2008年11月27日
皆さんはアメリカの核発射ボタンがどのように管理されているかご存知だろうか?
多くの方々が誤解しているか、或いは興味も関心も持たない事柄なのだろう。僕は小2ではじめて米ソの核兵器の存在を知った。そしてまさにその夜から、これが心配でしばらく眠る事ができなくなった。次の瞬間には、ふとした事故から世界が…、大好きな祖母や愛犬や家族らが全部吹っ飛んでしまうのではないか…という恐怖に苛まれたからだ。
おそらく誤射や発狂の可能性をあらかじめ考慮してのことなのだと思うが、大統領が直接のそれを持ち歩くのではない。発射キーは二人の管制官の手によって管理されている。2つの発射キーが4、5メートル離れた位置で“同時”に回されたときに、はじめて発射される仕組みなのだそうだ。そしてどちらかが発狂した場合に備えて、そのお互いが、互いを撃つための拳銃を携帯している…。誤れば全人類が死滅してしまうかもしれない一大事である。きっと他にも、何重にも、安全装置が作動するシステムになっているのだと考える。
もっともこれはすでに十数年前に見た何かの書籍の受け売りに過ぎない事をここに付記させていただく。実際に僕が見てきた訳ではないし、時の流れと共にそんなシステムも、さらなる改善を経て、より良き安全性の高い仕組みに革新されていることだろうと思う。
これと同じように、本来あらゆる“権力”というもののリスクは、そのような分離・分散の安全装置、システムによって管理されるべきものであると僕は考える。“権力”それ自体が、その用い方によっては他者の存在を容易く、無自覚に消し去り得るチカラを持つものである…ということを、何よりも権力者そのものが理解しなければならない。それを面白がったり、自覚なく振りかざしたりするものが、本来権力者の地位に在ってはならないのだと僕は思う。
一個のニンゲンの価値観や思いつきが、かくもサッカー界全体に甚大な影響を及ぼし得る独裁的な構造や強権的なシステムは、ただちに是正されるべきである。もし僕がJFA会長の座につき、すべての決定権を単独で得るチカラを持ったならば、僕は一日でそれを終わらせてやろうと思う。JFA全登録会員に開かれた会長選の制定を裁決し、その日のうちに辞職しよう。それができれば、それ以後のサッカー界に対して、何も言うべきことはない。
たくさん間違えればいいし、その責任はサッカー界みんなで背負い、また考え直せばいい。当たり前のように間違え、当たり前のように皆でそれを受け止め、またやり直せばいい。そんな当たり前のシステムが、当たり前のように皆の責任において育まれてゆく事が、このニッポンのサッカー界に、何よりも必要なことなのだと僕は思っている。
僕はそれがすべての“原点”なのではないかと思う。
下記にふたつの報道記事をそのまま掲載する。それぞれがそれぞれにそこから何かを読み取り、自らの頭と心で、これについて何か考えてくだされば幸いである。
日本協会の犬飼基昭会長(66)がG大阪に“肩入れ”した。磐田は天皇杯G大阪戦での大幅メンバー入れ替えを明言し、犬飼会長は不快感を示していたが、表彰席に同席した川淵キャプテンが「(犬飼会長が)西野に“そんなメンバーに負けるなよ”と言っていた」と明かした。
26日に帰国した犬飼会長は発言の経緯について「遠藤が最優秀選手を逃した。天皇杯を獲ってACLの出場権を獲らないと来年も(MVPを)獲れないから、そういう意味で頑張れと言った」と、磐田のメンバー問題が理由でないことを強調した。遠藤を思う気持ちから出た言葉だとしても、一方のチームだけを激励したのは事実。協会トップとして平等な立場でなければいけないだけに、やや配慮が欠けていたと言われても仕方のないところだ。 *スポニチ
磐田オフト監督・天皇杯G大阪戦後の会見
「このカップ戦からは敗退したが、われわれは変更されたスケジュールでプレーしなければいけなかった。このスケジュールを決めたのは、われわれではない。日曜日にプレーして、今日のナイトゲーム。そして土曜日にもすぐゲームがある。私は今日、このゲームでしっかりジュビロを代表してくれる選手たちを選んだと思っている。もちろん、勝利したかったが、われわれは優先しなければいけないことがある。それはJ1に残留すること。社長がそういう考えをしっかりと持って、私を呼んで、私にこの仕事を与えてくれた。チームとしての判断を私に任せているというこであり、クラブ全体の判断ではない。そして私には、ここで行なう仕事がある。私の契約書を見れば、それがどういうものかわかると思う。
もうひとつは敬意という部分。私は27年前から日本に何度も来ていて、日本を愛している。最初からジュビロに関わっているので、ジュビロも愛している。だから、ただ単に日本に来て、適当に仕事をして帰るという外国人とは違う」*J's GOAL
最後に一言だけ僕がここに言葉を書き置くとするならば、
『ジュビロ、頑張れっ!』である。
『“そんなメンバー”たちの為に、サポーターたちの為に、僕たちのJリーグの為に、そしてハンス・オフトが貫いてくれた意地と誇りの為に、絶対に負けんなっ!勝ち残れっ!』ということである。
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『性善説か性悪説か 』
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JFAについて |
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2008年11月26日
犬飼会長は、秋(夏)―春制へのシーズン移行に次ぐ“J改革”第2弾をぶち上げた。「北京五輪ではJリーグのレギュラーが少なくて勝てなかった。実戦の場を増やすためにナビスコ杯をU―23とするためにJリーグと話をしている。オーバーエージ枠は五輪と同じように3人と考えている。スポンサーと非公式に話したが、前向きだ」と話した*スポーツ報知/どうしてこうも話が短絡に終始してしまうのだろうか?求められているのは単に出場機会ではない。ナビスコのサテライト化ではない。余計な規制の全廃と、厳しい競争環境の実現である。(2008.11.17)
鬼武健二委員長(Jリーグチェアマン)は18日、Jリーグの秋春シーズン制への移行は日程面で難しく、JFAが求める2010年からの実施は困難との見方を示した。構想委の会合後の記者会見で語った。同委では、年明けに結論を出す見通し。*時事通信/これはJリーグにとっての勝負どころなのだと思う。ここを突破されれば、あとは遅かれ早かれ訪れるJFAの懐具合の困窮により、今後ますます利益の収奪と従属化を迫られる。各クラブが団結して、今こそJの権利と自由を叫ぶべきときではないだろうか。(2008.11.19)
