2009年09月29日
鹿島の強さを支えていたものは何か…。
もちろん選手個々のスキルや戦術完成度の高さといった要因もあろうとは思うが、そんな様々な要素の中でも突出して抜きん出たものが何かひとつあったとしたならば、僕はそれを主にメンタル面…勝利に対する『執念』と『自信』といった部分にあったのではないだろうかと思っている。
そしてここへきてのこの躓きも、その主たる要因は戦術的な部分での限界や行き詰まり、選手個々の能力低下にあるのではなく、それは小さなボタンの掛け違いや不運の積み重ねによって生じ膨らんだ、メンタル面での動揺にこそあるのではないだろうか…。要するに対外的な問題以上に、対内的な問題であり、ひとつのキッカケさえ掴めればまたあくる日から元の状態に戻ることも可能なのではないか…。僕は今の鹿島の状態を、そんなふうに分析している。
Jリーグの優勝やACL出場権云々の計算は、ここで一度すべて捨て去り、もう一度鹿島アントラーズの原点に帰り、一つ一つのゲームにおいて勝利への『執念』を限界まで燃やし尽くすことをチーム全体で確認し実践してゆくべきなのだろう。そうすることが、また新たな、さらにもう一歩磐石な揺ぎ無い『自信』を獲得することに通じるのではないだろうか。
ひとつひとつのプレーに全力を尽くす。王者の高みから下界を見下ろしながら、先を見てあれやこれやと慌てふためくのではなく、這いずり回りドロを舐めながら、きっちりと足元を見定めて一瞬一瞬にありったけの闘志を燃やしてゆく。元々鹿島とはそういうチームだったのだと思うし、だからこそまた、さまざまな逆境の中で、彼らだけが唯一の強者で在り続けられたのだと思う。
この逆境こそ、鹿島のほんとうの底力を示し、見せ付けられるチャンスである。そして僕は、彼らはそれを成し得る選手たちであると思うし、鹿島というクラブはそれを成すべきクラブであると思っている。
その鹿島アントラーズと共に、今後熾烈な優勝争いを展開してゆきそうなのがガンバ大阪と清水エスパルスである。
僕は今シーズン開幕前、この上位3チームに加え、浦和と名古屋を加えた5チームでの優勝争いになるのではないかと予想したが、現実的には鹿島、ガンバ大阪、清水、川崎の上位4チームのラストスパートの勝負に持ち込まれたのではないかと考える。そして今後の日程と現在の流れを考えれば、僕の目にはやはり川崎は苦しく見え、おそらくは次節あたりから目覚めるであろうと予測する鹿島アントラーズに対して、ガンバ大阪、そして清水エスパルスがどこまで迫れるか…という展開になるような気がしている。
※参考『J1 優勝争いを占う』
ガンバ大阪に関していえば、J1の中で今現在もっとも戦力的に充実したチームであると思うし、エースストライカーであるレアンドロが中東へ移籍したことは大きな打撃ではあったが、川崎戦で見せた4-2-3-1の躍動感ある攻撃スタイルと、微妙な判定によるFKから手繰り寄せた勝ち点3の勝負運は、今後の優勝争いを予感させるものだった。
またここにきて清水エスパルスは1-0のゲームをしっかりと勝ち取る術を身につけている。ゲームを見れば失点のピンチも充分に見受けられるが、決して押し込まれてドタバタする守備ではなく、適正にプレスに行き、適正にリトリートもする、それぞれの展開に応じた状況判断が、チーム全体にしっかり浸透しているように見受けられる。この守備面の安定は、1-0なりの攻撃の仕方、攻撃の終わらせ方を、アタッカーたちがしっかりと心得ているからこそ成せる業であり、チームとしての成熟を実感させる。時間はかかったが、少しずつ前進を続けて、いまようやく本当の意味でJリーグ優勝を争えるだけのチームになった。ヨンセンの貢献や岡崎慎司の成長も大きいが、長谷川健太監督の手腕と共に、クラブやファン・サポーターたちの忍耐も充分に評価されてしかるべきものであると僕は思う。
そして最後に残り7試合。
2カ月もの時間があれば、各々のチーム状況はもう一回転する。
いま好調のチームが1カ月後も好調であるとは限らないし、その逆にいま不調にあえいでいるチームが1カ月後も同じ状況にある…とは僕は思わない。さらに今後、柏レイソル、大宮アルディージャ、そして横浜Fマリノスあたりとのゲームを残しているチームはかなりの苦戦も強いられるだろう。今の彼らは決して弱者ではない。
それでも勝ちぬく鹿島も見たいし、それでも喰らいついてゆく川崎も見たい。そしてガンバ大阪の華麗なる攻撃サッカーの復権にも心そそられるし、清水エスパルスが切り開くJリーグの新世界も覗いてみたい気もする。いずれにせよ、最終戦ロスタイムまで続く、熾烈なJ1優勝争いに期待している。
ふざけんな、民主党!
