2008年09月25日

【ACL】勝者と敗者を分けたもの 【キリタニ】

アデレードは強いチームだった。
豪州のチームにして、しっかりとポゼッションして押し上げられるし、守りに入る局面でもDFラインの判断に硬直した偏りが無く、繋ぐ場面、蹴る場面をきちんと使い分けられていた。カウンターの際にも、少し前が詰まればボールのアウトサイドをオーバーラップしてゆく腰の入った攻めを展開してくるし、0-0で良いこの試合にも積極的に点を取りに行くサッカーをしていた。
サッカーのスタイルとして、これまでのオーストラリア代表のそれを一段上回るクリエイティブな組織性を感じたし、このチームであればJリーグに入っても充分優勝争いに絡んでくるチームであると見受けられた。これもビドマーさんの手腕なのだろう。彼は本当に良いチームを作ったと思う。

一方の鹿島はこのところの不調により、チーム本来の実力が出し切れない状況でこのゲームを迎えてしまった。疲れもあるだろうし、小笠原満男や新井場徹の不在も響いていただろう。そしてやはり今年は、見ていて何か物足りないものを感じるのだ。そこにはやはりACLによる過密スケジュールもあるだろうし、チームとして乗っていかなければならない時期に、北京五輪によって内田篤人を欠いて戦わなければならなかったことも痛かっただろう。同じく北京五輪により安田理大を欠きながらACLのグループリーグを戦わねばならなかったガンバ大阪も同じように苦しんでいる訳で、このACLグループリーグを戦うクラブに対して、日程面含めたもう一ひねりのアイディアを、クラブチームは勿論、Jリーグ、そしてJFAも考えなければならないタイミングなのかも知れない。代表スケジュールも含めての包括的な施策を…である。

この試合に関していえば、やはり初戦同様中央を固めたアデレード守備陣のゴールをこじ開けるために、鹿島はPA内にもっともっと人数を割いていかねばならなかったような気がする。フォーメーション的な要素もあり、どうしても2トップの一人がサイドでのチャンスメークに回ると、中の勝負どころのゾーンに頭数が足りなくなる。それを補完する3列目の飛び出しに、積極性と勇気が欠けていたのかも知れない。最初から0-1で負けていた試合だったのだ。そういう認識で、1点取られるとしてもとにかく1点取るために、最初からロスタイム残り4分の気迫で遮二無二攻めるべきだった。もっとがむしゃらにゴール前、PAに突っ込んでゆくべきだった。見ていてそれが歯がゆかった。

浦和はやはりチャンピオンらしい気迫と執念を見せてくれた。

球際の1シーン1シーンに、この日の鹿島では及ばない“強い気持ち”が見受けられた。きっと彼らは、何よりもこのACLに賭けていたのだと思う。ここで勝つ事が、どれだけの意味を、価値を持つのかを知っているのだと思う。鹿島のようなチームであれば、Jリーグの優勝を狙うのは毎年でも可能だろう。が、ACLのGLを1位抜けして、このACLベスト4を争うゲームに進出できるチャンスは、その短い選手生活の中でいったい何度あるだろうか?

きっと選手たちは必死で戦ったのだろう。この試合に命を賭けたと言えるぐらい頑張ったのだろう。けれども浦和に敗れ泣きじゃくるアルカディシアの選手たちを見て、またボロボロに疲弊しながら、最後の最後まで、ぶっ倒れるまでボールを追い続けた浦和の細貝萌や阿部勇樹、坪井慶介や闘莉王の、その感動的なまでの戦う姿を見せつけられて…、僕はまだまだ鹿島の執念は足りていなかった…と思った。失礼を承知で、まだまだ甘い、ぬるかったのだ…と思った。その“気持ち”があれば勝てた…とは思わないが、それ無くして敗れた鹿島は、本当の鹿島ではない気がした。そして、だからこそ、Jを死ぬ気でもぎ取れっ!と言いたい。このままズルズルと敗れ去るな…と。

鹿島には、鹿島だからこそ見せ付けねばならぬ、貫かなければならぬ意地があると思う。
鹿島のここからの戦いを注視してゆきたい。彼らはいつだって強く在り続けなければならない。そういうクラブなのだと僕は思う。

アデレードは洗練された戦術を持つ素晴らしいチームである。そしてジーコの監督就任も噂されるクルブチも非常に強いチームであるという。浦和レッズ、そしてガンバ大阪、どちらが勝ちあがっても厳しい決勝戦となることだろう。次の準決勝2試合、この国の歴史に残る最高のゲームを、この両チームには期待したい。全アジアが熱狂するような、最高のゲームを。

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キリタニ100法『思い出の曲No.03

posted by 桐谷 |11:44 | ACL&CWC | コメント(13) | トラックバック(1)
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2008年09月24日

Jで今一番良いサッカー/一言コラム 【キリタニ】

Jリーグで今いちばん良いサッカー、僕の好きなサッカーのカタチを見せてくれているのはどこか…といえば、それはサンフレッチェ広島である。昨年の降格時にも書いたが、あそこでペトロヴィッチ監督を解任しなかったフロントのサッカーへの理解、哲学、そして勇気と信念は高く評価すべきであると思う。
結果のみを見ていては絶対に出来なかった決断。クラブの未来像、そのビジョンを明確に描いてこそ、はじめて成し得た決断であったと思う。このクラブの快進撃を僕は今本当に嬉しく思う。(2008/09/16)

