2009年11月30日
~この逆境こそ、鹿島のほんとうの底力を示し、見せ付けられるチャンスである。そして僕は、彼らはそれを成し得る選手たちであると思うし、鹿島というクラブはそれを成すべきクラブであると思っている。~
僕は9月29日に書いた『J1優勝の行方を予想する』の中で、リーグ5連敗中の鹿島アントラーズの復活を期して上記の言葉を記した。あのような状況の中でも、不思議と彼らの実力や地力を疑うことはなかったし、最後には必ず優勝争いに絡んでくる…と、信じていた。
僕にはサッカーにおいてひとつの確信のようなものがある。それは、
『最後の最後にはケンカの強い方が勝つ』
ということである。個力や組織力の総和がたいして違わないのであれば、負けられない試合になればなるほど、大きな試合になればなるほど、最後にはケンカの強い方が勝つ。
鹿島アントラーズvsガンバ大阪。前半の30分のサッカーを見れば、サッカーの現実を支配するものは、まず球際の気迫であり、執念であって、それぞれのポゼッションやカウンターの志向やイデオロギーなどではないことが、そのゲーム内容においてまざまざと証明されていた筈だ。日本がアジアにおける大きな試合において、最終的に韓国やオーストラリアとのゲームに勝ちきれないのも、結局はこれがその主たる要因なのではないかと僕は思っている。
まずはその最初の、ファーストコンタクトの局面で気後れし、敵の後塵を拝するようであれば、ポゼッションも美しいサッカーも成り立たない。鹿島のサッカーは、いつもそんな理想のうちに埋没してしまおうとする日本人の脆弱なサッカー観に対して、その対極にある怜悧な、普遍の現実を突きつけてくれる。
それが、僕なりの言葉に置き換えれば、勝利に対する『執念』や『自信』といったものであり、ケンカの勝敗を決するもの…なのではないかと思っている。その上で、彼らはJリーグのどこよりも、オールマイティーなサッカーのスタイルを兼ね備えている。ポゼッションもカウンターも放り込みも、すべてその時々の状況によって、ピッチ上の選手たちが自らで選択し実践しているように見受けられるのだ。
鹿島のゴールシーンに直結した、幾つかの中盤高い位置でのボール奪取のシーンを思い浮かべてもらいたい。あの瞬間に、彼らのすべてが注ぎ込まれているのだ。きっとあれを華麗だ、美しいという人は一人もいないだろうが、僕はあの“瞬間”に込められた気力とチームメイトへの信頼こそが、サッカーの勝敗を分ける上で、一番重要な要素なのではないだろうかと思っている。そしてあの瞬間に、ゴールの匂いを嗅ぎ取れるストライカーが居て、その同じ匂いを嗅ぎ取り、身体を張って立ち向かえる小笠原満男のようなコンダクターであり、ラストパサーが居て、1つのゴールが完結する。
半年後、南アフリカに向う日本代表チームに、彼のような、安っぽい言葉で言えばしっかりと守備もできる泥臭いファンタジスタ…が選ばれなかったことを、改めて僕は非常に残念に思っている。実際に厳しいWC本大会での戦いにおいて必要とされるのは、彼のような特性を兼ね備えた選手だったのではないだろうか。
今週末のJリーグも、また素晴らしいゲームやプレーが数多く見られた。
このゲームの他にも、千葉vs大分の西川周作のスーパーセーブの数々や、大宮vs柏におけるフランサのゴール。相手DFに間合いを詰められた一対一の状況の中で、その向こうのGKとさえ駆け引きしながら、あのイマジネーションと技術によってパーフェクトに描かれたゴールへの軌道…。これまでもフランサのゴールには幾度となくこの胸を打ちぬかれてきたが、今回のゴールもまたとても印象深く、僕にとって忘れられない一撃となることだろう。あのゴールへのイメージが、日本の若い世代のプレーヤーたちに受け継がれてゆくことを期待したい。
今年のJリーグも、その最後の最後に、最高の舞台が用意された。
ある意味で僕は、川崎フロンターレに勝って欲しいと思っている。そしてまたその一方で、やはり勝つべきは鹿島アントラーズである…とも思っている。いずれにせよ鹿島が、3年連続の王座の地位をその手中に収めようとするのであれば、この一戦に勝たなければならない。きっとそれは、この偉大な業績に対する最も厳しく、そして妥当な、ハードルとなるのだろう。
2009年12月5日。6万のブーイングに晒される彼らが、その最後の最後に手繰り寄せる結末の行方を、僕も皆さんと一緒に見守りたいと思う。
男性のNGグッズとは…
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2009年11月19日
試合の感想をいえば、
『香港がんばってたね』
『CBはこの二人と心中するんだな』
『稲本潤一、本田圭祐。使わないなら南アで現地解放してやってよ』
『試合後の握手ちゃんとした?』
って事ぐらいだろうか。岡田監督も言っていたようだが、日本でやる親善試合よりは、これでも相手が本気なだけずっとマシである。相手が元気に動ける前半の30分に関しては良いテストとなる。本来ならばその30分でゴールをもぎとる強さと逞しさを見せて欲しいところだが、それができないのが日本の地力であり、現在の格なのだと思う。
こちらの右サイドの攻撃に対して、あちらの左サイドの守備が間違った対応、ポジショニングをしていたので、『ああ、そろそろ崩れそうだな…』と思って見ていたら、次の瞬間、長谷部誠のミドルシュートがゴールに突き刺さった。キレイなゴールだったし、どのみち後半には一方的な展開になったとは思うが、香港があそこでもう一頑張りしてくれていたならば、日本にとってはさらに意義のあるゲームになっていたかも知れない。そう考えると、逆にある意味残念なゴールでもあった。
また厳しいことを云えば、得点シーンはどの場面も相手のミスや拙さ、審判の誤審などの幸運が重なったもののように見受けられた。その逆に、得点を逃した場面では良い崩しや狙い通りの決定機…といった場面何度かあり、こちらのほうをしっかりと決められていれば、このゲームに対する僕の印象もだいぶ変わっていた事だろう。
週末にはJリーグ優勝争いがあり、また甲府vs湘南の決戦があり、そして夜には欧州WCプレーオフ最終戦がある…。そんな状況の中で、例え地上波であったとしても、真のサッカーファンの中に、この一戦を是非とも視聴したいと考えた人がどれだけいただろうか?
