2010年07月22日

新JFA会長への5つの要望【キリタニ】

その1 透明化された多数決による開かれた会長選を

巷間漏れ伝わってくるような「次期役員候補推薦委員会(川淵三郎委員長)」なるものを経由する、不透明な選定方法はすみやかに廃止すべきである。これでは相撲協会以下。どうしてこれを“良識派”と呼ばれるサッカー批評家やジャーナリストたちは正面から大きな声で批判しないのだろう?ピッチ上の選手達に、敵と命がけで戦え!と迫る彼らには、都合よく自らの敵だけは見えないのだろうか?


その2 JFA会長は日本代表監督の選定に関わるべきではない

代表監督任命権は、現状では強化担当技術委員長に一任すべきである。
そしてその強化担当技術委員長(或いはそれに代わるポスト)は、今後元日本代表選手たち(代表キャップ50以上)の投票により、元日本代表監督経験者(オフト・オシム・トルシエなど外国籍監督)を中心とした有志の中から選出されるシステムを提案したい。ここに海外のサッカー事情に不詳で、折衝担当能力も持たない協会お抱えOBを据えるなどまったくもって不合理である。誰よりもサッカーに詳しく、誰よりも海外に顔の効く人物にこそ、就任してもらうべきである。


その3 代表の強化はJリーグの強化そのものである

無駄な親善試合でJリーグと代表選手の日程を圧迫するぐらいならば、親善試合そのものを削減して、その分支出のカットに努めるべきである。クラブに利のない天皇杯に、ACL出場権を設定したり、ベストメンバー規定を押し付けるのもやめるべきである。JFAとは何のためにある組織なのか、自ずからもう一度、抜本的に問い直すべき時期である。クラブに未熟な日本人監督の登用を促すよりも、むしろ優秀な外国人監督、優秀な外国人選手を招くための、助成金を付与すべきである。


その4 クラブに対して若手の試合出場の為の奨励金を

所属選手がA代表に選ばれ公式戦を戦うことは、クラブにとっても少なくないメリットがあるだろう。しかし、現時点では、それ以下の世代代表に選手を招集されるメリットが希薄である。U-20世代の代表への招集、さらにはU-20選手の、Jリーグ公式試合出場に関しては、JFAの側から何らかのカタチで、各クラブに対して奨励金を付与することを望む。例えば公式戦1試合(90分)につき10万円。3人の10代選手をレギュラーで1シーズン使えばおよそ1000万円の奨励金が協会から貰える……。やがてはA代表を牽引する若手選手の試合経験を促すためにも、また地方クラブの経営を効率的に助成するためにも、そのような発想があっても良いのではないだろうか。


その5 普及のため何よりも重視すべきは女性と学校体育である

僕が幼い頃は、ママさんバレーが流行っていた。母親の練習について体育館へと足を運ぶのだが、もしその時同じ体育館で、バレーボールに触れ合うことができていたならば、僕はサッカーではなく、バレーの選手になっていたかも知れない。幼少期の子供たちに、他のスポーツに先駆けて、どのようにしてサッカーに親しんでもらうか?その為には、女性をどのようにしてサッカーの世界へと引き込むか?そしてドッジボールや30人31脚のように、手軽な、簡素化された室内サッカーを、どのようにして校内スポーツの中に取り込んでもらうか?その部分にこそ、智慧とお金を注入すべきであると僕は思う。



しつこいようだが、再度云わせてもらいたい。

もはやJリーグは、日本代表のためにある訳ではない。そしてまた日本代表の成果のみが、この国のサッカーの真価を示す指標とは云えない。

いずれJリーグが深化・発展・成長し、世界に誇り得るリーグとなった時には、日本代表も必然的に、世界に誇る強い代表チームとなっていることだろう。その為にJFAが為すべき事は、財団法人として己の収益拡大のみに血眼になることではなくて、むしろ己の利益を度外視し、或いは多少の損失に目を瞑ってでも、全力でJリーグや地方協会をサポートし、盛り立ててゆくことではないだろうか。

この国のサッカーにとって一番大切なこととはいったい何なのか?

もう一度原点に返って考えてみて欲しい。一番大切なのはサッカーそれ自体である。金よりも、スポンサーよりも、ビジネスパートナーよりも、誰か個人の意地や名誉よりも、サッカーそれ自体と、それを楽しみ、プレーする何百万人もの人々の喜びや愛情のほうが、ずっと大切で価値あるもの、何よりも尊いサッカー界の財産なのだと僕は思う。

目先の数字や結果ばかりに囚われ、この循環を支えてくれているものの正体を見誤らないで欲しい。彼や彼女らの想いが、当たり前に届くサッカー協会に生まれ変わることを、僕は願っている。


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2010年07月13日

日本化の方程式と次の代表監督について 【キリタニ】

少し古い話になるが、皆さんはUEFA/CL準決勝2ndレグ、バルセロナvsインテルのゲームを見ただろうか?

僕はこの試合に、改めてサッカーの不変の条理を見せ付けられた気がした。

そしてオシムジャパンの一時期を除き、或る意味これこそが、日本代表サッカーの哲学に欠けている要素であり、WC本大会を闘うにあたっては、最も適切な方策であると考えてきた。日本代表が岡田ジャパンに代わり、2010WCの出場権を得てからと云うもの、僕はそれを一貫してこの場で訴え続けてきたつもりである。

当然のことながら、そんな僕の願いとはまったく無関係に、岡田ジャパンはあのような過程を経て、最終的にあのような構えで闘ってみせた。

それによって日本は守備的なスタイルで行くべきか、攻撃的なスタイルで行くべきか、なんて昨今よく判らない論点で議論が進められている気配もあるが、僕に云わせればそんなもの白か黒かじゃない。車にアクセルとブレーキがあるように、どちらかひとつで事足りる訳ではない。

強く速く走るためには、良いエンジン、すなわち動力装置が必要なのであり、速く走る車ならば速く走る車ほど、高いレベルの減速、停止のための制動装置を必要とする。

ゲームにおいて一番大切なのは、そのアクセル(動力装置)とブレーキ(制動装置)を“適切”に使い分けることなのだ。そして強化において最も肝要なこととは、そのアクセル(動力装置)とブレーキ(制動装置)のための素材自体を進化、レベルアップさせること。

アクセルしか踏まない走り方も、惰性とブレーキだけで乗り切ってしまおうとする走り方も、どちらの論理も成立しない。そのふたつを高いレベルで共存させることで、永遠にも連なる無限の階段を、ゆっくりとひとつずつ登ってゆくしかないのだ。


もし僕が今現在JFA会長であったとしたならば、

次期日本代表監督にオズワルド・オリベイラ氏を(当面は鹿島と兼任)。
そして強化担当技術委員長にイビチャ・オシム氏を招聘するだろう。

日本代表のサッカーには、オリベイラ的な要素とオシム的な要素、そのどちらか1つ……ではなく、2つの共存こそが必要なのだと思うからである。

いつまでも性懲りなく、サッカーを青臭い理想論だけで語る牧歌的な時代は既に過ぎ去った。さりとて、ただ目の前の勝ち負けのみに拘泥する、理想も理念も無い結果至上主義だけでは、明るい未来は展望できない。

日本人の適性に合ったオリジナルな部分を強調し得る、若年層の一貫したオフェンシブな個人戦術・グループ戦術の強化。そしてそこから産み出されるタレントを駆使して、それぞれ目的のゲームにキッチリと勝利を収める為の適切なチーム戦術とオーガナイズ。

これをU-20以下の若年層(オシム担当)、そしてU-23からA代表(オリベイラ担当)の間で、キッチリと区分けし、分業制にして、それぞれに戦略的な育成と戦術的な強化体制を、並行して構築してゆくことができれば、一番望ましいのではないだろうか。

これまでにも腐るほど云ってきたことだが、サッカーの現実とは、守備的か攻撃的か?
或いはポゼッションかカウンターか?

そんな二者択一の単純な話では無い……と僕は思っている。

ピッチ上の90分の時間中で、この互いに相反する2つの要素を、その状況や必要に応じて、適時適切に使い分けられることこそが“強さ”であり“成熟”の証なのだ。

“自分達のサッカー”なるものが、そのいずれか……でなければならない、などと云うナイーブな誤解や解釈は、そろそろ捨て去ったほうが良い。賢いサッカー、考えるサッカーとは、その時々の必要に応じた戦術のバリエーションによって、はじめて成立する。

A代表の試合を見る事で、若年層のゲームに対する知性が磨かれる。またユース時代に蓄積された果敢で質の高い個人戦術・グループ戦術が、A代表の厳しい真剣勝負の中で、この国のサッカーのアイデンティティとして滲み出てくる。どちらかの要素がどちらかの要素を阻害するものではなく、互いに補完しあうことで懐の深いサッカーのスタイルを定着させてゆく。

そんな方向性こそが、サッカーの理想と現実に対する、正しい向き合い方なのではないかと僕は信じている。

そして僕ならばそれを、迷わずオリベイラとオシムに託したい。特に強化担当技術委員長オシムには、2期8年間を継続してお願いしたい。そうすることで、設定される親善試合の質も大きく変わってくることだろう。

有名なアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論の関係式である『E=mc²』(イー・イコール・エム・シー・スクエアド)を文字って、僕はこれを日本化の方程式『J=oo²』とでも表記させてもらおうか……。

今ならばオシムさんの愛弟子ポポビッチ(元大分トリニータ)さんに、U-20以下の監督としてお世話になることも可能だろう。

これまでの技術委員会とその強化体制では、夢を見る事もできなければ、現実を掴むことも運任せでしかない。しっかりとした理念も無ければ、一貫した計画性も見られない。今のままでは、エンコによる、エンコのための、エンコ塗れの同好会に過ぎない。これがプロの仕事だとは到底思えない。

