2010年02月17日

ニッポンの贅肉 【キリタニ】

犬飼会長は、岡田武史監督を切らないのではなく、切れないのだろう。

南アフリカワールドカップが終われば、彼自身の“絶対に負けられない戦い”JFA会長選が、例によって『密室』にて執り行われるだろう。そもそもJFA内に、強固な地盤など持たない彼が、どうやって、誰の意によって、今現在の地位に就くことができたのか?少し事情を知るものであれば、思い当たる節はあるはずだ。

次の2年の任期を全うするためには、その後ろ盾の協力と援護が必要である。今回の監督人事が、その後ろ盾の人物の意向か、或いは俺が選んだ監督じゃない…というエクスキューズ確保の為なのか、僕には判らないが、『リスクがありすぎる…』というそのリスクは、JFA会長選を指していると思えば、これほど誠実な回答はない。要するに今の彼は、ある意味『去勢』された状態で、あの地位にブラさがっているだけのハリボテに過ぎないのだろうと、僕は推測する。

もし彼が次期会長選にて再選されれば、日本代表はゆるやかに“浦和レッズ化”してゆくのではないかと僕は予想する。これまで同様、スポンサーサイドからの様々なオーダーと共に、今後は浦和レッズの集客力・動員力を当て込んだ、代表興行に転じてゆくのではないだろうか…と。強化の前にビジネス。残念ながらそれが、今現在のJFAのプライオリティーなのだと思う。

予想通り、日本代表戦のブランド力は失墜した。JFAの経済もいずれ疲弊することだろう。そしてそれをキッカケとして、さらに容赦のない代表の商業主義化、JFAによるJクラブからの経済的収奪が加速するのではないかと、僕は危惧している。それはある意味この国の政治、長期政権の腐敗による断末魔の醜態と同じ構図である。そして尚性質が悪いのは、彼らは国民の審判を受けない…ということである。そういう意味では、我利我利の私欲を剥き出しにした官僚支配に酷似しているのかも知れない。いずれにせよ、この国の構造とよく似ている。

小野伸二、高原直泰、小笠原満男、遠藤保仁……彼ら日本の黄金世代の選手達が育成年代にさしかかったころ、JFAの収入は今の1/4程度でしかなかった。10年前でやっと今の半分、1/2である。

この10年、20年で、JFAの収益は右肩上がりに大きく膨れ上がった。
そしてその膨れ上がった収益によって、何のため、誰のためなのかも判らぬ、さまざまな関連事業が肥大化していった。

果たしてこの収入の増加分に比例するほど、若年層の強化が進んだと言えるだろうか?日本のサッカーが少しずつでも前進しているとして、それがこのJFAの4倍になった収益によるものだと言えるだろうか?強化の主体たるJクラブは、それで少しでも肥えることができただろうか?代表に選手とスケジュールを供出させられているJクラブは、それで少しでも楽にしてもらっただろうか?

僕はその多くの部分が、無駄な贅肉でしかなかったのではないかと思っている。

むしろ健康に有害な、過剰の脂肪やコレステロールの類であり、すでにそれは半ば腫瘍化しているのではないかと思っている。危険なレベルにまで肥大しているのではないだろうか?と。そしてさらにそれは、今やこの国の背骨であり筋肉たる、Jクラブの経済までをも蝕みはじめているのではないだろうか?

契約の関係上、本当の地獄はこれからはじまる。その時、食い詰めた彼らは、反省し自らのその贅肉を削ぎ落とす前に、この身体の健全をギリギリのところで支えている、骨や筋肉から削ぎ落としてゆこうとするだろう。それによってサッカー自体が死に絶える訳ではないだろうが、僕達はそんなことを、これまで通りみすみす許していて良いのだろうか?

