2008年08月27日
“今回のワールドカップは出られなくていい。一度地に落ちて、根本からやり直すべきだ”
僕の知るサッカー好きの多くはそう言いはじめている。
そしてまたこうも言う。
“初戦のバーレーン戦、負けてしまえばいいと思うよ。そこで監督交代があれば、まだ少しは見込みはあるかも知れない…”
一番残念なのは、応援しているチームが負けることではない。それは応援しているチームが負けることに悔しさを、痛切を感じられなくなる不感症の状態である。そして負けることさえも望んでしまわなければ未来が展望できない状態…なのではないだろうか。JFAが取り仕切る“日本代表”というチームに、それをサポートしてきたコアな層の人々から、今そんな声が上がり始めている。長期的展望でものを語るならば、それらの声にも一理あると、実は僕自身も思い始めている。
しかし、かすかな期待はあっても確信はないのだ。
“WCに出られなくなれば根本からやり直すだろう…”という確信。
“最終予選序盤で敗北を喫すれば、よりベターな指導者が招聘されるだろう…”という確信。
JFAがそうしてくれるだろう…という確信は、残念ながら今の僕にはまったく無い。
JFAの成否の“基準”がWC出場の可否にある限り、そしてJFAの実態が、僕らの願うそれと異なる“規準”で動いている限り、この泥濘から抜け出す展望が描けないのだ。
たとえば世界制覇への道が10段ステップの階段だとして、僕は今の日本はその3段目に足をかけたところに過ぎないと思っている。アジアではトップレベルの国と成り得た…。しかしその次のステップがWCグループリーグ突破・世界16強…であるとは思わない。まずアジアで最強の自力をつけることが次の4段目のステップであり、その後にその他の世界、アフリカや南米の2流国や欧州の3流レベルと真剣勝負でほぼ互角に戦える自力をつけることが5段目のステップ。そしてWCのGLをいつでも突破できるようになるのは、そのさらにもう二つ上ぐらいのステップ、7段目ぐらいの話であり…現実をみれば現時点から4つ先ぐらいの目標でしかありえないと思っている。
多くの人が誤解をしていると思うのだが、アジアを3、4番目に抜けたすぐその先のステップが、世界の16強入りであるはずなどないのだ。著しい幸運やキセキに恵まれでもしない限り、現状そこには気の遠くなるほどの“隔たり”があるはずだ。2002年自国開催のある意味“特殊”な興奮を、僕らは今ここで冷ますべき時期なのだ。
オフトの時代、日本はアジア3位でWC出場を果たす事ができなかった。
あれから15年が経ち、アジアにおける力関係は相対的には変化がなかった。要するに日本も成長したが、その他アジアも成長したのだ。日本は15年経って、未だ3つ目のステップで足踏みを続けている。僕はそれをJFAの怠慢であったと思っている。この間代表監督人事を通して4つ目のステップ、5つ目のステップへの明確な方向性を示せなかった。そして今オシムという救世主をなかば放置して、その3つ目のステップからさえ転げ落ちるかのようにさえ見える。この間にも、世界制覇への道はさらに12段の道のりに嵩上げされてしまっている…というのに。
本来問われるべきは、WC予選をパスできるかどうか、そしてWCグループリーグを突破できるかどうか…などではないはずだ。
そんなある意味理不尽な、大雑把な成否の判断基準などは、愚の骨頂ですらあると思う。本来なら今の日本の自力は、まともな監督ならば余程の不運でもない限り、AB5カ国リーグ戦で執り行われるアジア4.5から弾き出されることはほぼ無いはずだし、世界16強入りもまた余程の幸運に恵まれない限り望むべくもないものなのだと思う。
要するに夥しい不運や幸運に立脚した物差しなど、何の意味もない…ということである。
大切なのは、前進しているかどうか?
この次のステップ、未来への展望が、ビジョンが、見えているかどうか?
そして、いまこの日本代表を率いる指導者が、それを指し示し、導いてゆける能力を有した者であるかどうか?さらにそういう基準を、JFAが持ち得ているかどうか…である。
が、残念ながら、答えはNOである。
例えアジア最終予選をパスできたとしても、そのすべてについて、僕の答えはNOなのである。
たとえどこかで躓いて、新しい指導者を招いたとしても、今後も従来の基準で評価がなされるのであれば、長期にわたりこの迷走はどこまでも果てしなく続くだろう。
僕らは新しい“基準”で日本のサッカーを語るべきである。
この失われた15年と訣別しない限り、僕らの心自体がニッポンのサッカーから離れていってしまうかも知れない。今、その重大な岐路に差し掛かっているのだと僕は思う。
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posted by 桐谷 |12:10 |
岡田JAPAN |
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2008年08月25日
~自分自身の道を迷いながら歩いている子供の方が、他人の道を迷わず歩いている者たちより好ましく思う~
確かゲーテの言葉だったように思う。
今にして思えば、この若き黄金の子供がJリーグという迷宮に迷い込んでくれたことに感謝したい。そして同時に僕は、迷うことなくその迷宮を泳いでいる僕たち自身の無自覚な観念を、非常に残念にも思う。
嫌われ者のフッキがJリーグを去って、僕の中のJリーグへの興奮はいささか冷めてしまった。
僕にとってのフッキは、無闇に刺激が強過ぎたのかも知れない。これを埋め合わせるものなどしばらく見つかりそうも無い…。今はただACLの開幕を心待ちにしている状況である。
フッキというタレントが、このJリーグに納まりきる器であったとは僕は考えていない。
が、彼が、高いモチベーションを持ってこのニッポンで戦えた試合がどれだけあっただろうか…と考えると非常に残念に思うわけで、彼がどれだけ破天荒で非常識な若者であったとしても、その才能のすべてを引き出せなかった、開花させることができなかったのは、ひとえにJリーグの、ニッポンの至らなさでもあったのだと僕は思っている。
フッキはわがままだ…。とは、よく聞く言葉である。
周囲を使わず独り相撲を取り、確率の低いシュートに拘泥してしまう。…との評価もよく聞かれた。
どれも真実なのだろう…と僕も思う。けれどもそれはストライカーたるものの常識であり、ニッポンのサッカーにもっとも欠落している一要素、要するにニッポンの非常識でもあったのだと僕は思っている。
