2007年08月29日
結果論になるが、もし日本がこの厳しいGLを勝ち抜けるチャンスがあったとしたならば、やはり僕は二戦目のナイジェリア戦、1点先取された後の戦い方にチームとしての“成熟した判断力”が求められていたのだと思う。
3戦目のフランス戦においては、見事にその意思統一ができていたが為に、それが残念でならなかった。あそこでの冷静な選択、リアリズムに徹した意思の疎通が可能であったならば、日本はあと1試合…いや2試合の経験は積めたのかも知れないと、僕は思っている。
このGLの3つの対戦相手は、どれも実質的には日本の実力を上回るとても強いチームであったように僕は認識している。ハイチ戦などはその結果から、かなり甘く見られているようではあるが、U-20のコスタリカ同様、もう一度試合をすれば勝つ確率より負ける確率の方が高いチームではないかと思う。要するにそれだけハイレベルなGLで、日本は突破まで“あと一歩”のところまで迫っているのである。これに関しては高い評価が成されるべきものであると思う。
ただし同時に、僕はこの大会が単なる経験の場、思い出作りの場などではあってはならないとも思っている。プロを目指し、その枠組みのルートに組み込まれた瞬間に、すでに彼らは実世界に自分自身の人生を“選択”した成人なのだと思う。さらに彼らはその中から選ばれた俊英たちである。南米やアフリカ、欧州列強のプロへの生き残りを賭けた優れたタレント達同様、人生を賭けて勝負へ挑むという強烈な気概を醸成してゆくことが出来無ければ、スキルや身体能力ばかりでなく、その“メンタル”の部分での差は開くばかりである。ここにそれを見守る周囲の厳しさが絶対に必要であると思うし、その為の環境づくりは僕達一人ひとりの意識の変化から生まれてゆくものなのではないだろうか。
ここで詳細な説明はしないが、韓国には“四強制度”というシステムがある。彼らは非常に若い年代から“勝つこと”そしてそれによって“生き残る”ことをシステムによって宿命付けられている。
彼らと日本、世界と日本とのこの部分での大きな“差”は、単純化された精神論のみで語るべきものでは無く、システムとしてのこの国のサッカーの在り方から、いずれ大局的に問い直すべきものであると僕は考える。
僕はここで“スキル”か“リアリズム”か…の不毛な論争を繰り広げる気などは毛頭ないが、世界はその両立を高いレベルで成し遂げている。いくらスキルで世界に一歩追いついたと喜んでみても、現実の勝負を分ける巨大な断層は、別次元で深く大きく深行している…僕はまたそんな恐怖も感じている。
そして柿谷曜一朗くん。
日本では明らかに“特別な存在”の彼も、世界へ出れば数多ある才能の中のヒトカケラに過ぎない。それを如何に過酷な競争の中で磨き、一歩一歩成長を積み上げて世界の中で“特別”なものにしてゆくかは、彼自身の今後の取り組み方にかかっているのだと思う。
現時点で中田英寿のそれよりも輝いている彼が、数年後に中田英寿のそれを越えていられるかはどうかは、彼自身の大きな課題である。
これまでもたくさんの“特別な存在”とその挫折を見てきているからこそ、彼の順調な成長であり進化を強く願う。そして高い次元の技術の前に、基礎の部分もしっかりと再確認してみて欲しい。細かいミスが無くなれば、そして運動量の質と量を高めることが出来れば、さらに一歩自分自身の価値を高められるはずである。中田英寿はそうして世界への道を駆け上がって行った。彼がそれを越えるという事は、その中田英寿自身の努力を超えてゆく…という事なのだと思う。そこに近道などないのだろう。
上を見ることと同様、足元を見つめることを忘れずに、今後も厳しく自分自身を磨いていって欲しい。
選手達、そして城福浩監督には、ここで味わった後悔、くやしさ、屈辱といったもの全てを、腹いっぱいに溜め込んでまた次のステップへの糧として欲しい。敗れはしたが、彼らのその戦いぶりに僕はこの国のサッカーの未来と希望を見出すことが出来た。この国に今できること、彼らはそれをピッチの中で精一杯に表現してくれたと思う。この頑張りに応えるのは、この結果と内容に対するJFAや技術委員会の今後の対応であり、それを見守る僕らの正しい評価と成長…なのだと思う。僕の抱いているこの危機感…に対する彼らの認識と対応を、今後さらに注視してゆきたい。
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posted by 桐谷 |06:45 |
2007 U-17ワールドカップin韓国 |
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2007年08月26日
フランスの17歳の少年達は完全な大人だった。
前半開始早々から、見事なポジショニングとトライアングルの形成によるディフェンスとボールキープの技術を見せ付けてくれた。アフリカのタレントを欧州トップレベルの組織の中に組み込んだ完成されたチームであり、僕は開始10分でこの試合の厳しい結末を突きつけられた気分になった。
この相手に対して、日本は本当に良く戦った。
敵の圧倒的なポゼッションにも慌てずに、よくリトリートしてスペースを消していたし、リスクを軽減しながらの鋭いカウンターは、充分にフランスDFにプレッシャーを与え、攻守の均衡を保たせることに貢献していた。
日本にとってこの試合は、今回のGL3試合の中で、最も意図が明確で、成熟した戦略に基づいたベストゲームであったように思う。そして城福監督の采配についても、僕はその全てのロジックを受け止めることができたし、考え得る最高の判断であり選択であったと心から思う。
僕はこのチームの局面に垣間見せる“インテリジェンス”の部分を高く評価したい。そして90分のゲームであり、3試合のGLであり、一つの大会を通して、その“インテリジェンス”に基づいたチームとしてのさらに一歩進んだ判断力・決断力が不可欠である事もまた痛切に感じた。
技術ばかりでなく、フィジカルばかりでなく、精神力ばかりでなく、組織ばかりでなく、その成熟した知性からなる決断であり判断力を、これから経験を積むことによって、もっともっと磨いていって欲しいと強く願う。
そしてこのクラスの相手に勝ち負けの勝負を挑むのであれば、さらに“メリハリの利いた攻守”のスイッチと、疲弊して動けなくなった段階でのもう一段の“肉体的・精神的パワーとエネルギー”が必要である事をしっかりと胸に刻み、さらに今よりももっとタフな選手、そしてチームに、成長していって欲しいと願う。
