2011年12月30日

【闘いの歴史】1995年12月30日〜大晦日の格闘技イベントの原点「突然卍固め」が開催された日

脳内日めくりを持つ男、清野茂樹が愛と独断で格闘技版『今日は何の日?』を作る連載コーナー。 

1995年12月30日
大晦日の格闘技イベントの原点「突然卍固め」が開催された日

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いよいよ明日に迫った「元気ですか!!大晦日!!2011」。今年はボクシングの世界戦も2カ所で開催されるなど、今や大晦日に格闘技イベントは欠かせないものとなりました。

大晦日の格闘技イベントの始まりは、アントニオ猪木を旗頭にK-1、PRIDE、TBSが10年前に開催した「INOKI BOM-BA-EYE」ですが、その前身は前年2000年の大晦日に大阪ドームで開催されたプロレス興行「Millenium Fighting Arts INOKI BOM-BA EYE」で、さらに原点を遡れば1995年の12月30日に大阪城ホールで開催された「突然卍固め-INOKI FESTIVAL」というイベントに行き着きます。

これはアントン・トレーディングが主催の興行で、現役の国会議員だった猪木はもちろんのこと、新日本プロレスをはじめ、UWFインターナショナル、全日本女子プロレスからも選手が参加して全7試合が行われました(武藤敬司、橋本真也、長州力、佐々木健介、獣神サンダー・ライガーはトークショーで参加)。

なお、試合は猪木と高田延彦が初めてタッグを結成し、3本勝負で勝利。2本目では猪木が山崎一夫にフォール負けしており、これは猪木が日本人(後輩)に喫した数少ない黒星として記録に残っています。


<試合結果>
▼突然卍固め INOKI FESTIVAL@大阪城ホール
  60分3本勝負
 ○アントニオ猪木&高田延彦(2-1)藤原喜明&山崎一夫×
  [1本目]○猪木(5分11秒/体固め]山崎×
 [2本目]×猪木(8分16秒/体固め)山崎○
 [3本目]○猪木(5分39秒/ギブアップ)藤原×


posted by kiyono |12:36 | 闘いの歴史 |
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2011年12月18日

【闘いの歴史】1991年12月18日〜馳浩がタイガー・ジェット・シンと巌流島で対戦した日

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1991年12月18日
馳浩とタイガー・ジェット・シンが巌流島で対戦した日

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今からちょうど20年前、1991年のこと。馳浩とタイガー・ジェット・シンが巌流島(山口県下関市)で対戦した日です。同地でのプロレスは1987年に行われたアントニオ猪木VSマサ斎藤戦以来、4年2か月ぶりで、観客のいない中で相手を倒し、先に島を出た方が勝ちという、世界でも類を見ない完全決着ルールの決闘です。 なぜ完全決着させる必要があったかと言えば、この試合にはアントニオ猪木との対戦権が懸かっていたため。つまり、当時は現役の国会議員だった猪木と対戦できる機会はそれほど貴重だったのです。 試合は野外に組まれたリングで午後2時44分開始。 70人の報道陣が見守る中、1時間を超す大流血戦を制した馳は翌年1月に闘魂三銃士よりも早く、猪木とのシングルマッチを実現させ、名勝負を展開。それまでは新日本プロレスでは中堅に甘んじていた馳が、トップグループの仲間入りを果たす契機となった一戦でした。
<試合結果> ▼ 時間無制限1本勝負  ○馳浩(1時間11分24秒/KO)タイガー・ジェット・シン×


posted by kiyono |18:54 | 闘いの歴史 |
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2011年11月29日

【闘いの歴史】1989年11月29日〜UWFが東京ドーム大会を開催した日

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1989年11月29日
UWFが東京ドーム大会を開催した日

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新日本プロレスから独立したプロレス団体UWFが東京ドームで興行を開催した日。大ブームを巻き起こしたUWFの人気が頂点に達した瞬間とも言えます。プロレス団体の東京ドーム進出は、老舗の新日本プロレスに次いで2番目でした。

格闘技スタイルを標榜したUWFは格闘家を多数招聘し、異種格闘技戦を6試合マッチメイク。所属選手わずか10人ちょっとで6万人の大観衆を集めた事実からもUWFがいかに人気が高かったかが伺えます。

