2008年06月26日
サッカーのトモダチへ
僕らは小学3年生から高校の途中まで一緒にサッカーをやった。 僕がセンターフォワードで、彼が右のウイング。…といっても田舎町の、常にとても弱いチームだったために、下がるのを禁じられた僕と、右サイドハーフの辺りに位置する彼との間には、いつも遠い遠い距離があった。 小学3年生の時にはすでにやんちゃ三昧に明け暮れ、6年生の悪ガキどもと、僕は日々抗争を繰り広げていた。ハンパなく彼らの憎悪を買っていた僕は、度々教室にまで襲撃を受けて拉致され、階段の踊り場まで連れて行かれて、そこで1対10の数的不利を強いられ(笑)、ボコボコにされた。 そんな時に、いつもたった一人、時に小突かれたりしながらも、最後まで身体を張り、僕を奪還しようと奮闘してくれていたのが彼だった。 僕らは同じようにサッカーが下手くそで、そして足だけは速かった。 彼は僕より勉強が得意で、そして女の子には僕ほどモテなかった(笑)。その性格は水と油で、誠実を絵に描いたような彼と、不実を体現したかのような僕との間には、何の接点もない筈だったのだ。たったひとつ、サッカーを除いては…。 ある時僕は、いつものようにカープの野球帽をかぶって練習に訪れたジャイアンツファンの彼を、何の気なしにからかった事がある。 『本当はカープファンなんだろ…(笑)』と。 もう何年もかぶり続けていたその赤い野球帽は、少し色褪せてピンク色に変色し、そしてクタクタにくたびれていた。彼は顔を赤くして、泣きそうな顔で僕に挑みかかってきた。そしてそれからしばらくの間、僕と口をきいてくれなかった。 その頃の僕には、彼の家庭の事情に対する配慮やおもいやりなど一切なかったのだ。なぜそこまで彼が腹を立てたのか、当時の僕にはまったく理解できなかった…。 そしてそれ以来、彼はその色褪せてすすけたピンク色のカープの帽子をかぶることは無くなった。きっと働き詰めのおかあさんから買って貰った、大切な大切な野球帽だったのだ…と思う。 いつだってそうなのだが、僕が大きな失敗をやらかして、それを彼がかばってくれた。それ以外にも僕は、きっと何度も何度も彼を怒らせて、そしてその度に、何度も何度も許してもらった。彼にしてみれば、本当に身勝手で、迷惑なだけのトモダチだっただろう。 やがて仲直りした僕らは、また一緒にひとつのボールに共に戯れ、連戦連敗の屈辱のサッカー人生を、めげずになあなあでやり過ごした(笑)。一緒にビートルズを聴き、サイモン&ガーファンクルを聴き、クイーンやビリー・ジョエルやカーペンターズを聴き、プリンスかマイケル・ジャクソンか、クライフかベッケンバウアーか、或いはソフィー・マルソーかフィービー・ケイツか、清純な○○○ちゃんか完熟の○○先生か…で、日夜互いに一歩も引かぬ論争を繰り広げたりもした。 そして僕は少しずつ悪に染まってゆき(笑)、彼はその最後の最後まで善良と誠実を貫いた。僕ら二人のコンビは、きっと傍目にも相当の違和感があったのではないだろうか…と今にして思う(笑)。今この半生を振り返っても、あれほど澄んだ、透明なニンゲンを僕は知らない。 あれから二十数年がたって、今では互いに消息も知らず、きっと今生でふたたび再会することは叶わないのだろうな…と思う。そして今彼に、一言だけ心に秘めたこのキモチを伝える事ができるとするならば、 『あん時君から借りたABBAのレコード…傷つけたの、俺だから^^;』 とだけ、腹を割って伝えたいと思う。 僕が少年時代を過ごした田舎町に別れを告げてトウキョウへと旅立つその前夜。 いつものように放課後僕の家で、大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチを一緒に見ていた彼は、結局朝まで自宅へ帰ろうとはしなかった。十七歳の春、彼より一足先に田舎を出てゆく僕と、誰よりもトウキョウに憧れながら、そこに取り残される彼が、『宇宙の果てって何があんのかな…』って、互いにデタラメな知識をアホみたいにシンケンに語り合った…あれは一体なんだったのだろう(笑)。 とりあえず少し寝ようか…と、二人で窮屈に身をかがめながら僕のベットで横になったが、結局一睡もできぬままに、やがてしらじらと夜が明けた。そして尋常ではなく朝の早い爺様たちの耕運機の音がガタガタと音を立て始めたその時、彼は思いついたかのように目を輝かせながら、『キャッチボールしない?』