2010年01月29日
つい先日、Yahoo!スポーツファンタジーサッカーの休止が発表されたそうだ。以前密かにファンサカを、愉しんでいた時期もあった自分としては少々残念である。
オンラインゲーム愛好家たちのJリーグへの興味と関心を呼び覚ますツールとして、またネット上の潜在的なサッカーファンとJリーグとの関係を繋ぎとめるための装置としても、このファンタジーサッカーは意義あるものであると思っていたし、できることならばずっと存続されてゆくことが望ましいと考えていた。データとしてOptaが採用されていたようだが、Jリーグ側からのサポート体制はどのようなものだったのだろうか?
このファンタジーサッカーを、どれだけのユーザーが利用していたのか僕には判らないが、Jリーグは自ら率先し、このようなツールを利して、それを盛り立ててゆくことで、新たなファンを獲得していかなければならないのではないだろうか。サッカーからゲームへ…というユーザーの流れとは別に、ゲームからサッカーへ、スタジアムへ…という新たな潮流も、自らで、主体的に、作り出してゆこうとするプランやアイディアもあっていいのではないだろうか?アジアという巨大な商圏を見据えながら、Jリーグにも次代を睨んだそんな動きや働きかけが、そろそろ出て来るべき頃合なのではないかと僕は思う。
ちなみに、2011年度このファンタジーサッカーをもし再開することがあるのならば、Yahooさんにはゲーム方法を少し工夫していただければと思う。
私案ではあるが、
1節ごとに選手を総とっかえできる今のルールでは、選手やクラブへの愛着というものがなかなか育まれにくく、シーズンを通しての継続性と面白みに欠けると思うのだ。逆に、シーズン開幕前、10億の資金を元手に、最大選手枠25名の保有選手を決定させ、1節こどにその中からスタメン11人を選出する…。保有選手のレギュラー落ちや負傷などもありながら、苦しい長期戦をやりくりする(途中で移籍期間を設けても良いだろう)。これにより自らが選んだ選手への愛着と理解がさらに深まる。年間を通して、多くの選手を獲得したクラブの勝敗に一喜一憂できる。Jリーグに対する理解と関心を深めるためには、その方がより有効なのではあるが…。
さらにもうひとアイディア。
僕のようにあまりアクションゲームが得意ではなく、長時間プレイして技術を習得する時間も根気もないニンゲンは、やはり運営シミュレーション系のゲーム以外に関心がないのである。Jリーグファンやサポーターの高齢化も進んでいると聞くし、きっと僕のような境遇の方々も少なくないのではないかと思われる。
そこで既存の、ありきたりなシミュレーションゲームからさらに一歩進んで、Jクラブの立ち上げからアジアNo.1のビッグクラブを目指す、GM(ゼネラルマネージャー)職の活動に特化したゲームを作ってもらえないものだろうか?
現状それらのカテゴリーに属するゲームは、自分という一人のクラブ監督がすべて全権で取り仕切るカタチとなっており、サッカー界のリアリティと共に、交渉力、政治力を駆使するクラブ内での面白み…という要素が欠けている気がするのだ。社長=GM=スカウト…程度の融通はあっても良いと思うが、GMと監督の仕事は別モノとして考える。その上で、クラブの長期ビジョンの元に、どの監督を招聘し、何を目標に、どれだけ我慢するか、或いは要求をするか…。そんな駆け引きすら楽しめる本格的サッカークラブGMゲームの誕生を僕は待ちわびている。祖母井秀隆氏監修で、ひとつ企画してみてはどうだろうか?
