2008年05月28日
皮肉なことに、岡田体制の影響をここまで受けずにいられた中村俊輔が主役の座に加わり、遠藤保仁、中村憲剛のアジアカップ時のポゼッションを構成した3人の中盤がピッチ上で“再会”した途端に、中盤の、前線の選手が次々とパスコースに顔を出し、ボールが明確な意図の下に、軽やかに躍動しはじめた…。結局この流れは、後半遠藤保仁を変えたあたりで徐々に潰えていったのだが、堆積した土砂に堰き止められていた濁った水が、中村俊輔という“一穴”を得て、清らかな澄んだ流れを取り戻したかのような…そんな印象を残した。これこそが自然な姿であり、在るべき姿なのだ…と改めて僕は思う。
本来、誰が何を言うでもなく、賢明な選手とは、まずはじめにその身体に染み付いた一番“良質なサッカー”を展開しようとするものである。自ずからそれを崩したい…と願う選手など居る訳がないのだ。
大別すればサッカーとは2つの種類に分類することができると思う。
良質を是とするサッカーと、良積を是とするサッカーである。前者が未来主義のサッカーであるとすれば、後者が刹那主義のサッカーであるとも言える。
岡田武史氏の言う“俺流”とは、“良積”に重心を置いたシフトを意味するものだと僕は考え予想していた。が、実際のピッチに用立てられたのは“良質”を是とするオシムジャパンの秘蔵っ子たちである。そして彼らが、岡田氏から何を託されたのかは知らないが、そのピッチ上で、この試合の前半、オシムと共に闘ったアジアカップ時のサッカーを展開したのだ。
この選手たちを“賢明”な選手たちであると認識するならば、これ以上の答えなど無い…と思う。きっとこれこそが、今の日本の“自然なカタチ”なのだと僕は思う。
そして再び“再開”されたこのサッカーが、これ以上、さらに“俺流のサッカー”なるものに無用な手を加えられ、書き換えを迫られ、そして見るも無様に改竄されようとするのならば…。JFAがそれに気付かないならば、或いは気付いていて変えようとしないならば…、最終的にはあの選手たちの“賢明”なる意志に、それを託す他無いのだろう…と僕は思う。そして僕は、この日の選手たちを信じよう…と思う。
コートジボワールに比べれば、このパラグアイはある程度高いモチベーションを持ってこの試合に臨んでくれた。得点への意欲は、後半の最後までほとんど見られなかったが、組織的な守備と抑制の効いた大人びたプレスの在り方は、現状の岡田武史氏に対する良い手本であり、また中東の強国に対峙する上で、非常に良い経験となったように思う。
彼らが2軍か3軍か…は僕には判らないが、この条件で集められたパラグアイの選手たちに対して、ホームで、この結果と内容…といったところが、僕は現状の日本の偽らざる実力なのだと思う。少なくとも日本は、ほぼベストメンバーで臨み、ここ数試合のうちで一番良い内容を見せた。それでいてなお、微妙なジャッジや敵FWの決定的なミスにより、やっと“引き分け”てゲームを終わらせる事ができたのだと。
この日本の現在地を、僕らはしっかりと見つめなければならないのだと思う。あのコートジボワールに勝った試合とこのパラグアイに引き分けを拾った試合。実際のサッカーに真摯に目を向けなければ、スコアシートにある“嘘”を読み取ることはできない。
“良積”は誰の目にも明らかだが、“良質”を解さぬ世論というものも確かに存在する。疑いなく、それこそが“すべての真実”であるかのように…。
そしてそんな“世論”こそが、その国のサッカーをやがては形作ってゆくのだと僕は思う。
岡田武史氏は試合後のインタビューでこう語っている。
『前半、非常にボール支配率が高かったんですけど、なかなかディフェンスラインの裏を取れない、ちょっとじれったい展開になりました。今日のメンバーだと、こうなる危険性は十分あるだろうと。ただ、一度やってみないと分からないということでトライしました。』
彼の“志向”や“価値観”が非常によく現われた表現である…と思う。
対するパラグアイ代表マルティノ監督はこう語っている。
