2008年05月16日

川淵三郎会長の退任とこの国のミライ 【キリタニ】

日本サッカー協会は15日に開いた理事会で、7月に改選を迎える役員の選出に関し、次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 
 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成。6月下旬に会合を開き、理事候補、会長、副会長、専務理事予定者の案を作成する。会長、副会長候補は7月12日現在で70歳未満が条件。現在71歳の川淵三郎会長は退任となる。  

[ 時事通信 2008年5月15日 20:02 ] 



数日前からそろそろこのような発表がなされるであろうと気になっていた。
一説によれば、川淵三郎氏に後継を打診された小倉純二副会長が固辞した…との一部見方もあり、具体的な候補者名はまだ聞こえてきていない。

『次期役員候補推薦委員会を設置することを決めた。 同委員会は川淵三郎会長を委員長に10人で構成…』

“就任時70歳以上”定年制や会長給の付与など、この“独裁”とも言われた『3期・6年の長期政権』の中で、彼はさまざまな“ヘンかく”をJFA内にも齎した。目に見える公益の部分で良い部分もたくさんあったのだろうが、閉ざされた見えない部分で権力者の私益につながる様々な“仕掛け”もまた驚くほど構築されてきたのかも知れない。

“権力”とは、いずれ違わずそんなものなのだろうと僕は思う。

この6年を振り返れば、ここへきてやや翳りも見られるというものの、サッカーというエンターテイメントとしての、広告会社主導の商業的価値の創出・向上には目覚しい進化があったと断言できるが、一方ではその行過ぎたコマーシャリズムの台頭によって、サッカーの純然たるスポーツとしての尊厳が踏みにじられるような選択やシーンも数々見せ付けられもしてきた。

そしてその“均衡”を欠いたここまでの、一連の流れ…について、僕たち日本のサッカーを愛するニンゲンたちが、ある種の畏れや危機感を理解・共有し、声を上げ立ち向かってゆかなければならない状況にまで至ってしまっているのではないか…と僕は切実に考えている。

以前、フローラン・ダバディ氏が、開かれたJFA会長選の実施…を提唱されていたと思うが、それが当たり前の常識としてJFA組織内や各サッカー協会員、そしてメディア、日本のサッカー界全体に認識される日の到来を、僕も待ちわびている。

4年に一度、WCに期限をそろえて、

1.自らの指針と目標
2.技術委員長&代表監督候補者

の少なくともこの2点をマニフェストとして公約した上で、しかるべき数の推薦人を擁して、自由に立候補・選挙活動できるデモクラシーの概念が、JFAにも用いられるべきである。投票者は今の日本サッカー協会後援会(会費13,000円/入会金 5,000円)を拡充・発展させてもいいだろうし、各協会登録員、少なくとも少年サッカーの指導者に至るまで、幅広く門戸を広げて実施される事が当然であると考える。
そのサッカーの民意によって選ばれた権威こそが、正当にこの国のサッカーの在り方を、未来を、模索し開拓してゆくのが自然な姿なのだと僕は思う。

また私企業ではないJFAは、財務諸表における各項目の詳細にいたるまで徹底してディスクローズしてゆく責任が在るものと僕は考える。あらゆる取引について公正な契約や手続きがなされているかどうか、経費の詳細が妥当なものかどうか…等について、常にその開かれた情報へのアクセスを整備しておかなければならない。会長職や理事などの個人資産や年次申告の開示なども、強制や義務でなくとも、やましい所がなければ可能なはずである。そこに確固たる“透明性”を確保・維持することこそが、組織そのものの活力と信任に繋がるものと僕は思うし、私益と公益の均衡を保つ唯一の有効な“仕掛け”なのだと考える。

6月下旬には実質的に“新会長”は決まるだろう。確かに多少見栄えは良くなるのかも知れないが、誰がなったとしても今の在り方では、サッカーの民意から乖離したままの組織運営がただ脈々と続いてゆくだけである。