代表戦の人気、視聴率が低迷している要因。JFAや電通がそれをどんなふうに分析しているのか判らないが、僕に言わせればその主たる要因は、
供給過剰とコアなサッカーファンの離反
にあるのだと思っている。
ここから最大限の収益を引き出すために、自らでゲーム数を水増しし、その価値を貶めてきたことで、今地上波に耐え得る興味や関心を失いつつある状況に陥ってしまっているのだと僕は思う。
そしてまた彼らはライト層に訴えるために、この国のスター選手たち、とりわけ海外組の選手たちを並べたてることに活路を見出そうとした。岡田ジャパンへの回帰も、僕は支配者たちの打算による、その為の手段だったのかも知れない…と未だに思っている。しかし逆に、そうすることによって、この国のサッカーを何十年愛し続けたコアなサッカーファンの純粋を踏みにじり、失望を招いてしまった部分もあっただろう。
ライト層の希望は、そんなコア層の希望に引きずられるカタチで浸透してゆくものではないだろうか。コア層の代表サッカーに対する失望の声や空気の中で、ライト層の希望だけを煽り、それをたよりに人気を維持・継続してゆこうとするのは、戦略的にも誤りであった。僕はそう認識している。要するにJFAは、顔を向ける方向を、ほんとうに大切なものを、見誤ったのである。そして未だ、見誤り続けているのである。
2010年後でいい。リセットが必要なのだと僕は思う。
そしてそのリセットの鍵は、代表戦ではなくJリーグである。Jリーグを盛り上げることができれば、それは必ず代表に繋がる。その為にできること、その自分なりのアイディアについて、また今後しつこく書き綴っていきたい。
関連エントリー
Jリーグ改革 最後に言っておきたいこと
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Jリーグは公平ではない
おもちゃの鉄砲~市橋逮捕に思うこと~
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2009年11月18日
「大分は経営破綻に近い。再建途上の会社としてあってはならない経営が行われていた」
「危機感を持っている。悪しき前例にはしたくない」
鬼武チェアマン/以上産経新聞より
大分のJリーグに対する2億円融資の要請が報道される前から、僕はネット上で当れる大分の経営に関する情報をひとつひとつ探ってきていたのだが、どうやら見えない部分はそれ以上に深刻で杜撰なものだったようだ。
そしてその杜撰な放漫経営を積み重ねてきたクラブ。36の中のたったひとつのクラブの為に、十数年積み立ててきた10億円の積立金の60%を、いまこの時点で投入することを決める…。しかもこれは公式試合安定開催基金であって、クラブ救済のための基金ではないはずだ。当面の3億5千万円(それにしても巨額すぎると思うが…)は、まだ良いとしても、来年追加投入されるとする2億5千万円の根拠は何なのだろう。
果たしてこんな姿勢や残りの基金残高で、ここからまだ2年は続くだろうこの世界的な経済危機状況を乗り越えられるのだろうか?今現在爪に火をともすようにして経費や人件費を切り詰めながらクラブ運営にあっている他クラブの経営者たちにとって、今回の件は納得のゆく融資根拠と金額なのだろうか?