スカパーで久しぶりにオシムさんのインタビューを拝見した。
左手はまだ自在に動くまでには至っていないようだが、頭脳はそのままに明晰で、厳しい眼差しと柔和な微笑みを交えながら、これからのUEFAチャンピオンズリーグの展望について楽しそうに語っておられた。巷間漏れ伝わっているように、“ゼニト”の戦いぶり、その躍進を楽しみにしている…とのことだった。彼のサッカーを語る言葉の端々から、今現在の日本代表への複雑な“想い”が伝わってきた…。(2008/09/17)

鹿島VSアデレードの試合を見た。
それが芝の所為なのか、選ばれる選手の所為なのか、或いはその選手達の年齢の所為なのか…なんともスピード感に欠ける展開が目に付いた。その点も踏まえてのマルシーニョ獲得だったのかも知れない。このままではJもACLも非常に厳しい気がする…。今シーズンの興梠慎三の成長を認めながらも、このチャンピオンチームのエースストライカー足るにはまだ力が足りない。マルキがチャンスメイクに回った際のPAの攻防…に迫力不足を感じる。田代有三の奮起に期待したい。(2008/09/18)

先日行われたACL。僕は鹿島の試合しか見ていないのだが、結果だけ見れば2-3で敗れた浦和が、次戦一番戦いやすいのではないか…という気がしている。他の2チームに比べればほとんど時差の無い移動…ということもあり、連戦の中でも体力的には鹿島が一番動けるような気もするが、アデレードは予想以上にコレクティブで良いチームである。なんとしてもここを突破して、決勝まで辿り着いて欲しい。(2008/09/19)

J1優勝争いとともに降格争いも大詰めを迎えてきたが、僕は勝ち点32、31の9位柏~14位清水までの6チームの中に、今後の10試合で8~9敗ぐらいするチームが1つぐらい現れてくるのではないかと思っている。そうなれば、このところしっかりしたサッカーが板についてきた千葉にも、そして今日勝てば札幌にも、まだまだ逆転の可能性が残されているのかも知れない。札幌VS千葉、この裏天王山の熾烈な激闘は、本日一押しのゲームだ…。(2008/09/20)

柏VS鹿島戦を見た。
小笠原満男の負傷、全治6カ月の診断…ショックだった。昨年のポンテのときも言ったが、サッカー選手にとって、しかも攻撃の担い手であるMFの選手にとって、30歳という年齢はすでに晩年、最晩年である。この負傷を乗り越えて、彼が昨日までの小笠原満男を取り戻せるかどうか…。僕も彼のファンの一人である。多くのアントラーズサポーターと共に彼の完全復活を信じて待ち続けようと思っている。(2008/09/21)


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キリタニ100法『僕の捨てられないもの

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2008年09月22日

J1サバイバルと降格の足音 【キリタニ】

札幌VS千葉、このJ1生き残りを賭けた裏天王山は、激しく、そして熱いゲームだった。
結果2-3で敗れてしまったとはいえ、札幌の戦いぶりは決して恥じるようなものではなかったし、最後まで勇敢に、勝ち点3を狙いにいった姿勢には心打たれるものがあった。

もし11人で戦えていたならば…、もし最後の最後でダヴィの子供じみたファールによる退場がなければ…。コンサドーレサポーターからすれば本当に悔しいゲームだったように思う。ダヴイのそれは仕方がないとしても、箕輪義信のそれにレッドが相応しかったとは僕は思わない。確か主審は東城さんのような気がしたが、ちょうど見えにくい角度の接触だったと思うし、PK献上の際のカード…については、Jリーグ審判団全体でもう一度共通認識を深め合った方が良いのではないだろうか?

さほどダーティーとは言えない、しかも明らかに故意とも断定しずらいあのような状況において、PKとレッドカードで試合開始早々に、このゲームの命運を決定付けるかのようなジャッジを果たしてすべきなのかどうか…。東城氏がどれだけ接触状況を把握できていたかどうかわからぬ状態で素人の僕が口を挟むのは僭越かもしれないが、僕であればあの接触は、せいぜいPKにイエローで納めていたと思う。接触状況をキチンと視認できていなければ、PKさえ与えなかったかも知れない。

あのジャッジがこの試合に与えた影響、札幌に与えたダメージは非常に大きかった…。彼らにとっての実質的なラストチャンスとなったかも知れないゲームが、こんなカタチで潰えてしまったのは本当に無念であったと思う。しかし、そんな中でも、札幌は最後の最後まで、本当によく戦っていたと僕は思う。

千葉に関しては、ミラー監督の手腕を再確認させられたゲームだった。
就任序盤の、ただ弾き返しカウンターを狙うだけの、UKオールドファッションスタイルのサッカーから、しっかりと積み上げ、ポゼッションしながら押し上げるサッカーに短期間に進化させた。やはり実績通りの素晴らしい指導者なのだろう。千葉の変化についてはここ最近少しずつ感じ取ってはいたが、この札幌戦で確かな成長と進化を感じた。すでに序盤戦の千葉ではなく、今後は中位・上位のチームとも対等に戦ってゆけるのではないだろうか?
あとはこの1年余りの間に失ってしまった“運動量”をどう取り戻すか…。そして巻誠一郎が、どれだけの気迫を持って、ゴールへ叩き込めるか…彼らの生き残りは、その2つの要素にかかっている。

勿論、この2チームと共に、ジュビロ磐田も危険である。そしてさらに、僕は大宮から横浜までの31~30ポイント内にひしめく5チームの中から、ジェフ千葉(24ポイント)に追い抜かされるチームも1つぐらい出てくるのではないかと思っている。新潟も、東京ヴェルディも、その内容を見れば充分に危険である。優勝争いと共に、このJ1生き残りをかけた死闘も今後注視していきたい。