大久保嘉人、田中達也、遠藤保仁の海外移籍話が巷を騒がせているが、それぞれ移籍に踏み切る前にそのオファー先のチーム状況と、そこに自分自身の活き場があるかどうかの分析や見極めは、充分にぬかりなくした上で検討して欲しい。長谷部誠のプレーを見ても、少ない時間ながら松井大輔のそれを見ても、そして中村俊輔のそれを見ても、試合経験の積める海外移籍であれば、そこには素晴らしい価値がある。今現在のJでは得られない成長が望める。けれどもそれと同じかそれ以上にリスクのある選択でもあるのだ。どちらにせよ彼らのその決断が、彼ら自身のサッカー人生により良きものをもたらすことを期待している。(2008.11.21)
岡田監督、オシムさんとも話したが、サッカー関係者は、みんながシーズン移行をした方がいいと考えている。寒いから観客が来ないと考えるのはサッカーの素人。その素人が社長をしているクラブもあるから困る。by犬飼基昭*スポーツ報知/その素人社長たちの頑張りもあって、ここまでなんとか順調に成長を重ねてきたJリーグであるが、今この国のサッカー協会のトップに、素人以上の“それ”(障害)を抱えて、さあいったいどうしたものか…というのが、Jリーグファン・サポーター大半の共通認識なのではないだろうか?自身の愚かさだけには無自覚でいられるほどの幸福はない。つくづくそう思う。(2008.11.22)
感動的なゲームが多かった32節。その中でも一番心を打たれたのは、あと3試合でチームを去る名古屋グランパス、ヨンセンの決勝ゴール後の魂の叫びだった。決してお金ではなく、合理でもない。けれども頑張る。死にもの狂いで頑張る。プロサッカーの現場で、結局はビジネスでしかないそういう世界で、一時の出会いと別れとはいえ、ヨンセンのような選手に巡りあえた名古屋の人々は本当に幸せだったと思う。、空に向かって吠えた、意地と誇りと、そしてこのチームへの愛情が、一塊になって爆発した瞬間を僕は忘れない。(2008.11.24)
昨日、感動的だったシーンとして取り上げた名古屋ヨンセンのPKであるが、対戦相手であった京都の側からみれば、到底納得のゆかぬ判定であったと思うし、僕もあの増嶋竜也のプレーがPKを取られるようなそれであったとは思わない。このシーズン最終盤において、このようなカタチで勝ち点を逃すチーム、選手、サポーターたちは本当に不憫である。多くのクラブにとっては確実な損失が見込める改悪案ばかりに拘泥し、こういう当たり前の改善、改革にだけは無関心で居られる。これは至らぬ審判の所為ではない。JFAトップの無反省の窮みによる“人災”である。(2008.11.25)
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『ネット界の天才』
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一言コラム |
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2008年11月25日
J1第32節、大分トリニータVS鹿島アントラーズ。
この試合、勝ち点3を得たチームが優勝するのではないか…。
幾人かの親しい知人に、僕はそう言いながらこの試合を心待ちにしていた。
実際に優勝するチームがどこなのかは分からないが、すべてのJリーグファン・サポーターに、今年最も頑張ったチーム、印象に残る健闘をみせてくれたチームはどこでしょう?と尋ねれば、多くの方がこの大分トリニータの名を上げてくださるのではないだろうか。
そしてこの天王山、鹿島アントラーズとのゲームは、今年一年の彼らを象徴するような試合であった。31744人もの観客に、その闘志を、健闘を、そしてある意味での限界を、確かな共感と共に受け入れて貰えていたとしたならば、それはナビスコの戴冠以上に価値のあるものであったかも知れない。この試合は、そういう試合だったと思う。
いつものように僕は、90分にわたる無数の出来事の言語化・文章化はしないが、このゲームを正しく観察してくれた方には、大分サイドの頑張りだけではどうにもならなかった要素、足りなかったコマ、至らなかった経験、そして最後の最後を突き崩せなかった自力と、それをさせなかった鹿島のそれ…が、まざまざと露に見受けられたことと思う。
ここから1歩の前進は、ここまで10歩の前進よりも、さらに困難であると僕は思う。
そしてその困難を皆で認識して、厳しい淘汰と再生を、躊躇無く3期、4期に渡り積み重ねたその先に、小さなチャンスが在るのだと思う。そこには、これまで以上の忍耐と犠牲と情熱とが必要になるのかも知れない。そしてそれを、トリニータに関わるすべての人々が、一つになってくぐりぬけたその先に、たった一握りの小さな可能性という報いが在るのだと思う。この現実の厳しさを認識した上で、どうか覚悟を決めて、この冒険の最後まで見守っていて欲しいと思う。
まずは現有戦力を失うことなく確保し得るのか?
さらにはトップ、ウェズレイでこのまま来期へ向かうのか、或いはここにマグノ・アウベスクラスのストライカーを招聘することが可能なのか?
この2点が、来期を占う上での大きなポイントになるのだろうと考える。そして願わくば中盤と両サイドのバックアッパーの補完を…。さらに怪我の少なくない西川周作のバックアッパーとして、ここまで頑張っている下川誠吾を繋ぎ止めることができるかどうか。そこまでフロントが現場の要求に応える事が可能ならば、あとはシャムスカのほんとうの真価が試される事になるのだと思う。現有戦力からいえば、来期のACL出場はひとつのリスクであるとさえいえるのだと思うが、しかしそこで得る経験はきっとミライへと繋がる。残り2試合、全力で勝ち残り、その可能性を手にしてくれることを期待している。
そして鹿島アントラーズには、残り2試合を完勝することで、この混迷のシーズンを締めくくって欲しい。ACL敗戦のショックと疲労も確かにあるだろうが、浦和レッズ、ガンバ大阪が総崩れの中、鹿島にだけはその王者としての誇りを強かに守り抜いて欲しい。この1年で青木剛、内田篤人、そして興梠慎三の若手が本当に成長した。実質外国人助っ人2人体制の現状と小笠原満男、中田浩二の長期離脱を考えれば、やはり特筆すべき粘りとしぶとさを見せてくれたシーズンとも言えるのだと思う。どうか最後のもう一踏ん張り、2008年のJリーグ覇者として相応しい内容を示して、このタイトルを勝ち取って欲しいと強く願っている。
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Jリーグ |
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2008年11月21日
ブルーノ・メツは、アジアにおいてもっとも過大評価されている指導者であると考える。