JFA、岡田監督は、3月3日アジア杯予選バーレーン戦(ホーム)に、急遽、海外組の選手を招集することに決めたのだという。一部を除き、所属チームでレギュラー争いに四苦八苦している選手達を…である。その過酷な時差とスケジュールを省みず、既に当落の決定しているその試合に…。

彼らが意図しているものは何なのか?何のため、誰のための試合なのか?何のため、誰のための代表戦なのか?ピッチ外の真実についても、そろそろ皆が目を向けるべき頃合なのだろうと僕は思う。

考えてみて欲しい。
オフト後の歴史において、JFAは『長期的ビジョン』や『強化の継続性』を踏まえた一貫性のある代表監督人事を一度でもしてきたことがあっただろうか?

ただ一度、イビチャ・オシムの擁立によってその意志を示そうとしたかに見えた。が、その後の岡田監督就任までの茶番劇を見れば、それが自己保身の為のフェイクでしかなかったことは明白である。結局すべて行き当たりばったりの、商業主義優先の、縁故や個人的付き合いによる、出鱈目な抜擢ではなかっただろうか?

確かに今、岡田武史氏を代表監督の座から引き摺り下ろせば、4ヶ月後はいくらかまともな夢を見せてもらうことは可能かも知れない。

しかし、その4カ月後の後、にはどうなるのだろうか?これまで15年に渡る慣習を一変させ、そこでJFA、犬飼会長とその後ろ盾は、突然『長期的ビション』や『強化の継続性』という視点に立った、私心を捨てた選択をしてくれるようになるのだろうか?

僕はほとんど期待できないと思っている。

これまで通り杜撰な、場当たり的な、身内の身内による身内の為の、一貫性のない代表監督人事が繰り返されてゆくのだろうと思っている。

僕達は川淵ヤメロと叫んだが、その後に出てきた犬飼会長で何か1つでも良いことがあっただろうか?救われたことがあっただろうか?ただひとつ思い知らされた事。それはJFAというこんな狭い世界にさえ、上には上が居るものだ…と言う現実。ある種の驚愕と絶望感のみではなかっただろうか?

このJFAという組織と、強化の在り方を抜本的に変えたいのであれば、協会員の民意による、開かれた会長選挙を実現する以外にないのだと僕は思う。その時々の監督や会長を、いちいち引き摺り下ろすことに躍起になるよりも、会長選実現の為に何ができるのか、何を成し得るのか、を考えることの方が、はるかに健全であり、合理的な考え方ではないかと僕は思う。犬飼氏にヤメロといったところで、次に出て来るものが更なる大物であったならば、事態はむしろ悪化してゆくばかりではないか…。それは代表監督人事においても同じ事である。

こんなシステムや構造こそを、変えていかなければ、問題の本質は何も変わらないのだ。

この十数年、僕は僕の中で、日本のサッカー界の贅肉になるような自らの行為、消費活動を厳に慎んできた。いずれはそれが、この国のサッカーの健全を損なうだろうことを予感していたからである。バブルによるあぶく銭など、身につくものではないと、心の中で確信していたからである。今後も僕は僕で、それを継続してゆこうと思う。『開かれた会長選挙の実現』をゴールと定めて…。


皆さんは霜降り肉がどのようにしてできるか御存知だろうか?
大雑把に云うとこんなところなのだそうだ。

遺伝的資質を持つ牛を『去勢』し、風通しや温度変化を与えないための『密室』に閉じ込め、本来喰うべき牧草、ではなく『濃厚飼料』をたらふくその胃の中にぶち込んでおいて、筋肉の状態を正常に保とうとする『ビタミンA』を欠乏させてやるのだそうだ。サシの入った霜降りのやわらかい肉は、こんなふうにして出来上がる…という。が、そのように不健康な、ある意味『異常』な、育て方をされることによって、その牛は『失明』し、人に喰われる前に落命することも少なくないのらしい…。

