2009年04月30日

ジェフ千葉の今と未来 

いろいろとせわしない日々を過ごしているうちに、世の中はゴールデンウィークを迎え、新型インフルエンザはパンデミック一歩手前の状況にまで突入してしまった訳だが、政治も人生も、そしてサッカーにおいても、適時やるべきことを為す…というのが一番大切な事で、その時期を見誤ったり、その支払うべきリスクを適正に判断できなかったり、或いは見たく無いものは見ないふりをしてみたり…、振り返り、あとになって考えれば、そういう状況判断の甘さや選択ミスが、いつまでもその後のミライに暗い影を落としてしまうことを、僕たちは手痛い経験から学ばなければならないのだと思う。

第7節、ジェフ千葉vs浦和レッズの試合は、そういう意味でひとつの鮮やかな対比を見せられた試合であった。明るい陽光が差し始めた浦和と、重苦しい黒い雲に覆われた千葉…という対比である。

見ようによってはジェフの善戦にも見える。が、またもうひとつの異なる視点から見れば、たった4本のシュートしか撃つ事のできなかった攻撃力不足の現状も露呈している訳で、僕の正直な感想を言えば、それはただガードを固めて前へ前へと足を進め、頭を下げ腰を引いたまま、時折大振りのラッキーパンチに賭けるだけの、勝ちきれない、平凡なボクサーのそれに良く似ていたように思う。その頑張りと意欲は十分に認めるが、その戦いの内容に、強い敵を打ち負かすだけの戦略性や論理性を見出す事はできなかった。

前半45分は機能していた前からのプレスは、現状では彼らにとってのたったひとつの光明である。坂本將貴の積極的なラインコントロールも手伝ってか、今シーズン見た試合のどれよりも良い滑り出しのようにも見えた。しかし、問題なのはボールを奪ってからの事態であり、浦和の切り替えの早さもあり、組み立てるリスクを避けてただ前へ蹴りこんでしまう。もちろん浦和もジェフの強烈なプレスの前に中盤で多くのボールロストを繰り返していたのだが、このボールロストの在り方には、如実に現状のサッカーの“質”が現れていたように僕は思う。要するに、ジェフのボールの失い方には“実り”の期待が持てないのだ。

確かにそれによってリスクは減じられる。1-0でリードしている後半の状況であれば、一番正しい選択であると僕は思う。しかし、結果的にはそんな淡白なボールの失い方と、全力の前からのプレスによって、自らで疲弊し消耗して、さらに攻撃への活力を失っているようにも見える。

後半の浦和は、前半のボランチへの厳しいマークに苦しんだことを受けて、前線の選手のビルドアップへの顔出しによって、スムーズに本来のポゼッションサッカーを展開しはじめた。それによってまた、前半の疲れの見えるジェフは為す術なく浦和にゲームを支配された。強い浦和に、全力でぶつかった前半の“抵抗”は見事だったと思うが、これを90分やりきるスタミナを保持する事は容易ではなく、またこれからの季節を考えれば、今の戦いぶりは相当に危うい…と、僕自身は思っている。

以前書いた僕のジェフ千葉への苦言が、僕の意図とは少し異なる取り上げ方で引用されている…という記事をメールで紹介していただいた。読んでみると確かに僕の意思とは少し異なるのかも知れない。書き手として、他者にこれを公開した時点で、読者のその解釈のあり方にまで注文をつけるのは僭越であると思うので、ここでそれに対して反論したり、弁明したりすることはしないが、僕は僕の立場や視点から、今後も応援しているクラブのひとつであるジェフ千葉に対して、自分の思うところを誤解を恐れることなく、ありのままに書き綴ってゆきたいと思っている。他者からみれば少し評価が厳しすぎるのかも知れないし、尊大な物言いに映るのかも知れない。が、それが僕からジェフへの、ある意味での愛情表現の仕方なのだ。

僕は今ミラー監督を変えるべき…とは思っていない。同時にこのサッカーに輝かしいミライがあるとも思ってはいないが、今は輝かしいミライを追い求めて立ち振る舞うような状況ではなく、現状でできる最善の策を、決断し、行動すべき状況なのだと思う。輝かしいミライについては、ひとまずの結果が出てから、クラブ・選手・地域・サポーターが一つになって十分に議論して方向性を打ち出せばよい。それはこれを乗り越えた先の話である。

いま願っていることは2つだけである。

ますばプレッシャーのないところで良いから、もう少しペースダウンしてボールを持てる時間を作って欲しい…ということである。このサッカーでは夏場は乗り切れない。頑張る気持ちは尊いし、それを失ってはいいけないが、またそれだけで勝負してゆけるというものではない。90分の戦いに、ペース配分とメリハリは絶対に必要である。そしてもうひとつ、夏までに必ず点の取れるストライカーを獲得すべきである。そうすれば腰の引けた大振りのパンチであっても、今よりは遥かにマシな確率で、相手の急所を捉える事もあるだろう。

そしてそのために、今いるメンバーで、1つの勝ち点に執着して、気持ちをきらずに全力で戦っていって欲しい。とても厳しい道のりであると思う。だからこそまた諦めずに、最後まで戦おうとする強い意志を貫いて、頑張って欲しいと心から願っている。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

はじめての朗報 ~新型インフルエンザ~  

posted by 桐谷 |12:06 | ジェフ千葉 | コメント(9) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月27日

試合をブチ壊す不公平なジャッジ 

先日英紙デイリー・メールにより発表された「偉大なる歴代フリーキックの王様50人」。1位のベッカムから40位の中村俊輔、そして50位のランパードまでたいへん興味深く見させてもらった。
キリタニセレクトのベスト1は…ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(同ランク2位)が妥当なところではないかと思う。さらに続ければ2位がロナルド・クーマン(同12位)、3位がピエール・ファン・ホーイドンク(同27位)。以下アルバロ・レコバ、ロベルト・カルロス、イアン・ハート…といった感じだろうか。ちなみにJリーグベスト1は、断トツでエドゥー(横浜フリューゲルス)という評価であるが、皆さんはどうだろう?(2009.04.10)

