2007年07月31日
現実を受け入れずに思い描く夢や理想になんの価値があるのか?
現実という硬い岩盤の上に打ち立てる一本のまっすぐな杭、その気の遠くなるような労苦に立ち向かう強い意志と、そこに込められた高い理想や揺るがぬ夢にこそ、真の価値は宿るのではないだろうか。
このアジアカップにおいてオシムが図ったドラスティックな“ポゼッションサッカー”への転換は、僕にとってもいささか面食らうものであったことは事実である。この時期の東南アジアの厳しい気候や、日没前の試合環境などを考えればそれは至極当然の事でもあるのだが、この転換がこれほどまでに鮮やかにゲームにおいて成立してしまったこともまたもう一つの驚きであった。
1試合平均60%に近いボール支配率など、このアジアカップの長い歴史においてもおそらく初めての事なのではないだろうか?この環境でこのサッカーをする限り、アジアのどの国が相手であろうと日本はゲームを支配する事ができる。これはオシム就任から1年の現時点で得た、アジアに対する非常に大きなアドバンテージである。
一方でまた、そのポゼッションを充分に得点機会に結び付けられたかどうか…と言えばそこに大きな課題があったことも確かである。
アタッキングサードでの個の仕掛けが乏しく、サイドでの一対一の勝負を自ずから避けてボールを下げるシーンも多々見受けられた。そしてシュートレンジで細かく繋ぎ、前のめりになったところをインターセプトされ、度々自陣ゴール前に一気に押し寄せられる被カウンターの危機もうんざりするほど見受けられた。
僕の解釈で言えば、決勝トーナメントの日本は、0-0の状況において延々と1-0のボール回しをしている。
0-1の状況に対しては、見事に磐石な攻撃態勢に移行して得点できるのに、0-0の状況判断にゴールへの“渇き”であり“飢え”が大きく不足していた。そしてこれは何もこのオシムジャパンの問題ではない。これは根源的な日本の問題であると僕は思っている。
誤解して欲しくないのはこの決勝トーナメントの戦い方とグループリーグでの戦い方を観る側として混同して欲しくはない…という事である。それはまったく別物であり、GLの個々の試合におけるタスクには一つとして同じものは無かったのだ。それはノックアウトのトーナメントと同一の視点で論じるべきものではない。
きっと様々なメディアで様々な分析がなされているのだろうし、同じ事を何度も言っても仕方が無いので、あまり認識されていないだろう今回のオシムジャパンの問題を僕なりに一つだけ上げるとすれば、それは“攻撃時におけるオーバーラップのリスクが、それに相応のチャンス(リターン)を産出できていない…”という部分である。
これはオートマティズムの問題であり、リスクマネージメントの問題であり、またボール保持者と受け手の意識やコンセンサスの問題でもある。
後方からボールを追い越していく意識と、前の選手がそれを使う意識にまだ大きな隔たりがある。
今大会日本は7点もの失点を喫したが、もし中村俊輔が加地亮のオーバーラップにオートマティックに配給して危険な位置でのインターセプトを許さなければ、そして中村憲剛が無用な飛び出しで中盤に穴を空けなければ…取られずに済んだ失点はいくつもあったような気がする。
支払うリスクに対して、現状ではリターンが過小すぎるこれらの状況判断や選択は、チームとしてしっかり分析して明確なコンセンサスを形成してもらいたい。
前線で切り裂ける“個”や“得点力”の問題と比べれば、これは速やかに対応し得る課題である。前で支払うべきリスクを先に後ろで支払うようなプレー選択で自ずから損をする必要などまったく無い。ここを改善するだけで、このチームはさらに安定感を増した戦い方ができるだろう。
先日購入した雑誌で、JFA技術委員長の小野剛さんのインタビューを拝見した。要約するとそこで彼はこう言っている。
~このAC単に勝ち負けではなく、次に繋がる要素をちゃんと持ち得ているのかを判断する。結果だけなら私でなくても紙切れ一枚で誰にでも判断できる。その上でそこでの結果によりもし話が責任論に及ぶのであれば、オシムには残ってもらい自分が責任をとる覚悟がある~
一番大切な部分にピンとした筋が通った気がした。
僕らはエアコンの効いた部屋でビールを飲みながらTVの前に寝そべり、都合よく設定されたゴールデンタイムのサッカー中継を見る。35度を越すような暑さの中を駆けずり回る選手達を見る…。勝った負けたと一喜一憂する。
勝てば自分が何かを成し遂げた気分に酔って泣いたり叫んだりし、負ければ何か不当な災厄に出合ったかのような被害者顔をして『オシムのせいだ』『○○使えネ』と居丈高な物言いで、傷心し疲れ果てた選手やスタッフを慰みものにする。
サッカーにはあらゆる楽しみ方があっていいだろう。僕がそれを否定し得る立場には無い。ただ、こんなものがこの国の世論の中心にあってはいけない。そこだけは絶対に変わってゆかなければならない。観る者の視点とそこで繰り広げられるサッカーは決して無関係でなどいられない。僕らの視点から、この国の未来を創っていかなければならないのだと僕は思っている。
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posted by 桐谷 |15:03 |
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2007年07月29日
僕はこの試合の展望で“勝利への執念”が結果を分ける戦いになる…と言ったが、けれども現時点で日本が韓国の“それ”に及ばないことは充分に分かっていたつもりだ。
“勝利への執念”というものは細部・ディテールに宿るものである。
それは球際のせめぎあいであったり、勝負どころでのパススピードの強弱であったり、決定機の成否であったり、そこで投げ出した体や手足、足の先や指先での“奇跡”に宿るものなのかもしれない。そんなシーンをこれまでにも数々見てきたように思う。
そして最終的にはやはりこの部分で日本は、彼らに対等のものを見せ付けなければならない。それは内に秘めるのものではない。一歩も引かぬ意地であり、闘志であり、勝利への執念というものは文字通り“見せ付け”なくてはならないものだと僕は思っている。
試合前の彼らのげっそりとやつれた顔を見て、この大会のここまでの過酷さが手に取るように伝わってきた。体力と精神力の限界を超え、その上でさらに乾いた雑巾から一滴の水分を搾り取るようにして、彼らはこの試合に臨まなければならなかった。これがサッカーの、国際大会の現実である。精神的にも肉体的にも限界を超える負荷をかけられ、彼らは自らの選手生命をすり減らしながら戦っていたのだ。
前半の韓国のハードなプレスは想定内であり、その中で日本が満足なアタックを出来ずに攻めあぐね後ろでボールを回す展開も同じく想定内のことである。
この膠着した状態において、日本がサウジ戦での教訓を活かしてセーフティーなゾーンでの敵アタッカーへの“潰し”にやや改善の兆しを見せてくれた事は、この試合における一つの成果であったと考える。一試合を通してみれば、まだ阿部勇樹などのディフェンスに“甘さ”は見受けられるが、中澤佑二や鈴木啓太のそれは硬軟取り混ぜた確かな判断力に基づいた安定感のある守備である。全ての選手があの守備における判断力を学ばなければならない。
後半も運動量の差は埋まらず、また不安定なレフェリングにも苛まれて拮抗した展開が続いたが、前半11分のカン・ミンスの退場でまたしても日本はある構図の中に否応なく落とし込まれてしまう。ゴール前を固めた敵から得点しなければならない…という構図である。
これはサッカーの現実の中でとても巨大な壁である。
そして日本のサッカーファンが、韓国を相手にそのハードルを難なく乗り越えられるものだと信じているとしたらそれは現状に対する大きな誤解である。
日本が韓国に引き分けて責めを負うようになったのはいつからなのだろう?