2002WC、セネガル代表を率いて成し遂げたベスト8の結果自体は確かに褒められてしかるべきものなのだと思うが、そのサッカー自体に、僕はまったく魅力を感じない。それはUAE代表を率いたときのサッカーも、現在のカタール代表のそれに対する評価も本質的に変わりは無い。これならば、戦略家としてのミラン・マチャラ氏や長年イラン代表で辣腕を振るっていたイバンコビッチ氏の方が遥かに怖いし、怖かった…と今でも思っている。
このおそらくは誰にとっても気持ちのよい快勝に、カタール側へのダメ出しから入るのはきっと僕の偏屈さゆえ…なのだと思うが、敵ゴールキーパーの拙さや、結局最後の最後まで、最終ラインとボランチのギャップを田中達也や玉田圭司に良いように使われ続けた無策。そして最終的に、攻撃への筋道をカタチづくる磐石な守備組織を構築できぬままに、このリーグ状況により、煮えきらぬまま前がかりの展開を迫られた境遇…。日本にとってこの日のカタールは、非常にくみし易い相手であったことも、わきまえなければならない。要するに、あまりに短絡的にこのアウェーでの快勝を評価するのではなく、相手あるゲームの中で、分析すべきところはキチンと分析し、冷静な評価がなされるべきである…ということである。
純粋に対戦相手としてみれば、そしてゲームとしてみれば、先日のウズベキスタンの方が遥かに骨のある相手であったし、厳しいゲームだった。この勝利によって、この最終予選、日本が優位に立った事は間違いないが、ここで弛緩してしまうのではなく、厳しい相手、ゲームであっても、アジアにおいては常に同じパフォーマンスで、敵を圧倒し得るチーム力を身につけて欲しい。このチームは、まだまだその途上に在るのだと僕は認識している。
このゲームを見て、僕が一番評価したいポイントは、ボール運びに“緩急”が見られるようになってきたことである。以前のただ何かに急き立てられるような無理筋の縦パス、無闇な前方への走りこみがだいぶ解消され、状況に合わせて“前、横、後ろ”という展開の余裕ができてきた。それによって安易なボールロストによる守備での消耗がずいぶん減り、余裕のあるゲーム運びが可能になったように思う。
ただ無闇に走らされる不自由さから解放され、賢く走る、無駄をせずに走る、という選択と自由を、フィールドの選手たちが愉しみ始めているように感じられる。その意識によって、ただぐちゃぐちゃに頑張りを求められるプレスへの負担を解かれ、それぞれのゾーン、それぞれの範囲が明確になり、フィールドに大きなエアポケットをつくることがだいぶ減ってきたのだ。
遠藤保仁、中村俊輔の“緩”。そして長谷部誠の“急”と献身的なポジショニングと逞しい球際での攻防。中盤の役割分担とそのバランスは非常に理に適ったものであり、両サイドバックとボランチの攻守における連携にも、だいぶスムーズさが出てきている。
厳しいプレスにさらされて、またこのサッカーが可能なのかどうかはやってみなければ判らないが、次戦ホームの豪州戦、そろそろお互いに緩む時期でもあり、そこでの内容がこの最終予選をこのまま何事も無く終わらせるか、或いは冷や汗をかかせられるのか…、その行方を決することになるのではないかと思っている。
試合前日、遠藤保仁はこんなふうに言っている。
『ガンバは相手に引かれたら無理に前に行かずにじっくりボールを回しながらチャンスをうかがう。しかし代表は、前へ、前への意識が強すぎるからリスクが生じてしまう』*日刊スポーツ
そして試合後、中村俊輔はこう言っている。
『オシムさんがやってきたことが今、いい方向に来ていると思う。チームとして(試合の)流れが読めるようにもなってきた』*スポーツナビ
小さな成功と挫折を繰り返しながら、やはりこの国のサッカーをカタチ作ってゆくのはピッチ上の彼らなのである。誰が監督になろうと、誰がどこでなんと言おうと、現実のサッカーをピッチ上に描いてゆくのは、彼ら自身でしかない。それがどんなものであれ、それがニッポンであることに変わりはない。それがニッポンである限り、それこそが紛れの無い、僕たち自身のサッカーであることに間違いはない。そしてそれが自然なものであるならば、勝とうが負けようが、僕は満足である。少なくとも僕自身は、それだけでもう充分に満足である。
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『象のように死にたい…』
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2010WCアジア予選 |
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2008年11月18日
犬飼基昭新会長がJリーグ“秋春制”への移行をブチ上げてから、様々な場所で様々なメリット、デメリットを論ずる考察、その是非に対する賛否が訴えられてきた。
しかし、ずっと以前にも議論された題材にしろ、なぜこうも唐突に、そして拙速に、彼が“秋春制”に執着、ごり押しするのかについての考察を僕はあまり見聞きした覚えが無い。まずここからの考察は、すべて僕個人の推論であることを最初に断っておかねばならない。これを真実である…などと言う気は毛頭ない。今現在の僕から見た一番、“真実らしきもの”である、というだけの話である。ネット上に散らばる情報の断片を集積しながら、でき得ることならば個人個人が、自分なりの“真実らしきもの”を、それぞれの推察によって手繰り寄せてくれる事を僕は期待している。
なぜ犬飼氏は、これほど執拗に“秋春制”への移行にこだわるのか?
犬飼氏は誰よりも“選手の消耗”と“ゲームクオリティの低下”を危惧し、それをこの国のサッカー界最大の問題と認識する人物だからなのだろうか…。そんな筈は無い。であれば、意味不明の“ベストメンバー”への執着はどう両立するのか?彼があくまで“選手本位”の主張の持ち主であるとすれば、シーズン移行の前に、まず試合数の削減やスケジュールの改正に取り組まなければ論理矛盾なのである。
では犬飼氏は何よりも“欧州シーズン制への順化”を、さらなる強化・発展へのキーポイントであると考えているのだろうか?…それも違う。そもそも現時点で、欧州にスケジュールを合わせることによる具体的メリットは見つからないし、様々な非難もあってか彼自身がJFAの意見表明の場で、すでにそれを取り上げることさえしていないではないか。
要するに、この“秋春制”を叫びだした最大の根拠はそこには無い。それはこれを強引に押し通すための見栄えの良い“大義名分”であり、選手やサポーターの熱中症や落雷被害などを都合よく逆手に取った、辻褄合わせの後出しの根拠に他ならない。
南アWCの開催権移譲に備えてのものではないか…との論説も目にしたが、来るか来ないか判らない、そしておそらくは来ない可能性の方が遥かに高いWCに備えて…というのも、彼のその切実さ強引さの点から、僕にはどうもピンとこない。例え南アでの開催が否定されたとしても、欧州からみれば移動距離も時差も気候もまったく異なる日本での代替が、そう易々と賛同を得られる可能性は著しく低いと考えるからである。
では、なぜ今、2010年秋春制なのか?
