2007年07月19日

【つれづれ日本代表】3年後のオシム翁は

ふと、昔別のところに書いた記事をサルベージしてみた。

ドイツワールドカップの敗退が決まった直後の日記
ジーコ体制に付いて考察した物。



ジーコ体制は本当にだめだったのか?


如何ほどの現役時代に名選手であったとしても
監督経験がなければそれは既に形骸である。
敢えて言おう、カスであると!
戦う気持ちを出せないそれら軟弱の集団が、
このワールドカップを勝ち抜くことは出来ないと
私は断言する。


さて、
冗談はさておき。

個人的な意見を。

成功部分と失敗部分を見比べた場合
やっぱり、失敗部分が大きい感は否めない

ジーコには監督経験がなかった。
サッカーに対する知識、哲学、知名度、カリスマ性
どれをとっても申し分ない。
Jクラブを率い、欧州クラブのコーチなどを歴任
した結果であれば
おそらくもっと違った結果をもたらせただろう。

トルシエはどうだったか。
何かと批判の多い監督だが
個人的には高く評価している
トルコ戦の選手起用のせいでだめだめな感のある選手起用だが
森嶋、市川と言った途中交代が結果を出しているところをみれば
明確な意思を持った起用だと見ることができる。
かれは確かにプロの選手だったが、現役時代を知る人は
ほとんどいない。
だが、かれは監督として一定の成功を得ている。

経験が人を作る
これは監督でもいえることだ。
クリンスマン、ファン・バステン監督は
今のところ成功している。確かに。
ただ、彼らと比べることは卑怯だ
ほっておいてもそこそこの結果を出せる集団なのだから。

ジーコの最大の失敗は
監督経験の浅さから見せた失態と
日本サッカーに対する贔屓目的な過大評価かもしれない。

個人の自主性をピッチで発揮することは
局面の打開において大きな力となりうる。
そのことは「戦術重視」のトルシエが
中田、小野、柳沢に
「もっとプラスαをだしてくれ!」
と言ったことからも良くわかる。

ただ、ゲーム全体の流れの中で、自主性を突出させることは
すなわち、チーム戦術の崩壊を意味する。

考えてみよう。
なぜ、エメ・ジャケは自主性というか個性の塊みたいな
エリック・カントナというスーパースターをはずしたのか。

考えてみよう。
マラドーナと言う異彩は
「マラドーナを全力で活かす」
という、強固なチームコンセンサスの上に成り立っていたことを。

チームスポーツであるサッカーにおいて
戦術意識は欠けてはならないものなのだ。
結局
'
組織力+個人力=チーム力
個人力+組織力=チーム力'
という数式の違いこそあれ、求めるものは同じなのだ。

おそらくジーコは
日本のサッカーがすでに底辺にある戦術理解を
完全に理解したものとして対応したのではないか。
そこが最大の過ちのような気がする。

選手が自主性を出し、話し合い考えることは大事だ。
だが
相手のカウンター展開中に
宮本と福西、中田がピッチで話し合うわけには行かない
そういうレベルの話だった気がする。

ジーコが日本にもたらした変革は決して卑下されては
ならないともおもう。

ラインを上げるのか、下げるのか。
プレスをかけるのか、かけないのか。
そういった判断をピッチ上でこなすようになった代表は
明らかに成長している。
ジーコと言うネームバリューがもたらした
ビッグマッチ級の親善試合も日本代表にはプラスだった。

ジーコはいい監督なるだろう。
オーストラリア戦までは
何がしたいんだか全然わからない選手起用をし
ピッチの選手以上にテンパっていたが
クロアチア戦を境に、監督業に目覚めたようだ。
明確な意思を持って選手起用を行おうとした。

一番成長したのはジーコかもしれない。
きっと彼はいい監督になると思う。

日本代表の監督は練習の場であってはならない。
ファルカンしかり、ジーコしかり。
ここをステップに成長し、成功することは
いやな気はしないものの、それでは困る。

そういう意味で、フランス協会の推薦する
デシャンが選から外れたことは良かったと思う。
デシャンはいい監督だが
フランスは母国代表の監督への武者修行として
代表監督に推薦している。
同じ過ちを繰り返してはならない。

2008年にはオリンピックが控えている
この大会は特別なものになるだろう。
世界のどこへ行っても決して味わうことのできない
異常な、猛烈な、過酷なアウェー
ここを体験した世代はきっと強くなる。


住友金属にこなければ
彼のサッカー人生はまた違ったものになっただろう。
プロ人生でおそらく経験したことのないであろう
土のグラウンドでの試合も経験し
40歳の体にむちを打ちながらプレーをしてきた。

彼のこれまでの功績が
たった3試合の結果のみで
語られることがあってはならない。

ジーコの監督起用は
明確な失敗ではあったものの
それはジーコ自身を否定するものではない。

今回のことを糧に
ジーコも、日本のサッカーも成長できれば
それで良しとしたい。
批評批判は、ほかの人に任せておく。
批判なし済むとはおれ自身思ってないが
彼をたたえることも
自らを省みるといった観点から
また、日本サッカーにとって必要なことだと思うから。

世紀のミスマッチがもたらした
なんとも後味の悪いこの大会が
後世において語られるとき
笑い話になっていればいいなーとおもう。

おれが爺ちゃんなったとき
「爺ちゃんの若いころにこんな大会があってな~」
と
孫にぼけ老人扱いされながらワールドカップを見るのも
またサッカーの醍醐味かな~と。


歩みを止めず
常に前を向いて。

死ぬまで
死んでからも
生まれ変わっても

日本代表を応援する気持ちは変わりません。

そんな気持ちを再認識させられたと言う意味で
ジーコ体制の日本代表には
ありがとう
と言っておこう。

今はそれでいいと思う。

2006/6/25



この段階ではオシム翁の就任が噂されていた時期だったと記憶している

今のところオシム体制は上手く行っているように思える。
マスコミとの関係を除いては(笑)

オシム翁にピッチ外で期待していることがある。
それは


電通からの解放


サッカーはスポーツであり、同時にビジネスである。
ビジネスという側面がスポーツとしてのサッカーを支えている
それは否定できない。





広告効果のためだけに、ワールドカップの日程を捻じ曲げ
2試合連続で昼間の1時から代表に試合を強いたのは
紛れも無く電通の力だ(と思う)

日本サッカーに爆発的な火が付いたのは
代表側は電通
J側は博報堂
と広告代理店のマーケティング戦略がまんまと成功したからで
その功罪を十把ひとからげで否定するつもりは毛頭ないが
その横暴を許すつもりは無い。
'
キックオフ前に花火ぶち上げるような代理店ごときはすっこんでろ!'

と、いいたくもなるもんだ。

スポンサー側にとっての成功とは
大会での成績より広告効果のほうが重要なわけだから
やはりスターシステムは重要なのである。

羽生??
え?それ棋士でしょ???
いや、それ「ハブ」だし。
ハニュウですから!

とか

だれ?あの黄色いスパイク履いたイエス・キリスト?
(注:啓太です。拙者は啓太ファンですが)

とか

あまり地味すぎるとメディアにとってはいただけないわけ。
つか、アディダスとかサプライヤからも圧力あるみたいだし

そういうのをはねつけて、オシム翁には是非頑張っていただきたいのである。


3年後のオシムがどう語られるのかまだ分からない。

一つだけわかることは

ワールドカップが終ったら

オシム翁は70歳になっているということだ(笑)

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posted by kjiro77 |15:44 | 八咫烏考 | コメント(9) | トラックバック(0)
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