少なくとも、選手を束ねて組織を構成し、モチベーションを高めてゲームに臨ませ、そこで得られた結果に対して、プロとしてすべての責任を背負うべき監督・指導者が、敗戦の責任逃れのようにマスコミに対して語るべき言葉ではないはずだ。
フッキが言う事を聞かないとすれば、その責はコントロールできない自分にあるのだ…と自覚すべきであり、その取捨を選択すればよいだけの話である。使い続けながら、多くのゲームを彼の個力で勝ち点を積み重ねながら、都合よく敗戦の言い逃れにさえそれを“利用”し、責任の本質を回避しようとするモノの言い草は卑怯ですらあったと僕は思う。
さらには非常に不当な審判の裁きが相次いだ事も事実である…。そういう状況の中で、モチベーションを高く保ち、チームプレーに徹しろ…という他人事のような突き放した要求こそ、僕には不思議でさえあった。
勿論、外から見えない事情もさまざまあるだろう。
けれども選手の才能を使いこなせない監督というものには自ずと非がある。才能ある選手というものは概ねわがままなものなのだと思う。それをコントロールし組織の中に融合させて使いこなす事こそ、監督の手腕であり仕事だったのではないかと僕は思う。そういう意味では、一時的とはいえどもこのJリーグ、柳下正明、ラモス瑠偉両監督の元で、ある程度のモチベーションの下、自身の能力を発揮できた時期があった事は幸いであった。両氏には深く感謝したい。
ある意味フッキは、Jリーグの前に、ニッポン的価値観にパージされた。
いや、言い方を変えれば、パージされたのはニッポンである。僕は試されていたのはフッキではなく、ニッポンそのものであったと思っている。単に素行やプレースタイルの問題のみに留まらず、彼は自身のその意図とはまったく無関係に、あらゆる面でニッポンサッカーの拙さ、脆弱さ、そして不見識なさまをこの鼻先に鋭く突きつけて去っていった。
“汚いやつ”と他者を非難することはカンタンだが、その前にまず彼に対する己の、ニッポンの非をひとつひとつを省みるべきだろう。そのすべてが、今後避けて通る事のできないニッポンの課題である。
FCポルトでの開幕戦、初ゴール(youtube動画)本当におめでとう。
フッキらしい、本当にフッキらしいゴールだった。
君ならばやれる。絶対にやれる…僕はそう信じている。
さよなら、フッキ。
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posted by 桐谷 |11:47 |
Jリーグ |
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2008年08月22日
子供の頃よく父に『男らしくしろ』と言われたものだ。
『オトコらしくってどーいうこと?』
口を尖らせて聞く僕に父からの明確な返答はなく、僕は未だ“男らしさ”といったものがどういうものなのかよく判っていないのかも知れない。
彼女たちの中にも『女の子らしくしなさい』とお母さんに言われて育った子たちが何人か居るかも知れない。昨日の彼女たちが、はたして女らしかったのか、あるいは男らしかったのか…やはり僕には判然としなかったことにしておくが(笑)、彼女たちのサッカーが、彼女たちらしかったことだけはよく判る。すごくよく判るのだ。きっとこの試合を見たならば世界も見てとってくれただろう。
そしてそれは、ある意味メダルよりも価値あるモノなのではないかと僕は思う。
中2日、16日間で強行された6連戦。
蒸し暑く空気の悪い曇り空の中、デコボコのピッチの上で繰り返された死闘。
厳しい判定とブーイング、何の罪も無い彼女たちのその小さな背中に負わされた過去の歴史への憎しみ。
それを無言で受け止め、『がんばったよ』と泣きながら笑顔で手を振ってくれた彼女たちに対して、いま、心から『ありがとう』と言いたい。
たいしたことのないドイツに負けた…。
残念ながらそれは間違いだと僕は思う。ドイツなりのペース配分の中で、確かに幾度か得点のチャンスを掴んだ事も間違いないが、もしあそこで得点できたからといって勝てた訳ではない…と、僕は思う。その後の展開、計ったようにDFラインを押し上げてきた前半30分過ぎからの展開を見れば、やはりドイツは強いチームだった。現状では、まず勝てそうも無いチームだった。そのチームと、これだけの試合ができた日本を、まず褒めなければならない。
メダルをその胸にかけた国々のサッカーは、やはりその他の国々とはすべてが異なっていた。アメリカ、ドイツ、それぞれ特長を持った素晴らしい選手たちが、各々の確固たる戦術で底力を見せ付けてくれたし、決勝を見ればブラジルはブラジルで、マルタ、クリスチアーネと、やはり異次元のタレントたちがその圧倒的な個力で世界最強の攻撃力を担っていたのだ。
彼女たちは勝つべくして勝ち、また私たちは負けるべくして負けた。これが紛れも無い現実だったのだと僕は思う。
そしてだからこそ、悔しい…。悔しいのだ。ゲームが終わっとき、あふれだした涙とともに、心の底から本当に悔しかったのだ。これは昨年のアジアカップ以来、久しぶりに味わった“本当の悔しさ”であった。
この悔しさは、絶対に忘れない。
メダルには届かなかった。
メキシコ五輪銅メダルの時のように、これを“栄光”とまでは呼べないのかも知れない。
そしてきっと、ここからの道のりは果てしなく遠く険しいものなのだと思う。
だからこそ、この素晴らしい記憶…を、悔しさを、与えてくれた彼女たちにお礼を言いたい。
共有させてもらったことに心から感謝したい。
そして彼女たちを育んでくれた方々、厳しく競い合い成長させてくれた方々、愛情を注いでここまで導いてくれたすべての方々。素晴らしい贈り物を本当にありがとう。
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posted by 桐谷 |12:04 |
なでしこJAPAN |
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2008年08月21日
まず最初に、ウルグアイは素晴らしいチームであったと思う。
その素晴らしいチームとの試合が、直前に控えたWC最終予選にとって有益なテストマッチとして活かされるものだったかどうか…きっと、そこにはいろいろな意見があるだろう。
選手選抜、現会長のしどろもどろな言説共々、少し理解できない“演出”が幾重にもほどこされ、強化の本質をやや踏み外したゲームになってしまったのではないだろうか…率直に言えば、僕はそう感じた。
