2010年12月28日
「私は育成とスタイルの転換を求められて就任したが、藤口さんが『優勝を求めるべきだった』と言ったという声が後々(外部から)上がってきた。その私を招へいした人もすぐ(開幕1か月後に)いなくなってしまった」※以上スポーツ報知
これがフォルカー・フィンケ元監督の最後の会見でのコメントなのだそうだ。さぞ無念だったろう。
確かに2004年から2007年の一時期の栄華と比較するのであれば、フィンケ時代の2年間の成績は物足りないのかも知れない。しかしこの間、Jリーグの伝説とも云えるエメルソンやワシントンの姿はなく、また全盛期のポンテも、田中達也も、鈴木啓太も、さらに長谷部誠も、闘莉王も、三都主アレサンドロも、 相馬崇人も、高原直泰も失っていった中で、いったい誰が監督であれば、あの当時と同じだけの“結果”を収めることができたと云うのだろう。
この状況の中で、フィンケをブッフバルトに差し替えていたならば、フィンケをオジェックに差し替えていたならば、或いは福田正博ならば、ゼリコ・ペトロビッチならば、いまの面子で優勝争いに絡んで、さらにACLで活躍することができていたのだろうか?
残念ながら、僕はそうは思わない。
これらの誰がフィンケさんに代わり指揮をとっていたところで、戦績的にはさほど変わらないか、或いはそれ以下のものでしかなかったであろうと思っている。
そしてまた、これらの誰が率いていたとしても、これほどまでに大胆で前向きな戦力の更新と、サッカースタイルの変革は為されなかったであろうと思っている。
要するにフィンケさんは、与えられた厳しい条件の中で、当初求められたタスクだけは充分に果たしていたと僕は思う。及第点を与えられるだけの“内容”は示してきた。そしてその“結果”についても、与えられた戦力と状況から見れば、上出来とまでは云わぬまでも、至って妥当なものを残したと云えるのではないかと僕自身は思っている。
ただし、僕がフィンケさんの立場であれば、
2010年を迎えるにあたって、パワープレーにも活用できるもう一人の外国人ストライカーを、サヌーやファイサルに優先して、獲得していたことだろうと思う。
先制されれば打つ手なし。ただアタッキングサードの外周をなぞるようにしかボールを動かすことが出来ない攻撃。そんな自ずから時間を浪費するような攻めに終始してしまったのは、この部分のコマ不足が大きく響いていたように思う。
さらに云えば、後半は幾分改善の兆しが見えてきたとはいえ、結論から云えば、やはり速い攻めに対する意識と工夫が足りていなかった。前線で素早く数的同数や有利を作り出す共通認識とオートマティズムの欠落の為に、結局は上記の攻め倦みの状況に陥り、そこで無駄なリスクを犯してカウンターの餌食となるシーンが頻発した。
ここを割り切り、ブレークスルーする為にも、多少不格好で理念に反する部分はあれども、パワープレーに活路を見出す戦術的な柔軟性も、必要だったように思う。
しかし、この補強やチーム編成については、フロントとの関係や予算の制約もあり、フィンケさんがどのように考え、立ち振る舞っていたのか……僕には判らない。この点だけが、僕がフィンケさんの2年間に抱いた、ほとんど唯一の不満である。
フィンケ元監督の元で、浦和の選手人件費13億6000万円は約43%もカットされ、いまでは7億7000万円にまで圧縮されたとの一部報道もある。
常にケガや故障がちの元スター選手たちが、未だ長期契約の縛りによって高給をあてがわれている状況を鑑みれば、フィンケさんはフィンケさんの限られた裁量のなかで、驚くべきスピードのチーム改革を為してきたとも云える。
そしてなぜこれだけのコストカットが必要だったのか?
急速に拡大してきたクラブ経営の中で、過剰に“肥大化”してしまった贅肉の部分があるのではないか?そしてこの右肩下がりの経済状況を迎えて、まずその贅肉を切り落とすのではなしに、現場サイドの筋肉から先に切り落とすような歪なカタチで、いまクラブ運営が為されているのではないのか?
だとすれば、それはフィンケさんの問題ではない。
おそらくは今後も延々と続くであろう浦和レッズ自身の問題である。このことについては、クラブを愛する人たちすべてで、もう一度真剣に検証してゆくべきであろう。
サッカークラブとは、監督と現場スタッフ、そして選手とサポーターとが、4つの車輪をそれぞれに押し進める4輪駆動のオフロード車のようなものだと僕は思っている。心を一つにして、それぞれの車輪を息を合わせて一緒に押し進めるのであれば、その車はどんな悪路でも前に進む事ができるし、行き止まりに見えるブッシュの中も掻き分けて進むことができるだろう。
しかし、その進路を見極め、舵を切り、アクセルとブレーキを選択する巨大な権利は、多くの場合、出資企業から短期で送り込まれてくる腰掛社長とその取り巻きの一部が握っている。金があるにも関わらず、力があるにも関わらず、没落してゆくクラブの根本的な病理は、ほとんどの場合ここに巣食っている。そしてこれはいまのJFAも似たような構造であると云えるのだろう。
市民クラブの優等生とも讃えられる浦和レッズとて、この構図に他クラブとの大差はない。責任企業からの損失補てんの無い自立した運営組織であることを誇りとするのであれば、さらに一歩進んだ、ほんとうの意味で開かれた市民クラブの姿を、いつか実現してみせて欲しい。常々僕はそう願っている。
ひとまずフォルカー・フィンケと浦和レッズの2年間の冒険はここに終わった。
願わくばこの2年間にフィンケさんが残してくれた未来への財産を、これを引き継ぐものたちが大切に育て、はぐくんでいってくれることを、心から祈っている。
※関連エントリー
浦和レッズ再建論 求められる助っ人とは
浦和レッズとフィンケの航海
浦和レッズ再建案 2010
浦和レッズ再建案 低迷の原因とGMについて
キリタニ文楽館
最新記事 『【替え歌】菅と民主党の365日』
過去記事
【映画批評】グラントリノ ★★★
【書評】ノルウェイの森/村上春樹
『美容室にまつわる悲しい思い出』
『2010年 イラっとさせられた出来事ベスト10 後編』
『2010年 イラっとさせられた出来事ベスト10 前編』
posted by キリタニ |11:28 |
浦和レッズ |
コメント(10) |
トラックバック(1)
2010年04月19日
内容的には浦和の勝利で妥当なゲームだったように思う。
しかし、もし前半20分過ぎ、井川祐輔のセットプレーからの得点が、線審の、おそらくは誤審により、ふいにされることなく認められていたならばどうだっただろうか?きっと流れは大きく川崎に傾いてしまっていたのではないか……と思われる。
妙なジャッジはそれだけに留まらず、PKが与えられたサヌの絡みは、PA“外”での出来事だったと思うし、それ以前にPKが与えられるほどのファールであったとも思わない。むしろそれならば、その後のレナチーニョがシミュレーションによるイエローをもらったシーンの方がはるかに際どかった。なんの理由で突きつけられたのか判らないポンテへのイエローを含めて、主審村上伸次さんのこの日の笛は、質の高かった試合に水を差してしまった。
前節、浦和vs新潟戦の主審・廣瀬格さんのレフェリングが素晴らしかっただけに、この日の基準の定まらない曖昧なジャッジと度重なるゲームへの干渉には、非常に大きなストレスを感じた。
ここ最近の浦和の攻撃にはメリハリが出てきた。特にDFライン、中盤低い位置からの繋ぐ、蹴るの判断が大きく改善されてきている。きっとこれは前線の田中達也の質の高いフリーランニング、ポンテの受けのポジショニングと確実なキープ力が良い影響を及ぼしている部分もあるのだろう。チームとしての攻撃に対する共通認識と互いへの信頼が醸成されつつある。これにより、裏のスペースへのケアと、最終ラインと二列目とのギャップの間でめまぐるしく前後に揺さぶられることで、敵DFは対応を絞りづらくなっている。
強い川崎相手にも、攻撃的な姿勢を緩めずに、正面から押し切って見せた前半のパフォーマンスは特に素晴らしかった。そして前半の得点は、攻守の素早い切り替えからのショートカウンターである。この速攻と遅攻の使い分け、攻守にわたる勝負どころの見極めこそが、確かな成長の証と見て取れる。
昨年に比べ、チーム全体の運動量も嵩上げされてきており、後半の30分過ぎまで足が止まることなく頑張れている。勝っている状況での、もう少し狡猾で落ち着いたボール回しを会得する事ができれば、さらに安定してゲームをコントロールすることもできるだろう。
僕が思っていたよりも早く、浦和は次のステップに足をかけようとしている。細貝萌は日々逞しさを増しているし、山田暢久、坪井慶介のCBコンビの連携は、試合を重ねる毎に成熟している。そしてポンテも、ゴール前での独りよがりなミスは相変わらず多いものの、高いモチベーションを失わず、情熱を持ってプレーを続けており、柏木陽介を寄せ付けることなく、ゲームメイカーとしての存在感を維持し続けている。
これにより6月の彼の契約期限の到来は、浦和フロントとフィンケにとって、非常に悩ましいものとなってきたのではないだろうか?外国籍枠4人のうち、レギュラーポジションを掴んでいると云えるのはエジミウソンとポンテ二人のみである。ポンテの後釜に、計算のできる助っ人を獲得できない限り、実質外国人助っ人1人体制での後半戦を強いられる恐れもある。それでは優勝争いに喰らいついてゆくのは厳しいはずだ。
ポンテとの半年間の延長が、浦和にとってはベストシナリオのような気もするが、それでポンテが納得するかどうか……。どんな選択がなされるのか、非常に興味深いところである。
川崎に目を向ければ、最終ラインに少し脆さを感じるが、何もそれは今年はじまった話ではない。Jリーグにおいては、ヴィエラと見紛えるほどの存在感を放つ稲本潤一が、ドッシリとピッチの真ん中に位置する川崎の中盤は、むしろ昨季までのそれより、遥かに歯応えがありそうである。
このゲームを見る限り、田坂祐介、黒津勝の前半よりも、中村憲剛、ヴィトール・ジュニオールが出てきた後半の方が、遥かに怖いチームであった。攻撃の重心が中央に傾斜すること自体は、2点ビハインドの状況でもあり悪いことではないが、その中で、如何にサイドに勝負どころを拵えてゆくか……という点で、少し工夫が足りなかったように思う。サヌのゾーンをもう少しねちっこく突くことができれば、堀之内聖が投入された浦和の固い守備ゾーンも、もう少し揺さぶることができていただろう。
ジュニーニョの状況が気がかりではあるが、いずれメンバーさえ揃えば、今年もやはり優勝争いに絡んできそうな手応えが感じられた。
最後に日本代表メンバーの選出について。
病み上がりとは云え、中村憲剛は既にいつもの中村憲剛であった。この試合でも、負傷前とまったく遜色のないパフォーマンスを見せてくれていた。同ポジションの遠藤や俊輔の現状を鑑みても、これ以上のケガが無い限り、やはり中村憲剛は代表23名のなかに、不可欠な選手の一人なのではないだろうかと僕は思う。