結論を言えば、代表マッチというコンテンツの価値を、海外から強豪を迎えやすくすることで高めたい広告代理店(D社)サイドの意向。またJリーグとの共存を、いよいよ真剣に考えなければ立ちゆかなく成りつつある現状を危惧したNPBプロ野球各球団親会社と提携広告代理店サイドの意向。そしてさらには、Jリーグと広告代理店(H社)サイドとのリーグアライアンスマーケティングパートナー契約が切れる2010年という期限。(或いは2010年からD社へ…という思惑も水面下でくすぶっているのかも知れないが…)
またさらに、2007年から2014年まで、JFAが広告代理店(D社)と交わした8年間240億円の長期契約。現実として“秋春制”へと移行する場合、その移行時期はどうしてもWC年に限定されることを考えれば、そして次の契約は遅くとも2013年には“しかるべき条件”での合意に達していなければならないだろう状況を鑑みれば、やはり広告代理店サイドの要請する“秋春制”タイムリミットとして2010年が提示されるのは自然の流れである。
これこそが、この2010年“秋春制”移行への最大の根拠であると僕は推測する。
思えば犬飼基昭新会長の誕生もこれと無縁ではないのかも知れない。いや、そもそも彼はこの重大な使命を背負って、JFA新会長の座へと背中を押されたのかも知れない。“秋春制”への流れは、JFA組織内において、すでに規定路線、抗う術さえなく進行してしまっているのではないだろうか。僕はそんなふうに考えている。
僕は、スポーツの商業主義化、それ自体を否定するものではない。
ある意味広告代理店が、そこから得られる収益の最大限を引き出そうとするのは当然であるし、それによってスポーツそれ自体が得る利益というものも確かにあるのだと思っている。
しかし現在のJFAは、公益法人の枠を逸脱して、自らの利益のために、一私企業であるJリーグ各クラブの経営判断にさえ圧力を加え、ある意味ではその守られるべき正当な自由を、受け取るべき正当な利益を、権力によって収奪せんとたくらむ下卑たハゲ鷹のように見えなくも無い。果たしてこれが、スポーツ振興を旨とする非営利団体のあるべき姿だろうか?
そこには健全な均衡というものが不可欠である。
その健全な均衡の為に、常に鋭い目を光らせ、その状況をジャッジし、スポーツそれ自体への尊厳を決して見失わないリーダー、指導者こそが日本サッカー協会のトップに在るべきなのだ。
果たして今のJFAは、犬飼基昭会長は、そこに在るべきリーダーとして相応しい人物なのだろうか?
この図を見ていただければ分かるだろうか。JFAの収入は、短期間にこれだけの急成長を遂げているにも関わらず、その支出はその収入に対して均衡している。要するに入った金は残さず使い果たされる財政状況であることを示している。(JFAは内部留保に制限のある公益法人である)
この右肩上がりだった収入が急激に萎縮するような状況に際して、果たしてこの肥大化した組織は適正な支出削減により対応する事が可能なのだろうか?トップ、役員らは、他者に負担を強いるのではなく、自らの身を切ってでも、この組織を存続させてゆこうとする清廉な叡智を、果たして所有しているのだろうか?国家でも企業でも同じ事である。いつだって破綻する時には、自らでこしらえたその墓穴に、自らで転がり落ちるのだ。夥しい無辜の民の、夥しい犠牲を道連れにして…である。
こんなことなど何も知らず、時に笑顔で時には泣き顔でそれをプレーし、時にはきれいなピッチ上のそれを大好きな仲間たちと観戦して愉しむファンや子供たちがいる。そんな風景を僕は愛おしく思う。彼らにとってどこまでもサッカーは、楽しく美しいものであって欲しいと思う。いつまでもそう在り続けて欲しいと願う。
その為にできることを、どんなに些細なことでも自分なりに見つけてゆければと思う。
また機会があれば、これについて書いてみたいと思っている。
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『筑紫哲也さん、最後の多事争論』
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posted by 桐谷 |11:38 |
JFAについて |
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2008年11月17日
つい数週間前に今年のベストゴールについてこの場で書いたばかりだが、早くも更新である。横浜マリノスVS京都サンガ戦、前半27分の柳沢敦の同点弾…本当に印象的なゴールだった。ただ単に美しいのではない。強かな勝利への執念が力強く宿っているのだ。そしてこの1プレーには、彼をここまで育んできた鹿島のDNAが色濃く息づいている。Jリーグにおいて、こんなプレーが当たり前に見られる様になればニッポンのサッカーは変わる。皆さんにもぜひご覧になってほしいゴールである。(2008.11.09)
別に僕はカメラマンでも、またそっちの世界に生きるニンゲンでもないのだが、最近の大分を見ていて、深谷友基ってカッコイイなぁ…と思う。ナビスコ決勝でも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。しかも平然とさりげなくクールに、それをこなしている。絵になる男だなぁ…と思う。そしてもう一人気になるのが上本大海である。おっちょこちょいで勝ち気で無鉄砲な男にも見えるが、その無骨さ、誰よりも必死で、意地を張って頑張っている姿がなんとも愛らしいのだ。そしてこれに森重真人が加わる。この3バックは本当に魅力ある組み合わせだと思う。(2008.11.11)
ベストメンバーの問題、千葉と大分へのペナルティ…言いたいたことは山ほどあるが、そもそも論理性を欠いた言動や行動に、論理によって議論し、何かを訴えようとする事は非常に空しい。しかし、権力も持たず、武器も持たず、投票権も持たず、一方的な情報しか与えられない僕たちに、いまできることはなんだろうか…。少なくともこれを語る事、空しくともこれを語り続ける事しかないのかも知れない。おかしいものをおかしいと言う。言い続ける。それぞれの場所で、立場で、発言し続ける。それがいつか一塊になって何かを突き動かす日がくることを僕は信じている。(2008.11.12)
小野剛技術委員長がU-19アジア選手権が行われていたサウジアラビアから帰国。来季のJリーグ開幕後に12年ロンドン五輪へ再始動することを明かし、選手選考は岡田武史監督にゆだねる意向を示した。「選手はフル代表スタッフに選考してもらう」と“岡田の目”に一任する方針だ。*デイリースポーツ/12年ロンドン五輪も当面岡田武史氏の指揮下で頑張っていこう…ということのようである。もはや痛快な茶番劇である。このゆかいな仲間たちの、仲間内だけでの宥和と博愛の結束力は堅固である。(2008.11.13)
残念ながら僕はACL決勝戦2ndレグの前半20分を見ることができなかった…。そこからの試合は最後まで拝見したが、ビドマーさんの言う“勝負の決まった”20分間を見ずして、したり顔で何かを書くことは気が引けたので今回の試合には本文を立てずにおこうと思う。勝った事ももちろん素晴らしい事であるが、それ以上にガンバがカンバらしく最後まで戦ってくれたことが何よりも価値あることであると考える。CWCでもああして輪になるシーンが見られればと思う。そしてこのチャンスになんとしても、マンチェスターUへの挑戦を果たして欲しいと願っている。(2008.11.14)
天皇杯主力温存問題で大分への処分見送りを決定…。田嶋幸三専務理事は「明確に罰則を与える規定がない」と、処分見送りの理由を述べた。その一方で、今後について「抜本的に話し合わないと同じことは必ず起こる」として、議論になっているシーズン制見直しも含めた早急な対策を両委員会に求めた。*共同通信社/いったい何だったのだろう。ベストメンバーの定義とは?一方でスタメン以外選手の出場機会を封じておいて、若手選手の出場機会を増やそうという反町提案は理解したフリをする。想像を越える事態が次々に沸いてくる。(2008.11.14)