果たして今のJFA、日本サッカー界の中枢は健全に機能していると言えるだろうか?
最後に一言だけいわせてもらおう。サッカーと同じように、

ピンチこそが、最大のチャンスである……と。


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2010年02月15日

素晴らしい試合とサッカーの真実 【キリタニ】

素晴らしい試合だった。

JFA、岡田監督、選手、そして僕達ファン・サポーター。これでやっと、それぞれが本当の意味でのスタートラインに立つことができたのだとすれば、これまでのどの試合よりも価値があった。僕はそう思っている。

一言でいえば、これがワールドカップ挑戦者と、ワールドカップ参加者との違いである。

この日の韓国のデキが良かったとは僕はちっとも思わないが、球際の勝負ひとつひとつ、それぞれの背中に背負った覚悟のようなものひとつひとつ、そしてチームとしての目的意識、プラン、それを実践するためのゲームインテリジェンス、それらすべての面で彼らのほうが上だったと思う。

たとえ相手がアジアの2流国であったとしても、敵が攻撃を放棄してディフェンスを固めてくる限り、または足が止まってしまわない限り、流れの中からゴールを奪う事など、日本はこれまでだってほとんどできてなどいない。敵の致命的なミス絡みでない限り、元気な敵を捻じ伏せるようなゴールなど、ほとんど奪えていない。なにもそれは、この東アジア選手権ではじまった話ではないのだ。

自国協会の金策のために、過酷なスケジュールと時差移動を強いられ、イヤイヤやってくる南米や、アフリカの名ばかりの代表チーム達とのテストマッチ、花試合の結果を、無邪気にそのまま真に受けて、勝った勝ったと喜んできたとすれば、この東アジア選手権、アジアとの『真剣勝負』におけるその結果と内容は、さぞかし不甲斐ないものと映るだろう。

が、少なくとも僕の中では、この結果と内容は、これまでの日本代表、岡田ジャパンの印象を、大きく裏切るものではない。むしろ妥当すぎるほど妥当なものである。だからこそ僕は、カウンターの鍛錬と実践、そしてその為の布陣と選手選抜……を、岡田監督に期待してきた。いつかはそれに気付き、切り替えてくれることを願ってきた。ところが彼は、そして彼らは、

“狙いはあるが、計算のない、独り相撲のサッカー”

に、未だ酔いしれ、拘泥し続けている。

相手が香港であれば、ダラダラと一本調子の、計算もメリハリもないサッカーを続けていても、後半60分も過ぎれば勝手に自滅してくれる。

相手が中国であれば、徹底したゲームプランも持たず、中途半端に守り、そしてまた中途半端に攻めてきてくれるが為に、独り相撲のサッカーをしていても、4度、5度の決定機は作れる。まあ、すべて外してしまっては得点は奪えないが…。

しかし、相手が韓国であれば……日本と互角以上の力を持った国であれば、こちらが漫然と、計算も駆け引きもないサッカーをしているうちは、自ら自滅してくれることなどまずない。90分間、ゲームプランを貫徹し、むしろ今の日本にはない、計算や駆け引きを駆使して、こちらの攻め手を封じてくる。それが現実なのだ。

後半、10対10になって以降、どれだけボールを保持し回そうとも、ほとんど日本は、決定機らしい決定機を作れなかった。それに引き換え韓国は、自陣に引かされたあの劣勢の中から、際どい決定機を、いったい何度作り出しただろうか?

このレベルの相手に、スローな攻撃からの得点などまず有り得ない。オシム時代ならばいざ知らず、前線の連動性を欠き、それぞれを勝手に動き回らせているだけの今の岡田ジャパンでは、あの構図からの得点は、事故とセットプレー以外は考えられない。

無理スジの攻めの為に、無駄なリスクを抱え込んで、ただただ一本調子に、90分間、体力の尽きるまで、前のめりのサッカーをしている。そんな計算や駆け引きのない、イケイケドンドンのサッカーを、これまでJFAも、ファンやサポーターの多くも、日本は強い…との幸福な誤解の元に、無自覚に、そして間接的に、後押ししてきたのではないだろうか?