※関連エントリー
それでもフィンケを諦めない
2010浦和レッズの展望
浦和レッズ再建案 低迷の原因とGMについて
犬飼会長の激怒と正義について
2010 J1順位予想
キリタニ文楽館
最新記事⇒ 【最近お気に入りの曲】幻の命/世界の終わり
過去記事
【アフォリズム】005 戦争とは その2
【アフォリズム】004 戦争とは その1
【映画批評】ヒトラーの贋札 ★★★★
オススメ!金沢観光とグルメ その1
金沢、文学をめぐる旅と泉鏡花へのダメだしについて
キリタニ文楽館、はじめます
【アフォリズム】001 恋愛とは…
【アフォリズム】002 恋愛とは…その2
【アフォリズム】003 恋愛とは…完結
【最近お気に入りの曲】痛いよ 清竜人
ペットの殺処分と女子高生たちによる救出
【最近お気に入りの曲】ソラニン Asian Kung-Fu Generation
【映画批評】ヴァージン・スーサイズ★
posted by キリタニ |10:54 |
浦和レッズ |
コメント(10) |
トラックバック(1)
2010年01月26日
理想をいえば水原三星のエドゥー、或いは大宮のラファエルが欲しい…と、思った。
日本人であれば草津の都倉賢が欲しいと思ったし、水戸の荒田智之も魅力的だと思っていた。
もし浦和が2トップをするのであれば、エジミウソン+(プラス)もう一人インパクトのあるFWが必要だと僕は考えていた。しかし、6月までポンテが残留する契約上の問題もあり、どうやらもう一人のFWの獲得は、叶わなかったようである。また、阿部勇樹の契約もまだ流動的な部分があるようで、もし彼が離脱するようであれば、ポンテ後の1枠はポスト阿部枠として活用されることになるのだろう。
昨年の浦和を見ていて、僕が非常に物足りなく感じていたのは、フィニッシュ時のペナルティエリア内での頭数不足、迫力不足である。セットプレーになれば、闘莉王や阿部勇樹の迫力ある空中戦がPA内で展開されるのだが、流れの中で、ゴールに近いところで、期待させる状況やシーンというものがやや少なかったように思う。
もちろんそこにはボールを大切にするが故の攻撃のスピード不足や、ビルドアップを意識するが故の前線の人数不足といった側面があり、昨シーズンの状況では致し方のない部分もあったのだろうが、そこから一歩踏み出して、攻撃に迫力を、相手ディフェンスに脅威とプレッシャーを与えて、ねじ伏せるようなサッカーをしたいのであれば、僕は単純にFWを1枚増やすべきであると思っている。
昨シーズンの4-2-3-1では、ゲームは支配すれど点は取れない。
シーズン序盤、直感的に、僕はそう予感していたし、実際浦和の攻撃は最後の部分で怖さが無い。それが現状の、鹿島やガンバ、そして川崎フロンターレとの大きな格差であると僕は思う。
願わくば4-2-2-2の布陣を期待したい。
現時点での僕の勝手な理想を書き連ねると下記のような布陣となる。
エジミウソン 田中達
(高崎) (高原)
サヌー 柏木
(原口) (ポンテ・セルヒオ)
山田直 鈴木
(細貝) (阿部)
宇賀神 阿部 坪井 高橋峻
(永田) (スピラノ) (堤) (山田暢)
山岸
(都築)
上記のトップと2列目の2-2のボックス・スクエアの部分が、攻撃時には時計回りに捩れて、柏木陽介を逆三角形の頂点とした3トップのような陣形が作れれば理想的である。そうしてできる二列目のオープンスペースをサイドバックが補完してやれば、より厚い攻撃に繋げられるのではないだろうか。
相手のカウンターは、阿部と坪井のスピードで可能な限りカバーする。
2010シーズン、僕が見たいのはこんな浦和レッズである。
具体的な目標をいえば、やはりそれは『Jリーグ3位(ACL出場)』になるのだと思う。
上位チームの戦力補強とチーム状況の充実振りを見れば、カンタンな目標ではないと思う。しかし、ファンやサポーターの期待と応援に応える為にも、その目標に向けてチーム一丸となって闘っている姿を見せて欲しい。その達成確率は40%ぐらいのものだろうと予想する。
そして、高原直泰について。
僕が今シーズン一番期待する浦和レッズの選手は誰か?と問われれば、高原直泰であると答える。
もし今年の浦和が、この戦力で優勝争いに絡むほどの躍進を見せるのだとすれば、それは高原直泰が復活したときなのではないかと思う。そこにどれだけの可能性があるのかは判らないが、昨年終盤、ひどいチーム状況の中にあって、出場機会もなかなか与えられない現実の中で、彼がその誇りを失わずに、短い出場時間の中で、全力で戦っている様を僕はたびたび見せてもらった。
このシーズンオフの苦悩と悔しさは、彼のサッカー人生の中で、きっとはじめて経験するものであっただろう。常にゴールデンエイジと呼ばれる世代の先頭を切って走り続けてきた彼にとって、きっと屈辱的なものであっただろう。今シーズンの彼の奮闘を、復活にかけるその意地と魂の軌跡を、僕はしっかり見届けたいと思っている。彼にとっても、これまでで一番大切なシーズンがはじまるのだ。
この2010シーズンは、浦和レッズ黄金期へ向けての『ステップ』の年になるのだと僕は考える。来シーズン以降、長期にわたりJ1優勝争いを繰り広げてゆくための、その最後のモラトリアム期間…と言い換えても良いだろう。
『私達は他人が幸福でないのを当たり前と考え、 自分自身が幸福でないことにはいつも納得がいかない』
ということわざがある。
生きていれば良いことも悪いこともある。良いことだけで人生を埋め尽くすことなどできないし、それが現実というものなのだろうと僕は思う。
浦和にとって今が辛い時期だとしても、一歩引いてJリーグ全体を眺めてみれば、それでも浦和は充分に幸福である。決して不幸ではないのだ。クラブと共に、ファンやサポーターもいまそれを噛み締めながら、耐えねばならない時期なのだろうと思う。
フォルカー・フィンケという人は信頼に値する指導者であると僕の目には映っている。ここでの我慢や忍耐が、いつの日か報われることを信じて、今年も浦和の1年を見守ってゆきたい。
※関連エントリー
僕がフィンケを見切る瞬間
2010浦和レッズの展望
大分救済 その悪しき前例と今後
JUMP改革案への評価
東アジアプレミアリーグ構想
今年一番のニュースと民主党政権への採点…
posted by キリタニ |11:19 |
浦和レッズ |
コメント(14) |
トラックバック(0)
2010年01月21日
2010シーズンの浦和のチーム構成を考える上で、僕が一番懸念していたのは、実は阿部勇樹の離脱であった。
オーストラリア代表のスピラノビッチ加入が決まり、堤俊輔の復調と合わせて、なんとかCBの頭数が揃ったようにも見える。が、やはり新加入の外国籍選手と、1年を越す長期故障あけの若手では、未知数の要素も多く、チーム構成上の信頼性といった意味で、DFもこなす阿部勇樹の残留は不可欠なものである、と僕は考えていた。
サヌーをアタッカーとして起用するのであれば、期待された即戦力としてのサイドバック獲得はほぼ叶わず、その点で今シーズンの4バックの、攻撃面での進化、急成長は期待しづらいかも知れないが、ひとまずCBについてはこの阿部勇樹の残留によって、ひとつの大きなリスクを封じることができたのではないかと考える。
昨年の浦和は、全34試合で43得点/43失点という結果を残している。
ちなみに2008シーズンは、同じく34試合で50得点/42失点である。(この年はDFの闘莉王がエジミウソンと同じ11得点をあげている)
2010シーズンの浦和、現時点での戦力と予想布陣を見る限りにおいて、僕は6月に2トップの一角を担う、エジミウソンと同等レベルの新外国人ストライカーの加入でもない限り、この43という得点数を大きく伸ばすことは難しいのではないか思っている。しかしその逆に、守備面、失点の数については、今の陣容でも充分に10近く減らす事は可能なはずだ。
仮に得点が43のまま変わらずとも、失点を33程度に持っていくことができれば、得失点差は+10となる。これを尺度に測れば、その時点で昨シーズン4位のサンフレッチェ広島より、得失点においては+1上まわることになる。
DFながら高い得点力を持ち得た闘莉王を失ったいま、チームをさらに1歩進化させよう、前進させようと考えるのならば、その闘莉王の影を追う、不足を埋める補完的な施策に留まるのではなく、僕は少し先の将来を見据えながら、スピードとゲームメイク重視の、思い切ったDFラインの再構築にトライすべきなのではないかと考える。
終盤に散見された最終ラインでのイージーなミスを減らすこと…そのミス量産の主因ともなっていた夏場・ゲーム終盤の運動量の低下に一定の歯止めをかけ、中盤のポゼッション状況における危ういボール回しやポジショニングを是正してゆくことができるならば、失点は減らせる。即ち、チーム全体としての高いDFラインへの対応力を、さらにもう1歩高めることができるならば、「ゲームを支配しながら能動的に戦う」というスタイルとコンセプトを維持しながら、易々と後ずさりするのではない攻撃的な守備強化を為す事はできるのだ。
やはりキイとなるものは、
「さらなるポゼッションの強化」と、その為の「高いDFラインの熟成」
であり、さらに当てずっぽうにでも、もう少し具体的に言うならば、チーム全体の2~3%程度のボールポゼッション率の向上、そしてそれを支える2~3%程度の運動量の底上げ。さらにそれにプラスして、最終ラインのスピード対応能力の強化(人選も含む)と、パス・フィード精度の向上が求められる。
それが、現状僕の考え得る2010年浦和レッズの一番現実的な強化の方向性であり、また2011年からはじまると期待する、Jリーグの覇権を争う「黄金期」へ向けての、着実な基礎固めの要点となるだろう。
戦力構成自体のバランスでいえば、僕はこの2010シーズンに対してもネガティブな印象を持っている。これは現体制というよりも、旧体制の負の遺産を未だ引きずり続けていると見るのが妥当な評価なのだろうが、2列目のアタッカーにばかり頭数がごちゃついていて、トップはエジミウソンが負傷離脱でもしたら、目を覆うしかない状況に陥る。また現状両サイドバックは質・量ともにまったく不満。CBも未知数である。
しかしそれでも、若手の底上げもあり、いずれ高給のスター選手、ベテラン選手たちへの人件費を仕分けし、それを本当に必要な方向、価値ある方向へと差し向けることができるならば、その瞬間チームは一気に変わる。変われるはずである。僕はそれを具体的に、2011シーズンと予想するが、今年はそこに繋げるための「ステップ」の年になればそれで良いと思っている。そんな実感さえ共有できるならば、ファンやサポーターの多くも、きっと一緒になって支えてくれることだろう。
2009年、あれは浦和vs鹿島の最終節だっただろうか?