庶民なる者がただ無責任に政治に対する文句を言い放ち、政権を担う政治家の側が意図的に“民意”を取り違えて己の集票システムに“利権”を垂れ流す…。

仮にこの現状認識が正しければ答えはカンタンだ。庶民なるものが投票権を行使して、悪徳な政治を駆逐すれば良いだけの話である。本当にそれができれば、する気があるのであれば、その過去は背負わなければならないが、未来だけは変えられるのだ。

しかし正当なデモクラシーが機能し得ない組織ではどうだろうか…淀んだ水はその核心から腐敗し、その組織に連なる世界全体に影響を及ぼすことだろう。


FIFAが提唱するフェアプレーの概念が、サッカー指導教本にこう書いてある。

1 ルールを正確に理解し、守る
2 ルールの精神、安全・公平・喜び
3 レフェリーに敬意を払う
4 相手に敬意を払う

JFAが“プレイヤー”だとすれば、“レフェリー”とはまさしく僕らでなくてはならない。
そしてここで言う“相手”を僕は広く『サッカー』と定義する。
が、フェアプレーがどうのこうの…という前に、ここにはその前提となるべき“ルール”というコンセンサスが無いのだ…。

それはどのような“精神”に基づき、どうやって“安全”で“公平”なものとし、互いに“喜び”を分かち合える環境を創造してゆくのか…。その為のルールが、サッカーとJFAと僕らの間にも必要なのではないだろうか…。

JFAとともに、僕たち一人ひとりのサッカーファンそのものに向かって僕は再度問いかけてみたいと思っている。この国のサッカーの未来に対する、僕たち一人一人が担うべきひとつの責任として…。


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posted by 桐谷 |11:22 | JFAについて | コメント(3) | トラックバック(0)
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2008年04月10日

小野剛の責任~1996年加藤久の戦い~

浦和レッズが帰ってきた。

去年の…ではなく、一昨年の、良い時の浦和レッズが戻ってきたのである。
無論、ワシントンやエメルソンが居る訳ではなく、フィニッシュに至るまでの攻め上がりの人数は1人2人増員せねばならない。それによりディフェンス面で度々スリリングな状況に出くわす事は多くなったが、僕はこれこそがレッズサポーターの求めてきた“スタイル”であると思うし、本来ニッポンのサッカーに与えられた“挑戦”なのだと考える。

今日本を代表するビッククラブ浦和レッズと、それを率いる監督ゲルト・エンゲルスが、その原点に立ち返りニッポンサッカーのダイナミズムを取り戻そうとしてくれている事に、僕は大きな喜びを感じている。当然“危うさ”を秘めた守備である。しかし、この“危うさ”こそが、サッカーのスペクタクルの原点であると僕は考えるし、むしろこの“危うさ”こそがサッカーの刺激であり、快楽の源泉である…とさえ思っている。そんな浦和レッズを取り返してくれたエンゲルスと選手たち、クラブフロントと、そしてサポーター達の情熱に心から敬意を表したいと思う。彼らの“思い”がその怯まぬ“行動力”が、こんなにもドラスティックにチームを変貌させたのである。

一方、日本代表は結局この岡田武史体制に対する“決断”に踏み切れなかったらしい…。

それぞれがそれぞれに居心地の良い曖昧な立場に立脚し、“決断”も“判断”もせぬままにこの場をやり過ごすことを“得策”と考え、二度と巡り来ぬこの6月までの8週間を岡田武史氏へあずけた。“覚悟”を強いられているのは岡田武史ただ一人であり、それを全力で支えるのが我々の責任…というのが小野剛氏はじめとする技術委員会の今現在の立場…である…という事なのだろう。そして場合によっては“責任”をとる“覚悟”はある…ということなのかも知れない。
今現在の“責任”には目を背けたままで、結果如何によっては“覚悟”しなければならない…と。

“責任”とは何なのだろうか?
それを彼らは彼らの立場で、どう理解し果たしているつもりなのだろうか?