ここでいつも言わせてもらっていることだが、今現在の日本代表は、アジアで3番目か4番目ぐらいの国であると僕は思う。今回は海外組がいないから……とのエクスキューズも成立しない。もし海外組を揃えたとしたならば、むしろ強くなるのは韓国の方である。たとえ長谷部誠が加わっても、中村俊輔もセットで加わるのであれば、攻撃はさらにスローになる。日本の攻撃を、むしろ停滞させてしまう可能性の方が高いだろう。

冷静に考えてみて欲しい。

日本にイ・グノはいないが、そのイ・グノが、海外組のいない韓国にあって、スタメンですらないのだ。
あなたがもし監督であれば、岡崎慎司、玉田圭司、大久保嘉人をイ・グノに優先して起用するだろうか?僕ならば絶対に有り得ない。それひとつとっても、チーム力の差は明確ではないだろうか?これが日本なのだ。

宿敵に敗れて悔しい気持ちは判るが、しかしこの現実を受け止めずに、僕達は真実のスタートラインにたどり着く事などできない。誰かが誰かの所為にして、罵詈雑言でやり込めてみたところで、この国のサッカーの未来に寄与するものなど何もない。それは、岡田監督も、協会も、選手も、僕達ファンやサポーターも同じことである。

今ここで、この試合によって、僕らがこの国のサッカーの真実に触れられたのだとすれば、辿り着けたのだとするならば、それはとても価値あること。この試合が、素晴らしいゲームであったということの証となる。

日本は弱い。強くない。ベスト4なんて到底無理。良くて1勝。おそらく全敗。
その認識で正しい、と僕も思う。

そして、だからこそ、今ここでどうするべきなのか?
何を考え、何について語り、何をすべきなのか?それを誰に伝えるべきなのか?どう伝えるべきなのか?何の為に伝えるべきなのか?そしてほんとうに目指すべきこの国のサッカーの姿、代表の在り方とはどんなものなのか?

今一度、この国のサッカーに関わるものすべてで、深く、真剣に、考えるべき時なのだと僕は思う。


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2010年02月12日

【東アジア選手権】vs香港 戦評【キリタニ】

まずはじめに、協会も、岡田監督も、選手も、ファンやサポーターも。
この東アジア選手権という大会をどのように位置づけているのだろうか?

事前に僕はこう考えていた。
本戦に比べれば相手の力量は多少劣るとはいえ、既定の試合の中では、相手が本気で臨んできてくれるだろう、ほとんど最後の試合である。ここでWC本大会に通用する攻撃の仕方、点の取り方、ゲームプランの組み立て、そしてバックアッパー・新戦力のテストを、しっかりとしておくべきである……と。

ところが実際はどうだろうか?

そんなこととはまったく違う次元で、協会も、岡田監督も、選手も、ファンやサポーターも、中国にしか通じない、香港にしか通じないやり方で、イケイケドンドンの派手な勝利ばかりを求めてしまっている。

岡田監督が残り4ヶ月の任期において集中すべきことは、WC本戦において如何に日本の良いパフォーマンスを引き出すか……である。そしてその為に必要な攻撃、ゲームプランとは、前掛りの敵に対するカウンターでの速い攻めと、敵がバテるだろう残り20分、15分にリスクを限定して総攻撃に出る戦い方なのだろうと僕は思ってきた。

要するにそれは、今ここで中国や香港に気持ちよく勝とうという戦い方の対極にあるのだと。

ところが、まるでこの期に及んで、この東アジア選手権が岡田監督是か非かの期末試験のような捉え方までされている。果たしてそれがこの大会の位置づけとして合理的なものだったのだろうか?