最後に。
コンサドーレ札幌には最後の最後まで、ファンのためサポーターのために死力を尽くして戦って欲しい。たとえ降格したとしても、そこですべてが終わりではない筈だ。それでもスタジアムに駆けつけて声援を送ってくれるサポーターが、TVで勝利を待ち望んでいてくれるサポーターが居るし、そんなファンやサポーターの情熱と共に、そこから繋ぐ未来こそが、一番大切なものだと思うからだ。
この時期になると、僕はいつも同じことを書いてしまうのだが、ここからの札幌の戦いに僕は期待している。この日のような熱い試合を、きっとこれからも続けてくれると信じて、陰ながら応援してゆきたいと思っている。

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posted by 桐谷 |11:56 | Jリーグ | コメント(3) | トラックバック(0)
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2008年09月19日

大木武氏の五輪代表監督就任を望む 【キリタニ】

五輪代表監督の早期の人選を犬飼会長は技術委員会に求めたという。

これに対して僕は、あらかじめ3つの提言をさせてもらいたいと思っている。
その3つとは、


1.ロンドン五輪の位置づけとその目標を明確に定めるべきである。

2.新監督との契約は当面2010年6月の南アWCまでとすべきである。

3.ここに次期日本代表監督候補を招聘するのでなければ、大木武氏を強く推奨する。


まず1について、

Jリーグのスケジュールを中断させてまでもOA枠の活用をし、あくまでもWCと同等の“真剣勝負”の大会として全力で結果を追求するのか?それともやはりU-23の大会と位置づけ、育成に主眼を置いた体制で臨むのか?このどちらかだけは現時点からハッキリと結論付けて臨むべきである。ここが曖昧なままであれば、何を根拠に、どのような基準でもって次期五輪代表監督を選任するのだろうか?

まず次のロンドン五輪をどう位置づけるか?
それがすべての出発点でなければならないと僕は思う。

*またロンドン五輪の目標として、明確なアドバルーンを掲げることは構わないが、運不運に大きく左右されるそこでの結果を、安直に絶対的な評価の基準として採用すべきではない。これはどんな大会でもそうだが、評価はその内容に基づいて複合的、また重層的に為されるべきものである。


そして2について。

僕は今現在のA代表のサッカーの在り方に不満である。その理由は、日本代表のサッカーとは、常に日本のサッカー界に対して、この国の未来のサッカーのカタチを提案し続けねばならないものだと考えるからである。その自分自身の主観を根拠に論理を展開すれば、願わくば11月19日のWC最終予選第3節、アウェーのカタール戦の後にも、すぐさまA代表の指導体制をオシム時代のコンセプトとそれに適った人選に差し替えるべきであると思っている。
が、しかし、ここまではあくまで僕自身の主観である。

現実JFAにその意志がないとするならば、2010年までこの体制は維持される事になるだろう。けれども、その2010年南アの後には、しかるべき未来の日本サッカーの在り方、その明確なコンセプトを定めた上で、それにそった指導体制が構築されることを僕は切に望む。その為にも、ロンドン五輪代表含めて、そこで再度、新たなA代表を頂点とした統括的な指導体制の枠組みを再構築すべきである。今ここでロンドンまでの4年間に、先走って当てずっぽうの博打を打つことは拙速であり、取るべきリスクではない。2010年の6月までと、それ以後の2つのパートに明確に区切るべきである。


そして最後、3について。

僕の思い描く日本サッカーの理想像は、その具体的なカタチとして、オシムが日本代表で、そしてジェフ千葉で明示してくれたそれに非常に近いところにある。今現在のJリーグクラブでいえば、ペトロヴィッチのサンフレッチェ広島と、ピクシー・ストイコビッチの名古屋グランパスのそれをうまく融合させたようなものだ。そしてどんなに遅くとも2010年後の日本は、迷わずその方向性で未来へ踏み出してゆくべきである。僕はそう確信している。

その方向性を目指すうえで、ロンドン五輪世代のタレントたちを、大木武氏のメソッドで鍛え上げることは非常に有効であると僕は思っている。2014年のA代表の下地でありベースを築くためにも、彼の理論や哲学、そしてそのメソッドは、今JFAが所有するもっとも有効な“武器”である。
彼が今現在の岡田体制の枠組みの中、どのような位置づけでその職務を担っているのか僕には判らない。が、大木武という指導者の能力を最大限活用するためにも、2010年6月まで、ロンドン世代のタレントたちを鍛錬してもらう…というのは現状予測のつく選択肢の中で、最も合理に適った決断であると僕は考える。

2010年までを大木武氏でベースを築き、その先の2年間を新たなA代表監督の指揮下に置くか、あるいはその時点の“有能な”技術委員長に差配してもらう…それが最も妥当な流れであると僕は思う。


最後に、僕はもしオシムが2010年南アWCの指揮を執ることができないのであれば、直ちにJFA技術委員長に就任し、日本サッカーの未来を直接プランニングしてくれることを切望する。なぜなら、それこそが日本サッカー界のもっとも脆弱な部分であり、今日に至るまで様々なしがらみによって是正、改善されることのなかった、代表チーム停滞の“元凶”であるとさえ思うからだ。
ここに確かなビジョンとその実現の為の手腕、そして徹底したプロフェッショナリズムを導入する為にも、ぜひ欧州の有能な外国人識者を、願わくばイビチャ・オシムを…と、密かに僕は願っている。

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posted by 桐谷 |11:46 | ロンドン五輪代表 | コメント(12) | トラックバック(1)
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2008年09月17日