『責任は俺が取る…』

これはサッカー界でも、代表監督人事においても非常によく聞かれる言葉であるが、実際にその“責任”を果たし全うした人物を、僕は加藤久元強化委員長(現京都サンガ監督)以外に知らない。

多くの者が、この“責任”を自らの職務を辞する覚悟と捉え、またこの国にはそれを“追認”する空気すらあるが、僕はそれを“責任”であるとはまったく思わない。例えば小野剛氏が6月に敗れ、技術委員長の職を辞し“責任”を取ったとしても、それは原状回復にもならなければ、僕らにとって一銭の利にも満たない行為に過ぎぬからである。

“償い”に通じない“責任”など、なんの意味があるのか?
僕はそれを“責任”と認めない。

“責任”とは、“義務”を果たすことである。

その“義務”に対して、日々、一秒一秒、命を賭して立ち向かうことである。
そして彼らのその“義務”とは、日本代表をワールドカップに出場させる…という“結果”であるとは僕は思わないし、“結果”的に強くした…という実績である…とすら思わない。
その為に、どのような判断をし、どのような決断をしたのか…それにどれだけ“真摯”に“全力”で取り組み、向かい合ったのか…それこそが彼らに与えられた“義務”であり、また彼らだけが果たし得る“責任”なのだと僕は思う。

問われているのは過去でもなければ未来でもない。
今、この瞬間なのだ。

だから僕は、彼らを“結果”では判断しない。
彼らの“今、この瞬間”を凝視し、自分の中での決断を下すのだ。

1996年、加藤久は確かに無力だったのかも知れない。
けれども彼が抱いた理想、折れない心、そして約束されたアカルイミライを放り捨ててまでも果たそうとした、その“義務”と“責任”に対する“信念”を、僕はこの先何十年経とうと忘れることはないだろう。1996年のあのたった一人の孤独な戦いの、その結末ではなく魂を僕は決して忘れない。
そしていつかの日か彼に続く者たちが、この暗鬱な閉塞状況を打ち破る事を期待している。この国のサッカーに光射す瞬間(とき)の再来を、僕はこれからも信じて、見守ってゆこうと思っている。

そして今一度、技術委員長小野剛氏に問いたい…。
あなたの“責任”とは何ですか?


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2008年04月02日

オシムに訊け ~小野剛技術委員長に告ぐ~

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日本代表監督論【ポストオシムへの提言】

上記のエントリーは昨年6月のアジアカップ直前に僕が書いたものである。アジアカップの結果如何でオシムの進退を論じるのは拙速である…という主張と、また如何なる状況であれ、技術委員会は『もしも…』の状況に備えて怠り無く準備・対策は講じておかなければならない…という代表監督というものの捉え方と、危機管理・リスクマネージメントの概念を自分なりに提言したものである。

残念ながらJFAには、オシムの健康面における非常時に対して、その危機管理体制に重大な過失と失態があった。またそれとともに、代表監督人事における『もしも…』のシチュエーションに対する備えにも一切の準備・対策を講じてこなかった事が、オシム危篤時のゴタゴタで図らずも露呈してしまったものと僕は思う。

そして更に、岡田武史氏招聘の3つの理由…。

①オシム監督の土台を大切にそこから積み上げられる人物
②強烈な求心力、リーダーシップを持っていること
③コミュニケーションが取れること

すべて新聞報道による情報ではあるが、岡田武史氏が①を自らの言葉で明確に否定し、さらにチームづくりや戦術に対する疑問が選手からいくつか聞こえてきている状況、そして彼らのピッチ上のパフォーマンスから窺い知る印象から、概ね②の要素についても、かなり否定的な状況である事は間違いないだろう。また③に関して言えば“日本人”であれば誰しもが共有するものであり、岡田氏に代わるものが日本語を解しさえすれば、ここで特筆してあげられる意味を持つものではない。

要するに、技術委員長、小野剛氏が明示した岡田氏招聘の根拠は、論理的に言えば、現状ほぼその根本から全て覆されたもの…であると僕は考える。詰まるところ、技術委員会はオシム招聘以後、なんら有効な働きも、自らの職責も果たしてこなかった…という事である。

現実の技術委員会が、今何を考え、何にかまけているのかはまったく見えないし、僕には皆目見当すらつかない。が、上記のように論理的に考えるのならば、すでに現状における論点は、岡田氏に代わる、より良い対案が在るのか、或いは無いのか…でなければならない筈だと僕は思う。