『私の印象として(日本)は、前半と後半とではまったく違う2つのチームのように思えた。それが、こちらのプレーの影響によるものかどうかは分からない。もしかしたら、日本が自滅というか、自分自身でレベルを下げてしまったのではないかという印象さえ受けている。いずれにしても前半の日本は、非常にスピード感あふれていて、プレーも正確だった。攻撃時にいい動きができていたと思う。』
やり直しの効かない6月に突入する。
結果がどうあれ、“俺流のサッカー”の実体がなんであれ、結局“変わろう”としなかった技術委員会と、その選択を僕は忘れない。
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posted by 桐谷 |11:34 |
岡田JAPAN |
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2008年05月26日
試合内容については何も言うべきことは無い。
運動量・モチベーション・そしてオーガナイゼーション…。精神的にも肉体的にも厳しいこの条件の中で、散り散りに散らばった“欧州”から、出し殻の状態で地球の裏側に連れて来られた彼らに、これ以上のパフォーマンスを求める事は酷である。
内容の詳細に眼を向ければ、“あのコートジボワール”に勝った!“ボスニア・ヘルツェゴビナ”に圧勝した…などと、いつまでも無邪気に喜んでいられる時代でもないだろう。この枠組みでの大会・親善試合が、すでに強化としての意義をほぼ終えつつあるのと同時に、早晩その経済的メリットや存在意義そのものについても、根本から考え直さなければならないタイミングが来るものと僕は思っている。
ひとつだけ非常に印象に残ったこと、そして日本のサッカー界が教訓にすべき事柄がこのゲーム中にあったとすれば、それはレフェリーの笛とカードである。
僕が思う良いジャッジの規準とは、極力、可能な限り“ゲームに触らない…”というものである。ジャッジによって勝敗が決した…あるいはジャッジによってチャンスやピンチが生じたり、潰えたり…ということが無いレフェリングこそが、素晴らしい試合を演出する為に不可欠な要素であると僕は思っている。その意味で、この日の主審のその姿勢とゲームコントロールの能力を僕は高く評価したい。確かポルトガルの方々であったと思うが、欧州規準で見ても彼らのそれは“流しすぎる”きらいのあるものであったように思う。
けれども、だからこそ、選手は転べないのである。
いつまでも寝ていられいなし、起き上がろうとする相手を引きずり倒してでも、前へ、ボールへ…とファイトしなければならないのである。この非常に難しい試合に“闘う気迫”“闘争する魂”を吹き込んでくれたのは…、その一端を担ってくれたのは、間違いなく僕はこの日の主審であったと思う。
そして、このような姿勢を…、軽々しく欺きあうのではなく、剥き出しの闘争本能で激突し合うようなゲームを、僕はJリーグで見たい。ニッポンの一級審判の方々にはどうかこの試合のレフェリーの“裁き”をしっかりとその眼に焼き付けて欲しい。どれだけの体力差があろうとも、渾身の気迫でぶち当たることさえできれば、10に2つや3つは球際で勝てるのだ。さらに肘を張り、膝を構えることを躊躇わず会得すれば、相手だって怯むこともあれば恐がることもあるのだ。この日の長谷部誠が、長友佑都が、大久保嘉人が、そして闘莉王が、身を挺してそれを証明してくれたように思う。
こんな状態のコートジボワールであってさえ、その“戦う気持ち”なくして今の日本は勝つことはできなかっただろう。彼らの奮闘がなければ、きっと僕はこの試合最後まで、TVの前に居続けることはできなかったと思う。
プレッシャーのない相手であれば、どんな看板を背負った“強豪”であったとしてもなんだってできる。この日の前半がまさにそんな展開だったと僕は思う。そしてこの恵まれた環境であってさえ、後半あれだけ疲弊させてしまうのだから、前線を個のプレスで踏ん張らせるこのスタイルが、アウェーのオマーンやタイでどこまでやれるのか…そして噛み合うのか…には、みな不安も感じていることだろう。
