リーグのコートサイドに立っていたモッパーが北京オリンピックの日本代表としてコート中央に立っていたのです。


同じ釜の飯を食ったものとしては感無量の思いで彼の活躍を見届けていました。


これからの進路はまだ未定ですが、いままで培ってきた経験と、齋藤の人柄があれば、何をしても成功することは間違いないでしょう。

今はただ「お疲れさま」と労をねぎらい、二人で酒でも酌み交わそうかと思います。









posted by kobayashi |11:19 | 日記 | コメント(8) | トラックバック(0)
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