と僕に言ったのだった。 まだ白いモヤのかかる、田舎の冷え込んだ早春の日の明け方。いつものように、そして当たり前のように、腰を落としてキャッチャーをしてくれる彼と、それに当たり前のようにハッチャキになって全力のカーブやホークの大暴投を投げ込んでいた僕…。 それが、僕と彼との、サッカーを通して刻まれた記憶のラストシーンである。 あの日からこんなにも遠く離れてなお、ずっとずっと、心のすぐ側で生き続けてくれた記憶である。 試合に勝ったときも、互いにゴールを決めたときも、少しシャイだった僕らは、照れながら目を合わせて軽く微笑みあうだけだった。あの時、あれが最後だってわかっていたなら、僕はたった一度だけ、この人生に一人きりの、そして最高のトモダチに駆け寄り、力いっぱい彼を抱きしめたかった。 『じゃあね』と言って、僕らはいつものように別れた。 若さゆえに、なんの疑いもなく僕らは“永遠”を信じていた。 春の日の朝の陽射しが眩しかった。
不見識と戦う気色悪いものより、サッカーのトモダチへ サッカーについて語らねばならないのは重々承知のこのスポーツナビブログで、なぜ今、あえて僕がこんなことを書き綴ったのかというと、急にボールをよこすな!と言われても、いつかこの場を立ち去るとき、僕からのノールックの華麗なヒールパスを受けとめてもらおうと思っていたある人に、今のこのボンヤリとした寂しさを伝えたかったからだ。 サッカーが手でボールを扱ってはならないのは、手よりもはるかに不自由な足によって、失敗を楽しむべき競技だからだと僕は思う。これは言うまでもなく僕の勝手な解釈なのだが、同じように言葉とはどこまでも実体とは異なるもので、これを介しての完全なるコミュニケーションなど絶対に有り得ない。 言葉のコミュニケーションとは、言葉の空しさを知ってしか成り立たないのだ。 そしてだからこそそこに、相手を敬い、理解しよう…という心の構えが不可欠なのだと僕は思う。僕らは互いに、その不完全な“コトバの信号”から、執筆した彼のココロを、その真意を汲み取らねばならない。それなくして、互いに意義あるコミュニケーションなど成り立たないのだ…と僕は思う。ずるいモノ達が大手を振って闊歩するシステム。容赦なく他者を傷つけ自らは暗闇でほくそ笑む卑劣がまかり通る現実。自らの無力は重々承知の上で、やはり僕はそれを“自由”とは認めない。合法ではあろうが、それが許された“権利”だとは絶対に認めない。そして僕らは、これ以上そんな無益に直接関わりあう必要なんてまったくないのだ…と思う。 僕もここでのたった1年という期間に、たくさんの失敗を積み重ねてきました。失敗の数で言えば、きっと誰よりも群を抜いて秀でている事と思います。唯一それだけは自信があります(笑)。そして彼が、それを失敗だと自認するならば、僕はそれを断じて否定したいけれども、やはり尊重しなければならないのでしょうね。そしてその上で僕は、また次の失敗にトライしようよ…と言わせていただきます。僕らは言葉の世界の、デコでもロナウジーニョでもベルカンプでも無いのだから。永遠に失敗しないリフティングなんて、世界の何処にもありはしないのだから…。そして、それがサッカーであり、人生なのだ…と僕は思います。一、二度ここで言葉を交わしただけの赤の他人の彼に、サッカーのトモダチとして最後に一言言わせてもらいます。 あなたのスベる話、スベりまくる話が(笑)、僕は大好きでした。楽しい文章を、ここまで本当にありがとう。きっとまたどこかで会おうネ! ★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつも本当にありがとうございます★ ⇒⇒⇒人気blogランキングへ キリタニ100法『 Across The Universe 』掲載いたしました。こちらもよろしくお願いします。 *今回はたった二人のサッカーのトモダチにあてて綴ったエントリーですので、コメント欄の開放は控えさせていただきます。この場を借りさせていただいたスポナビ様には、たいへん身勝手な本文であったことを深くお詫びいたします。
posted by 桐谷 |11:42 |
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