いつから日本はそれほどの強国と認知され、尊敬を与えられてきたのだろうか?
トルシエジャパンはその時代の韓国代表より強かっただろうか?ジーコジャパンはどこかの本選でガチンコの韓国を質実ともに凌駕したことがあっただろうか?
僕は日本がガチンコの試合で質実共に韓国を上回ったゲームはこれまで2つしか見た事が無い。
一つは1997年のWC最終予選、韓国がすでに出場権を手にした後の彼らにとっての消化試合を2-0と勝利したゲームと、昨日の試合である。
結局120分得点できず勝つことは叶わなかったが、退場者が出る前の時間帯においてさえ決定機を数えれば日本のほうが韓国のそれを上回っていたし、11:10になってからの詳細を見れば、ゴールできなかった事こそが奇跡に思えるぐらいの内容であったと思う。
僕は改めて今の強固な日本代表のポゼッションサッカーのベースを確認できたし、また敵にゴール前を固められるとどうしても攻めあぐねてしまうこのチーム(いやあらゆるチームがそうである筈だ)の弱点を再確認できた。その意味で、これほど価値のあるゲームはないとも思っている。
今日本はやっとこのアジアの盟主韓国と目線を同じくして、勝敗を決する実力にまで辿り着いたのだと僕は思う。そしてここでの試合の内容に、よりショックを受けているのは韓国の識者達の方なのではないだろうか。
日本は1年で、これだけ成長し、また強くなった。
もしそれが理解できなければ、これはオシムも会見で言っていたようだが、ジーコジャパンのAC、ヨルダン戦、バーレーン戦等の試合をもう一度ひっぱり出して観戦するか、或いはもうしばらくの間代表のサッカーなど見ないことをお勧めする。この現実の中の日本が受け入れられないのであれば、それは国籍を変えるか、バルサやミランのファンになって我慢していてもらうしかない。
弱者が強者に立ち向かってゆくその過程で、彼らの努力や頑張り成長の跡には目もくれず、ただ時々の結果に囚われて不平や不満を書き連ねることに一体どんな意味があるのだろうか?
この大会での彼らの頑張りと成長の証に僕は改めて最大級の敬意を表する。
今後もJのスケジュールはかなり立て込んでいるが、ひとまずは可能な限り体を休めて、次のステップアップの為に所属チームで個力を磨いて欲しい。
そしてこの悔しさを絶対に忘れないで欲しい。
この雪辱はしかるべき舞台で、必ず晴らしてもらわなければならないと僕は思っている。
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posted by 桐谷 |07:50 |
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2007年07月28日
サッカーにおいても人生においても、勝ったとき…ではなく、負けたときにどのような振る舞いをしてそこから再び立ち上がってゆくのか…の方が遥かに大切な事柄であると僕は思う。
僕はそこに人間の真の価値を見出すし、そこで踏ん張れる人間こそが“未来”を掴むのだと思っている。
今大会韓国の試合は2試合見たが、環境のせいもあってかしっかりと繋ぐサッカーはできていない。
ターゲットのチョ・ジェジンに楔を打つわけでもなく、そこを基点にして展開するわけでもなく、サイドを攻略する前に単純にロングボールを放り込むような攻撃が主体となっていた。
個の仕掛けが脅威となり得るタレントは日本でもおなじみの10番イ・チョンスと 7番チェ・ソングクぐらいのもので、それとてパク・チソンなどの突破力に比すれば1階級下のレベルのものである。
先発メンバーを大量に入れ替えてくる可能性も無くはないが、攻め手はシンプルながら、逆にそれを徹底してきた場合、日本のディフェンスは守りづらくなるだろうと僕は予想している。
彼らは動きにキレがなく、運動量についても彼ら本来のものではなかった。が、にも関わらず結果的に彼らがここまで勝ち進んできたのは、中東にも負けない激しい闘志と勝利への執念を失わなかったからである。
この試合僕は、日本代表に“勝利への執念”を見せて欲しい。
彼らに負けない“闘志”を見せて欲しい。
イラク対韓国戦においても、激しいコンタクトプレーの後に、敵を睨みつけ怒鳴り声を上げながら向かっていったのは、イラクではなく韓国の選手である。球際の強さで相手を圧倒し、コンタクトプレーを厭わずむしろ積極的に仕掛けていくことで、敵の焦りと恐怖を誘っていた。時間稼ぎでバタバタと倒れるイラクの選手達を怒鳴りつけて引き起こし、レフェリーに注意を促すことを忘れない。
日本が優れた“スキル”とそこから産み出される“優雅”な攻撃と純粋無垢な“頑張り”だけでここまで来た姿と、韓国のそれはとても対照的である。
日本のそれを“美しい”と感受する美意識を僕は否定するものではないが、僕にとって韓国のそれは、表層の美を越えた感動があったことは事実である。
僕はこのような姿勢こそが、挑戦者であるべき日本の姿でなくてはならないと思っているし、日本がそれを身につけた時に、名実共にアジアの盟主となり韓国という世界への巨大な壁を乗り越えてゆくのだと考える。
球際で負けない日本サッカー。みなぎる闘志で敵を圧倒する日本サッカー。そしてその勝利への執念で宿敵韓国を打ち破る姿を、この試合でぜひ見せて欲しいと心から願っている。
★明日7月29日(日曜日)は参院選投票日です★
本来投票の受付は当日午後8時までの規定がありますが、実際には3割近い投票所において最大4時間締め切り時間が繰り上げられる…との事ですのでご注意ください。
そして本日(土曜日)も夜8時まで最寄の市区町村役所などで期日前投票が可能です。(これは事前に送付済みの投票所入場券の持参がなくともOKです)
この国の、自分自身の、子供達の未来の為に、今ここで責任ある行動を取ること、そしてそれをおざなりではなしに、真剣に考えて自らの意思表示を行うこと…それこそが僕達の本当の義務であり権利です。
この国のサッカーの未来を考えるように、この国の未来についても責任を持って一緒に考えてゆきましょう。
この国の未来の為に、今、ともに行動しましょう。
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posted by 桐谷 |06:54 |
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2007年07月26日
サッカーには勝たなければ決して得られない褒美があるとともに、負けてしか味わうことのできない薬がある。
この悔しさもそのひとつだろうし、後悔…も後に活かされるのであれば、それは良薬のひとつである。
この大会での日本を評価するならば、対アジアの戦いを見据えて非常に良いベースが構築されつつあることは確認できた。実質的にも内容的にも、ポゼッションでこの日本に勝るチームなどアジアに一つもない。が、その反面、ポゼッションだけではアジアのトップチーム、とりわけこの大会のビッグ3と目されるサウジやオーストラリアには通用しなかった…という事実も浮き彫りになったのではないだろうか?
