2007年09月13日

【五輪最終予選】カタール戦 戦評

年をとると涙もろくなる…というのはどうやら本当のようだ。
 
シューズが脱げた長距離走者がそれでも懸命に走りぬいて笑顔でゴールした時、被爆したヒロシマを生き抜いた子供達のドラマを見た時、“その時歴史が動いた”を見ればエンディングの音楽に無条件に反応してしまう自分がいるし、夢を見ながらすやすやと寝息をたてている4歳半になる愛犬たちを見れば、後何年生きて一緒にいてくれるのか…と想像して、バカのひとつ覚えのようにいつも泣き笑いになってしまう。
 
サッカーを見ていれば良いときも悪いときもある。
悪いときには腹も立つものだし、良いときにはそれ一事だけでその周辺の日々が輝いて見えたりもする。そういう意味で、この二日間はサッカーによって幸福を与えられた2日間であったように思う。頑張ること、決して諦めないこと…その“強い気持ち”が直に伝わってきて、幸福な涙を搾り取られた2日間だった。 
 
 
戦術的なことも戦略的なことも関係なく、ただ“闘って”そして“勝ち取った”試合だったと思う。全ての選手が球際に執念を燃やし、負ける事無く気迫で体を当ててゆき、時に足を挫かれ時に後ろからの卑劣なタックルをもらいながらも、戦う気持ちと折れない心で立ち向かっていた。
 
柏木陽介の全てを出し切る強い意志と、森島康仁のゴールへ向かう本能と姿勢には、あらためて大きな将来性を感じた。さらに家長昭博のドリブルとキープ、内田篤人のスピードと運動量、そして水本裕貴の頑張りとキャプテンシー。大きな才能に恵まれた選手達が、1秒1秒、1プレー1プレーに魂を込めて立ち振る舞う様には、何度も胸を打たれたし、心から感動した。
 
チームとして今のままでいいとは決して思わない。
審判に助けられた試合であったことも否定できないだろう。
けれどもどんな状態であってもいい。まずここを自分達の力で切り抜けて欲しい。最後の一滴まで、全力を振り絞って、選手達にはこの最終予選を勝ち抜いて欲しいと思う。
 
誰かのせいで負けることを自分に許す選手など日本にはひとりも居なかった。自分の責任を果たす前に、自らの立場を取り繕おうとする態度や処世の術も彼らは用いることを知らない。
 
そこにあったのは、ただ全力で、勝つために妥協無く自分を追い込む姿であったように僕は思う。大人たちは、その姿から何かを感じ、そして何かを学ぶことが出来るだろうか?



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posted by 桐谷 |10:31 | 2008 北京オリンピック代表 | コメント(38) | トラックバック(0)
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