道義的にも、今後の危機管理としても、今回のJリーグ理事会の決断は疑問である。また、Jリーグの各クラブに対する経営状況のチェックと目配せという観点でも、現状のそれはあまりに甘く、そして無責任である。
現場や選手たちに罪は無い。もちろんファンやサポーターたちにも責任はない。個別のクラブの問題はJリーグのあずかり知るところではない。悪いのはただワンマン社長の所業である…。それが事実なのだろうし、それを否定する気はない。
が、今回の一件をそれだけで終わらせていて良いはずが無い。こんなことが今後もどこかで繰り返されてはならないのだ。
各クラブの経営情報についての詳細な情報開示と透明化が今以上に必要なのではないだろうか。一私企業といえども、クラブとは公益をも伴うものなのだと僕は思う。クラブ人件費や役員報酬の一々まで、すべて開示させた上で、クラブの経営状況の健全性を判断するオンブズマン制度のような委員会組織の制定も考慮されるべきではないかと思う。もちろんそれはJリーグやJFAにも同じレベルで求められることである。
この場で繰り返し何度も言ってきたことであるが、JFAはこの国のサッカー強化の主体がJリーグであることをよく認識し、また尊重すべきである。このような状況においても、JFAは我関せずで、2011年にはわざわざアルビレックス新潟のお膝元に3つ目のJFAアカデミーを創設することを計画中だそうだ。170億稼ぐ事には、確かに大きな意義があるだろう。しかし、それ以上に、それを何に費やし、或いは何に役立てるか…の方が、はるかに重大な意義を持つ。
サッカー界の構造も、いまここで変わらなければならないのではないだろうか。
関連エントリー
Jリーグの道徳と経済
脱・日本代表のススメ
おもちゃの鉄砲~市橋逮捕に思うこと~
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Jリーグ改革案 |
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2009年11月16日
新聞報道によると『本田仕様の3トップが機能せず…』のような論調であったが、ゲームを見ても、岡田監督のコメントを見ても、それは本田仕様というよりも、俊輔不在時における岡田監督のひとつの実験であり、このゲームを通じ、岡田監督にとって中村俊輔という存在が、如何に巨大で、揺るぎないものなのかを僕はまざまざと思い知らされた気がした。
元々僕らのイメージの中のサッカー監督、岡田武史に『ポゼッションサッカー』のイメージは微塵も無かった訳で、いまの日本代表のポゼッションベースのサッカーは、岡田さんのサッカーというよりは、オシムさんが日本代表に残した遺産と考える方が妥当なのだろう。その中心を成していたのが遠藤保仁であり、中村俊輔である。この二人のスタメン起用に、いま岡田さんが執着するのは、ある意味無理からぬことなのかも知れない。
僕はこれを、ワールドカップ・アジア3次予選、2008年3月26日マナマにおいてバーレーンに喫した、見るも無様な蹴り合いの果ての敗戦の、岡田監督なりの手痛い後遺症なのだろうと考えている。
思い起こしてみれば、あの日のスタメンに中村俊輔と遠藤保仁の名前はなく、次戦のオマーン戦において、スタメンに名を連ねた両者の、とりわけ中村俊輔の大活躍によって岡田ジャパンは3-0の大勝を収めた。
バーレーン戦の惨敗後には、岡田監督による『オシムサッカーとの訣別』発言があり、僕もここで大いに憤り、あれはオシムのサッカーではないと『岡田武史との訣別』を宣言した覚えもあるが、あの最大の窮地を救ってくれた中村俊輔に対しては、きっと彼なりの特別な信頼と期待といったものがあるのだろう。今更それを、外野がああだこうだと説いても現実には仕方が無いことである。今回はまず中村俊輔ありき…を前提に、話を展開してみようと思う。
この日の南アフリカ戦、岡田監督の意識の中でどのようなフォーメーションをイメージしていたのかは定かではないが、不確かなTV画面の中から僕が見取ったそれは、稲本潤一をアンカーとする4-1-2-3から、最終的には中村俊輔が右ボランチの位置に割り込んだ4-3-2-1或いは4-3-1-2のカタチに収束していったように感じる。
これはトーゴ戦の後にも言ったのだが、今の岡田ジャパンに中村俊輔を落としこむのであれば、岡田監督がそのフォーメーションを4-2-3-1と言おうが、4-4-2と言おうが、ピッチ上では中村俊輔が3の右ボランチの位置に降りてくる4-3-2-1か4-3-1-2のカタチが形成されている。ここ1年ほど、現実にそういうカタチでしか彼は自分の仕事ができていない。
であれば、逆に中村俊輔を左ボランチの位置に配置転換した方が、遅攻と速攻のメリハリもつき、スムーズにボールも流れるのではないかと僕は思っている。今の位置では、自らでシュートレンジに切り込んでゆくシーンも見られないし、逆に彼自身が彼の左足を持て余しているようにも見受けられるのだ。右サイドに居てミドルシュートを打ち込める位置・状況に顔を出せないのであれば、左サイドでトップの素早い抜け出しに、受け手に余裕のあるアングルでアーリークロスを合わせる役割を担ったほうが、彼の持ち味を活かせるのではないだろうか?