UEFA/CL準々決勝チェルシーvsリバプール見た。これが質の高い試合であったかどうかは正直疑問であるが、おもしろい試合であったことは間違いない。CL準々決勝、しかも2ndレグだからこそ見られた大乱戦ともいえるのだろう。ゲームの中で特に印象に残ったのが、ディディエ・ドログバの基本技術の正確さ、トラップの確かさである。ドログバといえばフィジカルのイメージが強いのかも知れないが、トップスピードの動きの中で、正確にボールを止め、正確にボールを蹴る…という技術は、いつもながら他の誰よりも秀でたものを感じる。このトップスピードの中での正確なボールコントロールとキックを、日本のFWたちにもぜひ身につけてもらいたい。(2009.04.15)

もし自分がJクラブのアタッカーだとして、絶対にマークされたくない相手は誰だろうか…と考えてみた。要するに背中を向けて怖い相手…ランキングである。
1位ホベルト(大分)。2位エジミウソン(大分)。3位レオナルド(山形)。4位ストヤノフ(広島)。5位金南一(神戸)…。そして僕の場合はなぜか巻誠一郎と矢野貴章を経由して^^;やっと9番目か10番目あたりに、浦和の細貝萌や、大分の森重真人、上本大海、柏の古賀正紘、小林 祐三あたりがくる感じだろうか。やはり日本人選手は概して当たりがやさしい。その点でブラジルや韓国のDFたちと大きな差がある。ちなみにJ歴代1位…ということであれば、迷いなくアルパイ(元浦和)をあげさせてもらう。(2009.04.16)

Jリーグ、磐田vs清水戦。イ・グノの2点目、清水DF青山直晃をスピードで追い抜き体勢を崩される事なくブレずに狙い済まして決めたゴールは圧巻だった。素晴らしいストライカーであることは重々知っていたつもりであるが、ジュビロの体制さえ整うならば、J1得点王を狙えるだけの素材であることをこの1試合で彼は示してくれたと思う。AFC枠については当初『韓国人ばかりになる…』との批判も聞かれたが、いったいそのどこが問題なのだろうか。真に実力ある韓国人選手たちがJのレベルを底上げしてくれている。僕はそれを素晴らしいことだと思っているし、彼らの活躍に感謝している。(2009.04.20)

ACL、グループE第4節、ニューカッスル・ジェッツvs名古屋グランパス。
ここ最近“1-0のゲーム”の在り方についてしつこく言及してきただけに、今回アウェーにおいて見事に1-0のゲームを制し、勝ち点3を持ち帰ってくれた名古屋の頑張りはとても嬉しかった。バニャリッツァの凡ミス(PK)には肝を冷やしたが、ゲーム全体の内容を見れば、名古屋が主導権を握り、名古屋が支配したゲームであったと思う。本当なら動きの重いニューカッスルの選手たちを、終了間際のボール回しで吐くほど走らせてゲームを終えて欲しかったが、それは次の機会の楽しみにとっておこうと思う。(2009.04.22)

週末が近づいてくると、今週はどの試合を見ようか…と、ぼつぼつ考え始める。その週末のスケジュールにもよるが、たいていは2試合~3試合。多くても4試合が限界なのでよく吟味して選ばなくてはならない。第7節は、まず絶対に見逃せないジェフ千葉vs浦和レッズ。そして叱られるかも知れないが、昨今の状態を見る限り泥沼対決ともいえる大分トリニータvsFC東京。さらにサンフレッチェ広島vs川崎フロンターレのしばき合い対決も見逃せない。また名古屋vs横浜Mも好ゲームの予感がする。今週もあわただしい週末になりそうである。キリンカップの中断が残念でならない…。(2009.04.24)

追記

Jリーグ第7節ジェフ千葉vs浦和レッズ、サンフレッチェ広島vs川崎フロンターレ他の戦評は後日改めて時間のできた時に書くつもりだが、今節もまた審判にブチ壊されたような試合が複数見られたことが残念でならない。広島ミキッチへのイエロー2枚は、僕が主審ならばどちらも流してしまうような何のことはないプレーであったと思うし、大分エジミウソンへの2枚のイエローについても、1枚目はともかく、2枚目に関しては完全な誤審。しかもその後の大分への度重なる不利な判定の数々は、私怨すら感じさせる感情的なジャッジにさえ見受けられた。

大分は確かにゲームにおいて感情をコントロールできない未熟なチームだと思う。審判への抗議も多く、Jリーグ基準で見ればダーティーな要素も多々見られる。が、だからといってそれを裁く審判のジャッジが公平を欠くものであって良い訳はない。むしろ、だからこそ審判は、絶対にフェアでなくてはならないし、彼らがそれを欠くプレーや行動をした際には、ゲーム後であろうとVTRを掘り起こし、適正な懲罰を負わせ、なあなあで見過ごす事はあってはいけないと思う。しかし、それを可能とするものは、やはりゲーム上における審判の公平さあっての事である。そこに感情的なものが入り込んでしまっては、互いに憎しみの応酬にしかなりはしないはずだ。このゲームに、観るものをそう思わせる“偏向”が感じられたことは、どちらのサポーターでもない一観戦者の立場から、非常に残念でならない。

10人で戦った後半の大分の頑張りは感動的なものだった。
西川周作の神がかりのスーパーセーブをはじめ、観るものの心を惹き付ける素晴らしいゲームだっただけに、空しい結末と共に、その後味の悪さに気が滅入った。

