2008年03月30日
オシムの現場復帰を望まない…。
それは彼の生命にとって危険すぎる選択である。現実にそんな事が可能な筈はない…。というのが、僕の記した【岡田武史との訣別】に対する、反対意見のほとんどの方の主張だったと思います。
人への敬意の払い方、そして愛情の表し方というのは、人それぞれなのでしょう。皆さんには皆さんの、僕には僕の、そしてオシムさんにはオシムさんの、さらにJFAにはJFAのそれがあるのだと思います。
そしてそれを僕は否定するつもりはまったくありません。他人の感性へ立ち入ることなど、誰にも許された権利ではないのですから。皆さんのオシムさんへの配慮と愛情に対して、そしてこれほどまでに日本の皆さんに愛されたイビチャ・オシムという人物に対して、僕は改めて敬意を表したいと思います。
僕の肉親にも2人脳梗塞を患ったものがおります。どちらもICUで生命の危機に瀕したものの数ヶ月ののち無事退院し、半身にごくわずかな後遺症は残るものの普通に生活できていますし、充足した日々を送っております。
その他にも少なくない知人が同病を患いました。そしてそんな経験の中で、お医者様から与えていただいた僕の知識として言える事は、この病気はその後遺症も予後も、十人十色、百人百色であり、社会復帰される方の割合は、一般に皆様がイメージされる%よりもずっと期待値の高いものではないか…という印象です。
もちろん、オシムがその限りであるかは、僕には判りません。
そして僕の性分として、判らないものは判らない…という理解と諦観に基づいてこれまでもあらゆる事象を考察してきました。今回の件における意思の表明も、その信条において行ったものです。
僕はよくオシム危篤の報に接した時のことを思い出します。
あの時川淵三郎氏は『脳が異常にはれている』『命だけはとりとめて欲しい』という家族が望まない情報発信をメディアを通じて涙ながらにされました。彼の発言により、僕自身、オシムさんが死ぬか、植物状態でただ生きながらえなければならないか…その二者択一ぐらいの状況を想像させられました。
けれども実際にはそうはならなかった。
故意か過失かに関わらず、ある意味僕らは情報操作された…と考える訳です。
僕らはあの段階における川淵発言によって、完全にオシム現場復帰への希望を、あのメディア露出によって打ち砕かれた訳です。
その後の結果はご存知の通りです。オシムが目覚めるたった数日前に岡田氏の就任が周知され、オシムには事後報告がなされた。その場に立ち会った訳ではありませんが、その後のオシムさんへの報告は“すんなり”とはゆかなかった…と、噂の範疇ではありますが僕は聞きかじりました。真意の程は定かではありません。
そしてあの一連の流れの意図するものが、まず『新監督招聘ありき』=『岡田氏招聘ありき』のプロジェクトであったとするならば、僕があの時希望した、状況的にもっとも自然な流れであっただろう『暫定』は、やはり有り得なかったのでしょうし、であるとすればあの一連の流れは、やはり自然にして合理的だったな…と僕は考えたりもします。
その可能性を、そしてそうではなかった可能性を、そのどちらもを排除はできない…というのが“知り得ない真実”というものに対する、僕の一貫した“理解”の在り方です。
世の中に公平な報道などといったものは絶対に存在し得ません。
あらゆるニンゲンの意図から開放された“真実の報道”などといったものは絶対に有り得ないのです。
僕らが見るチベットの映像、道路特定財源に関する新聞報道、そして一連の川渕発言に対する各メディアの扱い方…それは報道するかしないか…を決する時点で、或いはどれぐらい大きく取り上げるか取り上げないかを判断する時点で、ニンゲンの意図、ニンゲンの価値観から逃れ得ない。僕らは常にそんな疑いの視点と、自らの無知への自覚によって、真実という実体の輪郭を、自らで思い描いていかなければならないのだと思います。
それだけが、この世界で“真実らしきもの”に触れるたったひとつの道筋である…と僕は考えます。
最後にニンゲンの意図、ニンゲンの価値観から唯一逃れることが許されたデータ(数値)と、オシムさんの意志だけをこの場に書き記させていただきます。