反町発言とナビスコカップ改革 【キリタニ】

「高校卒業直後の選手が試合に出る機会が少なく、空洞がある」

前五輪代表監督・反町康治氏は、北京五輪の敗北の一因としてそう語ったらしい。

これは常々僕も考えてきたことで、昨年の夏“Jリーグへ”という一連のJリーグ改革私案の中で、“最終章 保有選手枠の制限”という形で問題提議させてもらった。

掻い摘んで言えば、若手選手の試合出場機会を促し、厳しくも適正な競争環境の元で、即戦力として経験を積ませるためにも、各クラブの保有選手枠を22人程度に絞込み、さらにJの奇態な選手移籍規約を全廃して、選手のクラブ間の往来を活性化させるべきである…という主張だった。

22人という枠は、現実のそれから比べれば大変厳しい規制枠となるだろうが、ここをある程度の縛りを入れる事で生じる欠員を、ユース、U-18の世代から随時引き上げて登録することを許可し、そこで経験を積ませることを促す。現実的には22~25人程度、実情を踏まえながら“小さな改善”に留まらず、“大きな改革”と呼べるだけの成果を期待する為には、23人程度が望ましいと個人的には思っているのだが、そうすることによって選手のポリバレント特性もさらに強化されることだろうし、またメッシやボージャンのような若きスーパースター発掘の為にも、良い仕掛けになるのではないかと僕は思っている。

さらに様々な議論のあるナビスコカップについては、ACL出場チームへのGL免除は良しとしても、もう少し違った趣向で色づけてしてみても良いのではないだろうか。
例えば、各チームにU-18選手2人以上のゲーム出場(合計180分)を義務付け、将来性あるフレッシュな若手選手発掘の大会としてこのカップ戦を位置づけ、スポンサーサイドにプレゼンする…などという新しい試みである。そしてさらに私案として、この覇者に対する日本代表との地元親善試合開催権、或いはオールスターゲームのホーム開催・対戦権などが付与されることになれば、大会に対するある程度のモチベーションも確保できるのではないだろうか。

またリーグ戦に比すれば各チームにとって興行的な旨みも薄い大会である筈で、ここに日程を割り振るぐらいならば、そもそも無くしてしまってJ1にあと2チーム増やす事さえ一案として取り上げても良いのではないか…とすら思っている。外国籍選手の保有枠をさらにもう一段開放の方向へ差し向ければ、ゲームの質自体は保たれるだろうし、またリーグの強化・発展を考えれば、外国籍選手の自由化は避けて通れぬ流れなのでは…と僕は考える。

いずれにせよ改革への意志は伺えるし、流れとしては良い方向に向かっているとは思うのだが、存続してゆくのだとすれば、もう一ひねりあった方が良いのではないか…というのが僕の実感である。

J1に出場する事ができずに2年、3年とくすぶるぐらいであれば、J2で、或いはJFLで、ゲームの中で経験を蓄積し、自らの可能性を切り拓いていったほうが良い。現状まるで収益に貢献することのないだろうサテライトゲームの充実などに注力するぐらいであれば、人件費抑制の為にも選手枠をスリム化させることの方が遥かに合理に適っていると僕は思う。

この反町発言を機に、問題の本質を踏み外すことなく果断に抜本的改革に取り組んでいってくれることを僕は望んでいる。

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posted by 桐谷 |11:43 | Jリーグ改革案 | コメント(17) | トラックバック(1)
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2008年09月16日

日々のイデア No.001 【キリタニ】

バーレーン背番号3番の長身CBマルズーキ、途中出場の背番号4FWのジョン、この2人の潜在能力は非常に高いものと見受けられる。JリーグAFC1枠で是非見てみたい選手なのだが、それぞれ浦和レッズ、ジェフ千葉などに如何でしょうか?(2008/09/08)

ズデネク・ゼーマンがレッドスターを解雇された。僕が知る限り最も攻撃的で、破滅的な歓喜に取り付かれたサッカーを志向する妥協なき求道者である。勿論安くはないだろうが、Jで彼のサッカーを見られないだろうか?失敗する可能性も高いが、日本のサッカーにオシムと同質の“革命”を齎す可能性も同じだけ秘めている。僕の一番好きなサッカー監督である。(2008/09/09)

バーレーン戦の2つの失点の局面はおもに個人の問題。ただしその後の試合終了までの5分間はチームとしての意思統一を欠いていたし、危機はそこら中に転がっていた。前でキープなのか、引いてただ弾き返すという選択なのか、疲弊して運動量を欠いた中で、その共通認識と徹底が前と後ろ、ベンチとピッチの間に欠けていた。また多くの場面で審判に救われた部分もあり、自力の差は感じながらも、ベンチワークを含めたゲーム運びの拙さは大きな反省材料であった。(2008/09/10)

~川淵氏は「会長退任直後の殿堂入りは恥ずかしいが、選考委員の推薦なので」と照れ笑いした~
川淵三郎名誉会長、選考委推薦による殿堂入り、おめでとうございます。最後にシェイクスピアのこの言葉を贈ります。『招かれもせずに来た客は、帰る時にいちばん歓迎される』
あなたのしてきたことは絶対に忘れません。(2008/09/11)

実は昨年からここで一度訴えたいと思っていたことなのだが、JFAが代表選手の育成者に対して、記念品として青いペナントを贈る事を決定したとの事。心の通った良い制度であると思う。そしてJリーグ各クラブでも所属選手のリーグ100試合、200試合という記念に、ボール1つ、写真1枚でも良いから彼らを支えた育成者の方々への感謝を表してみてはどうだろうか。(2008/09/12)