小笠原満男に激しいチャージを受けながら、原口元気がそれを弾き飛ばして前進するシーンがあった。昨シーズン、トップリーグの厳しい洗礼を受け、苦闘し、ある意味では傷つきながらも、それでも試合に出続ける中で…我慢して起用され続けた中で、彼は強くなった、進化を続けていたのだ。開花の時期はまだもう少し先のことなのだろうが、僕はこの1シーンに、18歳の若者の成長の証を、まざまざと見せ付けられた気がした。
苦しかったが、この1年には確かな意義があったのだ…と。
次回は攻撃面について考察してみたい。
その中で、具体的な目標設定についても言及できればと考えている。
※関連エントリー
犬飼会長の激怒と正義について
浦和レッズ再建案 低迷の原因とGMについて
浦和レッズの今と前半戦MVP
Jリーグ改革 最後に言っておきたいこと
脱・日本代表のススメ
思い出の曲No.18 Tom Waits Innocent when you dream
posted by キリタニ |11:09 |
浦和レッズ |
コメント(13) |
トラックバック(3)
2010年01月19日
2009年シーズン開幕前、浦和が大きな戦力補強のないままシーズンに向うことが判明したとき、非常に良い選択をしたな…と僕は思った。
なぜならば、「期待の外国人助っ人」や「J期待の若手」を新たに招き入れることで、ファンやサポーターの過剰な期待を煽ってしまうことは、得策ではない…と思っていたからである。賢明な彼らは、少なくともそのなかの大半の人々は、彼らにとっての2009シーズンが我慢のシーズンになることを覚悟しているように僕には見受けられた。
この2009という我慢のシーズンに、迷いなく、妙な色気を持たずに、しっかりと向き合う事は、クラブやスタッフ、選手たちばかりではなく、多くのファンやサポーターたちにとっても、大切なことのような気がしたからである。
そしてそれと同時に、フォルカー・フィンケという人の資質やキャラクターについても、多くのインタビューやその物腰、彼の下したいくつかの選択を通して、少しずつ見え始めてきたような気がした。そんな僕の監督・フィンケに対する印象は、
「良いトレーナーかどうかはまだ判らないが、慎重で思慮深いマネージャータイプの人間であり、これならば浦和での最初の戦いもソツなくこなし、うまく立ち回れるのではないだろうか…」
と、いったものであった。
その後の経過を見れば、やはりフォルカー・フィンケは卓越した政治的手腕をも兼ね備えたマネージャータイプの指導者であり、現状の浦和にとっては、うってつけの人材だったのではないかと改めて僕は確信している。少なくとも彼は、浦和での最も困難なその最初の戦いに生き残った上で、いま全権に近い権限を与えられたカタチで、来シーズンへ向けて自ら舵を取り始めている。
この浦和自身との闘いとも云える一年は、他のどの監督であっても非常に困難なものであったと僕は思うし、おそらく並みの実績の日本人監督であれば、弾き飛ばされたのは闘莉王ではなく監督の方であり、混沌とした秩序の中での、出口の見えない混乱が、さらに延長される破目になったのではないかと思っている。
これはフィンケ自身の成功というばかりではなく、浦和レッズ自体の、クラブとしての「前進」でもあったと言えるのではないだろうか。
フィンケにとって、浦和にとっての、次の大きなハードルは、2010年開幕から6月のポンテ退団までをどう凌ぎきるか…ではないだろうか。ここの出足で躓き、長い連敗を続けてしまったり、モチベーションを失った選手達とフィンケやフロントとの間に、紛争や亀裂が生じるようであれば、フィンケと浦和の改革は頓挫してしまう恐れがある。
南アWCのブレイクまで、五分程度の勝ち星で推移すれば、ひとまず問題なく後半戦に繋げられると思うが、序盤で負けが込むようであれば、相互不信の悪循環から、サッカーのカタチそのものが変質していってしまうかも知れない。
これは浦和に限らず他クラブ、或いは代表であっても云える事なのだが、もし僕が浦和フロントの立場であり、フィンケとの契約破棄という決断に至る瞬間があるとすれば、それは彼が自らで掲げたそのサッカーのカタチ、スタイルに背いた時であり、未来へ背を向けて、言行不一致の采配や言説をはじめた時である。そしてそうなるまでは、例え一時的に降格の危機に瀕しようとも、僕ならば覚悟を決めてとことん我慢するだろう。なぜならば、サッカーにおいて、このようなスタイルへの転換は、どうしたって時間のかかるものだからである。浦和のようなクラブであれば尚更である。
ポンテ(2010年6月までの契約と聞く)、高原との契約は未だ継続中であり、そこに費やされる巨額の資金を、新たな戦力補強の為の原資に差し替えられなかった責任を、現体制に求めることは酷なのだが、それらを踏まえた上で、6月に起死回生の新助っ人獲得でも望めぬ限り、やはり僕は2010年シーズンも、浦和と浦和のファン・サポーターには、さらにもう1年の我慢を耐え抜く覚悟が必要とされるのではないかと思っている。
今の時点で、6月からの展開を予想することは非常に難しいが、現状の浦和レッズの戦力は、J1ではセカンドグループに位置する5位から8位ぐらいのものでしかないと僕は考える。
その中で、まず6月までのJリーグ12試合をどう戦っていくのか?
最終的にどのような布陣で臨み、どのような成績が残し得るのか?
そして、ケルンから獲得したサヌーへの期待と、起用法についての私見を交えながら、次回、さらに浦和レッズの2010年シーズンを展望してみたい。
※関連エントリー
浦和レッズ再建論 求められる助っ人とは
浦和レッズ再建論 最終章
浦和レッズとフィンケの航海
それでもフィンケを諦めない
浦和レッズ再建案 2010
posted by キリタニ |10:56 |
浦和レッズ |
コメント(19) |
トラックバック(3)
2009年11月02日
僕がフォルカー・フィンケ監督の続投を支持する理由。
それは今シーズン序盤、それはまだ片鱗でしかなかったのかも知れないが、彼は彼のサッカーのカタチをしっかりと見せてくれた…からである。僕はそこに充分に魅力的なサッカーの要素を、そして信頼にたる“手腕”を見せつけられた気がした。
しかし一方で、あの連勝を続けていた時でさえ、終盤の運動量の低下は著しく、最後は1-0の状況を、自陣にズルズルと押し込まれた状況で辛うじて守りきっていた。結果、勝ち点3を得ることには成功していたが、おそらくフィンケさんはその部分について納得はしていなかっただろう。彼はそんな状況こそを、ポゼッションすることでゲームを主体的にコントロールしたいタイプの指導者なのだろうと僕は想像する。
このままでは夏場に向けて苦しい状況を向えることもあるだろうな…と、僕は思っていた。そして案の定、運動量の低下と結果の出ない苛立ちから、ポンテなどの一部主力選手がゲームの中で真剣味にかける振る舞いを見せるようになる。
フィンケ監督だからこそ、この1年だけは…と、チームの内部崩壊のリスクと自らの求心力の低下を懸念し、我慢に我慢を重ねて使い続けてきたのだと思うが、これがオシムさんや西野さんであれば、その時点でキッパリけりをつけてしまっていただろう。或いは選手契約上の何らかの制約があったのかも知れない。
シーズン序盤にみせた、少なくとも前半の途中までは人とボールがスムーズに連動してゆくサッカーが、シーズンの中頃からどんよりと停滞してしまう大きな原因となったのは、前線から中盤の運動量の低下とポンテの独り相撲、そして山田直輝の離脱によるものだと僕は思っている。
浦和レッズというチームの主力選手たちは、ここまで数年間のACLでの活躍や相次ぐ代表への抜擢によって、かなり厳しいスケジュールをこなしてきた。しかも、スタメンと控え選手の間には常に大きな壁が存在し、ローテーション的な試みによってチーム力の底上げを図るような努力や工夫にも、これまであまり熱心ではなかった。チーム内のポジション争いも傍から見る限りはそれほど激しいものには見受けられなかった。
目の前の勝利を得るためには、それは確かに有効で現実的な判断だったのかも知れないが、結局はそれによって、自身のポジションにあぐらをかくスター選手の増長を招き、或いは試合で使ってもらえない選手たちのモチベーションを削ぎ、そして固定化されたスタメン選手にのみ負荷のかかる体制を長年続けてきたことにより、本当の意味で身体をいじめるトレーニングというものが疎かになってきていたのではないだろうか。それによっていまこんなにも、走れないチーム、運動量の足りないチーム、そして頑張れないチームに成り下がってしまったのではないだろうか。
その主力選手たちももう総じて若くは無い。はっきり言って、これからフィンケさんのサッカーに適応できる心身を持ち合わせているとも僕には思えない。また長期契約によって、今年一年ですべての血を入れ替えられるような状況にないことも判っている。これらを勘案すれば、僕は来年すらも、まだ苦しみが伴う改革の途上に在るものと思っている。チームフロントが、早計にACL出場権云々を語るべきではないだろうと。付け焼刃ではない、本当の改革を為すのならば、まだまだ苦しむ覚悟がいる。
逆にその覚悟が無いのであれば、いますぐフィンケさんを切り、また目先の勝利を追って一喜一憂するのもひとつの案ではあると思う。
しかし、世代交代はいずれ避けては通れない道である。後に先送りすれば先送りするほど、チームは深いダメージを負うだろうし、今の日本の経済状況や浦和の懐具合、そして外国人助っ人のスカウティング力・交渉力を見る限り、ワシントンやエメルソンのようなスペシャルなストライカーを獲得し、その個力によって優勝争いに絡むというのは、相当に困難な話であると僕は思っている。
要するに、今現在の浦和に残された道は、二者択一のようでいて限りなく一択に近いものなのではないだろうか…と。
フィンケ監督の経歴を見る限り、彼は良いトレーナーであるばかりでなく、よいマネージャーでもあるのだと思う。僕たちの立ち位置からは、強化部門トップの信藤健仁氏の仕事に対する視界が届かないことを自覚しながらも、僕はチームの戦力補強その他を含めて、包括的なマネージメントの権利を一度フィンケ監督に委ねてみる必要性を感じている。
Jリーグ各クラブは、このGM職だけは日本人の手によって成し遂げたいようだが、僕はこのポジションこそ、現状では海外の優れた知性の手に積極的に委ねてみるべきだと思っている。Jリーグ各クラブのそれを見る限り、その大きな権限をうまく使いこなす事ができずに、クラブのビジョンでは無しに、自らの個人的な願望や人間関係にかまけて、あまりにも拙劣なチーム運営をするGMが少なくない。
さらに言えば、そもそもクラブの将来ビジョンなるものの具体像を描きながら、クラブ運営に当っているクラブフロントといったものが、いったいこのJリーグにどれだけあるだろうか?