そんな中、長友佑都のパフォーマンスはひとつの光明であったと思う。そして楢崎正剛も昨今の好調をしっかりゲームの中で証明してくれた。厳しいスケジュールの中、海外組も非常に高い意識で試合に臨んでくれたと思う。6月の長距離移動と連戦に向けて、コンディション管理とピーキングだけはぬかりなく整えていって欲しいと願っている。
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posted by 桐谷 |11:29 |
岡田JAPAN |
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2008年05月22日
審判問題についてずっと書こうと思ってきた。
いかにしてそのレフェリングスキルを向上させてゆけば良いのか…そしてその為には何が必要なのか…と。
僕は審判の資格は持っていないし、サッカーのルール自体実戦で学び会得した以外にルールブックなどを読んで学習した訳ではない。要するに、それで困らないぐらいにシンプルな規則性も、サッカーというスポーツのひとつの素晴らしさだと思うし、またそれだからこその“難しさ”というものも裁く側にはあるのだろうと思う。少なくとも…
『どうでしょう…触ったように見えますがねぇ…ハンドじゃないですかねぇ』
とか
『ファール!今ユニフォーム引っ張りましたよ。明らかにファールだ。絶対ファールだ。日本のPKだっ!』
なんて視座で裁くことなど審判にはできない。どんな時でも曖昧な情報から瞬時に白黒つけなければならないし、また自らの願望やその場の空気によってジャッジを下すこともあってはならないのである。
テクノロジー全盛のこの世の中にあって、現状の彼らはあえてその使用を、合理的効率的な活用を許されず、“誤る”こと…をある意味前提として、それを強要されている…とも言える。“誤審”を非とする主義主張を僕らが断固貫くのであれば、やはりルール改正とテクノロジーの活用にまで話を突き詰めなければ論理矛盾である…とさえ僕は思う。
確かに常日頃見るセリエAやプレミアリーグのレフェリーたちより、日本の、Jリーグの、彼らの力量や威厳、その裁く規準への物足りなさ、違和感…は否めないが、現状それが紛れも無い“現実”である事を認め、そこから論理的に積み上げていかなければ、この問題は改善されてゆくものではないと僕は思う。
そしてその為には、いったい現実的にどんな手立てがあって、何が有効なのか…を深く議論し、ひとつひとつ実行に結び付けてゆくことが不可欠なのだろう。
その点で、JFA・Jリーグの取り組みは非常に緩慢で、また“甘い”と僕は思う。
海外で実戦的な研修を積むこともカンタンではないだろうし、レフェリングスキル自体は一朝一夕で向上するものではないはずだ。
が、そのゲーム中の夥しいミスと失態を良い題材・教訓として、そこからひとつひとつ学んでゆくことは可能なはずだ。そしてその為には、誤魔化し無くそれを公衆の前に認め、そのプレッシャーの中で“誤審”や“失態”について反省する機会を、Jリーグも当たり前のように審判に与えていかなければならないと思う。その為にはゲーム後の記者会見を義務付けたり、またあってはならない過怠による誤審に対しては容赦なく罰則を科す。またそれと同時に、優れた審判の待遇については、一流選手のそれと違わぬほど高めていってやらなければならないと僕は思う。今のままではリスクとリターンが釣合っていない。均衡あるその体制が整えられて初めて、正当なプレッシャーとそれに打ち勝とうとする強い意志が育まれてゆくのではないだろうか?
少なくともJリーグやJFAが自らの立場に拘泥して、その“誤審”を加護したり、無かったことのように振舞ったりする事は、その“在るべき姿”、審判の能力向上への意志に逆行する姿勢であると僕は思う。“日本の審判のレベルは高い”などと強弁し、世論形成を図る前に、その当たり前の取り組みに誠実に注力し、現状を是正してゆくべきなのではないだろうか?