GL突破の鍵は、結局得失点差の部分にかかってきそうな雲行きではあるが、幸運か不運かそのどちらに転ぶにせよ、その結果については明確なロジックを見出し、未来への糧として役立てて欲しい。
3試合目にして山田直輝、岡本知剛の中盤二人のタレントのポテンシャルが発揮されたことを非常に嬉しく思う。そしてできることならば、なんとしてでもこのチームにもう一試合のチャンスを与えてあげたい…。
僕の知る限り、これまでの日本のU-17の歴史の中で最高のクオリティを有するチームである。もしここで敗れ去ったとしても、僕の中のその評価は決して変わることはない。
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posted by 桐谷 |13:48 |
2007 U-17ワールドカップin韓国 |
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2007年08月25日
この試合を端的に言えば、最終予選唯一の勝ち点4が期待された試合において、勝ち点3しか得ることができなかった…ということだろう。
この試合における内容うんぬんで非常に厳しい意見が反町監督には向けられているが、僕はこの1試合の内容の前に、この一年の喪失の方に大きな失望を感じる。それは反町氏自身の問題ではなく、任命した川淵氏であり、ここまでそれを看過してきた技術委員会の問題なのだと考える。
試合結果・内容そのものに関しては、正直こんなものだろうと思う。
これは誰が監督であっても、この試合におけるFWの決定力があんなものであれば、そこに大きな差異はないだろう。
ただし、この一年間にしっかりと積み上げたチームとしての戦略があれば、前半あれほど低い位置から平山相太の頭を狙って不確実なロングボールを放り込むことはなかっただろうし、水野晃樹の個力に頼りきった攻撃に固執しなければならないこともなかった。梶山陽平や本田圭佑はもっとボールに絡み、攻撃に絡み、自由に躍動し、その役割の幅を広げていただろうし、李忠成も窮屈な思いをする事はなかった…僕はそう思っている。結果が変わらないとしても…だ。
この厳しい五輪最終予選を勝ち抜けるかどうか…?
その事自体と反町体制との評価は、キッチリと分けて考えるべき事柄であると僕は考える。
なぜならばもし通過できたとしても、その事自体と彼の指導者としての能力にはさほどの脈略は無いと推測するからだ。五輪に出場できるかできないかの前に、この1年チーム力の向上が見られない。またそのゲームの中から、彼の理念でありロジックをうかがい知る事ができない。僕の価値基準の中では、これは致命的な事柄である。
僕はこの年代の選手のポテンシャルが決してそれほど低いものだとは思っていない。逆にU-20世代のそれが、それほど高いものだとも思ってはいないのだが、ゲーム内容を見る限り、両者にこれほどの“差異”が生じることに、非常に大きな危機感を感じている。
次の試練の2連戦、選手達の頑張りに期待したい。
そして積み上げたものが見当たらないならば、決断はいつでも可能なはずだ。
変化する事だけがリスクなのではない。ある状況においては、変化を恐れること自体が最大のリスクでもあるのだ。技術委員会にはこの事態を良く見極めたうえでの、迅速な決断を期待したい。
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posted by 桐谷 |08:43 |
2008 北京オリンピック代表 |
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2007年08月24日
この厳しい結果を導いた最大の原因…それは前半20分までの日本が素晴らしすぎたからであると僕は思っている。
はじめにガツンと彼らの怖さを見せ付けられていれば…、或いは圧倒的な能力差を、個対個の劣勢を身にしみて味わえてさえいれば、最初の失点に繋がる数的同数のピンチを招くことはなかったのかも知れない。もっと慎重に、勝ち点1を賭けた繊細な攻防が繰り広げられたのかもしれない…。ここに現実の厳しさとその皮肉を感じずにはいられない。
僕はこの試合、勝ち点1に執念を燃やすべき試合であると考えていた。そしてそこには、当然のリアリズムが求められてしかるべきものであると考えていた。例えU-17といえども…である。
そして絶対にあってはいけないこと…、それは例え勝ち点1を逃したとしても、先のハイチ戦における+2の得失点差のアドバンテージを失わないこと。すなわち何としてでも2点目を与えないこと…が大切だと。
ところが先取点を取られた後、DFラインを押し上げて日本は点を取りに勝負に出た。実際前線でのすばらしいインターセプトから、2度の決定的チャンスを作り、そしてそれを逸した。ナイジェリアに高いラインの裏を突かれて追加点を与えたのは、その直後の事であった。
僕はこの判断、そしてトライが間違いだったとは思わない。
が、そのリスクを、危険を、そしてそこでの喪失を、キチンと解釈したうえでのベンチの指示であったのかどうかは、今後の為にも大会後、技術委員会においてしっかりと議論されるべきポイントであると考える。
僕が城福監督の立場であれば、あそこはリアリズムに徹して、まず0-1の状況をキープして後半に入ることを何よりも優先させたと思う。もちろん引いて守れば守りきれる…などと言うつもりはないが、少なくとも次の失点を防ぐための最良の手段と思われる選択を選手に指示したように思う。
これはどちらが正解なのかは僕にもまったく判らない。ただし、U-17だから…というエクスキューズが認められてはならないように思う。結果的に後半あれだけバテてしまっては、ゴールを守りきることなどできなかったのかも知れない。が、このGLの行方を考えた場合、これは非常に大きな勝負の分かれ目…になるかも知れない選択であったような気がする。
噂には聞いていたが、R・イブラヒムの異次元のボールタッチには大きな衝撃を受けた。当然母国では“オコチャ2世”などと呼ばれているのだろうが、僕はむしろガーナの天才児、ランプティの再来を見た思いがした。
彼は世界の宝となり得る素材である。道を踏み外すことのないよう、着実に、成功への道を駆け上がって行って欲しい。
一戦目に続き、この高温多湿の環境下で選手たちはよく頑張ったと思う。結果的にも内容的にもそれは惨敗ではあったが、この試合においては、自分たちの力はしっかりと出し切れていた事を高く評価したい。