さらにもうひとつ。ゲームの中で岡田監督が本田圭祐に何を期待しているのかが僕にはよく判らないし見えてこない。僕ならば彼にアンチェロッティ時代のACミラン、4-3-2-1のセードルフに見られる前線と中盤の繋ぎとなる役割を期待したいと考えるだろう。ゴールに背を向けてポストになり、そのキープ力で中盤を引き上げてくれれば、今の代表においてはそれでひとつの重要な役割である。
要するに、本田圭祐は組織の中で有効に活かされておらず、そしてまた、まず中村俊輔ありきの組織でありながら、彼自身が窮屈にしているか、或いは彼のポジショニングによって周りが窮屈をさせられているように見受けられるのだ。4-3-2-1のフォーメーションは、僕は流動的に前のスペースを使うためにも、遅攻と速攻を使い分ける為にも悪くないフォーメーションであると思っている。問題はその選手の配置と役割の適正化である…。これについてはまたいずれ時間をとって触れてみたいと思っている。
後半の日本代表の間延びしたゾーンを見ても、この極東まで親善試合で遠征してくる各国の代表選手たちのしんどさが理解できるだろう。彼らは今回の日本代表ほどのモチベーションも持たず、準備期間も取れずに、時差ぼけのまま自国協会の金策の為、無茶苦茶なスケジュールの試合を文字通り“こなし”に来ているに過ぎないのだ。
この冴えないアウェーゲームひとつ見ても、彼らを日本に招いてのゲームが、強化としては如何に無意味なものであるかが窺い知れるだろう。そこでの大勝を真に受けて、4年ごとに“強い日本”という幻想の紙風船を大きく膨らませて本戦へと向かい、至って妥当な敗北という結末を特定個人の所為にしてやり過ごしてしまっているから、日本の本当の実力と、強化の本質を見誤るのである。
そして、もし日本がWC本戦で勝てる相手があるとしたら、個人技で押してくる迫力もなく、足元の技術が拙い割りには、律儀に繋ぎながらこちらの守備体制が整うのを待っていてくれるような、きっとこんな感じのチームなのだろう。
この相手に0-0というスコアは、今現在の日本代表の実力を適正に現した結果であると僕は思っている。そこそこの相手に、戦術的にしっかりディフェンス対応されれば、それを突き崩せるほどの、スピードも、パワーも、個力も、連動もない。そんな相も変らぬ現実の中で、この4年で何を積み上げたか、積み上げられたか…。僕自身は来年の大会もまた、そこを見逃すことなく適切に評価したいと思っている。
※関連エントリー
岡田ジャパンの可能性
岡田ジャパンの可能性 3つ目のゴール
岡田ジャパンの可能性 2つのオートマティズム
おもちゃの鉄砲 ~市橋逮捕に思うこと~
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2009年11月10日
【ACL アルイティハド1―2浦項】日本協会の犬飼会長は、ACL決勝後の表彰式で準優勝のアルイティハドの選手にメダルを渡した。ナビスコ杯では準優勝の川崎Fの選手がすぐにメダルを外したが、この日も同様の場面があった。それでも、犬飼会長は「3人は日本語で“ありがとう”と言っていた」と問題視しなかった。★スポニチより
今や既に古いニュースになってしまったが、今回の事件の顛末を自分なりに「明文化」し、規約としてまとめてみた。例によって少し長いエントリーになるが、興味のある人はご覧いただきたい。
Jリーグ新規約~グッドルーザー規定について~
1.決勝後の表彰式でガムを噛んではいけない。
※ただしチーム関係者に関してはこれを問わず。噛んでもよろし。
43秒より山田暢久選手後方の見覚えのある人物を参照のこと
2.表彰式でかけてもらったメダルを外してはならない。
※自宅までかけてゆくことはないが、どこで外して良いかはチェアマンの感情に委ねられる。
3.また仮にこれらのマナー違反があった場合も、JFA会長に少なくとも3人が日本語で“ア・リ・ガ・ト”と言えば問題ない。
※会長の独断で「ふてくされていない」と判定されることが条件。
4.これに違反するものは、自主的な賞金の返納を申し出ること。
※ただし、金で解決する問題ではない。
僕はダメなニンゲンで、自分自身というものがすでに信じられないからだろうか、根本のところで他人を信用することができない。というよりもニンゲンというものを信じない、信じられないニンゲンである。
ニンゲンそのものや権力者個人の価値感につき従うのではなく、万人に共通の法やルールといった「明文化」された基準に倣う事のほうがはるかに公平であると考えるし安心できる。要するに人が人を裁き治める「人治」よりは、可能な限り明文化されたルールによる「法治」を求める。その裁き治めようとするニンゲンの、公平と高潔な魂…に期待できないような残念な状況にあるのだとするならば、尚更である。
しかしどんなに「明文化」してみたところで、「明文化」しきれない範囲の「道徳」といったものもまたあるのだと思っている。要するにニンゲンの内面的な原理、心の問題である。
そして僕はそれこそが最も本質的なものであり、ニンゲンにとって一番大切なことなのではないかと思っている。
例えば今回のナビスコカップの表彰式を例にとってみる。