日本から見ればウルグアイは強いチームである。その強いチームが100%とは言わないまでも、親善試合としてはほぼ手抜きなく向かってきてくれた。ゲームそのものに目を向ければ、結果、内容とも妥当なものであったと思うし、今現在の両者の力が、如実に現れたゲームだったと思う。
昨年のアジアカップ前、僕は
『日本は南米ならボリビアやベネズエラに勝ったり負けたりする程度』
と書いて、日本の実力を過小評価するなっ!と多くの方々に叱られたが、未だその思いにまったく変わりはない。真剣勝負、H&Aで戦えば文字通り、勝ったり負けたりする程度で、もし仮にWC南米予選に組み込まれれば、彼らと同じポジションに収まるのが妥当だと思っている。でなければ日本はそのひとつ上のグループ、このウルグアイやチリ、コロンビアと真剣勝負で対等に戦えなければならない。僕はそれだけの力は過去も現在も、日本には無いし、無かったと思っている。
これを信じないか、信じられない方はぜひトルシエ時代のコパアメリカでの3戦をビデオで検証して欲しい。本気の南米との実力差が、どれだけ無残なものであったかを。
ウルグアイの一人一人の選手たち、そのキープ力、突破力、そしてボールコントロールは、Jリーグで言えばそれぞれスペシャルな外国人助っ人…のレベルにあったように思う。それがきれいな3ラインの、シンプルでありながら統制の取れたプレッシングサッカーを展開していた。結局はオウンゴールでの得点しかないのだが、幾度かでもそのプレスを掻い潜りゴール前まで迫った速いパス回しと、厳しいプレスの中でもほぼ互角と見せたポゼッション能力については、僕は日本の自力を褒めて良いのだと思う。
このチームの問題は、やはりアタッキングサードでの崩し、チームとしてのそのカタチ、パターンが整備されず共有されていない部分だと思う。きっと日本は中盤のボール回しならすでに目と目で通じ合え、協奏できる素養が有る。しかし、それよりスペース的にも時間的にも一気に余裕がなくなるアタッキングサードにおいては、苦手なフィジカルコンタクトを避ける意味でも、さらに一層スピードアップした、ある意味曲芸のような連携を見せるか、或いはこの試合のように個で突き抜けようと試みるしかないのだと思う。そのどちらをも併せ持つのがこの南米の古豪のサッカーであり、日本は未だそのどちらをも会得していない。オシムの時はその前者に必死でトライしていた。が、今の岡田体制になって、それよりもまずディフェンススタイルのモデルチェンジがあり、アジア最終予選を目前にして、ひとまずそれは後者の個の突破力に預けられたのだ…と僕は理解している。
日本が“日本化”とは真逆に、“日本らしさ”に収斂してゆく様を、今僕はスローモーションの映像のように、まざまざと見せ付けられている。それについては非常に残念に思っている。が、しかし、だからといって、それとウルグアイに勝てない現実を、都合よく混同して語ろうとは思わない。日本の自力を見誤らないためにも、そこには明確な“区別”があるべきなのだと思っている。
選手個々にとっては、このゲームは非常に良い経験となっただろう。そして、岡田武史監督にとっても、小野剛氏をはじめとする技術委員会の面々にとっても、そうあって欲しいものだ…と切に願う。
この日ウルグアイが見せてくれたスタイル。こういうサッカーがやりたいのであれば、彼らがどのように守りどう攻撃を組み立ててきたかをしっかりと把握し正しく解釈して欲しい。ゲームの機微を見事に読んだ柔軟で懐深いディフェンスの在り方、そして機を逃さないカウンターとポゼッション、縦横の使い分け。またその機能美と速さを。
後半逆転してからのウルグアイの華麗なボール回しと、慌てる日本DF陣を弄ぶかのようなプレス…それはまるで大人と子供の試合のように見受けられた。そして彼らの“汚さ”は少し過剰な部分もあるとは思うが、それがあるとないとでは“勝負どころ”に大きな差がつくもの…という現実も、また見逃さないでもらいたい。そういう面でも、日本はまだまだ学ぶべきところがあるのだ。日本のサッカーは未だ子供のままなのだと僕は思う。
できればこの試合を、北京で戦う女子代表にも見てほしかった。危険とはどういうシチュエーションか、そして与えられた権利として、どうリスクを値切りながらリターンを引き出し、時に気前よくその代償を支払わねばならないかを…。
本日午後七時、この北京五輪、なでしこジャパン最後の戦いを皆で見届けましょう。
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posted by 桐谷 |12:03 |
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2008年08月19日
グループリーグ2戦目とこの日の決勝進出をかけた準決。
この二つのゲームが物語るもの。結果としては同じ敗戦であっても、この準決のアメリカに出会えた事こそが、今大会日本にとっての最大の褒美だったのかも知れない。
連日の30度近い蒸し暑さの中、中二日の強行日程で迎えた5戦目…である。この過酷が現実に暴き出した両者の実力差、底力の差は、日本にとってはある意味無残なものだったのかも知れないが、ここに突き当たってはじめて知り得たものでもある。技術、戦術、コンディショニング…ゲームの勝敗を分ける要素はいくつかあるが、真の強者たちは、さらにその上の次元で戦っていたのだ。
僕は中国戦を世界に手をかけた戦い…と、うすっぺらに評したが、その見立ては非常に甘く、不見識なものであったかも知れない。疲弊し、心身ともに追い込まれた窮地の中での戦い。そこで初めて真の王者が垣間見せてくれた“本当のタフネス”。王座への最後の2ステップが、これほど厳しく過酷なものであるという現実。幸運にも日本は、いまその壁の巨大さを、通りすがりに“視認”できた…というだけにすぎないのかも知れない。ここから先の2ステップを攻略するには、付け焼刃ではなく、そのスタート、原点からやり直さなければならないのではないだろうか…アメリカの真の底力を垣間見、正直僕はそう感じた。
得点してから繋げなくなったのは、スタミナ・走力の枯渇、意思疎通の不徹底や消極性…と、こちらの落ち度も幾つかあげられるが、本質的にはアメリカの底力によるものだったと思う。あそこで無理をして繋ぎに行けば、もっと早い段階で致命的なミスによる失点に心を打ち砕かれていたかも知れない。アメリカのプレスとその連動は、強く、激しく、そして迷いが無かった。
前半25分で日本の足が止まり、あとはいずれ起こるべくして起こること…が、想定どおりにピッチ上展開した。