育成という或る意味絶対的な視点。
そしてゲームにおける勝ち負けと云う、避けることのできない相対的な視点。

このふたつを正しく備えて、はじめて一人前の成熟したサッカー国足り得るのだと僕は思う。僕はこの国のサッカーの象徴……日本代表に、イビチャ・オシムとオズワルド・オリベイラの適切な融合を求める。そして彼らこそ同時に、その2つの要素をひとつの知性の中に正しく併せ持つ、Jの歴史上傑出した指導者であり、サッカーの真の理解者であると僕は思っている。


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2010年04月26日

JFAの4年間とボクたちにできること 【キリタニ】

監督・岡田武史への最終評価』の中で、僕は『岡田武史氏に失望した』と書いた。
しかし、それは何も昨日今日の結果による話ではない。包み隠さず云えば、JFAによる就任要請が発表された際には、すでにどうしようもない絶望感に打ちひしがれていた。

しかし、ここまで『岡田監督解任』をこの場で主張してこなかったのは、例え岡田武史監督が解任されたとしても、選ぶ側の人間、すなわちJFAの権力者たちが、これまでと同じような意識、これまでと同じような尺度で、代表監督を興行の為の道化、組織防衛の為の使い捨ての防具……としか考えないのであればまったく同じ事であると考えたからだ。であれば、付け焼刃の監督交代など体制の延命に繋がるだけの話である。その時々の運不運はあっても、この状況が本質的に変わることはないのだ。

これを抜本的に変えるためには、きっと身を切られるような痛みが必要なのだろうと僕は思った。痛切な挫折が必要なのだろうと。今回そうなるかどうかは僕には判らないが、ひとつのキッカケでありチャンスともなり得る状況なのではないかと感じている。またそうならずとも、何度でも同じ過ちを、自らで繰り返してもらうしかないのだろう。きっとそうすることによってしか、時代と云うものは変わってはゆかない。これはこの国の歴史や政治を見ていても同じ事なのである。

その中で僕は、僕の考える日本のサッカー界の未来にとって正しいこと、良いこと、必要なことを、この場で愚直に訴えてゆこうと思っている。ただひたすら“待つ”“耐える”と云うことも、子供の成長を見守る過程では必要なことなのかも知れない。

一番大切な事は、監督岡田武史氏を解任させることではなく、それを非難・中傷することでもなく、犬飼基昭氏に辞任を迫ることでもなく、ベンゲルやモウリーニョを代表監督に就任させることでもない……と僕は思っている。

日本のサッカー界、それを指揮・牽引するJFAが、個人の私利私欲のためではなく、既得権益のためでもなく、組織防衛のためでもなく、縁故・学閥・派閥のためでもなく、収益最優先の運営を抜本的に改め、真摯に強化と普及を第一義とした昔ながらの純粋を取り戻すこと。その為の透明・公正な組織でありシステムを創造することにあるのだと僕は思う。

そしてそのために何よりも必要なことは、この状況を問題だと考える人々が、正しい認識によって、正しくモノを見る目を養い、それを主張し、それぞれが行動してゆくことなのだと僕は思う。それ以外に無いと思っている。

当然、カンタンな話ではない。

まともなデモクラシーの機能していない組織である。それは一国の政治を動かすことよりも、場合によっては難しいことなのかも知れない。しかし、まったく不可能だとも思わない。僕達に選挙権はないが、彼らの腐った権力の源泉であり、求心力でもあるその原資は、僕らの手の中に在るのだ。

金が無い時代に育った黄金時代の選手達。そしてこれだけ金がある時代にも関わらず、身内の身内による身内の為の性懲りの無い内輪の人事により、長く低迷を続ける若年層の代表チームたち。結局強化とは、金の有る無しではないではないか……。有ったところで、まともな使われ方をしないのであれば無いのと同じ事である。

余分の金が入らなくなり、無駄のないカツカツの運営が迫られ、手弁当の時代に回帰することができるのならば、今ある権力者たちの権威は速やかに一掃されるだろう。

その金を、JFA(日本代表)ではなく、僕達自身がJクラブに振り分けるだけで、その構造には大きな変化が齎されるだろう。勿論、代表には興味があるが、Jリーグには関心がない……という方々もいることだろう。そんな人たちにJリーグの面白さを伝え、興味や関心を呼び起こしてゆくことも、ボクたちにできること……の、ひとつではないだろうか?

Jクラブの側も、いつまでも“奴隷の道徳”に飼いならされていてはいけない。Jリーグ組織にも、思い切った創造的破壊が必要な頃合である。勇気を持って、力を合わせて、モノ申してゆくべきなのだ。

僕はこの国のサッカー強化の主体は、既にJリーグであると思っている。

Jリーグが成長してゆく限り、例え日本代表のサッカーが勝てなくても、JFAが赤字に追いやられようとも、ニッポンのサッカー、それ自体が弱くなることも収縮してしまうこともないと思っている。

今度のW杯で日本代表が惨敗したらこの国のサッカーは……なんて話をよく聞く。

が、それが実力だとすれば仕方が無いではないか。この国のサッカーというものに対して、未だヌルい過信や幻想があるのだとすれば、そんなものは一刻も早く捨て去るべきである。またしても……またしても、現実に立ち返って、辛く厳しくとも、一歩一歩前へと歩を進めてゆく以外にないだろう。マンガでも映画でも空想の世界でもなく、僕らは現実のサッカーに向き合っているのだから。

このJFAの4年の怠慢は、僕らが受容し、僕らが猶予してきた4年間である。

もしこのJFAを不服とするならば、JFAに変われ!と云うのと同時に、僕ら自身も変わらなければならない。たった一人の人間にセカイを変え得るチカラはないが、一人一人の人間にはそれを成し得るチカラが在る。

今回の南アフリカワールドカップが、その為のスタートラインとなることを、僕は切望している。


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2010年04月02日

キリタニ、JFA会長就任へ 【キリタニ】

昨日4月1日、キリタニがJFA会長・Jリーグチェアマンに就任した。
就任と同時に彼は7つの方針を単独で決裁した。

その方針とは下記の通りである。


その1 ベストメンバー規定完全廃止
その2 イビチャ・オシム氏の強化担当技術委員長就任(南アフリカW杯後)
その3 JリーグAFC枠の即時自由化
その4 JFA・Jリーグの事業仕分・歳出削減と子供達の協会費無償化
その5 フットサルの体育授業採用へ全力で取り組む
その6 女子サッカー・フットサルクラブへの用具助成と補助(ママさん大会も盛大に実施)
その7 協会員全員参加のJFA会長選の即時実施(Jチェアマン選は全選手参加)

なお、同キリタニ会長兼チェアマンは、上記7つの改革案を民主的手続きを踏まずに決裁したために、本日4月2日に行なわれたJFA会長及びJリーグチェアマンのリコール選挙において、1.423.231票vs1票(チェアマン選1.238票vs1票)の壊滅的大差で解任された。なお新JFA会長は野村尊敬氏。Jリーグ新チェアマンには祖母井秀隆氏が即日就任。

本郷のJFA本部内では、たった1日で解任されたキリタニが暴れ、某名誉会長を殴っただの殴られただの、俺も叙勲されてぇだのとっとと引っ込めだの、サッカーミュージアムのお姉ちゃんとまだメルアドの交換が済んでいないだの後日客としてくりゃあいいだろう……だのと怒号が飛び交い、終日揉めに揉めた挙句、キリタニ元会長の去った後には、会長室の薄型液晶TV、PC、高級葉巻などの金目の備品が幾つか無くなっている……との未確認情報も囁かれている。

以上、1日遅れのエイプリルフールでした。
週末から旅に出てきます。(これはホントです^^)



~一言コラム~

協会の176億円の予算。WC4位の18億円の賞金見込み。
これがどこからくるのか……と云えば、6且の会長選挙までの体裁、そこまでの逃げ切りを図りたい現体制や一部理事たちの無責任な体質によるものだと僕は予想する。今ここで収入見込みや予算を減じれば、様々な関連事業への予算配分や、役職者たちへの手当てまでをも同時に減じねばならない。会長選挙を目前控えて、誰もそんなことはしたくない。財源の手当ても無しに、選挙前のバラ撒きだけは貫徹するニッポンの政治と同じ構図である。(2010.3.19)

ザっとJ1強豪クラブの開幕数試合を見渡したところ、現状どこも決め手に欠けるし、序盤は混戦になりそうな予感。その中で確かな地力を感じるのは『鹿島』『広島』『名古屋』『仙台』といったところ。『浦和』も去年より強い…と感じる。今日の山形戦に勝てれば、ここから連勝が続く予感。(2010.3.24)

ACL・アデレードvs広島戦。
広島にとっては、オーストラリア・韓国・中国のグループにおいて、初戦ホームの中国チームとの対戦を勝ち点0で落としてしまったことが、ここまで尾を引いてしまっているのだと思う。もしあの試合で勝ち点1でも得ていれば、その後の戦い方に幅を持たせることが可能だった。このアデレード戦の敗北も、初戦の敗北からの負の連鎖であると僕は思う。(2010.3.26)

この週末。Jリーグ第4節は『川崎vs清水』『鹿島vs山形』『C大阪vs浦和』『大宮vsFC東京』あたりの試合を見たいと思います。週明けに何を書くかはまだ未定。どこまで続くか判りませんが^^;しばらくここで毎日つぶやきたいと思います。(2010.3.27)