大会全体の総評はここではしないが、この試合に関する限り少なくとも2つの大きな問題点があったように思う。
その一つ。
シュートで終えることができない攻撃。
これはなぜか?
バイタルにおいてもファーストチョイスの認識がシュートなのかパスなのか曖昧だからである。そこに迷いや逡巡があるから、すぐさまシュートコースが消されてしまう。そしてあえて無用な、ハイリスクの細かな繋ぎに“逃げ”こんでしまっている。
サイドの一対一の局面での躊躇も、同様にこの試合の大きな障害であった。あそこで仕掛けなければこのクラスの相手の守備は絶対に崩せない。もっとも適切なペイリスクの局面で、それを躊躇い状況を悪くしてから、横や後ろにボールを下げる…点を取りに行かなければならない状況で、これを繰り返していてはただただ相手を利するのみである。
そして二つ目。
敵のドリブラーにセーフティーなゾーンでの前を向かせない“潰し”ができていなかった。
序盤の審判の笛やカードの使い方を見れば、これはすぐに対応できたはずの要素である。この敵の一番のストロングポイントに対して、それを封じるためのディフェンスに“厳しさ”がまったく足りていなかった。
これはこの国の国際大会での敗戦において、いつも突き当たる不可避の問題である。勝負に“厳しさ”がない。きれい過ぎるのである。
日本のアタッカーたち、高原直泰や中村俊輔、遠藤保仁がどこで潰されて、どれだけのファールを受けていたか、確認してもらえば明確だと思う。対してサウジの9番マレクは日本のDF陣にどれだけのファールを受けていただろうか?
FKの数とその位置、カードの枚数を確認して欲しい。彼らはあれだけの厳しい当たりで日本のアタッカー陣への潰しを繰り返しながら、結果的にはあれだけの代償しか支払っていないのだ。
この点は未だアジアにおいても、このクラスの相手に対峙すれば『大人と子供』の差がある。そしてこの甘さを美徳とし、寝た子を起こさぬかの如き若い世代への指導の在り方も、いずれ抜本的に議論されなければならない課題なのではないだろうか?
最初の失点の加地亮のマークの甘さも同じ問題である。彼はよりボールを見過ぎているのだ。対してサウジは、世界はどうだろうか?厳しいようだが、あそこで跳ね飛ばされていてはそれはディフェンスとは言えない。この問題の本質も『甘さを美徳』とする観念にどこかで帰結するものである。
そこでの選手達の一瞬の判断の遅れに、そこでの選手達の無意識の美醜の狭間での逡巡に、僕達それを観る者の意識は大きく関わっているのである。ここに対処せずに、ここから上へステップアップしてゆくのは、僕は至難の業であると考えている。
サウジは日本には無い“武器”を持っている。
それは狡猾で強かな勝利への執念とそのメンタリティーであり、9番マレクである。そしてそのどちらもが、僕らには今すぐに手に入れられるものではない。けれどもいずれは必ず持ち得なければならないものである。アジアを突きぬけ、世界に手をかける為に、無くてはならないものである。
この過酷な環境の中で戦ってくれた選手達には、心から感謝したい。すでに“希望の種”は萌芽したのだ。あとはこれを大切に育てて、枝葉をつけてゆけば良いのだ。
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posted by 桐谷 |07:00 |
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2007年07月24日
おそらくは日本が攻め、その間隙を9番マレクのドリブルを基点にサウジがカウンターを仕掛ける…といった展開になるのではないだろうかと考える。
どちらもポゼッションサッカーではあるが、現状の力を客観的に比較すればポゼッションにおいては『日本やや有利』と見え、また守備の組織力とその安定感においても日本のそれの方が上手であると感じる。
勝負がどちらに転ぶのかは分からないが、日本が押しサウジがそれを凌ぎながら少ないチャンスを狙う…そんな試合展開を予想するのが妥当なところなのではないかと考える。
サウジアラビアの9番マレクは今大会屈指のドリブラーである。
中東に前評判の高い選手は幾人も居たが、この環境の中で“脅威”となり得る個力を発揮していたのは僕の眼には彼ただ一人だった。
彼の動きを捕まえながら、どう磐石な攻撃態勢を構築するのか?前を向かれた時、どれだけ激しくそして的確なゾーンで潰しにかかるのか?その判断力が守備面での大きなポイントとなってくるだろう。
加地亮の足の状態が良くないと聞いているが、もし万全な状態でないとするならば、あくまで120分のゲームを想定してスタメンを入れ替える事も必要だろう。この試合に関しては選手交代がゲームの大きな分岐点になるような気がする。リードしながら後半を迎えるような状況にでもなれば尚更、裏への飛び出しで勝負を決めるアタッカーの投入が不可欠だろう。交代枠を無駄にしないためにもここでの負傷選手の起用は充分慎重にならざるを得ない。
サウジアラビアにはアル・イテハドやアル・ヒラル、アル・ナスル等アジアを代表する強豪クラブが在る。いずれもJリーグのチームではまず歯が立たないだろう…と思われるほどの実力チームである。
日本が国代表において質実共にアジアの盟主の座を目指すのであれば、クラブチームレベルでも今の状態のまま彼らの後塵を排してなどいられない。アジア1の最強リーグを作っていかなければならないのだ。日本代表をサポートする…ということは、Jリーグを育てる…という事と一対のものである。
AC後のJリーグも、ぜひこの代表と同じだけの熱意と関心を持って支えていただける事を強く願いたい。
オシムとのアジアカップはもう二度と訪れないでしょう。
あと2試合で、それは終わる訳です。
このサッカーを一緒に楽しみましょう。
このサッカーに相応しい成果を得られる事を一緒に祈りましょう。
そしてできることならば、この大会での出来事を深くそれぞれの胸に刻み、大切な記憶として、日本サッカーの未来の為に役立てていきましょう。
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posted by 桐谷 |08:23 |