posted by キリタニ |11:18 |
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2009年09月17日
後半29分、川崎2点リードからの再開。
16分+ロスタイムのみの再試合と、Jリーグからの開催運営費の負担(未確認)。
ゲームの公平に重きを置いた『原則』に囚われない良い裁定にも思われたが、実際のところの思惑はどうやら少し違ったらしく、Jリーグ理事会が自らに降りかかる火の粉を払いのけようと、鹿島、川崎の負担をものともせず強引に押し切った、自己保身の為の裁定でしかなかったようにも見受けられる。
誰もが損をし、大きな負担を背負わされるこの事態の中で、仮に開催運営費を負担するにしても、唯一自らの懐だけは痛まず(減るのは自らの財布の中身ではなく各クラブへの分配金)、公平な裁き…との評価さえ勝ち取ったJリーグ理事会と鬼武チェアマン。物事には必ずオモテとウラがある…。今回の一件で、自分自身改めてそれをしっかり見定めてモノを語らねばならない…と思い知らされた。広島へのナビスコ制裁金の一件も含めて、彼らが牛耳るJリーグの正義とその未来に対して、僕は大きな不安を感じている。
裁定の顛末については、リンク先の記事を参考にしていただければと思う。これを鵜呑みにする事はないが、これも参考にそれぞれが“真実らしきもの”を自分自身で掴み取っていただければと思う。
異例裁定!鹿島VS川崎は10・7に残り16分から再開【スポーツ報知より】※パンさん、いつも情報ありがとう。
あの日スタジアムで観戦したお客さんであっても、すでにチケットを紛失した方も居られるだろう。平日の16分間の試合…ということであれば、当然、無料入場の措置を取ることも検討されてしかるべきではないだろうか。川崎から応援に行かれる皆さんは、チケット代以上の交通費を、人によっては二重にかけて、忙しい中開催地にまで足を運ばれるのだから。
そしてこれは誰もが思うことだろうが、あの日の中止の経緯とその中止の判断に対するJリーグ規約の不備と今後の改正に対して、今ここでしっかりと事情説明と対応策への指針を表明すべきである。Jリーグがそれを為さずに、この件をこのままうやむやにしてしまうのであれば、過大な負担だけを背負わされた両クラブと両クラブのファン・サポーターたちに対して、そして今後の被害者たちに対して、甚だ不遜で無責任な態度であるとの非難を免れないものと僕は思う。ただの痛み損にさせてしまっては絶対にいけない。
リーグは、これを機に予備日の設定と明確な試合中止基準。そして中止した場合の代替試合の条件について、きっちりと明文化した上で規約に掲げるべきである。その時々の状況によって覆ってしまう原則であればそもそも原則(根本的な法則)として規約に書き込むべきではないし、そんな原則がほとんど協議の俎上にすら上らない理事会においてすべてが決定してしまうものであるとすれば、明文化された規約自体に意味がない事になる。リーグは権力者たちの私物ではないのだ。規約とはそんな特定個人の思惑を排除し、公平を為すためにこそ必要なものなのではないだろうか。
その上で、僕は岡田正義さんにもう一度頑張って欲しい…と思う。
この事態のキッカケとなってしまったのは確かに彼の中止の判断だったのだとは思うが、その後の混迷とドタバタを招いた大きな主因がそこにあったとは僕は思わない。一番の問題は規約の不備にある。その責任までをも、彼一人に背負わさせるかのような感情の暴走は厳に慎むべきであると僕は思う。
このブログにも、
『岡田正義主審が八百長を認めた…報知新聞』
なんていう卑劣な、ありもしないデマがコメント欄に書き込まれた。(スポナビ事務局様も把握している筈で、このような行為には厳正なる処罰を望む)
ゲームに一番近いところにいる方なので、安直に怒りの矛先が向いやすいのは分からないでもないが、そんな重圧や、時には悪意といったものに晒されながら、それでも20年以上の長きに渡り、この国のサッカーの為に尽力してきてくださった功労者に対する感謝の気持も、僕たちは忘れてはならないのではないだろうか。カズや中山雅史や伊東輝悦のようなピッチ上のスーパースターたちに対するのと同じだけ、いやその半分、1/10であったとしても、相応の敬意を示すべきなのではないだろうか。
ニンゲンなので間違いはある。絶対にある…。
あの中止判定がそうであったのかどうか…現実を見てこなかった僕にそれは断定できないが、例え誤りであったとしても、その誤りを、同じニンゲンである僕らが、そこまで糾弾し罵倒し得るものなのだろうか。少なくとも僕は、自分の日常を省みる限り、到底そんな気持にはなれない。むしろ、日々そんなプレッシャーと戦いながら、それでも罵詈雑言で埋め尽くされるだろう戦いの場に、逃げることなく挑んできたこれまでの彼の覚悟と勇気に、ただただ頭の下がる思いである。
10月7日、たった16分間と少しだけのJ1優勝をかけた大勝負。
どちらが勝ったとしても、僕はその勝利を心から祝福したいと思う。と、同時に、大ブーイングでもって迎えられるであろう岡田主審の背中に、おそらく自宅のTV画面の前になるだろうが、『岡田さん、頑張れっ!』と念を送りたいと思っている。再びその場へ、その顔を上げて立ち向かってゆく、彼の覚悟とその勇気に対して、心からの拍手を送りたいと思っている。
ガンバレ!僕らの田中美絵子
posted by キリタニ |10:59 |