エースである前田日明は初めて柔道家と対戦(のちにリングスで前田の好敵手となるディック・フライの初来日もこの日でした)。PRIDEが東京ドームで産声を上げたのがこの8年後であり、この興行はのちに続いていく格闘技興行の原点とも言える大会として歴史に残っています。

<試合結果>
U-COSMOS@東京ドーム
▼ 異種格闘技戦 5分×7R
 ○前田日明(2R 1分28秒/ギブアップ)ウイリー・ウイリヘルム×


posted by kiyono |23:16 | 闘いの歴史 |
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2011年11月25日

【闘いの歴史】1978年11月25日〜アントニオ猪木がローラン・ボックに敗れた日

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1978年11月25日
アントニオ猪木がローラン・ボックに敗れた日

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モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦以降、世界中から挑戦状が届くようになったアントニオ猪木が1978年、西ドイツのシュツットガルトにて当時日本では全く無名だったプロレスラー、ローラン・ボックの挑戦を受けた試合です。

現地に渡った猪木に用意されたのは、約3週間で20戦を超えるハードな連戦、さらに硬いマット馴れないラウンド制など不利な条件ばかり。そんな中で、猪木が唯一喫した黒星として今もファンの間で語り草になっているのがこの一戦で、試合の土地から、のちに“シュツットガルトの惨劇”とも呼ばれています(ちなみに、このツアーで猪木とボックは3度対戦し、1勝1敗1分け)。

また、猪木にとっては、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンに続く、ヨーロピアンレスラーと残した名勝負としての意味もある試合。しかも、海外で行われたことから、現地で観た日本人も少なく、謎に包まれた部分を残しています。猪木35歳、ボック34歳でした。



<試合結果>
キラー・イノキ・ヨーロッパ・ツアー@西ドイツ・キーレスブルグホール
▼ 4分×10回戦 
 ×アントニオ猪木(10R/判定1-2)ローラン・ボック○


posted by kiyono |19:28 | 闘いの歴史 |
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2011年09月17日

【闘いの歴史】1992年9月17日〜秋山準がデビューした日

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1992年9月17日
秋山準がデビューした日

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秋山準が全日本プロレスでプロレスラーとしてデビューした日。アマチュア時代は全日本学生選手権で準優勝に輝いた実績を持ち、鳴り物入りで入団した秋山は、デビュー戦からいきなりセミファイナルに登場、しかも相手はトップ選手の小橋健太ということからも、破格の待遇だったことがわかります。

師匠のジャイアント馬場は75点と辛口採点でしたが、この試合で新人とは思えない巧みな試合内容を見せた秋山は、一躍、トップ戦線に食い込んでいったのでした(デビュー3戦目では、実力者のピート・ロバーツ相手からプロ初勝利!)。

また、この3日前の14日には永田裕志が、4日後には石沢常光がそれぞれ新日本プロレスでデビュー。さらには、同じ専修大学出身の中西学が10月にデビューするなど、アマチュアからの転向組のデビューが続いた時期だったというのも見逃せないポイントです。


<試合結果>
全日本プロレス 旗揚げ20周年謝恩祭@後楽園ホール
▼ 45分1本勝負
 ○小橋健太(12分53秒/エビ固め)秋山準×


posted by kiyono |18:19 | 闘いの歴史 |
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2011年09月11日

【闘いの歴史】2005年9月11日〜ビッグマウス・ラウドが旗揚げした日

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2005年9月11日
ビッグマウス・ラウドが旗揚げした日

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村上和成が社長を務め、柴田勝頼がエースというプロレス団体、ビッグマウス・ラウドが旗揚げした日。この年の1月に新日本プロレスを退団した彼らは、同じく、元新日本プロレスのフロント、上井文彦氏とともに「ストロングスタイルの復興」を掲げての独立でした。

結果的に、わずか1年未満で分裂の道をたどりますが、スーパーバイザーに前田日明が就任したことをはじめ、この日の旗揚げ戦に木戸修、藤原喜明、山崎一夫ら元UWFメンバーが集結。さらには、引退していた船木誠勝がリングに上がって現役復帰を示唆するなど、ファンの期待を大きく膨らませたことは間違いない事実です。

時代は、永島勝司氏が立ち上げたWJプロレスが活動を休止した直後。元新日本プロレスメンバーによる新団体の旗揚げの流れは、翌2006年の無我ワールドプロレスリング、2007年のIGFプロレスリングと、あと2年続くこととなるのでした。