外国人助っ人獲得のためのコネクションも持たずに、あくどい代理人にコロリと騙され、性懲り無くヘタをうつ挙句に、現場の要望は一切吸い上げることをしない。そんなクラブの障害にしかならないようなGMならば、むしろ居ない方がよほどマシだろう。知恵も経験もある外国人監督に、すべて単年度契約を条件に、全権を委任した方がはるかに合理的で低リスクである。僕ならばそう考える。
次回は来期に向けた浦和の戦力補強の私案と、DFラインの再構築について語ろうと思っている。
posted by キリタニ |10:31 |
浦和レッズ |
コメント(7) |
トラックバック(3)
2009年10月26日
学生時代の僕は、クラスの優等生というタイプでは毛頭なく、さりとて不良グループのリーダー格というタイプでもなかった。それらのグループや派閥等とは別の、平和的な横のつながりでゆるやかにまとまっているその他大勢の学生という訳でもなく、基本的には充分素行のワルい部類と認められるグループに属しながらも、表立って目立つ格好や停学、退学処分を受けるほどの違反行為をする訳でもなく、それなりに勉強もしている…というある意味一番ズルいグループの中心に居たような気がする。
きっと教師の側から見れば、最も扱いにくく手におえないタイプの学生だっただろう。常に批判精神に溢れ、容易に屈服も服従もしなければ、協力も理解もしようとはしない。クラスでの共同作業…なんてものには最も消極的なタイプでありながら、個人の権利や自由だけは誰よりも頑強に主張する。ほとんどの教師という教師を、心の底でこばかにしていた。面倒くさいし損をするのも嫌だから表立っての反抗もしないだけで、実のところ面と向かって教師に楯突く不良グループの方が、僕らに比べれば遥かに純粋で素直な人間性を持ち合わせていたような気がする。あの時代、もし僕が教師の側の立場だったら、僕らなんかのグループより、ある意味愚直で透明な不良学生たちの方が、遥かにかわいいと感じていた事だろう。
自分で言うのも何だが、僕らのような学生が居て、それを取り仕切る教師に反目していては、クラスの協調や宥和というものは成り立たない。これをサッカーに例えるならば、僕らのような選手が居て、それを指揮する監督に反目していては、チームや組織というものは成り立たない。
どんなチームにも、監督と選手との対立や不和というものは必ず生じるものである。クラブ間移籍の風通しが悪かったこれまでのJリーグ。さらにはつい何年か前に、大きな栄光の時代を築いた浦和であれば、今のこのチーム内の空気が、それなりに淀んだものであるだろうことは想像に難くない。
そこにチーム構成上何の下準備も、サポートもない状態で飛び込んできたフォルカー・フィンケに、これまでとは違うやり方、方向性での、サッカースタイルを再構築してもらおうという時に、あまりに拙速に結果を求めるのは僕は誤りであると思っている。
今年の5月初旬、僕はジェフ千葉の戦力はJリーグでも最下位レベルにあり、少なくとも点の取れる外国人FWを一人加えなければ残留争いも厳しい…と、書いた。しかし、これは当然のように或るジェフサポーターの癇に障ったらしく、その後しつこい嫌がらせコメントを受けることになった。(そういえばおまえ最近来ないな^^;)
シャムスカ、ミラーを切るべきか
また僕はつい先日、浦和レッズの戦力についてこんなふうな私見を述べさせてもらった。
『僕が評価する浦和レッズの現有戦力は、ガンバ大阪(人件費23億円)にも鹿島アントラーズ(同18.5億円)にも劣る…ということである。いや、そればかりではない。現状では名古屋グランパス(同20億円)にも劣るし、川崎フロンターレ(同17.5億円)にも劣っていると思う。故障者をふまえた実働戦力で比較するならば、清水エスパルス(同15億円)や横浜Fマリノス(同13億円)あたりとやっと互角…ぐらいの戦力でしかないだろう』
浦和レッズ再建案2010
このジェフとレッズに対する僕の2つの評価。それは、いまスタジアムで熱心に声援を送っている方々、それぞれのチームのテイタラク?にブーイングを送っている方々にとっては、到底納得のゆく評価ではないのだろう。が、
浦和レッズ8位
ジェフユナイテッド千葉17位
(2009年10月25日 現在)
という現在の彼らの地位は、そのチーム戦力からいっても、今の状況からいっても、僕にとっては妥当すぎるほど妥当なもののように映っているのだ。
少なくともフォルカー・フィンケ監督は、今やJリーグでも中位レベルの戦力でしかない浦和において、我慢をしながら若手選手に経験を積ませ、未来への布石を打っていることだけは確かである。そしてここでもうひとつ確認しておかなければならないことは、彼は彼のサッカーを為す上で、クラブからの戦力的なサポートをこれまで一切受けていないに等しい…ということである。要するに旧時代の、彼自身が望んだモノとは明らかに違うだろうあり合わせの選手で、ここまで戦ってきた…ということである。
数年前に比べれば明らかに力が劣るか或いはモチベーションを失った、ポンテや高原やエジミウソンやその他のベテラン選手と、昨日今日プロになりたての新人選手たち。そんな運動量に欠け、覇気に欠け、協調性に欠け、或いは経験に欠ける選手たちを率いながら、僕から言わせれば戦力並みの結果だけは出してきている。
クラブ成績の下降状況に直面し、それと向き合わなければならない苦痛やショックは理解するが、果たしてその主因がフォルカー・フィンケにあるのか?彼の指導者としての能力そのものの問題なのか…は、冷静に分けて考えるべきであると、僕は改めて思う。
長年の散財や放漫経営によって積もりに積もった不良債権は、一部のファンやサポーターが思っている以上に莫大、深刻なものであるように僕には見受けられるのだ。果たしてブッフバルトが監督であれば、今あの頃のレッズに本当に戻れるのか?ワシントンもエメルソンも、そしてあの頃のポンテも、田中達也も、鈴木啓太も、永井雄一郎も居ないこの状況で、或いは福田正博であればあの頃のレッズに、本当に戻してくれるのか?よくよく熟慮すべきである。
最終的に彼が浦和にもたらすものが、栄光であるのか、或いはさらなる失望であるのか…今の時点で僕には分からない。が、少なくともこの1年を、その目的に到るまでの過程であり、ファーストステップと見なすのであれば、僕は困難な状況の中でチームを破綻させることなく、或る面では柔軟に譲歩しながら、よくやっている…と考える。頑張っていると思う。
浦和レッズについては、いずれ『浦和レッズ再建案 2010 その2』を書くつもりでいるが、もし仮に僕が浦和のGMであったならば、今年1年の成績を受けてフォルカー・フィンケを解任することは絶対に無い。例え彼の要望の半分程度であったとしても、保有戦力の更新をし、フィンケサッカー構築への体制に僅かでも着手した上で、最短でも半年後、クラブがどちらの方向へ進んでいるのか…上ってるのか、或いは下っているのか…を見極め決断を下すことになるだろう。
でなければ、フォルカー・フィンケを呼んだ意味など無い。彼に託したこの時間と金を、またしてもドブに放り捨てたのと同じことである。
現実を見つめるべきである。
今この状況だからこそ、垣間見える真実…というものがあるはずだ。
以前にも一度書いたが、僕は道に迷ったとき、これだけは絶対に避けなければならないと思っている事がひとつだけある。それは、正しい道を歩きながら、間違っている…と、誤解してしまうことである。その道が誤りであるならば、明らかに誤りであることを確認しなければならない。ここを早合点し、見誤ってしまえば、後は無限の迷路をさまようことになるものだ。
サッカーばかりではなく人生においても、迷うことは致し方ないことである…と、僕は思っている。そして一番大切なことは、誤りを誤りと正しく確認し、二度と同じことを繰り返さないことである。幸か不幸か、浦和レッズはフォルカー・フィンケという道を選んだ。確かに選んだのだ。その目的地を忘れてしまってはならないのだと僕は思う。ここはまだ、道半ばでしかないのだから。
『ザ・ノンフィクション』への失望
posted by キリタニ |11:22 |
浦和レッズ |
コメント(17) |
トラックバック(3)
2009年10月07日
速攻(カウンター)と遅攻(ポゼッション)の使い分け。
そして1-0をしっかりとモノにするディフェンス体制の再構築…それが2010浦和レッズ復活のための欠かせぬ2つの要素になると思う。
それに関しては、後日メンバー選考や新戦力の補強なども含めて別エントリーにて細かく私見を述べてみたいが、浦和にはそれと平行して為さねばならない作業があるように思う。それは世代交代である。
一部のスター選手の、ある意味増長し、肥大化した要求や態度、放言に対しては、この辺でそろそろケリをつけるべき頃合なのではないだろうか。それによる一時的な戦力ダウンは否めないかも知れないが、少し長いスパンでクラブの発展を考えるのであれば、手を打つべき頃合なのではないかと僕は思う。もちろん経済的なメリットも含めて…である。
先日、山田暢久の1年間の契約延長がなされたと聞く。彼のパフォーマンス自体には僕は満足していないが、代えの効かない右サイドバックとして、浦和の戦力的な穴の部分を埋め、補ってきた彼の今年一年の実績は充分に評価されるべきであろう。彼のポリバレントな対応力を鑑みても、来期のチーム構想において確かに必要な人材なのだろうと僕も思う。
しかし、先にも述べたように、このクラブの未来を考えるならば、この辺で『世代交代』が必要であり、他方からの新しい血液の導入も不可欠であると僕は思っている。そしてそれを為すためにも、肥大化したクラブ財政を、今後しばらくは続くであろう経済のリセッションに対応せしめる為にも、高給取りのベテラン選手の幾人かとの契約を、躊躇わずきる勇気と決断が必要になってくるだろうと考える。