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2007年07月23日
結果論でしかないのだが11対11のまま試合が推移していれば、僕は試合は動いていたのではないかと思う。
この日のオーストラリアが見せた堅守は、10人になって守備が堅くなる…という典型的な一例であった。
試合は前半35分、オーストラリアの足が止まった瞬間に実質的には片がついたものと僕は捉えていた。体力的に日本より不安があった彼らが、なぜ前半開始早々から前へ出てきたのか…それは、後半勝負に自信がなかったからなのだろう。それほどにまで、あのハノイの高温と多湿は、彼らの戦略に大きな影響を与えた。そしてこれは日本のポゼッションへの恐怖、“走らされる”ことへの恐怖とも無関係ではなかっただろう。
結果的に見れば、日本が勝つためには、ここから前半終了までの10分~15分程のリスクの支払い方に、少し思い切りが足りなかった…と僕は思っている。第一の勝負どころ、そしてこの試合における一番大きな勝負どころは、結果的にはここにあったのではないかと。
後半、そして延長戦に入ってからの攻めの姿勢については、リスクを支払うことによって、それに足るリターンを得ることはできないシチュエーションであったと僕は考える。実際、後ろを空けてあと1人、2人、前へ出て攻撃参加する事は可能だっただろうが、サイドを抜いても中が数的に不利である事は変わらない状況である。
それでも2つか3つのチャンスは余分に作れたのだろうが、カーヒル、カール、そしてキューウェルのドリブルに振られて、それと同じだけの危機もまた覚悟せねばならなかっただろう。
であれば、せっかくの数的優位も活かせないし、賢いリスクの支払い方であったとは僕は思わない。
そしてそれをせずとも、日本は充分にボールを回していたし、また攻めていた。選手交代が常に“正”の効果だけを与えるものとは限らない現実を考えれば、あのシチュエーションでオシムが動けないのも良く理解できる。
日本は磐石の態勢で攻めていたのだから。
この試合における中澤佑二、阿部勇樹、そして鈴木啓太の決して球際で負けない闘志とその優れた判断力は、何よりもオーストラリアの選手達に大きな衝撃を与えたのではないだろうか?
攻撃は中である程度抑えられた…しかし日本相手にどうやって点を奪う?
このアジアにおける手厳しい経験を経て、彼らの本当の戦いは、ここから始まる。日本戦に限って言えば、他のGLの試合とは別次元のがんばりを彼らは見せた。そしてほぼ成す術なく敗れた…。この痛手を今後ポジティブなものに変換し得るかどうか、彼らの真価が試されるだろう。
この試合の後半終了間際、そして延長戦に入ってからのハリー・キューウェルのプレー選択を、日本の選手達にはしっかりと学んで欲しい。
彼は数的不利な状況で決してドリブルでつっかけず、DF2人を引き連れながら慎重にボールをサイドの深いところに運んで時間を消費していたはずだ。
僕はあれこそが一流の、成熟した判断力であり、リスクマネージメントの在り方であると考える。
1点リードした状況であの選択ができる選手は日本にも少なくないだろうが、同点のあの状況の中で、あそこまで疑いなくあのプレーを選択し得るFWが日本に居るかどうか…。世界で戦う上では、あれがスタンダードであり鉄則であると僕は考えている。
次はGLから1チームだけ、いや日本を入れれば2チームだけ、次元の違う内容を見せていたサウジアラビアとの一戦になる。
オーストラリア戦を事実上の決勝戦とする向きもあったが、僕はGLの内容を見る限りこのサウジアラビアの方がずっと手強いのではないかと思っていた。
このACを通して、スペクタクルという観点で見れば一番充実した美しい試合が見られるのではないか…と僕は思っている。
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posted by 桐谷 |07:12 |
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2007年07月22日
“選手達をほめてあげてください”
そう言った彼の満ち足りた表情を見守りながら、真空になった頭で、僕はドイツにおけるあの8分間のダイジェストと、力なくピッチに崩れ落ちたあの日の選手達の姿を回想していた。
あの4年間、僕は心を冷凍状態に保ち、そこで見せられたこの国のサッカーを受容する事を拒み続けていた。そこで表現されたサッカーに、それを看過し続ける協会に、さらにはそれを賛美さえするメディアや一部の世論に、ただただ無力を感じ、諦観することを覚え、虚無主義に凝り固まっていた。
大舞台で脆くも敗れ去ったジーコジャパンの惨劇を、その渇いた心で見つめながら、
『ほら、やっぱりな…』
と口に出してしまうことだけを必死に堪えながら、ただ傍観者の様を決め込んでいたような気がする。
そして、今やっと気づいた。
一番辛かったのは、選手達だったのだ。
僕が失った4年と比べるべくもない、二度と取り戻せぬかけがえのない4年間を彼らは失ったのだ。そしてこれは、そこに関わった選手達だけではない。関わることさえ許されなかった多くの選手達にとっても同様だったのだ。
今ここでこうして勝つことはできたが、課題はたくさんある。
完成の域に達することなどほぼ有り得ないのかも知れない。
けれどもこの道の向かう先に、僕らは今手応えある“希望”を見出すことができたのではないだろうか?
少なくとも僕はそう感じている。
オシムは試合後の記者会見で『日本化の手応えは?』と記者に問われてこう言ったらしい。
『勝ちはしたが“日本化”するというところまでは、まだできていない。怒らないでほしいのだが、よく日本人のジャーナリストからそういう質問を受けるが、意図が分かりかねることがある。オシムが監督で勝った方がいいのか、それともオシムのせいで負けた方がいいのか。結論を急がないでほしい。まだ時間はある。私としては、結論をできるだけ先に引き延ばそうと思っている。つまり、皆さん(ジャーナリスト)と反対のことをしようとしているのだ』
過酷な環境と激しい戦いの中で、この芽吹きつつある“希望”とこの国の“誇り”を、必死で守ってくれた選手達に心から感謝したい。
そしてここからは、僕ら一人一人が主役なのではないだろうか?