その考無くして、また日本代表チームの現状に対する危機意識なくして、技術委員会が言い逃れや自らの責任に対してこの期に及んで沈黙を貫く状況であれば、この組織が代表監督選定に関わる意義など1ミリも無い。直ちにまどろっこしく曖昧な責任回避システムなど廃止して、会長が一元的に全責任を持ち、その成否に出処進退を賭ければ良いのだと思う。
それはシステム論としては大きな退歩…に違いないが、現状のそのシステムが、ただ権勢を保持するものの責任逃れの安全装置としてしか機能していないとするならば、同じことである。ならば、協会内の自浄効果を狙ったほうが遥かに建設的なシステムの在り方…であると僕は考える。

技術委員長、小野剛氏はAC前“自らの進退をかけてオシムを支える”と言った。

①オシム監督の土台を大切にそこから積み上げられる人物

と新監督招聘の第一条件に挙げるほどであるのだから、その気持ちに、オシムの言った“日本化”を強く支持、推進してゆきたい気持ちに、未だ変わりはないのだろう。

であるならば、なぜオシムにその“オシム監督の土台を大切にそこから積み上げられる人物”やそのアイディアについて、アドバイスを聞くことをしないのだろうか?
どうして、

“オシムの残した土台”

を引き継ぐことを最優先の条件として挙げながら、今闘病から回復し、これほどまでに日本代表のサッカーに対して、強い関心と意欲を垣間見せるオシムに対して、“そのこと”を一言も相談せずに背を向け続けているのだろうか?

もちろん、理由は想像がつく。岡田氏への配慮…なのだろう。
自らの権限に対する自衛の本能なのかも知れない。またもしかしたら、オシムの強い“意志”そして“意欲”に対する恐れ…なのかも知れない。そして僕の推察がそう遠くない真実であるとするならば、そこには都合よく振りかざした“オシムの土台”に対する論理的整合性も、また日本代表に対する真実の愛情…も僕にはまったく感じられない。だとすれば彼らは、ただ日本代表に、その利権に徒党を組んで群がる、擬似天下りの互助会集団である…と僕は思う。真に日本サッカーの未来を、その長期的発展へのプランニングを、託せるような人物たちであるとは、僕には到底思えない。

結局彼らは、どのようなコンセプトの元にどのようなサッカーを目指すのか…の普遍的な命題のはるか前に、あいも変わらず次の監督を誰にするのか?それを誰に“させたい”のか…?にプライオリティを置いているのだ。歴代の日本代表監督選考の歴史を見れば、そこに何ら普遍的な“コンセプト”や日本サッカーのアイデンティティに対する“揺るがぬ意志”など見られない。

2010年、南アフリカまでの4年間は、オシムに預けた4年間だった筈である。
不幸にして彼は倒れたが、回復して今再び、精力的に日本のサッカーに関わってゆきたい…という“意志”を持って蘇って来たのだ。世論の動向を読み、オシムの土台…を都合よく最優先のテーマにうたいながら、なぜ技術委員会は、このオシムの日本代表チームへの関与を頑なに拒み続けるのか?

JFA、そして技術委員会に、たった一つだけ要望したい。

オシムに訊け…と。

誰かのちっぽけな面子に拘ったり、仲間同士でその傷を舐めあい支えあう前に…。

彼のこの国のサッカーに惜しみなく注いでくれた愛情、そしてその日本代表の挑戦に命を賭けて立ち向かってくれた情熱に対して、札ビラで手なずけるような態度をとる前に、“今さら”であったとしても、まず何よりも誠意を尽くして正面から向かい合うべきである…と。

小野剛さん。武士道を説くあなたであればこそ、僕はそれを強く要求する。



~コメント欄について~

前エントリーにおいて、コメント欄を閉鎖させていただいたのは、他者の意見を敬意なく否定するもの、茶化すだけのもの、そして人種差別・国籍差別を助長する書き込み(スポナビサポート事務局によるご配慮で即座に削除していただいたようです)…があった為です。