たとえ森勇介がメダルを外さなかろうと、ガムを噛んでいなかろうと、手と手の接触という現象としての握手を拒まなかろうと…他者に対して、大会の協力者であるスポンサーに対して、或いは参列した来賓の方に対して、不快感を抱かせる“何か”があったとするならば、結局のところそれは、やはり彼の落ち度なのだと僕は思う。彼が彼の態度や礼節によって、そこに居た罪なき他者の誇りや感情を傷つけたとするならば、それは法によって裁かれることはなくとも、彼の落ち度であり、彼自身の恥であり、また彼が帰属するクラブやサッカー界にとっての損失である。
僕はこれを放置してはいけないと思う。いつまでもなあなあで済ませていてはいけない、しかるべき立場にあるものが、しかるべき注意と教育によって改善させねばならないと思う。またそれができないのであれば、その責任者としてのクラブの決断が求められるのだと思う。
見た目の形式というものも勿論大切なことだろう。
しかし、その形式に、誠の心や魂が通っていないのであれば、それはただの遊戯に過ぎない。本当に必要なものとは見た目や見てくれの現象ではなく、その土台となる精神であり、そこに宿る魂なのだと僕は思う。
川崎フロンターレ武田社長は選手を集めて「フェアプレー精神10カ条」を説いたのだという。
(1)汚いプレー禁止
(2)報復行為禁止
(3)審判に従う
(4)反則を受けても相手と握手
(5)ユニホームのすそをきちんと入れる
(6)交代されたらきびきび動く
(7)時間稼ぎの倒れ込みをしない
(8)試合後に整列して感謝
(9)試合後に相手をたたえ、審判とも握手
(10)負けても悪びれない
しかし、残念なことにこれでは「フェアプレー精神10カ条」ではなく「フェアプレー行為・推奨10モデル」である。僕から見れば一番大切なことが1つ抜け落ちている気がするのだ。それは、
サッカーに対する、応援してくれる方々に対する、そして相手に対する礼節と敬意である。まずはそんな精神こそ一番最初に語られなければならない。そんな共通認識さえあれば、後にづづくひとつひとつのこれらの行為や現象は、選手それぞれの自らの知性と思考によって、自ずとカタチになって現われてくるものなのではないだろうか。
そしてそれは、僕たちにも無関係な事柄ではないはず。他者に対する礼節と敬意を常に忘れてはならない…サッカー選手も、普通のニンゲンも。モチロン、匿名のニンゲンもその中の一人である。例えどれだけ立派な正義を、その背中に背負っていたとしても、それによって他者の誇りや尊厳を傷つけ踏みにじる事が、同じニンゲンとして許される訳ではない。今回の一件を受けて、僕ら自身もまた“何か”を学ばなければならないのではないだろうか?
フロンターレに対する制裁を協議するJ1実行委員会が本日開催されるということだが、辞退された賞金5000万円の計らいについて、いま逆に頭を悩め、困惑しているのが当の鬼武チェアマンなのではないだろうかと予想する。せいぜい立派なオチをつけて欲しいものである。
最後に、森勇介選手について。
今回ネット上でたいそう勇ましく執念深い匿名の正義に叩かれながら、それでも必死で森勇介を擁護し、庇ってあげようとしている人たちを僕は何人か見た。論理的には無理スジなものも少なくなかったが、その論理を超えた部分こそが、彼に対する、フロンターレというチームに対する、ある意味真実の愛情と云えるものなのかも知れない。
森勇介をはじめフロンターレ選手たちの、Jリーグ権力者への口には出せない感情や憤りは僕にも判るような気がする。理解するが、それ以外の他者も同席するあのような状況に置いては、やはり許されない態度であったのは事実だと思う。こんな時にでも支えようとした、或いは支えてあげたいと願った、彼ら彼女らのためにも、ぜひ今後の行動で応えてあげて欲しい。
森勇介の出場停止はこの1試合で充分であると僕は思う。彼にとっても二度と巡りこない残り3試合である。彼だけがスケープゴートになる状況も、公平ではない。多少やんちゃなのは構わないから、ピッチの上で努力している姿をファンやサポーターに見せてあげて欲しい。それがサッカーにとって、また多くの人々にとって、考え得る限り一番幸福で実りある結末なのではないだろうかと僕は思う。
森くん、頑張ってください。
おもちゃの鉄砲 ~市橋達也の逮捕に思うこと~
posted by キリタニ |11:20 |
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2009年11月09日
いま僕がジェフ降格について感じていることを、ありのままにここへ書き残しておきたい。
○もしミラー監督があのまま監督を続けていたら降格しなかっただろうか?
答え:NO
やはり相当に苦しんだだろうと思う。シーズンも半ばを過ぎてから、やっとの事で呼びよせた期待のストライカーがネット・バイアーノであった。僕は80%ぐらいの確率で難しかったと思っている。
○では、どうやっても降格は免れなかったのだろうか?
答え:NO
シーズン開幕前に使える外国人ストライカーを用意しておくべきであったと思う。今現在の大宮とミラー体制のジェフとは、ほとんど同じレベルのチームであると思うが、一つだけ大きな違いがある。それはラファエルの存在である。ジェフが今年J1に残留するためには、ミラー体制の存続+ラファエルレベルのストライカーの2つの条件が必要だったのだと考える。そのためにフロントは外国人枠を全活用してでも使えるストライカーの発掘に全力を尽くすべきだった。
○降格の責任はフロントにあるのか?