昨年の浦和の『選手・チームスタッフ人件費』は約24億円である。これはクラブの営業収入の約71億円を考えれば非常に優秀な、抑制の効いた数値である。が、一方で、全体の収支をみればほぼプラスマイナスは均衡している訳で、今年浦和の収入がどれだけ減じるかにもよるが、おそらくは人件費において2~3億円程度のコストカットが迫られるのではないだろうかと予想する。
浦和のすべての選手たちが、今現在どれだけの金額で、何年契約を結んでいるのか定かではないので、一概にここで契約問題に深く切り込むことはできないが、もし僕が浦和のGMであったならば、
ロブソン・ポンテ(今年で契約期間満了/一説では1年2億2000万円)
高原直泰(2010年まで/一説では1年1億6000万円)
との契約は打ち切りたい…と考えるだろう。
高原に関しては、契約期間が残っていたとしても、可能ならば移籍金0の放出にしてでも解除したい。もちろん彼の高給を考えれば、Jリーグ内の移籍は非常に難しいところだろうが、例え2010年分の給料を少し補填してでも、放出してしまった方がお互いの為なのではないかと僕であれば考える。
これでいくらの人件費が浮くのか…おそらく3億円ぐらいのものなのだろうが、昨今の経済状況を鑑みれば、ここからさらに切り込んで、やっと新助っ人、新戦力の補強に着手できる…といったところなのではないだろうか。アレックスの名古屋への放出も、人件費削減、そして世代交代のための、已むに已まれぬ施策であったのだと僕は理解している。
ここでひとつはっきりさせておきたいことがある。
僕が評価する浦和レッズの現有戦力は、ガンバ大阪(人件費23億円)にも鹿島アントラーズ(同18.5億円)にも劣る…ということである。いや、そればかりではない。現状では名古屋グランパス(同20億円)にも劣るし、川崎フロンターレ(同17.5億円)にも劣っていると思っている。故障者をふまえた実働戦力で比較するならば、清水エスパルス(同15億円)や横浜Fマリノス(同13億円)あたりとやっと互角…ぐらいの戦力でしかないだろう。
彼らに比すれば、24億円もの巨費を支払っておいて…である。
まずはここから是正していかなければ、クラブの輝かしい未来の展望など描けない。いかに日本一、アジア一のビッグクラブといえども、この時勢に、無駄な金を使い続けてその地位が保たれるものとは僕には思えない。オジェックとは何年契約だったのか知らないが、エンゲルスへの給料は未だ支出され続けているはずである。そういう理のない金の使い方を悔い改め、抜本的に正してゆくことが不可欠である。もちろん人件費だけではない。その他の支出も肥大化し、非効率化してしまった部分は多々あるだろう。そういう面をひとつひとつ妥協無く潰していって、ファンやサポーターの支持や愛情に応えられる体制を身を削って再構築すべきである。当面収入が増える事は期待できないのだから。
浦和レッズのタオルマフラーは¥1500である。
キーホルダーは¥800で、ステッカーは¥350である。
そのなかの何百円、或いは何十円がクラブの手に残り、莫大な額の塊となって支出されていくのかを僕は知らないが、その¥800、¥350の硬貨を握り締めていた手のひらのぬくもりを忘れてはならないと思う。そのひとつひとつに込められた手のひらのぬくもりこそが、クラブのほんとうの価値であり、それを支えているものの正体なのだと思う。
もちろん他のクラブにも当然そうあって欲しい。浦和レッズというクラブは、常に日本のプロサッカークラブの規範を示し続けて欲しいと僕は願っている。
押尾先生語録への挑戦
posted by キリタニ |10:51 |
浦和レッズ |
コメント(10) |
トラックバック(3)
2009年10月05日
浦和レッズvsジェフ千葉戦。
前半の浦和は、すべる湿ったピッチに足を取られ、ビルドアップに腐心し手こずる…といういかにも危なげな立ち上がりだった。かたやジェフ千葉は、そのピッチ状況や浦和の危ういビルドアップへの執着に乗じて、厳しい前線からのプレスでこの試合の序盤をある程度支配し、先取点をもぎとった訳だが、運動量が尽きるとともに防戦一方の展開となり、そこで踏ん張り一刺しできるだけの戦力も、そして術も、用意されている訳ではなかった。
結局、いまの浦和の一番の問題は、『繋ぐ』ことへの過剰な執着であり、『攻撃的』であるためのリスクを省みない攻め上がり、カバーリング体制の不備にあるのだと僕は思う。何も相手が元気で、遮二無二プレスしてくる序盤に、無理をして、危険を冒して、繋ぐことはないのだ。
もちろん、その状況をビルドアップによってかいくぐることができれば、前線では大きなチャンスを掴むことができるが、その序盤の状況が、サッカーにおいてどうしても勝負を仕掛けなければならない状況なのだろうか。序盤はリスクマネージメントに重点を置き、肩肘張らずに『繋ぐ』『蹴る』を、その状況によって使い分ければいいのだ。わざわざ敵のハイプレスに付け入る隙を与え、危険な位置でボールを晒す必要などないのだと僕は思う。
そして90分の中で、全力で『繋ぎ』、勝負を仕掛ける時間帯を見つけ出せば良いのだ。それはこの試合でいえば後半10分過ぎ頃からの状況であり、そこでこそ、日々鍛錬を重ね、磨き上げているポゼッションサッカーと、外からボールを追い越してゆく果敢な攻撃性を解放してゆけばよい。そんな状況でこそ、はじめてそれが充分に活かされるのであり、今の浦和のポゼッションサッカーとは、現状では“その程度”の代物でしかない…とも言えるかと思う。その完成度と相手のスタミナ、ゲーム状況に応じて、適正なリスク管理のもと『繋ぐ』ことと『蹴る』ことを合理的、効率的に選択していって欲しい。田中達也と山田直輝という“スイッチ”を上手に活用しながら…である。
一方のジェフ千葉について。
ミラー体制において、彼らがハイプレスを実践しながら、90分間なんとか破綻無く踏みとどまれていたのは、攻撃に際して、可能性の薄い上下動やスタミナの消耗を極力セーブしていたからであり、今現在の、なかなか繋がらない中盤でのパス回しに腐心し、カウンター(攻撃)時にはそれぞれの持ち場を離れて前進し、ゴール前に数をさく…という戦術では、結果としての得点が積み上がらない限り、無闇にリスクと消耗とを呼び寄せているだけである。また得意だったカウンターに関しても、深井正樹の個力という変わらぬ手段を有するほかは、少しずつその精度とキレを欠き始めている。
江尻新監督就任により、高らかに“オシムサッカーへの回帰”を宣言し、打ち出してはみたものの、泥沼にはまり込んでみたところで立ち往生し、今現在は逆に、勇ましいファイティングポーズを見せながら、ミラーサッカーへと後ずさりしているような状態にも見受けられる。スタメン選手の面子をあれやこれやと取り変えてみたところで、サッカーの質そのものが変わるわけではなく、新しいなにかが創造されつつある過程にも僕には見受けられない。
むしろチームとしての約束事が曖昧になり、みんなが我慢する事で保たれていた結束力すら失い、残留争いの数字上の可能性のみならず、メンタル的にもそれ以上に厳しい状況に追い込まれているようにも見える。しかし、そんな中でも、選手たちはその可能性の中で精一杯戦っている。この戦力、そしてこの体制において、彼らは全力を振り絞って戦っている…と僕は思っている。ピッチ上の彼らを責める気になど到底なれない。これは立場は違えど鹿島アントラーズにおいても言えることなのだと思うが、ほんとうのサポートとは、こんな時にこそ必要とされるものなのではないかと僕は思う。
このゲームのMVP。僕が選ぶならば阿部勇樹である。
本当に久しぶりに見せてくれたFKでの得点のみならず、ピッチ上いたるところに顔を出し、攻守においてその存在感を表していたと思う。今シーズンは勝負どころでの度重なるミス、ボーンヘッドの連発で、チームに負担をかけ、足を引っ張るシーンが散見されたが、それでもフィンケさんが迷いなく彼を使い続けてきたのは、阿部勇樹のその潜在能力の高さを充分に理解しているからなのだと思う。
同じようにこの試合、僕ならば前半のうちに高橋峻希を代えていただろう。そして同じように今シーズン、僕ならば原口元気をどこかで引っ込めていた筈である。今シーズン、彼がしてきた選択…これはカンタンなようで非常に難しいことであった…と、僕は思っている。きっとフォルカー・フィンケという人は信念を貫く人なのだろう。そしてその信念の核心にあるものが、きっと彼の思い描く未来へのビジョンなのだと思う。彼はこの厳しいシーズンを、しっかりと未来を見据えながら指揮し、戦ってきたように僕には見受けられる。僕はそれを一時の浮き沈みや体裁なんかよりも、クラブにとってずっと大切な事であると思っている。
ジェフ千葉に関しては、また改めてクラブの今後についてじっくり書き綴ってみたいと思う。
そして、Jリーグについて、ここからは優勝争いの行方を追うと共に、各クラブの来期のチームづくりに向けた僕なりの意見や妄想などについても書き記してゆければと思っている。まずは浦和レッズについて、僕の考える来期のチーム構想を披露してみたい。
【映画批評】 クライマーズハイ ★★★★
posted by キリタニ |11:02 |
浦和レッズ |
コメント(10) |
トラックバック(3)
2009年09月01日
この夏、ある討論番組を見ていたらこんなことがあった。
テーマは『非核三原則』は遵守すべきかどうか…だったと思う。ある女性が言うには『非核三原則(核を、持たず、作らず、持ち込ませず)は絶対に守らなければならないし、日本の核武装など論外である』…という。ああ、そういう考え方もあるだろうし、よくある話だ…と僕は思う。が、次のシーンでその女性は『アメリカの核の傘は必要である』というフリップを掲げている。
え?