先日のJ1第13節ヴェルディVS清水戦でこんなことがあった。
明らかにオフサイドの位置にいたフッキに、レアンドロからのリターンパスが出てゴール。副審は旗をあげたが、主審はそのままゴールを認めた。清水の選手たちは一斉に主審に詰寄り、その身体を小突く者まであったが、判定は覆らなかった。アウェイながらも清水側のゴール裏は騒然となった。僕も明らかな誤審だと思った。
が、再生ビデオを見ると、フッキへパスしたのは清水の選手だったのだ。レアンドロのそれより一瞬早くボールに触れ、それがフッキの足元に転がったのである。
審判と同じように、選手も、そして僕ら自身も、ニンゲンである限り当たり前のように見誤る。
そんなニンゲンの現実や限界というものに対して、僕ら自身の自省も含めて、もっと寛容に“理解”し、そして共に高めあおうとするしなやかな“心の構え”というものが、サッカーに関わるすべてのニンゲンにとって必要なのではないだろうか。改めてそう思った。
結局、彼は一枚のイエローカードも出さずにその場を収めたが、その揺るがぬ信念と、“見えざる者”に対する理解…その“心の構え”が生んだとても美しいシーンであったと僕は思う。
彼にもこれまで少なくない“微妙”な判定があったことを僕も知っている。そしてこれからもきっとたくさんの誤審をおかしてもゆくのだろう…とも思う。けれどもそれを踏まえてなお、彼にはさらに大切な何か…を、それに気付くためのキッカケを、この試合の1シーンを通して教えてもらった気がするのだ。
佐藤隆治さんの今後の活躍とさらなる成長に僕は期待をしている。
柏木陽介や香川真司に日本の未来を託すように、僕は佐藤隆治さんのその成長の軌跡に、同じように日本の未来を託して、今後も応援し見守ってゆきたいと思っている。
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posted by 桐谷 |11:22 |
Jリーグ改革案 |
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2008年05月19日
「挑発に取られかねない行為は避けるべきだとガンバ側と話をした」
試合後、ガンバの選手がアウェー にもかかわらず、ピッチ内で円陣を組み、跳びはねたことについて触れた…という浦和レッズの藤口光紀社長のこのコメントには少しガッカリさせられた。
問題の発端となる“水風船”は、すでに試合前から投げ込まれていたと聞く。であれば、運営側の責任として、それは試合にまたがろうとも全力を挙げて排除すべきものであったと考えるし、それが現実的にできない体制であったとするならば、何よりもまず先に自らの統治責任能力の非を、この日スタジアムに訪れたすべての観客たちに詫びるべきではないだろうか?
このような話題になると、すぐガンバサポは…レッズサポは…という論争になりがちだが、ただ試合を楽しみに駆けつけた多くのガンバサポ、レッズサポになんら非があった訳ではなく、責めを負うべきはその“水風船”を投げつけたとされるほんの数人の不心得者と、それにより自制を失して行動した一部の人間のみである筈だ。
そして同様に、そんな状況に適切に対処できなかった浦和側の運営によって、さらに要らぬ多くの被害者を生んでしまった。これはどちらのサポが性質が悪い…などの感情論ではなく、運営責任とシステムの問題として冷静に捉えるべき事象である。
今回の事件の発端となった“水風船”が、ただちに一発レッドの処分が下されるべきか、或いはイエローカードの戒告に留めるべきかは議論の別れる所であると思うが、その騒動の顛末による“流れ”の出来事であったとしても、現実にスタジアムにおいて他者に傷を負わせたり、器物を損壊したりといった暴力行為があったとするならば、それは運営側の責任において、徹底的に事情聴取・情報収集に努めた上で、司直の手に委ねるべき事柄であると僕は思う。
これまでにもそのような事象は度々あった事と思うが、リーグ・運営・周囲の者たちの“甘すぎる”処置や対応が、望ましくないシグナルを送っている…という側面も否定できない。
リーグもリーグで、ただ漠然と制裁金を科して事を収めたつもり…になるばかりでなく、抜本的にこれらの問題に取り組む意志が本当にあるのならば、その1000万円とも言われる罰金を、違反者特定の為のスタジアム内の防犯カメラ設置に使わせれば良いし、またその違反者のスタジアム内への侵入を拒むべく、Jリーグ全クラブをあげての徹底排除に…、そのシステム作りに真剣に注力すべきなのだ。
そして浦和レッズ藤口光紀社長。