僕はあの4年間の僕自身の無力と、諦観と、虚無を、ここからの3年間で償いたいと思っている。ドイツでの戦いにおいて、彼らが罵声を浴びながら、下手糞と罵られながら、それでも必死で守ろうとして戦い、今に繋いだ“そのもの”に報いるためにも、ここからできうる限りの事をやりきりたいと思う。
このサッカーを、オシムと彼に選ばれた選手たちの挑戦を、その最後の瞬間まで全力でサポートすること。それが今僕にできる“あの4年間”に対する、せめてもの罪滅ぼしであると思っている。
そして、
7月29日(日曜日)は参院選投票日です。
投票の受付は当日午後8時までの規定がありますが、実際には3割近い投票所において最大4時間締め切り時間を繰り上げることがあるそうですので、ご注意ください。
僕は投票所に足を運ぶことが国民の務めである…とは思いません。
この国の、自分自身の、子供達の未来の為に、今ここで責任ある行動を取ること、そしてそれをおざなりではなしに、真剣に考えて自らの意思表示を行うこと…それこそが僕達の本当の務めなのではないでしょうか。
この国のサッカーの未来を考えるように、この国の未来についても責任を持って一緒に考えてゆきましょう。
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posted by 桐谷 |12:33 |
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2007年07月21日
先のドイツWCグループリーグ3戦において、日本に勝つチャンスのある相手がいるとすれば、このオーストラリアだけであると僕は考えていた。
僕はドイツWC前、日本は『1分2敗』ぐらいが妥当な結果だろうとブログで予想し、『悲観的なことを言うな…』『日本をナメ過ぎではないか…』と批判的なコメントを受けたが、その1分を予想した相手がこのオーストラリアである。
では、なぜ敗れたのか…?
それはオシムも言っていたように、オーストラリアの方が強かったのだろう。
ディテールに拘れば、あの幸運な(?)先取点の獲得により、その後は完全にオーストラリアの論理で一方的に攻め立てられた…とも言えなくはない。要するにあの先取点こそが、日本にとっての不運であったのかも知れない…と。そしてそのために、必要以上に日本の脆弱さ、オーストラリアの力強さが際立ってしまった感は否めないが、それにしてもやはり日本は成す術がなかった。あの時点において、日本の実力がオーストラリアのそれに及ばなかったのは、誰の目にも明らかだっただろう。
今、オシムと共に歩む1年が過ぎ去り、結果はともかく、この相手にあんな無様な内容の試合とはならないだろうと確信している。
このアジアでの戦いにおいて、オーストラリアがあの時のオーストラリアでない事も確かだが、それ以上に、日本はあの時の日本ではない。
ポゼッションサッカーを志向しながら、このアジアにおいてそのポゼッションすら叶わずに散々苦しめられ、結果だけを拾っていたあの時代とは、質実共に1階級次元の違うものとなりつつある。
願わくばこれに結果が寄り添うことが望ましいが、サッカーの現実の中でいつもそううまくゆくとは限らない。それを忘れてはいけないと自戒を込めつつ、この試合を見守りたい。
そして何よりも変に勝ちを狙って自らのスタイルや持ち味をスポイルする事無く、ここではひとまず力の限り全力でぶつかってもらいたいと願っている。そうすれば、自ずと勝機はひらけるものであると考えるし、またこの大会の位置づけはそれが許されるものであると僕は考える。GLとはうって変わり、ここからは“死”を恐れるのではなく、“生”を実感しそれを慈しむゲームであって欲しいと心から願う。
叩くのではなく、ぶっ叩くような攻撃。
勝つのではなく、叩きのめすような試合。
そして決着をつけるのではなく、息の根を止めるような片のつけ方を望む。
それこそがオシムの、そして今の日本の戦い方なのではないだろうか?
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posted by 桐谷 |07:48 |
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2007年07月19日
もし僕がオーストラリア代表監督であればこう考えるだろう。
1.とにかく体力を温存して無失点に抑え、後半残り15分からの放り込みで勝負を決めたい。
2.日本のパスワークを封じるために、7番遠藤保仁、10番中村俊輔、そしてとりわけ14番中村憲剛をハードにマークしなければならない。
3.審判の質を見極めたうえで、彼ら中盤のキープレイヤーを潰しにいきたい。
彼らはこの東南アジアの気候への順化に、未だ問題を抱えているだろう事は想像に難くない。そしてスケジュール的にも移動を挟んでの試合となる彼らにとっては、如何にスタミナをセーブしながら終盤のパワープレーにまで勝負を持ち込むか…といった点が彼らにとってのこの試合最大の戦略的基盤となるように思う。
僕は無失点でこのオーストラリアの終盤のパワープレーを持ち堪え得るチームは、アジアにおいてそうはいないと思っている。しかも1点で済めば幸運なぐらいであり、2点、3点と奪われてもなんら不思議は無い。
そして今後数十年、彼らはこのアドバンテージを保ちながらアジアにおける戦いを優位に進めて行くことだろう。
では、それに対して日本はどう立ち向かうのか…?
僕は序盤から攻めるしかないと思っている。
なるべく相手を走らせながら、そして自らも走る…ということである。
お互いがガス欠状態になれば、フィジカル的要素において狭い局面で彼らに優位に立たれる…というリスクを充分に承知の上で、それでも序盤から先制点、追加点、そしてダメ押し点を狙って、激しいゲームに持ち込んでゆくところにこそ日本の勝機があるのではないか…と考える。
逆に彼らの目論見どおりに終盤までスコアレスで試合が流れてしまえば、そこからは彼らのロジックによるサッカーを強いられる事になる。粘り強いマークやセカンドボールへの執念で、これをどこまで堪えきることができるのかどうか?しかし結局、ゲームがここに至ればそれは単にダイスによるシンプルなギャンブルに過ぎないのだ。
例え敗れ去るとしても、日本が日本らしく戦うこと。
僕はそれが何よりも優先されるべき事柄なのではないかと考えている。
そして取り戻すべき“誇り”があるとすれば、尚更のことである。
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2007年07月18日
僕は大会前に記した『オシムジャパンのタイムスケジュール』本文中で、このアジアカップまでを、オシムによる『対アジア対応期』であると分析した。
『走るサッカー』から『走らせるサッカー』へ
中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛 の3人の優れたパサーを共存させたこのオシムのメソッドによるアジアへの対応は、現状では文句のつけようのない見事なプランニングであった事がほぼ証明されたのではないかと考える。
本来この大会は、WCから一年後に移行した事によって、今やこれまでのような代表体制の中間試験的役割を終え、純粋に次のWC予選に向けての新生なった代表チームの“試練の場”“経験の場”と捉えるべき大会ではないかと僕は考える。
そんな中、勝ちながら育てろ、育てながら勝てという、メディアや一部サポーターのいささかエゴイスティックな欲求に、協会の判断とは別に彼自身が自らの去就かけて戦わねばならなかったこの状況は、この国の近視眼的で未成熟なサッカー文化の弊害を如実に現した事象であったように思う。
結果は現実の“一断片”に過ぎない。
現在…ではなく、未来を見据えるのであればなおの事、それを妄信しすぎてはいけないのだ。僕はそう信じている。
このチームは強い。
僕はこの3試合を見て、トルシエ時代のそれよりも更に強い手ごたえを感じ始めている。