ポンサクは大分衰えてしまっていると思うが、それでも技術・スピード・瞬発力、どれひとつとっても現状の亀田・内藤のそれよりははるかに上なのではないかと感じた。個人的に亀田のボクシングは、プロとしての魅せる要素に欠ける。亀ガードから手打ちのパンチでポイントを稼いでいるだけでは、見ているこちらは退屈である。昨日の試合にしても、長島☆自演乙の方が遥かに面白く、感動的だった。今朝はたいそうメシがうまい。(2010.3.28)

今日は浦和と大宮の試合について書こうと思っていたのですが、チャンピオンシップ復活報道のバカらしさに黙っていられず、急遽予定を変更して、今回の記事をアップしました。この流れにのって、Jリーグ改革私案の更新もいずれ予定しております。浦和と大宮については近々書く予定でおります。なぜJリーグではまともなサッカーを見せてもらうことが叶わないのか?アンヨンハの激しいプレーと闘志は、何よりもJリーグに一番欠けているもの。日本のサッカーは、むしろ彼から学ぶべきなのだと僕は思う。(2010.3.29)


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2010年03月23日

次期日本代表監督は誰か… 【キリタニ】

昨年の夏、僕は『ポスト岡田への推薦状 後編』においてこのように記した。

僕が次期日本代表監督として推薦するのは、オズワルド・オリベイラ監督、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の二人である……と。

その思いに未だ変わりないし、この二人のいずれかに就任してもらうのが、日本代表の未来にとってはベストであると思っている。

が、しかしこれはあくまで僕の願望であって予想ではない。現実には、まずそうはならないだろうと考えている。御存知のようにオリベイラさんは、権力や権威に対して媚びることのないモノ云う指導者である。彼のこれまでの言動から、自らの信念を貫く高潔な意志の持ち主であることが伺い知れる。

何よりも優先して、円滑にビジネスとしての代表興行を取り仕切りたいJFAにとっては、監督オリベイラは非常に扱いにくい相手。そしてそれは、オシムに近いペトロヴィッチ監督に対しても同じ事が言えるだろう。過去にトルシエやオシムの、馴れ合いを拒む頑強な意志に悩まされた苦い記憶の残るJFA幹部達にとっては、そのいずれも、再び踏みたくは無い、同種の地雷と映っているのではないだろうか。

では、次期日本代表監督の本命は誰なのか?

もしW杯後の会長選で犬飼基昭現会長の再選がなれば、僕はすんなりギド・ブッフバルトに決まる可能性が高いのではないかと思っている。実質的な犬飼主導の人事である。

監督にブッフバルトを据えて、浦和の選手たちに闘莉王や長谷部誠を召集して埼スタをメインに興行をおこなう。過去浦和において大きな実績を持つ彼であれば、斜陽の一途をたどる日本代表ビジネス復興の為に、そのような自らの成功体験を再び踏襲するプランで臨むのではないかと僕ならば予想する。

が、犬飼会長の再選がならず、川淵氏の推す新たな傀儡にバトンが引き継がれるのだとすれば、その際は西野朗さんの就任する可能性が一番高いのではないかと考える。しかしこれも、会長選次第……。今後毎年十億円単位の収益減の見込まれるJFAにあって、これまで通り川淵氏の権勢が維持されるかどうかは微妙なところのような気もする。金の切れ目が縁の切れ目……という状況も充分にあり得るだろう。そこでまた協会内に新たな力学が生じることも考えられる。となれば、原博美強化担当技術委員長が主導権を握っての次期代表監督選考(スペイン路線)の目も残されていると言えるだろう。

要するに

本命:ギド・ブッフバルト
対抗:西野朗
穴 :原主導によるスペイン路線 or 新会長自らによる抜擢

が、今現在の僕の予想である。
そしてあえて付言するならば、自らの予想でありながら、できることならば“外れて欲しい”と密かに願っている。僕個人の意中の人は、あくまでオズワルド・オリベイラ監督であり、でなければミハイロ・ペトロヴィッチ監督ということになる。彼らより優れた監督は世界を見渡せば何人かいるかも知れないが、彼らほどその立場に相応しく、また確度の高い選択はないと思っている。

彼らはアタッカーに強力な外国人FWを並べるのではないやり方で、しかも日本人主体の体制で、強固なチームを創り上げてきた。欧州のビッグネームと比較しても、これ以上信頼に足る確かな実績はないと僕は思う。

決まってから……では遅いのだ。
それを充分すぎるほど味あわされた2年半ではなかっただろうか。

僕は3カ月後のW杯を誰で行くのか……よりも、今この時点に至っては、2014年へと向かう体制がどう作り上げられるかの方が、日本のサッカー界の未来にとって遥かに重大な出来事であると考える。そしてそれに僕らの立場から幾らかでも関与し、影響を与えようとするのであれば、この時期にこそ、様々な場所において、真摯な議論が為されるべきである。

今がその時なのではないだろうか?


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2010年02月17日

ニッポンの贅肉 【キリタニ】

犬飼会長は、岡田武史監督を切らないのではなく、切れないのだろう。

南アフリカワールドカップが終われば、彼自身の“絶対に負けられない戦い”JFA会長選が、例によって『密室』にて執り行われるだろう。そもそもJFA内に、強固な地盤など持たない彼が、どうやって、誰の意によって、今現在の地位に就くことができたのか?少し事情を知るものであれば、思い当たる節はあるはずだ。

次の2年の任期を全うするためには、その後ろ盾の協力と援護が必要である。今回の監督人事が、その後ろ盾の人物の意向か、或いは俺が選んだ監督じゃない…というエクスキューズ確保の為なのか、僕には判らないが、『リスクがありすぎる…』というそのリスクは、JFA会長選を指していると思えば、これほど誠実な回答はない。要するに今の彼は、ある意味『去勢』された状態で、あの地位にブラさがっているだけのハリボテに過ぎないのだろうと、僕は推測する。

もし彼が次期会長選にて再選されれば、日本代表はゆるやかに“浦和レッズ化”してゆくのではないかと僕は予想する。これまで同様、スポンサーサイドからの様々なオーダーと共に、今後は浦和レッズの集客力・動員力を当て込んだ、代表興行に転じてゆくのではないだろうか…と。強化の前にビジネス。残念ながらそれが、今現在のJFAのプライオリティーなのだと思う。

予想通り、日本代表戦のブランド力は失墜した。JFAの経済もいずれ疲弊することだろう。そしてそれをキッカケとして、さらに容赦のない代表の商業主義化、JFAによるJクラブからの経済的収奪が加速するのではないかと、僕は危惧している。それはある意味この国の政治、長期政権の腐敗による断末魔の醜態と同じ構図である。そして尚性質が悪いのは、彼らは国民の審判を受けない…ということである。そういう意味では、我利我利の私欲を剥き出しにした官僚支配に酷似しているのかも知れない。いずれにせよ、この国の構造とよく似ている。

小野伸二、高原直泰、小笠原満男、遠藤保仁……彼ら日本の黄金世代の選手達が育成年代にさしかかったころ、JFAの収入は今の1/4程度でしかなかった。10年前でやっと今の半分、1/2である。

この10年、20年で、JFAの収益は右肩上がりに大きく膨れ上がった。
そしてその膨れ上がった収益によって、何のため、誰のためなのかも判らぬ、さまざまな関連事業が肥大化していった。

果たしてこの収入の増加分に比例するほど、若年層の強化が進んだと言えるだろうか?日本のサッカーが少しずつでも前進しているとして、それがこのJFAの4倍になった収益によるものだと言えるだろうか?強化の主体たるJクラブは、それで少しでも肥えることができただろうか?代表に選手とスケジュールを供出させられているJクラブは、それで少しでも楽にしてもらっただろうか?

僕はその多くの部分が、無駄な贅肉でしかなかったのではないかと思っている。

むしろ健康に有害な、過剰の脂肪やコレステロールの類であり、すでにそれは半ば腫瘍化しているのではないかと思っている。危険なレベルにまで肥大しているのではないだろうか?と。そしてさらにそれは、今やこの国の背骨であり筋肉たる、Jクラブの経済までをも蝕みはじめているのではないだろうか?

契約の関係上、本当の地獄はこれからはじまる。その時、食い詰めた彼らは、反省し自らのその贅肉を削ぎ落とす前に、この身体の健全をギリギリのところで支えている、骨や筋肉から削ぎ落としてゆこうとするだろう。それによってサッカー自体が死に絶える訳ではないだろうが、僕達はそんなことを、これまで通りみすみす許していて良いのだろうか?

JFA、岡田監督は、3月3日アジア杯予選バーレーン戦(ホーム)に、急遽、海外組の選手を招集することに決めたのだという。一部を除き、所属チームでレギュラー争いに四苦八苦している選手達を…である。その過酷な時差とスケジュールを省みず、既に当落の決定しているその試合に…。

彼らが意図しているものは何なのか?何のため、誰のための試合なのか?何のため、誰のための代表戦なのか?ピッチ外の真実についても、そろそろ皆が目を向けるべき頃合なのだろうと僕は思う。

考えてみて欲しい。
オフト後の歴史において、JFAは『長期的ビジョン』や『強化の継続性』を踏まえた一貫性のある代表監督人事を一度でもしてきたことがあっただろうか?

ただ一度、イビチャ・オシムの擁立によってその意志を示そうとしたかに見えた。が、その後の岡田監督就任までの茶番劇を見れば、それが自己保身の為のフェイクでしかなかったことは明白である。結局すべて行き当たりばったりの、商業主義優先の、縁故や個人的付き合いによる、出鱈目な抜擢ではなかっただろうか?