そして前半20分までの“人もボールも動く”世界に通じたサッカーが、人が動けなくなった瞬間に、脆くも崩壊し無力化させられてしまう恐ろしさを充分に知ってくれたのではないだろうか。
技術だけではない、フィジカルだけではない、組織だけではない、そして精神力だけではない、サッカーの難しさと奥深さをしっかりと経験して、また次のステップに繋げて欲しい。
そしてここでまた再度、城福浩には悩ましい判断が迫られる訳である。勝ち点1を得られれば決勝トーナメントへの進出はまず間違いないが、その戦い方をどう決断し、そしてまた選手たちにどう伝えるのか…。
僕はその結果…ではなく、彼の決断に注目してこのフランス戦を見守ってみたい。この状況において彼が導き出す答え…それが明確なものであるのか、或いは煮え切らないものであったのか…僭越ながら僕は、それを含めて、城福浩という人物の資質をこの試合を通してじっくりと見極めてみたいと思っている。
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posted by 桐谷 |08:59 |
2007 U-17ワールドカップin韓国 |
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2007年08月23日
両者の力を冷静に推し量った場合、前半より後半の内容の方が、よりその実力差を如実に現していたように僕は思う。
アジアとの戦いとは違い、このレベルの相手であれば“持たせてくれるかくれないか…”は、あちら側の都合であり、また持たせてくれたとしても、持てば持つほどゴールには近づけないものだ。カメルーンの動きの悪さも多少目に付いたが、前半はその構図をまざまざと見せ付けてくれたように思う。
結果的に、前からくるカメルーン…を引き出せた前半のセットプレーからのゴールはとても大きかった。でなければ、カメルーンを呼んだ意味などひとつもない試合内容に終わっていたかも知れない。
ここで彼らの強いプレッシャーを受け、それをシステムを変え、役割を変え、守るゾーンを変えながら、必死でしのぐ45分間があった事は、この試合の一番大きな価値であったように思う。
これはオシムジャパンがアジアで経験し得なかった貴重なシチュエーションである。そしてWCであれば、ほとんど全ての試合で避けて通れないシチュエーションである。
ここを耐え忍んだ彼らのまとまりと対応力は高く評価しなければならない。
引いて守るな…とは常套句のように使われる言葉だが、彼らを相手に引かずに前で守れるなら、日本が今この位置にいるはずはないのだ。
べったり引いてでも、ドン引きの不細工な様でも、そこで得点だけは許さないディフェンス…そしてそんな中でも、敵の喉元に突き立てる鋭い剣先をいつでもちらつかせられるカウンターの鋭さを、この国はもっともっと磨かなければならない。
引いて守る…というもう一つの方便を、正しい認識の下で手に入れられれば、日本のサッカーはもう一段成熟するだろう。それは決して間違った概念ではないし、むしろそれを避けようとする意識が為に、わざわざ困難な状況を自ら導いていることも少なくない…。これまでのそんな慣習から、日本の守備文化もそろそろ解き放たれる時期に来ているのではないだろうか。
後半の問題は、ボール奪取後の動き出しの不足、そしてそこからくるパスミスの多発によるものだろう。
下がれば下がるほど、次の動き出し、攻守の切り替えに、スピートと思い切りが求められるはずだ。その担い手たちの判断と動きの質には噛み合わない部分があったことも確かだろう。
そしてそれに加え、彼らはカメルーンの激しい当りを恐れていた。ボールコントロールと視野の確保にまったく余裕がなくなくっていた。またそれに対する対処についても、まるで無防備なままであった。このナイーブさは厳しい経験と指導の下で、どこかで必ず是正されなければならないものだ。
カメルーンは審判のクオリティをいち早く見抜き、あれだけのファールを駆使したあげく、危険な位置でのFK一本すら与えてはいない。このような試合ではほとんど意味の無い2枚のイエローをもらっただけで、数々の危機の種を、セーフティーなゾーンでキッチリと潰していた。しかもかなりラフな当りで、物理的のみならず、精神的な圧力を仕掛けることにも成功している。
肘や肩、膝などを構えて、自らの身体を守るブロックをすることすらしない日本人選手達に対して、これは彼らにとっての非常に大きなアドバンテージであったように思う。
そして深刻なのは、この映像を今後日本と戦うすべてのチームが見るだろう…という事である。いつまでも平和ボケした観念で、サッカーのピッチ上においてさえ非武装・無抵抗のような生ぬるい正義感に囚われていては、この差は永遠に埋まるものではない。そしてそれは今日言って明日上手にできるようなものでは決してない。長い年月をかけて、その“技術”と“判断力”を養わなければならないものなのだ。この点についても観る側の視点が及ぼす影響力は非常に大きいものであると僕は思っている。
大久保嘉人と山瀬功治の二人に対するオシムの評価が、僕は非常に気になっている。
一対一での可能性を見せながらも守備的貢献の薄かった大久保に対して、前線のプレスの指揮を取らんとばかりに守備に汗を流しながらも、そのアイディアとアジリティで崩しきるまではいかなかった山瀬。
この試合でどちらが優位に立ったにせよ、僕はこの二人に、あのポジションを最後まで競い合って欲しいと思っている。あの枠にはこのような個性が絶対に不可欠であると考えている。
そして遠藤保仁から中村憲剛への選手交代からも、非常に良い兆しを感じ取った。あの1枠は彼らに中村俊輔を加えた3人で競い合って欲しい。
これがオシムジャパン第二章のベースである事を僕は願っている。
であれば、あのACの痛手も決して無駄ではなかった。僕達自身のあの痛手も、きれいに消化してまた先へ進める気がするのだ。
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posted by 桐谷 |07:00 |
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2007年08月22日
プラティニが好きだった。
ジャン・ティガナの華麗なパスワークにも魅了されたし、エリック・カントナの完璧なボールコントロールとその異才っぷりに夢中になっていた時期もあった。ゲオルゲ・ハジのエレガントな球捌きにはWCが来るたびに大きな興奮を覚えたし、デポルティボ・ラコルーニャ時代のジャウミーニャのプレーは、今思い返してもサッカーの至高の輝きが凝縮されていたような気がする。
