2008年03月31日
3月30日はディファ有明にTHE OUTSIDERを見に行ってきました。
アメリカでUFCが巨大化する中、日本の総合格闘技はもはや「最強」というコンセプトではなく、前日に行われたDEEPのメガトンGPやこのTHE OUTSIDERのように、コンセプトでしっかりと独自色を出すのがいいと思います。
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ディファ有明の駐車場の風景がいつもと違うように感じましたが、試合については思った以上に荒れずにスムーズに進行。出場者のみなさん、けっこう普通に総合格闘技ができるんですねぇ。もっと型破りな人がいてもよかったのかも。
その後は後楽園ホールに移動して新日本プロレスを観戦。
ここでは、新日本とZERO1MAXとの対抗戦を見る客席の熱が凄まじくてビックリしました!やっぱり対抗戦はこうじゃないと。一瞬、昔のWARとの対抗戦を思い出しましたもん。
あ、そうそう、悪の限りを尽くすGBHも立派な“不良”として、THE OUTSIDERにエントリーしてもいんじゃないでしょうか。パワーボムは禁止だから、矢野通の鬼殺しは禁止ということになりますが。
posted by kiyono |22:15 |
2008年03月30日
3月29日は六本木にて、中邑真輔&後藤洋央紀&ミラノコレクションATの3選手と、トークイベントでご一緒しました。
そこで、中邑さんが持ってきた4代目のIWGPチャンピオンベルトを触らせてもらったところ、これが本当に重いッ!重さは約8キロだそうです。8キロって言ったら米袋とそんな変わりませんよ。
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製作は、マニアならご存知のレジー・パークス。特徴は初代、2代目、3代目のデザインがところどころに散りばめられていることの他に、新日本プロレスのロゴマークとチャンピオンのネームプレートがあることでしょうか。WWEなどでもネームプレートはありますが、このベルトには過去のチャンピオンのプレートも付いているのです!
そういえば、ワタクシが小学生だった1980年代の前半、家の近所に100円を入れたらおもちゃが入ったカプセルが出てくる通称「ガチャガチャ」と呼ばれる自動販売機に、チャンピオンベルトを模ったバッジが当たるシリーズがありました。ワタクシはWWWFヘビー級とWWFインターナショナルヘビー級のバッジを持っておりましたが、あれって、どこのメーカーが作ってたんだろ。けっこうリアルな作りだったなぁ。
ちなみに、ベルトの持ち主である中邑さんは昨日、修斗の新チャンピオンになった門脇英基とお友達だそうです。
posted by kiyono |12:41 |
2008年03月29日
3月28日は後楽園ホールにプロ修斗を見に行ってきました。
メインイベントは「カドワキコール」と「タムラコール」のぶつかり合いが凄かったですね。一瞬、昭和50年代の長州力VS藤波辰巳の試合を思い出しましたよ。試合は判定で決着したものの、けっこう際どかったと思います。
会場で販売された日本修斗協会の広報誌・修斗ニュースには「国内在住プロシューター名鑑」が付いていまして、この中に創始者・佐山聡の情報も掲載されていたのがよかったです。ところで、佐山聡が修斗を離れた理由ってワタクシは10年以上経った未だに知らないんですけど・・・ご存知の方がいたら教えて下さい。
会場ロビーに展示された額縁。5月のJCBホール大会のタイトルだとか。
字はタレントの関根勤さんによるものです。
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posted by kiyono |21:41 |
2008年03月27日
3月26日は後楽園ホールにパンクラスを見に行ってきました。隣の東京ドームではメジャーリーグの試合があったみたいで、周辺は混雑していました。
で、ここ最近のパンクラスはいつもそうなのですが、印象に残るのは外国人選手の強さ。ブラジル人のマルロン・サンドロは次戦、前田吉朗との試合が面白そうです!
それから、この日はLaughter7の選手、U-FILE CAMPの選手、髙田道場の選手などに混じって金原弘光も復帰。あ、またUWFインター!とか思っちゃいますね。そのうち金原道場の選手もパンクラスに出てくるかも・・・。
場内にはブラジルとロシアの国旗が掲揚されておりますが、かつてのゲーリー・オブライトのように強い外人選手の継続参戦を期待したいです。客席後方には田村潔司を発見しました。
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posted by kiyono |10:49 |
2008年03月24日
3月23日はサムライTVの実況の仕事で、尼崎市記念公園総合体育館に行ってきました。新日本プロレスの「NEW JAPAN CUP 2008」の決勝戦です。
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いつものようにリングサイドに座って第1試合からメインイベントまでを喋ることに加え、この日はトーナメント優勝者の棚橋弘至にインタビューするため、試合終了後のリングに上がりました。
ライトが当たって、観客の視線が集まるリング。
その中央に立つというのは何というか、特別な緊張感に包まれるもんです。実は過去にも何度かリングに上がった経験ありますが、やっぱり緊張は変わりませんね。最近はリング上でファンが勝利者賞を手渡す光景も珍しくないものの、子供の頃からプロレス好きだったワタクシにとっては、やっぱり特別なものです。初めて上がった時なんて足が震えましたもん(2004年に初めてIWGPタッグ王者になった棚橋弘至&中邑真輔の2人への勝利者インタビューでした)。
特に新日本のリングは他の団体以上に、素人を寄せ付けない空気があるような気がします。もちろん、それがいいんですけど。
リングの上は観客の声援はもちろん、野次もはっきり聞き取れました。そうした声をダイレクトに聞きながら仕事をするのがプロレスラーという仕事なんですね。
そんなわけで、実況やってリングに上がって、また放送席に戻って喋って・・・夜はぐったりと寝たのでした。
posted by kiyono |21:26 |
2008年03月19日
3月18日に韓国で開催されているレスリングのアジア選手権のニュースが入ってきました。
それにしても、フリースタイル60キロ級で日本大学の高塚紀行が決勝で敗退、というニュースは残念!