と、思う。
要するにこういうことなのだろう。
日本が自国防衛のために核を持つor核に触れる=×
アメリカが日本の安全の為に【勝手に】核を配備するor日本以外の【よそ】から核で他国を脅す=○
いつも思うことだが、他人の正義感…とはおかしなものである。きっとそういう僕の正義感も、他者からみればおかしなものなのだろう…。だから僕は、正義と言うものは他者と共有できるものではないし、他者に強要すべきものではないと思っている。他者の正義感がおかしい…のは、当たり前のことなのであって、それを互いにおかしい…と思い合うのは勝手だが、間違っても押し付けあったり、強要しあうべきものではない…と思っている。
おかしな価値観、倫理観、正義感であふれかえっている世の中。それこそが自然であり、ある意味妥当な社会のあり様…なのだと思う。
人それぞれの思想というものは異なるものだから、万人がぎりぎり納得し共有し得る最低限のルール…というものが必要になる。そしてそれを踏み外したものにはペナルティが加えられる。社会だけではなくサッカーの世界も、そのようにして回っている。僕は権力者といえども…、いや権力者だからこそ、そんな“正義感”をタテにルールを乗り越えて主張し、影響力を与え、自らの価値観を万人の共有する普遍の価値観として誰かに強要することは誤りだと考える。してはいけないことだと思っている。それが、もし健全な民主主義で選ばれた権力でないとするならば、尚更である。
日本人は言葉に殊更に過敏に反応する。
その一方で、実際のピッチ上において日常的に為されている行為にはまるで頓着しない。もしフィンケが『ファールされたら倒れるべき』と言ったことが本当だったとして、誰かに、それを批判する正義感があることを僕も認めようとは思うが、一方でファールされずとも倒れるピッチ上の無数の現実を、そのままに看過し不問にする寛容さを併せ持つことを、奇異に思う。
さらに他方では、敵にファールを受け転がった選手が、シミュレーションだと2枚目のイエローカードを出されて退場を宣告される。しかし、後にそれはジャッジの誤りであったと主審に謹慎が申し渡される一方で、冤罪被害者である選手の出場停止に対する救済は為されずに、刑は執行される。無実の詐欺罪で職場を奪われた善良な市民が、冤罪と分かっていながらなお懲役1年の刑に処せられる…。
こんなあり得ない話が、なんの反省もなくやり過ごされている。
もし僕が権力者であったとしたならば、こんな不条理こそ許せないと思うだろう。見過ごす事などできないと思う。もし権力というものを皆のため、サッカーのために役立てたいと思うならば、そんなところにこそ行使すべきではなかっただろうか。
正義とは多様なものである。
それはどこにでも、誰にでも、在るものでありながら、実はひとつとして同じものなど存在しない。よくよく見ればどこか違う。どこかおかしい…。僕自身正義とはそんなものであると思っている。自らとは異なる他者の『正義』の在ることを知り、認めてこそ、はじめて自らのそれを主張することができる。要するに正義とは、謙虚でなければならないのだと思う。
サッカーとはゲームである。
もちろん、ゲームの定義にもさまざまな回答があろうとは思うが、僕はそのピッチ上の現実、フェアかアンフェアであるかの是非の問題を、自らの独りよがりな正義感を基準に判断しようとはまったく思わない。そこには必然、僕とは異なる他者の価値観や正義感が在るだろうし、彼らは僕のチームメイトですらないのだから。
同じニンゲンとして故意に他者を傷つけようとする行為やプレー以外は、ルールと、それに対するペナルティと、不確かなジャッジ…の3つの制約の中で、僕は指導者を含むプレイヤー達のあらゆる判断や選択を受容する。もちろんその中にはプロフェッショナルファールや、ダイブや時間稼ぎの類も含まれる。ヘタにやって不要なFKを与え、無駄なカードを貰うようであれば、未熟なプレーとして軽蔑の対象となる。ウマいかヘタか…ただそれだけが評価の基準である。
…きっと誰かがおかしいと思い、不満を覚えることだろうが、それが僕自身のサッカーというゲームの正義に対する価値観、おかしな正義感…といったものの偽らざるところである。
僕の中のザ・ビートルズランキング
posted by キリタニ |11:04 |
浦和レッズ |
コメント(11) |
トラックバック(4)
2009年08月24日
ポゼッションサッカーとは、それだけ取れば、もっともゴールの遠いサッカーのスタイルであると僕は思う。丁寧に繋ぎゆっくり攻めるのだから、相手ゴール前はいつも敵でごった返している訳である。
それでも、例えばワシントンやフッキのような、個力に秀でたスーパーマンがいれば、狭いスペースで、独力で前を向いて豪快なシュートを相手ゴールに叩き込むことも可能かも知れない。が、いまの浦和にはそんなスーパーな選手など一人もいない。
となれば、3~4人で織り成す“電光石火”のダイレクトパスによるコンビネーションプレーが必要となる…。
しかし多くのクラブがそうであるように、それを手に入れるのはカンタンな話しではない。選手個々のスピード・運動量・知性・スキル…それにユニットとしての計算され、約束されたコンビネーションが、数的優位の敵の対応力…に勝ったときに、はじめてカタチになり、モノにし得るスタイルである。長くサッカーを見てきた人であれば、それがどんなに“困難”な話であるのか、あえて説明しなくても分かるはずである。
オシムは日本代表において、確かに短期間に、それらしいチームを育んだ。が、彼はその為の材料を、自分自身の手や裁量によって選出することができた。そして、僕から見ればやはり彼はスーパーな存在なのである。たいていの場合、物事はあんなにうまくは運ばないものだ。
その為に監督の為し得ること、手腕や指導力が及ぼす作用は、非常に大きいものがあると思うが、また一方でそれだけがすべて…であるとも思わない。クラブチームであれば、所属する選手個々が、その要求に応え得るスピード・運動量・知性・スキル…を持たなければ難しいと思うし、すでに確立したそれまでのスタイルを手放して、変革を受容する献身的な姿勢が要求される。そしてその為には、何よりもそれを会得することに対する“価値”を共有することが不可欠だろうし、そこに生ずる困難に打ち勝つための覚悟の共有も必要になってくるだろう。
浦和レッズというクラブは、その点でJリーグ一難しいクラブなのだと僕は思う。いまは、荒れる海の帆船の上で、船員それぞれが、船長の指示を疑いながら、疲弊し、モチベーションを失い、各々に勝手な事を言い始めて、統制が取れなくなっている状態に近いのではないだろうか。広い海洋に踏み出せば、必ず嵐には遭遇するものである。いま一番大切なことは、問題がなんであるのか?それはどこから生じているのか?その本質をしっかりと見極めることである。そしていずれその問題に、妥協無く対応することである。少なくともフロントの、責任逃れの“補強”が、功を奏するシチュエーションであるとは僕には思えない。例え最善の航路を進んだとしても、これからも嵐は、何度でもやって来るだろう。いま浦和レッズに関わるすべての人たちは、試されているのである。
フィンケ監督が速い攻めを否定しているもの…とは僕は思わないが、もしかしたら日々の鍛錬の方向性の中で、選手たちに誤った信号として伝わっているのかも知れない。もしそこに誤解があるとするならば、速やかにそれは解くべきだろう。スタイルというものは目的ではなく、手段である。90分、のべつまくなし固執するものではなく、むしろ効率的に利用する手札。ある意味で、クレジットカードのような信用を担保とする道具のひとつである…と僕は思う。間違ってもそれに殉じたり、それへの不敬を論い、選挙の争点と為すような“日の丸”の類のものではない。
しかし土台のない家になど住めぬように、それ無くして成立するものでもない。
スタイルを確立する…ということは、一方ではどう生きるか…と同じぐらい大切なことである。その根本にある哲学として、ポゼッションというスタイルは、やはり浦和のようなクラブにとっては、価値ある尊い方向性なのだと僕は思う。
遅い攻めとは真逆の、速い攻め…というカタチも、ゲームの中では必然求められるものである。その2つの手段を備えて、はじめて攻撃は完成するのだと僕は思う。丁度、押すだけの相撲や、買いだけのトレーディングが成立しないのと同じように。押したことのメリット、買ったことのメリットは、多くの場合引くことによって、或いはそれを売ることによって、引き出せるものなのだ。そして或いはまたそれを逆さに利用することもある。それぞれの状況に必要な対応ができて、サッカーは強化され、やがて成熟してゆく。ちょうどサンフレッチェ広島が、この4年間の艱難辛苦の末に、いま真の強者への階段を、一歩ずつ登りつめようとしているのと同じように。
ゾンビ議員さんたち、比例復活当選おめでとうございます。
posted by キリタニ |11:09 |
浦和レッズ |
コメント(22) |
トラックバック(2)
2009年06月22日
開幕前のJリーグ順位予想で、僕は今年の横浜Fマリノスについて、優勝争いの次のグループに位置しながらも、山瀬功治の復活次第では台風の目と成り得る存在…と高く評価していたのだが、Jリーグ中断前のジェフ千葉との試合を見て、正直言って深く失望させられた。今年は優勝争いはおろか、残留争いからチームの内紛、もしかしたら突然の監督解任劇まで起こり得るのではないだろうか…。そんな予感さえ抱かせるなんとも心もとない前半最後のジェフとの試合内容であった。