その昔、僕にとってサッカーの一番の感動とは、自分の想像力を越える技術とイマジネーションを、選ばれた一握りの傑出した才能に見せ付けられる瞬間にあったような気がする。ずっとそんなふうに僕はサッカーを見てきたのだろう。
そんな僕が、今一番好きな選手は誰か…と問われれば、ロナウジーニョでもなく、ピルロでもなく、クリスチャン・ロナウドでもなく、リベリーでもなく、坂本將貴である、と迷い無く答える。
僕は世界のあらゆるサッカーを見てきて、彼の“プレー”…ではなく、その気迫や精神にこそ、サッカーにおける最も尊く大切なもうひとつの“美”を見る思いがするのだ。そしてそんな彼を決して代表に呼び寄せることをしないオシムと、石にかじりついてでも、そのチャンスを決して諦める事無く、ピッチ上疲弊してボロボロになりながら、夢遊病者のように駆けずり回る坂本將貴の姿、その両者の無残なまでに美しいその構図に、僕は深い感動すら味わっている。
今更ながらあえて言うが、僕はACにおけるカタール戦後の阿部勇樹のプレーに本当に失望した。
あのたった一度の失敗で、FKを恐れ、ファールを恐れ、コンタクトプレーを恐れ、失敗を恐れて、DFとしての“引きずり倒してでも止める気迫”を忘れてしまった彼の消極性とその“気持ち”には、本当に歯がゆい思いをした…。
そして同時に、それでもオシムは阿部勇樹を決して見捨てないであろう…とも思っていた。なぜならば、阿部勇樹はそれ以外の“すべて”を合わせ持つ傑出したタレントだからである。
もし坂本將貴が、阿部勇樹の才能のうちのそのたったひとつの片鱗でも保持していれば、今現在彼は代表に届いていたのかも知れない。けれども、阿部勇樹が未だ持ち得ていない“たったひとつ”を除いて、やはり彼はその他の基準を持ち得ていないのかも知れない。共にプライベートではとても親しい間柄であるというこの二人を重ね合わせて、現実の厳しさと夢や信じる事のその力と素晴らしさを重ね合わせて、僕は今オシムのサッカーを見ている。
そしてだからこそ、阿部勇樹にも、坂本將貴にも、絶対に負けて欲しくはないのだ。
それぞれの勝利、そしてそれぞれのゴールは、きっと同じものではないだろう。けれどもそれが違うものだとして、きっと僕はその二つの勝利でありゴールというものを、同じ次元で感動し、そして讃え、同じ日本人、サッカーを愛する者としての“誇り”としたいのだと思う。そしてこれからもボロボロに疲弊してピッチを駆けずり回る坂本將貴の姿を、Jのピッチに見続けていたいのだと思う。
自分に負けない事…。
たとえ他人には負けたとして、自分にだけは絶対に負けない…ピッチ上の彼の姿を見て、僕はいつもそんな“強い気持ち”をこの胸にガツンっと感じる。もうすぐ30歳になる彼が、あと何年現役を続けられるのか僕には分からないが、そんな彼の、彼自身の為のゴールを、僕はその最後までしっかりと見届けたいと思う。
そしてオシムは、これからもきっと彼を選ぶ事はないのかもしれない…。
が、この夢遊病者の姿を、これからもずっと目を離さず見守り続けていてくれるような…そんな気がするのだ。
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posted by 桐谷 |06:27 |
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2007年08月20日
このハイチ戦が初戦で本当に良かったと思う。
もし彼らがナイジェリアやフランスに1敗した上で、或いは1敗1分の勝負がかりのシチュエーションでこの試合に臨んでいたならば、日本は粉砕されていたかもしれない…。それぐらい個の能力と、その将来性には圧倒的な差異を感じた。
もう一度試合をしたら勝てる相手ではないのかも知れない。が、それだけに大切なGL初戦、この相手に知略と試合運びの巧みさで勝利したこのU-17城福ジャパンの健闘は大いに讃えられるべき成果であると思う。
大会前、僕はこのGLの組み分けを見て、正直3戦全敗という悲惨な結果もその可能性のひとつとして想像したし、そのたった一度の結果によって、これまで城福浩と選手達が積み上げてきた内容が全否定される事を非常に恐れていた。
だからこそこのハイチ戦の勝利には、日本の未来に繋がる偉大な価値を見出している。彼こそ次の日本のサッカーを背負ってゆくべき、イビチャ・オシムの良き後継者であると僕は考えている。
この大会を終えたら、すぐさまオリンピック代表か、或いはJリーグにおいてFC東京のようなチームに活躍の場を得て欲しい。そこでの成功が、オシム後の日本代表に直接繋がってゆくことを僕は願っている。
ナイジェリア戦は必死で守りぬく90分になるのかも知れない。
その中でゴールへの筋道をいかに絞り込んで、少ない人数でカウンターを成立させるかに勝ち点1の行方がかかっているのだと思う。ハイチ戦で見られたようなパスミスのオンパレードと、踏ん張りの利かないガス欠が見られれば、最終ラインでの攻防は即座に“決壊”してしまうだろう。
高温多湿の苛酷な環境の中での、間をおかずのこの試練の一戦は選手達にとって、肉体的にも精神的にもとても厳しいものであるはずだ。が、この試合に彼らの未来がかかっている。城福浩と日本の未来がかかっている事を肝に命じて、是非ともこれまでで最高の試合を見せて欲しい。
FWの低パフォーマンスもあり、柿谷曜一朗にはさらに無理を強いることになるかも知れないが、このレベルでの戦いであれば、引き続き彼の個力という+αが不可欠である。そして河野広貴のドリブルも、今後の強豪相手の押し込まれる展開では必ず活きてくるはずである。ディフェンスについてはある程度の信頼性を見せてくれただけに、このハイチ戦の1点目に見られるような洗練された知略と、日本人らしいアジリティを活かした速い攻めで、次のナイジェリアとの戦い、なんとか勝ち点1を奪って欲しい。
決勝トーナメントにさえ進出できれば、後は何が起こってもおかしくない。それだけの可能性を有したチームであると僕は思っている。
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posted by 桐谷 |10:30 |
2007 U-17ワールドカップin韓国 |
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2007年08月19日
クラブワールドカップが2008年も日本で開催されることが、川淵三郎氏の口から語られたらしい。そして同時に開催国枠(現状では日本自動参加枠)も認められ、Jは確実に2008年出場枠が確保できた事になる。