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2009年09月15日
人類の歴史上、真の公平なんてものをニンゲンがその権利として獲得したことなど一度も無いんだと僕は思う。しかし一方では、現実の夥しい不公平といったものと対峙しながら、法や道徳や対話や共感…あらゆる手段によって、万人の公平というものを獲得しよう…それに近づこうと努力してきたのがニンゲンの歴史であるとも言えるのだろう。そういう観点でいえば、法やルールとはニンゲンの公平の為にある…そのための道具である…とも、言えるのかも知れない。
そして法とは、あくまでニンゲンのこしらえたモノである。世の中に間違いの無い完全なニンゲンがいないのと同じように、ニンゲンがこしらえた法に、間違いの無い完全な法などあるわけが無い。要するに法も間違える。現実とは、常に一通りのものではないのだから、想定外の事態にぶち当たることだってままある。しかしまた、だからといって、すでに周知され、明文化されたそれが、軽々しく扱われて良い訳ではない。そんな時こそ、既にある法を最大限尊重しながら、人智によってそれを乗り越え、更新してゆくチャンスなのだと僕は思う。ある意味でそこに、ニンゲンのドラマが宿るのだと僕は思っている。
今回の鹿島アントラーズvs川崎フロンターレ戦におけるこの苦境は、まさにそのための好機とすべきではないだろうか。
Jリーグの規約第63条。
これは今年改定されたものだそうだが、不可抗力の中止の事態に際しては「原則再試合」が謳われている。要するに0-0から90分間の正規の試合をもう一回…原則でいえば、そういうことになる。
原則は原則でしかないのだから、今回に限っては例外とし、16分間だけ1-3の状況から再開すべきである…という意見も、当然理解できるしある意味一番スジの通った解決法にも思える。しかし、原則というものが、その都度その状況によりニンゲンの情感によって取り扱われてしまう…それが常態化してしまってはそもそも原則自体が有耶無耶となり、法が法としての用を為さなくなる…という矛盾すら孕んでしまう。既成の規定というものがある限り、この「原則再試合」という明文化された方針が覆されることには、自分自身の感情を別問題とすれば、僕は賛成しかねる…という立場でもある。
そして原則90分のゲームが、残り16分を残して第三者の意思によりその勝敗を決する…ことにも反対である。これは今年のJリーグの優勝を左右する大事な一戦である。その残り16分間の中にこそ、このゲームの勝敗を決する真実のドラマが潜んでいたのかも知れないのだ。不運にもそこで唐突に幕を下ろされてしまった真実のドラマこそ、あの日豪雨に打たれながら、最後までゲームの再開を待ち望んだ人々のためにも提供すべきである。日程面の調整については川崎側のタイトなスケジュールもあり、僕には詳しいことは分からない。が、まずは天皇杯ベストメンバー規定なんてバカらしい要求を取り下げる…さらには10月初旬の両クラブ所属選手の代表召集を取りやめる…などして、どんなカタチであれ後日改めて再試合が執り行われる事が、状況的には一番望ましいのではないかと僕は思っている。
ここからは僕の勝手な空想である…。
10月某日、場所は鹿島スタジアム。J1第25節、鹿島vs川崎の再試合が、既定の原則どおり90分のフルマッチで執り行われる。
前半10秒…チョン・テセのシュートがころころと鹿島のゴールに転がる。
同じく前半30秒…マルキーニョスのゴール。
そして前半50秒…チョン・テセの2つめのゴール。
さらにその20秒後…ジュニーニョがゴールを決める。
そこからの73分は、互いにボールを中央のセンターサークルにおいて、アップをしたり、柔軟をしたり、ピッチに寝そべったり、ミーティングをしたり、それぞれが思い思いに時間を過ごす。そして後半74分、その闘志とモチベーションを限界まで高めた22人の選手たちが、両チームサポーターの大声援の中、たった16分間と少しの、今年最高のサッカーのドラマを、この特別な試合のために駆けつけてくれたすべての観客の為に披露する…。永遠に語り継がれる16分間の伝説をつくる…。
もしそんな二度と巡りこないイベントに実際に立ち会えるのならば、僕も当日無理をしてでも鹿島スタジアムにまで駆けつけたいと思う。あの日たまたま、偶然にもそこに出くわしてしまった両者で織り成す、サッカーの尊厳と失われた真実の再現のための16分間のドラマに、できることならば僕も参加したいと思う。
いまは敵味方とはいえ、共にサッカーに生き、サッカーを愛する同士として、そんな乗り越え方や共闘の仕方があっても良いのではないかと、誰かに鼻で笑われるのを承知の上で僕は思う。この試合に関わったすべてのものたちの信頼によって約束され、協調によって整えられる舞台。そしてそれを納得して見守りサポートする観客…。関わる人すべての良識による、法を超えた失われた公平の獲得の仕方も、今回に限ってはあって良いのではないか…と。そして以後、二度とこんなことで悩まされぬ為に、考えうる限り最大限公平で、詳細に明文化された明確な基準を、Jリーグ規約第63条に加筆するべきである。この機会を、その契機としなければならないのだと思う。
万人が納得する解決策なんて、残念ながら今回に限ってはないのかも知れない。が、可能な限り多くの人々に納得してもらえる…そんな裁定が下るよう心から願っている。
思い出の曲No.15 Desperado~Eagles~