ウズベキスタンVSオーストラリア戦をチェックした。
今回はつくづく組み分けに恵まれたなというのが率直な感想である。このチームが、引いて守っては居られない展開、前に出て勝ちに行かなくてはならなら展開というのは、ニッポンにとっては非常に組しやすい。オーストラリアもより繋ぐ志向のチームになったことによって、逆にニッポンにはやり易い。欧州から豪州への移動も負担は大きいし、彼らは以外に苦戦するのかも知れない。(2008/09/13)

久しぶりにJリーグをしっかりと見た。浦和VS大分、鹿島VS川崎。どちらも熱のみなぎったおもしろい試合だった。大分は本当に逞しいチームに成長した。そして川崎はいつでも素晴らしい助っ人を引っ張ってくる。名古屋が少し抜けたとはいえ、他の4チームに比べ少しサッカーがきれい過ぎる気がしないでもない。この5チームによる優勝争いは、まだまだ続くのではないかと予想している。(2008/09/14)

浦和VS大分戦の“怒れるポンテ”を見てつくづく思った。
どんなに動かなくてもウェズレイを代えないシャムスカと、その逆に元気なマギヌンを握手しながらベンチに迎え入れるストイコビッチって偉いんだな…と。ある意味ビッグチーム浦和だからこその難しさ…とも言えるが、ここを克服しなければまた真のビッグチーム足りえない。以前エンゲルスとの2年契約にケチをつけたことがあるが、現状浦和がその潤沢な資本を有効に使っているとは言えない。(2008/09/15)


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キリタニ100法『思い出の曲No.002

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2008年09月12日

オシムの本意とメディアの虚実 【キリタニ】

オシム、ユース日本代表監督就任に意欲

これまでオシムに関するたくさんの報道を目にしてきた。
韓国が代表監督にオファー…、退院後にもう一度倒れた…、本人も現場復帰を断念か…、日本代表監督復帰を熱望…。

しかし僕はそのどれをも信用などしていないし、ゆえにここで取り上げる事も意図的に回避してきた。自分自身の想像とさほど遠く無いものもあれば、そうでないものもある。しかし、原則として“真実”というものは伝聞などでは決して推し量れるものではない。しかも、個人の心のうちに在る想いであれば、尚更である。利害の一致しない他者が、それを代弁する事にどれだけの信憑性があるといえるだろうか?
だから僕はメディアを、伝聞を、鵜呑みにはしない。せいぜいその情報から、幾つかの矛盾と違和感の根拠を、その材料を、寄せ集めるぐらいのことである。そうして自分なりの“真実らしきもの”を手繰り寄せる。そうして判らないものを、判ったつもりにだけはならないように努めるのだ。まったく骨の折れる作業ではあるけれども…。

以前ここで僕は、オシムに復帰の意志があるならばもう一度代表の指揮を取らせるべきだ…と言った。*参照岡田武史との訣別
それに対して、言葉にすればもっと穏やかなものだったのかも知れないが、

『現実的にそんなの無理に決まってる』
『オシムを殺す気か』
『オシムが死んだらあなたはどう責任を取るつもりだ』

という反論や批判を寄せられた。
要するに僕の意見が、オシムの“生命に対する冒涜”だ…ということだったのだと思う。
が、であればその心温かく尊い志が無意識のうちに成そうとしていたものは、オシムの“人生に対する冒涜”であったと僕は思う。そしてそのどちらが是であり、また非であろうとも、決めるのはオシム自身であったはずだ。そして彼は、再び現場への復帰を目指して戦っていることだけは確からしい。メディアが発するあやふやな情報で、また巷に伝わるあやふやな予断で、僕らは僕ら自身で身勝手にもオシムの夢に、その可能性に、問答無用で幕を下ろそうとしていた。自分自身の無知を知る事…僕はこの一事からも改めてその大切さを痛感する。良識にも時として思わしくない結果とその責任は生じるものなのだ。僕はそんな良識に胡坐をかいた思考停止こそ、自分自身の価値観としてもっとも忌むべきものであると思っている。

あのドタバタの中で、ある意味世論の趨勢を後ろ盾に、オシムの生命を尊重(?)し、オシムの人生を冒涜したJFA川淵三郎体制と、その拙速な決断を、今本当に正しかったと言えるだろうか?
僕たち自身ももう一度あの頃の経緯とJFAの思惑をよく考察・検証し、総括する必要があるのではないだろうか…。そこから見えるもの見えないもの、臭うもの臭わないもの…それぞれが“真実らしきもの”を手繰り寄せるための良い題材のひとつであると思う。

オシムは“若年層”の指導を希望している…との意向は、すでに半ば通説化してきているが、僕自身は未だその情報を、あやふやな“伝聞”としか認識していない。確かに、現場への復帰を望んではいるのだろうし、まだ体調面に自分自身幾分の不安を抱えているのだとすれば、1年のうち10カ月間、ほぼ毎日休みなしの労働を強いられるクラブチームよりも、肉体的には代表スケジュールの方が遥かに楽なものなのだろう。

若年層の指導、指導者の指導…確かにそれも大切なものではあるだろう。
けれども限られた選手・限られた指導者に何かを“教えよう”とすることよりも、A代表の真剣勝負・厳しい戦いを通して、あらゆる選手・あらゆる指導者に何かを“伝える”“学ばせる”以上に影響力のある仕事は他にないと僕は思う。それ以上の“教育”は僕は無いと思っている。
そしてオシムの本意がどこに在るのかは僕には判らない。判らないが、もし僕がオシムであれば、途中で手放さねばならなかったチーム(物語)を完結させたい…と願うだろう。きっと自分自身の手で、それを成し遂げたい…と願うだろう。人生最後の挑戦である…と思っていたならば尚更である。そしてオシムにその意志があるのならば、もう一度挑戦したいという意志があるのならば、ニッポンの為にもそれが一番良い道であると疑いなく僕はそう信じている。