間もなくセガさんの『J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!ONLINE』が始まるとのことだが、こういうゲームと連動して、Jリーグは何かを仕掛けてゆくべきではないかと僕は思う。方法はいろいろあるはずだ。アイディアは熱意を持って募れば、いくらでも出てくるはずである。いずれ僕もJリーグサカつくonlineには参戦してみたいと思っている。その際は、どなたか手解きをよろしくお願いいたします^^
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2010年01月26日
理想をいえば水原三星のエドゥー、或いは大宮のラファエルが欲しい…と、思った。
日本人であれば草津の都倉賢が欲しいと思ったし、水戸の荒田智之も魅力的だと思っていた。
もし浦和が2トップをするのであれば、エジミウソン+(プラス)もう一人インパクトのあるFWが必要だと僕は考えていた。しかし、6月までポンテが残留する契約上の問題もあり、どうやらもう一人のFWの獲得は、叶わなかったようである。また、阿部勇樹の契約もまだ流動的な部分があるようで、もし彼が離脱するようであれば、ポンテ後の1枠はポスト阿部枠として活用されることになるのだろう。
昨年の浦和を見ていて、僕が非常に物足りなく感じていたのは、フィニッシュ時のペナルティエリア内での頭数不足、迫力不足である。セットプレーになれば、闘莉王や阿部勇樹の迫力ある空中戦がPA内で展開されるのだが、流れの中で、ゴールに近いところで、期待させる状況やシーンというものがやや少なかったように思う。
もちろんそこにはボールを大切にするが故の攻撃のスピード不足や、ビルドアップを意識するが故の前線の人数不足といった側面があり、昨シーズンの状況では致し方のない部分もあったのだろうが、そこから一歩踏み出して、攻撃に迫力を、相手ディフェンスに脅威とプレッシャーを与えて、ねじ伏せるようなサッカーをしたいのであれば、僕は単純にFWを1枚増やすべきであると思っている。
昨シーズンの4-2-3-1では、ゲームは支配すれど点は取れない。
シーズン序盤、直感的に、僕はそう予感していたし、実際浦和の攻撃は最後の部分で怖さが無い。それが現状の、鹿島やガンバ、そして川崎フロンターレとの大きな格差であると僕は思う。
願わくば4-2-2-2の布陣を期待したい。
現時点での僕の勝手な理想を書き連ねると下記のような布陣となる。
エジミウソン 田中達
(高崎) (高原)
サヌー 柏木
(原口) (ポンテ・セルヒオ)
山田直 鈴木
(細貝) (阿部)
宇賀神 阿部 坪井 高橋峻
(永田) (スピラノ) (堤) (山田暢)
山岸
(都築)
上記のトップと2列目の2-2のボックス・スクエアの部分が、攻撃時には時計回りに捩れて、柏木陽介を逆三角形の頂点とした3トップのような陣形が作れれば理想的である。そうしてできる二列目のオープンスペースをサイドバックが補完してやれば、より厚い攻撃に繋げられるのではないだろうか。
相手のカウンターは、阿部と坪井のスピードで可能な限りカバーする。
2010シーズン、僕が見たいのはこんな浦和レッズである。
具体的な目標をいえば、やはりそれは『Jリーグ3位(ACL出場)』になるのだと思う。
上位チームの戦力補強とチーム状況の充実振りを見れば、カンタンな目標ではないと思う。しかし、ファンやサポーターの期待と応援に応える為にも、その目標に向けてチーム一丸となって闘っている姿を見せて欲しい。その達成確率は40%ぐらいのものだろうと予想する。
そして、高原直泰について。
僕が今シーズン一番期待する浦和レッズの選手は誰か?と問われれば、高原直泰であると答える。
もし今年の浦和が、この戦力で優勝争いに絡むほどの躍進を見せるのだとすれば、それは高原直泰が復活したときなのではないかと思う。そこにどれだけの可能性があるのかは判らないが、昨年終盤、ひどいチーム状況の中にあって、出場機会もなかなか与えられない現実の中で、彼がその誇りを失わずに、短い出場時間の中で、全力で戦っている様を僕はたびたび見せてもらった。
このシーズンオフの苦悩と悔しさは、彼のサッカー人生の中で、きっとはじめて経験するものであっただろう。常にゴールデンエイジと呼ばれる世代の先頭を切って走り続けてきた彼にとって、きっと屈辱的なものであっただろう。今シーズンの彼の奮闘を、復活にかけるその意地と魂の軌跡を、僕はしっかり見届けたいと思っている。彼にとっても、これまでで一番大切なシーズンがはじまるのだ。
この2010シーズンは、浦和レッズ黄金期へ向けての『ステップ』の年になるのだと僕は考える。来シーズン以降、長期にわたりJ1優勝争いを繰り広げてゆくための、その最後のモラトリアム期間…と言い換えても良いだろう。
『私達は他人が幸福でないのを当たり前と考え、 自分自身が幸福でないことにはいつも納得がいかない』
ということわざがある。
生きていれば良いことも悪いこともある。良いことだけで人生を埋め尽くすことなどできないし、それが現実というものなのだろうと僕は思う。