天皇杯5回戦、川崎フロンターレVSサンフレッチェ広島。予想に違わず素晴らしいゲームだった。この『伝統』ある天皇杯、あのシリア戦をみせられるぐらいならば、この日ぜひ中村憲剛と川島永嗣、そして佐藤寿人のいる『ベストメンバー』での対戦を見たかった。が、それにしてもやはりサンフレッチェ広島の、開始早々からのチャレンジングなポゼッションには、見ていて本当に胸のすく快感を味あわせてもらった。このチームならばJ1のどことやっても引けを取ることなく組み合える。後は後半のまとめ方、最後のトドメの指し方をさらに磨いて、来期に備えて欲しい。(2008.11.16)
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『最近ショックだったこと…』
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posted by 桐谷 |11:50 |
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2008年11月14日
前半3分の長友佑都の先制点直後から、シリア選手の相手の足先を股に巻き込もうとする危険なタックルを見ながら内心ヒヤヒヤしていた。実力的にもコンディション的にも、まったく評価の対象にならぬ相手だったと思うが、プレーの悪質さだけはしっかりと中東の毒を放っていた。この試合で大きなケガ人がでなかった事をまず喜びたい。
敵のプレスがあれだけ緩いと、どこをどれだけ評価し得るのかは非常に難しいところではあるが、中村憲剛を起点に中⇒外⇒大外と展開されるボールと人の動きは以前に比べればだいぶスムーズになったように思う。この試合の場合は、シリアのサイドプレーヤーの予想以上のやる気のなさ、ポジショニングの拙さによって、それが引き立ちすぎた感もあるが、緩いプレスの中にもそんなオートマティズムがシュミレート出来ていることについては、素直に良化と認めても差し支えないのかも知れない。少なくとも、日本の前半のボールの動きには、理に適った“機能美”というものが窺われたのは確かだ。
そしてもう一点この試合で目に付いた事をあげれば、クロス時にキチンとペナに人数を揃える意図が窺われたことである。これが本番になって同じく勇気を持って飛び込めるか、その空いたポジションの穴がきちんと補われるオートマティズムが確立できるか…それは今の時点で早計に推し量ることはできないが、常々気になっていたポイントでもあり、ゲームの中でその意識を汲み取ることができたことは素直に喜びたい。
後半はいつものように疲れが出たし、少し押し上げてきた相手に中盤のスペースを使われ、2人、3人の速攻で攻め切られる局面もあった。この気候、この環境で試合をしても、一本調子の前がかりの守備では後半これだけ消耗させられる。これは岡田ジャパンはじまって以来の一貫した不安要素であると思うが、アウェーのカタール戦でどう細工するのか、或いはそれをせずにまたいつも通りズルズルの終了間際20分を耐え忍ぼうと考えているのか…。次のカタールとの試合でも、そこが勝負を分けるポイントになりそうな気がする。
試合とは少し関係のない話で恐縮だが、この試合のように、相手によっては向き合うこと事、関わる事、交流する事に意味を成さないのが、このネット上のやりとりであると僕は思っている。そこには千差万別の知性が、思想が、人間性が渦巻いていて、その稚拙で最も卑しいものたちが、幅を利かせるか、幅を利かせたつもりになっているのが現状である。
けれども僕は、このネットの開かれた公平性だけは何があっても失ってはならないと思っている。日本のサッカー界のような、ある意味自由な報道が抑圧された世界であれば尚更である…と。
僕のそれと意見が真っ向から対立するブログが在るのを知っている。
時には悪意さえ感じる記述もなくはなかったが、それでもそれが並立してネット上に在ることを、僕は素晴らしい事であると考えている。
しかし、同時に僕は、その彼と言葉や意見をとり交わす事に価値を見出す事はない。もしかしたら僕は、その彼のコメント欄の場を借りて、やり込めたり、論破したりすることは可能かも知れないが、そうすることによって何が齎されるだろうか?きっとそれは、彼の自由な思想に対する圧迫か、せいぜい憎しみの感情しか生まないだろうことを予測するからである。であれば、僕が僕の主張を他者の場を借りて振りかざすことは、僕が最も忌み嫌う、もうひとつの抑圧された世界を産み出す事に他ならないからだ。
それでは意味がない。
それではこのいま在る“自由”すらも、やがてはその奔放すぎる“自由”そのものによって、死滅せられてしまうからだ。
僕は少なくないニンゲンが、実は“考える”ということをしないか、或いはしたことがないんじゃないかと思っている。“考える”ということと“思う”ということとは、似ているようで異なる。僕の概念では“考える”ということは“思う”ということのずっと先にある面倒臭い事柄を指すのだ。少なくないニンゲンが、“思った”ことを“考えた”ことと勘違いしてそのまま口にし、その自分が口にした言葉の他者に与える影響までは考えない。他者の心にまでは思いを馳せない。僕から見ればJFA犬飼会長や川淵三郎前会長もその一人だし、このスポナビブログに寄せられるコメントの幾つかも、そういう類のものである。
そして多くのものは、そんな自分自身にだけは無自覚でいられるのだ。
思いのままに感情を書きなぐり、それがその場を育んできた彼らに与える影響までは考えない。他者の痛みや苦痛など考えない。むしろそれが他者の義務であり自分の権利だと思っている。そのくせ自身は匿名の隠れ蓑でガチガチにガードを固めている。思うままに他者を傷つけながら、自分が傷つけられぬ防備だけはぬかりなく考え倒す…。
ずいぶん立派な正義である。
匿名という錦の御旗が、今日も燦然とあちこちで翻(ひるがえ)るのだろう。
そんな便利な正義ならば僕もひとつ持ちたいものだが、あいにく正義は持たない主義なので、仕方なく僕はここで、この限定された狭い空間の中で、これからも時々、そんな闇に吠えようと思っている。
例によって聞く耳は持たずに。
あらん限りの軽蔑と、同情を込めて…。
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posted by 桐谷 |11:53 |
岡田JAPAN |
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2008年11月11日
日本サッカーの将来を憂う協会トップが、その強い思いを未来の日本代表たちに注入する。「バックパスは絶対にダメだ。特に若いうちは禁止させたい」と犬飼会長。言葉だけではない。“バックパス禁止令”を日本中に布告した。
「ドイツでは、“育成年代の試合でバックパスした選手はすぐ交代させるように”と協会から通達されている。日本もそれくらい考えないと」
犬飼会長は日本のフル代表やアンダー世代代表の試合を見るにつけ、バックパスの多さを嘆いてきた。消極的な後ろへのパスは、時間を浪費するだけ。さらにパスカットでもされようものなら、一気に失点のピンチとなる危険性もはらみ、「いいことはひとつもない」と力説する。特に10-15歳の育成世代の選手たちには、ボールを得た瞬間、まず自分より前の選手や敵ゴールの方向を見てプレーするクセを身につけてほしいと願う。