答え:YES
今になって当事者同士責任を擦り付け合うようではいけないと思うが、第三者の立場からみれば、一番その責任を果たしていなかったのはフロントであり、強化部であったと思う。選手達はJ1では及ばない実力の中で精一杯戦っていた。そしてミラー監督の戦術は、そのジェフの実力を考えれば至って現実的なものであった。それに対して、フロントはサポートらしいサポートもせぬままに、自らのクラブの実力を見誤って、低迷の原因をミラー監督の戦術やチーム作りに求めた。致命的な誤解であり、サッカーに対する不理解であったと思う。
○江尻監督を続投させるべきか?
答え:NO
監督交代とは常にAとBとの比較によって決定されるべきものだ。江尻監督より期待値の高い監督と契約できるならば、『監督交代』は合理的判断であり、そうでないならば非合理な決断ということになる。シーズン半ば唐突に、アレックス・ミラー監督から江尻篤監督に切り替えたように。問題はその「期待値」の捉え方である。
同時期に監督交代したポポビッチ監督、ネルシーニョ監督、そして三浦俊也監督…。タイプはそれぞれ違えど、僕はそのすべてのチームは、今のジェフよりも良いサッカーをしていると思う。そしてポポビッチ監督の大分などは、まさに同じ方向を目指しながら、既にジェフに比して1歩、2歩先へ進んだサッカーを実践している。
フロントとしては、自らの決断の誤りを今ここで認めることは辛い事だろうし難しい決断になるのだと思うが、ここが今後10年のジェフの分かれ道であると思う。しっかりとした実績と手腕を持った監督でベースを築くべきである。オシムさんのサポートを得てチームを立て直すのもひとつの手段である。
○ジェフは1年でJ1復帰できるか?
答え:わからない
僕は現在のジェフに、他クラブからオファーの届く選手はそれほどいないと思っている。
ほぼこのままの戦力、江尻体制下で戦うのであれば昇格の可能性はせいぜい40%。
ポポビッチクラスの監督が招聘されれば60%。
さらにポポビッチクラスの監督に、ラファエル、イ・グノ、クラスの助っ人ストライカーが1人加われば80%以上の確率で可能になると思う。
来期のJ2であれば、経済的にも戦力的にもJEFはトップクラス。この大きなアドバンテージが活かせないのであれば、根本的にチームのマネジメントが間違っていることの証左である。
もし僕がジェフ千葉のGMであったならば、
5年後、J1で優勝争いに加われるチーム…を目指して、まずはDFライン、MFを可能な限り若い日本人選手で固め、チームの土台作りに着手するだろう。勿論1年でJ1復帰できれば幸いだが、その為の近視眼的なチーム作りはしない。1年で復帰しても、また次の1年で降格してしまっては、本来の目的に対して、逆に遠回りになってしまうからである。
J2に留まる事で一時的に財政が縮小してしまうことは、何も悪い事ばかりではない。それによって見えてくる浪費や、否応なく削られるムダといったものも少なからずあるはずだ。それはやがてはクラブの余力となる。同じようにJ2降格というのも長期的視点に立てば悪い事ばかりではないはず。もし仮に今年またキセキの残留を果たしていたとして、なんらの反省もなく来年そのツケを負わされるのであれば同じ事である。いや、未来の視点から見れば、さらに無駄な1年を浪費したことに他ならない。昨年苦しみの中で勝ち取った奇跡の残留を、抜本的なフロントの体質改善や意識改革に結び付けられず、この1年を無為に過ごさせてしまったことが本当に残念でならない。
チームの土台作りこそ、一番手間と時間が必要なパートなのだと僕は思っている。土台が悪ければ高い建物は築けない。取り除くべきものはしっかりと取り除き、必要なものは長期的な展望に立って躊躇いなく取り入れる。そこで中途半端な振る舞いをすべきではない。
またJリーグの現実を考えれば、前線での攻撃に関しては、外国人助っ人に委ねるのが合理的であろう。そこでしっかり働ける助っ人選手を備えることができない限り、ジェフのクラブ規模で、J1の中位から上位へ食い込んでゆくことはかなり難しいと僕は思う。当たりの外国人ストライカーを引き当てるまで、単年度レンタルで毎年入れ替えてゆくことを覚悟せねばならないと思う。
新監督候補として一人だけ名前を挙げるとすれば、経営難といわれるアデレードFCのアウレリオ・ヴィドマー監督(元フェイエノールト/広島)を推したい。昨年のACL、僕が一番惹かれたのはこのヴィドマー監督率いるアデレードFCのサッカーであった。しっかりとボールを繋ぐ攻撃と、計算されたプレッシング。オーストラリアのクラブでありながら、オランダのそれを見ているようであった。オランダのフェイエノールトや広島での選手経験もあり、若い選手でチームの土台を築くにはうってつけの人材であると思う。今回のジェフが彼に狙いを定めることはまずないだろうが、一度Jリーグでその手腕を拝見してみたい若手の指導者である。
そして最後に、選手たちはやはりよく戦ったと思う。全力で頑張ったが15/18には届かなかった。それが現実だったのだろう。精一杯戦った選手たちに、僕は心から拍手を送りたいと思う。そしていつも言うことだが、ここからの3試合こそが彼らにとって一番大切な戦いである。勝敗よりも大切なもの…の為に、最後の最後まで、死力を振り絞って戦う彼らであってくれることを僕は願っている。
今年もジェフのサポーターたちは最後の最後まで立派だった。彼らの理解が、この忍耐が、いつの日か報われ、祝福されることを祈っている。
posted by キリタニ |11:02 |
ジェフ千葉 |
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2009年11月04日
もし石川直宏が、カボレが、このナビスコカップ決勝を戦っていたならどうだっただろうか?