<試合結果>
BIG MOUTH ILLUSION〜BIG MOUTH LOUD旗揚げ戦@後楽園ホール
▼ 60分1本勝負
 ×柴田勝頼(9分44秒/体固め)村上和成○


posted by kiyono |23:37 | 闘いの歴史 |
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2011年08月25日

【闘いの歴史】1977年8月25日〜ジャンボ鶴田とミル・マスカラスが闘った日

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1977年8月25日
ジャンボ鶴田とミル・マスカラスが闘った日

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メキシコの覆面レスラー、ミル・マスカラスの人気の絶頂期については1977年というのが定説。その時期に残した最高の名勝負が、当時26歳のジャンボ鶴田のUNヘビー級王座に挑戦した試合です。

色鮮やかなコスチュームと華麗な空中技で人気者になったマスカラスの初来日は1971年の日本プロレスでしたが、1973年以降は全日本プロレスに移籍。やや落ち着いてきた人気が、入場テーマ曲に「スカイ・ハイ」の使用し始めたこの年、再び高まったのでした。

当時としては異例のベビーフェイス同士の対戦は、屋外で雨に降られたというシチュエーションも含めて今も語り草。マスカラスが9度目の来日で残したベストバウトです。

<試合結果>
全日本プロレス サマーアクションシリーズ第2弾@田園コロシアム
▼UNヘビー級選手権試合 60分3本勝負 
 ○ジャンボ鶴田(2-1)ミル・マスカラス×
   ×鶴田(22分48秒/ギブアップ)マスカラス○
   ○鶴田(7分46秒/片エビ固め)マスカラス×
   ○鶴田(3分20秒/リングアウト)マスカラス×


posted by kiyono |01:16 | 闘いの歴史 |
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2011年08月15日

【闘いの歴史】2004年8月15日〜小川直也がエメリヤーエンコ・ヒョードルと闘った日

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2004年8月15日
小川直也がエメリヤーエンコ・ヒョードルと闘った日

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プロレスラーが総合格闘技のリングに上がることによって話題を呼んだ、恐らく最後の試合。それだけ話題になったのはやはり、小川直也がアマチュアで残した絶大な実績に起因します。

当時のPRIDE GPと言えば、世界の強豪がひしめく過酷なリング。そこに「ハッスルのために出場する」と宣言したことで、多くのプロレスファンから共感を呼び、会場には4万7629人もの大観衆が詰めかけたのでした。

試合はPRIDEヘビー級王者、エメリヤーエンコ・ヒョードル相手にわずか54秒で一本負けを喫しますが、敗れた小川に大拍手。1997年のプロデビュー以来、プロレスファンから十分な支持をされてこなかった暴走王が、初めて完全なる善玉として闘った試合でもあり、負けても価値を下げない真のプロレスラーになった記念すべき日です。


<試合結果>
PRIDE GP 2004 FINAL ROUND@さいたまスーパーアリーナ
▼PRIDE GP 2004準決勝 
 ×小川直也(1R 54秒/一本)エメリヤーエンコ・ヒョードル○ 


posted by kiyono |14:41 | 闘いの歴史 |
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2011年07月29日

【闘いの歴史】1988年7月29日〜闘魂三銃士が初登場した日

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1988年7月29日
闘魂三銃士が初登場した日

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武藤敬司蝶野正洋橋本真也“闘魂三銃士”と呼ばれる3人が初めてタッグを結成した記念日です。当時の武藤が25歳、蝶野が24歳、橋本が23歳でした。

新日本プロレスは、この年の春からテレビ中継が夕方枠に移行したばかりで、人気低迷の時期。

「3者3様」と言われる彼らは、遠征先もバラバラで、プエルトリコ帰りの武藤、ヨーロッパからアメリカのカンザスを1年かけて転戦した蝶野、カナダのカルガリーから9か月ぶりに戻ってきた橋本が、この一戦のためだけに揃って帰国、IWGP王者に挑んだのでした(試合時間は短かったものの、試合終了後、3人が藤波相手に同時に放ったドロップキックは、その後の活躍を予感させるシーンとして脳裏に焼き付いています)。