東アジア選手権なんて、どうしても勝たねばならない大会ではなく、4カ月後のWC本戦の為に、頭から、徹頭徹尾利用してやればそれで良かったのだ。そもそも、あってもなくても、どっちでも良いレベルの大会である。そこで、これまで通りなんら変わらず、工夫も無く、対アジアそのままの構図の中、一本調子で戦っている。僕はそれを、一番残念に思っている。これでは、WC本戦にまったく繋がらない……と。

僕がこの2つのゲームに求めていたものは、強者にも通じるリスクを限定した上での素早く無駄の無いカウンターのテストであり、またポゼッションの優位によって、敵を縦横に揺さぶり、プレスを無力化してやった後に、内から外から、残りの20分、30分間で蹂躙してやる……といった、真綿で首を絞めてやるような狡猾な戦い方であった。であれば、この中国、香港ともに1-0のスコアで充分だと思っていた。

ちなみに、この香港戦において日本にカウンターのチャンスが巡ってきたのは5回。要するに香港の攻めが、こちらの1/3までボールを運んだ回数=カウンターのチャンスが5回である。それを、しっかりカウンターのカタチとして成立させていたのは、開始5分の遠藤のドリブルからのチャンス一度だけ。その他はアタッキングゾーンに進入する前に、つまらないトラップミスや、出し手と受け手との意思疎通のなさ、明らかなオートマティズムの欠如によってチャンスを逸していた。

要するに、WC本戦を占える攻撃のカタチが、この試合ではほとんど試されることさえなかったということである。ただ香港相手に、気持ちよく勝ちたい、大量得点で勝って安心したい、安心させられたい。そんな協会や、監督や、選手や、ファン、サポーターのナイーブすぎる願望によって、この1試合を浪費してしまった。もしこれを問題と捉えるならば、やはりこれは誰か一人の問題なのではなく、この国全体の問題なのだと僕は思う。

その一方で、香港は良いゲームをしたと思う。

充分に低い位置までリトリートして、攻撃に人数をかけてこない、いや前でキープできずに、実際には押し上げることも人数をかけることもできないのだが、その分だけ、逆に中国よりも守りは堅かった……と言える。

しかし、それができたのも90分のゲームのうちの60分まで。
前半の40分頃からは、危うげな体制から繋ぐ意識、攻撃への色気を出し始めて、低い位置で悉く日本にボールをプレゼントし、徐々に自らで墓穴を掘っていった。少なくとも前半は、遮二無二0-0で凌ぎ切ることだけに集中していたならば、さらにもう一段日本を苦しめ、追い詰めることができていた事だろう。

4-4-2の綺麗な3ラインでの守備も、後半15分、2トップの一人がサボリ始めるまでは本当によく機能していた。このゲーム内容を見る限り、僕の中の香港サッカーに対するイメージを、少し改めねばならないと感じている。今後各種予選、むしろ攻めを放棄してくるだろう、こちらのホームでの戦いにおいては、充分に心して臨まなければならない相手になってくるのかも知れない。セットプレーでの守備はまだまだ拙いが、キム・ボンゴン監督は規律ある良いチームを作り上げつつあるように思う。

次戦、おそらく中国に苦杯を喫した韓国は、この日の日本のように、ナイーブにも頭から勝ち気で攻めにくるのだろう。それをいなして、中国がやったようにカウンターを繰り出す。或いはリスクをかけずにボールを回しながら、70分間目が回るほど走り回らせてやり、残りの20分で地獄を見させる、計算づくでキッチリと仕留める。この東アジア選手権、来るべきWCの為に、1試合でも活かそう、活かしたいと、本気で考えるのであれば、僕はそんなゲームこそして欲しいと願っている。

いずれ世界と互角に戦いたいと願うのであれば、いつまでも対アジアの構図の中に埋没し、アジアの純真を謳歌してばかりもいられない筈である。それはきっとピッチの外で、それを見守る僕らにも突きつけられている課題なのではないだろうか。僕はそう思っている。

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2010年02月08日

【東アジア選手権】 vs中国 戦評 【キリタニ】

まず最初に断っておかねばならない事がひとつあると思う。

それはこの中国戦と、先日のベネズエラ戦は、ゲーム内容も、対戦相手のレベルも、その対戦相手の目的も、そしてその戦い方も、まったく異なるゲームであった、という事である。

前回のベネズエラ戦より攻撃は良くなった……という。
確かにチャンスの回数は増えただろう。が、その背景にあるもの、そしてその中身を見落としてはいないだろうか?