大分はもう一度一からスタートしなければならない。昨年の記憶は一旦すべて忘れ、勝ち点1にすべてをかけるひたむきさを、彼らは取り戻さなければならないのだと思う。一言だけ声をかけられるとすれば彼らには『負けるなっ!』と伝えたい。『負けないっ!』という原点に立ち返りさえすれば、彼らはまた彼ららしい戦いを繰り広げられることだろうと僕は信じている。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

【映画批評】 ゆれる ★★★★ 

posted by 桐谷 |11:20 | 一言コラム | コメント(12) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月22日

広島のつまらない失点と、浦和のつまらないゲームの終え方

アルビレックス新潟vsサンフレッチェ広島。
小さな連携の綻びと手痛い2つのGKミスによって失った3つの失点。いつものことながら、これらのつまらない失点の仕方は、翻弄され、崩されての失点の何倍も、戦う選手達の気持ちを萎えさせるものなのだろうと思う。けれどもそこで切れてしまわないのが、彼らの精神的な成長の証なのかも知れない。そしてまた、その地力によって挽回し得るチカラを有してもいるのだ。

ある意味で歯がゆく、そしてある意味で逞しくもみえる彼らのその戦いぶりは、良い意味でも悪い意味でもいまJリーグで最高のスリルを提供してくれるサッカーである。GK佐藤昭大の負傷で、このポジションがさらに手薄に、心もとないものになったような気がするのだが、レンタルででも補強することは叶わないのだろうか。大分の下川誠吾、浦和の山岸範宏、そして清水の山本海人。確かな足元のスキルと連携が要求される広島のGKではあるが、まずは後ろを気にせず安心してゴールマウスを任せられる経験ある選手の獲得を期待したい。

一方の新潟について。
これまでサンフレッチェ広島の試合は開幕戦からすべて見てきたが、この日の新潟は2節の大宮同様、広島のサッカーをよく研究し、的確に対応してきたチームであったと思う。新潟の足が動いている時間、広島は細かいパスでビルドアップできずに本来の彼らの持ち味を出しかねていたし、かなり窮屈そうなサッカーを強いられていた。ストヤノフのロングフィードも冴えを欠き精度を失っていたのもその為なのだろうと思う。そういう意味では、新潟はこれまでで一番上手に広島らしいサッカーを封じることができたチームであると言えるかも知れない。

これまでの広島戦での内容を物差しに、対戦6チームのいま現在の実力を計るならば、鹿島、ガンバに次いで、僕はこの新潟の強さ…というものを感じた。現在の順位は“出来すぎ”との評価もあるだろうが、僕はそれなりに彼らの今現在の実力を反映したポジションなのではないかと思っている。次戦、契約上の規定でペドロ・ジュニオールが出られないそうだが、彼の存在を欠いてどこまでこのサッカーの質を保てるかどうか…に、注目してみたい。

浦和レッズvs京都サンガの試合は、エジミウソンの幻の2点目…を、主審に取り消されたことで大きくその後の展開が変わったのではないかと思う。どうしてあそこで笛を吹くのだろうか?あのようなタフなプレーが審判によって否定され、拒まれるのであれば、この国のサッカー自体を歪め、変容させ、世界とは異質なものとして隔離することに繋がるだろう。あの笛こそ、日本の審判が一番改めなければならない認識であり、判断であると僕は思っている。

一方的になりかけた試合を京都はよく堪えたと思う。また追加点を奪えなかった後半、ただ無闇に攻めるだけではない、強かった頃の浦和を思わせるゲームの閉じ方をした彼らに、これまで蓄積してきた王者としての経験と歴史の重さを見せつけられた気がした。いかにゲームをつまらないものとするか。いかに盛り上げることなく勝ち点3を収める事ができるか…。それもサッカーにおける常勝への方程式であり、定石の一端であると僕は思っている。すでにそんなひとつの構えや様式を持つ浦和が、フィンケの下で今のサッカーを積み上げてゆくことができるとするならば、きっと彼らは大きな仕事を成し遂げてくれることだろうと僕は期待している。

岡田監督が視察で日本中を飛びまわってくれているようだが、そろそろ新顔の選手たちがピックアップされる頃合だろうか?

まずは柏木陽介の選出に期待したい。渡邉千真もいかにも岡田監督の好みそうなタレントであると思う。そして石櫃洋祐をぜひ一度代表で見てあげて欲しいと思っている。さらに山瀬功治、狩野健太、そして浦和の山田直輝…。次のキリンカップは、ぜひ思い切った選手選考で臨んで欲しいと願っている。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

映画批評 メゾン・ド・ヒミコ ★★★★ 

posted by 桐谷 |11:15 | Jリーグ | コメント(10) | トラックバック(1)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月20日

J第6節 1-0の構えと覚悟

精緻な計算に基づき実行された1-0のスコアとは、ある意味サッカーの究極の“理”というものを表すゲームであると僕は思う。また同時に、個別のサッカーのスタイル、その攻撃的か守備的かの隔てとは、0-0というスコアにおいてどう戦うか?によって論じられるのが妥当であるとも思っている。1-0の状況において取るべき構えと覚悟、0-1の状況において取るべき構えと覚悟には、ディテールの違いこそあれ、サッカーの常識、“理”の下においてそれほどの大差はないはずだからである。

ところがニッポンのサッカー、Jリーグのサッカーにおいては、その“理”に基づいた1-0の常識が、しばしば履き違えられているか、“攻撃的…”うんぬんの不合理な欲求への妄執によって、蔑ろにされているかのように見受けられる局面を嫌というほど見せられる。