このGLにおいて、最もこのチームの凄みが現れたのは、僕は初戦のカタール戦だったように思う。この試合の位置づけは“勝たなくとも良いが負けることだけは絶対に許されない”というものであった。そして実際につまらないミスからの失点はあったものの、ほぼ完璧なリスクマネージメントにより試合を進め、この相手に流れの中でのシュートを許さなかった。
これは30年近く代表の試合を見てきた僕の中でも、ほぼ記憶に無い事態である。
そして三戦目ベトナム戦には、リードされた状態から落ち着き払った見事なボール回しで同点にし、さらに突き放す。その一連の流れにまるで無理が無いのだ。焦りも見られなければ、守備陣形の破綻も見られない。
ただ定められたオートマティズムに則って欲しいだけの点を取り、同じくオートマティックに相手を走らせている。
この一連の底を見せない攻撃力と磐石なゲーム支配の在り方には、非常に大きな可能性を感じる。
そしてまた同時にこの状況に酔ってはいけない…という自戒も必要だろう。
勝つにせよ負けるにせよ、やはりこの大会充分に苦しみ、様々な課題を見つけるための大会であって欲しい。本番はあくまでWC予選である。この大会はその為の大きな糧になって欲しいと切に願う。
そしてそれと共に、もし置き忘れてきた“誇り”というものがあるとすれば、それはここで取り戻さなければならないのだろう。
それは即ち“結果”ではなく“誇り”そのものである。
勝つ…ということではなく、叩きのめす…ということである。
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2007年07月17日
まずはじめに、挑戦者としてのベトナムの戦う姿勢に敬意を表したい。
僕がベトナムの監督であれば、少なくとも前半45分はゴール前をベタ引きで固め、カタールの試合経過を伺いながら様子を見ただろう。
彼らがそれをしなかったのは、“得失点差”に至る数学的確率の低さ…も当然あったのだろうが、それよりも何よりも自ら勝利を掴みにゆく…という勇気であり、俺達はやれるのだ…という強い自信の現れだったように思う。
攻撃を放棄しても0-0で引き分けを狙うのか、それとも0-5で敗れたとしても攻めて自分たちの力を出し切って華々しく散るのか…。
彼らはアジアの挑戦者として、強国日本への挑戦者として、後者を選んだ。
日本が世界へと赴くとき、僕達はブラジルに対して、フランスやイタリアという強国に対して、果たしてどちらを選択するのだろうか?
そしてその未来は、そのどちらへ微笑むのだろうか?
繰り返すが、ベトナムの勇気に心から敬意を表する。
日本が4年毎に、時の権力者の心持一つで志向するサッカーを180度転換しながら時を消費してきたうちに、アジアの小国ベトナムが彼らの誇り高い歴史に照らして、文化に照らして、国民性に照らして、それを体現する魅力ある“ベトナムサッカー”をここまで積み上げてきていた。
これは僕にとってひとつの大きな驚きであったし、アジアにおけるサッカー大国日本の大きな不覚であるとも言えるだろう。
このベトナムサッカーの未来を、今後陰ながら見守って行きたいと思う。
僕がもっとも恐れていたのは敵に“先取点”を与えること…ではなかった。
与えた後にリスクケアを放棄して前がかりになったところで、追加点を与え0-2となってしまう事であった。
その意味で、先制されてから追いつく…この日本にとって一番危険だった時間帯が、前半7分から前半12分までの“たった5分間”であった事は、とても幸運であったと言えるだろう。
その5分間に、そしてそこから31分の遠藤保仁のFKまでの計24分間の戦い方に、このチームの攻めにかかった時の強さと爆発力が垣間見えた。
失点は責められないだろう。
根掘り葉掘り引っ掻き回せば、そこにも何かしらの“根拠”は見当たるだろうが、サッカーに不運な事故はつきものである。UAE戦のこちらの3点目が、UAE側にとってはほぼ不可抗力の事故であったように、この失点に関しては個人的に分析をする気はない。
ただし、1-2と逆転してからの前半残り15分は、判断ミスのオンパレードであった。僕がチェックしただけで、みすみすこちらから危険な形でボールを渡し、被カウンターのキッカケを作った攻撃的プレーの選択が計5回あった。
このGLを考えたとき、数学的には勝つ以上の得失点差による利点などひとつもないこの状況で、何ゆえカウンターのリスクを背負って肝を冷やさなければならなかったのか?
1-1の状況と2-1の状況では、リスクの賭け方とその攻撃の仕方に明確な違いがなくてはならない。
中にボールを通して細かいパスで打開を図ったり、守備ブロックを壊して中村憲剛がボールの外を通りサイドを駆け上がる必要などない。
ベトナムが完全に足が止まった状況であれば、尚更ボールを動かして揺さぶり、攻めあがる人数を限定して、できるだけサイドの深いところで安全に仕掛けるべきシチュエーションであった。そしてそれができなければ、ただ回せば良かったのだ。
どれも選手の“手抜き”からではなく“頑張り”から発したミスであればこそ、この判断ミスが本当に残念なのだ。
UAE戦に比すれば、若干の進化は見受けられるし、今後も鈴木啓太、駒野友一のそれを手本に、安全に攻撃を繋ぐ、そして終わる状況判断を選手・サポーター共に高めていかなければならない。
体力的にも内容的にも、実質前半で終わったゲームであったように思う。
後半の一旦相手を完全に下げきってから、遅攻に移るチーム全体の意思統一、リスクマネージメントの在り方には、深く胸をなでおろしたし、安心して試合展開を見守ることができた。
そしてそんな中、日本の選手達の体力、精神力がホームのベトナム選手達のそれを完全に凌駕していた事を改めて高く評価したい。
試合後の記者会見。
しかめツラをしながら、時折その目じりの際からこぼれてくる彼の喜びと、深い安堵の感情が手に取るように垣間見えた…。
このサッカーを続けなければならない。
そしてこのサッカーが続いて行くのだ。
もう二度と、これを手放してはならないのだ。
日本に守るべきものなど何一つない。
あとは全力で、その力の最後の一滴まで振り絞って、戦うだけである。
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2007年07月14日
勝たなければならないUAEが、前半開始早々から自らのスタイルを捨てて日本の土俵で戦った。
結果だけみればUAEに3-1は立派なものだが、これが初戦であれば、或いはお互いにとってイーブンな状況であれば、この結果になりはしなかっただろう。初戦のカタールの立場とこの試合のUAEの立場の違いをよくわきまえた上で、この試合の評価、日本のパフォーマンスの評価は成されねばならない。
この試合、褒められるポイントがあるとすれば、2点目獲得時の美しいボールの流れと、駒野友一、加地亮の見事に機を捉えた流れるようなサイドアタックの展開である。
が、カタールとの初戦の内容とはうって変わり、それ以外に褒められる要素はあまり多くない試合であった。
0-0から1-0までの戦い。1-0から2-0までの前半27分までの戦いをかなり一方的な力量で敵を圧倒したにも関わらず、2-0からの試合展開はまったく褒められたものではない。
中村俊輔が敵の圧力を嫌い後方に下がっては、自陣を向いたままの危ういボールタッチを繰り返す。
3-0で前半残り2分の状況から、敵のチェイシングもない状況で阿部勇樹が縦に通し、そこからチマチマとした細かいパスでPAに持ち込み、奪われたボールで終了間際に無用な失点の危機を招く。
敵の退場により3-0+11対10になってからの試合運びに至っては、その状況をまったく把握せずに、シュートで終われるシチュエーションを細かく繋いでカウンターを食らい、ボールキープで間を繋げばよいシチュエーションでファンタジスタが無理な体勢からスルーパスを狙いカウンターを食らう…。
そしてピッチ内にそれを戒める者の姿はどこにもない。
これはアジアレベルで見てもあまりにも幼稚な状況判断であり、試合運びであると言わざるを得ない。
『日本は守備の文化』がない…と言ったのはトルシエだっただろうか?