脳梗塞の死亡率…約20%
脳梗塞の再発率…3年間に約12.5%
脳梗塞の社会復帰率…約40%弱(年々上昇中とのこと)
*もしこの情報に大きな誤りがあれば訂正させていただきます。
そしてオシムさんは、この夏ユーロを見に欧州へ飛ぶ予定である…という事です。
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前回【岡田武史との訣別】で残念ながら、いくつかのコメントによって、この場の唯一のルールである『他者に対する思いやりと敬意』が踏みにじられたものと僕は理解しました。
よって今回コメント欄を閉鎖させていただきます。
一部の人間の身勝手によって、他の多くの方々に開かれた場が奪われてしまう。不条理なようでいて、これは紛れも無いひとつの現実でもあります。ご迷惑をおかけする多くの方々にここで謝罪します。本当に申し訳ございません。コメント欄の再開については今一度検討してから、皆様へ改めてお伝えしたいと思っております。
posted by 桐谷 |21:58 |
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2008年03月25日
このエントリーが丁度100回目となるようです。
今回は僕の思い描く『理想のクラブ像』について書かせていただこうかと思ったのですが、記念の回ということもあり、敢えてこのスポーツナビへの感謝と、この拙いブログをご覧いただいている読者の皆様へのお礼と、そしてネット社会の危機に対する問いかけ…(というかそんな大層なものではないのですが…)のような論点で綴ってみたいと思います。
僕がこのスポーツナビにお世話になったキッカケは、長年続けてきたヤフーブログの不調によって一時的に“『ACで勝てない1000の理由』とオシムの戦い”というエントリーが掲載できない…というトラブルに見舞われた為です。せっかく書いたのに掲載することができない…その一時的な待避所のようなカタチで、これまで閲覧したことさえなかったスポナビというサイトを偶然発見し、そこで無料で提供されていたこのファンブログに登録させていただいたのがキッカケでした。
ヤフーブログ時代、僕はこの“キリタニブログ”でのそれと同じような視点、同じような論点で、ニッポンサッカーへ対する問題意識と苦言…を書き綴ってきたつもりですが、日々のアクセスはやっと30~50といった程度。残されるコメントも当たり障りの無い『ごあいさつ』のようなものがほとんどだったのですが、それはそれでとても楽しく、僕にとっては最後まで気持ちのよいコミュニケーションの場であり続けました。
ところがこのスポナビでは、そのアクセス数の多さにも驚きましたが、そこに記されたいくつかの好戦的な意見や、著者に対する批判的な物腰に少し面を食らいました。
僕の概念では、ブログというものはその個々の思いや主張を自由に語れるプライベートな“サロン”のような場所だと思っています。公序良俗に反しない限り、また故意、過失に関わらず罪無き他者を傷つけ愚弄する類のものでない限り、そこで何が語られようとも、誰かから非難されたり中傷されたりする謂れの無いもの…であると認識しています。如何に日々数万ものアクセスを集めるスポナビブログであろうと、僕のその“ブログ”の概念、認識自体に変わりはありません。また、もしそのブログに書き記された著者の思いや主張と対立する意見を誰かが持つとするならば、そこでの発言は、“参加者”としてその著者や他の発言者に対して礼を失しない態度や文言でなされるのが当然のマナーであり、罰則こそないものの、それはその“サロン”に参加する者として、またこの場で言えば、共に“サッカー”に集うものとしての、当然のモラルなのではないか…と僕は思います。そしてこのブログのコメント欄…という場を、僕自身は2ちゃんなどの“掲示板”とはまったく異なる“隣人の庭”であり“よそ様の敷地”のようなものである…と思っています。
なぜならば、彼そして彼女たちは、そこに水をやり、光を当て、他人から見れば少し陳腐なものなのかも知れませんが、自分なりに心を込めてそれを育んでいるのだ…と思うからです。