将棋の格言に、

『ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり…』

といったものがあったように記憶する。

Jリーグのそれはまさにその例えのように、追加点に執着するばかりに、1-0という勝利と、その為の様式を軽んずる悪しき傾向にあるように思う。そしてその心理を解析すれば、実は“守備的”との謗りや批判を逃れる為の口実、僕たちそれを見守るものの視点をも含めた“攻撃的”への歪んだ、不合理な、妄執や妄信があるのではないかと僕は思っている。

僕は日本のサッカーの、いつまでたってもその1-0の状況へ正しく向き合おうとしない姿勢や思想、1-0のサッカーへ対するヌルい構えと成熟をみない覚悟を、非常に物足りなく思っている。

アテにならない追加点を求めて、無闇に、そして無反省に、勝ち点3を失い続けるサッカー。実はその心理の成り立ち自体が、いかに消極的で、保身的で、勝敗という物差しに対して腰の引けた様であるかを、それを見守る僕たち自身の側も、よくよく検討・議論してみるべきなのではないかと思っている。

1-0の状況と正しく向かい合い、両サイドを絞り気味にゴール前を固めながら、常に鋭いカウンターの切っ先を相手の喉元に突きつけるサッカー。サッカーにおいて迫られる多様な構えや策を不足なくあわせ持った上で、1-0の状況における究極の“理”を、このJリーグにおいて一番見事に体現しているのが、僕は鹿島アントラーズのサッカーであると思っている。

1-0のゲームを、もっとも優雅に、そして磐石に、支配し、コントロールし得ているチームは鹿島アントラーズである。それはこのニッポンという国の概念において、Jリーグという井の中の情緒において、ただひとつ世界の基準を知らしめてくれる一点の光明であると僕は思っている。

Jリーグ第6節の試合。
FC東京vsジェフ千葉を筆頭にその他いくつかのゲームを見て、僕はまさに今回書き綴ったことを改めて再確認させられたし、1-0という状況に対処できないニッポンのサッカー、Jリーグのサッカーの脆弱さと未熟さを思い知らされた気がした。そしてそれは僕たち自身の情緒や観念ときっと無関係では無いのだと思う。

今週時間があれば、また改めてTV観戦した新潟vs広島、浦和vs京都、磐田vs清水ほかの試合の戦評についてふれたいと思う。非常に残念なのは、今回もまた多くのゲームで、認められるべき正当なゴールがレフェリーの誤審によって取り消され、ゲームの勝敗を決するような大事な局面において、大きな影響を与えてしまっていたことである。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

映画批評 メゾン・ド・ヒミコ ★★★★~ 

posted by 桐谷 |11:25 | Jリーグ | コメント(7) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月15日

第5節 残念なゲームと浦和スタイルの確立

前節J2セレッソ大阪vsヴァンフォーレ甲府の試合を録画観戦させてもらったのだが、このジェフ千葉vsジュビロ磐田のゲームは、それと比べ、あらゆる面で低調な、寂しい試合であると感じられた。

昨季の戦いぶりを見る限り、アレックス・ミラーという監督に手堅く古臭いイングランドサッカーの“その先”の展望や手腕があるのかどうか…僕は正直、期待できないのではないか…このサッカーで可能な限り極限まで失点を減らしながら、スペシャルな外国人アタッカーに攻撃を預けてしまう…という戦略以外に、ジェフが上向く要素は見当たらないのではないか…と思ってきたのだが、開幕から5戦を経過して、残念ながらその読みは当っていたような気がしている。

一方のジュビロ磐田も、山本昌邦監督就任以来の地すべり現象に終息の兆しは未だ見えず、この試合を見ながら『ついにジュビロもここまで来てしまったのか…』と、愕然とさせられた。

どちらのクラブも、現場以上に背広組みのその不作為や無能によりここまで傷を広げてしまった。この試合前半、選手たちにまだ戦う意志や意欲が垣間見えたジェフに、かすかな望みは見出せた気はするのだが、果たしてジュビロの方はどうだろうか?抜本的な改革が迫られているのではないだろうか?両クラブともに言えることだが、このままこの位置でちいさな幸運に恵まれながら無反省に年月を浪費するぐらいならば、一度J2をくぐった方がその未来にとっては幸いなのかも知れない。

厳しい評価となってしまうが、この試合は紛れもなく、降格候補の両チームらしい戦いぶりであった。両クラブの往年の試合を僕自身これまで楽しみに見守ってきただけに、サポーターの気持ちを思うと、このお粗末な試合内容が残念でならない。

サンフレッチェ広島vs柏レイソルの試合は、好調広島の迫力あるアタックに、試合序盤に腰が引けてしまった柏の完敗に終わった。広島にとっては、ある意味開幕戦の横浜マリノス戦と同じようなイージーなゲームであり、柏もこの内容では、広島サッカーに対する認識や、これに勝つためのプランや戦略が甘すぎる…のだと僕は思う。今の広島が相手であれば、昨季終盤のガンバ大阪のように、どのチームがやっても苦戦は免れないだろう。だからこそ、これに対する戦略の部分が重要になってくるのだ。広島との対戦は、準備して臨んだチームとそうでないチームとの差がハッキリとあらわれる。柏はその良くない方の手本を示してしまったと言えるのではないだろうか。

清水エスパルスvs川崎フロンターレのゲームは、互いの現状のチカラを出し切った良いゲームだったように思う。結果1-0もゲーム内容に対して適正なものであり、清水の側から見ればあと1、2点、突き放して勝利するゲームが必要だったかも知れない。川崎GK川島永嗣のスーパーセーブの連発が、傾きかけた試合の流れを引き戻し、劣勢のチームに活を入れた。今後清水は横浜マリノスと共に徐々に良いポジションへ押し上げてゆくのではないかと予想する。一方の川崎は、開幕前の予想通りあまりポジティブな展望を見出せるシーズンにはならないのではないかと考えている。