この中国は、ベネズエラほど組織だったプレッシャーをかけてきていただろうか?
この中国は、半ば攻撃を放棄してまで守備を固めてきていただろうか?
この中国は、WC予選アウェーでブラジルと引き分けられるほどのポテンシャルを持ったチームだろうか?或いは、ホームとはいえ、コロンビアに2-0で勝てるだけの可能性を有したチームだったろうか?

僕はそのどれもがNO!だと思っている。
要するに日本は、ベネズエラ戦に比べ、実力的にも、状況的にも、戦術的にも、組みしやすい中国と戦って、勝ちきれないばかりか、1点も取ることさえできず、PK献上で敗色濃厚なところを命拾いした。

もちろん、こういうゲームがあるのもサッカーだ。が、そういう位置づけの試合であったことは、このゲームへの評価の基準として、建設的に踏まえて議論されなければならないものと僕は思う。

この試合から僕が問題を抽出するとするならば、むしろそれは永遠の課題である決定力を欠いた攻撃……などよりも、ボールを奪われた際の速い攻めに対する対応の方である。もし中国の中盤が、まともな状況判断から、あとワンテンポ速くボールを運び、稲本の壁をすり抜けることができていたならば、日本は少なくともあと3、4度の決定機を中国に与えていたように思う。そういう意味では、日本にとってこの試合は、無用なリスクを負いながら、非効率な攻めに終始したレベルの低い内容であったと僕は評価している。

稲本潤一の迷いのない、積極的で、的確な、“つぶし”が、いったい何度日本のピンチの芽を摘んでくれただろうか。彼はこのチームにしっかり自分の活き場を見つけ、その能力とポテンシャルの高さを証明したように思う。彼と内田篤人、そして楢崎正剛の安定したパフォーマンスが、この悲観的な試合における、唯一の光明であったと僕は思う。

一方の中国は、サッカーに関してはこれまでとあまり変わらない。本質的には、未だ10年前、15年前の眠れる獅子そのままであると僕は思う。 17番ガオ・リン、 20番ロン・ハオなど、個々の能力に光るモノはあれど、相変わらず戦略性を欠き、また戦術的なバリエーションと柔軟さが足りない。そしてまた、勝負どころで“力押し”でくる強引さにも欠ける。これでは実力に勝る日本相手に、無闇にリスクを負いながら、鴨がネギ背負って戦っているに過ぎない。この中途半端さが、ゲームインテリジェンスの無さが、中国サッカーの進化を拒んでいるのだと僕は思う。本来ならば、この結果に喜んでばかりもいられないはずだ。

何よりも一番気になったことは、ひとつひとつのプレーに“視野を確保する”という意識が欠けていることである。ボールを保持してルックアップできていないし、またそのボールを受ける予備動作の中で、状況を認識する意識が欠落している。そしてそんな味方の状況に対する、ケアとサポートの意識も希薄である。ある意味これは中国人の文化的背景に由来する“個性”なのかも知れないが、この部分を育成年代からしっかり叩き込んでゆかなければ、サッカーの質を根本から変える事は難しいだろう。

しかし、逆にいえば、そんな基本を欠いてこれだけ球際に強く、個々のキープ力を発揮できるのだから、やはり日本人より個の潜在能力は高いといえるだろう。特に17番ガオ・リンなどは、うまく溶け込めればJリーグでケネディと同じだけの存在感を発揮できるタレントであると思う。中国からJリーグへ……という流れは、今このタイミングを逃してしまえば将来実現不可能である。長期ビジョンに立って、どこかのクラブがその先鞭を付けてくれることに期待したい。