今回とはまったく違う内容と結果が用意されていたのかも知れない。
もちろんこれは永遠に答えの出ない問い…なのだが、これを問うことによってサッカーのもうひとつの真理らしきものを嗅ぎつけることも可能なのかも知れない。僕はこの『?』自体が喚起し、イメージさせるものもサッカーのひとつの構造であり、もしかしたらより真理に近い部分なのではないだろうかと思っている。
要するにサッカーの現実とは、様々な矛盾を帯びている…ということである。
このゲーム、城福浩監督率いるFC東京は我慢のサッカーを貫徹した。
決して裏を取られるような高いラインを引かずに、3層の壁で慎重に注意深く川崎の攻撃を食い止め、押し返していた。前半、フリーの中村憲剛から前線の2人にパーフェクトなボールを通されるピンチが幾度か見受けられたが、その部分に適切に対応してからは、一見押し込まれているように見えながら、ゲームをコントロールしていたのは、FC東京の側だったように思う。
FC東京というクラブが、いずれJリーグのチャンピオンを目指すのであれば、この戦い方・様式をひとつの手札として絶対に備えておかなければならない。
ボクシングに例えるならば、ポゼッションとはジャブでしかなく(しかし、一方でジャブは攻撃の第一歩でもある)、このゲームにおける中村憲剛や広島のストヤノフのようなタレントが繰り出すパスがストレートであり、ジュニーニョやチョン・テセが司るパートがフックやアッパーを意味する。
得点のための攻撃とは、そこまで辿りついてはじめて意味を為すものであり、またそこに辿りつくまでには、強固なガードやウィービング・ダッキング、そして時にはクリンチさえ厭わない狡猾さが必要とされる。90分、圧倒的に攻め続けられるほどの力量差がない限り、サッカーとはそのすべての要素を不足なく備えなければならないのだ…と、僕はそう思っている。
そうやって、はじめて真の強者として君臨し得る訳で、これまでのJリーグの歴史においても、チャンピオンチームと呼ばれる者たちは、すべてそれだけの手札を併せ持つものたちであった。そういう意味では、いまこのFC東京というクラブが、このようなカタチでタイトルを得たことには、非常に大きな価値があるのだと僕は思っている。
彼らはこの国のチャンピオンへの階段を、正しいやり方と正しい順序で、考え得る限り最も無駄なく迅速に駆け上がりつつある。来年こそ、その真価が試される一年になるのだろう。米本拓司君は日本の宝である。あと2年、FC東京に留まってくれるかどうか…いずれ海外へ出てゆくその時までに、このチームに大きな栄光を齎してくれることを期待したい。
そして川崎フロンターレは、これで逃げ場の無い残り4試合に向き合える。逆にこれをチカラに変えてゆかなければならない。これだけのチャンスが、来年も再び訪れるとは限らない。むしろそうでない確率の方が遥かに高いだろう。幸いにして、彼らは彼ららしい戦いができて、それで敗れたのだ。これは負け方としては、悪くない負け方であったと僕は思う。いつも言うことであるが、次の一戦こそが、彼らにとって一番大切な戦いである。
きっと米本拓司君にばかりスポットライトが当っていることだろうが、僕が選ぶならば、このゲームのMVPにGKの権田修一選手をあげたいと思う。今シーズンはじまったばかりの頃の権田君と、そして今の権田君を見比べると、彼がこの一年にどれだけの努力をし、どれだけこの経験から吸収をし、今を築いてきたのかがこのゲームに如実に現れていたように僕は思う。あれだけのピンチの数々に、慌てず動かずミスをせずに対処した彼のこの日のパフォーマンスは、充分にMVPに値するものであった。
ひとまずFC東京の勝利を讃えると共に、Jリーグここからの4試合における川崎フロンターレの奮起に期待したい。繰り返すが、この敗北は決して恥じ入るべきものなどではない。サッカーの構造の中の一部なのだ。そして今後の試合も、この日のそれと同じように彼らは苦しむことだろうと僕は思う。苦しめばいいと思う。きっと本当の栄光とは、その先でしか掴むことのできないものなのだろうから。
posted by キリタニ |11:24 |
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2009年11月02日
僕がフォルカー・フィンケ監督の続投を支持する理由。
それは今シーズン序盤、それはまだ片鱗でしかなかったのかも知れないが、彼は彼のサッカーのカタチをしっかりと見せてくれた…からである。僕はそこに充分に魅力的なサッカーの要素を、そして信頼にたる“手腕”を見せつけられた気がした。
しかし一方で、あの連勝を続けていた時でさえ、終盤の運動量の低下は著しく、最後は1-0の状況を、自陣にズルズルと押し込まれた状況で辛うじて守りきっていた。結果、勝ち点3を得ることには成功していたが、おそらくフィンケさんはその部分について納得はしていなかっただろう。彼はそんな状況こそを、ポゼッションすることでゲームを主体的にコントロールしたいタイプの指導者なのだろうと僕は想像する。