posted by キリタニ |09:03 |
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2009年09月14日
ジェフ千葉vsアルビレックス新潟を見た。
新潟のファン・サポーターには申し訳ないが、この新潟、いまの新潟に、これだけお粗末な内容で、しかもホームで、勝ち点1さえ拾えないようであれば、ジェフの今年のJ1残留は非常に厳しい。難しい…と言わざるを得ない。正直今回の監督交代は、ダメ押しだったのではないかと思う。攻撃サッカーなんて言うは易し…である。この状況、この戦力で、実績のない新人監督を擁して、唐突に取り組むべきものであったのかどうか?結果どうなるにせよ、あの時点における決断としては誤りであった…と、僕自身は思っている。この状況は、新人監督にゲタを預けるような状況ではなかった…と。
ミラー監督のサッカーとは、他より劣るメンバーを用いながら、何かを起こそう、ひと泡吹かせてやろうとする、我慢のサッカーであったと僕は思っている。決して楽しいサッカー、スペクタルなサッカーではなかったが、試合後にはいつもある意味感動があった。全部出し切っている…我慢してよく頑張った…という充足感があった。リアリズムに基づいた降格させないためのサッカーであると僕は思っていたし、このメンバーで、どうにかこうにか勝ち点をかき集め、生き残ってゆくためには、最適の手段であるとも思っていた。もっとも、このサッカーでは将来的に上位を目指す展望は開けないと考えていた事も確かではあるが…。
多くのジェフのファンやサポーターたちがどう思っていたのか僕には分からないが、あのミラー体制のスタイルは、ジェフの戦力レベルを考える限り、ベストではなくともベターな選択であったと思う。いま現在の江尻体制のこのジェフのサッカーを見れば、戦力的に劣るチームが、ただその戦力そのままに、策のない、雑なサッカーをしているように僕の目には映る。彼が良い監督であるのか、或いはそうではないのかを、その将来性を含めて今この時点で判断する事は差し控えたいと思うが、少なくともミラー監督時代のそれよりも随分作りこみの甘いサッカーになっていると思う。リスクを背負う割りにチャンスに繋げられないサッカーになってきていると思う。戦力並みのマギレの見込めないサッカーになってきていると思う。正直これでは、残留はより難しくなった…監督交代は失敗であったと言わざるを得ない。
ミラー監督は点の取られないサッカー、リスクをとらないサッカーを、J1並みのDFが足りない中で、かなりのレベルにまで仕上げてきていたと思う。そしてだからこそ、一刻も早く点の取れるストライカーを待望していたと思うし、それまで残留の芽を枯らさぬように、潰さぬように、シーズン後半へとチャンスを繋いできていた。しかし待望の助っ人FW獲得とほぼ同時に解雇される。そもそも開幕前から必要なはずであった助っ人FWがやっと獲得できた途端に…である。今彼がジェフに対して思うところを…フロントとの間にどんなやりとりがあったのかを、是非聞いてみたいところである。クゼさんもそうであると思うが、金銭的な部分以外のところでは、きっとやりきれない思いが残っているだろうと僕は想像する。
それに対して、大分は土壇場で良い選択をしたと僕は思う。
結果には結びついていないし、J1残留ももはや困難ではあると思うが、ポポヴィッチ監督に代わって明らかにサッカーが良い方向へ、可能性のある方向へと、舵を切り始めたのが分かる。経済力の違いもあり一概に同じ条件で戦えるとは言わないが、このポポヴィッチ体制で来年1年、J2において若い選手たちをじっくり鍛えることができれば、いつかいまのサンフレッチェ広島に似た、華のある攻撃サッカーを展開することも可能なのではないかと思っている。ピッチ上に展開されているサッカーの明らかな変化を見る限り、ポポヴィッチ新監督は期待できる指導者である…と僕は認識している。
また同じように監督を交代したヴィッセル神戸は、三浦俊也監督の就任によって、まずは松田浩監督時代にベースを築いた良質なプレッシングサッカーに回帰できたように思う。結果から見ても、内容から見ても、この監督交代もひとまず成功であったと評価できるだろう。そして柏レイソルのネルシーニョ就任も、守備組織の再構築と多彩な戦術バリエーションの実践で、その内容に大きな変化の兆しが見えてきている。
最近監督交代した4チームの中で、僕の目から見て明らかに弱くなったと映るのは、残念ながらジェフ千葉ただ1チームである。
それなりに資金力もあったかつての強豪クラブが弱くなる…。
それは当然のように常に起こり得る現実なのだが、ほとんどの場合、弱化に到る共通の要因…というものがあって、それはドブに捨てるようにムダな金を使ってきた…ということである。
そしてそれをしなかったクラブ…厳しい経営環境の中でも賢くやりくりしてきたクラブは、いま地道に、そして着実に、上を目指して成長している。あれが欲しい、これが欲しい、というのと同じかそれ以上に、クラブのファンやサポーターは、強化部の浪費、ムダな金の使い方に対するチェックと批判が必要なのだと僕は考える。あれだけの経営基盤を誇る浦和でさえ、たった2~3年、金の使い方を誤るとこれだけの手痛いダメージを負ってしまうのである。今後さらに選手との複数年契約化、クラブ間の引き抜きや若手争奪戦も加速されるだろう。これまで以上にクラブフロントの手腕や実力が問われるのだ。
なぜあのタイミングでミラー監督を解任したのか?