もしあそこでさらにもうひとつ踏ん張る術…があるとすれば、現状では僕は“汚くやる”こと以外になかったような気がする。
サイドはマンツーマンでしっかり捕まえて、前を向く前に“潰す”。ズルズルとPAへの進入を許す前に“引き倒す”といった部分である。結局ほとんどファールらしいファールもなく、FKらしいFKも与えぬまま、ニッポンは“美しく”敗れ去ってしまった…という見方もできるかも知れない。現実の男の世界であれば必ず言及されるポイントとなるだろう。が、女子の世界であれば、また異なる価値観が存在するものなのかも知れない。僕が女子の監督であり、ここからさらに強くなろうとするのであれば、パスやクリアの選択のように、躊躇わず“それ”を要求するだろう。そしてカードをもらわずうまく“それ”をこなす為には、やはり大人になってからの“付け焼刃”では難しい…というのが実感である。
日本人で唯一それがうまく“こなせて”いたのは、ピッチ上、澤穂希さんただ一人であったように思う。
日本の選手はとても上手くて器用なサッカー選手たちである…と思う。
しかし、アメリカの選手たちは、サッカー選手である前に、すでに一個の特筆すべきアスリートであるようにも見受けられた。率直に言って、この差は非常に大きい。
前段で語った“スタート・原点から…”の意図はここにあるのだが、この土俵で戦う限り敗れるべくして敗れるのは必然ともいえる。にも関わらず、やはり技術・戦術とともに、これもいつまでも置き去りにしていてはいけないポイント・要素であると僕は思う。少なくともこの試合、日本の技術をいとも容易く凌駕し得るパワーであり、走力を、アメリカにまざまざと見せ付けられたことは確かである。
男子と違って強国の数は限定される。
よって、今ならば日本は、少し踏ん張りさえすればいつでもガチンコの舞台で、強い彼女たちと真剣勝負ができる。そこで経験が積めるのだ。今だからこそのこの利点を活かして、JFAはここからの10年に勝負をかけて欲しい。犬飼氏の言う、J全チームの女子チーム創設…が先ではないと僕は思う。強制ではなく、ただの言いっ放しではなく、何らかの手当てが伴っての長期的なビジョンであれば、その方向性はあっても良いと思うが、現況競技人口の限られた女子の場合は、短期的には次世代の選ばれたタレントたちに対する、本腰を入れたエリート教育が実を結ぶような気もするが果たしてどうだろうか?
次の最終戦。
疲労困憊で身体的に立て直す事ができぬまま3決に臨まなければならないが、精神的にはドイツの方がより痛手を負っているのではないかという気もする。原歩さん、丸山桂里奈さんは、疲れも無くかなりキレのある動きを見せられているので、思い切った先発起用も考えられるかも知れない。またそうあって欲しいという気もしている。
そしてアメリカ戦と同じように、ドイツは日本の急所をGK福元美穂さんの頭上と、サイドの一対一と見込んで突いてくるだろう。ここを食い止めきれるかどうか…が、勝利に繋がるのだろう。
もし彼女たちに声をかけられるとすれば、僕にはこの一言しか思いつかない。
『悔いのないように、思い切って!』
メダルよりも、勝利よりも、彼女たちにとって納得できる、悔いのない試合になることを期待したい。
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posted by 桐谷 |11:43 |
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2008年08月16日
注文をつけるとするならば後半60分過ぎ。
選手交代を絡めて中国がこちらの最終ラインにプレッシャーをかけてきた時のことである。押し込まれ、繋げず、前線へ蹴り込むことで、コンパクトな守備ゾーンが形成できず、ドロ沼に嵌りこみそうになった時間帯が何分か続いた。
そんな、この試合唯一危うさを感じさせられた状況を、身体を張って食い止めてくれたのが澤穂希だった。捨て身の覚悟で立ちはだかってくれたのが柳田美幸だった。この二人のテクニシャンの見せてくれた、ドロ臭いボールへの執念とフォア・ザ・チームの献身が、中国に傾きかけた流れを食い止めてくれたのだと思う。
そしてこの中国にまともにサッカーをさせなかったプレス。特に前線の二人と、安藤梢をはじめとした中盤の選手たちの運動量を心から賞賛したい。今大会のベストゲームであり、このチームが世界の扉に手をかけた記念すべきゲームになったのではないかと思う。
ニッポンの持ち物、それを踏まえて論理的に紡ぎだしたコンセプトを具現化するならば、きっとこんなサッカーになるのだと僕は思う。ニッポンが、世界に伍して戦うなら、また戦おうとするならば、きっとこんなサッカーでなければならないのだと思う。現状これ以外に、有り得ないのだと僕は思う。
そして男子において女子のようにうまくいくとは限らないだろう。同じことをしても導き出され、突きつけられる答えは、また別のものなのかも知れない。
しかし、これしかないのだ。
これを追求して、さらにスピードアップさせてゆくしかないのだ…と、僕は思っている。
永里優季、そして大野忍の“線”。そのしなやかな絆は見ていてとても美しかった。
そしてその花をこんなにもキレイに咲かせてくれたのが、両サイドの献身。ニッポンサッカーの“核心”であり、中国が、中国サッカーが、見失ってしまっている価値であり、要素なのかも知れない。
それを、決して見失わないで欲しいと思う。
そしてその周辺にあるものも、良きものならば僕は見失わないで欲しい。
皆が笑顔でいられる今だからこそ、ニッポンサッカーも、そしてニッポンも、そのほんとうの価値を、しっかりと胸に刻みつけて欲しいと願っている。
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2008年08月14日
オランダはオランダとは言えなかった。
きっとそれはEURO後の五輪が、彼らにとってガチンコの国際大会とは言えない事や、彼らにとってこのような気候このようなピッチで行われる大会が、真に価値ある公式戦とは言えないだろう事とどこかで結びついているのかも知れない。僕らが五輪に対して抱いているイメージは、残念ながらきっと彼らに共有し得るものでは無いのだ。
ゲーム内容について言うならば、それ以下でも以上でもなく、想定し得る範囲の普通の日本と、最低のオランダだったと思う。厳しく問うならば、このオランダ相手であれば引き分けぐらいの結果は充分引き出せたと思うし、また引き出さねばならなかったものと思う。