浦和にとって今が辛い時期だとしても、一歩引いてJリーグ全体を眺めてみれば、それでも浦和は充分に幸福である。決して不幸ではないのだ。クラブと共に、ファンやサポーターもいまそれを噛み締めながら、耐えねばならない時期なのだろうと思う。
フォルカー・フィンケという人は信頼に値する指導者であると僕の目には映っている。ここでの我慢や忍耐が、いつの日か報われることを信じて、今年も浦和の1年を見守ってゆきたい。
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2010年01月21日
2010シーズンの浦和のチーム構成を考える上で、僕が一番懸念していたのは、実は阿部勇樹の離脱であった。
オーストラリア代表のスピラノビッチ加入が決まり、堤俊輔の復調と合わせて、なんとかCBの頭数が揃ったようにも見える。が、やはり新加入の外国籍選手と、1年を越す長期故障あけの若手では、未知数の要素も多く、チーム構成上の信頼性といった意味で、DFもこなす阿部勇樹の残留は不可欠なものである、と僕は考えていた。
サヌーをアタッカーとして起用するのであれば、期待された即戦力としてのサイドバック獲得はほぼ叶わず、その点で今シーズンの4バックの、攻撃面での進化、急成長は期待しづらいかも知れないが、ひとまずCBについてはこの阿部勇樹の残留によって、ひとつの大きなリスクを封じることができたのではないかと考える。
昨年の浦和は、全34試合で43得点/43失点という結果を残している。
ちなみに2008シーズンは、同じく34試合で50得点/42失点である。(この年はDFの闘莉王がエジミウソンと同じ11得点をあげている)
2010シーズンの浦和、現時点での戦力と予想布陣を見る限りにおいて、僕は6月に2トップの一角を担う、エジミウソンと同等レベルの新外国人ストライカーの加入でもない限り、この43という得点数を大きく伸ばすことは難しいのではないか思っている。しかしその逆に、守備面、失点の数については、今の陣容でも充分に10近く減らす事は可能なはずだ。
仮に得点が43のまま変わらずとも、失点を33程度に持っていくことができれば、得失点差は+10となる。これを尺度に測れば、その時点で昨シーズン4位のサンフレッチェ広島より、得失点においては+1上まわることになる。
DFながら高い得点力を持ち得た闘莉王を失ったいま、チームをさらに1歩進化させよう、前進させようと考えるのならば、その闘莉王の影を追う、不足を埋める補完的な施策に留まるのではなく、僕は少し先の将来を見据えながら、スピードとゲームメイク重視の、思い切ったDFラインの再構築にトライすべきなのではないかと考える。
終盤に散見された最終ラインでのイージーなミスを減らすこと…そのミス量産の主因ともなっていた夏場・ゲーム終盤の運動量の低下に一定の歯止めをかけ、中盤のポゼッション状況における危ういボール回しやポジショニングを是正してゆくことができるならば、失点は減らせる。即ち、チーム全体としての高いDFラインへの対応力を、さらにもう1歩高めることができるならば、「ゲームを支配しながら能動的に戦う」というスタイルとコンセプトを維持しながら、易々と後ずさりするのではない攻撃的な守備強化を為す事はできるのだ。
やはりキイとなるものは、
「さらなるポゼッションの強化」と、その為の「高いDFラインの熟成」
であり、さらに当てずっぽうにでも、もう少し具体的に言うならば、チーム全体の2~3%程度のボールポゼッション率の向上、そしてそれを支える2~3%程度の運動量の底上げ。さらにそれにプラスして、最終ラインのスピード対応能力の強化(人選も含む)と、パス・フィード精度の向上が求められる。
それが、現状僕の考え得る2010年浦和レッズの一番現実的な強化の方向性であり、また2011年からはじまると期待する、Jリーグの覇権を争う「黄金期」へ向けての、着実な基礎固めの要点となるだろう。
戦力構成自体のバランスでいえば、僕はこの2010シーズンに対してもネガティブな印象を持っている。これは現体制というよりも、旧体制の負の遺産を未だ引きずり続けていると見るのが妥当な評価なのだろうが、2列目のアタッカーにばかり頭数がごちゃついていて、トップはエジミウソンが負傷離脱でもしたら、目を覆うしかない状況に陥る。また現状両サイドバックは質・量ともにまったく不満。CBも未知数である。
しかしそれでも、若手の底上げもあり、いずれ高給のスター選手、ベテラン選手たちへの人件費を仕分けし、それを本当に必要な方向、価値ある方向へと差し向けることができるならば、その瞬間チームは一気に変わる。変われるはずである。僕はそれを具体的に、2011シーズンと予想するが、今年はそこに繋げるための「ステップ」の年になればそれで良いと思っている。そんな実感さえ共有できるならば、ファンやサポーターの多くも、きっと一緒になって支えてくれることだろう。
2009年、あれは浦和vs鹿島の最終節だっただろうか?