最後の最後に機動隊特殊車両や20台ものパトカーを呼びつけて事態の収拾を預けるぐらいであれば、あらかじめスタジアム内で自主的に騒動の芽を摘む、迅速に対応し得る体制とシステムを事前に構築しておくべきではないだろうか。カンタンではないことは重々承知するが、日本を代表するビッククラブ浦和レッズの社長としてまずすべきことは、ピッチ上の敵のパフォーマンスを指弾する前に、埼玉スタジアムに集まる6万人の観客に対する、安全で快適な観戦環境を確保することである筈だ。どんな事情があったにせよ、責任者としてそこに逃げ場などない。
浦和レッズだからこそ、このような事象に対して、他に先駆けて抜本的な対策と厳格な基準を打ち出し、それを実践して、他クラブの、そしてJリーグの良い手本となって欲しい。まったくおもしろい視点を提案できずに恐縮なのだが、
“スタジアムの安全と調和”
この部分だけは、ニッポンの、Jリーグのアイデンティティとして未来永劫絶対に失って欲しくはない…と僕は思う。観戦者のモラルを再度徹底的に啓発することと共に、厳重なルールに基づく妥協なきシステムの導入に踏み切るべき時期である…と僕は考える。
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posted by 桐谷 |11:28 |
Jリーグ改革案 |
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2008年05月16日
日本サッカー協会は15日に開いた理事会で、7月に改選を迎える役員の選出に関し、次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。
同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成。6月下旬に会合を開き、理事候補、会長、副会長、専務理事予定者の案を作成する。会長、副会長候補は7月12日現在で70歳未満が条件。現在71歳の川淵三郎会長は退任となる。
[ 時事通信 2008年5月15日 20:02 ]
数日前からそろそろこのような発表がなされるであろうと気になっていた。
一説によれば、川淵三郎氏に後継を打診された小倉純二副会長が固辞した…との一部見方もあり、具体的な候補者名はまだ聞こえてきていない。
『次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成…』
“就任時70歳以上”定年制や会長給の付与など、この“独裁”とも言われた『3期・6年の長期政権』の中で、彼はさまざまな“ヘンかく”をJFA内にも齎した。目に見える公益の部分で良い部分もたくさんあったのだろうが、閉ざされた見えない部分で権力者の私益につながる様々な“仕掛け”もまた驚くほど構築されてきたのかも知れない。
“権力”とは、いずれ違わずそんなものなのだろうと僕は思う。
この6年を振り返れば、ここへきてやや翳りも見られるというものの、サッカーというエンターテイメントとしての、広告会社主導の商業的価値の創出・向上には目覚しい進化があったと断言できるが、一方ではその行過ぎたコマーシャリズムの台頭によって、サッカーの純然たるスポーツとしての尊厳が踏みにじられるような選択やシーンも数々見せ付けられもしてきた。
そしてその“均衡”を欠いたここまでの、一連の流れ…について、僕たち日本のサッカーを愛するニンゲンたちが、ある種の畏れや危機感を理解・共有し、声を上げ立ち向かってゆかなければならない状況にまで至ってしまっているのではないか…と僕は切実に考えている。
以前、フローラン・ダバディ氏が、開かれたJFA会長選の実施…を提唱されていたと思うが、それが当たり前の常識としてJFA組織内や各サッカー協会員、そしてメディア、日本のサッカー界全体に認識される日の到来を、僕も待ちわびている。
4年に一度、WCに期限をそろえて、
1.自らの指針と目標
2.技術委員長&代表監督候補者
の少なくともこの2点をマニフェストとして公約した上で、しかるべき数の推薦人を擁して、自由に立候補・選挙活動できるデモクラシーの概念が、JFAにも用いられるべきである。投票者は今の日本サッカー協会後援会(会費13,000円/入会金 5,000円)を拡充・発展させてもいいだろうし、各協会登録員、少なくとも少年サッカーの指導者に至るまで、幅広く門戸を広げて実施される事が当然であると考える。
そのサッカーの民意によって選ばれた権威こそが、正当にこの国のサッカーの在り方を、未来を、模索し開拓してゆくのが自然な姿なのだと僕は思う。