皮肉なのはこの大会、ある意味終始プロ的な自己主張あるプレーを見せてくれていた本田圭佑が、その最後にプロ的ではない“甘さ”を露呈し失点してしまったことである。そしてさらに皮肉なのは、この『審判のせいで負けた…』という本田圭佑の主張が、同じようにアメリカとの敗戦を『審判のせいだ。森重のせいだ。梶山のせいだ。』という一部のネット世論には受け入れられなかったらしい事である…。それが言及するところの真理を僕が理解できていないだけなのか、或いは昨今の世相によくある、心理学で言うところの“近親憎悪”の類の出来事なのか…よく判らないが、そのどちらの立場にも、僕自身は賛同することはできない。
総論として、チームとしてみれば、大会を通してのパフォーマンス、その内容は、決してそんなに悪いものでは無かったと思う。要するに極端にその実力を損なう内容ではなかった…という意味である。ある人から見れば結果は悲惨なものだったのかも知れない。が、僕はこれが紛れもないニッポンの実力・現在地であると思っている。
そして次回のエントリーで言及するつもりだが、だからといって『これで良い』訳では絶対にない。だからこそ『変わらなければならない』のだと思っている。
そして逆に、どうやれば今回予選リーグ突破できた…のかを聞いてみたいとも思う。
2トップにすれば…なのか、梶山陽平や香川真司など使わなければ…なのか、OAを使えば…なのか、柏木陽介や梅崎司が居れば…なのか、或いは反町康治じゃなければ…なのか、では誰が監督ならば予選リーグ突破できた…と確信を持って言えるのかを。
そして同時に、そんなことを聞いても、言い合っても、おそらくさほど意味あることではないのだろうな…とも、力なく思うのだ。何かしら確信を持ってそれを言う人ほど、声を大にして叫ぶ人ほど、往往にしてまずこの“現実”を受け入れないか、受け入れようとしないから…である。
問いは無数にある。僕にもある。
けれどもいつだって現実における答えはひとつ、一度だけしか出せない。
この出た答えをまずは受け入れること、それを正しく認識して、論理的に考察してゆく試みこそが大切なのだと僕は思う。
貧乏な家に生まれて、その境遇に悲憤慷慨し、先祖や血族をなじる行為は確かに許された権利なのかも知れない。ニッポン人に生まれて、その細い目と低い鼻に落胆し、絶望してしまうこともあるだろう。しかし、同じニッポン人である限り、それを嗤う、嘲笑できるものが果たしてどれだけ居るのだろうか?
もし僕らの代表である彼らが拙いのだとすれば、それはきっと僕らが拙いからだ。
異論はたくさんあるだろうが、僕はそこからサッカーを語りたいと思っている。
現実のサッカーのように、それを語る僕らもまた、たくさんのミスを重ねるだろう。時に感情的になり、投げやりになり、人を傷つけたり、あるいは傷つけられたりもするだろう。が、それも好きこそなせる業…なのである。願わくばそのエネルギーを、例えササヤカなものであったとしても、無為に浪費するのではなく、生産的な方向で費やしたい。未来のために何かしらプラスの言論のカタチであり行いをして、次代にこの夢を託したい…僕はそう思っている。
反町康治氏が2年間にわたって預かったタレントたち、その質と量は、西野朗氏や山本昌邦氏が預かったそれよりも、絶対値として優れていたと僕は思う。そして結果は思わしくないものだったのかも知れないが、前任二者のそれよりも、僕は僅かでも内容のあるサッカーには、カタチにはなっていたと思っている。
土砂降りの雨も、凸凹のピッチも、不運な組み合わせも、実際のサッカーと同様ひとつとして同じ条件などないだろう。その中で、世間の関心も協会の協力体制もそれぞれに異なっただろう。そういう中から、ほんとうの真理を抽出してゆく作業というものは、カンタンなようで、実際は非常に難しいものだ。けれどもこれまで幾度も積み重ねてきたように、自省無く同じことを繰り返してきたように、いつまでもそれを、見誤っていてはいけないのだと思う。
ひとつしかない答えだからこそ、事前に無数の問いの中から最良の“それ”を導き出すための努力を尽くさなければならない。その為に一番大切なのは“今”であり、“今”何をなすべきか…なのだと思う。
それについては間をおかず、僕なりに思うところを綴ってみたい。ここに誰を招くべきか…についてである。
実はこの試合、僕は細貝萌と森重真人の球際の気迫とその姿勢に、ここ十数年のニッポンの成長をまざまざと見せつけられた気がした。二十歳そこそこの、つい最近やっとJの試合に出られるようになった選手たちが、しっかりとプロの気概を持って、世界標準のスピリットでこの大舞台を戦えていたのだ。
もしかしたらこの二人だけが突出した異才なのかも知れない。が、彼らが見せてくれた魂を、僕らが素晴らしきものとして正しく評価することができたならば、いずれはそれがこの国の“基準”であり“標準”になってゆくのかも知れない。そこに僕は幽かながらも、この国のアカルイミライの胎動を感じもしたのだ。
イエローひとつもらわずにあれだけの気迫、パフォーマンスを見せてくれた彼らを、僕は心から賞賛したい。そしてもっと強くなれ、もっともっと強くなれ…と、これからさらに厳しい眼で厳しい評価を持って、彼らの成長を見守ってゆきたいと思う。
そして最後に反町さん。
たとえ力及ばずとも、厳しい重圧と批判の中、彼は彼なりに精一杯頑張ってくれたのだと思う。
一言、お疲れ様でした…と、声をかけさせていただければと思う。
願わくばJリーグでの再起を。西野朗さんがそうであったように、この一つの躓きで終わりではないはずだ。『悔いはない…』と言ってのけたその悔しさを、Jの舞台でぶつけて欲しい。そしてさらに進化した反町さんのサッカーを、本当の反町サッカーを、今一度僕らに見せて欲しい…そう願っている。
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posted by 桐谷 |11:40 |
2008 北京オリンピック代表 |
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2008年08月13日
これは僕だけなのかも知れない。
このオリンピック、どうにも燃えられず、熱くもなれなかったのだ。
日々他人事のようにニュースでその結果だけを見ていた。誰かが金を取り、誰かがメダルを取り、誰かが大番狂わせの勝利をあげ、誰かがやはり力及ばず敗退しようとも、正直に言えば関心がなかった。