『きれいなお花ですね。楽しいお庭ですね』
と声を掛けられれば当然嬉しいでしょうし、
『そのレイアウト違うでしょ。悪趣味だな、くだらねえっ』
と吐き捨てられればやはり傷つくものでしょう。
そこに彼や彼女が咲かせた小さな花を、或いは花とさえ言えぬ小さな雑草を、僕らはカンタンに踏み潰し、それに唾を吐くことができる。指先一つで、或いは心持ちひとつで、誰にでもカンタンにそれはできる。けれども同じニンゲンとして、心ある一人の隣人に対して、それは許された“権利”でも“自由”でもない…と僕は思う。
僕はよく2ちゃんねるを見ます。
書き込んだことはありませんが、そこでサッカーや政治・経済に関するスレッドを時々のぞく事があります。
そしてそこで語られる意見や主張の見識の高さ、自由で刺激的な発想や、独特のユーモアに、深く感心したり、教えられたり、また“茶を噴く”ほど笑わせてもらったりもしています。そしてそれ以外の場所で語られる“チャネラー”なるものの世の中の認識に対して、少し残念に思ったりもします。
そこに集う彼らの大部分は、多少品の無い2チャン語を操りながらも、とても鋭い感性と知性を持ち、また非常に律儀な道徳性や公共心をも備えている人々がほとんど…なのです。
にも関わらず、その2ちゃんをはじめとするネット社会の、最も有用である“匿名性”を基盤とするある意味フェアで開かれた情報発信のシステムを、ほんの一握りの理性に欠ける者たちが、罪無き他者を傷つけたり、悪意によるデマを吹聴したり、また子供じみた自己顕示欲によって社会を撹乱したりしようと試みることによって、無自覚にも、今、自ずからそれを死滅させようとしている。
これは誰にとっても悲劇である…としか言いようがありません。
そして今僕が…、またたくさんのブロガーの皆さんと、ここに集うすべての方々がお世話になっているこのスポーツナビブログという場が、2ちゃんと同じように、罪無き他者の感情や誇りを傷つける一部の者の言葉によって、また罪無き他者の痛みや人権を省みない一握りの匿名の言葉たちによって、踏みにじられ、汚されている現状を、本当に残念に思っています。スポーツを愛するものにとって、スポナビブログというネット上こんなにも有用な場が、汚され、不毛な感情の吐き捨てによって埋め尽くされ、そして失われてゆくことは、誰にとっても大きな不利益であると考えるからです。
最近、僕は他の方のスポナビブログも時々拝見するようになりました。
様々な思いや主張があって、当然意見の異なるものや、わが意を得たり…と感動し、思わずコメント欄に賛辞を書き込みたい衝動にかられることも多々あるんです(最終的にはいつも自重させていただいてます)。他ブログサービスのそれに比して、ここで語られる本文やコメントは、やはり非常に見識が高く、情報としても有用なものが多い…と僕は思います。そんなスポーツナビブログに、今こうして一緒に参加させていただいている事を、僕は心から誇りに思っています。
けれどもそれと同時に、そこに度々散見される“心無い”書き込み。ちょっとした誤字脱字や個性的な表現を論うものや、本文への敬意無く一刀両断にそれを切り捨てたり、否定したり、ケチをつけるもの、中には『つまらない…』などと一言書き殴るものもあったと思います。僕は少なくない著者に対する、そのような非礼を、非常に残念に思っています。
『つまらない…』のならば、ただ読まなければ良いし、おもしろいものを自分で書いてみればいい。そして例え誰かが違う意見であったとしても、あなたがその誰かと異なるように、その差異を当たり前のものとして認識した上で、”参加者としての配慮を持ってその場で発言させてもらうか、或いはやはり自分のブログでそれを書けば良いのだ…と僕は思う。幸いにもスポーツナビはスポーツに集う全ての者に対して、“無償”でこのサービスを提供してくれている訳ですから。
『とうとう逃げたの? まさに書き逃げ、ブログ書く必要ないんじゃないの ?ますます自的な考えに走ると思うよ?頑固な人ですねキニタニさんは!色んな話が聞けて参考になるけど、ブログってのは、そう言う魅力があり怖さもある楽しんでブログをすればいいのに、。by貴重』