その目的は何だったのか?
そして、何ゆえ江尻さんでなければならなかったのか?
クラブはその答えを明確にファンやサポーターに、今でも自信を持って答えられるだろうか?例え降格したとしても、胸を張って『これがあの時点で考え得るベストの選択だった!』と言えるだろうか?チーム強化に常に怠り無く全力で取り組んできたと本当に言えるだろうか?
誰一人として結果に対する責任なんて取れない。やり直すことはできない。過去を塗り替えることはできないのだ。そしてだからこそ、その時々でベストを尽くすことこそが、それぞれの責任なのだと僕は思う。ジェフの強化部はその責任を真摯に果たしてきただろうか?一瞬一瞬にベストを尽くしてきたと言えるだろうか?
残り9試合。
それでも選手達の奮闘に期待している。
キリタニ閣僚名簿
posted by キリタニ |11:05 |
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2009年09月10日
この90分は4つのパートで構成されていたように思う。
1つめは、両国の妥当な力関係が現れたガーナやや優勢のパート(前半10分頃まで)
2つめは、動きの重いガーナが日本の中盤に自由を与え続けたパート(後半8分まで)
3つめは、失点に目覚めたガーナが厚い攻撃参加とロングボールで圧倒したパート(後半20分頃まで)
4つめは、拭いきれない疲労と軽率なミスからガーナが自滅していったパート(試合終了まで)
僕の目にはそう映った。
要するにガーナらしいガーナが垣間見られた時間帯は、1つめと3つめの計20分程度。アフリカのチームにしては、割と組織的なプレスで積極的なボール奪取を狙ってくるチームという印象のガーナではあったが、このゲームに関しては僕のその印象も覆された格好である。やはり中二日での試合。WC予選の重圧から解放された直後の、長距離移動を挟んだ第三国における格下との親善試合という位置づけでは、このぐらいのテンションが精一杯だったのだろうと思う。
日本にとっては、この状態のガーナに勝てないようであれば、本番で、イーブンな状況で、まともに対戦した場合には、まず勝負にすらならないだろう…というある意味瀬戸際のゲームではなかったかと思う。戦術的にガーナが、DFラインを上げてきてくれたことで、日本の攻撃の選択肢が増えたことも確かだと思う。そういう意味では、この状況の親善試合とはいえ、負けなかったことは幸運である。勝利できたことには小さくない意味がある。もしWCグループリーグ突破を目指すのであれば、この相手は必ず勝たなくてはならない相手なのだから。
試合開始直後、いつものように前のめりのプレスで、ハーフラインを越えて敵最終ラインにまで圧力を掛けにゆくかに見えた日本ではあるが、エシアンを中心としたガーナの見事なボール回しに出鼻を挫かれる。結果的に前戦のようなバタバタの終盤を迎えずに済んだのは、勿論チームとしての意識の修正もあったのだろうが、この開始1、2分での挫折が、その後の適正なプレスゾーン形成のキッカケになってくれたようにも思う。またガーナのプレスが予想以上に緩かったために、ボールポゼッションにおいても相応のアドバンテージを獲得し得た。
いくつかの幸運も手伝ってくれたことにより“この試合に関しては”日本は最後まで破綻することなくゲームを支配できた…という評価が適当なのだろうと思う。身の丈にあったペース配分を心得、チーム全員でそれを共有してゲームに臨まない限り、相手のテンションが異なり、状況が異なる本番においては、手痛い挫折を味合わされることだろう。今回保持できたボールを、次の試合で同じように保持させてもらえるとは限らない…。アクチュアルタイムが60分あるとして、24分の追走で済むか36分の追走になるかは格段の違いである。そしてそれは相手にとっても同じ事だ。今後どんな相手と戦うにせよ、このアクチュアルタイムをどうマネージメントして、自らに有利なものに構成してゆくか?そこにこそ、ありったけの知恵と意識と鍛錬の時間とを注ぎ込んで本番を迎えて欲しい。
個人に目を向けると、4-4-2へのシステム変更を経て、中村俊輔が前半本来の持ち味を発揮しかけているようにも見受けられた。いろいろな軋轢や報道に対する“意地”の部分もあったのだろう。勝負どころの大事な場面で攻守におけるいくつかのミスがあり、華々しい脚光を浴びるまでの内容とはいえなかったと思うが、ここ数試合のパフォーマンスを考えれば一番可能性を感じさせてくれた。依然、僕の中での彼への評価は、当落線上ギリギリ…というものでしかないが、今回のシステム変更は彼にとっても大きなチャンスである…との印象である。