この場が、感情的な議論の応酬や子供じみた自己主張、そして誰かを傷つける為に利用されるのであれば、僕は断固として開放する訳にはいきません。今回をラストチャンスとさせていただきます。同じような書き込みがあれば、すぐにコメント認証システムを導入させていただき、これ以後さらに厳しく、そして時に感情的に、選別させていただきます。また永久に開放する事は致しません。

それによりこのコメント欄は、これまで以上にキリタニの意図、キリタニの価値観から逃れられなくなる。きっとそうやって、僕らは少しずつ表現の自由を失い、自らでその手足を拘束し、“真実らしきもの”から遠ざけられてゆくのでしょう。

多くの方がそれを望まないと思いますが、たった一人の気まぐれで皆の尊い志をカンタンに破壊し得る。そして一度失えば二度と戻らない。たったひとつ、そしてたった一人の人間に、それを学んでもらう為に、僕は最後に一度だけこのコメント欄を規制なく開放させていただきます。


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【お知らせ】
今回ネット回線の不調で当記事を二重投稿してしまった為、スポナビ/サッカー新着記事の欄に反映されなかった事と共に、サッカーブログランキングへの新着のお知らせが反映されておりませんでした。いつもそちらのリンクからアクセスいただいている方には、本当にご迷惑をおかけ致しました。



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posted by 桐谷 |10:35 | JFAについて | コメント(103) | トラックバック(0)
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2007年10月03日

肺に水が…この2週間の出来事

『肺に水がたまっているようだ…』
と医者に言われてから、眠れず食欲も無く、何も手につかない日々が続いていた。

にもかかわらず半月ぶりにこのブログにアクセスし、人気ブログランキングをクリックして見れば20位/760回ものクリックを1週間の間にして下さった方たちがいた。コメント欄のカキコミを見て孤立無縁のような気分にさせられたことも少なく無い。が、その一方でいつも総アクセス数の5~6%に及ぶ方たち、それは確率的に言えば20人に1人なのかも知れないが、多くの方々が応援のクリックをしてくれていたことに、心の中でいつも励まされていた。

この2週間サッカー界にもいろいろな事があった。
なでしこJAPANの奮闘には強く心を打たれたし、川崎フロンターレのACL敗退は僕にとっても痛恨の出来事だった。浦和以上に良い内容を見せた川崎が、たった1つのゴールを奪うことができず、見るべき内容をまったく示せなかった相手に敗れ去ってしまう。一方で浦和レッズは強い、本当に強い勝ち方で磐石の勝利を収めベスト4にコマを進めた。この準々決勝で見せた浦和レッズの強さ、そして韓国・全州のアウェースタジアムに集まった数千のレッズサポーターの姿に、僕は同じ日本人の一人としてとても誇らしい気持ちを味あわせてもらった。

一方、川崎フロンターレをめぐる“ベストメンバー規定”や選手起用の在り方についての川淵三郎会長の発言や犬飼基昭専務理事の発言には心底憤りを感じた。彼ら選手やスタッフはトトやJリーグスポンサーへの体面の為の道具ではない。彼らは彼らの求めるもの、サポーターやクラブの未来にとって必要なものの為に、命を削って戦っていた。それはその戦いの一部始終を見守ってきた者であれば判るはずだ。

今回の一連の流れの中で、三浦カズが発言してくれた『川崎』への理解と、『ベストメンバー規定』への疑問を、僕は心から嬉しく思う。メディアが戦わないのであれば、彼らが矢面に立って戦って行かなければならない。そしてそれをサポートしていかなければならないのは、僕たち一人一人のサッカーに対する理解と、当事者意識ではないだろうか。


サッカーという競技、そのリーグを司るものにとって一番大切な務めは何だろうか…。 

それは競技するものとそれを見守るもの双方にとっての“最良の環境を”カタチ作ってゆくことであると僕は思う。現実を無視して机上の論理や空疎な理念を振りかざすだけの権威は、むしろその環境を破壊するリスクでさえあると考える。新しい時代の訪れを、僕は心から期待している。