上記は僕が度重なる中傷・成りすましコメントの為に、止むを得ずコメント欄を閉鎖した直後に、さらに数度に渡って書き込まれた一番最後のコメントです。システム的にコメント欄閉鎖の後にコメントが書き込まれる筈はないのですが、スポーツナビサポート事務局の方に、お忙しい中確認作業をしていただいたところ、“スポーツナビにアカウントを持つ方で、ケータイから書き込んでいた方”のコメントであるとの丁寧な報告をいただきました。
彼に対して、そしてそれ以外にも僕に敵意を持つ少なくない方に対して、最後に一言だけこの場で言わせてください。
僕がこうしてコメント欄を閉じたのは、あなた達から『逃げた』訳ではない。あなた達に言論を通して『敗れた』からでもないし、また『怖い』からでもまったくない。この場で『桐谷』という名を用い、他の発言者の方を中傷する卑劣な書き込みや、或いは常連の方のネームを偽ってこの場に書き込まれたその言葉による、被害者の方々の“心の痛み”や“憤り”を、僕の責任において生じさせない為、僕はここを閉じたのです。
もしかしたら、僕のサッカー観は間違っているかも知れない。僕がここに書き記した多くの文章も、僕自身のその誤った見識に基づくものかも知れない。けれども僕のそれは、ここまでも、そしてこれからも、1ミリたりとも揺らぐことはありません。僕個人の意志で、哲学で、サッカーを見、それを考察している以上、この頭や心からあふれ出て来るその“言葉”を改めるつもりはないし、また改めようも無い。そしてその意見の相違を、もしかしたら大勢ではないその孤独を…恐れる気持ち…など、まったく無い。
ただし、彼らに対する、このブログのコメント欄初期における僕の対応は明らかに誤りであった…と今にして思っています。それを右から左へ受け流せるほどの心のゆとりがないのであれば、最初から全てにレスなどつけなければ良かったのだろうと思う。関わらなければこれほどまでに彼らの憎しみを買うことも無かったのだと思う。それが一番賢い対処の仕方であったのだ…とメールを通じてたくさんの方々に教えていただきました。
僕は自分自身の正義や良心…といったものを心の底で信じきれないのと同じように、彼らのそれもやっぱり信じないし、信じきることなどできない。けれどもそれを再び信じたいと思う事ができたら、そっちの方がより楽しい…と思う。ここで何かを綴る事が、さらに有意義である…とも思う。そしてこんなにもサッカーが好きなように、この国のサッカーに集う多くの人たちを、同じように好きでいたい…というのは多少大げさにしても、少なくとも憎しみあいたい…とはまったく思わない。だから今回に限り、一度だけこのコメント欄を開放してみたいと思います。もう同じ過ちを繰り返したくは無いので、そこで議論や討論する気は毛頭ありませんが、この本文に関わらず、代表にしろ、Jリーグにしろ、サッカーに関することであれば喜んで意見交換してみたいと思っています。またすでにこの場が以前のように皆さんの集いの場としての役割を終えた…と理解できればそのまま閉じさせていただきますし、そしてやはり以前と同じように、感情的な文言が投げつけられる状態であれば、すぐにこれを閉鎖し、残念ながらこのブログ自体を閉じてしまうまで、永久に閉鎖させていただきたいと思います。
注)この本文執筆後、スポナビブログにはコメント認証の新たなシステムが付帯されたようです。この『キリタニブログ』がその機能を利用し、今後も恒久的にコメント欄を開放すべきかどうかは再度検討させていただきますが、今回のエントリーに関しては、制約なくそのまま開放してみたいと思います。
ここまでの99のエントリーに対して、今日現在、皆様から96万以上のアクセスをいただきました。1エントリーにつき毎回約10000近いアクセスをいただいていた事になります。その中の何%の方々から実際に読んで頂けていたのかは判りかねますが、こんなにも独りよがりで手前味噌な、悪文でありひたすら愛想の無い長文…を書き連ねてきただけの拙いブログをずっと見守っていて下さった皆さんに、いま改めて、心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして他のスポナビブロガーの皆さん、コメンテイターの皆さん、そしてここに集うすべてのサッカーファンの皆さん、今後ともこのスポナビブログ、楽しく拝見し、また時に執筆しながら、共に集わせていただきたいと思います。