すでに地方協会訪問の際に、「10-15歳の育成世代でバックパスをさせてはいけない」と地方協会幹部たちへ指導方針の通達を始めている犬飼会長。ドイツのような“ルール化”まで視野に入れる。育成世代の試合でバックパスを出した場合は警告を出したり、プレーをその場で止めるなどの特別規則が導入される可能性まである。*以上/11月8日8時1分配信 サンケイスポーツ
ゲームとしてのサッカーの、その一番素晴らしい要素とはなんだろう…。
僕はそれを、1つ1つのプレーの創造や発想の自由度、その幅広さにあるのだと考えている。
野球であれば攻撃と守備という立場がまずその都度規定される。打者はバットにボールを当てたら3塁や2塁の前に1塁に走らなければならないし、ラグビーであれば、ある時はボールより前へ出てはいけなかったり、前へパスしてはいけなかったり、一々の判定によって前へ数メートル、後ろへ数メートル移動させられなければならない。どれも必要なルールなのだろうが、サッカーにはないまどろっこしさでもある。
そしてだからこそ、基本的なスポーツマンシップと手を使う以外のあらゆる自由を許されたゲームであるからこそ、そこにある“創造性”がこれほどまでに輝かしいのだと思うし、他の何よりも、人間の知性を、想像力を、刺激するエンターテイメント足り得るのだと思う。
自由だからこそ、またさらに他の何よりも、考えなければならないゲームなのだと思う。あらゆる選択が許されたプレーだからこそ、他の何よりも、深く思考し、選択し、そして決断してゆかなければならない。
サッカーとは、そんな無数の選択と決断を、1秒1秒、常に迫られ、追い立てられるゲームなのだと思う。そしてそれは見る者も同様である。それを司る者であれば尚更深く、誰よりも深く思考しなければならない。
子供たちのバックパスを禁止する。
ということは、子供たちから180度、半分の世界とその選択、それに対する発想やイマジネーション、判断力を奪うということである。
勝利の条件とは常に移り変わるものだ。0-0のサッカーと1-0のサッカーでは求められる条件が異なる。1-0で残り1分。サイドの敵陣深いところで拾ったボールを、下げる事が許されず前に蹴る。当然バックパスはないので、サポートに走るものなどいないし、ボールキープで時計をおくる発想すら持たない。これが子供たちの知性に齎すものはなんだろう?
力ある者はどんな状況であれうまく前へ展開することが可能だろう。けれどもそもそも力があれば、そんなルールなど無くとも彼は対応する。では、力無い者はどうするのだろうか?選択の幅を失い今まで以上にボールへの関与、保持が困難になるだろう。ヘタクソな僕ならば前へ蹴る。前方へただ蹴り上げると思う。ミスをしないために。自分の所為で仲間に迷惑をかけない為に。例えばその前方へ蹴り上げるプレーが、犬飼氏の望む積極性とどこで接点があるのだろうか?或いは大きく蹴りだすプレーも禁止なのだろうか?
敵を背中に背負いボールをキープするスキルも少しずつ実効性を失ってゆくだろう。FWはどうするのだろうか?楔だけは特別なのか?では、それをどう定義するのか?FWの定義は?それともフィールドに新たなボックスを描くのか?
バカげている。
サッカーを思考するものの論理とは思えない。
一番大切なものは、その失敗を恐れぬトライを、良き判断力と勇気を、知性と情熱と、たゆまぬ努力と根気とで、ニッポンの大人たちがニッポンの子供たちへ育んでゆくことである。
ルールというサッカーの優れた普遍の条理の中で、そしてニッポン、ニッポン人という過酷な枷に両足を繋がれた中で、豊かな知恵と日々の研鑽を持って、その枷を打ち砕いてゆくことであり…そこにつまらぬ頓智や思いつきなど持ち込むべきではない。
犬飼会長ほど、言葉の空しさを僕に実感させてくれる人は他にいない。
感性の隔たりを、僕に思い知らせてくれる人はいない。
ドイツに答えがある訳ではない。
ニッポンとニッポン人が、自らで紡ぎだすものである。
そしてそのヒントはピッチの中にある。
あなたはこのゴールを見ただろうか?
Argentina vs Serbia - Second Goal - One of the best!
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posted by 桐谷 |11:01 |
JFAについて |
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2008年11月10日
川淵キャプテンが、反対から賛成へと立場を変えた。「積雪のある地方のことは考えないといけない。各クラブがお金を出し合って練習場確保のために費用負担をするとか」と、移行にあたってのデメリットの解決策へも踏み込んだ。*日刊スポーツ.COM/JFAの懐具合もこれから寒い冬の季節を迎えることになるだろう。そもそもがその代表利権にまつわる窮余の一策として蒸し返してみたものだろう秋春制で、その負担は各クラブに求める…というアイディアらしい。つくづく傑物である。(2008.10.30)
東京Vの柱谷哲二監督(44)が来季も続投することが決定的となった。30日、萩原敏雄社長(72)が「今のところ代える理由は何もない」と語ったもので、J1残留が決まり次第、正式に続投を要請する。*スポニチ.COM/なんでもJ2に落ちても続投してもらうつもりらしいのだが、ここのフロントのサッカーの捉え方はつくづく“プロ野球的”だなと思う。「3カ年計画」というが、その3年後のビジョンの過程としての今をどう捉えるのか?そこが評価の基準でなければならない筈だ。あと2年で強くなれる…とする根拠はいったいなんなのだろう?(2008.10.31)
僕のイメージの中では、日本人選手としていまだ森島寛晃を越える理想的なセカンドトップ、シャドーストライカーは誕生してきていない。加茂ジャパン時代の彼、誰よりも速い動き出しで敵の裏を取り、名波浩からのスルーパスを引き出していた、その飛び出しとゴールへ向かう動きは、今でもニッポンの選手たち、ニッポンのサッカーに対する最高の模範であると思う。そしてプロサッカー選手としてばかりでなく、彼はその人間性においても誰からも愛されるキャラクターだったと聞く。素晴らしい指導者になることを期待している。(2008.11.01)
ゲームについてはいずれ戦評を書きたいと思うが、一言で言えば優勝に値するチームが、優勝に値する内容で勝ち取った決勝戦だったと思う。試合中、ゴール前の混戦の中で、誤って尻餅をついた上本大海のケツを蹴lり上げたホベルトと、ハゲ怒って振り向きざまに掴みかかろうとした上本の掛け合いが可笑しかった。そして一番胸を打たれたのは、この試合の最後に西山哲平を投入したシャムスカと、その彼の試合後の涙である。単に強いだけではない。2008年の彼らは、本当に素晴らしいチームだった。(2008.11.02)
ここ最近、これぞ究極のプレッシングサッカー、フットボールの近未来図ではないかと思うほどトキメキながら眺めていたリバプールが、最下位の惨状に甘んじるトッテナムに負けてしまう…。試合はまだ見ていないが、数日前にここでベタ褒めしておかなくて本当に良かった…と胸を撫で下ろす^^;一寸先は闇…が、サッカーの現実であることを片時も忘れてはいけないのだ。けれどもあのリバプールに、今の日本代表が対峙したらいったい何ができるだろうか?あのプレスの中で通用する“何か”が果たしてあるだろうか…。(2008.11.03)
各クラブに女子サッカーチームの創設を義務づける…。犬飼氏の発言だが、クラブに義務付ける前に協会がやるべきことをまずやらなければならない。それは環境整備と女子サッカー人口の拡大である。2007年現在女子サッカー登録者は25000人とされるが、これは全体のたった3%に過ぎない。しかしトップクラブは男子と同じ数だけ用意せよ…という。その前に競技人口を増やし、環境を整えることが先決ではないのか?登録料免除含めたその為のアイディアを、施策を、JFA、犬飼会長は本気で考えた事があるのだろうか?…。(2008.11.06)