生きている限り必ず死は隣り合わせにそこに存在する。
けれども年を取ったからといって、人はその死から逃れる為だけに生きているのではない。生きながらえている訳ではない。死なないが為にただ生かされている訳ではないのだ。

日本であれ、海外であれ、ユースであれ、A代表であれ、彼が彼自身の人生を思い残すことなく生ききってくれる事を僕は望んでいる。きっとその為に、彼はいまだこうして戦い続けているのだろうから。

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キリタニ100法『明らかな殺意~三笠フーズと農水官僚の殺人~

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2008年09月08日

【WC最終予選】 対バーレーン 戦評 【キリタニ】

結果を見れば3-2の接戦、或いは苦戦との評価も出来ようが、その内容に眼を向ければ自力の差は歴然としていたように思う。バーレーンというチームが、もしそこそこ日本と対峙できるようなチームであれば、ロスタイム含めた残り5分でキッチリ同点に持ち込めていたと思うし、それだけのチャンスは転がっていた。細かな技術の差、判断の差、組織力の差…と共に、あの勝負どころでの詰めの“甘さ”が、このチームの未熟を表していたと思う。

得点経過とともに自制や集中を失い、自陣ゴールのすぐ目の前でつまらないミスを連発するなど、ある面ではバーレーンの自滅…ともとれるゲームであったように思う。このアジアにおいて少しずつ地力はつけてきてはいるのだろうが、経験と蓄積によってしか満たされることのない“インテリジェンス”や“メンタリティ”といった部分に大切なものを欠いている。もっともニッポンとて、先の3次予選アウェーでの試合、そしてこの試合とも、同じような凡ミスで馬脚をあらわしている訳で、厳しい言い方をすれば、これも如何にもアジア的なゲームということになるのかも知れない。

良い事なのか、或いはそうとばかりも言えないのかも知れないが、やはり中村俊輔の存在感は際立つ。
両サイドの攻め上がりを自重したパスコースの限定された状況の中でも、これだけボールが持て、厳しいマークにもそれを失わず、流れの中でスペースを創造し、味方をそこに呼び込みながら、前を向いて組み立てられる…。さらにはFKの精度も良くそのバリエーションも多彩で、危険なシーンではサラリとファールで止めることもできる。トルシエにはじかれた際のあのひ弱さなど微塵も感じられない。アタッカーとして30歳に至るまで高い意識を持ち、小さな努力を積み重ね、いま本当に素晴らしい選手に成長した。ピッチ上に彼と遠藤保仁のある風景こそが、今ニッポンの最もニッポンらしい姿なのかも知れない。

さらにこの試合に関しては、田中達也の積極性と運動量を高く評価したい。
中盤が前を向く良い形を作れたのは、彼のムーブでありスペースメイキングが非常に効いていたと思う。前の動き出しから、すべての攻撃ははじまる。その攻撃のスイッチ役を、汗をかきながら丹念に務め上げてくれたと思う。そしてゴールに対しても積極さが現れていた。この日の中盤を支えたのは、田中達也であったと思う。

ボールを奪われたところから嵩にかかって奪い返しにゆく。そこに迷いも躊躇いもない。とにかく、奪う。

そんな岡田武史監督のスタイルが見事に功を奏した試合だったと思う。
一人一人のフィジカルは本当に強いが、足元を苦手とするバーレーンのディフェンダーたちにとっては、この前がかりの決死のプレスは相当応えた様に思う。また敵カウンターの基点となり得るサイドのスペースをしっかりと消させながら、リスクを限定した中央攻撃で、あくまで勝ちに行く姿勢を、点を取りにいく姿勢を、バランスよく引き出せたことに大きな価値がある。この試合は今後の最終予選におけるアウェー戦の良い指針となるのではないかと考える。再び、自ずから三次予選アウェーのバーレーン戦の時のような“愚”を繰り返さない限り、この中村俊輔を擁する岡田ジャパンのアウェー戦は計算できる。

むしろニッポンが苦しむとすればホームである…と僕は思っている。レギュレーションとリーグ構成をみる限り、アウェーで負けるか引き分けるか…以上に、やはりホームでしっかり勝ち点3を奪取できるかどうかが大きい。そこでどう崩すのか、あるいは中澤、闘莉王を用いたセットプレーでどう強引にこじ開けるのか…なのも知れないが、それができるかできないかで、この最終予選、難しくもカンタンにもなるだろう。次の相手が2連敗を喫した手負いのウズベキか、或いは1つ勝ってきたウズベキかによっても、その試合展開、相手の出方は大きく異なるだろうが、最終予選の流れ的にも、この序盤はニッポンにやや有利な風が吹いてきたようにも思う。


複雑な思いを抱えながらも、正直僕はこの勝利にホッとした。
終盤バタバタになりながらも、なんとか勝ち点3を確保したニッポンに、ホッとする自分を確認することができた。
そういう試合を見せてくれた選手に、そして岡田武史監督に、深く感謝したい。彼らは必死に頑張ってくれた…。

ニッポンは喜んでいるだろうか?
ニッポンはこの勝利に歓喜しているだろうか?