これが続けばCWCのみばかりではなく、JにとってはACLそのものも権威と実効性を失う事になる。残念なのは、その首謀者が“ACL改革”を謳うJFA会長である事だ。
僕から見れば、このCWC改革はJリーグ改革の絶対に欠かせない主要素である。Jが世界に繋がれば、自ずと道は開かれるものと僕は考えている。今の状態は、アラビアンナイトのアリババの物語を、洞窟の内側に居て呪文を見出せずにただそこに立ち竦んでいる…という依然変わらぬ閉塞状況である。
この決定でJFA会長が見出している“世界”は、辺鄙な仮想領域における“世界”に他ならない。『ひらけ、ごま!』の呪文とそれに連なる“実世界”は、その方向性からは絶対に見出せないものであると僕は考えている。
“Jリーグへ”(全5編)の最後に、『移籍係数の廃止』と『登録枠22人』の2つの私案について語りたい。
まずJリーグ独自の、事実上あって無きが如き移籍係数の設定(上限設定)は廃止するべきである。
クラブとそこに在籍する選手は、各々の自由意志により移籍の判断とそれにまつわる違約金の契約を結ぶべきである。そこにJFAが介在する余地などない。
クラブも選手も、それぞれがそれぞれの厳しい競争環境の中で、それぞれの身の振り方とステップアップへの戦略を実践してゆくべきである。なぜならば、遅まきながらそれが、お互いの自主自立の足腰と世界のサッカーシーンにおける当たり前の“交渉術”“駆け引き”を身に付けてゆく端緒となる筈だからである。
クラブにしろ選手にしろ、いつまでもあいも変わらず欧州のサッカービジネスの食い物にされていてはいけない。お互いがこの点を学び、また国内におけるエージェント・代理人の養成とその充実にも務めてゆくべきではないだろうか。これはピッチ上のサッカー同様、欧州のサッカーシーンにおいては選手の成功に欠かせない車の両輪のようなものである。一サッカー選手としての資質や実力がどれだけのものであっても、これを伴わなくてはその大きな成功は現状では望めないだろう。
選手もクラブも賢くならなくてはならないのだ。そのためにも思考停止を助長する無意味な保護主義的システムは、そのあらゆるものを排除して、自立的な進化を促進させていかなければならない。
富めるチームが富、その富とネームバリューによって、有能な選手を次々にチームの所属に加え、常勝クラブとなっていくことは構わないが、そこで問題になるのが才能ある若手の大量契約による飼い殺しである。これだけは看過してはいけない。
厳しい競争を損なわずに、またその才能に対して進化するチャンス(出場機会)をより高める為に、僕は1クラブの保有選手枠は22名以下に制限するべきであると考える。出場停止選手やケガ人を除き、出場・ベンチ枠で常に18名の選手がゲームに参加する機会を得、そのビッグクラブの22名枠に収まらなかった選手は、間をおかず他チーム、他カテゴリーにその居場所を求める事ができる筈だ。当然サテライトやABC契約などの奇態な報酬規制も撤廃するべきである。
そして22名枠により、シーズン中幾度かベンチメンバーの確保もままならない状況が当然訪れるだろう。その時はユース選手の臨時昇降格を随時認めれば良いのだと思う。それによりさらに若い才能への出場機会、飛躍へのキッカケを与える事ができるのではないだろうか。またそれに伴い、既に前編でも触れているが、ACL出場チームへの試合数への配慮は今以上に手厚くなされるべきであることも付け加えておかなければならない。
細貝萌や赤星貴文、前田雅文やハーフナー・マイク、青木孝太らが1年目から主戦力としてピッチ上で活躍する機会を得ていたなら、今どれだけの選手となっていただろうか?中にはその1、2年の試練に耐え切れずにプレーの前に心を腐らせていったタレント達も少なくないだろう。
才能ある若手には、金銭的報酬のみならず、その可能性に対する対価もクラブは支払わなければならない。この保有選手枠の厳しい数的規制は、その足がかりとなる試みの一つになるだろう。
以上“Jリーグへ”の改革私案全5編、ここに完結いたします。
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posted by 桐谷 |05:46 |
Jリーグ改革案 |
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2007年08月18日
短い夏休みを利用して、今まであまり手をつけた事がなかったサッカー関連の書籍を一度に3冊読ませてもらった。
フィリップ・トルシエ著の『オシムジャパンよ! 日本サッカーへの提言』、2人のオーストリア人が著したものを木村元彦氏が監修した『オシムが語る』、そして小松成美著の『誇り』である。
およそ一年前に読んだ『オシムの言葉』以来、僕はこの手の本を自ら遠ざけてきた。それ以前に関しても、僕はサッカー本を読むぐらいならば、歴史検証のノンフィクションや犯罪ルポルタージュの類を読む時間にあててきた。
なぜならば、そちらの方が自分にとって遥かに有意義だからである。
ことサッカーに関する限り、このような書籍よりも、実際のゲームの方が遥かに雄弁である。トルシエの書籍を読まなくても、トルシエのサッカー哲学は実際のピッチに如実に反映されているし、オシムに関してもそれは同様なのだ。彼らの生い立ちから、育ってきた環境や主義主張、そして歴史的背景から、そのピッチ上の哲学への論理的解釈が助けられる側面は確かにあるのかも知れないが、やはりそこに僕の興味は無いのだ。
僕にとってそれは、ひとつの完成した“映画”に対する、撮影中のこぼれ話やいくつかのエピソードの類に過ぎない。その事を改めて思い知った。
そしてそれは書く者、寄り添う側の立場や論理によって、如何様にも編集され、強調され、また膨らませられる類のものである。それを怜悧に読み測る者から見れば、非常に手応えのない浅薄なヒロイズムに陥りやすいものなのだ。
特にこの国のサッカージャーナリズムの歴史は、その一面的・独善的なヒロイズムの大量生産の歴史であり、その“軽さ”が、僕をこの国のサッカージャーナリズムから遠ざけた主因である。
そしてその最たるものが小松成美著の『誇り』であった。
中田英寿というサッカー選手を僕は非常に尊敬すると共に、また残念にも思う。ピッチ上の彼の輝きを曇らせたものは何か?また正誤の解釈を彼自身の思うがままに委ね、サッカー選手としての価値を一瞬のうちに消費させてしまったものは誰だったのか?