後半37分のPK。
今後の日本にとって、あの結果が齎すものは幸運なのか?それとも不運なのか?
きっと議論の別れるところだろう。過去にもそんな場面は何度もあった。そうして、その度にちょっとした幸運、或いはもしかしたら不運によって、ここまでダラダラと流されてきたのである。

今から他の誰かに監督を代えよ……とは、僕はまったく思わない。また、1、2敗したところで代えてくるものとも思わない。

もしかしたら数ヶ月で、チームを変貌させてくれる人は確かにいるのかも知れない。しかしそれによって、日本がWC本戦で何かを成し得るものとも僕は思わないし、また、その付け焼刃が、様々な幸運によって何らかの奇跡を成し遂げてみたところでどうだろう?もしかしたらそれは、本質的な問題の先送りにしかならないのではないだろうか?Jリーグのクラブにも、そんな前例が数限りなくあるのと同じように。

一番真理に近いところの妥当な『現実』を僕は受け止め、それを噛み締めてみたいと思う。例え自らは死滅してしまおうとも、僕にとってより大切なものは、4ヵ月後の日本より、40年後の日本なのだ。

しかし同時に、現体制においても確実にベストは尽くされるべきであり、今更ではあったとしても、若干のフォーメーション修正と人選の変更はあってしかるべき、いや、無くてはならないものと僕は思っている。WC三次予選アウェーのバーレーン戦において、無様な敗戦を喫した岡田監督は、一度大きくチームを変えている。もしかしたら今回の中国戦も、その為の大きなターニングポイントになり得たかも知れなかった。いずれにせよ、今がこのチームを多少なりとも変革し得るラストチャンスであることは間違いない。このまま“大きな問題はない”と云って南アフリカに向うのか?或いは、日本の100%を出し切る為に“覚悟を決めて練り直す”のか?

後半37分のPK。
あの結果が齎すものが、果たして幸運なのか?それとも不運なのか?
あと4ヶ月の間、僕はそれを自分自身に、反問し続けることになるのかも知れない。

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2010年02月03日

【キリンCC】対 ベネズエラ 戦評 【キリタニ】

ボールポゼッションはどのくらいの差が開いただろうか?
後半戦の展開を見れば60:40に近い数字が残ったかも知れない。が、僕の評価は、非常に似通ったスタイル、そしてレベルのチームが、非常に似通った問題を抱えながら、互いに一生懸命に力を出し合ったテストマッチ…。そんな印象である。

誰が悪い訳でも、良い訳でもない。
このレベルのチームが、これぐらいのコンディションで、こんな感じで互いにプレスを頑張りあうと、こういうゲームになる。そんな見本のような試合だった。

では、問題は何なのか…と云えば、

まず第一に3人目の動きと、それを促す連携、オートマティズムの不足。そしてチームとしての勝負どころの勘。スピード。それを察知する個々人の皮膚感覚…とでもいうような、鋭敏な反射する神経と、ボールを速く正確にコントロールするスキル。

そう。“それ”は正確には問題とは云えない。
世界に5つ程度の例外と、多くても10程度の特別な個を擁する特別な国々をのぞけば、200を越えるといわれるFIFA加盟国の95%以上。世界中ほとんど全ての国の代表チームが抱える「課題」なのである。

問題があるとすれば、それにどう取り組み、どうやってカタチ造ろうとしているのか?その為のプランニングとその実践が果たして正しいのかどうか?そしてその為にベストを尽くしていると云えるのかどうか?