また私企業ではないJFAは、財務諸表における各項目の詳細にいたるまで徹底してディスクローズしてゆく責任が在るものと僕は考える。あらゆる取引について公正な契約や手続きがなされているかどうか、経費の詳細が妥当なものかどうか…等について、常にその開かれた情報へのアクセスを整備しておかなければならない。会長職や理事などの個人資産や年次申告の開示なども、強制や義務でなくとも、やましい所がなければ可能なはずである。そこに確固たる“透明性”を確保・維持することこそが、組織そのものの活力と信任に繋がるものと僕は思うし、私益と公益の均衡を保つ唯一の有効な“仕掛け”なのだと考える。
6月下旬には実質的に“新会長”は決まるだろう。確かに多少見栄えは良くなるのかも知れないが、誰がなったとしても今の在り方では、サッカーの民意から乖離したままの組織運営がただ脈々と続いてゆくだけである。
庶民なる者がただ無責任に政治に対する文句を言い放ち、政権を担う政治家の側が意図的に“民意”を取り違えて己の集票システムに“利権”を垂れ流す…。
仮にこの現状認識が正しければ答えはカンタンだ。庶民なるものが投票権を行使して、悪徳な政治を駆逐すれば良いだけの話である。本当にそれができれば、する気があるのであれば、その過去は背負わなければならないが、未来だけは変えられるのだ。
しかし正当なデモクラシーが機能し得ない組織ではどうだろうか…淀んだ水はその核心から腐敗し、その組織に連なる世界全体に影響を及ぼすことだろう。
FIFAが提唱するフェアプレーの概念が、サッカー指導教本にこう書いてある。
1 ルールを正確に理解し、守る
2 ルールの精神、安全・公平・喜び
3 レフェリーに敬意を払う
4 相手に敬意を払う
JFAが“プレイヤー”だとすれば、“レフェリー”とはまさしく僕らでなくてはならない。
そしてここで言う“相手”を僕は広く『サッカー』と定義する。
が、フェアプレーがどうのこうの…という前に、ここにはその前提となるべき“ルール”というコンセンサスが無いのだ…。
それはどのような“精神”に基づき、どうやって“安全”で“公平”なものとし、互いに“喜び”を分かち合える環境を創造してゆくのか…。その為のルールが、サッカーとJFAと僕らの間にも必要なのではないだろうか…。
JFAとともに、僕たち一人ひとりのサッカーファンそのものに向かって僕は再度問いかけてみたいと思っている。この国のサッカーの未来に対する、僕たち一人一人が担うべきひとつの責任として…。
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posted by 桐谷 |11:22 |
JFAについて |
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2008年05月08日
ジェフ千葉、リーグ戦初勝利おめでとう!!!
明日から数日PCを開けずコメント対応ができない為、新しいエントリーではなく、ここでお祝いの言葉だけ書き残させていただきます。
冷たい雨に打たれながらスタジアムで声を枯らしたジェフサポの皆さん、TV越しにその熱気と気迫が伝わってきました。応援ご苦労様でした。そして日本全国のジェフファンの皆さん、本当におめでとう!
ゲームそれ自体に関してはもはや言及すべき事はない。
毎試合、毎試合、負けるべくして順当に負けている。どこ、ここ、がどうである…と、もはや言ってもしょうがない。悲しいがこれが現実であり、クゼ監督はこの現実に対してきっと打つ手が無かったのだろうし、そのモチベーションも既に失われていたように僕には見受けられた。
浦和のエンゲルス就任の際にも僕はその“2年契約”について疑問を呈したのだが、このクゼさんの、一説には3年×40万ドルという情報にも開いた口が塞がらなかった。これには1年5000万円という報道もあるが、欧州の報道ではやはり確かに3年×40万ドルとなっていた筈である。それが交渉の土台であったとしたならば、最終的にルワンダ代表監督の契約を破棄して日本へ来る…という彼の決断が、1年約40万ドルで片付いた…とは考え辛く、やはりそれ相応のコストが支払われていたのではないか…と僕は考えている。
いつも思うのだが、なぜ、どうして、まったく成功の保証も根拠も無い“新監督”に対して、日本のクラブは安易に長期の契約を提示してしまうのだろうか?開幕していきなり連敗して求心力を失ったら…クラブはそのようなリスクについて、ハナから“予測”し“考える”ことさえしていないのだろうか?