このジャーナリストとしてまったく均衡を省みない視点と、文章の端々にその絶対正義への恐れのない立ち位置を見せ付けられる度に、僕は中田英寿を“消費”させてしまったモノ達への、小さな空しい憤りを感じた。
中田英寿を消費して、日本のサッカーはさらに先に進まなければならない。歯止め無く増長し、肥大化するコマーシャリズムと折り合いをつけ、賢く、そして飲み込まれぬよう付き合っていかなければならない。それはまた決して容易いことではないことを、中田英寿に続く選手達には肝に命じていて欲しいと願う。
『オシムが語る』を読み、その昔映画のシナリオの道を志した僕が、一番敬愛する創り手であったエミール・クストリッツァとオシムが旧知の仲だと知りたいへん驚いた。そしてまた同時に、表現手段はまったく異なるにも関わらず、この同じサラエボの文化圏に属する二人の見事なまでの価値観、哲学の一致に深く感銘も受けた。クストリッツァの『アンダーグラウンド』を見て欲しい。『アリゾナドリーム』を『ジプシーのとき』を、そして『パパは出張中』を見て欲しい。
厳しい現実に対する唯一の“救い”を、未来という“希望”に託して彼らが共に表現している事が実感できる筈だ。サッカーは芸術だ…などと言うつもりはさらさらないが、そこには一種の、或いは数種からなる哲学が内包されていることは間違いない。その哲学を読み解き、そこにあるロジックをすくいあげて解釈することこそが、僕にとってのサッカーの嗜みであるのかも知れない。
だとすればやはり、僕はゲームを見たい。
今よりももっと、サッカーそのものを見たい。
これら3冊の本に触れて、改めて僕はそう思った。
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posted by 桐谷 |06:51 |
メディア |
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2007年08月16日
Jリーグ再開から鹿島アントラーズの試合を立て続けに2試合見た。
キープ力がありドリブルで仕掛けられるタレント、しかもターンする技術とそこで踏ん張れる馬力をもったアタッカーとして、鹿島野沢拓也の現状をチェックしてみたいと考えたからだ。
ところがゲーム中、僕が目を奪われたのは野沢よりも遥かに、帰ってきた小笠原満男のプレーであった。
長短のパスの精度と視野の広さ。攻撃時ばかりか守備時においても的確に配置されたポジショニングと、FKを含めたミドルシュートの正確さ。そして何よりも目を引いたのが、体を当てる厳しいディフェンスと決して抜かせない…という逞しい意思。このレベルの厳しい守備意識を併せ持ったレジスタは、日本においてはこの小笠原満男の他には見当たらない。
鹿島の試合を見ていれば分かる。
引いて守ることも、前からプレスをかけていくことも、相手の出方やゲームの流れを見ながら、自在に選択し、また高い集中をもってそれを遂行できる。
そこに決して派手なスペクタルがあるわけではないが、サッカーのリアリズムと勝ちきる方法を、Jにおいて他のどのチームよりも知っている成熟したチームである。そしてそれを代表に移植しようとした時、小笠原満男をレジスタに据えてゲームメイクを任せるのが何よりの近道であると僕は考える。
カメルーン戦に向けてまたもオシムは12人の選手しか発表しなかった。
逆に言えば、オシムはまたも12人だけ選手を発表させられた…ともいえる。リーグ戦あと2試合を残して、選手のモチベーションやケガの有無、そしてそのパフォーマンスへの評価を度外視して、ひとまず興業の為に名前をくれと急かされる。強化と興業のこの異常な逆転現象には、どこかでキチンとした歯止めと節度が定められなければならない。
このオシムの直面する問題は、本来彼自身の問題ではなく、今後の未来に向けて僕達日本人こそが重く受け止め、対処していかなければならない問題である。
U22の新たな才能の召集は叶わなかったが、闘莉王や播戸竜二と共に戦う、ACとは一味違う“魂”の入ったゲームをこのカメルーン戦に期待したい。
そしてオシムには、小笠原満男と山瀬功治の召集を是非期待したい。そしてここ最近の小野伸二の奮闘にも今一度その目を向けてもらいたい。
オシムの代表監督就任から、Jリーグの様相は明らかに活力あるものに変化してきている。ここでの頑張りがダイレクトに代表キャップに直結するのだ…というメッセージを絶えずJに発信し続けて欲しい。目先の結果に囚われるよりも、今はそのメッセージこそが優先されるべきシチュエーションであるように思う。
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posted by 桐谷 |07:48 |
オシムJAPAN |
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2007年08月11日
Jリーグは質実ともにアジア1のトップリーグを目指すべきである。
そしてその為にも現行の3人の外国人枠(アジア外)に加え、無制限のアジア枠を設けるべきである。
クラブワールドカップがUEFAから祝福される形で確立され、自由化されたJクラブがそれぞれの経営努力でサッカーにおける国際競争力を身につけてゆく過程で、そのJリーグの質的貢献とアジアマーケットの開拓の為に“アジア人選手”の果たす役割は非常に大きいものと僕は考える。
先日のアジアカップを見ても、アジアにはJの個のクオリティを凌駕するタレントが少なくない事も実証されたし、彼らが加わる事でJリーグそのものの質的成長に結びつき、また日本代表にとっても良い効果をもたらすことだろう。(Jにマレクが居れば彼らはそれに対応することもできただろう)
そしてサイドプレーヤーとしてなら、タイやベトナムのサッカー途上国の選手の中にも将来Jにとって有望なタレントも少なからず見受けられた筈だ。ASEAN地域の昨今の目覚しい経済成長を踏まえたとき、先行投資の対象として彼らの商品価値は将来性の高いものであると僕は考えている。
例えば大宮アルディージャがタイのスター選手を2人加入させる。それによりタイのTV放映権による収入が見込めるかも知れない。マーチャンダイジングの、スポンサーシップの収入と、遠征による興行収入も期待できるかも知れない。これは現状では決して大きなビジネスとは成り得ないが、未来を見据えた経営戦略としては、その将来性は決して些末なものではない。それに習ってヴァンフォーレ甲府がベトナムのスター選手を何人か加入させる。アジアの中にそれぞれがそれぞれのマーケットを拡大してゆき、それをチームのアイデンティティとして確立してゆくことが可能ならば、Jリーグの発展とアジアへの貢献という両面から、素晴らしい相乗効果が期待できるのではないだろうか?