そしてやはり中村憲剛である。遠藤保仁、中村俊輔のパフォーマンスが低調の時期に、しっかりと代表における自らの揺ぎない足場を築いてくれた。本当に逞しい選手に育ってくれたと思う。ここ数年、Jでも、代表でも、非常にタイトなスケジュールの中、大きなケガもなく、常にトップフォームを保ち続けている。そんな選手は日本において、中村憲剛ただ一人である。きっとオシムさんが代表で誰よりも可愛がり期待した選手であったと思うし、前後は多少変われど中盤であの頃とほぼ同じ役割を与えられて、大きなやりがいも感じ始めているのだと思う。2010年の日本代表の核には、彼こそが相応しいのではないかと僕は思う。
皮肉なのは、僕の目には“参加賞”的な出場にしか見えなかった稲本潤一が、この試合もっとも脚光を浴びる2つのシーンに絡んだところである。状況的にはあの時間帯のガーナは死んでいるも同然であり、あの2つの得点シーンが手放しで賞賛できるものかどうかは分からないが、これにより岡田監督の今後の選手選考に少なくない影響を与えることになるかも知れない。本田圭佑の岡田ジャパンにおける前途とは逆に、彼のそれには光明がさしてきたと言える。彼にとっても次が最後のWCである。このチャンスをぜひ掴みとってほしい。
そして、あらためて4-4-2である。
高いDFラインを敷いてくる相手に、裏のスペースをケアさせることによって、日本の中盤がより活きてくる。世界トップ10の相手との戦いにおいては、中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛の中での引き算が必要になってくるとは思うが、僕は現状このシステムが日本に一番相応しいものであると思っている。オシムさんとの離別から、無駄に遠回りしてきた時間が今となってはたいへん惜しい気もするのだが、シンプルに、邪念を捨てて、この4-4-2に回帰し、煮詰めてゆくのが、今の日本にとっては一番妥当な選択になるのではないかと僕は思っている。
そしてその上で、2トップの選考をさらによく吟味し、検討してみて欲しい。大味なゲームでもあり、すでに印象も薄いと思うが、後半13分、ガーナに攻め込まれた日本の一瞬のカウンターのチャンスに、ハーフライン近くで、楔となって絡んだ前田遼一。結局はつぶされてしまったが、あの瞬間にもう一枚の頁をめくることができていたら、この岡田ジャパンのサッカーに大きな自信と転換点をもたらしていたかも知れない。僕にとってはとても印象的なシーンであった。願わくばこの2トップの1枠は、前田遼一と平山相太、そして本田圭佑とで最後まで競い合って欲しい。いくつかの変革の積み重ねによって、厳しい状況の中で、奇をてらうのではなしに、現実味のある勝機を…地に足つけた戦略を…導き出す事が可能になるのではないか。であれば、この岡田ジャパンのサッカーもあと1歩前進することができる…。ここから先の日本代表には、そんな手ごたえのある地道な進化であり積み上げを期待している。
僕の中のザ・ビートルズランキング
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2009年09月07日
競馬には『テレビ馬』というものがある。
大きなレースになると、2000Mのレースの前半だけを、1000Mのレースのようにペース配分も考えずに先頭を切って駆け抜け、テレビ画面に映りこもう…という馬である。
当然のように、勝負どころの最終コーナーから直線、最後の600Mでは影もカタチもなく後方に置き去りにされる。おそらく大レースのTV中継で、騎手や厩舎や馬主の名前が発信されることを目的とした、ある種の自己満足の類なのだろうと思う。
どのみち勝てないのであれば、勝負を捨てて名前を売る…そのことに対して彼らはきっと自覚的なのであり、よく己を知ってこそ成せる業…なのかも知れない。
この日本代表…いや、岡田ジャパンの闘いぶりも僕からみればそのテレビ馬の類と同一である。
『前半は良く戦った。プレスが機能していた』
という観戦者の方々も多数居られるのだと思う。折り返し地点まで、オーバーペースで遮二無二頑張って、後半バタバタと失速する。マラソンの愛好者・視聴者であれば、おそらくは誰も褒めることのないこの失敗を、積極的によく頑張った…健闘した…と、褒め讃えているうちはこの状況はなかなか変わらない。
前半30分からの残り15分間。そして後半20分からの残り25分間。
この残り40分間の『破綻』を、ポゼッションのためのポゼッションでどれだけ短縮させて、また的確なポジショニングでどれだけ誤魔化しながら戦っていくか…が、アジアにおける戦いの中では露呈することのなかった、ずっと以前からの、このチームの課題である。
僕はこのペース配分を逆転させて、前半の時間帯をどうセーブしながら、後半の勝負の時間帯を設え、そこに全力を注入してゆくか…というゲームプランニングについての考え方を、『岡田ジャパンの可能性 2つのオートマティズム』や、『岡田ジャパンの可能性 たった1つの強化策』、さらに『岡田ジャパンの可能性 番外編キリタニジャパン』のメンバー選考の中で示したつもりであるが、やはり岡田さんの思想は僕の考え方のその対極に在るようで、今のままのオーバーペースを90分間貫徹することにこそ勝機がある…ということなのだろう。僕はそこに、あまりに懐かしい日本的精神の風土と、無策ゆえに行き着いてしまう妄執…のような、ある種の危うさを感じたりもするのだが、その点で彼に迷いはない…ということなのだろう。