というのもワタクシ、今月初旬にナショナルトレーニングセンターで練習を見学する機会があったものですから、今回のアジア選手権にはこれまで以上に注目し、そして、密かに高塚を応援していたのです。
先ほど日本テレビで放送された決勝戦を見ましたが、あと一歩のところだったけに本人も悔しそうでしたねぇ・・・。やっぱり、1回でも選手本人と会うと思い入れが変わってくるもんです。
昨年、山本"KID"徳郁が挑戦して話題になった「激戦区の60キロ級」。
個人的には引き続き、高塚紀行を応援しながら見ています。
posted by kiyono |01:36 |
2008年03月12日
3月11日は後楽園ホールにボクシングを見に行ってきました。
今月は世界戦ラッシュですが、ワタクシが見たのは「GOLDEN CHILD BOXING vol.86」というイベントで、知人である金子ジムの山川和風さんの試合目当てに足を運んだのです。
4回戦が5試合続いた後で、6回戦が5試合。何というか、場内はキックボクシングや総合格闘技とは違ったムード(雰囲気)で、いつも足を運んでいる後楽園ホールとは違った印象でした。
山川さん、6R戦い抜いて見事に判定勝ち。
ワタクシも素人ながら手元で採点しておりまして、自分のスコアと一致した結果にもちょっと安心したのでした。
posted by kiyono |01:33 |
2008年03月09日
3月5日は国立代々木競技場第一体育館に戦極を見に行ってきました。
出場選手の顔ぶれはもちろん、5本ロープのリングや青色のオープンフィンガーグローブなど、ハード面もかなりPRIDEを思い起こさせるものがありましたねぇ。でも、せっかくだから、従来の格闘技イベントと全然違うものにしても良かったかも・・・。いずれにせよ、イベントというものは、試合と演出の両方のクオリティーが必要で、その両方のクオリティーを突き詰めたPRIDEは奇跡的なイベントだったのかもしれません。
とにかく、出場した選手たちが異口同音に「戦極をよろしく!」とマイクで挨拶する姿は、たいへん好感が持てたのでした。
それにしても、ジョシュ・バーネットのバックドロップは凄かった・・・。映像が脳裏に焼き付いています。
posted by kiyono |02:22 |
2008年03月04日
3月2日は日本武道館にプロレスリング・ノアを見に行ってきました。
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全9試合のうち、後半3つの試合がそれぞれ20分を超えるというのはノアらしいですね。5時から始まった大会が終わったのは8時半すぎ。あ、リングの上になんで蝶野正洋がいるの??と思ったら井上雅央でした。後ろ姿そっくりです。
実はワタクシは今度、小橋建太&金丸義信、KENTAの3人で開催されるトークショーの司会をやることになったので、いろいろと3人についてリサーチ中でして、KENTAのデビュー戦って、あの船木誠勝VSヒクソン・グレイシーの一戦が行われた日の前日だったことに気づいて少しビックリ。
当日に備えて今、当時の東スポを読み返したりしていますと、この「西暦2000年」という年はプロレスの世界では特別な年ということがわかります。なにしろ、ジャンボ鶴田さんが突然亡くなり、全日本プロレスの大量離脱からノア旗揚げという大激震発生。また、引退していた長州力は大仁田厚相手に復帰して、それに対してアントニオ猪木が激怒!一方でリングスがKoKルールを適用すれば、パンクラスではオープンフィンガーグローブの着用が義務づけられるなどUWF系の2団体が総合格闘技として確立された重要な時期。そして、その直後にはPRIDEが最初のグランプリが開催して人気が爆発。それが、大晦日の格闘技興行へと繋がっていくのはご存知の通り。
つまり、2000年というのは、今現在2008年のプロレス&格闘技界の流れができた極めて重要な一年だということがわかります。こうした過去の振り返り作業は楽しくて仕方がないのですが…取締役の一人としてノア設立に参加した小橋建太の当時の年齢は33歳。今の自分がその年齢を超えていることにオドロキですねぇ。
今度のトークショーではそんな話もしようかなぁと、ぼんやりと考え中です。
posted by kiyono |21:31 |