この試合後半のヨンセンの献身的なディフェンスに僕は感動させられた。ゴールの数であれば彼はダビィやレアンドロには到底敵わないだろう。が、岡崎慎司や原一樹は、この一年で彼のポストプレーやそのプロ意識に多くのものを学んで欲しいと願う。コンディションの良くない中でも、彼は自分にできること…を、ピッチ上必死になって探している。彼が未だJ1において、結果を残せるプレーヤーで在り続けられるのかどうかは僕には分からない。が、例えそれが数字に表れる結果でなかったとしても、彼が清水エスパルスに刻み、残してゆくだろうものに僕は期待している。

そして最後に名古屋グランパスvs浦和レッズ。
リーグ5試合目にして、いよいよフィンケサッカーが浸透してきた…という印象である。ACL疲れもある名古屋のパフォーマンスも決して褒められたものではなかったかも知れないが、Jリーグ上位チーム同士の戦いにおいて、これだけ一方的なゲームも一年にそう多くあるものではない。ダヴィを抑えきった坪井慶介の気迫あふれるディフェンス。そしてポンテ、エジミウソンの復調と、原口元気のダイナミックなフリーランとここまでのモヤモヤが吹っ切れたかのような積極的なプレーの選択。チームは確かに、良い方向へと循環しはじめている。

90分の中の良い時間帯と悪い時間帯。具体的にいえば、前半30分以降と後半20分以降の足の止まる時間帯に、パスコースを失い全体がフリーズしてしまう危うさ、脆さは垣間見えるが、これが浦和のサッカーである…という明確なスタイルがいまはっきりと定着しつつある。これから多少の困難に突き当たる事があっても、これならばいずれ乗り越えられるはずだ。フィンケは、充分に信頼に値するだけの仕事をこの3カ月で為し得ている。もし彼がこの国において、もう一人のイビチャ・オシムに成り得たとしても僕に驚きはない。浦和が素晴らしい選択をしたことだけは間違いないと、すでに僕はそう思っている。

そして最後にひとつ付け加えておきたい。敗れた名古屋の側にも異論はあろうかと思うが、僕は主審家本政明さんのこの試合におけるジャッジに拍手を贈りたい。後半出さなくても済ませられるイエローカードは何枚かあったとは思うが、できるだけ笛を吹かず選手にファイトさせる意識がはっきりと窺えた。そのためにまた後半多少当たりが激しくなる側面もあったとは思うが、僕はこんなエキサイティングなゲームこそが見たいのである。感情をコントロールできないのは、審判の所為…というよりもむしろ選手自身の未熟さにあるような気がした。家本さんには、今後も怯むことなく、この試合のようなエキサイティングなゲームを演出していって欲しい。佐藤隆治さんと共に、彼ら若い世代の成長に僕は期待している。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

思い出の曲No.12 Fireworks~Animal Collective~ 

posted by 桐谷 |10:27 | Jリーグ | コメント(13) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月14日

絶対に守るべき審判のルール

しばらく負けらしい負けを経験してこなかった鹿島にとって、この敗戦は非常にショックなものだろうが、内容的には互角かそれ以上の悪くない試合であったように思う。これをACLグループリーグでの惨敗…と理解するよりも、決勝で当るチームとの前哨戦に負けた…ぐらいの受け止め方でいて欲しい。水原三星はアジアでも最強クラスのチームであり、このグループGは楽な組み合わせではないのだから少々苦しむのは当たり前のことである。が、厳しいのは今後の対戦相手で、新潟、上海、広島と続く。土曜日のアウェー新潟戦は絶対に負けられない試合である。もしかしたら鹿島にとって、今年一番大切な試合になるのかも知れない。(2009.03.12)

ACLグループリーグ第二戦、決して楽な相手ではない上海申花に対して、鹿島は素晴らしい結果と内容を見せ付けてくれたと思う。やはり疲れがあるのか前半の鹿島はボールの動きも悪く、上海の厳しい寄せと当りに劣勢を強いられたが、後半の追加点から終了間際までの10分間には、鹿島らしさ、鹿島サッカーの迫力と強さが満ち溢れていた。苦しい時間帯の小笠原満男の身体を張った守備での頑張り、そして激しい試合にも関わらず決して無駄なカードをもらわなかった選手達の成熟した知性…。今年のアジアを制するのは、彼らであるべきだ…と僕は思っている。(2009.03.18)

今年のJリーグもまた、審判のレフェリングには悩まされそうである。日本の審判は非常に公平であり、どちらか一方に加担している…と思われるゲームはほとんどないのだが、無駄な笛、無駄なカードは、欧州のどこと比較しても極端に多い…と感じる。これでは国際ゲームでは戦えないし、いつまでたっても選手たちに逞しいプレーは期待できない。アクチュアルタイムを増やそうという取り組みなどは、まさにこの笛の数に関わってくる問題だと思うが、意識して笛をこらえるレフェリーが見受けられる一方で、従来と何ら変わらず無反省に吹きまくっているレフェリーもいる。リーグとしてここだけはキッチリ対応するべきである。ただのスローガンだけでは何も変わらない。(2009.03.24)

なかなか時間がとれなくて3.28のバーレーン戦について、未だ書くことができずにいるが、バーレーン・マチャラ監督の言うように、これによって日本のWC南アフリカへの出場はほぼ間違いないだろう。本文では触れないのでここであえて触れておきたいが、日本人は個のキープ力…というものを、意識してもっと向上させるべきであると僕は思う。バーレーンの個々の選手を見ていると分かるが、個のキープ力という点においては日本に勝っている。これは、日本のサッカーが組織的であるからこそ、見落とされがちな要素であり、また同時に現実のサッカーにおいて、欠かすことの出来ない重要な武器でもあると思う。(2009.03.30)