小笠原満男に激しいチャージを受けながら、原口元気がそれを弾き飛ばして前進するシーンがあった。昨シーズン、トップリーグの厳しい洗礼を受け、苦闘し、ある意味では傷つきながらも、それでも試合に出続ける中で…我慢して起用され続けた中で、彼は強くなった、進化を続けていたのだ。開花の時期はまだもう少し先のことなのだろうが、僕はこの1シーンに、18歳の若者の成長の証を、まざまざと見せ付けられた気がした。
苦しかったが、この1年には確かな意義があったのだ…と。
次回は攻撃面について考察してみたい。
その中で、具体的な目標設定についても言及できればと考えている。
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2010年01月19日
2009年シーズン開幕前、浦和が大きな戦力補強のないままシーズンに向うことが判明したとき、非常に良い選択をしたな…と僕は思った。
なぜならば、「期待の外国人助っ人」や「J期待の若手」を新たに招き入れることで、ファンやサポーターの過剰な期待を煽ってしまうことは、得策ではない…と思っていたからである。賢明な彼らは、少なくともそのなかの大半の人々は、彼らにとっての2009シーズンが我慢のシーズンになることを覚悟しているように僕には見受けられた。
この2009という我慢のシーズンに、迷いなく、妙な色気を持たずに、しっかりと向き合う事は、クラブやスタッフ、選手たちばかりではなく、多くのファンやサポーターたちにとっても、大切なことのような気がしたからである。
そしてそれと同時に、フォルカー・フィンケという人の資質やキャラクターについても、多くのインタビューやその物腰、彼の下したいくつかの選択を通して、少しずつ見え始めてきたような気がした。そんな僕の監督・フィンケに対する印象は、
「良いトレーナーかどうかはまだ判らないが、慎重で思慮深いマネージャータイプの人間であり、これならば浦和での最初の戦いもソツなくこなし、うまく立ち回れるのではないだろうか…」
と、いったものであった。
その後の経過を見れば、やはりフォルカー・フィンケは卓越した政治的手腕をも兼ね備えたマネージャータイプの指導者であり、現状の浦和にとっては、うってつけの人材だったのではないかと改めて僕は確信している。少なくとも彼は、浦和での最も困難なその最初の戦いに生き残った上で、いま全権に近い権限を与えられたカタチで、来シーズンへ向けて自ら舵を取り始めている。
この浦和自身との闘いとも云える一年は、他のどの監督であっても非常に困難なものであったと僕は思うし、おそらく並みの実績の日本人監督であれば、弾き飛ばされたのは闘莉王ではなく監督の方であり、混沌とした秩序の中での、出口の見えない混乱が、さらに延長される破目になったのではないかと思っている。
これはフィンケ自身の成功というばかりではなく、浦和レッズ自体の、クラブとしての「前進」でもあったと言えるのではないだろうか。
フィンケにとって、浦和にとっての、次の大きなハードルは、2010年開幕から6月のポンテ退団までをどう凌ぎきるか…ではないだろうか。ここの出足で躓き、長い連敗を続けてしまったり、モチベーションを失った選手達とフィンケやフロントとの間に、紛争や亀裂が生じるようであれば、フィンケと浦和の改革は頓挫してしまう恐れがある。
南アWCのブレイクまで、五分程度の勝ち星で推移すれば、ひとまず問題なく後半戦に繋げられると思うが、序盤で負けが込むようであれば、相互不信の悪循環から、サッカーのカタチそのものが変質していってしまうかも知れない。
これは浦和に限らず他クラブ、或いは代表であっても云える事なのだが、もし僕が浦和フロントの立場であり、フィンケとの契約破棄という決断に至る瞬間があるとすれば、それは彼が自らで掲げたそのサッカーのカタチ、スタイルに背いた時であり、未来へ背を向けて、言行不一致の采配や言説をはじめた時である。そしてそうなるまでは、例え一時的に降格の危機に瀕しようとも、僕ならば覚悟を決めてとことん我慢するだろう。なぜならば、サッカーにおいて、このようなスタイルへの転換は、どうしたって時間のかかるものだからである。浦和のようなクラブであれば尚更である。