確かに今、岡田武史氏を代表監督の座から引き摺り下ろせば、4ヶ月後はいくらかまともな夢を見せてもらうことは可能かも知れない。

しかし、その4カ月後の後、にはどうなるのだろうか?これまで15年に渡る慣習を一変させ、そこでJFA、犬飼会長とその後ろ盾は、突然『長期的ビション』や『強化の継続性』という視点に立った、私心を捨てた選択をしてくれるようになるのだろうか?

僕はほとんど期待できないと思っている。

これまで通り杜撰な、場当たり的な、身内の身内による身内の為の、一貫性のない代表監督人事が繰り返されてゆくのだろうと思っている。

僕達は川淵ヤメロと叫んだが、その後に出てきた犬飼会長で何か1つでも良いことがあっただろうか?救われたことがあっただろうか?ただひとつ思い知らされた事。それはJFAというこんな狭い世界にさえ、上には上が居るものだ…と言う現実。ある種の驚愕と絶望感のみではなかっただろうか?

このJFAという組織と、強化の在り方を抜本的に変えたいのであれば、協会員の民意による、開かれた会長選挙を実現する以外にないのだと僕は思う。その時々の監督や会長を、いちいち引き摺り下ろすことに躍起になるよりも、会長選実現の為に何ができるのか、何を成し得るのか、を考えることの方が、はるかに健全であり、合理的な考え方ではないかと僕は思う。犬飼氏にヤメロといったところで、次に出て来るものが更なる大物であったならば、事態はむしろ悪化してゆくばかりではないか…。それは代表監督人事においても同じ事である。

こんなシステムや構造こそを、変えていかなければ、問題の本質は何も変わらないのだ。

この十数年、僕は僕の中で、日本のサッカー界の贅肉になるような自らの行為、消費活動を厳に慎んできた。いずれはそれが、この国のサッカーの健全を損なうだろうことを予感していたからである。バブルによるあぶく銭など、身につくものではないと、心の中で確信していたからである。今後も僕は僕で、それを継続してゆこうと思う。『開かれた会長選挙の実現』をゴールと定めて…。


皆さんは霜降り肉がどのようにしてできるか御存知だろうか?
大雑把に云うとこんなところなのだそうだ。

遺伝的資質を持つ牛を『去勢』し、風通しや温度変化を与えないための『密室』に閉じ込め、本来喰うべき牧草、ではなく『濃厚飼料』をたらふくその胃の中にぶち込んでおいて、筋肉の状態を正常に保とうとする『ビタミンA』を欠乏させてやるのだそうだ。サシの入った霜降りのやわらかい肉は、こんなふうにして出来上がる…という。が、そのように不健康な、ある意味『異常』な、育て方をされることによって、その牛は『失明』し、人に喰われる前に落命することも少なくないのらしい…。

果たして今のJFA、日本サッカー界の中枢は健全に機能していると言えるだろうか?
最後に一言だけいわせてもらおう。サッカーと同じように、

ピンチこそが、最大のチャンスである……と。


※関連エントリー
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2009年12月15日

日本サッカー界今年の漢字は… 【キリタニ】

今年の日本サッカー界を漢字1字で表すならば、

                       

である。

Jリーグ、日本代表を含めたサッカー界の経済、構造、倫理、環境…。多くの事柄がすでに転換点を迎えているのではないだろうか。そしてまた協会トップや権力者たち、クラブ首脳たちの方針や発言も、思慮の無い思いつきや感情論、勘定論ばかりの、腰の据わらない転々としたものばかりであった。唯一、ブレなかったのは、犬飼会長の秋春制への妄執である。夏の代表スケジュールのためにJリーグを一旦中断させる…いや、させたい…なんとしても、させねばならん…という意地と覚悟だけは見上げたものであった。しかし、それも節操無く、様々な大義名分にカコつけて悉く論理破綻させられた果て…の無様な姿であり、最近では、転々と転がった先の、やけにしおらしい「要望」や「お願い」のような調子になっているのが、僕の目にはお茶目でさえある。ここからの最後の悪あがきが見ものである。

改革すべきところを変えずに、改革すべきではないところから手をつけて、元々すべきだったところが隠蔽されてしまおうとしている。これはここ数年来、そして今現在の、この国の政治の世界と、まったく同じ構図である。そして、そうこうしているうちに、今その高みから、転々と転がり落ちようとしているように僕には見えるのだ。

右肩上がりの時代ならば、誰がどんなふうにやっても、たいした問題にはならなかっただろうし、実際にそれは歴史が証明している。しかし、これからの時代は、誰がどうやったって困難な時代なのだ。だからこそ、指導者の優れた知性と英断、そしてそれを支えるみんなの智慧が求められるのだ。

来年こそは、『転』から『起』の年へ。

そのために一番大切なイベント、それは岡田武史氏率いる日本代表の南アフリカワールドカップではなく、2018、22年ワールドカップ日本招致の成否でもなく、次期JFA会長選である…と、僕は思っている。

そこでどのようにして、如何に透明なカタチで次期会長が選ばれるのか…。そしてそこで選ばれた次期会長が、開かれたJFA会長選というものに対してどのようなビジョンを示すのか…或いは示さないのか。僕はそこにこそ、今後10年、20年の、日本のサッカー界のミライがかかっているのではないかと睨んでいる。大切なのは、私益ではなく公益である。そしてそんな良識を守り得るシステムである。この悪しき流れは、どこかで断ち切らなければならない。

一個のニンゲンの視野とは限られたものである。一個のニンゲンの知識や思考にもまた限りがある。そして完全なものなど絶対に有り得ない。ニンゲンが下す判断とは、常に、そして往々にして、誤るものなのである。

だからこそ権力とは、それに連なる人々の評価に正しく向かい合い、そして耐え得るものでなければならない。

誰がそこに就くか…が、問題なのではない。彼がどうやって選ばれたか?またそれを、選んだものとしての責任を、皆が共有できるシステムこそが必要なのだと僕は思う。であれば、日本のサッカー界も、大きく変わってゆくことだろう。その時、ほんとうの意味で新しい時代を迎えることができるのだろうと、僕は思っている。

※関連エントリー
ポスト岡田への推薦状 前編
秋春制の結論

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2009年07月29日

ポスト岡田への推薦状 前編

ポスト岡田への推薦状。
いま僕の頭のなかには、明確に二人の外国人監督の名前がある。タイプは大きく異なるが、どちらも文句の無い日本代表監督候補であることに変わりは無い。ただし、最終的にそのどちらを選ぶかで、日本サッカー界における、日本代表というものの位置づけが今後少しばかり変化し、また定着してゆくことを望んでいる。これまでのような、何らビジョンのない、場当たり的な監督人事は以後二度と繰り返すべきではない。

しかし、その論の前に、どうしてもこれだけは言っておかなければならないことがある。それは、Jリーグ組織とJFAの組織改革なくして、この僕があげる次期代表監督候補のクラブからの収奪は、僕自身絶対にゴメンである…ということである。

JFAが自らの収益を際限なく肥大化させ、公益法人としての名目上、それをどうやって“使い切る”かに血道をあげてきたその一方で、Jリーグ各クラブは一部を除き、厳しい経営環境の中、その多くが爪に火をともすような営業努力、経費削減を続けてきた。ただでさえ厳しいリーグ・カップ戦日程の中に、強化や親善という名目のJFAによる代表戦という“集金試合”を多数組み込まれ、主力選手の収奪をほぼ無条件に突きつけられながら…である。

またJリーグにおいては、いっぽうの収益の柱であるTV放映権の自由と裁量を奪われ、また論理的にもスジの通らないベストメンバー規定やドーピング規定問題のゴタゴタなどの不条理を飲まされてきた。が、その一方で、同じく組織としてのJリーグが自らでコスト削減をし、各クラブへの分配金を増額した…という話はほとんど聞かない。11ミリオンというスローガンの下、各々のクラブ収益ではなく、一元的に観客総数増…という実りのない目的のために、性懲りなく無謀なクラブ数の水増しや試合数の水増しを図っている。これではリーグが潤えば潤うだけ、クラブや選手は疲弊してゆくばかりである。ナンセンスの極み…であると僕は思う。

さらにJFA主催の天皇杯改革、ここへきてのFIFA基準への急激な順化、2018、2022WC招致、そして、問答無用で強引に推し進める覚悟の秋春制。誰が筋書きを書いているのかは分からないが、それらすべては、論理的にはいくつか破綻しながらも、JFAのさらなる収益拡大と肥大化を目指す…といった一点においてはまったくブレのない、その道のプロのデザインしたなかなかのプランニングであると、僕の目には映っている。ただし、サッカーに対する真摯さ、哲学だけは、完全に抜け落ちているが…。

日本代表監督への就任は、その監督本人のみならず、それを送り出すクラブチームやファン、サポーターにとっても、ひとつの大きな名誉でなくてはならない。しかし、今の日本サッカー界における構図はどうだろうか?当事者である監督一人をのぞけば、誰がそれを栄誉と感じているのだろうか?どれだけのファンやサポーターがそれを喜べるのだろうか?こんな環境、こんな循環を醸成してしまったのは、組織としてのJFAのもっとも大きな罪悪のうちのひとつであると僕は思っている。

彼のキャリアのためには素晴らしい挑戦である。この4年間、自らの愛すべきクラブチームと共に、日本代表チームも精一杯サポートしてやろう。彼がクラブで育て上げてくれた選手たちと共に、一緒にワールドカップまで辿りつき、そこで世界に、ニッポンのサッカー、Jリーグのサッカーを見せ付けてやろうじゃないか…と、そんなふうに思える環境こそを創り上げてゆくのが、JFAの、Jリーグに対する責任であり、務めでなくてはならないと僕は思う。

現時点のそれは、増長し自制の効かなくなった悪大名の非情な取立てにすぎない。これまでのような哲学のない代表監督人事、代表強化の方針であれば、日本代表自体がJリーグファン・サポーターからパージされ、やがてはそっぽを向かれてしまうだろう。今のままでは絶対にいけないと僕は思う。

もし僕がJFA会長、犬飼氏の立場であれば、少なくともFIFA・AFC主催の公式戦以外の親善・テストマッチ(キリンカップ含む)に対しては、選考選手を供出してくれたクラブチームに対して、一試合につき一人あたま1000万円程度の助成金を支払いたいと思う。であれば、少なくとも1つの親善試合において2億円程度の助成金が必要になる。それを支払って尚ペイしないような親善試合であれば、収益面からもやる必要はないのだ。それによって現状水増しされている親善試合・テストマッチの年間2~3試合は、やがては削減される方向へ向かうのではないだろうか?