正直にいえば、2年前広島のJ2への降格が決まったとき、浦和は梅崎司ではなく、柏木陽介を獲得するべきだ…と、僕は思っていた。なぜなら柏木は数年のうちにポンテを越えるタレントであると思っていたし、そして数年のうちに、日本で最高のMFになると確信していたからだ。しかし、いま山田直輝のデビューを目の当たりにして、そして広島における柏木陽介の輝きを見て、あの時の浦和の選択に、僕は深く感謝している。山田直輝は、今現在少なくとも、同じ時代の柏木陽介に勝るとも劣らない逸材である。そして柏木陽介は、今現在少なくとも、同じ時代のパク・チソンに勝るとも劣らない逸材である。(2009.04.06)

イタリアセリエAカターニアの森本貴幸が、日本代表への参加に否定的な発言をしたそうだが、僕はこれをいたって自然なことであると思っている。もし僕がいまの長谷部誠や森本貴幸の立場で岡田ジャパンに招集されたならば、きっぱりと断ることだろう。なぜなら欧州から日本はあまりにも遠いし、また現地には日本代表のそれより高い次元のステージがすでに存在するからである。秋春制のメリットに日本人選手の欧州移籍が増える(だろう)ことによる代表の強化をあげる人もいるが、果たしてそうだろうか?僕はこの森本のような選択は、今後徐々に欧州で活躍する日本人選手たちの中で一般的なものとなってゆくのではないかと思っている。(2009.04.09)

追記

審判の誤審問題について。
現状ヘタなものはヘタなもので仕方がない。その中で少なくとも基準のすり合わせと、誤審があった際にはそれを認めさせて反省を促す。選手たち同様、一定のペナルティを与える。そういう仕組みを、明確に制度付け、徹底することが必要なのだと僕は思う。これまで臭いものに蓋をして、そ知らぬ態度を決め込むことこによって、自ずからその権威を失墜させ、不信を助長してきたのだ。

その上でジャッジに対して、僕には絶対に守って欲しいルールがある。それは“予断や憶測”で裁くな…ということである。見えていない事柄を“雰囲気”で裁くな…ということである。ブラインドのファールのいくつかを見逃さねばならないことは、人間が人間を、適正に裁く上での当然の代償である。そしてそれを、選手も、それを見守る僕たちの側も、きちんと峻別すべきなのだ。

見逃すファールはあっても仕方がない。けれどもありもしないファールで笛を吹き、選手にペナルティを与える行為だけは絶対に許さない。まもなく裁判員制度もはじまる。これは人間が人間を裁く上で、絶対に踏み外してはならない鉄則であると、僕は思っている。

★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

思い出の曲No.12 Fireworks~Animal Collective~ 

posted by 桐谷 |10:56 | 一言コラム | コメント(6) | トラックバック(2)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月09日