このままでは夏場に向けて苦しい状況を向えることもあるだろうな…と、僕は思っていた。そして案の定、運動量の低下と結果の出ない苛立ちから、ポンテなどの一部主力選手がゲームの中で真剣味にかける振る舞いを見せるようになる。
フィンケ監督だからこそ、この1年だけは…と、チームの内部崩壊のリスクと自らの求心力の低下を懸念し、我慢に我慢を重ねて使い続けてきたのだと思うが、これがオシムさんや西野さんであれば、その時点でキッパリけりをつけてしまっていただろう。或いは選手契約上の何らかの制約があったのかも知れない。
シーズン序盤にみせた、少なくとも前半の途中までは人とボールがスムーズに連動してゆくサッカーが、シーズンの中頃からどんよりと停滞してしまう大きな原因となったのは、前線から中盤の運動量の低下とポンテの独り相撲、そして山田直輝の離脱によるものだと僕は思っている。
浦和レッズというチームの主力選手たちは、ここまで数年間のACLでの活躍や相次ぐ代表への抜擢によって、かなり厳しいスケジュールをこなしてきた。しかも、スタメンと控え選手の間には常に大きな壁が存在し、ローテーション的な試みによってチーム力の底上げを図るような努力や工夫にも、これまであまり熱心ではなかった。チーム内のポジション争いも傍から見る限りはそれほど激しいものには見受けられなかった。
目の前の勝利を得るためには、それは確かに有効で現実的な判断だったのかも知れないが、結局はそれによって、自身のポジションにあぐらをかくスター選手の増長を招き、或いは試合で使ってもらえない選手たちのモチベーションを削ぎ、そして固定化されたスタメン選手にのみ負荷のかかる体制を長年続けてきたことにより、本当の意味で身体をいじめるトレーニングというものが疎かになってきていたのではないだろうか。それによっていまこんなにも、走れないチーム、運動量の足りないチーム、そして頑張れないチームに成り下がってしまったのではないだろうか。
その主力選手たちももう総じて若くは無い。はっきり言って、これからフィンケさんのサッカーに適応できる心身を持ち合わせているとも僕には思えない。また長期契約によって、今年一年ですべての血を入れ替えられるような状況にないことも判っている。これらを勘案すれば、僕は来年すらも、まだ苦しみが伴う改革の途上に在るものと思っている。チームフロントが、早計にACL出場権云々を語るべきではないだろうと。付け焼刃ではない、本当の改革を為すのならば、まだまだ苦しむ覚悟がいる。
逆にその覚悟が無いのであれば、いますぐフィンケさんを切り、また目先の勝利を追って一喜一憂するのもひとつの案ではあると思う。
しかし、世代交代はいずれ避けては通れない道である。後に先送りすれば先送りするほど、チームは深いダメージを負うだろうし、今の日本の経済状況や浦和の懐具合、そして外国人助っ人のスカウティング力・交渉力を見る限り、ワシントンやエメルソンのようなスペシャルなストライカーを獲得し、その個力によって優勝争いに絡むというのは、相当に困難な話であると僕は思っている。
要するに、今現在の浦和に残された道は、二者択一のようでいて限りなく一択に近いものなのではないだろうか…と。
フィンケ監督の経歴を見る限り、彼は良いトレーナーであるばかりでなく、よいマネージャーでもあるのだと思う。僕たちの立ち位置からは、強化部門トップの信藤健仁氏の仕事に対する視界が届かないことを自覚しながらも、僕はチームの戦力補強その他を含めて、包括的なマネージメントの権利を一度フィンケ監督に委ねてみる必要性を感じている。
Jリーグ各クラブは、このGM職だけは日本人の手によって成し遂げたいようだが、僕はこのポジションこそ、現状では海外の優れた知性の手に積極的に委ねてみるべきだと思っている。Jリーグ各クラブのそれを見る限り、その大きな権限をうまく使いこなす事ができずに、クラブのビジョンでは無しに、自らの個人的な願望や人間関係にかまけて、あまりにも拙劣なチーム運営をするGMが少なくない。
さらに言えば、そもそもクラブの将来ビジョンなるものの具体像を描きながら、クラブ運営に当っているクラブフロントといったものが、いったいこのJリーグにどれだけあるだろうか?
外国人助っ人獲得のためのコネクションも持たずに、あくどい代理人にコロリと騙され、性懲り無くヘタをうつ挙句に、現場の要望は一切吸い上げることをしない。そんなクラブの障害にしかならないようなGMならば、むしろ居ない方がよほどマシだろう。知恵も経験もある外国人監督に、すべて単年度契約を条件に、全権を委任した方がはるかに合理的で低リスクである。僕ならばそう考える。
次回は来期に向けた浦和の戦力補強の私案と、DFラインの再構築について語ろうと思っている。
posted by キリタニ |10:31 |
浦和レッズ |
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