そしてこれはJFAのAFC内におけるロビー活動の上にも、大きな役割を果たすことになるだろう。Jで選手として戦った彼らが、いずれ国に戻り自国のサッカー協会を牽引してゆく。彼らは日本で学んだサッカーやその運営のノウハウを自国リーグの成長や発展に活かし、また日本とのコネクションも継続して持ち続けるだろう。それはJFAのFIFA、AFC内での政治力・発言力において、決して小さくはない後ろ盾となってゆくはずである。
現状追認の日本人的感覚は、このような改革を好まないのは充分に理解する。そしてどこかのチームが“イラン人ばかり”になってしまう…などのリアリティを欠いた極論に付き合う気も毛頭ない。ACLの外国人枠のハードルがある限り、Jクラブがそれほどたくさんのアジア人選手を加入させることは有り得ないはずだ。
日本人選手の活躍の場を保守する…という視点からは、僕は真に競争力ある日本人選手の誕生は期待できないものと考える。少なくとも彼らに打ち勝つ事ができなければ、世界へ通じるサッカーなど夢のまた夢だろう。日本代表も決してアジアの枠を飛び越えることはできない。
護るのではなく、競争させることこそが、僕は選手の成長を育む最良の手段であると思っている。そしてその競争のレベルが高ければ高いほど、選手は磨かれてゆくのだと考える。
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posted by 桐谷 |07:47 |
Jリーグ改革案 |
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2007年08月10日
言うまでもなく勝負の世界には“勝者と敗者”がある。
その全てか無か、オールオアナッシングの厳しい現実こそが、勝負の世界の鉄則であると僕は思っている。
以前、Jリーグ改革のはじめになぜ僕がクラブワールドカップに触れたかというと、その勝者に与えられる“夢”の部分がキチンと確立されるべきであると考えるからである。もしJ覇者が欧州CLに出場できるのであれば、そんなものははなから必要ないのだが、現状のJクラブにとってはこのクラブワールドカップこそが唯一の世界への扉である。これを失いドメスティックに完結するスポーツイベントのひとつとなってしまえば、世界のスポーツたるサッカーの一番有益な部分をJリーグは持ち得ない事となる。であれば日本プロ野球や大相撲と何も変わらない。そこに大きな進化や成長の活力が育まれる事はないだろう。
そしてクラブワールドカップという夢に向かってJクラブが動き出そうとするのであれば、そこにはさらに徹底した競争原理が持ち込まれねばならない。Jリーグのシステムが、いつまでも横並びの平等主義で、この殻を打ち破って世界へ挑もうとするチームの足かせになっていてはいけないのだ。
そこには必然的に“格差”の問題が生じるだろう。そしてこれを受け入れて前に進まない限り、Jクラブはアジアの壁さえ突破してゆくことは難しいのではないかと僕は思っている。
その象徴的な一例として、Jリーグはまず手始めにTV放映権の一括管理(1年50億円と言われている)・均等分配のシステムを廃止し、各チームの裁量に委ねるべきであると僕は考える。
そうすれば、浦和レッズはフジテレビと10億円の年間契約を結べるのかも知れない。当然視聴率のテコ入れを図りたいテレビ局は、人気選手のTV露出を高めてゆく方向に向かうだろうし、更なるソフト育成の為に欧州ビッグネームとの契約を積極的にバックアップする事もあるだろう。Jリーグと一般家庭のお茶の間の距離がこれにより格段に縮まり、その他のJクラブにもこれは良い影響をもたらすだろう。となれば、TBSも全試合ライブとはいかないだろうが、横浜マリノスとの年間契約に動くかも知れない。だとすればFC東京やガンバ大阪もそれに続く事も充分考えられるだろう。
そしてその逆に、これまで得てきたそのJからのTV放映権料を失うチームも当然あるだろう。しかし僕は、それこそ勝負の世界の在るべき姿であると考える。何も彼らの自助努力を収奪しろと言っているのではない。勝負の世界に生きるものは、自分自身の力でその生き残りをかけた道を切り拓いていかなければならない…ただそれだけの事なのである。
休日の午後にTV放映されるゴルフ中継の多くは、その放映権料がタダなのだと聞く。JクラブのTV放映権が各チームの自由な裁量に委ねられるのであれば、それこそ無限の経営戦略がそこに産まれるのだと僕は思う。放映権料の現金化を捨てて、マーチャンダイジングやスポンサーシップ収入に賭ける事も可能だろうし、ネットとの融合に踏み出す選択も当然考えられるだろう。
田舎の小さなクラブチームでも、自らのアイディアと自助努力により今より更に良い環境を紡ぎ出せるものが1つでもあるとすれば、それは未来にとって現状よりもずっとポジティブな環境を醸成してゆく端緒となるのではないだろうか?
競争と成長は一対のものである。
実社会のあらゆる場所で、その普遍の原理を踏み外した現実を僕は知らない。
そして上へ向かえば向かうほど、その競争は苛烈なものである。
また理念と現実が必ずしも一致しないこともまた世の常である。
そしてその時常に僕が思うのは、理念は待っていてくれるが現実は待っていてはくれない…という事である。
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posted by 桐谷 |07:38 |
Jリーグ改革案 |
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2007年08月08日
今回のゲームをもって一旦スポンサーサイドとの契約が満了するという話をどこかで聞きかじったが、であればこの大会はその是非を含めて再検討されるべきであると思う。
僕自身は『本気』ではないマンチェスターユナイテッドの余興を見るぐらいならば、『本気』のJFLを見たい…というタイプなのだが、参加選手の『本気度』はさておき、現状でも一定の観客動員が期待でき、また地上波のTV放映が可能であるならば、これはJリーグの人気向上イベントの一環として継続してゆくことにも少々の意味があるのではないかと考えている。
ただし今のままの枠組みでは『勝敗』に対する興味がまったく伴っていない。以前僕はこのブログで『日本代表VSJクラブチーム(ACL非出場の最上位)』の私案を提案したが、それができて尚且つチャリティー的要素が加わればファンにとってもさらに意義ある催しになるものと考えるが、現状日本代表とJリーグの提携広告代理店が異なる以上、その実現性には大きな障害があるのかも知れない。
僕は常々、代表利権で潤うJFAの側から、Jリーグへのサポートがもっと必要であるとの思いを抱いている。この代表人気やそこから得られる利益をJリーグの人気向上にもっともっと結びつけていって欲しいものと考える。そこにはキラーコンテンツとしての代表マッチ視聴率も当然含まれる。慈善試合とするのであれば興業としての旨味はないだろうが、代表マッチの視聴率が絡む事で、そこで代表と戦う権利を有したクラブの選手への認知度、その人気への広告効果はとても大きなものが期待できるように思う。
日本代表(JFA)の側からJリーグに対して、1年に一度ぐらいプレゼントがあって良いのではないだろうか?