また常に代表選手を供出させられるクラブチームにとっては、それなりのまとまった強化費として役立てることができる。常に2人~3人の召集を受けるクラブであれば、それは年間2~3億円ほどの強化のための資金になる。広島や清水、大分のようなクラブにとって、所属選手の代表選出は、クラブ経営の大きな助けとも成り得るだろう。ファンやサポーターたちにとっても、自クラブの選手たちが代表に選ばれる事に、ある意味で“喜び”と“利益”を感じられるようになるのではないだろうか。

そしてその上で、JFAはJリーグ本位、クラブ本位、さらにそこに在るサポーター本位の、徹底した改革に取り組んでいかねばならないのだと思う。ここで詳しく論じる時間はないが、僕から見れば秋春制で日本のサッカーが、Jリーグのサッカーが、強くなる根拠などどこにもない。改革の本丸はそんなところではない。強化の本道は競争であり、ある意味での自由化である。ベストメンバー規定や代表チームのアイドル興業化は、その競争と自由化の概念に背くものである。
そしてその前に、何よりもJFAは組織としての透明化と効率化を抜本的に成し遂げなければならない。本当の意味での民主化も、もちろん大前提になければならない。その上で、日本代表というものに対する普遍的ビジョンと、商業主義・金権主義一辺倒に陥らないモラルを示さなければならない。

今の時点では、失格である。

まったくお話にならないレベルである。
僕が次回語るつもりの次期代表監督候補とは、彼らがそのハードルを乗り越えて、ほんとうの意味でのスタートラインに立ってくれることを前提とした、ある意味での絵空事である。

おすすめの韓国旅行と韓国人の人柄 

posted by キリタニ |10:41 | JFAについて | コメント(26) | トラックバック(4)
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2008年12月17日

秋春制の結論

「移行するメリットが見えない」

秋春制移行に関しては、Jリーグ実行委員会で表明されたこのコメントに尽きるのではないだろうか。メリットこそが全ての出発点であり、現実に移行できるかできないかの議論は、そのずっと先の話である。

例えば100億、200億の資金があれば可能だとして、それだけの莫大なサッカー界の財を、或いは国家・地域における血税を、そんなメリットの定かならざるものに投入することが、果たして妥当なのだろうか。有効な金の使い道だと言えるのだろうか?街に失業者が溢れ、プロサッカー界においても容赦の無い大量解雇が相次ぐこの時勢に…である。

それならば、そんな金があるのならば、それは草の根の普及のために使ったほうがはるかに有意義であると僕は思う。子供たちの登録費を減免する。女子サッカーの普及のために助成する。学校体育にフットサル取り入れの為の働きかけをする。或いはユース世代の海外経験、留学の為の資金とする。さらには、国内での日本代表興行を減らして、海外遠征に予算とスケジュールを割く…など、より有効な使い道はいくらでも思いつく筈だ。

可能か可能ではないか…。
の議論は、往々にしてその前段の大切な部分が抜け落ちている。

考えるまでもなく思いつくだけの多種多様なデメリットを、まとめて覆すだけのメリットが果たして“秋春制移行”に見込めるのか…。秋春制賛成の主張はいくつかの場所で目にしたが、そのデメリットに勝る具体的なメリットを、そしてそれを立証するに足る論拠を、僕はついに発見することはできなかった。
単に欧州にスケジュールを順ずることが、メリットであるとする論理は僕にはまったく判らない。Jリーグの選手たちが欧州へ移籍することが、即ちニッポンの利益ばかりであるともまた思わない。少なくともそれはJリーグにとっての不利益であることだけは確かなのだ。

この問題の本質はどこにあるのか?
僕はそれをずっと前から、JFAとJリーグ各クラブの“利害の相克”、その不一致にあるのだと思っている。JFAが財団法人としての立場を逸脱して、この先も己の利益追求に血道をあげてゆくのであれば、この利害の衝突を避けることはできない。そしてこの先JFAが経済的に窮することになれば、その傾向はますます強まり、ますます鮮鋭化されてゆくものと考える。

犬飼基昭会長が優秀なビジネスマンなのかどうかは僕には判らない。が、少なくとも川淵体制から連なる現在のJFAに対する忠義な組織人であることだけはよく理解できる。この僕とて、一企業人、組織人としてであれば、JFA川淵名誉会長の命を受けてこのJFAビジネスをさらに盛り立てる為に、まずはこの“秋春制移行”を最優先課題として取り組んでいた事だろう。それは広くサッカー界、Jリーグの利益の前に、JFAの利益を優先して考えるのであれば…である。

ここに在るべき構造、システムを、常にJFA側からの上意下達を是とする慣習の惰性から脱し、Jクラブ側からも対等にモノをいい、意見し得る、均衡のとれたある種の対立関係を醸成してゆくべきなのだ。現状それなくして、JFAが自ずから自省し立場を改めることも、誰から言われもせぬままに膨張した利権を自らの手によって手放す事も、僕は有りえないことであると思っている。選手同様、クラブもここで戦わなければならないのだ。そのために今何を言い、何をすべきなのかを、必死で考えなければならない。そしてそれは僕たち自身も同じなのではないだろうか。

僕は改革を拒むものではない。むしろ強く推進すべきものであると思っている。
しかし、いま犬飼会長から発せられるそのほとんどすべては、JFAにとってはいざ知らず、日本サッカー界にとっては改革ではなく、“改悪”そのものであると思っている。まずは是正すべきものを是正し、どのようなJリーグを目指すべきなのかについて再度私案を提示してみたい。このシーズンオフに、もう一度自分なりにそんな問題意識と、あるべき改革の方向性についてまとめてみたいと思っている。

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posted by 桐谷 |11:48 | JFAについて | コメント(26) | トラックバック(5)
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2008年11月27日

ハンス・オフトの意地と誇り

皆さんはアメリカの核発射ボタンがどのように管理されているかご存知だろうか?

多くの方々が誤解しているか、或いは興味も関心も持たない事柄なのだろう。僕は小2ではじめて米ソの核兵器の存在を知った。そしてまさにその夜から、これが心配でしばらく眠る事ができなくなった。次の瞬間には、ふとした事故から世界が…、大好きな祖母や愛犬や家族らが全部吹っ飛んでしまうのではないか…という恐怖に苛まれたからだ。

おそらく誤射や発狂の可能性をあらかじめ考慮してのことなのだと思うが、大統領が直接のそれを持ち歩くのではない。発射キーは二人の管制官の手によって管理されている。2つの発射キーが4、5メートル離れた位置で“同時”に回されたときに、はじめて発射される仕組みなのだそうだ。そしてどちらかが発狂した場合に備えて、そのお互いが、互いを撃つための拳銃を携帯している…。誤れば全人類が死滅してしまうかもしれない一大事である。きっと他にも、何重にも、安全装置が作動するシステムになっているのだと考える。
もっともこれはすでに十数年前に見た何かの書籍の受け売りに過ぎない事をここに付記させていただく。実際に僕が見てきた訳ではないし、時の流れと共にそんなシステムも、さらなる改善を経て、より良き安全性の高い仕組みに革新されていることだろうと思う。

これと同じように、本来あらゆる“権力”というもののリスクは、そのような分離・分散の安全装置、システムによって管理されるべきものであると僕は考える。“権力”それ自体が、その用い方によっては他者の存在を容易く、無自覚に消し去り得るチカラを持つものである…ということを、何よりも権力者そのものが理解しなければならない。それを面白がったり、自覚なく振りかざしたりするものが、本来権力者の地位に在ってはならないのだと僕は思う。

一個のニンゲンの価値観や思いつきが、かくもサッカー界全体に甚大な影響を及ぼし得る独裁的な構造や強権的なシステムは、ただちに是正されるべきである。もし僕がJFA会長の座につき、すべての決定権を単独で得るチカラを持ったならば、僕は一日でそれを終わらせてやろうと思う。JFA全登録会員に開かれた会長選の制定を裁決し、その日のうちに辞職しよう。それができれば、それ以後のサッカー界に対して、何も言うべきことはない。

たくさん間違えればいいし、その責任はサッカー界みんなで背負い、また考え直せばいい。当たり前のように間違え、当たり前のように皆でそれを受け止め、またやり直せばいい。そんな当たり前のシステムが、当たり前のように皆の責任において育まれてゆく事が、このニッポンのサッカー界に、何よりも必要なことなのだと僕は思っている。

僕はそれがすべての“原点”なのではないかと思う。

下記にふたつの報道記事をそのまま掲載する。それぞれがそれぞれにそこから何かを読み取り、自らの頭と心で、これについて何か考えてくだされば幸いである。


日本協会の犬飼基昭会長(66)がG大阪に“肩入れ”した。磐田は天皇杯G大阪戦での大幅メンバー入れ替えを明言し、犬飼会長は不快感を示していたが、表彰席に同席した川淵キャプテンが「(犬飼会長が)西野に“そんなメンバーに負けるなよ”と言っていた」と明かした。