僕に言わせれば、日本のサッカーには1-0の構えがない。
2-0のそれもないし、3-0になってもそれは変わらない。
スコアがどうで、時間経過がどうであるかに関わらず、後ろは後ろで漫然と守り、前は前で漫然と攻撃している。そしてそこに『リスクマネージメント』の調節とチームとしてのコンセンサスがないのだ。
日本は充分に強い。アジアレベルでこの攻撃力に勝るチームなどほとんど見当たらないだろう。
にも関わらず、この試合運びや状況判断の拙さは、遠く中東の二流チームにも及ばない。代表のカテゴリーを問わず、先制しながら終盤にバタバタと馬脚を現して敗れ去るのは、いつもこれが原因である。
この状況を少しずつでも変えてゆくために、僕達にも何かできることはあるのではないだろうか?
若年層のサッカーの指導者として、そこで学ぶプレーヤーの親として、Jリーグのサポーターとして、実際にこの国でサッカーをプレーする者の一人として、この国のサッカーの未来を見守ってゆく者の一人として…
『もう一点取りに行けっ』
の傍観者としてのお気楽な気構えと姿勢が、まさにこの『守備の文化』の成熟を妨げる一要素としてこの国のサッカーに深く暗い影を落としこんでいるのではないだろうか?
得点経過、時間経過、そして相手の出方を踏まえて、常にそれに対応する形でどうリスクを絞り込んだ上で次の得点を試みるのか…?
イタリアやイングランドのそれから、僕達自身がそのリスクマネージメントの在り方をしっかりと学べないものだろうか?
ここを踏まえなければ、世界への足踏みは今後も続くだろう。
何度でも言う。僕達の視線から、少しずつでもこの状況を変えてゆくことはできないだろうか?
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2007年07月12日
対UAE戦。
選手の疲労がどこまで回復するか、また幾分涼しくなるだろう試合当日の環境によって戦い方も変わってくるだろうが、現実的にはカタール戦同様『後半勝負』の展開が予想される。
それはUAEにしても同じことである。
ただ、引き分けが許されないUAEと、もう一度引き分けが許される日本。よりリスクを負って前へ出てこなければならないのはUAEの側であり、日本が如何にそこを突けるか…が勝負の分かれ目だろう。
日本が先にリスクを負い、前がかりになってUAE得意のカウンターにつけいる隙を与える事はないだろう。彼らが出てきた時、要するに雌雄を決しに勝負を仕掛けてきた時に、いかなる戦略を持ってそれを打ち破るか…そういう試合になるのではないかと予想している。
言うまでもなくその前に得点できれば申し分ないが、しかしそうなった時でも、初戦のカタールの場合と、後がない今の状態のUAEでは『捨て身』さ加減の度合いが違うだろう。1点リードしたとしても、その後のUAEの反撃は苛烈なものとなる事は想像に難くないし、ここではやはり2点目を奪う攻撃に初戦よりはリスクをかけて臨まなければならなくなるだろう。
前回『対カタール戦、オシム戦略を分析する』の項でも少し触れたが、
『攻撃がなっていない…』との評価は、押しなべて『失点』のリスクについて無関心なものが多い。
僕がカタール戦で一番評価しているのは、この相手に『攻めさせなかった』ことである。カウンターのチャンスをほとんど与えることなく、極限までリスクを限定した上で、一点を奪った…という内容についてである。
攻めろ攻めろとの気持ちは分からなくもないが、そこには試合環境、時間経過や得点経過、相手の状態やこちらの状態、その他様々な要素の中で、どこまでのリスクを限定して攻めるのか…の視点がなくては現実に対応し得る論理として意味を成さない。
攻撃と守備は一体のものなのだ。
あの攻撃だからあの守備ができたのであり、あの守備(リスク管理)が必要だったからこそ、あそこまでの攻撃でしかなかったのだ。
このような題材はその解釈が100%一致する事はないだろうし、オシムと僕の解釈も相当に異なるものなのだろうと自覚する。
けれども、攻撃だけをとって『こうすれば、ああすれば…』と語るのは自由だが、その試合の目的から逆算して『どこまでのリスクが可能なのか?』そして『そのリスク内での攻撃手法の選択』について、僕達はもっともっとサッカーの現実を学ばなければならないのではないだろうか?
『縦に入れなきゃ』
と松木安太郎は言うが、それをミスした時が一番危ないから、中村憲剛は再び横に揺さぶり、前線の受け入れ態勢に再構築を求めるか、サイドから展開しようとするのである。
欲望と現実には常に大きな隔たりが存在するものである。
それを自覚してどう厳しい現実に向き合ってゆくのか。
僕達のそんな視点こそが、この国のサッカーの未来を形作って行くのではないだろうか?