また代表とのマッチメークが不可能だとしても、少なくとも『地元クラブVSオールスター』のような開催地にとってより意義ある枠組みを模索する事は可能だろう。であるならば『勝敗』にも幾ばくかの意味は生じてくる筈である。
オールスターという概念は、サッカーとは異質の『プロ野球文化』から派生した模倣に過ぎないことは間違いないし、僕個人の価値観の中でもその継続にさしたる必然性を感じるものではないが、厳しいスケジュールの中今後も強行してゆくというのであれば、そこに単なる場末の興業とは別の『何らかの意義』が生じて欲しいものと考える。
Jリーグには今こそ知恵を絞って良く考えて欲しい。
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posted by 桐谷 |08:04 |
Jリーグ改革案 |
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2007年08月06日
前半、常に数的優位を形成し、ボツワナの個人技による突破や仕掛けをうまく凌いでいた日本だったが、失点後の後半10分過ぎにはすでにガス欠を起こし、コンパクトな守備ゾーンを構築できなくなるとともに一対一での劣勢から、バイタルのスペースに照準を合わされ決定機を立て続けに許す展開となった。
残念なのは失点後も同じ展開のサッカーに終始し、それを打ち破ろうとする勝利への執念、リスクを厭わないゴールへ向かう積極的な仕掛けが、手に取るようには見受けられなかった点である。
前半からの攻撃に関しても、ダイレクトパスやワンツーのシンプルな展開から、2人3人のコンビネーションで中央をこじ開けるパターンはかなりの精度で成功を収めていたが、チームとしての押上げとサイドの崩しの展開には、この1年チームとしての成長がまったく実感できない。
個の総和…というものに対して、組織としての+αの積み上げが一向に見受けられない。技術委員会はこの事態に危機意識を感じていないのだろうか?この反町体制の1年間の評価をぜひ詳らかにして欲しいものである。
間近に控えた北京オリンピック最終予選、僕は拭いきれない危機感を感じている。取り戻すことのできないこの1年間、反町体制、そして技術委員会は余りに無策だったような気がしてならない。選ばれた選手達の奮闘に心から期待したい。
選手個々に目を向けると、相変わらず平山相太の安定感を増したポストプレーが光っていたし、また李忠成のポストプレーと細かな繋ぎの落ち着いた選択とその精度にも、成長の跡がはっきりと見て取れた。これはフランサの影響や石崎信弘監督の指導に負うところが大きいのだろう。得点力とシュート精度に難はあるが、岡崎慎司とともに今のフル代表の攻撃に活力をもたらすコマとして、これからの1年でさらにプレーの質と精度を磨いて欲しい。
またフル代表の人選において、上田康太にも大きなチャンスが巡ってくるタイミングかも知れない。このオリンピック最終予選での踏ん張りが、フル代表のセレクションに直結するものとの期待と覚悟を持って、なんとかこの厳しい戦いを勝ち残って欲しい。
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posted by 桐谷 |11:05 |
2008 北京オリンピック代表 |
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2007年08月04日
良く引き分けたと評価しなければならない試合であったように思う。
ディフェンスにしろオフェンスにしろ、その内容的な評価はとても難しい試合ではあるが“気持ち”で負けない試合を見せてくれた。この年代そしてU20世代の選手の精神的に引かない部分の強さは、ACにおけるフル代表の姿と比較すれば僕の目にはとても逞しいものに映った。
試合運びの中で少し注文をつけるとすれば、敵のプレスに窮した局面で無理に繋ぐ選択の繰り返しで、たびたびカウンターの危機を被るシチュエーションが頻発させていた部分である。特に前半30分あたりの度重なる被決定機の数々は、中盤危険なゾーンでの苦し紛れのパスを狙われてのものである。
フル代表同様、このような状況は前線の裏を狙ったランと連動する形で敵陣奥深くのスペースを使うことをコンセンサスとしてやり過ごして欲しい。“ボールを守るのではなく、ボールを預ける”事でリスクを避ける戦略的なコンセンサスを選手に植え付けてゆくことで、これからの厳しい戦いの中で楽になるケースは多いものと考える。
また攻撃に関しては“良い形”ができてきたとは言わないが、平山を経由したボールの流れには一定の“良い兆し”が見えてきたものと考える。
日本のサッカーにとって、平山相太のような選手の使い方は非常に難しいものである。彼の足元を使った組み立ては日本に多くのメリットをもたらすが、逆に安直に頭を使い出した途端に、日本サッカーのこれまで積み上げてきたものがいとも容易く瓦解させられるシーンをこれまで何度も見てきたように思う。
その点で僕はこの中国戦、どちらかといえばその良い兆しの方を感じ取った。同時にシャドーの二人には物足りなさも感じたが、平山が中央の芯になれるとすれば、ここの連携を磨くだけでどこが相手でもある程度の攻撃の形は作れるのではないだろうか。
判定については何も言うことは無い。が、CFAはこの笛が自国の若い選手達に与える“影響”をよく理解しているのだろうか?僕は得られるものよりも、失うものの方が遥かに大きい所業であったように思う。
彼らはグローバリゼーションに不可欠な最低限の“常識”というものを持ち得ていない。これはサッカーに限らず、この大国の大きなリスクとして今後も未来へ禍根を残してゆくことだろう。
中国の観客の反応を見て欲しい。
ボールが敵陣に蹴りこまれれば喜びその逆になれば押し黙る。そこに至る内容への審美など一切なく、ただボールが移動するその状況だけに反応していることが良く分かるはずだ。事後のプレーへの評価や賛美もそこにはない。あるのはただ“結果”のみである。
サッカーを見る眼が、その環境自体が変わってゆかない限り、この世界のスポーツ大国においてもその質的転換は、一向に促進されないまま未来に置き去りにされることだろう。眠れる獅子が惰眠をむさぼるこの間に、日本は何をし、どのように未来へアプローチしてゆくのか…?今後の数年が大きな勝負の分かれ目であるように僕は思っている。
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posted by 桐谷 |11:07 |
2008 北京オリンピック代表 |
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