が、昨日の女子サッカーと谷本歩実さんの頑張りに、このオリンピックへの興味と関心を、また呼び覚まされたような気がするのだ。まったくの他人事であるにも関わらず、同じ日本人であるという一事で、そんな日本人があんなにも頑張っているのだという一事で、こんなにも熱く、燃えられる。バカみたいに興奮させられる。いや、バカそのものになれる。もちろん同じ日本人に限らず、すべての選手が必死に頑張っているのだが、とりわけこの両者には深く感謝をしたい。
前半の試合を見る事は出来なかったが、ダイジェストで見る限り前半のノルウェーは迫力あるチームだった。しかし後半、オウンゴールで逆転されたあたりになると、はっきり別のチームになってしまった感もあったように思う。逆転してからも攻撃的に前へ出、ゴールへ向かった日本女子の姿勢が生んだ大勝であることは間違いないが、その内容を冷静に分析し、準々決勝中国戦をふまえ、僕ら観る側がニッポンの実力を過信してしまわないことも大切だと思う。
負けた時は温かく、勝った時こそ厳しく…が、僕のモットーでもあるので敢えて言わせてもらうが、戦意喪失した後のノルウェーから、さらに2点、3点を奪うチャンスがあったと僕は思う。
奪わなねばならない必要自体はさほどなかったにも関わらず、少なからずそのような機会は他にもいくつかあり、それを単純なトラップミス、判断ミス、決断の遅れ…によっていくつかふいにしていた場面があった。大勝の影に隠れてしまいがちだが、そういうひとつひとつが、違う試合になれば“勝敗を分かつ”のだ。天国と地獄を分かつのだ。
そしてそこに至るボール回しは、勝負のパスの選択のひとつひとつは、被カウンターの、死に掛けた相手を生き返らせる失点の、リスクを孕んでいたのだ。
少ないチャンスをしっかりと得点に結びつける冷静な…或いは迷いのない判断力や技術というものと同時に、ゲーム展開の中で、迷わず背負うべきリスクと細心を注いで避けるべきリスク…というものがあることをしっかりと学べば、もっと楽な試合運びができるし、さらに磐石に勝利することができるだろう。そういうチームになることを願っている。
ひとつひとつ、局面局面の判断力は、やはりアメリカの女子選手たちは抜きん出ている。しかし、男子の強国に見られるような、全体を見通したゲーム運び、俗に言う“いやらしいサッカー”ができているチームは、女子の世界にはまだ誕生していないと僕は思う。日本女子にはそういうチームになってもらいたい。速くて上手くて、いやらしいサッカーをするチームになっていって欲しいと思う。
最後に、勉強不足で僕はあまり知らなかった選手なのだが、阪口夢穂さんの才能に目を奪われてしまった。体の使い方やボールタッチを見る限り、きっと前へ出ても仕事ができるタイプなのだと思うが、彼女は女子サッカーの世界で、コクーのような万能の優れたMFになる可能性を秘めたタレントだと思う。そのミドルパスの精度と、大人びた判断力に、ゲーム中幾度も唸らされてしまった。将来が非常に楽しみな選手である。
そしてDF面で大きな負担を背負わされながら頑張っている、永里優季さんの健闘も称えておきたい。疲れもあるだろうし、もしかしたら痛みを抱えながらのプレーなのかも知れない。そんな中で判断力が鈍り観る側に消極的に見受けられる部分もあるのかも知れないが、ポストプレーの精度は相変わらず素晴らしいものだと思う。中国戦ではサポートも減り、独力で前を向かなければならないシチュエーションも増えてくるだろうと思う。またそれができる選手でもあるし、自らの実力を証明する試合になることを期待したい。
メダルうんぬんではなく、ただ、納得できる試合、観る側として、勝っても負けても、ただ納得させられる試合が見たい。
次の中国戦も、彼女達らしい、そういう試合になることを願っている。
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posted by 桐谷 |11:38 |
なでしこJAPAN |
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2008年08月11日
明らかに力の劣るチームに敗れるのは嫌なことだ。
誰しもが納得いかないものだろうし、立腹する気持ちも判らぬでもない。
ほぼ互角と思しきチームに敗れるのもおもしろい事ではない。例えばそれは五輪最終予選におけるアウェイのカタール戦であり、また2日前のアメリカ戦であるのかも知れない。しかし、ほぼ五分五分の確率で突きつけられる現実である。それを否定して、サッカーという競技を受け入れる事などできない。
そして世界には明らかに力の勝るチーム…というものがある。例えばそれは先日のアルゼンチンであり、またこの試合の相手、ナイジェリアのようなチームである。親善試合や余興でなければ、こちらがどれだけ気迫を込めて頑張ろうと相手も頑張るわけで、勝つ事は容易ではない。勿論、選手たちは死ぬ気で頑張らなければならない。が、例え負けたからと言ってその現実を、彼らのその頑張りを、すべて否定しうるものではないはず。僕はそう思っている。
このナイジェリア戦は、そういう試合であったと僕は思う。2006年のWCクロアチア戦の時と同じように、選手たちは充分に頑張って、そして届かなかった試合だと思う。誇りある敗北であったと。
内田篤人(鹿島)は「軸となる選手がいなかった。チームとして形がなかった」と語ったそうだが、彼の真意は別にして、それが「痛かった司令塔不在」という解釈でくくられ、流布されるのは、誤りだと僕は思っている。厳しいピッチ状況においても少なくとも相手よりボールはよく回っていた。
問題はアタッキングサードでどう崩すか…である。
そうしてどれだけの機会を量産し、ゴールへの確率を高められるか…である。
相手より個力の劣る中で、どうやって最後の壁を突き崩すか…である。
一対一で勝てないのであれば、リスクを負ってでも二対一を形成しなければならない。その為の連動・オートマティズムの構築が求められているのである。
必要なのはOAの著名なレジスタの前に、そのアタッキングサードで強国と互角に組み合える個力か、あるいはそこで数的優位を形成して、その優位を失う前に一気にゴールまで辿り着けるだけのスピードある連携とその鍛錬である。おそらく注力すべきはその後者であった筈で、今後も短期的に追及すべきは、まさしくその部分なのだと僕は思う。
そして厳しい相手に、厳しい環境の中で、選手たちは良く戦った。