ポンテ(2010年6月までの契約と聞く)、高原との契約は未だ継続中であり、そこに費やされる巨額の資金を、新たな戦力補強の為の原資に差し替えられなかった責任を、現体制に求めることは酷なのだが、それらを踏まえた上で、6月に起死回生の新助っ人獲得でも望めぬ限り、やはり僕は2010年シーズンも、浦和と浦和のファン・サポーターには、さらにもう1年の我慢を耐え抜く覚悟が必要とされるのではないかと思っている。
今の時点で、6月からの展開を予想することは非常に難しいが、現状の浦和レッズの戦力は、J1ではセカンドグループに位置する5位から8位ぐらいのものでしかないと僕は考える。
その中で、まず6月までのJリーグ12試合をどう戦っていくのか?
最終的にどのような布陣で臨み、どのような成績が残し得るのか?
そして、ケルンから獲得したサヌーへの期待と、起用法についての私見を交えながら、次回、さらに浦和レッズの2010年シーズンを展望してみたい。
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2010年01月12日
さて…はじめるかな。
今年もヨロシク。
元来TVっ子である僕は、その中でも特にドキュメンタリー系の番組が好きで、手当り次第に大量に録画しておき、実際におもしろそうなものだけを掻い摘んで鑑賞している。
その中で、昨年僕が最も感動したドキュメンタリー番組が、不眠不休で2日間に渡り繰り広げられる全長166km、累積標高差9400mもの過酷なトレイルランを取材したNHKの「ツール・ド・モンブラン」であり、またつい先日NHKで再放送された“ニートのアルピニスト”を自称する栗城史多さんの、単独・無酸素で7大陸最高峰への登頂へ挑んだドキュメント「7サミット 極限への挑戦」だった。
「ツール・ド・モンブラン」は、トレイルランの最高峰ともよばれる権威あるレースで、そこに、各国・各大陸の賞金レースなどでしのぎを削るプロトレイルランナー達が、誇りと名誉をかけて集結する。そんなプロトレイルランナーの彼らが、たった21~22時間で、この166kmにもわたる急坂を駆け抜ける一方で、その同じ過酷なレースに、年老いたよぼよぼのお爺ちゃんや、癌を患い闘病中の老人などが、家族に尻を叩かれながら参加している。まるまる2日間、不眠不休で走り続ける極限の厳しさの中にあって、彼らはユーモアを忘れず、しなやかに、そして力強く、困難に立ち向かってゆくのだ。
そこに命がけの悲壮感…などない。
やり遂げねばならぬ使命など無いし、無理を押してでも俺は行かねばならないんだ…なんていう、過剰に被虐的でセンチメンタルな趣なども無い。行けるなら行く、行けなければ行かない。そこにある彼らの判断の基準は、常に自分自身の身体との対話の中から導き出されたものであって、誰に干渉されるでも、誰を慮るでもなく、彼らは自分自身でそれを決断する。
僕はその姿を見て、これこそが本当の“自立”であり、また“共生”の姿なのだと思った。
そして、Jリーグもこうあるべきなのだと信じるのだ。
誰に強いられるでもなく、強要されるでもなく、彼らはこの過酷な戦いの場に集った。
僕はそれ自体を、拒むべきでも、また拒めるものでもないと思うのだ。それぞれがそれぞれの意志で、自らの身の丈の中で、ミライへのビジョンを描きながら、それぞれの挑戦を繰り広げる。
Jリーグが為すべき事は、その個々の参加したいという欲求に対して、プロかアマか、白か黒かの、過大すぎるハードルを設ける事で、後戻りできない清水(きよみず)の舞台へと拙速に引き上げてしまう事ではなく、その隔てを可能な限り緩やかなものにして、絶えず彼らの余力と健全に目配せをしながら、ゆっくりでも、とぼとぼとでも、前進を続けさせること、その為のサポートと管理体制を構築する事なのではないだろうか?