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2007年07月10日
悔しくて、悔しくて、選手もオシムも、眠れない夜を過ごしただろう。
午前二時半に床についたが、結局夜が明けるまでただ朦朧とした時を過ごしてしまった。今日一日をどうやってまっとうにやり過ごして、またベッドまで辿り着くか…。網膜をさえぎる白い靄に視界を妨げられ、何度もシバシバとした目を擦りながら、オシムジャパンに一日遅れで、僕もまた試練の時を迎えようとしている。
十分に評価し得る内容であった。
だからこそ、最後の“甘さ”が許せなかった。
阿部勇樹のプレーは、事なかれ主義のJリーグジャッジにおいて、あのシチュエーションであればまず笛の吹かれる可能性の方が低い事象である。
けれども欧州の視点で見れば、7~8割がた笛の鳴るプレーではなかっただろうか?僕が主審であればやはり間違いなく笛は吹いていた。
あの状況における前後の選手のコーチングの声、その前段階でルーズボールを競らずにただスルーパスを看過してしまった中村俊輔と遠藤保仁の守備意識、スペースを埋めるだけでパスコースを切りにゆけなかった橋本英郎、そして当の阿部勇樹、さらには勝利への執念と集中を怠って無残にこじ開けられてしまった壁…。この余りにも不用意に失ってしまった勝ち点2の重さを肝に命じて、残された2試合に全力を振り絞って欲しい。
そしてこの阿部の選択したプレーは、Jリーグの審判団を含むこの国全体で深く受け止め、今後に立ち向かってゆかなければならない。僕らがそれを見る目が、この状況を少しずつでも変えてゆかなければならない。
見ようによっては日本は攻めあぐねていたように見えるだろうが、あのカタールの出方からすれば、ベストな対応の仕方であっただろう。
前半の0-0はボールを左右にふり敵の体力をよく消耗させたし、後半相手が少し前へ出てきた途端に見事に得点し、その後また後ろで上手にボールを動かし、カタールのプレスを無力化させた。後半30分あたりまでの展開はほぼ満点であった。
ただ悔やむとすれば、前線の選手交代によりカタールが再び前からチェイシングをかけてきた30分過ぎから橋本投入までの計7~8分間程の展開である。プレスに窮してボールを守るよりも、前線でスペースを掻き回していた羽生の呼び込みを受けて、多少のリスクはかけても追加点を奪いに行くシチュエーションであったように思う。またそうする事がカタールの前への勢いを止め得る最も合理的手段であっただろう。
次のUAEとの試合は、また違った趣の展開となる筈である。
どちらも勝たなければいけない試合、そして幾分涼しい時間帯での試合である。日本が日本らしく戦えるグループリーグ唯一の試合…になるだろう。
僕が監督であれば中村俊輔か遠藤保仁を外して2トップで臨みたい。或いは憲剛の位置に遠藤を配して、前に大田吉彰か水野晃樹を使ってみたい気もするが、オシムの選択はどうなるだろうか?
試合後のインタビュー、あれほど追い詰められたオシムの姿を見たのは初めてである。前日の記者会見ではグループリーグ敗退の場合の自身の進退について記者に問われ、語気を荒げる一幕もあったと聞いている。
もしそうなれば彼は自らこの国を去るつもりだろう。
ジーコに遥かに劣る無能監督との辱めを受けながら…。
苦しんで、苦しんで、苦しんで、
苦しんで、苦しんで、苦しんで、
苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで
そしてここだけは、絶対に勝ち抜かねばならない。
それはオシムの保身の為ではない。日本のサッカーの誇りと未来の為に…である。
生まれて初めて、僕は日本代表のサッカーにこのグループリーグ“絶対に勝つこと”を要求する。
このオシムのサッカーを、絶対に死なせてはならない。
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posted by 桐谷 |05:57 |
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2007年07月10日
今朝の本文における戦略的解釈にいくつかの異なる意見をいただいたので、自身の為にも、もう一度その分析を簡単に記録しておきたい。
まずはじめに、昨日のような試合を、オモシロい…オモシロくない…の論点で語るサッカー観を僕は持たない。
そしてあの環境において、あのレベルの相手にベタ引きにゴール前を固められて、『1点しか取れないようでは情けない』という価値観もこれまた持ち合わせてはいない。
あの環境において90分を攻めきれる筈などない。
前半の45分を捨てて、ワイドにボールを振り相手の消耗を誘いながら、ギャップを見つけて縦にボールを入れ、打開を図る…。ターンできなければボールを戻してまた揺さぶりながらギャップを見つける。
前半の日本は、いくつかの危険なバックパスと遠目からのシュート意識の希薄さを除けば、ゲーム戦略どおりのパーフェクトなデキであったと考える。
カタールが体力を温存していたのは間違いないが、彼らが横の揺さぶりに対応していなければたちどころにバイタルに縦を通され、或いはサイドにフリーで展開され、幾度となく窮地を招いたことだろう。
ほとんどハーフコートマッチのような展開の中で、後半の失点後でさえ彼らが日本のDFラインでのボール回しをチェイスできなかったのは、この前半のワイドな揺さぶりが応えていたからである。
後半20分過ぎ、カタールが前線にフレッシュな選手を投入し、必死のチェイシングでプレスゾーンを押し上げてきた際には、日本の後方でのボールキープに大きなリスクが伴いはじめた。そこでオシムが切ったカードが羽生の投入であり、彼が前線でDFラインの裏のスペースを突くことで、安全なボールの処し方と試合を決める追加点への可能性をオシムは選手達に暗示したのだと僕は考える。
ところが、その意図にも関わらずパサーの判断が悪く、敵のプレスにボールキープが窮する。危ないボールの奪われ方が頻発する。
そこで得点を諦めたオシムは橋本の投入を決断するが、もしオシムが悔やんでいるとすれば、唯一この選択だったのではないだろうか…。
後は皆さんご存知の通りである。
攻めがなっていない…と言う人も多いようだが、あの得点がなければ後半20分過ぎには徐々にリスクを高めて敵のゴール前へ迫る戦略プランもちゃんと用意していた筈である。あの環境の中でラッシュできるのはせいぜい10分や15分だろう。或いはそれさえもできない状態にあったのかも知れない。だからといってまた、ピーキングに無理のあるこの日程で初戦を迎えた選手達を責められるものでもないだろう。
そして何よりも、そもそもグループリーグ初戦のこの試合は、大きなリスクを負ってまで遮二無二勝ちに行くシチュエーションではない。勝つチャンスがあった。それを土壇場のつまらないミスで失った。残念ではあるが、勝ち点1は得たのである。及第点の与えられる結果である事は間違いない。
次戦のUAEも、僕はカタールと同じく前半攻めて来ないだろうと予想している。
彼らはこのカタール戦を見たはずだ。日本のクオリティとその運動量に、前半からの打ち合いは避けてくるだろうと考える。
僕がオシムであれば、UAEが打って出てくる後半に、その出鼻を挫く戦略で前半の45分をカタール戦同様ボール回しで様子を伺うが、僕の意識よりも常に攻撃的に出るオシムは、一体どんな戦略を用意してUAEとの対決に臨むのだろうか?
現時点においても、このチームが素晴らしいポテンシャルを有したチームである事を、僕はこのカタール戦において改めて実感した。そしてだからこそ、このサッカーを貫いていかなくてはならないと信じている。
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