 26日に帰国した犬飼会長は発言の経緯について「遠藤が最優秀選手を逃した。天皇杯を獲ってACLの出場権を獲らないと来年も(MVPを)獲れないから、そういう意味で頑張れと言った」と、磐田のメンバー問題が理由でないことを強調した。遠藤を思う気持ちから出た言葉だとしても、一方のチームだけを激励したのは事実。協会トップとして平等な立場でなければいけないだけに、やや配慮が欠けていたと言われても仕方のないところだ。 *スポニチ


磐田オフト監督・天皇杯G大阪戦後の会見
「このカップ戦からは敗退したが、われわれは変更されたスケジュールでプレーしなければいけなかった。このスケジュールを決めたのは、われわれではない。日曜日にプレーして、今日のナイトゲーム。そして土曜日にもすぐゲームがある。私は今日、このゲームでしっかりジュビロを代表してくれる選手たちを選んだと思っている。もちろん、勝利したかったが、われわれは優先しなければいけないことがある。それはJ1に残留すること。社長がそういう考えをしっかりと持って、私を呼んで、私にこの仕事を与えてくれた。チームとしての判断を私に任せているというこであり、クラブ全体の判断ではない。そして私には、ここで行なう仕事がある。私の契約書を見れば、それがどういうものかわかると思う。

もうひとつは敬意という部分。私は27年前から日本に何度も来ていて、日本を愛している。最初からジュビロに関わっているので、ジュビロも愛している。だから、ただ単に日本に来て、適当に仕事をして帰るという外国人とは違う」*J's GOAL


最後に一言だけ僕がここに言葉を書き置くとするならば、

『ジュビロ、頑張れっ!』である。

『“そんなメンバー”たちの為に、サポーターたちの為に、僕たちのJリーグの為に、そしてハンス・オフトが貫いてくれた意地と誇りの為に、絶対に負けんなっ!勝ち残れっ!』ということである。

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2008年11月18日

秋春制の真相

犬飼基昭新会長がJリーグ“秋春制”への移行をブチ上げてから、様々な場所で様々なメリット、デメリットを論ずる考察、その是非に対する賛否が訴えられてきた。

しかし、ずっと以前にも議論された題材にしろ、なぜこうも唐突に、そして拙速に、彼が“秋春制”に執着、ごり押しするのかについての考察を僕はあまり見聞きした覚えが無い。まずここからの考察は、すべて僕個人の推論であることを最初に断っておかねばならない。これを真実である…などと言う気は毛頭ない。今現在の僕から見た一番、“真実らしきもの”である、というだけの話である。ネット上に散らばる情報の断片を集積しながら、でき得ることならば個人個人が、自分なりの“真実らしきもの”を、それぞれの推察によって手繰り寄せてくれる事を僕は期待している。

なぜ犬飼氏は、これほど執拗に“秋春制”への移行にこだわるのか?

犬飼氏は誰よりも“選手の消耗”と“ゲームクオリティの低下”を危惧し、それをこの国のサッカー界最大の問題と認識する人物だからなのだろうか…。そんな筈は無い。であれば、意味不明の“ベストメンバー”への執着はどう両立するのか?彼があくまで“選手本位”の主張の持ち主であるとすれば、シーズン移行の前に、まず試合数の削減やスケジュールの改正に取り組まなければ論理矛盾なのである。

では犬飼氏は何よりも“欧州シーズン制への順化”を、さらなる強化・発展へのキーポイントであると考えているのだろうか?…それも違う。そもそも現時点で、欧州にスケジュールを合わせることによる具体的メリットは見つからないし、様々な非難もあってか彼自身がJFAの意見表明の場で、すでにそれを取り上げることさえしていないではないか。

要するに、この“秋春制”を叫びだした最大の根拠はそこには無い。それはこれを強引に押し通すための見栄えの良い“大義名分”であり、選手やサポーターの熱中症や落雷被害などを都合よく逆手に取った、辻褄合わせの後出しの根拠に他ならない。

南アWCの開催権移譲に備えてのものではないか…との論説も目にしたが、来るか来ないか判らない、そしておそらくは来ない可能性の方が遥かに高いWCに備えて…というのも、彼のその切実さ強引さの点から、僕にはどうもピンとこない。例え南アでの開催が否定されたとしても、欧州からみれば移動距離も時差も気候もまったく異なる日本での代替が、そう易々と賛同を得られる可能性は著しく低いと考えるからである。

では、なぜ今、2010年秋春制なのか?

結論を言えば、代表マッチというコンテンツの価値を、海外から強豪を迎えやすくすることで高めたい広告代理店(D社)サイドの意向。またJリーグとの共存を、いよいよ真剣に考えなければ立ちゆかなく成りつつある現状を危惧したNPBプロ野球各球団親会社と提携広告代理店サイドの意向。そしてさらには、Jリーグと広告代理店(H社)サイドとのリーグアライアンスマーケティングパートナー契約が切れる2010年という期限。(或いは2010年からD社へ…という思惑も水面下でくすぶっているのかも知れないが…)

またさらに、2007年から2014年まで、JFAが広告代理店(D社)と交わした8年間240億円の長期契約。現実として“秋春制”へと移行する場合、その移行時期はどうしてもWC年に限定されることを考えれば、そして次の契約は遅くとも2013年には“しかるべき条件”での合意に達していなければならないだろう状況を鑑みれば、やはり広告代理店サイドの要請する“秋春制”タイムリミットとして2010年が提示されるのは自然の流れである。

これこそが、この2010年“秋春制”移行への最大の根拠であると僕は推測する。

思えば犬飼基昭新会長の誕生もこれと無縁ではないのかも知れない。いや、そもそも彼はこの重大な使命を背負って、JFA新会長の座へと背中を押されたのかも知れない。“秋春制”への流れは、JFA組織内において、すでに規定路線、抗う術さえなく進行してしまっているのではないだろうか。僕はそんなふうに考えている。

僕は、スポーツの商業主義化、それ自体を否定するものではない。
ある意味広告代理店が、そこから得られる収益の最大限を引き出そうとするのは当然であるし、それによってスポーツそれ自体が得る利益というものも確かにあるのだと思っている。

しかし現在のJFAは、公益法人の枠を逸脱して、自らの利益のために、一私企業であるJリーグ各クラブの経営判断にさえ圧力を加え、ある意味ではその守られるべき正当な自由を、受け取るべき正当な利益を、権力によって収奪せんとたくらむ下卑たハゲ鷹のように見えなくも無い。果たしてこれが、スポーツ振興を旨とする非営利団体のあるべき姿だろうか?

そこには健全な均衡というものが不可欠である。
その健全な均衡の為に、常に鋭い目を光らせ、その状況をジャッジし、スポーツそれ自体への尊厳を決して見失わないリーダー、指導者こそが日本サッカー協会のトップに在るべきなのだ。

果たして今のJFAは、犬飼基昭会長は、そこに在るべきリーダーとして相応しい人物なのだろうか?

この図を見ていただければ分かるだろうか。JFAの収入は、短期間にこれだけの急成長を遂げているにも関わらず、その支出はその収入に対して均衡している。要するに入った金は残さず使い果たされる財政状況であることを示している。(JFAは内部留保に制限のある公益法人である)

この右肩上がりだった収入が急激に萎縮するような状況に際して、果たしてこの肥大化した組織は適正な支出削減により対応する事が可能なのだろうか?トップ、役員らは、他者に負担を強いるのではなく、自らの身を切ってでも、この組織を存続させてゆこうとする清廉な叡智を、果たして所有しているのだろうか?国家でも企業でも同じ事である。いつだって破綻する時には、自らでこしらえたその墓穴に、自らで転がり落ちるのだ。夥しい無辜の民の、夥しい犠牲を道連れにして…である。

こんなことなど何も知らず、時に笑顔で時には泣き顔でそれをプレーし、時にはきれいなピッチ上のそれを大好きな仲間たちと観戦して愉しむファンや子供たちがいる。そんな風景を僕は愛おしく思う。彼らにとってどこまでもサッカーは、楽しく美しいものであって欲しいと思う。いつまでもそう在り続けて欲しいと願う。

その為にできることを、どんなに些細なことでも自分なりに見つけてゆければと思う。
また機会があれば、これについて書いてみたいと思っている。

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2008年11月11日

犬飼氏への最後通告~答えはドイツにはない~

日本サッカーの将来を憂う協会トップが、その強い思いを未来の日本代表たちに注入する。「バックパスは絶対にダメだ。特に若いうちは禁止させたい」と犬飼会長。言葉だけではない。“バックパス禁止令”を日本中に布告した。

 「ドイツでは、“育成年代の試合でバックパスした選手はすぐ交代させるように”と協会から通達されている。日本もそれくらい考えないと」

 犬飼会長は日本のフル代表やアンダー世代代表の試合を見るにつけ、バックパスの多さを嘆いてきた。消極的な後ろへのパスは、時間を浪費するだけ。さらにパスカットでもされようものなら、一気に失点のピンチとなる危険性もはらみ、「いいことはひとつもない」と力説する。特に10-15歳の育成世代の選手たちには、ボールを得た瞬間、まず自分より前の選手や敵ゴールの方向を見てプレーするクセを身につけてほしいと願う。

 すでに地方協会訪問の際に、「10-15歳の育成世代でバックパスをさせてはいけない」と地方協会幹部たちへ指導方針の通達を始めている犬飼会長。ドイツのような“ルール化”まで視野に入れる。育成世代の試合でバックパスを出した場合は警告を出したり、プレーをその場で止めるなどの特別規則が導入される可能性まである。*以上/11月8日8時1分配信 サンケイスポーツ