青い空と流れる白い雲の記憶

koushien
kikuchi
今では野球などいっさい見ることのなくなってしまった僕が、ふらふらと甲子園まで足を運んだのは、その日ぽっかりと空いてしまった半日の時間を、ただ天王寺のホテルの一室でぼんやりと過ごすことに退屈を感じていたからかも知れないし、また青春時代のひと時を共に過ごした友人の母校・花巻東が、偶然その4月2日の、春の選抜高校野球決勝戦にまでコマを進めていたからかも知れない。 TV画面を通してみる菊池雄星くんの面影は、またどことなく友人のそれを思い起こさせるものもあり、大会準々決勝あたりから、この春の選抜、花巻東高校の活躍に僕は密かに期待を寄せていたのだ。 大体顔自体は、どう見ても僕の方が良いつくりをしていたはず(自称)なのだが、不思議な事にその友人は妙に女の子にモテる男だった。 『今日、彼女連れてくから…』と言われ待ち合わせの場所に向かうと、ついこのあいだ見た娘とは明らかに違う女の子を連れてくる。別れ話で、彼と彼女の両方の側からまったく正反対の、別れたい、別れたくない、の伝言を要求され、その板ばさみで夜毎奔走させられ、不眠症に悩まされた受難の日々もあった。結局最後には、のっぴきならない修羅場にまで到り、僕はケツをまくって遁走してしまったのだが、それから数日と経たぬ間に、また何事もなかったかのように、新しい彼女を紹介してきた傑物である。まったく女に関しては、躊躇い、怯む事を知らない真の勇者であり、また言葉を変ずれば容赦のない鉄面皮のような男だった。 僕らは互いに、サッカー選手であり経験者でもあるが、また大の野球ファンでもあった。二人でエースの座を競い合い草野球に打ち込んだ時期もあったし、夜毎ニッポンのサッカーについて、プロ野球について、最低限おさえねばならないいくつかの単位について、そしてファッションや女の子のことについて、互いの部屋で、また時には長電話で、あてどなく朝まで話し込んだりもした。そして僕よりひとつ年上だった彼と僕は、ただぼんやりと、おもしろおかしく3年の月日を共に過ごした。それぞれが別々の人生をのたうちまわり始めた後も、彼の女癖は相変わらず健在であった。そして結婚直前まで、休む間もなくありったけの欲望を、彼はこの東京砂漠に一人ぶちまけ続けたのだった…。 1600円のバックネット裏のチケットを購入し、用意したウィンブレやひざ掛けに包まって試合が始まるのを待つ。天然芝の緑がキラキラと輝く中、僕は土のダイヤモンドの上にむらなく丁寧に水を撒くグラウンドキーパー達のその技術と見事なまでの様式美に、心奪われ見とれていた。 通いなれたサッカースタジアムとは異なり、観客もそれぞれがそれぞれに、のんびりと自分の間(ま)で試合開始を待ち、また試合がはじまっても、それぞれがそれぞれに、自分の過ごし方で、おおらかに試合の行方を見守る。その弛緩した空気と、勝敗に対するゆるやかであたたかな眼差しこそが、この甲子園の、高校野球を見守る人々の、変わらぬ伝統と嗜みであるのだと感じた。それは僕のようなサッカー畑の、いささか場違いのニンゲンにとっては、なんとも羨ましくも見える趣であった。 決勝での花巻東の菊池雄星くんのボールは、それまでの試合に比べれば確かにキレもスピードも若干欠けていたかも知れない。各イニングのはじめに立て続けに出塁を許し、味方の失策も手伝い、ピンチを拡げる局面も幾度となく繰り返された。しかし、再三のピンチを自らの力投によってぎりぎり切り抜け、この大舞台で、終盤に望みを繋いだその粘り強いピッチングは、今後の彼にとって、きっと大きな財産になるのではないだろうか。 最後には、2アウトから自らが出した四球が、この試合の勝敗を決するたった一度きりの失点に結びついてしまった。他の誰の所為でもなく、きっと彼自身の、悔やんでも悔やみきれない失敗…。彼こそが、きっとその痛みと責任を背負うに相応しい星の下に生まれた選手なのだ。だからこそ、この厳しい結末も、ひとつの素晴らしい物語のエピローグに相応しい気がした。そしてまた、必ずや次の新しい物語のスタートとしなければならないのだ。センターの頭上を越えていったあの白球は、再び彼の左の手のひらに返るのである。 ひとしきり涙を流した後には、また夏が来るのだ。 春は、やっぱり一番美しい季節だと僕は思う。 日本人にとっての春、とりわけ僕らのような、北国、東北に生まれたものにとっての春は、また格別のものである。 今から三十数年前、まだ口も聞けぬ赤ちゃんでしかなかった僕らが、あっという間に年をとって、今ではもうすでにいいオッサンに成り下がり、あと十数年も経てば立派なジジイに成り果てる…。十年前、急に恵比寿の飲み屋に呼び出されて会った時には、彼はすでに奥さんと、あれほど愛しそうに抱きかかえていた、たった一人の愛娘とも別れて、少し後退しはじめた生え際を照れくさそうに誤魔化しながら、俺、田舎に帰るかも…と、しずかに呟いていた。夏の終わりのことである。 僕が彼と最後に会ったのは、それから数ヶ月後のことだ。夜中の2時に、突然僕の住むマンションを訪ねてきた彼は、『悪い、泊る場所がないんだ』と言った。僕は僕で、かすかにでも未だ頼りにされていたらしいことを嬉しく思ったりもしたものだが、彼は彼で、何かしら孤独のようなものを抱えていたのかも知れない。僕らは真夜中に、手抜きのミートソースを拵えて食べた。結局夜が明けるまで、他愛もない近況や、さほど盛り上がりもしない昔話をした後で別れた。 その日が最後だった。 今ではもう確かめることもないが、互いの電話番号もメールアドレスも、すでに変わってしまっていることだろう。東京のあるところにいけば、今でも僕らの過ごしたあの場所は確かに存在する。懐かしい店や遊び場の幾つかもそのままに残っていたりもする。互いに少し老けたとはいえ、名前も性格も、そしてきっと僕達だけの田舎臭い言葉遣いも…あいも変わらぬ僕らは、確かにそこにいるのかも知れない…。しかし、けれども、あの時間が返ってくるわけでは無いのだ。気が付くと、知らず知らずのうちに、季節は移り変わってしまったのだ。 あの春の日。甲子園では、青い空の下白い雲の影が、ホームからセンターへ向かい、緑の芝生の上を、時を映すような速さで淀みなく流れていた。七回表、あの春風に乗った彼らの白球が、センターの頭上を越えていこうとしたそのとき…。 僕は古い友人との通り過ぎた日々の記憶を、心の奥でひとり噛み締めていた。 ★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★ ⇒⇒⇒人気blogランキングへ


posted by 桐谷 |11:38 | その他 | コメント(8) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年04月06日

ニッポンサッカーの限界と可能性

降りしきる雨の中でもピッチはグシャグシャにはならずに、両チームのサッカーを、最後まで彼らのスタイルに留めてくれた。屋根もなく、雨に打たれながらの観戦というものは正直辛いものだが、あれだけの降雨の中でも、ガンバ大阪とサンフレッチェ広島のサッカーが見られた…まずはそのこと自体に感謝しなければならない。

サッカーそのものの“内容”は非常に濃く、このゲームにおいて、僕自身は見たいもの見、知りたいことを知りえた…ということについては素直に喜びたいが、その場に不自然な“結果”を齎したものは、ピッチ上22人の選手たちの奮闘でもなければ、サポーターたちの熱い声援でもない。残念ながら主審の鍋島さんであった。ゲーム自体は素晴らしいものであっただけに、ある意味冷たい雨以上に、これに水を差す結果となった審判の誤審のいくつかには非常に落胆させられた。

第三者の僕の立場から見ても、ことごとく“不利”なジャッジを突きつけられた広島の側からすれば、この試合の“内容”は良しとしても、この“結果”に対しては到底納得のできるものではないだろう。これがサッカーであり、これがJリーグなのだ…と言われれば確かにそうなのだろうが、リーグ、協会はこの現実の“深刻さ”について、そろそろ、いい加減に、真剣に、対応するべきである。そもそもがありもしない、あやふやな権威を守る事のみに彼らは必死のように見えるが、守る以前にそれを育む覚悟や努力が致命的に欠けているのだ。