浦和がアジアを制する為に、この城南戦が最大の難関になるのではないかと僕は考えている。Jリーグチャンピオンとしてではなく、ACL覇者としての浦和レッズのクラブWCでの活躍を僕は夢見ている。この準決勝で全てを出し切って欲しい。

長らくお休みをいただいていた間も日々1000を越すアクセスをいただき、ブログランキングの応援もいただいていた事を、ここに心から感謝いたします。
この【キリタニブログ】とともに、新たにサッカーを離れて【キリタニ100法】 (第一話/象のように死にたい…) という日々の雑感や時事への感想を書き記すブログも立ち上げましたので、そちらの方も一度アクセスいただければと思います。

この2週間、放ったらかしにしていたブログを見守り続けていただいた方達…本当にありがとう。



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posted by 桐谷 |08:44 | JFAについて | コメント(16) | トラックバック(0)
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2007年08月01日

川淵氏へ~川淵辞任要求デモの回想~

僕は汗をかくのが嫌いだ。

人と群れ集うのも、湿度の高い小雨交じりの夏の夜に、蚊に刺されながら夜歩きするのも大嫌いだ。

けれども千葉の自宅から国立競技場横の明治公園まで、アクアラインを通り往復4時間と高速・駐車代含む1万円超のお金を使って、手製のレッドカードを掲げながらこの正味30分弱のデモ隊の列に加わった。

川淵三郎氏、そしてJFAに対する思いはすでにこの場で幾度と無く書き記してきたし、彼の“辞任”が今現在JFAの組織に内在する病理を根本から除去するものとは思っていない。
デモを主催した方たち、そしてこのデモに参加した多くの人達も、きっとこの行為に様々な矛盾や徒労感を感じつつも、日本のサッカーに対して、今何かをせずには居られなかったのだろうと思う。

およそ150~200人で始まったデモは、最後にはトリニダード・トバゴ戦を終えたスタジアムからの合流者を加えて500人を超えていただろうと思う。僕の場所からはテレビカメラは一台しか見えなかったが、やはりJFAとテレビメディア、そして巨大広告企業の緊密な連携は今後も変わらず継続されてゆくのかも知れない。

『何かを成す』為にするのであれば、こんなデモなどまるで無意味だろう。
けれども無力な僕たちに『何かを成す』事が不可能だとして、『何かを成そう』とする事を止めた時に、僕らはそれを『承認』した事になる。

僕はそんな自分自身の『諦観』をただ拒絶するためにこのデモに参加させてもらった。 

たった一人で遠くからこの列に加わった人や、同じくたった一人で大きな声を張り上げて列に並ぶ女の人も居た。物の考え方や主義主張はそれぞれ違うだろうが、彼、そして彼女達はすべて、日本のサッカーの為に、今、自分自身のできる『何か』をしたかった人たちだ。

主催された方々の行動力に深く感謝します。それとともに、参加された方々、そして参加できなくとも、今サッカーの為に『何か』をしたかったすべての人達の情熱に、心から敬意を表します。 



上記は昨年川淵辞任要求デモに加わったときの僕の随筆です。

その頃から一貫して僕の思いに変わりは無いのだが、誰が会長に選ばれようが個人の資質の問題はリスクとして永遠に付きまとうものである。よって僕は変えなければならないのは川淵氏ではなく、むしろ現行のシステムであると考えている。

日本代表監督の選任は技術委員会における合議に一任し、JFA会長はそれを自動的に承認することを内規に定めれば、これまでのようなバカげた紆余曲折を繰り返す事はないだろう。そして実質的に今回の技術委員会はそれを成し得たのではないだろうか?僕らの目に触れない部分で両者の間に様々な軋轢は生じていたと思うし、オシム招聘までのドタバタも僕らが知る経緯とはまったく違った思いや言い分が、技術委員会の側にはあるように思う。

川淵氏が言うように『代表監督の選任はJFA会長の仕事の一部にしか過ぎない』との言葉はその通りである。ディスクロージャーの問題は感ずるにせよ、彼の経営者としての手腕も一廉のものである事も充分に認めている。
そしてだからこそ、あと一年と少しの彼の任期中に、この代表監督選任の在り方にはシステムとしてキチンとしたけじめをつけてその晩節を飾って欲しいと心から思う。