ゲームとしてのサッカーの、その一番素晴らしい要素とはなんだろう…。

僕はそれを、1つ1つのプレーの創造や発想の自由度、その幅広さにあるのだと考えている。

野球であれば攻撃と守備という立場がまずその都度規定される。打者はバットにボールを当てたら3塁や2塁の前に1塁に走らなければならないし、ラグビーであれば、ある時はボールより前へ出てはいけなかったり、前へパスしてはいけなかったり、一々の判定によって前へ数メートル、後ろへ数メートル移動させられなければならない。どれも必要なルールなのだろうが、サッカーにはないまどろっこしさでもある。

そしてだからこそ、基本的なスポーツマンシップと手を使う以外のあらゆる自由を許されたゲームであるからこそ、そこにある“創造性”がこれほどまでに輝かしいのだと思うし、他の何よりも、人間の知性を、想像力を、刺激するエンターテイメント足り得るのだと思う。

自由だからこそ、またさらに他の何よりも、考えなければならないゲームなのだと思う。あらゆる選択が許されたプレーだからこそ、他の何よりも、深く思考し、選択し、そして決断してゆかなければならない。

サッカーとは、そんな無数の選択と決断を、1秒1秒、常に迫られ、追い立てられるゲームなのだと思う。そしてそれは見る者も同様である。それを司る者であれば尚更深く、誰よりも深く思考しなければならない。

子供たちのバックパスを禁止する。

ということは、子供たちから180度、半分の世界とその選択、それに対する発想やイマジネーション、判断力を奪うということである。

勝利の条件とは常に移り変わるものだ。0-0のサッカーと1-0のサッカーでは求められる条件が異なる。1-0で残り1分。サイドの敵陣深いところで拾ったボールを、下げる事が許されず前に蹴る。当然バックパスはないので、サポートに走るものなどいないし、ボールキープで時計をおくる発想すら持たない。これが子供たちの知性に齎すものはなんだろう?

力ある者はどんな状況であれうまく前へ展開することが可能だろう。けれどもそもそも力があれば、そんなルールなど無くとも彼は対応する。では、力無い者はどうするのだろうか?選択の幅を失い今まで以上にボールへの関与、保持が困難になるだろう。ヘタクソな僕ならば前へ蹴る。前方へただ蹴り上げると思う。ミスをしないために。自分の所為で仲間に迷惑をかけない為に。例えばその前方へ蹴り上げるプレーが、犬飼氏の望む積極性とどこで接点があるのだろうか?或いは大きく蹴りだすプレーも禁止なのだろうか?

敵を背中に背負いボールをキープするスキルも少しずつ実効性を失ってゆくだろう。FWはどうするのだろうか?楔だけは特別なのか?では、それをどう定義するのか?FWの定義は?それともフィールドに新たなボックスを描くのか?

バカげている。
サッカーを思考するものの論理とは思えない。

一番大切なものは、その失敗を恐れぬトライを、良き判断力と勇気を、知性と情熱と、たゆまぬ努力と根気とで、ニッポンの大人たちがニッポンの子供たちへ育んでゆくことである。

ルールというサッカーの優れた普遍の条理の中で、そしてニッポン、ニッポン人という過酷な枷に両足を繋がれた中で、豊かな知恵と日々の研鑽を持って、その枷を打ち砕いてゆくことであり…そこにつまらぬ頓智や思いつきなど持ち込むべきではない。

犬飼会長ほど、言葉の空しさを僕に実感させてくれる人は他にいない。
感性の隔たりを、僕に思い知らせてくれる人はいない。

ドイツに答えがある訳ではない。
ニッポンとニッポン人が、自らで紡ぎだすものである。
そしてそのヒントはピッチの中にある。

あなたはこのゴールを見ただろうか?
Argentina vs Serbia - Second Goal - One of the best!

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2008年07月24日

「秋春シーズン制」への疑念 【キリタニ】

実は“犬飼基昭氏へ”というエントリーで、JFA新会長への要望を書こうと思っていたのだが、その前に「秋春シーズン制」へのニュースリリースがなされてしまった。

日本代表ビジネスの昨今の不振もあり、JFAとしては日本の“夏休み”に、海外の強豪、とりわけ欧州のそれを招いて、勿論日本代表海外組みも勢ぞろいの上で、何かしらの興行・イベントを打ちたいところだろうな…某スポンサーや広告会社にとってもその辺が次の“狙い目”であり、もしかしたら「秋春シーズン制」の議論が再燃するのではないかな…と思っていた矢先の出来事だったので、やっぱりか…と感ずると同時に、暗澹たる思いでこのニュースと各所での議論を見守っていた。

JFA会長犬飼基昭氏の新政権は、僕にとっては期待ではなく、失望からのスタートとなってしまった。「秋春シーズン制」の前に、やるべき事、正すべき事は、いくらでもあるはずだ。なぜ今、改革のいの一番にこのテーマが掲げられるのか…?非常に疑問である。

「秋春シーズン制」には、明らかなデメリットがある。
明らかに損をする地方やクラブチームが在る…ということだ。

が、その逆に明らかなメリット…とは何だろうか?

僕が見る限り、明らかなメリットを見込めるのは唯一JFAサイドのみであり、バルサやバイエルンを呼んで夏休みの興行を打てるほんの一部のクラブチームにおいてさえ、費用対効果の面から見れば、現状のシーズン制を継続させた方が興行面からも有利なはずである。欧州への、或いは欧州からの移籍は、現状の経済格差・通貨格差・実力格差を鑑みれば、入りも出も大きな変化があるとは思えないし、また出がJのメリットでなどあろう筈がない…。

夏の暑さの過酷…が、主たるテーマだとすれば、その前に夏場の連戦を実施し、その過酷を面白おかしく喧伝するJの在り方こそ、まずはじめに是正されるべきであるし、間にどうしてもカップ戦を挟むというのであればバカらしい“ベストメンバー規定”などすぐさま廃止するべきではないだろうか。もっとも、暑期はナイターのみの週一試合…とすべきであると僕は今でも思っている。であれば、酷暑のアジアを、TV局や広告会社の都合で昼間に戦わされる代表選手たちの負担にくらべれば、比較にならぬほど容易いものである筈だ。

また試合のクオリティに問題が生じる…というのであれば、夏場の観衆は明らかに落ち込む筈だが、実際はどうだろうか?夏と冬のゲームの運動量に差が生じることは明らかだろうが、少なくとも現状サポーターやファンのニーズが、蒸し暑い真夏のナイターゲームよりも、寒風吹きすさぶ真冬の興行にあるとは思えない。東京を基準にものを考えても、真冬の観戦よりは、まだ真夏のナイターを望む観客の方が多いのではないだろうか…?僕はそう思っている。


「日本協会とJリーグでプロジェクトを組み、かなり進んでいる。問題はたくさんあるが、手はあると思う。解決していけばいい」*共同通信社 2008年7月22日 16:51* 

犬飼会長はそう語ったらしいが、その前段に“不可欠な部分”“無くてはならない部分”が僕にはさっぱり判らない。なぜ「秋春シーズン制」への移行が必要なのか…?という部分が…である。

「秋春シーズン制」の明らかなメリットとは、“今”そして“いずれ”それをしなければならない必然性とは、いったい何なのだろうか?ぜひそれを具体的に、犬飼基昭氏の生の言葉で語って欲しい。そしてもしそれを実行するものであれば、万人とは言わずとも大半が納得し得る“理”を提示して欲しい。

私たちが選んだリーダーではなく、私たちに閉ざされたセカイが生んだリーダーだからこそ、“理”によって信任を勝ち得るまともなJFA会長、日本サッカー界のリーダーとなって欲しい。改めてまとめるつもりではあるが、僕が彼に1番最初に望む事は、そんな“セカイ”からの脱出である。


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2008年06月04日

そして僕らはサッカーを語るのだ

『日本が強かったというより、オマーンが弱すぎた』

『結局は個に依存した攻撃スタイルとなってしまった』

『アジアでは戦えるがWC本選では勝負にならない』

前回のオマーン戦についてのエントリーで、現岡田ジャパンに対する幾つかの厳しいコメントをいただいた。大きく要点は以上の3点であり、実は僕自身も、まったくそれを否定しないし、その通りである…と思っている。

正直オマーンが、あんなにもダラシないチームであるとは予想していなかったし、今のままの日本であれば、よほど組み合わせに恵まれでもしない限り、WC本選で欧州や南米やアフリカのサッカーを退けて、決勝トーナメント進出を果たせるとも思っていない。そしてその前に、アジア最終予選でさえ五分五分の可能性を切り抜けてゆかなければならないものと思っている。
そしてそれは誰が監督であったとしても、確率的には大きく差のないもの…でありながら、サッカーを知るものであればあるほど、オシムに対する夢や希望もまた一方ならぬものであったこと…を、僕は深く理解する。

極論でもなんでもなく僕は素直にそう思うのだが、往々にして優れた選手たちにとって“監督”とは、正の存在なのか負の存在なのか…それさえ疑わしいものと思っている。中田英寿、中村俊輔、中村憲剛、遠藤保仁、中澤裕二…日本を代表する賢き優れた選手たちならば尚更だし、その“監督”なるものの選者が、腐った政(まつりごと)に憑かれ羞恥を忘れた政治屋か、或いはそれに傅くだけの、魂を失った政治屋の使用人であれば、さらに尚更である。