フレンドリーマッチであればいつも言う事であるが、この日のオランダも、オランダであってオランダではなかった。日本の前からのプレスが機能していた…というのも、僕から見れば少し眉唾な見方であって、彼らのボール回しは安易にタテへ急ぎすぎで、これがWC予選の真剣勝負であれば、両サイドバックのゾーンで丁寧にボールを落ち着かせた上で、真綿で首を絞めるようなポゼッションを展開してきただろう。それだけこの日本戦に対する準備を彼らは怠っていた、日本をナメていた…という証左であると僕ならば考える。
そしてそのオランダではないオランダの、オランダらしきものを一瞬垣間見せてくれた瞬間が、ファン・ペルシーのトラップからシュートまでの0.1秒の速さであり、デ・ヨング、スナイデルのある意味度を越した意地…だったのだと思う。ただ、それだけである。
最後の20分間はオランダを本気にさせた…と、誰かが言うのであれば、僕はその論も頭から否定させてもらう。あれは日本の自爆であり、さらに言えば岡田ジャパンの自縄自縛である。あの残りの25分であれば、WC出場国である限り、別に相手がオランダでなくともいいようにやられていたことだろう。要するにこれは、ただゲームマネージメント、ペース配分の“未熟”である。彼らが本気のオランダに出会った訳ではない。
アジアでの戦いをくぐり抜けて、これから世界とどう戦っていくか…の指標となり、試金石となるこの一戦において、岡田監督のその姿勢から透けて見えてきたものは、僕が期待していた革新やモデルチェンジへの意志ではなしに、アジアを勝ち抜いたこじんまりとした調和の保守と、自らが振り上げた無二無三のロジックとプライドへの固執でしかなかった。
その選択自体を僕は否定しようとは思わないが、正直残念に思っている。僕は対アジアから対世界へのドラスティックな変化であり、革新を求めていた。
あれほど走れ、走れ…と、叫び続けていたオシムは、実は守備戦術の中で選手たちをムダに走らせ、ムダに消耗させることは絶対にしたくないタイプの指導者であったと僕は理解している。それでは、攻撃を楽しむことに、サッカーの可能性を拡げることに、エネルギーを投入できなくなるからである。根本的な理念の部分において、岡田ジャパンのそれは似て非なるものである。ボールを奪うまでにエネルギーを浪費し、その前で奪うという過分にエネルギーを支払った部分の利益を活かすための、タレントのチョイス、オートマティズムの構築、そして効率化は未だ整備されてはいない。これでは意味がない。
何ゆえ前でボールを奪うのか?
その意味をもう一度問い直すべきである。
おそらくいたるところで『中村俊輔vs本田圭佑』論争というものが巻き起こっていることだろう。実際僕も、この試合一番興味深く眺めたところは後半17分のFKのシーンだった訳だが、いずれにせよ岡田監督がこの戦い方を変えず、貫徹して、さらに追及しようとするのであれば、どちらの選手もミスマッチであると僕は思う。このカタチに固執するのならば、なおさら中村俊輔ではなく、石川直宏こそを選択するべきだろう…。前でボールを奪うことのメリットを最大限活かそうとするのであれば、前線サイドの位置には一対一で勝負し、そこで独力で前進し得るスピードと思い切りを持った選手こそを起用すべきである。であれば、FWの選択もまた少し変わってくるはずだ。
ゲームプランニングや戦術を変えていくのか、或いは選手を取り替えていくのか、またはこのまま純粋に、そして一途に突き進んでいくのか…。きっと3つ目の選択になるのだろうが、いずれにせよ来年の6月、それを『日本代表』と認められる自分でいられること、一緒に熱くなれる自分でいられることを期待しながら、今後の岡田ジャパンの行く末を見守ってゆきたいと思っている。
映画批評『花とアリス』 ★★
posted by キリタニ |11:02 |
岡田JAPAN |
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2009年09月01日
この夏、ある討論番組を見ていたらこんなことがあった。
テーマは『非核三原則』は遵守すべきかどうか…だったと思う。ある女性が言うには『非核三原則(核を、持たず、作らず、持ち込ませず)は絶対に守らなければならないし、日本の核武装など論外である』…という。ああ、そういう考え方もあるだろうし、よくある話だ…と僕は思う。が、次のシーンでその女性は『アメリカの核の傘は必要である』というフリップを掲げている。
え?
