2008年05月16日

川淵三郎会長の退任とこの国のミライ

日本サッカー協会は15日に開いた理事会で、7月に改選を迎える役員の選出に関し、次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 
 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成。6月下旬に会合を開き、理事候補、会長、副会長、専務理事予定者の案を作成する。会長、副会長候補は7月12日現在で70歳未満が条件。現在71歳の川淵三郎会長は退任となる。  

[ 時事通信 2008年5月15日 20:02 ] 



数日前からそろそろこのような発表がなされるであろうと気になっていた。
一説によれば、川淵三郎氏に後継を打診された小倉純二副会長が固辞した…との一部見方もあり、具体的な候補者名はまだ聞こえてきていない。

『次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成…』

“就任時70歳以上”定年制や会長給の付与など、この“独裁”とも言われた『3期・6年の長期政権』の中で、彼はさまざまな“ヘンかく”をJFA内にも齎した。目に見える公益の部分で良い部分もたくさんあったのだろうが、閉ざされた見えない部分で権力者の私益につながる様々な“仕掛け”もまた驚くほど構築されてきたのかも知れない。

“権力”とは、いずれ違わずそんなものなのだろうと僕は思う。

この6年を振り返れば、ここへきてやや翳りも見られるというものの、サッカーというエンターテイメントとしての、広告会社主導の商業的価値の創出・向上には目覚しい進化があったと断言できるが、一方ではその行過ぎたコマーシャリズムの台頭によって、サッカーの純然たるスポーツとしての尊厳が踏みにじられるような選択やシーンも数々見せ付けられもしてきた。

そしてその“均衡”を欠いたここまでの、一連の流れ…について、僕たち日本のサッカーを愛するニンゲンたちが、ある種の畏れや危機感を理解・共有し、声を上げ立ち向かってゆかなければならない状況にまで至ってしまっているのではないか…と僕は切実に考えている。

以前、フローラン・ダバディ氏が、開かれたJFA会長選の実施…を提唱されていたと思うが、それが当たり前の常識としてJFA組織内や各サッカー協会員、そしてメディア、日本のサッカー界全体に認識される日の到来を、僕も待ちわびている。

4年に一度、WCに期限をそろえて、

1.自らの指針と目標
2.技術委員長&代表監督候補者

の少なくともこの2点をマニフェストとして公約した上で、しかるべき数の推薦人を擁して、自由に立候補・選挙活動できるデモクラシーの概念が、JFAにも用いられるべきである。投票者は今の日本サッカー協会後援会(会費13,000円/入会金 5,000円)を拡充・発展させてもいいだろうし、各協会登録員、少なくとも少年サッカーの指導者に至るまで、幅広く門戸を広げて実施される事が当然であると考える。
そのサッカーの民意によって選ばれた権威こそが、正当にこの国のサッカーの在り方を、未来を、模索し開拓してゆくのが自然な姿なのだと僕は思う。

また私企業ではないJFAは、財務諸表における各項目の詳細にいたるまで徹底してディスクローズしてゆく責任が在るものと僕は考える。あらゆる取引について公正な契約や手続きがなされているかどうか、経費の詳細が妥当なものかどうか…等について、常にその開かれた情報へのアクセスを整備しておかなければならない。会長職や理事などの個人資産や年次申告の開示なども、強制や義務でなくとも、やましい所がなければ可能なはずである。そこに確固たる“透明性”を確保・維持することこそが、組織そのものの活力と信任に繋がるものと僕は思うし、私益と公益の均衡を保つ唯一の有効な“仕掛け”なのだと考える。

6月下旬には実質的に“新会長”は決まるだろう。確かに多少見栄えは良くなるのかも知れないが、誰がなったとしても今の在り方では、サッカーの民意から乖離したままの組織運営がただ脈々と続いてゆくだけである。

庶民なる者がただ無責任に政治に対する文句を言い放ち、政権を担う政治家の側が意図的に“民意”を取り違えて己の集票システムに“利権”を垂れ流す…。

仮にこの現状認識が正しければ答えはカンタンだ。庶民なるものが投票権を行使して、悪徳な政治を駆逐すれば良いだけの話である。本当にそれができれば、する気があるのであれば、その過去は背負わなければならないが、未来だけは変えられるのだ。

しかし正当なデモクラシーが機能し得ない組織ではどうだろうか…淀んだ水はその核心から腐敗し、その組織に連なる世界全体に影響を及ぼすことだろう。


FIFAが提唱するフェアプレーの概念が、サッカー指導教本にこう書いてある。

1 ルールを正確に理解し、守る
2 ルールの精神、安全・公平・喜び
3 レフェリーに敬意を払う
4 相手に敬意を払う

JFAが“プレイヤー”だとすれば、“レフェリー”とはまさしく僕らでなくてはならない。
そしてここで言う“相手”を僕は広く『サッカー』と定義する。
が、フェアプレーがどうのこうの…という前に、ここにはその前提となるべき“ルール”というコンセンサスが無いのだ…。

それはどのような“精神”に基づき、どうやって“安全”で“公平”なものとし、互いに“喜び”を分かち合える環境を創造してゆくのか…。その為のルールが、サッカーとJFAと僕らの間にも必要なのではないだろうか…。

JFAとともに、僕たち一人ひとりのサッカーファンそのものに向かって僕は再度問いかけてみたいと思っている。この国のサッカーの未来に対する、僕たち一人一人が担うべきひとつの責任として…。


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posted by 桐谷 |11:22 | JFAについて | コメント(17) | トラックバック(4)
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