時の権威者の心持一つでもって、この国のサッカーの指針が4年毎に変転するような不条理を、もう二度と繰り返してはいけない。僕達と彼のこの不幸な関係が、彼自身の働きかけによって一刻も早く解消されることを僕は望んでいる。


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2007年06月25日

代表戦視聴率低下とJ活性化への私案

代表戦視聴率低下と観客動員数の減少。

決してそれがひとつの原因からのみ発した現象であるとは言わないが、その主因となるのはやはりジーコジャパンバブルの崩壊とそこからくる国民全体の失望感にある事は間違いないだろう。

ジーコジャパンによる中国AC制覇は、日本のスポーツ史においても最高のドラマ、エンターテイメントのひとつであっただろう。
そしてそれは同時に、ある誤解を生じさせる結果となった側面も併せ持つ。


『世界に通じる日本サッカー』


という誤解である。


その後のドイツに至る2年間の国民の熱狂は無理からぬものだろうし、それによってサッカー界には多くの国民的アイドルが誕生し、期待され、持て囃され、そして分不相応なまでの期待を背負わされてドイツの現実へとぶち当たった。

その後のJFA、マスメディア、一部の批評家・OB連中の厚顔無恥な手のひら返しと無責任な振る舞いには開いた口がふさがらなかったし、さらに一部の者達による選手個々に対するヒステリックな批判の数々には、この国のサッカーの現実に対する絶望的な不理解を垣間見た気がした。

2002年、開催国シードの恩恵によるグループリーグ突破から、この国は『世界に通じる日本サッカー』という長きにわたる幸福な幻想に浸ってきたのだ。


もし現状を公平に比するのであれば、2000年以前のそれと比較対照してひとつの物差しとするのが実際妥当なところなのではないだろうか?


そもそも強化に不要か必要かその是非さえ問われかねない練習試合に、十数%の視聴率や5万人単位の観客動員があることの方が異常な気さえするのだが、ひとまずその考をおいても、しつこく水増しされながらも一向に実のある対戦相手を招聘できないマッチメーク。リーグやACL、そして代表における集金試合の板ばさみで疲弊し困憊してゆく中心選手達、そしてこの国の未来にそっぽを向き、次代の担い手を生み出すことなく終わったジーコの4年間…。

当然といえば当然の帰結であり、これがオシムのせいでなどあろうはずがない…。


もしJFAが、近視眼的に代表戦の視聴率や観客動員を追う方向性を模索するのであれば、それはこの国の未来とその強化にとって、結果的に大きな悪弊をもたらす危惧があるだろう。これ以上コマーシャリズムに流れてしまっては、いずれスポーツとしての尊厳を揺さぶりかねない。

逆に、今こそ足元を見つめ、この代表チームの基盤であるJリーグの活性化にJFAも全力を挙げて注力してゆくべきであると考える。

オフシーズンにやる気のない相手を、高いギャラで呼びつけて、秋葉のついでに手合わせ願うような花試合をこのままの状態で続けてゆくぐらいならば、いっそJチームと真剣勝負のテストマッチを組んでみるのも一つの手ではないだろうか?

代表が一人も選ばれていない鹿島アントラーズ、山瀬、栗原、田中隼磨、坂田などを擁しながら不遇を囲っている横浜マリノス。

直接オシムの目の前で、日本代表を相手に自らの実力と意地を見せ付けられる機会が与えられれば、選手個々としても、チームとしても、またJリーグの知名度と人気向上の為にも、良いキッカケを作ることにはならないだろうか?

代表が常にベストメンバーで臨む必要はない。浦和レッズと試合をするのであれば浦和の選手を、ガンバ大阪とであればガンバの選手を所属チームに帰せば良い。
いちJリーグチームには負けられない日本代表と、多くの観客の中で、それを打ち倒すことに全力をあげるJチーム。

代表強化の為にも、Jリーグ活性化の為にも、このまま罰ゲームのようなA3等で日程を蝕まれるぐらいならば、遥かに意義のある試みだと考えるが、年に何試合か組んでみることはできないだろうか?


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