立派なルールがあっても、それが守られなかったり、適正に、そして平等に、運用されないのであれば、無いのと同じである。この国では、審判を管理するためのレギュレーションやその組織自体にフェアネスの意識が欠落している。そしてこの深刻さについて、僕たち日本人自身ももっと深く受け止め、真剣に考えるべきなのだ。この不信が根本にある限り、いずれにせよサッカーの、そして物事の、本質はゆがめられ、その精神はさらに頽廃してゆくことだろう。

ゲームを支配していたのは、やはりサンフレッチェ広島であった。パスゲームをやらせたら、この日本に広島の右に出るものはいない。それに対してガンバは前からのプレスで対応しながら、ショートカウンターと助っ人外国人の個力での打開を図る。これはここ数年のJリーグにおいて有りえなかった構図であり、広島が切り拓いてくれた新しいJリーグの光景である。

しかしガンバも積極的な前からのプレスで、完全な広島のリズムは許さなかった。それが若干窮屈で拙速な柏木陽介の球出しに現れていたように思う。それにより最終ラインの裏にリスクを抱えながらも、GK藤ヶ谷陽介の飛び出しと、相手FW佐藤寿人に前を向かせない守備で、ギリギリ前に踏みとどまることができた。結果的にはその部分で、決壊寸前の流れにどうにか歯止めをかけ堪えきる事ができたように見えた。この勇気と自信がどこかで揺らいでしまっていたならば、ゲームは前半のうちに広島サッカーの力強い潮流に一気に押し流されていたかも知れない。

僕は昨年の後半から、ガンバのサッカーは変貌しつつある…と思っているのだが、このゲームを見ながら、あらためてその思いを強くした。美しいサッカーから、強いサッカーに、さらにステップアップしつつある。冗長で味わいのあるサッカーから、簡潔で無駄のないサッカーにチェンジしようとしている。そしてそれはJリーグにおけるビッククラブとして、常勝を期待されるクラブとして、ある意味妥当で、自然な成り行きなのではないかと思っている。その意味で、この試合はガンバ側のサイドから見ても、非常に興味深いゲームであった。

滑りやすいピッチの中でも、柏木陽介の身のこなしやクイックネスはキラキラと輝いて見えた。そしてそれを土壇場で防いでみせた明神智和の賢いポジション取りと、危険な状況へのそつのない対応には深く感心させられた。佐藤寿人の攻守にわたる献身。遠藤保仁のボールの呼び込み方と無駄のないパス捌き。ひとつひとつ羅列してゆけばキリがないが、広島高柳一誠の少し意外な煌びやかなボールテクニックも含めて、いろいろと見所の多い試合であった。

ある意味でサンフレッチェ広島のサッカーは、ニッポンサッカーの、その限界と可能性を指し示してくれているのだと僕は思っている。

日本のサッカーはここまで行けるのだ。しかし同時に今のままではここまでしかいけない…のだ。

しかし、例え結果的にJ1上位陣の壁に敗れ去ったとしても、僕はこのサッカーが単純に好きである。世界の強豪に木っ端微塵に踏み砕かれたとしても、僕はこんな日本のサッカーが見たいのである。今の時点で、ここまでのものでしかなくとも、他のどのサッカーよりも誇らしく思えば、愛着も感じている。だからこそ僕は、サンフレッチェの、広島のサポーターたちを、いま他の誰よりも羨ましく眺めているのだ。

欧州から試合前日のトンボ帰りでこの日のゲームに臨んだストヤノフは、試合終了数分前に交代を告げられあきらかに憤っていた。決してこの日の動きは良くなかったように思う。攻め上がりも少なく、随所に遠征の疲れも感じさせた。が、ピッチの去り際で、まだやれる…と彼は信じていた。交代を告げたペトロビッチに対して、怒りを表しているかのように僕には見受けられた。

降りしきる雨の中、上等なスーツを身にまとったペトロビッチは、ずっとベンチの外に立ち尽くし、ひとり上半身ズブ濡れになりながら怒っていた。試合終了後、TVカメラは拾っていなかったようだが、彼はスタッフの制止を払いのけ、タッチラインを踏み越えて主審の元へ走り出そうとしていた。他の誰よりも、強く、激しく、怒っていた。レフェリーのジャッジに、そしてこのゲームの結果に対して、いつまでも憤っていた。

きっと他のクラブであれば、とっくの昔、2年前にはお払い箱であったはずの彼らが、いま真っ赤な顔をし、ズブ濡れになりながら、この引き分けに憤っていた。彼らは負けた訳ではなく、引き分けただけである。前年度アジアチャンピオンに引き分けた彼らのチームは、2部からトップリーグに上がって、まだ4試合目のチームである。

彼らは勝者である前に、誰よりも激しく、そして雄雄しく戦おうとする戦士たちである。
それはピッチ上の眩い輝き以上に、つよく僕の胸を打つ光景であった。


ニッポンサッカーの限界と可能性。

僕はその次元に辿りつくためにも、そしてそれを乗り越えていくためにも、まだまだ僕ら自身に足りていないものがあると思っている。それはシンプルでいて、とてつもなく複雑なもののようにも見える。

それはピッチ上というひとつの世界や現実…だけではない。ピッチの外の無数の世界や現実、権威者たちのそれぞれの思惑や、僕たち自身の、個々の、それぞれの、知性、サッカーとの関わり方が、絶え間なく複雑に絡まりあって、いまのこの国のサッカーが在るのだと思っている。この国のサッカーを、カタチ作っているのだと思っている。


では、君は何かと戦っているか?

誰かにそう問い返されたときに、僕には返す言葉が無い。


★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ

キリタニ100法 エントリー

第7法 国民政治献金法 (企業・団体・個人献金禁止法) 

民主党へ、闘うジャーナリストたちへ

国策捜査と国策不捜査への疑念

高速1000円と定額給付金の欺瞞

posted by 桐谷 |11:18 | サンフレッチェ広島 | コメント(29) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加