前川淵三郎会長であれば、確かに功罪の“功”の部分も否定できないのだろう。例え晩年にどれだけ卑劣な行いを重ねたとしても、それをもってすべてを否定する訳にはゆかないのかも知れない。が、この人はいったい何なのだろう。吐かれる言葉からは、知性どころかまともな論理性すら感じられない。これは特権意識に歪んだ観念の暴走…である。改めて書かせてもらうが、他者にベストメンバーをどうこう言う前に、自ずからベスト監督をどうにかしてくれ。そして子供たちのバックパスを禁止する前に、腐った協会のバックパスに禁止を。密室の談合で譲り受けたそのボールを、サッカーのために返してくれ。(2008.11.08)
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『死ぬまでにしたい10のこと…』
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posted by 桐谷 |11:15 |
一言コラム |
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2008年11月07日
アデレードとしては、仮にこの試合を落としてもCWCへ出場することに変わりはない訳で、そのへんが準々決勝鹿島戦でのパフォーマンスと微妙に異なる部分であったのかも知れない。
特に37分にガンバに先制されてからの展開は、攻守の意思統一も見られず散々な内容となった。場合によっては0-1でも良し…とするリアリズムに根ざしたゲームプラン。或いは例え敗れてもこのアウェーで得点して帰る…という積極性。試合開始前から、或いは試合展開の中から、このゲームに対するそのような確たる意志が垣間見られなかったことは、少し残念な気がした。このチームの実力を高く買っていただけに尚更である。
一方のガンバ大阪は、西野監督の計算通りの展開、狙い通りの勝負どころで、持てる総力を見事に発揮し得た。佐々木勇人の起用とタテへの突破。二川孝広のヨコの揺さぶりとフリーラン。そして遠藤保仁の捌きといつになく積極的な活動量とゴール前への飛び出し。さらに彼らのスペースメイクから深いゾーンに滑り込んでくる両サイドバック。
今年ガンバの試合を見てきて、これほど胸のすく人とボールの連動を見たのははじめてである。特に4-2-3-1の3のタレント達の見せてくれたパフォーマンスは秀逸であり、“これがニッポンのサッカーである”と、胸を張って世界へ披露できる輝きとクオリティを有したものであったと思う。
本来アデレードはとても力のあるチームであり、ホームともなれば前からのプレッシャーもキツくなるだろうし、この日見せた気迫と運動量とは明らかに異なるものを見せてくれるだろう。そんな相手に対しても、怯まずこのサッカーでポゼッションし、敵ゴール前の堅い壁を打ち破る事ができるかどうか…。次戦こそが真価の試される一戦になるのだと思う。あまり消極的になることなく、1点取って試合を決める…という姿勢を見せて欲しいし、また今のガンバであれば、自ずからそういう展開に持ち込んでくれるのではないかと内心期待している。
3点目のセットプレーをのぞけば、それ以外の得点、ほとんどの決定機は敵のDF体制が整う前の“速攻”から導き出されているのがよく分かると思う。どれだけポゼッションを鍛え上げようと、それがサッカーの現実であることにここ何十年変わりはないのだ。そういう意味で、バレーやマグノを欠いた今の現状で、ガンバがここまでスピードある攻撃を見せられているのは、ひとつの大きな進化であり成長の証であると考える。バックアップを含め、素晴らしい編成がなされたチームであるし、現場のみならずフロントの健闘も大いに称えられるべき要素なのだと思う。
12日に行われる第二戦、ガンバ大阪の勇気ある挑戦と、それに対する正当な報いに期待しながら、この試合を見守りたい。
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『死ぬかと思った…』
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posted by 桐谷 |11:41 |
ACL&CWC |
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2008年11月05日
浦和レッズ再建論の最終章…最後にチーム編成について。
強くあり続けること…とは、単に強くなることの何倍も難しい事である。
それは勝利という創造と、革新という破壊を同時に続けてゆくという試みだからである。
今日(こんにち)の成功体験を、明日には自らで否定してしまわなければならない。それは言うは容易く、行なうは難い試みなのだ。当然、そこには多くの失敗が待ち受ける事になる。そしてほとんどの場合、その失敗を恐れて、安易に今日の成功を保守しようと試み、自ずから衰退への道をたどる事になるのだ。
具体的に言えば、それは新陳代謝である。
常にチーム内の活力を最大限に高めるべく、一歩先の未来を予見しながら過去を切り捨ててゆかなければならない。多くの新興クラブは、これに躓き、これに敗れ去ってゆくのだ。
例えば山田暢久という選手が居る。
僕は高校時代から彼のことを知っているし、浦和の苦しい時代を支えた現存する最高の功労者である事は誰しもが知るところである。が、もし彼が今の微妙な立場に納得していないとするならば、或いは今後のチーム改革において明らかに脇に追いやられる存在であるだろうことを想定するならば、僕は(仮想)GMとして包み隠さずそれを話し、移籍先の要望にも可能な限り応じる。彼を功労者であるとするならば、尚更である。そしてその1枠には、確実な将来性を見込めるユース出身選手か、他クラブの上り調子の若手選手を補完する。このへんはガンバ大阪のチーム編成は非常に巧みであると思う。
僕はそれこそが功労者に対する本当の敬意であり、常勝チームとしての自然な“循環”であると考える。またチーム内に余計な波風をたてない為の最善の手立てでもある。もちろん、そこには移籍する本人の人間性やキャラクター、そして何よりも希望が当然のこととして加味される。僕がGMであれば、少なくとも『君の力が必要なんだ』といった抽象論で押し切ろうとは思わない。厳しい情勢であれば、その厳しい情勢をそのまま伝えて、本人の残り少ないキャリアを悔いなく過ごさせたいと考える。同じく永井雄一郎にとっても、今がその時期といえるのかも知れない。
そして同時に、浦和のようなビッグクラブにおける堀之内聖や内舘秀樹、山岸範宏らの存在が、いかに貴重なものであるかを見逃してはならないと思う。当然そこには契約としてのインセンティブが必要だと思うし、他の選手と一律の基本給+出場給とは異なる概念が採られてしかるべきものであると考える。
と、ここまでがチーム編成についての考察である。
けれどもそれはここからの課題であり、今の浦和の思わしくない状況の主因が、この新陳代謝の滞りによるものであると考えている訳ではない。
これらすべての価値基準、判断の規準は、そのクラブの指針、信頼の要、象徴であるチームマネージャー(監督)の存在があってはじめて信認されるものであり、その信頼がグラついた状態で何かが為されようとするならば、それは新たな損害を無尽蔵に拡散してゆくことに等しい。信頼があって、はじめてその決断や行動に意味が宿るのだ。そんな選手-監督-サポーターの信頼関係のトライアングルを築けなかったフロントの責任は大きい。
一部サポーターがまたしても暴徒化した…と報道にはあるが、なぜ自ら率先して支えるファンやサポーターへの説明責任を果たそうとしないフロントが、そのような場にはノコノコ出向いて、許しを請うような姿勢を見せるのだろうか?そういう及び腰の態度が、自ずからスタジアムのモラルを破綻させ、そのような行動を追認することになってはいないだろうか?