さあ、明日はバーレーン戦ですね。
一緒に『私たちの代表』の戦いを、気合を込めて見守りましょう。
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スポナビに限らず、サッカーに関するブログをお持ちの方で当ブログに相互リンクを貼ってもいいですよ…という方はご連絡いただければと思います。
posted by 桐谷 |17:11 |
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2007年10月16日
ついにJBCの処分が下った“亀田問題”だが、その処分が軽すぎるか重すぎるか…の前に、僕はJBCとしての反省や対策が語られなかった事に大きな疑問を感じる。反則行為は確かに亀田家の問題ではあるが、彼らが『世界タイトルの権威を失墜させた…』とするならば、それにライセンスを発行し、度々その素行を問題視されながらもここまでおんぶに抱っこでやってきたJBC自体にも問題はなかったと果たして言えるだろうか?
今回の件で言えば、僕は12Rのレスリング行為などより、意図的なローブローやチャンピオンの破れた瞼をサミングでさらに切り裂こうとする行為の方が何倍も悪質だったと思うが、あの試合のレフェリーは一度でもそれを裁いただろうか?
ラウンド中何度か亀田のボクシンググローブからこぼれた“異物”を投げ捨てたり、排除してリング下に放り投げたりしていたように思うが、果たしてあれは何だったのだろうか?
内藤陣営はWBCの規定にあるように、親族のセコンド入りの禁止をJBCに訴えていたという。けれどもJBCの裁定によりそれは許可されたのではなかったか?そこに誰の意思が働いていたのか?あるいはどのような内規があってそれを許可したのか?そしてこのような事態になり、今後亀田家に限らず親族のセコンド入りについてどう対処するのか?
ボクシングジャーナリズムはそこを突き、それに対してJBCは答えたのだろうか?そこに明確な反省と今後への指針は打ち出されたのだろうか?
ファン・視聴者から見て疑惑に思う部分をボクシングジャーナリズムはすべてJBCにぶつけ、JBCはそれを白日の下にレフェリーに事情聴取するなどして詳らかにしてゆく必要があるのではないだろうか。
ボクシングという競技のこれまでの不透明さからすれば、僕はこれを機に確固たる改革への意志が協会・メディア双方に求められるのではないだろうかと考える。
神聖なるスポーツとしてのボクシングの尊厳を、誰よりも守らなければならないのは、この国においてはJBCそのものであると僕は思っている。
アイススケート協会、相撲協会、ボクシング協会、そしてサッカー協会…。
世界の趨勢を見れば、これらが巨大な権益や力、コマーシャリズムの波に飲み込まれて雁字搦めになるのは無理からぬことなのかも知れない。それが大きくなれば大きくなるほど、そして逆に経済的に窮すれば窮するほど、その独立性や自主性はそれらの“力”によって踏みにじられてゆくものなのかも知れない。
亀田一家の狂騒も、小泉劇場への熱狂も、ドイツWCにおけるジーコジャパンへの過剰な期待も、ある点では深いところで一致しているこの国の性懲りのないメディア・コマーシャリズムの本性と国民性の本質なのかも知れない。
サッカーにおいても、それはすでに最初にして最大の敵となりつつあるのではないだろうか?協会の玉座にふんぞり返る者達がそれを感知しないというのならば、サッカーを愛する者達がこの危機意識を切実なものとして共有する事が、それに抗うたったひとつの術であるような気がする。
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【キリタニ100法】ニッポンの未来を築く100の立法
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posted by 桐谷 |10:25 |