誰かが無理をしているのならば、エイドステーションでそれを見極め、その場で一旦休止、またはリタイアを促す。もしそれを見逃して、彼らの無謀や無茶を許し、結果多くの他者を巻き込んで、時にレース自体を中止に追い込むようなはめになるならば、それは管理者であるJリーグの、取り返しのつかない過失なのだと僕は思う。そのようなリスクをコントロールし、円滑にレースを運営・実施すること、その上でひとりの悲惨な犠牲者もださぬよう最善を尽くすのが、管理者であるJリーグの、最も優先すべき使命なのではないだろうか。
根拠のない“基準”に、それぞれ歴史も土壌も環境も異なる各クラブを付き従わせるよりも、それぞれの状況に応じて、あるものには緩和を、あるものには猶予を、そしてあるものには厳しい制限を、与えてやればいいのではないだろうか?その中で、健全性にだけは、常に厳しいチェック・監視体制の眼を光らせてゆくべきである。
2億しか稼げない田舎クラブが、例え勝てなくても、その2億でやりくりして、前へ歩を進めようとするものならば、それは大都会の、各方面へ負担を強いながら財政規律を踏み外して存続するビッグクラブよりも、僕はある意味健全であると思うし、誠実な挑戦のあり方なのだと思う。Jリーグは、そんなクラブこそを、甘やかすのではなく、応援してゆくべきだと思うのだ。
この「ツール・ド・モンブラン」のゴールシーンにおいて、もっとも盛大な歓声と祝福で迎えられたのは、僕の目には優勝者…ではなく、最終ゴール者であるひとりの老人であったように見受けられた。要するに、この過酷なレースを、制限時間いっぱいを使いきり、最後の最後まで諦めずに走りきったドンケツの参加者に対して、それを見守るものすべてが、勝者と同じかそれ以上の祝福と敬意を示したのだ。それが意味するところは果たして何だろうか?勝ち負けより大切なもの、ニンゲンの心を打ち揺さぶるもの…が、そこには在るのではないだろうか。
また、「7サミット 極限への挑戦」では、自称ニートのアルピニスト栗城史多さんが、6つの大陸を制覇し、7大陸最後の高峰チョモランマ登頂を目前にして、自らの体力的限界と“生きて帰る”という約束の元に、かすれきった、声にならぬ慟哭をあげ、悔し涙を流しながら、あと少しのところまで迫った山頂へのアタックを断念するシーンがあった。
疲れ果てて、心身ともにボロボロになり、僅か2~300mの道程を、暗闇の中、数時間をかけてよろよろと下山する彼の悲痛な姿を見ながら、栗城さんはいま下山しているのではなく、上っているのだ…と僕は思った。これは挫折ではなく、また新たな、さらに険しく過酷な挑戦へ向けての、不可避な第一歩であり、スタートなのだ…と。
今年もまた辛い、苦しい一年が続くことになるかも知れません。
が、そんな時こそ、少し視点を変えて大局を見定めるための、自分自身の人生を見直すための、良い好機なのだと僕は思います。
辛いとき、苦しいときこそ、明るく楽しく声を掛け合いながら、この困難を乗り越えてゆきましょう。
2010年が、皆さんにとって良い年、良い契機となることを、心から祈っております。
祖父の死と遠い空の風景
posted by キリタニ |11:10 |
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