よくジーコは選手の自主性に任せた…と言われるが、それは平時の親善試合やテストマッチの類であって、己自身が硬くなるような真剣勝負の場においては、選手たちはいつも不自由で不合理な“禁則”やフォーメーション、選手起用の“ミスマッチ”に苛まれていた。少なくとも僕の目にはそう映った。
そしてそんなことであれば、もしオシム本人、或いはオシムのような奇跡の再来が見込めないものとすれば、僕はやはり腐った選者の見立てによる“監督”など要らない…と思うし、そんな仕様がやはり認められないとするならば、今在る監督と選手の間で芽吹きつつある“中庸”というサッカーの在り方を、今後模索してゆくことに一縷の望みを見出すのである。
そして国代表のサッカーとは、本来そういうものなのではないだろうかと思っている。

以前にも一度ここで書き記したことがあると思うが、オシムが築いたもの、この国に築こうとしていたものは、華美な城郭…ではなしに、僕は土台だったのだと思う。水害や震災、火災やその時代時代の流行に左右されない、この国のヘソ、揺るがぬ地盤の上にその堅固な土台を築くために、彼は人生の最後にこの4年間の挑戦に賭けたのだと僕は思う。

そしてそれは、見栄えの良いばかりで必要の無い“橋”や“道路”を架けて自らの業績を鼓舞するような、政治屋的立ち振る舞いの対極にあるもので、例え見栄えはパっとしなくとも、健全な未来の為に今不可欠な“環境”“医療”“教育”といった、未来に繋がる投資を意図したものであったのだ…と僕は考える。だからこそ、あのアジアカップにおいて、刹那の勝利よりもその先にある成長を見越して、過酷な環境の中、どこまでも厳しく、子供たちを追い込んでいったのだろう…と。

彼は自らの手柄のために、オシムという色で異国の代表を染め上げようとは決してしなかった。
彼は自らの限られた時間の中で、この国にただサッカーにおける普遍(土台)のみを築き、あとは皆で考えなさい…と、4年後に厳しい現実を遺して静かに立ち去るつもりだったのではないだろうか…と、僕はそんなふうに思うのだ。

一番カンタンなようで一番難しいこと。それは自らを知ること…であると僕は思っている。自らに不都合で、そして不愉快な“現実”を知ること。僕はそれこそが哲学の原理であると思っている。そしてそれは、本来誰かから教えられるもの…でもないのだと思う。


セカイは限りなく広い…。

僕が知り得たセカイなど、きっとそのセカイの尻の半分…ぐらいのものでしかないだろう。
が、その半ケツのセカイしか知らない僕が、そのセカイについて、あえて言わせてもらうとするならば、ミケルス、サンターナ、メノッティ、サッキ、クライフ、ベンゲル、ゼーマン、ヒディンク、ビエルサ、トップメラー、ブリュックナー、オレアリー、テリム、クーン…優秀なサッカーの指導者はセカイに数々在れども、一切の虚飾・虚栄を顧みることなく、己の信ずる理に没頭し、ニッポンの為に、命がけでそれを成そうとする者など、オシム以外に誰一人居なかったと思う。

1993年のドーハでの出来事が、近代日本サッカーの“ビッグバン”であったとすれば、オシムはそこに誕生したニッポンという小惑星が初めて巡り合った“太陽”だったのかも知れない。そしてそのまばゆい“太陽”光に、照らされて輝くか、或いは輝かないか…は、きっと僕ら自身の問題なのだろう。
そしてこのちっぽけなブログに寄せられた皆さんの日本サッカーに対する厳しい見方こそが、それによって照らされよう、或いは自らで輝こう…と必死で足掻く、どこまでも往生際の悪い、この国のサッカーに対する愛情の表現…なのだと僕は思う。

この冷たい現実に、僕らは今一度向き合わなければなければならないのだ。
きっと僕自身を含めて、オシムという“奇跡”にいつまでも執着していてはならないのだと思う。

この過酷な現実の中に、またニッポンのサッカーに対する新たな“夢”と“希望”を見出さなければならない。その為に、僕らは今日もサッカーを語るのだ。無自覚か自覚的かはひとまず置いて、今日も明日もここで、そしてどこかでサッカーを語り、サッカーを想うのだ。きっといつか、そこに再びの“奇跡”を見出すことを信じて。そしてそれが“奇跡”でもなんでもなくなるその日まで、僕らは執拗にサッカーを語り倒していくのだと思う。

いつも皆さんからいただくコメントと関心に、心から感謝いたします。


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2008年05月16日

川淵三郎会長の退任とこの国のミライ

日本サッカー協会は15日に開いた理事会で、7月に改選を迎える役員の選出に関し、次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 
 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成。6月下旬に会合を開き、理事候補、会長、副会長、専務理事予定者の案を作成する。会長、副会長候補は7月12日現在で70歳未満が条件。現在71歳の川淵三郎会長は退任となる。  

[ 時事通信 2008年5月15日 20:02 ] 



数日前からそろそろこのような発表がなされるであろうと気になっていた。
一説によれば、川淵三郎氏に後継を打診された小倉純二副会長が固辞した…との一部見方もあり、具体的な候補者名はまだ聞こえてきていない。

『次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成…』

“就任時70歳以上”定年制や会長給の付与など、この“独裁”とも言われた『3期・6年の長期政権』の中で、彼はさまざまな“ヘンかく”をJFA内にも齎した。目に見える公益の部分で良い部分もたくさんあったのだろうが、閉ざされた見えない部分で権力者の私益につながる様々な“仕掛け”もまた驚くほど構築されてきたのかも知れない。

“権力”とは、いずれ違わずそんなものなのだろうと僕は思う。

この6年を振り返れば、ここへきてやや翳りも見られるというものの、サッカーというエンターテイメントとしての、広告会社主導の商業的価値の創出・向上には目覚しい進化があったと断言できるが、一方ではその行過ぎたコマーシャリズムの台頭によって、サッカーの純然たるスポーツとしての尊厳が踏みにじられるような選択やシーンも数々見せ付けられもしてきた。

そしてその“均衡”を欠いたここまでの、一連の流れ…について、僕たち日本のサッカーを愛するニンゲンたちが、ある種の畏れや危機感を理解・共有し、声を上げ立ち向かってゆかなければならない状況にまで至ってしまっているのではないか…と僕は切実に考えている。

以前、フローラン・ダバディ氏が、開かれたJFA会長選の実施…を提唱されていたと思うが、それが当たり前の常識としてJFA組織内や各サッカー協会員、そしてメディア、日本のサッカー界全体に認識される日の到来を、僕も待ちわびている。

4年に一度、WCに期限をそろえて、

1.自らの指針と目標
2.技術委員長&代表監督候補者

の少なくともこの2点をマニフェストとして公約した上で、しかるべき数の推薦人を擁して、自由に立候補・選挙活動できるデモクラシーの概念が、JFAにも用いられるべきである。投票者は今の日本サッカー協会後援会(会費13,000円/入会金 5,000円)を拡充・発展させてもいいだろうし、各協会登録員、少なくとも少年サッカーの指導者に至るまで、幅広く門戸を広げて実施される事が当然であると考える。
そのサッカーの民意によって選ばれた権威こそが、正当にこの国のサッカーの在り方を、未来を、模索し開拓してゆくのが自然な姿なのだと僕は思う。

また私企業ではないJFAは、財務諸表における各項目の詳細にいたるまで徹底してディスクローズしてゆく責任が在るものと僕は考える。あらゆる取引について公正な契約や手続きがなされているかどうか、経費の詳細が妥当なものかどうか…等について、常にその開かれた情報へのアクセスを整備しておかなければならない。会長職や理事などの個人資産や年次申告の開示なども、強制や義務でなくとも、やましい所がなければ可能なはずである。そこに確固たる“透明性”を確保・維持することこそが、組織そのものの活力と信任に繋がるものと僕は思うし、私益と公益の均衡を保つ唯一の有効な“仕掛け”なのだと考える。

6月下旬には実質的に“新会長”は決まるだろう。確かに多少見栄えは良くなるのかも知れないが、誰がなったとしても今の在り方では、サッカーの民意から乖離したままの組織運営がただ脈々と続いてゆくだけである。

庶民なる者がただ無責任に政治に対する文句を言い放ち、政権を担う政治家の側が意図的に“民意”を取り違えて己の集票システムに“利権”を垂れ流す…。

仮にこの現状認識が正しければ答えはカンタンだ。庶民なるものが投票権を行使して、悪徳な政治を駆逐すれば良いだけの話である。本当にそれができれば、する気があるのであれば、その過去は背負わなければならないが、未来だけは変えられるのだ。

しかし正当なデモクラシーが機能し得ない組織ではどうだろうか…淀んだ水はその核心から腐敗し、その組織に連なる世界全体に影響を及ぼすことだろう。


FIFAが提唱するフェアプレーの概念が、サッカー指導教本にこう書いてある。

1 ルールを正確に理解し、守る
2 ルールの精神、安全・公平・喜び
3 レフェリーに敬意を払う
4 相手に敬意を払う

JFAが“プレイヤー”だとすれば、“レフェリー”とはまさしく僕らでなくてはならない。
そしてここで言う“相手”を僕は広く『サッカー』と定義する。
が、フェアプレーがどうのこうの…という前に、ここにはその前提となるべき“ルール”というコンセンサスが無いのだ…。

それはどのような“精神”に基づき、どうやって“安全”で“公平”なものとし、互いに“喜び”を分かち合える環境を創造してゆくのか…。その為のルールが、サッカーとJFAと僕らの間にも必要なのではないだろうか…。

JFAとともに、僕たち一人ひとりのサッカーファンそのものに向かって僕は再度問いかけてみたいと思っている。この国のサッカーの未来に対する、僕たち一人一人が担うべきひとつの責任として…。


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posted by 桐谷 |11:22 | JFAについて | コメント(17) | トラックバック(4)
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