彼らは本来クラブを支えてくれる人たちである筈だ。それに期待し、愛情を注いでくれている人たちである筈だ。であれば、自ずから説明の機会を設けて、定期的に彼らの要望に耳を傾け、また現状の報告をし、共通理解を高め、信頼を醸成してゆくことに心血を注いでゆくべきである。そのための手段などいくらでもある筈だ。
そこに自ずから信頼を築こうとする確かな意志を示せば、そもそもスタジアムにおいてこんな問題は起こらない。監督をいつクビにするか…ACL出場権を確保できるかどうか…。それがこの問題の主因ではない。ファンやサポーターの現状への失望、そしてここから先の未来への期待に、よく耳を傾けそれを理解することが最初の一歩なのではないだろうか?その為にできること…を、今すぐにでもはじめてゆくべきなのだと僕は思う。
以上、僕の考える『浦和レッズ再建論(2008)』をここに終えたいと思います。
現状の浦和について、僕が知り得る事柄の範囲での考察ですので、なかには誤解に基づくものも、無知の傲慢に基づいた解釈の記述もあった事と思います。それによって、当の浦和のファン・サポーターの皆様が不愉快な思いをされたことがあったとしたら、ここに先回りして謝罪しておきます。
そもそも浦和の、三菱のファンの一員であった僕は、屈辱の時代を経て、いまアジア王者まで登りつめた浦和を今度はJリーグファンの一員として、とても誇りに思っています。そしてもっともっと成長して欲しい、さらなる発展を遂げて欲しい…。その為にも、この困難を乗り越えて世界のビッグクラブへと躍進していって欲しい。
浦和レッズの復活と再生を期待しております。
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posted by 桐谷 |11:46 |
浦和レッズ |
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2008年11月04日
試合を通じて一番印象に残ったこと…。
それは後半82分の選手交代。
森島康仁投入の際に、ウェズレイを下げることをしなかったシャムスカの采配である。そして彼は先制して尚、最後までこの守備をしないウェズレイをピッチに立たせ続けた。
単に戦術だけではない。単に合理だけではない。
そんなシャムスカの、チームマネージャーとしての、揺らぐ事のない凛とした佇まいを見せ付けられ、そこに僕は小さな感動を感じていた。そしてその後のウェズレイの追加点に、西山哲平の投入に、この勝利と同等かそれ以上の大きな感慨を与えてもらった。この信じ合える力と団結こそが、このチームの、チーム力の源泉であったことを改めて深く印象付けられた。
それぞれに明確な責任を持ち、最後の最後まで諦める事をしないディフェンス。時に中盤で抜かれることはあっても、その抜かれた選手がそこで足を止めることはない。最後までボールを追う、選手を追う、スペースを埋める、そして身体をぶつける、責任を持って引きずり倒す…。今Jリーグでこれだけの守備ができているチームはひとつもない。華麗な攻撃はない。ボールも思うように繋がるチームではない。けれども、ここまで我慢して、忍従を重ねて、少ないチャンスを待てるチームも今年のJにはなかった。それぐらい、攻守の担い手たちの、それぞれに対する信頼感が醸成されてもいたのだろうと思う。
この試合においても、好調清水の枝村匠馬と原一樹にほぼ何もさせないディフェンスは完璧に近かった。そしてそんな中でも、この堅い守備の上に、さらに積み上げる攻撃のカタチ…が、その方向性が、おぼろげながら見えてきたことは非常に大きな収穫であったと思う。ここから先来年にかけて、優勝候補の一角としてシーズンを戦ってゆくのであれば、この土台の上にさらに築かねばならないものがある。必要なものがある。オシムはそれを“勇気”と暗示してくれたようだが、僕もまさしくそう思っている。信頼の基盤の上に打ち立てる揺るがぬ意志と勇気…それをシャムスカに、来年の大分トリニータのサッカーに、強く期待したい。
ひとつだけ確かなのは、それは決してカンタンなトライではない…ということだ。いままでも多くの挑戦者たちがトライして、そうして敗れ去っていった。だからこそ、大分トリニータと共に在るすべての人々が“信頼”によって一つに結ばれ、疑いなくその道を共に歩まねばならないのだと思う。この大分には、そういうクラブチームに成長していって欲しいと思う。そしてそこに、僕はシャムスカの本当の真価を、その突き抜けた才能を、改めて見出したいと思っている。
今回は敵役のような役割を演じてしまった清水だが、有能な外国人助っ人を欠いた今シーズン、ここまでよく戦ってきたと思う。特にこの後半戦の清水の戦いぶりは、川崎フロンターレに勝るとも劣らない攻撃的なサッカーを繰り広げている。この攻撃陣に少なくとも2人の優秀な助っ人が加わりさえすれば、来期は充分にACLでも戦えるチームだと思う。この試合の悔しさをバネに、ぜひ天皇杯での勝利を期待したい。いま貴重な経験を積むことで、大きく飛躍しそうな選手たちがたくさん育ってきている。今後が楽しみなチームである。
最後に…この試合のMVPを選ばせてもらうとするならば、僕はホベルトを選びたい。この1年、彼は本当に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれている。この彼の活躍を、福岡の皆さんも見ていてくれただろうか。この大分の勝利が、ホベルトの活躍を通して、同じ九州の福岡の皆さんへ勇気を与えてくれればいいと思う。何かをもたらしてくれていたら、とても嬉しいことであると思う。
素晴らしい試合を見せてくれた両チームと主審の吉田寿光さんに、そしてあの日国立に駆けつけてくれた満員のサッカーファンの皆さんへ、今更ながら心からの拍手を贈ります。
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『性善説か性悪説か』
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posted by 桐谷 |10:38 |
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