2010年02月06日

【闘いの歴史】1976年2月6日〜アントニオ猪木とウイリエム・ルスカが初対決した日

脳内日めくりを持つ男、清野茂樹が愛と独断で格闘技版『今日は何の日?』を作る連載コーナー。 

1976年2月6日
アントニオ猪木とウイリエム・ルスカが初対決した日

rusuka

アントニオ猪木が柔道家のウイリエム・ルスカと日本武道館で対戦した日です。ミュンヘン五輪の柔道無差別級と重量級の金メダリストのルスカにとっては、プロ転向初戦。そして、猪木にとっては初の異種格闘技戦でした。

「格闘技世界一決定戦」として話題を集めたこの一戦は、プロレスラーと柔道の金メダリストが闘うという斬新なアイデアはもちろん、試合当日まで、ファンの関心を惹きつけたストーリーが素晴らし過ぎます。「プロレスが勝つか?柔道が勝つか?」で期待を膨らませると同時に「もしかしたら、この世紀の一戦はご破算になってしまうのではないか」と気を揉ませるあたりが実にお見事!

1月7日
帝国ホテルで両者揃っての記者会見。

1月29日
プロレスの巡業を続ける猪木は、タイガー・ジェット・シンのサーベル攻撃で顔面を12針縫う大ケガ。医師はルスカ戦の延期、もしくは坂口征二代打案を求める。猪木は自宅療養。

1月31日
自宅療養中の猪木のマンションの隣室で火事が発生。人命救助に協力した猪木に対して、渋谷消防署から感謝状が贈られる。

2月2日
レフェリー問題が紛糾。カール・ゴッチ、ルー・テーズを推薦した興行主催者の猪木に対し、ルスカはプロレスラーのレフェリーを拒否。

2月4日
ルスカが東京スポーツ井上社長と会談し、ルールとレフェリーについて一任。

2月6日
猪木はシンとの試合で負った傷を病院で抜糸して、試合会場の日本武道館へ直行。試合はバックドロップ3連発を喰らったルスカのセコンドからタオル投入。猪木のTKO勝利。

このように、試合決定から決戦に至るまでの出来事は、まさに紆余曲折。1月31日に猪木の自宅隣で起きた火事はまったくの偶然でしょうが、しかし、こんな偶発的な事故をもルスカ戦への話題にしてしまう、猪木のパワーには恐れ入ります。モハメド・アリ戦という野望の実現に燃えていた当時の猪木、33歳でした。

なお、試合は当日、NETテレビが生中継するも、試合終了まで放送できずに抗議が殺到。翌朝の読売新聞や朝日新聞もスポーツ面で結果を報じるなど、「世間を振り向かせたい」という猪木の作戦は的中!そして、異種格闘技戦という新しい扉を開けた猪木は、試合後、総合格闘技の時代到来を予感させるような以下のコメントを残しています。

すべての格闘競技が、ある意味では転換期にさしかかっていると思うんです。私は戦うことによって、新しい戦いのルールを確立したいと思っています。(76年2月8日「東京スポーツ」より)



<試合結果>
新日本プロレス 新春黄金シリーズ@日本武道館

  1. ○荒川真(12分49秒/首固め)栗栖正伸×
  2. ○永源遥(8分19秒/逆エビ固め)小沢正志×
  3. ×藤原喜明(10分45秒/逆エビ固め)イワン・ゴメス○  
  4. ×木村たかし(6分25秒/体固め)スティーブ・ライト○
  5. ○星野勘太郎&山本小鉄(8分15秒/体固め)ジ・インフェルノ2号&3号 ※山本が3号に勝利
  6. ○ストロング小林(9分20秒/逆エビ固め)ブルドッグ・オットー○ 
  7. ○坂口征二(12分21秒/反則)タイガー・ジェット・シン×
  8. ○アントニオ猪木(20分35秒/TKO)ウイリエム・ルスカ×

posted by kiyono |15:35 | 闘いの歴史 |
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