と、思う。
要するにこういうことなのだろう。
日本が自国防衛のために核を持つor核に触れる=×
アメリカが日本の安全の為に【勝手に】核を配備するor日本以外の【よそ】から核で他国を脅す=○
いつも思うことだが、他人の正義感…とはおかしなものである。きっとそういう僕の正義感も、他者からみればおかしなものなのだろう…。だから僕は、正義と言うものは他者と共有できるものではないし、他者に強要すべきものではないと思っている。他者の正義感がおかしい…のは、当たり前のことなのであって、それを互いにおかしい…と思い合うのは勝手だが、間違っても押し付けあったり、強要しあうべきものではない…と思っている。
おかしな価値観、倫理観、正義感であふれかえっている世の中。それこそが自然であり、ある意味妥当な社会のあり様…なのだと思う。
人それぞれの思想というものは異なるものだから、万人がぎりぎり納得し共有し得る最低限のルール…というものが必要になる。そしてそれを踏み外したものにはペナルティが加えられる。社会だけではなくサッカーの世界も、そのようにして回っている。僕は権力者といえども…、いや権力者だからこそ、そんな“正義感”をタテにルールを乗り越えて主張し、影響力を与え、自らの価値観を万人の共有する普遍の価値観として誰かに強要することは誤りだと考える。してはいけないことだと思っている。それが、もし健全な民主主義で選ばれた権力でないとするならば、尚更である。
日本人は言葉に殊更に過敏に反応する。
その一方で、実際のピッチ上において日常的に為されている行為にはまるで頓着しない。もしフィンケが『ファールされたら倒れるべき』と言ったことが本当だったとして、誰かに、それを批判する正義感があることを僕も認めようとは思うが、一方でファールされずとも倒れるピッチ上の無数の現実を、そのままに看過し不問にする寛容さを併せ持つことを、奇異に思う。
さらに他方では、敵にファールを受け転がった選手が、シミュレーションだと2枚目のイエローカードを出されて退場を宣告される。しかし、後にそれはジャッジの誤りであったと主審に謹慎が申し渡される一方で、冤罪被害者である選手の出場停止に対する救済は為されずに、刑は執行される。無実の詐欺罪で職場を奪われた善良な市民が、冤罪と分かっていながらなお懲役1年の刑に処せられる…。
こんなあり得ない話が、なんの反省もなくやり過ごされている。
もし僕が権力者であったとしたならば、こんな不条理こそ許せないと思うだろう。見過ごす事などできないと思う。もし権力というものを皆のため、サッカーのために役立てたいと思うならば、そんなところにこそ行使すべきではなかっただろうか。
正義とは多様なものである。
それはどこにでも、誰にでも、在るものでありながら、実はひとつとして同じものなど存在しない。よくよく見ればどこか違う。どこかおかしい…。僕自身正義とはそんなものであると思っている。自らとは異なる他者の『正義』の在ることを知り、認めてこそ、はじめて自らのそれを主張することができる。要するに正義とは、謙虚でなければならないのだと思う。
サッカーとはゲームである。
もちろん、ゲームの定義にもさまざまな回答があろうとは思うが、僕はそのピッチ上の現実、フェアかアンフェアであるかの是非の問題を、自らの独りよがりな正義感を基準に判断しようとはまったく思わない。そこには必然、僕とは異なる他者の価値観や正義感が在るだろうし、彼らは僕のチームメイトですらないのだから。
同じニンゲンとして故意に他者を傷つけようとする行為やプレー以外は、ルールと、それに対するペナルティと、不確かなジャッジ…の3つの制約の中で、僕は指導者を含むプレイヤー達のあらゆる判断や選択を受容する。もちろんその中にはプロフェッショナルファールや、ダイブや時間稼ぎの類も含まれる。ヘタにやって不要なFKを与え、無駄なカードを貰うようであれば、未熟なプレーとして軽蔑の対象となる。ウマいかヘタか…ただそれだけが評価の基準である。
…きっと誰かがおかしいと思い、不満を覚えることだろうが、それが僕自身のサッカーというゲームの正義に対する価値観、おかしな正義感…といったものの偽らざるところである。
僕の中のザ・ビートルズランキング
posted by キリタニ |11:04 |
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