いつの日か雲ひとつ無い透き通る青空の下で、同じ夢を追おう。同じ勝利に歓喜しよう。
今はこの戦いが、その日その瞬間へと通ずる1歩であることを信じよう。それを信じて、この戦いを、必死で頑張る僕らの代表を、しっかりと最後まで共に見届けよう。

戦いは始まった。もうすでに始まったのだ。


*今後ブログタイトルの下に日替わりの一言日記を毎日更新させていだく予定でおります。
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キリタニ100法『明らかな殺意~三笠フーズと農水官僚の殺人~

posted by 桐谷 |11:41 | 2010WCアジア予選 | コメント(35) | トラックバック(1)
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2008年09月05日

ニッポンの遠い夜明け 【キリタニ】

そして最後にニッポンの遠い夜明け…について。
お喜びください^^これで3部作完結です。

以前、確か2002年の日韓WC後のことだと思うが、山本昌邦氏を中心に“15秒でフィニッシュへ至る攻撃”というものが盛んに提唱された時期があった。初見から僕は、どこぞの出版社の薄っぺらい成功への手引きや啓蒙書、或いはビジネスの世界を戦国武将の生き方になぞらえた書物のような、妙な如何わしさを感じさせられたものだが、実際にその後に彼が手がけた“本末転倒”の奇態なサッカーを見せつけられて、愕然とさせられてしまったことを今でも覚えている。

あの頃技術委員会の実権を握り、そのイニシアチブをとっていたのは田嶋幸三氏だったのだろうか?ともかくA代表のみならず、トルシエを放逐したあの頃から、迷走に拍車がかかったものと僕は感じていた。

ちなみにトルシエは優れた戦略家であったと僕は思う。と同時に、欧州にはビッグネームではなくとも、丹念に掘り起こせば2部や3部、ユースやトップチームのコーチングスタッフの中に、彼のような素材はいくらでもいるものと思う。ただし、あの方向性の先に“拡張性”や“進展性”が在ったのかどうか?と問われれば、あれ以上前に進むためには、やはり“個”の飛躍的な成長を望むより積み上げる余地はなく、その点が僕の解釈の中でのオシムとの差異である。要するにオシムならば今の個力で、あと1ステップ前方にある夢を見させてくれたのではないか…僕はそう思っていた…という事だ。
が、敵と戦う前にまず全力で味方と戦わなければならない…という彼の揺らぐことの無いJFAとの対決姿勢に、僕は心底感銘を受けていた。彼がニッポンに突きつけてくれたものの切実さを、あの頃の僕らはまだ受け止めきれていなかった…ということなのだろう。ここでも『彼は我がままだ』というニッポン人の“上品な情緒”によって、真に眼を向けなければならなかったポイントを、僕らは見損なってきたと言える。僕はあの頃から、それを非常に残念に思いながら眺めていた。

JFAの技術委員会、そしてその周辺でサッカーを生きてきた方々には、僕から見ればやはりある種の“色”がある。それは弱い時代のニッポンのサッカーを背負って生きてこられた方々のそれと、ある面では似ているのかも知れない。そしてそれこそが“15秒でフィニッシュ…”云々、“繋ぐよりもまず縦へ…”云々といった、硬直した『背水主義』に呪縛されたサッカーを、どこかで助長しているのかもしれない。

それは、創造するサッカーとは異なり、創造を回避するサッカーであると僕は思う。
創造するほどには困難ではないが、しかしその先の発展性を見込めないサッカー。

さらに言えば、実を得るにも頼りなく、夢を描くにもまた儚すぎるサッカー…無礼を承知で僕はそう言わせてもらう。


僕は技術委員長、小野剛という人に期待して、今心からの失望を味わっている訳だが、こんな中にあっても“ニッポンの遠い夜明け”への兆しは微かに感じてはいるのだ。
それが城福浩さんの台頭であり、大木武さん、吉田靖さんなどの存在である。彼らのサッカーに、僕は“線”への確かなビジョンを感じている。願わくば彼らに、オシムと同じ瞬間を同じ場所で過ごしていただきたかった。そしてそのビジョンに、さらなる奥行きを、深みを、描き加えていただきたかった。それを思うと未だ残念でならない。

僕は本来代表監督とは、その国代表の指針・コンセプトに合致した指導者を、日本人・外国人に関わらず、その国のリーグにおいて一番優秀であると見込む者の中から、互いのしっかりとした共通認識の元、折り目正しき手順を踏んで契約すべきであると思っている。それが一番合理的で、リスクの少ない選出方法であると。しかし、何の脈略、事前の約束事もなしに、リーグ途中で強引に召し上げるような事があっては絶対にならない。それは協会の信義にかけて二度と行ってはならないことだと思っている。

であれば、今考えられる選択肢は海外からある程度日本の内実を知る誰かを招くか、あるいは内部昇格か…といったところになるのだろうが、あの犬飼氏であればそれを自分の“色彩”で飾りたいのかも知れない。もし何か動きがあるのだとすれば、そういう展開になるのではないかと、いま僕は思っている。或いはこのままだらだらとなし崩しに展望の開けない未来へと歩を進めてゆくのか…そのどちらにしても、僕はニッポンにとっての“一番大切なもの”を踏み外した決断であると考える。どちらにせよ、旧来型の手法がただ無反省に踏襲されてゆくに過ぎない。

~失敗とは躓くことではない、躓いたままでいることである~

いつかどこかで眼にした警句である。
今この国、ニッポンの現実に、痛烈に突きつけられた言葉であると僕は思う。

この試合に勝つか負けるか…ではない。どのような“顔”を据えるか、“看板”を掲げるのか…それも違う。未来への確かな揺るがぬ展望を描き、その道筋に沿った正しい“選択”と“決断”を、あらゆる瞬間に、常に、迫られているのだ。