負けはしたが、この試合における教訓を正しく未来へ受け渡す事ができるものならば、僕は意義ある敗北であったと思う。一人だけ取り上げるのはやや平等ではないかも知れないが、細貝萌が見せてくれた守備を、そのスピリットを、ピッチ上11人すべてが共有して戦えるようになれば、日本は強くなると思う。激しく、強く、戦う心と折れない魂を持って、どんな相手にも対峙する事ができるようになれば、日本はもっともっと強くなると僕は思う。
そして素晴らしい指導者をここに招こう。
激しく強い魂を、そして最後の扉をこじあける“鍵”を持ちえた世界最高の指導者の招聘を、JFAに要求しよう。たとえそれが彼らにとって都合の悪い“モノ言う外国人監督”であったとしても、このままでは無限にループし、ただ時を無為に過ごしてしまうだけである。その間に、世界は遠のいていってしまうかも知れないのだから。
オランダ戦は、決して消化試合などではない。それぞれの新しい戦いの、原点となるべき試合である。そしてこのオランダならば、充分に勝つチャンスはあるように思う。
選手たちは充分に戦ってくれた…そしてさらに『戦え!』と僕は声をかけたい。『もっともっと戦えっ!』との絶叫を届けたい。たとえ刀折れ矢尽きて敗れ去ったとしても、VIPシートでふんぞり返る彼らに、ほんとうの恥とは何であるか…を今ここで知らしめる為にも。
選手達の意地と気迫に、誇りをかけた最後で最初のこのオランダ戦に、心からの声援を送りたい。彼らはできる子達であると僕は思っている。やれる子達である…と、そう信じている。
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posted by 桐谷 |11:14 |
2008 北京オリンピック代表 |
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2008年08月10日
残念な敗戦…であることは間違いないのだが、チームとして、選手個々として、精一杯力を出し切っての結果であったように思う。米国が先に得点したことによって導かれたゲーム内容であっただろうことは否定しないが、それにしても世界王者アメリカを充分に苦しませる事ができた。
細かくボールを繋ぎ、人数をかけてゴールへと向かう。
そんな日本サッカーらしさが充分に発揮されたゲームだった。
最後、強いプレッシャーのかかるゾーンで、どうやって速く正確なパス回しと3人目、4人目までの動きの連動でゴールをこじ開けるか。その為にはさらに正確な出し手と受け手の技術が、迅速な判断力が、逞しい身体の強さが、磨き上げられた組織としての連携が求められるのだろう。
男子ほどにはこの扉は重くはないように見える。しかしそれが重いか軽いかは、こじ開けてみて初めて言えることなのかも知れない。
あと2タームぐらいの強化であり、成長が、その後の未来に大きな影響をあたえるのだと思う。この今はさほど重そうには見えないその扉は、ここから2タームの間に“扉”から“壁”に、“壁”から“異次元”に変わってしまうものなのかも知れない。次の2タームに、どれだけ真剣に全力でなでしこの強化に取り組んでゆくか…今が勝負の瞬間なのだと思う。
ケガによるコマ落ちがあったとはいえ、アメリカは王者に相応しいサッカーをしていた。男子同様、この気候には相当悩まされたことだろう。が、男子とは別次元の“威厳”であり“芯”の強さ、を持ち合わせたチームであったように思う。
彼女たちは体の当て方を知っている。
プレスの勝負どころと、見切り方…を、よく心得ている。
そして、ここぞという球際に、全身全霊を込めて立ち塞がってくる。
走力があり、スタミナにも優れ、強くもあり、また粗暴でもある。そして誰にも負けない…という気概であり、闘争心を皆で共有している。やがてそれが、歴史であり、伝統といったものを形作ってゆくものなのだろう。そして来年には新たなWUSA、女子プロリーグの再結成が企画されている…とも聞く。強いアジアの女子サッカーにも、そのような機運が盛り上がってくることを僕は期待している。
澤穂希さんの今大会のプレーは、以前の妙な重圧も消え、球離れもよく、日本のシンプルに繋ぐサッカーを良く牽引していると思う。また池田浩美さん、僕にはまだどうしても磯﨑浩美さん…の方がしっくりきてしまうのだが、素晴らしいラインコントロールと粘り強い守備を指揮してくれていたと思う。この大会、女子サッカーが“なでしこ”と呼ばれるずっと以前から代表を引っ張ってきたこの二人の活躍を、僕はとても嬉しく思っている。
なでしこリーグを支えてきてくれたたくさんの選手、関係者、そして多くのサポーターの為にも、またこの二人の偉大なリーダーたちの物語を飾るためにも、GL最後のノルウェー戦、死力を振り絞り一丸となって、勝利への執念を見せて欲しい。
結果、勝つか負けるか…ではない。
一日本人として、僕が見たいのは、ただそんな姿である。
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posted by 桐谷 |11:17 |
なでしこJAPAN |
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2008年08月08日
残念ながら想定内の内容であり、また結果であったと言わせてもらおう。
むしろゲーム中このチームの良い要素…すなわちメンバー個々のスピードある突破や、時折みせる少ないタッチでの速いパス回しなど、ピッチ状況の悪い中でも充分に発揮できていたように思う。そして逆に、やはりアタッキングサードの局面におけるチームのオートマティズム、前線からの動き出しとそれを受けてのムーブ&スペースメイキングの連動といった部分は、まったく進化が見えぬままにこの日を迎えてしまった。
この敗北が悔しいのは、この日のアメリカは、日本がそんな状態であっても充分に通用する相手だった…からである。
そして実際に敵の守備陣形の拙さ、動きの悪さから幾度も単独の、1つの勝負でチャンスを産み出せていたし、鍛錬したと見えるセットプレーではたびたび敵DFを混乱に陥れていた。数度の決定機を逃した不運は、選手個々の責任と断じられるものなのか…或いはPKを賜ることができなかったのは、ただアフリカ人主審のその力量の至らなさによるものだったのか…。
僕はそのどちらにも同意はできないので、やはりこれが反町ジャパンの、ニッポンの実力である…と、今一度正しく評価し、この胸に受け止めようと思う。
主審のジャッジはトータルで見ればむしろ非常に公平なものであり、すべてのジャッジを冷静に判断すれば、アメリカのエース、アドゥが多少気の毒に思われた…ぐらいのものではなかっただろうか。PKについては、与えられるより奪われる可能性の方が高かっただろう。また僕が主審であれば、日本選手のいくつかのプレーに対して“シミュレーション”のイエローを提示していたと思う。