ところが中断明け初戦のこの浦和レッズ戦。あの中断前のテイタラクとは打って変って、浦和にほとんど攻め手を与えず攻守にメリハリある連動を発揮して実力で圧倒する展開。前半30分で浦和の足が止まってからは、もたつくビルドアップに狙いを定めてプレスの網にかけ、ボール奪取からお手本のようなカウンターアタックで幾度となく浦和の高いDFラインの裏を突き、ゴールを脅かし続けた。
浦和のリーグ戦は今年全試合見てきたが、ここまで一方的にやられた試合ははじめてだったように思う。もちろん、浦和自体の動きに少し疲れも見え、褒められたものではなかったとは思うが、この試合に関しては、横浜の見事な2つのラインで構える適正なプレスと、その統制の取れたボール奪取後の速くて厚い攻撃が、浦和のポゼッションサッカーを、実力で粉砕したカタチである。
特に2点目の山瀬功治のゴール。右サイド田中裕介の、ボール奪取から休む間もなくサイドを全速で駆け上がり、そこで引き出したボールを、中央の勢いを止めない絶妙のタイミングのクロスによって得点に結びつけたプレーには、胸が熱くなるほどの感動を覚えた。松田直樹や中澤祐二を中心に、才能と野心あふれる若手たちがこれだけ揃ったチームである。なんとかしてクラブの力で、監督の力で、このチームを強くしていって欲しいし、優勝争いに導いて欲しい。実際それだけのタレントたちであると思うし、山瀬功治、渡邉千真、坂田大輔、狩野健太など、そのまま日本代表に移植しても充分に活躍してくれそうな選手たちである。彼らの才能を活かすも殺すもクラブ次第である。こんなポジションに停滞している責任を、クラブと監督には痛切に感じて欲しい。
皮肉なことに僕はこの試合を見ながら、岡田ジャパン、日本代表の、チームとしてのふたつの顔を同時に見せられている気がした。以前から良い時の横浜Fマリノスのサッカーは、岡田ジャパンのひとつの手本である…と、思ってきた。適正なプレスによる攻撃的な守備と、ムダの無いシンプルな展開による速いカウンター。この2つを同時に機能させ、その上で良い時の浦和レッズのようなポゼッションでのゲームの作り方、落ち着かせ方を実践することができたならば、勝ち負けは別として、南アフリカWCでも日本は恥ずかしくないサッカーができるはずである。
そういう意味でこの日の横浜Fマリノスは改めて良い手本、メッセージを日本代表、岡田監督へ指し示してくれたのではないだろうか。そして同時に、浦和の躓きについてもよく分析してみて欲しい。これは紛れもなくここ最近、数試合の、日本代表の姿である。
中村俊輔の選択については、僕らに見えない部分、知りえない部分での問題や軋轢は必ずあるはずで、そういう表には出てこない真相に対して、僕らそれを遠巻きに見守る側は謙虚でなくてはならないのだと僕は思う。それがどんなものであれ彼のくだした決断である以上、心から祝福して送り出してあげたい。残り少ない選手生活、悔いのない選択ができるよう祈っている。いずれにせよ、今後のマリノスの復調に期待したい。まだシーズンは折り返し地点にも達してはいないのだ。今ならまだ、追いつけるはずだ。
そして改めて思う。
今の代表に山瀬功治、石川直宏のダイナミズムを取り入れてみたらどうだろうか?
★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつもありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ
懐かしい悪夢
posted by キリタニ |11:14 |
浦和レッズ |
コメント(11) |
トラックバック(1)
2008年11月05日
浦和レッズ再建論の最終章…最後にチーム編成について。
強くあり続けること…とは、単に強くなることの何倍も難しい事である。
それは勝利という創造と、革新という破壊を同時に続けてゆくという試みだからである。
今日(こんにち)の成功体験を、明日には自らで否定してしまわなければならない。それは言うは容易く、行なうは難い試みなのだ。当然、そこには多くの失敗が待ち受ける事になる。そしてほとんどの場合、その失敗を恐れて、安易に今日の成功を保守しようと試み、自ずから衰退への道をたどる事になるのだ。
具体的に言えば、それは新陳代謝である。
常にチーム内の活力を最大限に高めるべく、一歩先の未来を予見しながら過去を切り捨ててゆかなければならない。多くの新興クラブは、これに躓き、これに敗れ去ってゆくのだ。
例えば山田暢久という選手が居る。
僕は高校時代から彼のことを知っているし、浦和の苦しい時代を支えた現存する最高の功労者である事は誰しもが知るところである。が、もし彼が今の微妙な立場に納得していないとするならば、或いは今後のチーム改革において明らかに脇に追いやられる存在であるだろうことを想定するならば、僕は(仮想)GMとして包み隠さずそれを話し、移籍先の要望にも可能な限り応じる。彼を功労者であるとするならば、尚更である。そしてその1枠には、確実な将来性を見込めるユース出身選手か、他クラブの上り調子の若手選手を補完する。このへんはガンバ大阪のチーム編成は非常に巧みであると思う。
僕はそれこそが功労者に対する本当の敬意であり、常勝チームとしての自然な“循環”であると考える。またチーム内に余計な波風をたてない為の最善の手立てでもある。もちろん、そこには移籍する本人の人間性やキャラクター、そして何よりも希望が当然のこととして加味される。僕がGMであれば、少なくとも『君の力が必要なんだ』といった抽象論で押し切ろうとは思わない。厳しい情勢であれば、その厳しい情勢をそのまま伝えて、本人の残り少ないキャリアを悔いなく過ごさせたいと考える。同じく永井雄一郎にとっても、今がその時期といえるのかも知れない。
そして同時に、浦和のようなビッグクラブにおける堀之内聖や内舘秀樹、山岸範宏らの存在が、いかに貴重なものであるかを見逃してはならないと思う。当然そこには契約としてのインセンティブが必要だと思うし、他の選手と一律の基本給+出場給とは異なる概念が採られてしかるべきものであると考える。
と、ここまでがチーム編成についての考察である。
けれどもそれはここからの課題であり、今の浦和の思わしくない状況の主因が、この新陳代謝の滞りによるものであると考えている訳ではない。
これらすべての価値基準、判断の規準は、そのクラブの指針、信頼の要、象徴であるチームマネージャー(監督)の存在があってはじめて信認されるものであり、その信頼がグラついた状態で何かが為されようとするならば、それは新たな損害を無尽蔵に拡散してゆくことに等しい。信頼があって、はじめてその決断や行動に意味が宿るのだ。そんな選手-監督-サポーターの信頼関係のトライアングルを築けなかったフロントの責任は大きい。
一部サポーターがまたしても暴徒化した…と報道にはあるが、なぜ自ら率先して支えるファンやサポーターへの説明責任を果たそうとしないフロントが、そのような場にはノコノコ出向いて、許しを請うような姿勢を見せるのだろうか?そういう及び腰の態度が、自ずからスタジアムのモラルを破綻させ、そのような行動を追認することになってはいないだろうか?
彼らは本来クラブを支えてくれる人たちである筈だ。それに期待し、愛情を注いでくれている人たちである筈だ。であれば、自ずから説明の機会を設けて、定期的に彼らの要望に耳を傾け、また現状の報告をし、共通理解を高め、信頼を醸成してゆくことに心血を注いでゆくべきである。そのための手段などいくらでもある筈だ。
そこに自ずから信頼を築こうとする確かな意志を示せば、そもそもスタジアムにおいてこんな問題は起こらない。監督をいつクビにするか…ACL出場権を確保できるかどうか…。それがこの問題の主因ではない。ファンやサポーターの現状への失望、そしてここから先の未来への期待に、よく耳を傾けそれを理解することが最初の一歩なのではないだろうか?その為にできること…を、今すぐにでもはじめてゆくべきなのだと僕は思う。
以上、僕の考える『浦和レッズ再建論(2008)』をここに終えたいと思います。
現状の浦和について、僕が知り得る事柄の範囲での考察ですので、なかには誤解に基づくものも、無知の傲慢に基づいた解釈の記述もあった事と思います。それによって、当の浦和のファン・サポーターの皆様が不愉快な思いをされたことがあったとしたら、ここに先回りして謝罪しておきます。
そもそも浦和の、三菱のファンの一員であった僕は、屈辱の時代を経て、いまアジア王者まで登りつめた浦和を今度はJリーグファンの一員として、とても誇りに思っています。そしてもっともっと成長して欲しい、さらなる発展を遂げて欲しい…。その為にも、この困難を乗り越えて世界のビッグクラブへと躍進していって欲しい。
浦和レッズの復活と再生を期待しております。
★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつも本当にありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ
キリタニ100法*(ほぼ…)毎日更新中です。
『死ぬかと思った』
*今後ブログタイトルの下に日替わりの一言コラムを毎日更新させていだく予定でおります。
posted by 桐谷 |11:46 |
浦和レッズ |
コメント(17) |
トラックバック(1)
2008年10月31日
挑戦者のサッカーと王者のサッカーとでは、ゲームの中で自ずと求められるものが異なる。
敵が攻撃的に前がかりにくるかどうか?