この3人で「G1 CLIMAX」の優勝を争うのは、これから3年後の話。90年代の新日本プロレスの繁栄の前段階として、忘れてはならない試合です。


<試合結果>
新日本プロレス サマーファイトシリーズ@有明コロシアム
▼60分1本勝負
 ×藤波辰巳&木村健悟&越中詩郎(8分23秒/反則)武藤敬司&蝶野正洋&橋本真也○ ※武藤が藤波に勝利


posted by kiyono |21:45 | 闘いの歴史 |
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2011年07月25日

【闘いの歴史】1974年7月25日〜覆面世界一決定戦が行われた日

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1974年7月25日
覆面世界一決定戦が行われた日

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ザ・デストロイヤーミル・マスカラスという覆面レスラー同士が、全日本プロレスのリングで対戦した記念すべき日です。両者の対戦は前年秋に続き2度目でしたが、夏休みに合わせて実現した人気者対決は、ファンを興奮させました。

この時期、ライバル団体の新日本プロレスはNWF王者アントニオ猪木とカール・ゴッチによる「実力世界一決定戦」を看板にしており、それに対してジャイアント馬場が、使った切り札的カードと言えます。

なお、試合はデストロイヤーが、足4の字固めで一本取られたら200万円払うという条件をクリアしての、貫禄勝ち。

同時期、新日本プロレスに来たジョニー・パワーズの8の字固めとデストロイヤーの4の字固めの威力について、ファンの間では議論が交わされるなど、馬場と猪木の対立によって生まれた幻想がいくつもあった時代でした。


<試合結果>
全日本プロレス サマーアクションシリーズ@日大講堂
▼USヘビー級選手権試合 61分3本勝負
 ○ザ・デストロヤー(2-1)ミル・マスカラス×
  【1本目】○デストロイヤー(16分3秒/体固め)マスカラス×
  【2本目】×デストロイヤー(4分52秒/体固め)マスカラス○
  【3本目】○デストロイヤー(7分25秒/試合放棄)マスカラス×


posted by kiyono |13:07 | 闘いの歴史 |
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2011年07月17日

【闘いの歴史】2006年7月17日〜棚橋弘至が初めてIWGP王者になった日

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2006年7月17日
棚橋弘至が初めてIWGP王者になった日

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現在、新日本プロレスのエースとして君臨する棚橋弘至が初めてIWGP王者になった日です。棚橋は29歳で、キャリア6年8か月でのことでした。

当時の新日本プロレスはサイモン・ケリー社長、長州力現場監督という体制。

この試合のために、それまで保持していたU-30王座を返上した棚橋は、当初はブロック・レスナーの持つ王座に挑戦が決定していたものの、王者の一方的な来日キャンセルでにより、事態はまるで“乱気流”に巻き込まれたかのような急展開。急遽行われた王座決定トーナメントを制して棚橋が初めてIWGP王座を手にします。

興行会社としての信頼が失墜した中で誕生した王者はその後、時間をかけて、少しずつ新しいファンを獲得していくのはご存知の通り。いわゆる、「棚橋時代の幕開け」として語られる記念碑的な試合として、今も語られる一戦です。


<試合結果>
新日本プロレス Circuit2006 Turbulence〜乱気流@月寒グリーンドーム
▼60分1本勝負
 ○棚橋弘至(17分44秒/片エビ固め)ジャイアント・バーナード×


posted by kiyono |15:54 | 闘いの歴史 |
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2011年06月17日

【闘いの歴史】1986年6月17日〜アントニオ猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪った日

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1986年6月17日
アントニオ猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪った日

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2メートル23センチ250キロという巨体で無敵を誇った、フランス人レスラーのアンドレ・ザ・ジャイアント。あまりに強すぎるがゆえに、一時期はフォール勝ちした者には賞金が懸けられたこともあるほどでした。

そんな無敵の大巨人から唯一のギブアップを奪ったのが、1986年のアントニオ猪木。猪木はこの年のIWGPに優勝していますが、アンドレを屈服させたことはそれよりも価値ある偉業として、今も語り継がれています。1974年の初対決から数えて、21戦目のことでした。

当時の猪木は43歳、アンドレは40歳。この一戦をもって新日本プロレスでの役割を終えたアンドレは4年後、全日本プロレスに移籍。結果的に猪木とアンドレの両者にとって最後の対戦となりました。