雇用される側…から見れば、当然長期契約を望むものなのだろうが、それらの可能性を考えてなお、リスクを厭わぬ初期投資…をしなければならない訳が僕にはさっぱり理解できない。
しかもこの数日のクゼ監督“辞任”or“解任”の内部リークとも思われる新聞報道、おそらくは違約金に関わるジェフフロントの駆け引き…とも取れるコトの成り行きは、非常に浅ましく不快なものに僕の目には映った。実際のところは定かではないが、シミッたれるのならこの期に及んで…ではなく、契約前に、事前にトコトン、シミったれもすれば、ガツガツと駆け引きもすべきである。クゼ氏にとっても、これは気持ちのよい終幕ではなかった筈だ。ピッチの内部であれば、僕は日本人にもっともっとズルくなって欲しいと願っているが、ピッチの外で恥知らずな振る舞いだけは決してして欲しくない…と思っている。
僕は欧州の契約事情に詳しい訳ではないが、もし仮に僕がGMであって、欧州からの指導者を招きたいと考えるのであれば、彼らのタイムスケジュールを考え、まずは1月から6月までの半年契約で充分だとさえ思っている。チームの進化や指導者自身の言動一致が見られなければ、6月までに解雇すればいいし、であれば、雇用される者もあちらの新シーズンに対する求職活動に都合が良いだろう。また日本に馴染めずホームシックに陥る欧州人も非常に多いと聞く。彼らにとってもそれはさほど不都合な契約形態ではないだろう…と考える。そしてそれを承諾し得る者の範囲内で、最良と思われる若い人材を探す。可能であればそんな人材を、チームコンセプトと突き合せて常に1~2人チーム内に留保しておく事が望ましい…とさえ思っている。
今回のこのクゼ招聘が前社長の裁量によるものか、或いは現強化部長のそれによるものなのかは僕には判らないが、もし欧州での報道にある3年契約か、或いはそれに相応の代価を要した契約内容であったとするならば、まったく“ありえない”最悪の決断であった…と僕は考える。
阿部勇樹を売り、水本裕貴も売り、羽生直剛も売り、山岸智、佐藤勇人も売った…それによって一説には優に10億を超える移籍金を、新たなチームへの投資資金を得た…にも関わらず、坂本將貴や馬場憂太などへの移籍金、そしてアマルやジョルジェビッチへ対する違約金等によって、すでにそのほとんど全ての蓄えを吐き出してしまっている…とも聞く。
多くのサポーターが、多くのサッカーファンが考え得る、そして予想し得る…その範囲を遥かに飛び越えた、史上最低のJクラブチームのフロントである…と僕は思う。
消えてなくならないのは、彼らフロントの手腕などではない。
このクラブの長く輝かしい伝統と地盤、そして裏切られても、負け続けてもなお、今こうしてスタジアムに足を運び続けてくれる温かいサポーター達が居るおかげ…である。
フロントも、そして厳しいようだが選手たち自身も…彼らジェフサポーターの優しさを、思いやりを、そしてそのチームに対する情熱、愛情を、決して片時も忘れないでいて欲しい。彼らの為に今何をすべきか…その出来ること全てに、命を懸けて取り組んで欲しい。きっと彼らのそれは、その思いは、勝ち負けの問題…ですら既に無いのだと僕は思う。それほどまでに彼らは、ジェフを深く理解し、そして一途に愛しているのだ…と僕は思う。
埼玉スタジアムの赤一色の歓喜の情景の中で、片隅の黄色い一団が、悔し涙に唇を噛み締めながら、それでも手を頭上に高く掲げ、無残に敗れ去った者たちを、拍手で迎えていたシーンを僕は忘れない。そこには厳しく冷徹な現実もあったが、またそれを正面から受け止め、それでも乗り越えてゆこうとする強いニンゲンたちの意志、揺るがぬ感情の、しなやかな美しさと、胸を打つ感動が在った。
結果、勝てなくてもいい…と僕は思う。
サッカーなんて、いつだってそんなものだ…と僕は諦観している。
けれども彼や彼女たちに対して、このままではいけない。絶対にイケナイ…と僕は思う。
彼や彼女たちを、喜ばせなければならない。敗れ去ったとしても、“納得”だけはしてもらわなければならない。未来に対する夢や希望だけは、絶対に繋いでもらわなければならない…。
断っておくが、僕はジェフサポーターではない。
にも関わらず、ここまで変わり果ててしまったジェフのサッカーを、それでも今もこうして見続けてきたのは、いつもフクアリで見る、彼や彼女たちのその姿に心打たれてきたからである。今やっと気付いた。僕はジェフサポではないが、ずっとジェフサポのサポであったのかも知れない…。
声を張り上げることもなく、いつもフクアリのSAのシートにデンと腰を下ろし、ピッチと彼や彼女らの姿をただ眺めてきた。そんな僕だからこそ、少し恥ずかしいが、ここでは大きな声を張り上げてこう叫びたい…。
頑張れ、ジェフサポ!
闘え、ジェフサポのみんな!
そして最後の最後まで、絶対に諦めんなっ!
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posted by 桐谷 |11:33 |
ジェフ千葉 |
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2008年05月06日
僕は悔しかった。
それはフッキの強引さゆえの失敗が…ではなく、それに対する我々ニッポン人の評価が…である。
“なんでパスを出さないの?”