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2007年08月18日
短い夏休みを利用して、今まであまり手をつけた事がなかったサッカー関連の書籍を一度に3冊読ませてもらった。
フィリップ・トルシエ著の『オシムジャパンよ! 日本サッカーへの提言』、2人のオーストリア人が著したものを木村元彦氏が監修した『オシムが語る』、そして小松成美著の『誇り』である。
およそ一年前に読んだ『オシムの言葉』以来、僕はこの手の本を自ら遠ざけてきた。それ以前に関しても、僕はサッカー本を読むぐらいならば、歴史検証のノンフィクションや犯罪ルポルタージュの類を読む時間にあててきた。
なぜならば、そちらの方が自分にとって遥かに有意義だからである。
ことサッカーに関する限り、このような書籍よりも、実際のゲームの方が遥かに雄弁である。トルシエの書籍を読まなくても、トルシエのサッカー哲学は実際のピッチに如実に反映されているし、オシムに関してもそれは同様なのだ。彼らの生い立ちから、育ってきた環境や主義主張、そして歴史的背景から、そのピッチ上の哲学への論理的解釈が助けられる側面は確かにあるのかも知れないが、やはりそこに僕の興味は無いのだ。
僕にとってそれは、ひとつの完成した“映画”に対する、撮影中のこぼれ話やいくつかのエピソードの類に過ぎない。その事を改めて思い知った。
そしてそれは書く者、寄り添う側の立場や論理によって、如何様にも編集され、強調され、また膨らませられる類のものである。それを怜悧に読み測る者から見れば、非常に手応えのない浅薄なヒロイズムに陥りやすいものなのだ。
特にこの国のサッカージャーナリズムの歴史は、その一面的・独善的なヒロイズムの大量生産の歴史であり、その“軽さ”が、僕をこの国のサッカージャーナリズムから遠ざけた主因である。
そしてその最たるものが小松成美著の『誇り』であった。
中田英寿というサッカー選手を僕は非常に尊敬すると共に、また残念にも思う。ピッチ上の彼の輝きを曇らせたものは何か?また正誤の解釈を彼自身の思うがままに委ね、サッカー選手としての価値を一瞬のうちに消費させてしまったものは誰だったのか?
このジャーナリストとしてまったく均衡を省みない視点と、文章の端々にその絶対正義への恐れのない立ち位置を見せ付けられる度に、僕は中田英寿を“消費”させてしまったモノ達への、小さな空しい憤りを感じた。
中田英寿を消費して、日本のサッカーはさらに先に進まなければならない。歯止め無く増長し、肥大化するコマーシャリズムと折り合いをつけ、賢く、そして飲み込まれぬよう付き合っていかなければならない。それはまた決して容易いことではないことを、中田英寿に続く選手達には肝に命じていて欲しいと願う。
『オシムが語る』を読み、その昔映画のシナリオの道を志した僕が、一番敬愛する創り手であったエミール・クストリッツァとオシムが旧知の仲だと知りたいへん驚いた。そしてまた同時に、表現手段はまったく異なるにも関わらず、この同じサラエボの文化圏に属する二人の見事なまでの価値観、哲学の一致に深く感銘も受けた。クストリッツァの『アンダーグラウンド』を見て欲しい。『アリゾナドリーム』を『ジプシーのとき』を、そして『パパは出張中』を見て欲しい。
厳しい現実に対する唯一の“救い”を、未来という“希望”に託して彼らが共に表現している事が実感できる筈だ。サッカーは芸術だ…などと言うつもりはさらさらないが、そこには一種の、或いは数種からなる哲学が内包されていることは間違いない。その哲学を読み解き、そこにあるロジックをすくいあげて解釈することこそが、僕にとってのサッカーの嗜みであるのかも知れない。
だとすればやはり、僕はゲームを見たい。
今よりももっと、サッカーそのものを見たい。
これら3冊の本に触れて、改めて僕はそう思った。
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posted by 桐谷 |06:51 |
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