“ヘタな主審の所為”で負けた…とする見方は、確かに一寸の救いをもたらすだろうが、この敗北の根拠がそこに在ったとは、やはり僕には思えない。
この相手に勝ち点1を奪うことさえ叶わなかった…それが、このチームの紛れもない実力であった。…残念ながら、僕はそう思っている。
負けたからといって厳しい事を言うのではなく、いままでずっとそう言ってきたからあえてまた言わせてもらおう。反町康治の2年間、そのチーム作りとは、要するに膨大な“選手選考”にあてられた時間、そのものだったように思う。確かに五輪最終予選の土壇場では、その“選手選考”が、U-20世代への思い切った切り替えが、見事に功を奏したと言えるだろう。しかし、今回その再現がならなかったとして、短期間に組み込まれた森本貴幸や森重真人が叩かれるのはあまりに不憫である。
いろいろなスローガンやコンセプト、その字面は、華々しくメディアの紙面で踊っていたはいたが、その実体、実相としての反町サッカーとは果たしてどんなものだったのだろうか?残念ながら現実のピッチ上に、僕はそれを読み取ることはできなかった。
欲しいもの、手に入れたいものと現実との隙間を、ただその選手選考と采配の妙で埋めてゆこうとする試み…チームスタイルの創造とは別次元の、そんな取り組みにかまけた2年間であったように思う。
世間の評価などよりもずっとずっと力のある世代、選手たちであると思うからこそ、この2年間が僕には残念でならない。国を代表する有望な若いタレントを率いる指導者として、本来彼のような性質の指導者が相応しかったのかどうか?技術委員会は、次期選考の前にしっかりと自省して欲しいと願う。
30度を越す暑さの中、アメリカはくたくたに疲弊していた…。そんな中、日本はやはり運動量で彼らのそれを大きく上回っていたように思う。この大会、暑さに対するピーキングも順化も、日本は充分に整っていた。そして選手個々は、それぞれに光る部分を、その輝きを、ピッチ上に表現し得ていたように僕は思う。今後に続く強豪国との2試合、特にオランダあたりは中国沿岸部の蒸し暑さには相当に苦しむことだろうし、その点では日本は比較的優位に試合を組み立てられることだろう。これでチャンスが完全に潰えたのではない…僕はそう思っている。
そして弱いチームが勝ちに行く…ということは、大敗するリスクを背負う…ということであると思う。それを厭わず、恐れず勇敢に立ち向かう…ということであると思う。往復ビンタを喰らってぶっ倒された時には、さぞ体裁は悪かろうとは想うが、反町氏には、せめてそんな“覚悟”を、しっかりと見せて欲しいと思っている。それが若く将来性あるタレントたちを率いて、ここまでの期待と時間を預けられてきたものとしての“責任”である…と、僕は思う。
選手たちにはプロとして、自身のプレーをしっかりとアピールしながら、消極的になることなく強国へ挑んでいって欲しい。きっと欧州は、内田篤人も香川真司も、しっかりと見、評価してくれているはずである。
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2008年08月07日
技術でどれだけのアドバンテージを持っていたとしても、実際のゲームの勝敗を分かつのはただそれだけではない。
それは球際の激しさであり、戦おうとする気持ちの構えであり、勝つための意思統一であり、集中であり、執念であり…。厳しいようだが、そういう部分で日本はニュージーランドに劣っていたと思う。技術でどれだけ勝っていても、またそれを用いて有効にゲームを支配し得る実践力にも欠けていた。
勝敗を分けた要素のひとつひとつをよく検証する事で、つらい作業ではあるがそれぞれの、そしてチームとしての“甘さ”や“至らなさ”も充分に認識し、それを打ち潰してゆかなければならない。男子サッカーも通ってきた道である。いつか勝つためには、強くなってゆくためには、避けて通れない“痛み”だったのだと思う。
繰り返すが技術でならば、女子は世界のトップにも大きく引けは取らないはずだ。
その技術的な部分でのアドバンテージを、順当にゲームにおけるアドバンテージとして利するつもりであれば、それを“速さ”という実存にしっかりと結びつけて表現して欲しい。少ないタッチで、正確に、速く、ボールを動かす事で打開できる状況は、これからの2つの相手を想定しても、充分に考えられるはずだ。
特にラインをあげてくるだろうアメリカを過剰に恐れてはいけないと思う。この試合とは異なり、敵が攻めてくる、敵が充分に動ける、前半こそが得点のチャンスだと思う。“速さ”を活かしてシンプルにゴール前に迫るサッカーが、最大限強みを発揮し得るシチュエーションであると思う。
勝負時をしっかりと見定めて、悔いを残さぬよう勇気を持って立ち向かっていって欲しい。
大舞台で勝敗を分かつ“経験”や“伝統”といったもの…それは自然に、当たり前のことをやれるか、やれないか…どんな状況でもそれをやり切れるか、やり切れないか…の差なのだと僕は思う。
福元さんも、近賀さんも、普段出来ていることであり、周りの選手も普段出ている声だったのだと思う。それがあの場でやり切れるかやり切れないか…。
チームとして2-2で充分な試合であるか、何としてでも逆転しなければならない状況であったか…普段のリーグであれば、ベレーザも浦和も湯郷ベルも、ゴール直後に当たり前のようにセンターサークルへ駆け戻っていた状況だったはずである。それがこの舞台で出来たか出来なかったか…。勝敗への関与は非常に稀薄なように見えて、それらは経験あるチームであれば、サッカーの伝統国であれば、決してやらない、ありえない“甘さ”だったのだと思う。
この苦い経験を糧に、まだ誕生したばかりの女子サッカーの常勝国、伝統国に、しっかりと喰らいつき、いつでも優勝を狙えるポジションに、もう1階級ステップアップして欲しい。
幸いにもアメリカは2点差で敗れた。そして幸いにも、初戦を勝ち点1で終えた日本は、少なくとも2つの得点をあげることができた。まだ地力で充分な可能性を有している。宮間あやのFKは、大野忍のドリブルは、そして永里優季のポストプレー・シュート力は、男子では持ち得ない、世界に通用する武器であると僕は思う。
まだチャンスは充分に残されている。
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