“どうして一人でやろうとするの?”
“確率の低いシュートを、なんで、どうして、打ってしまうの?”
僕が彼であれば、そんな批判にいちいちにこう答えるだろう。
“やってみたかったから”
そうして、
“きっとやれる…と思ったから!”
自分の限界はどこにあるのだろうか?
それが判れば、きっと判断はたやすいし、今より賢いプレーができるだろう。
けれどもその限界を認め、限定された可能性の中に、彼が自分のプレーを探し始めたとしたらどうだろうか…?きっと僕はこの21歳の若者にこんなにもトキメクことはもはやないだろう。
若き日のエジムンドも、ロマーリオもアドリアーノも、常に限界のその先の…プレーを捜し求めていたストライカー達であった。そして今それを、僕たちはニッポンで、Jリーグで、見ているのである。結果、彼がどれほどの到達点に辿り着くのかは僕には判らない…。中東の果てでただ金の為にそのポテンシャルを燻らせたまま終わるのかも知れないし、もしかしたら欧州に渡り、メッシやテベスのようなタレントたちとバロンドールを争う選手にまで上り詰めるのかも知れない…。それはまったく判らない。が、その2つの可能性の均衡の中で、21歳の若さにして、このニッポンでそのプレーを披露してくれた選手は、このフッキが初めてである…と、僕はそれだけは断言できる。彼に訪れる未来が、そのどちらであったとしても、僕はまったく驚かない。
そしてその未来が、より実りあるモノになるように、
『パスじゃない。一人で行け。シュートまで行ける。できるっ。やれるよっ!』
そうTVの前で一人呟きながら、今彼のプレーを見ている。
ジョージ・ベスト、マラドーナ、エリック・カントナ、そしてエトオ、ルーニー…。飛びぬけた次元を有するタレントたちが、いつも少々クレイジーであることは世界の常識からすれば“当たり前”のことなのかも知れない。そして僕は、なぜかそんな彼らの物語が“嫌い”ではないのだ。アルシンド、ストイチコフ、ストイコビッチ、エムボマ、ウェズレイ、エメルソン…Jリーグにおいても、こうして光り輝いたタレントたちは、僕らの“規準”からみれば、多少なりともクレイジーな気質…を持ち合わせていた筈である。
僕はそれも含めて、今このフッキのプレーを愉しんでいる。プレーにしろ、キャラクターにしろ、その突き抜けたスケールであり、クラスを味わっているのだ。
東京ヴェルディVS横浜マリノス。
前半42分頃のプレーである。
1点のリードを得た前半残り3分ほどの時間帯。バイタルの少し手前の、状況的に可能性の見えない局面から、フッキは強引にゴールへ向かって左足を振りぬいた…。フッキであれば20回に1度は“入る”局面である。が、日本人であれば100回に1度しか“入らない”局面である。
その瞬間、スカパー解説の原博実さんであったと思うが、残念そうな声をあげた。そうだ。いつものあれ“なぜ、確率の低いシュートを打ってしまうのか…”というあの嘆きである。
100歩譲って、0-1のビハインドの局面、前半残り3分の局面でのその“嘆き”であれば、僕も甘んじて聞き流したい…と思う。けれども1点リードして、残り3分。ゲームは終始マリノスのポゼッションに押し込まれているし、展開が開けていた局面ではない。少々強引であろうとも
“シュートで終わる”
そのシチュエーションに、僕はあれ以上正しい選択など無かったと思っている。
そしてこれこそがニッポンの問題であり、大きな“壁”なのだな…と改めて思う。
ストライカーが育たない…という。
そしてニッポン人はシュートを打たない…という。だから敵にとって“怖く”無いのだ…と。
大きな森を仰いで、僕らはつねにそう嘆くが、一つ一つの木を見ながら、果たしてそんな“嘆き”に正しく向き合ってきたのだろうか…。日本を代表する元ストライカーのそんな言葉を聞いて、僕は小さくない焦燥と不安に苛まれたりもする…。
そして改めてフッキに、そしてニッポンのストライカーたちに、心の底からこう叫びたい。
やれる。きっとやれる。
パスじゃない、シュートまで行ける!…と。
そして、何度でも、失敗していいんだ…それがサッカーなんだ…と。
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posted by 桐谷 |06:19 |
Jリーグ |
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