いずれにせよ、今ここでこれまでの悪しき慣習と訣別し、踏ん切りをつけるべき時なのだと僕は思う。
ニッポンの遠い夜明けを、自ずからさらに遠ざけてしまう前に。


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posted by 桐谷 |12:18 | 岡田JAPAN | コメント(5) | トラックバック(1)
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2008年09月04日

僕らが山を登る時~オシムからのメッセージ 【キリタニ】

ニッポンは『0-0』の状態で『1-0』のポゼッション、パス回しをしている…。
前回の続きである。

が、いざ本当の『1-0』になった時には、それをうまく使いこなせているか…というとまたそうでもないのだ。
相手の対応が異なり、前からボールを取りに来たときには、『0-0』のパス回しに余裕のあった状況と、同じようにそれができなくなる。要するにニッポンのポゼッション、その本質とは『0-0』の状態で『1-0』のポゼッションが可能である…というただそれだけのことで、均衡した相手とのゲームの実際には、然程役に立たないポゼッションであるとも言えるだろう。であれば、やはり支配率そのものには然程大きな意味はない…とも言えるだろう。

そして現実にいざ『0-1』になってしまった時どうなるかというと、ますます『1-0』のポゼッションに余裕が生まれるが為に、実際どちらが点を取りに行かねばならない状況なのか判別できないヌルいパス回しに終始し、ただ延々と時間を消費してしまっている。要するにその能力の片鱗は伺わせながらも、知性の部分で、現状ポゼッションそのものを適正に使いこなせていない状態である…と、僕は思っている。そしてその大きな要因は、前回も述べたようにゴールへの意識が稀薄なパス回しと、3人目、4人目の連動の欠如、そのインテリジェンス、鍛錬の不足である…と僕自身は思っている。

が、アジアカップにおいては、その『1-0』のポゼッションには間違いなく大きな意味があった。
酷暑のアジアにおける戦いであれば、90分のゲームであれ実際の勝負どころはせいぜい20~30分ぐらいのものである。それ以外の“流し”の時間帯を、この『1-0』のポゼッションで敵を走らせることには、実際に大きな意味があったのだと僕は思っている。ただし、その勝負どころを捉える機微をピッチ上の選手たちが持ち合わせていなかった。そのギア・チェンジ・リスクの支払いに、躊躇いと共通認識の欠如、そして鍛錬が欠けていたのが大きな課題として残された。そこからオシムジャパンの第二幕、正しき『0-0』のポゼッションへのトライが始まったのだと思う。そして前回も触れたように、そこで突如として幕は下ろされた…のである。

ここまでが僕が認識するオシムジャパンの経緯…である。
このニッポンにとって、正しき道であり、正しき方向性、メッセージであったと今もって確信している。


これに対して今の岡田ジャパンはどうか…というと、そのボールを保持したところから展開するオシムの思想・哲学とは裏腹に、それはボールを失ったところから展開する思想であり哲学であることは明白である。そこには“ボールを渡さない”というオシムのある意味建設的な脈略に裏打ちされた信念とは逆に、“ボールを自ゴール前から遠ざけ敵ゴール前に近づける”という、そのボールを支配するという能動的な脈略を無視した物理思考が、一元的に貫かれているように僕は思う。

僕は前回それを“点”と“線”のロジックで語ったつもりではあるが、誤解しないでもらいたいのは、オシムが描こうとしたその“線”は、何もその過程の“点”を否定することによって成り立っているものではないということだ。オシムのそれが正しき“線”を描き得るのだとすれば、概ね“点”もサッカーの不条理からくるいくつかの例外を除いては、それに寄り添ったはずである。

要するに近くの“点”と、遠くの“線”…或いは“点”でも良い。
優先されるべきはそのどちらであるか…ということである。

僕はそれを迷わず遠くの“線”であると考える。
ニッポンのようなサッカーの発展途上国であれば、描くべきは未来への明確なビジョンであり、その為の強固な意志であると僕は思う。その過程で、一々の“点”に揺らいでなどいられないのだ。

欧州や南米の列強を相手に、真剣勝負で互角に戦う…という夢を追うためには、今どのような方向性を打ち出すべきなのか?その目標をゴールとして捉え、そこに辿り着くために必要な普遍的要素でありスタイルをどう追求してゆくべきなのか…。最終的には、その正しき取組みこそが、アジアにおいても概ね妥当な“点”を描くのだと僕は思う。それは決して相反するものではないと…。

そして“線”という未来のビジョン無き、刹那刹那における“点”への固執。もしその“一点”への執着が、成就せず失敗に終わった際に、残されたものの悲惨を僕は憂う…ただ、それだけのことである。

代表がすべてではない。若年層の強化は進んでいる。
確かにおっしゃる通りである。その通りであると僕も思う。
しかし、僕らが山を登るとき、その視界に捉えるのは必ず山頂であるはずだ。
向上しようとするならば、僕らはその頂を視界に捉えて、それに焦がれ、夢中になって、必死でその頂を目指すものなのではないだろうか?

いつの時代にも、代表には確かなメッセージが必要なのだと僕は思う。
子供たちに夢を見せる事のできない代表であっては絶対にいけない…と、僕はそう思っている。


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キリタニ100法『小泉再登板への期待と民主主義の宿命

posted by 桐谷 |12:09 | 岡田JAPAN | コメント(10) | トラックバック(0)
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