<試合結果>
新日本プロレス 86 IWGPチャンピオンシリーズ@愛知県体育館
▼30分1本勝負
 ○アントニオ猪木(9分30秒/ギブアップ)アンドレ・ザ・ジャイアント×


posted by kiyono |12:03 | 闘いの歴史 |
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2011年06月08日

【闘いの歴史】1990年6月8日〜三沢光晴がジャンボ鶴田に初勝利した日

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1990年6月8日
三沢光晴がジャンボ鶴田に初勝利した日

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2代目タイガーマスクとして活躍していた三沢光晴が、1990年5月に素顔になって、初めてジャンボ鶴田から勝利を挙げた日です。しかも、舞台は日本武道館という大会場のメインイベントでした。

この試合に関して重要なのは、結果。つまり、格下と思われていた三沢が絶対的エースの鶴田に勝利したという事実であり、この勝利を機に三沢は新たなスターの座を勝ち取ったのでした。当時の三沢27歳、鶴田39歳での試合です。

また、この年の4月には新日本プロレスに武藤敬司が凱旋帰国し、同じ月に佐竹雅昭が全日本キックボクシングでドン・ナカヤ・ニールセンにKO勝ちするなど、90年代の幕開けと同時に、あちこちのリングで多くのスター選手が現れたという偶然も見逃せません。


<試合結果>
全日本プロレス 90スーパーパワーシリーズ@日本武道館
▼60分1本勝負
 ×ジャンボ鶴田(24分06秒/片エビ固め)三沢光晴○


posted by kiyono |23:51 | 闘いの歴史 |
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2011年05月27日

【闘いの歴史】1983年5月27日〜アントニオ猪木と前田日明が対戦した日

脳内日めくりを持つ男、清野茂樹が愛と独断で格闘技版『今日は何の日?』を作る連載コーナー。 

1983年5月27日
アントニオ猪木と前田日明が対戦した日

maeda

アントニオ猪木とその弟子である前田明(当時)が唯一のシングルマッチを行った日です。当時の猪木は40歳、前田は入門から6年経った24歳でのことした。

この頃の前田は若手のホープで、世界各地の強豪が集まって行われた「IWGP」にヨーロッパ代表として参加。当時、社長だった猪木とは、天と地ほどの序列に差がありましたが、大会が総当たりリーグ戦だったため、師匠である猪木と初めてシングルマッチで闘う機会が訪れたというわけです。

日程上、この試合がリーグ戦最後だった前田は、持てる力をすべて発揮するも惜敗。次回の対戦が期待されましたものの、以降、両者のシングルマッチは一度も実現せず、結果的に最初で最後の対戦となったのでした。


<試合結果>
新日本プロレス IWGP決勝リーグ@高松市民文化センター
▼60分1本勝負
 ○アントニオ猪木(12分57秒/体固め)前田明×


posted by kiyono |17:23 | 闘いの歴史 |
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2011年05月22日

【闘いの歴史】2004年5月22日〜ROMANEXが開催された日

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2004年5月22日
ROMANEXが開催された日

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K-1とPRIDEによる興行戦争が最も激化していた2004年。それまでは立ち技格闘技を運営していたK-1が、TBSのバックアップを受けて、ついに「ROMANEX」という名称で、初の総合格闘技イベントを立ち上げた日です。

「格闘技世界一決定戦」をコンセプトに掲げたこのイベントは、ボブ・サップVS藤田和之をはじめ、K-1ファイターとプロレスラーによる試合が中心にマッチメイクされ、新日本プロレスからも中邑真輔、ジョシュ・バーネット、ブルー・ウルフらが出場を果たします(当時、サップが保持していたIWGP王座を藤田戦に懸けようとしたK-1に対し、新日本プロレスが待ったをかける一幕も)。

また、前年大晦日には、日本テレビに移籍したアントニオ猪木も招聘。「INOKI BOM-BA-YE」で成功した「K-1」「猪木」「TBS」というトライアングルで、テレビ視聴率13.7%を記録したものの、イベントは継続されず、結果的に「ROMANEX」の開催は、これが最初で最後となりました。



<試合結果>
FieLDS ROMANEX@さいたまスーパーアリーナ
▼K-1 MMAルール 5分×3R
 ×ボブ・サップ(1R 2分15秒/TKO)藤田和之○


posted by kiyono |17:35 | 闘いの歴史 |
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