問われている部分は“そこ”なのだと思う。

で、残念ながら僕は、2007年の11月以来、この代表チームにおいて、“それ”の部分に対する進化や進展はあまり感じられなかった。結局、ピッチ上における個の裁量や、「ゴール前の迫力」という、手ごたえのない表層のお題目にすりかえられてしまったように思う。

そういう意味では、現状“それ”が出来ていない事には、世界のほとんどの国々同様、然したる問題はないが、その取り組みやプランニング、そして実践、ベストを尽くしてきたのかどうか…という、“そこ”の部分については、大いに問題があったと思っている。WCの結果とは別に、大問題であったと考えている。勝とうが負けようが、そのJFAに対する落第・失格の評価だけは、きっと僕の中で変わることはないだろう。

ベネズエラについては、与えられた状況のなかで、良くこれだけ戦って、ファイトしてくれたと思う。守備をさぼらず頑張りはするが、ボール回しに怖さが無く、勝負どころのスピードとスキル、判断力に欠ける。その辺がウルグアイやエクアドル、南米の二流国あたりとの、決して小さくはない“差”であり、“壁”なのだと思うが、南米のこのクラスの国家も、ベストメンバーを揃えて真剣勝負をするならば、やはり日本とほとんど差のないゲームをするだろうことが確認できた。

また、僕がこのゲームのMVPを選ぶとするならば、長友佑都の名をあげたい。
右サイドの徳永悠平の動きと連携が物足りなかった部分もあり、彼の運動量とスピードがさらに光って見えた。

そして本当に久しぶりに存在感を見せてくれた大久保嘉人のパフォーマンスにも、今回に限っては、及第点をあげられるのではないかと思う。バイタルエリアの狭い局面で、現状日本のFW陣の中で、唯一個力で勝負できるタレントであることを証明してみせた。が、もし主審が中国人レフェリーではなく僕、であったならば、前半32分、ゴール前シミュレーション気味に転倒した場面で、この日2枚目のイエローカードを出して退場を宣告していたかも知れない(一枚目は中盤でのバックチャージ)。確かに地力は見せてくれたが、彼の起用にはリスクが伴う…ということを、再認識させられた。面白い。が、一方で非常に難しい選手でもある。

現状、僕の岡田監督に対する一番の疑問。それは、なぜサイドアタッカーを使わないのだろうか?

ということである。
石川直宏、香川真司、そして乾貴士。僕ならば、両サイドは彼らの能力に託して、さあ一対一、勝負しよう、というサッカーを選択するだろう。アタッキングサードでの連動もなく、ごちゃごちゃとボールを回していれば、いつか局面は打開できるのだろうか?違う、と思う。そうやって得点するには、最終局面でさらに大きな展開と連動が求められる。鹿島や広島のサッカーのように。それができないからこそ、その部分を伸ばせなかったからこそ、分は悪くとも、サイドで一対一を仕掛ける選択…というものが今以上に必要なのだ。このレベルの相手でも、パスだけで崩すというのは容易ではない。試合が膠着してしまうのも、面白くないのも、そのへんに原因があるのではないかと僕は考える。

最後に小笠原満男について。
このごちゃついた中盤の中で、自分の役どころを考え、時に長い距離を走り、時にサイドに開いてタメを作りながら、良い仕事ができていたと思う。2本のミドルは、彼独特の間と正確なトラップから計算どおりのコースに放たれたもので、これまでの日本に欠けていた意識の一端を表現して見せてくれたように思う。やはり彼には、他のライバルたちとは少し異質な、強い“存在感”と勝負への“執念”が感じられる。

海外組の居ない、大分九石ドームでの興行における、この小笠原満男⇒金崎夢生という選手枠、選手交代の意図するものは何か……。真相のほどは僕には判らないが、少なくとも小笠原満男は充分に及第点を与えられるデキであったと思う。この日の中盤で、彼は誰よりも輝いていた。

本大会において、このチームに大きな革命を齎すインパクトを与え得る選手がもしいるとするならば、僕はそれを、小笠原満男と石川直宏であると思っている。次の東アジア選手権、僕はこの二人の活躍に期待している。

※本日、石川直宏は東アジア選手権メンバーから外されたとのことです。

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