それとも引いて0-0の結果を狙ってくるかどうか?
それによって裏のスペースがあるかないかが異なってくるし、そこで求められるものはシンプルなスピードとそれを活かした攻撃なのか、或いは狭いスペースでボールを失わず尚且つ局面局面の一対一で“違い”を生み出せる個人技なのかが異なってくる。
中田英寿がペルージャでの輝きをローマやパルマで発揮できなかったのは、裏のスペースへ通す速いパスの前に、厳しいマークによる一対一の状況で“違い”を見せられなかった事と無縁ではないと思うし、いま浦和で燻ぶっているエジミウソンが新潟で輝けたのは、彼のプレー特性がワシントンのそれとは微妙に異なっている事と無縁ではないと思う。
要するに浦和は、ワシントンに代わるFW選びを間違えたと思うし、エジミウソンを否定しないまでもそのパートナーとなるべきは高原直泰ではなく、狭い局面の中でボールを保持し、時にダイレクトで正確に繋いだり、ターンしてゴールへ向かえる人材であるべきだったのだと思う。
例え全盛期のエメルソンがいたとしても、僕は今の浦和で、あの輝きを取り戻すのは難しいと思っている。すでに他のチームは、チャンピオンチームである浦和に対して、あの頃のような広いスペースを与えてはいないからである。すでに攻撃において求められる特性そのものが異なっているからである。
浦和というクラブは、その潤沢な運営資金を、監督選びと外国人助っ人の補強に充分に活かしきれているとは到底言えない。しかもその資金力をリスクを軽減する…という方向で活かすことをせず、むやみに長期契約に応じて自らの手足を縛ってきたようにも思えるのだ。物事に当りハズレがあるのは当たり前の事である。それは勝負に勝ち負けがあるのと同じぐらい当たり前のことである。であれば、外れたときに備えてどうリスクを分散するのかが経済の常道である。そこにこそ、金は使うべきなのだと僕は思う。
エジミウソンの場合は、そもそもあまりにも高額な年棒がネックとなり、中東への売却もおいそれとはいかないのが現状なのではないだろうか。であれば、僕ならばさらに空いている枠を使って、ワシントンか、或いはそれに代わる代役の獲得が不可欠だと考える。もしワシントン獲得がかなわないのならば、スウェーデンのラーションやアルベックのようなプレーヤーが望ましいと考えるし、まだ充分な競争力を持ちえているとしたならばデルベッキオのような選手に学ぶべきものも大きいのではないかと思う。そしてヤン・コレル(チェコ)も充分獲得の可能性のある選手なのかも知れない。またAFC枠でいえば現ボーフムのハシェミアン(イラン)、或いはカールスルーエに在籍するジョシュア・ケネディ(オーストラリア)のようなポストプレーヤーを一人加えて、日本人と競争させるのもひとつの方法だと思う。
例え監督が誰であっても、どんなサッカーを志向するにせよ、引かれれば一度前へ当てて、そこからの厚い攻めを展開しなければならないし、最終的には放り込みでこじ開けなければならない局面も必ず迎える。その為には、ワシントンクラスの実力を有したポストプレーヤー、ストロングヘッダーの獲得は、最優先で補強されるべきポイントであると考える。
またポンテには、肉体的にも精神的にもある限界が訪れているのではないだろうか。であれば、ここには将来性豊かな日本人の若手をあてがい、むしろこの枠でサッカーを熟知したリーダーシップを持つDF、以前Jにいた名古屋のトーレスや読売のペレイラのような助っ人を用意するべきなのではないかと思っている。
浦和はなぜ川崎フロンターレやアルビレックス新潟のようなコネクションやルートを構築できないのだろうか?どうしてそこに成果を見出せずにいるのだろう。そしてクラブとして目指すサッカーをどう定義しているのだろうか?具体的に例えるならば、それは何年のどのチームのようなスタイルなのだろうか?そしてそれを実現するために、どのようなタイムスケジュールで、どのような戦力補強のシステムを計画しているのだろうか?それともその視点すら見出せずに、ただ現状に手をこまねいているだけなのだろうか?
僕が取材記者であれば、浦和の球団社長にぜひその具体像とファンに対する公約を聞いてみたい。
そのビジョンは、『来年は必ず優勝する!』などというお決まりのスローガンなどよりも、クラブの将来にとって遥かに大きな意味を持つものであると僕は思っている。
★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつも本当にありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ
キリタニ100法*(ほぼ…)毎日更新中です。
『麻生総理の追加経済対策…ではなく、追加選挙対策について 』
*今後ブログタイトルの下に日替わりの一言コラムを毎日更新させていだく予定でおります。
posted by 桐谷 |12:15 |
浦和レッズ |
コメント(17) |
トラックバック(2)
2008年10月24日
もし僕が浦和レッズのGMであれば、まずイビチャ・オシムに監督就任の打診をする。
それは例えればアーセナルのA・ベンゲルのような、ほぼ全権に近いチームのマネージメント権を委ねる…ということである。彼にGMとして共に仕事をする上で意中の人がいるというのならば、さらにその人物を招聘する事を認める。僕自身は強化部長という名目で、その監督の評価・分析、さらには是非の裁定を担当するチームを創設し、一方で社長、監督(或いはGM)、そして強化部長(自分)という三者の合意により随時監督の要求を承認する場を設ける。さまざまな途中経過については、発表できる部分を自分自身の手によるブログ更新と、月一で開催するサポーターへの説明会(応募者の中から抽選で選抜)によって、可能な限り説明をし情報の共有を図る。
そしてもしオシムに受諾の意思がないのであれば、次にあたるのは元レバークーゼン監督のクラウス・トップメラーである。彼は日本のサッカー事情にも意外に詳しいし、ドイツ人として最も攻撃的でいて、戦術的にも緻密なサッカーを志向する指導者である。さらに、有望な若手を世界のトップスターへと育て上げてきた指導者でもある。今現在フリーの立場でもあるし、ドイツ国外での仕事を厭うタイプでもなさそうなので、浦和が本腰を入れて交渉に当れば、充分に受諾の可能性はあると考える。
さらにその次の候補となれば、ハビエル・クレメンテである。彼については説明は要らないだろう。彼が率いたスペイン代表は本番でその真価を発揮する事はなかったが、もしかしたら歴代で一番強かったスペイン代表ではないかとすら僕は思っている。その後の実績は必ずしもはかばかしくはないが、日本人が彼の指導から得るものは非常に大きいものがあるのではないだろうか。今現在スペイン2部のレアル・ムルシアにおいて降格圏をさまよっている。イラン代表監督就任の交渉に臨んだこともあり、彼もアジアへの転出にさほど拒否感はないのかも知れない。
僕から見れば3者にはあるひとつの共通点がある。
それは豊かな経験を有した指導者であると共に、三者ともに非常に攻撃的なサッカーを志向する人たちであるということだ。さらには少々俗っぽい文言を用いるが、ビッグクラブを率いる上で不可欠な“カリスマ”をも兼ね備えている。その中で、日本において日本人を用いてスペクタクルな攻撃サッカーをすでに実現した、イビチャ・オシムとの交渉が最優先の選択であることは疑う余地のないところだと思っている。
ただ夢幻を語れというのであれば、ベンゲルであるとか、テンカーテであるとか、テリムであるとか、ビリッチであるとか…いろいろな名前は思い浮かぶし、その方が楽しいのかも知れない。が、ある程度現実的な可能性の中から3人の候補を選べ…と言われれば、僕にはこの3者が真っ先に思い浮かぶ。
クラブは自らのサッカーのビジョンを、志向するスタイルを持て…と、僕は常々この場で解いてきたのだが、ニッポンの、Jリーグフロントの現実にとって、実はそれが意外に難しい事である事もなんとなく分かってきた。確かにそうなのだろう。アヤックスも、バルセロナも、そしてアーセナルも…最初からあのスタイルがあった訳ではない。きっと誰かが創造し、それをクラブが、選手が、サポーターが、良き物として支持し、承認したからこそ今に継承された、或いはされようとしているのだ。
であれば、まずそのオリジナルを、原点を、一人の傑出した優秀な指導者の手によって創造してもらうことこそ近道なのかも知れない。そしてそれに足る、経験と実績と手腕を持ち合わせた世界的指導者に、まずその具現化を託してみるべきなのではないだろうか?
その場合、僕が望むものは、
能動的なサッカーであること。
自らで切り開き、前へ進もうとするサッカーであること。
どんな強敵に対しても、0-0の状況であれば自ずからゴールを奪いにゆくサッカーであること。
その姿勢を貫く限りは大敗するという結果も厭わない事…。
まあすべて似たような話なのだが、この4つの要素をチームコンセプトの原点として、クラブ、選手、監督、そして地域とサポーターとの間で、綿密な議論のうえに共有することに全力を尽くす。
それを踏まえて僕は、欧州の2部、3部リーグの現場、ユースチームの試合に優秀なスカウトを派遣し、このコンセプトに合致した若い指導者の発掘に常に全力を傾ける。可能ならば単年の契約をまとめて、ユースチームでその手腕を確認するか、或いはJ2やJFLの監督として、若手選手込みの無償のレンタルに出すことも選択肢のひとつとして交渉しても良い。クラブの監督選びというのは、それほど大切なものであると思うし、慎重であるべきものなのだと考えている。
以上が浦和レッズ再建論【監督編】の概要である。
次回、もしこのモチベーションが保たれるならば、【チーム編成編】か【助っ人外国人編】にて、さらにこの不毛な空論を展開したいと考えております。
★サッカーブログランキング…応援のクリック、いつも本当にありがとうございます★
⇒⇒⇒人気blogランキングへ
キリタニ100法*(ほぼ…)毎日更新中です。
『銀座で飲むよりも安い 』
*今後ブログタイトルの下に日替わりの一言コラムを毎日更新させていだく予定でおります。
posted by 桐谷 |11:42 |
浦和レッズ |
コメント(11) |
トラックバック(1)