2009年06月18日
そもそもが非常に位置づけの難しい試合であったように思う。
果たして岡田監督は、この試合にどのような計算と覚悟で臨んだのか…。勝つことが最優先のテーマだったのか?或いは欧州組みや疲れの出ている主力を休ませサブの選手たちの実力を見極めるための試合だったのか?または本選に向けた強化の第1歩だったのか?
おそらくはそれらすべてであり、同時にそれらすべてでなかったのだと思う。勝ちたい、試したい、経験もさせたい…が、最終的には曖昧に、どっちつかずにその三兎を追ったことによって、そのすべてを取り逃がしてしまった。監督の立場から見れば、そんな厳しい現実を突きつけられたゲームになったように思う。
もし僕が岡田監督の立場であれば、疲れている主力選手たちと、来年の本選に向けてすでに見切りをつけた何人かの選手たちを外して、本田圭祐をチームの軸として帯同させ、柏木陽介(広島)や佐藤寿人(広島)、岩政大樹(鹿島)や小笠原満男(鹿島)、そして石櫃洋祐(神戸)、阿部翔平(名古屋)、小川佳純(名古屋)、前田遼一(磐田)、石川直宏(FC東京)までをウズベキスタン戦後に新たに加えて、
『君らの力でオーストラリアに勝ってみろ』
とピッチへ送り出してみたかったと思う。このチームはいまこそ変革すべきタイミングなのだと僕自身は思っている。
結局は、そんな願望は叶わなかった訳だが、ゲーム自体は、WC本選さながらの緊迫したおもしろい内容だったのではないだろうか。前半40分の闘莉王のゴールにより、今現在のオーストラリアの“本気”を引き出すことができたことは非常に大きな収穫だった。それにより、この90分の限られた時間の中で、0-0、1-0、そして1点ビハインドという、サッカーにおける3つの状況をすべてもらさず経験することができた。これによって、オーストラリアと日本の実力というものが、より明確に把握できたと思うし、このクラスのチームに対する日本の課題と対策が明らかになったように思う。
現状では誰が出ていたとしても、結果自体はさほど変わらなかっただろう。またオーストラリアに関しては、ほとんどが欧州の厳しいシーズンを一年間闘った末に、地球の裏側の南半球に戻ってきた選手たちである。状況としては彼らの方がよりキツかっただろう。その中であれだけしっかりした守備と、変わらぬ強い意志、格の違いを見せ付けられた。日本がこの程度の運動量・戦術遂行レベルである限り、まともな環境で今現在のオーストラリアに勝つのは相当にむずかしい…ということを実感させられたゲームだった。
やはり日本は、走らなければ勝てないのだ。敵より多く、賢く、走れない日本である限り、結果はこんなものだろう。WC本選においても、コンディション調整は大きな課題である。そしてその中で、さらに“賢く”走る術を身につけてゆかなければならない。
岡田ジャパンには2つの要素が足りていない…と、僕は思っている。
守りのポゼッションと攻めのカウンターである。
0-0の状況、味方も敵も動けている時間帯にさほど大きな問題はない。
が、1-0となってからの敵の圧してくる状況にポゼッションで対抗し得ていないのだ。狙いの見えない前方への無理な球出しで、また押し込まれた同じ体制のまま二次、三次攻撃を許してしまう。要するに、カウンター攻撃への体制と共通認識もできていない不利な状況で、拙速に前へ厳しいボールを預けてしまい、自らでまた苦しい状況に埋没してしまうシーンがあまりに多い。そしてまた、そういうボールがたまたま前線に収まった時でも、前の3人の連動性と意識のすり合わせがあまりにも稚拙で、まともなカウンター攻撃としてフィニッシュにまで結びついていない。
両SBのゾーンを充分に使い、連動してサイドからゆっくりボールを前へ進め、まずは敵を自陣に押し返してしまう。さらに的確なポジショニングとサイドチェンジで敵を左右に揺さぶりながら、確率は低くとも最後は強引にフィニッシュまで持ち込んで、ゆっくり帰陣する。これが僕の考える守りのポゼッションである。
それに対して、ある程度リトリートして敵に持たせたボールを、サイドのポジションでしっかりとプレッシャーをかけて、下げさせたところに全力でプレス・ボール奪取に行き、全体で押し上げるのが攻めのカウンターである。そうして奪ったボールを二列目が裏へ飛び出して受ける。さらにそれをFWが内と外から追い越してゆく。僕はそんな攻撃のカタチこそが、日本がWC本選で得点をとる最も可能性の高い攻め方であると思っている。
今の日本には、それができていないのである。そういう攻め方、守り方に対する、意識と取り組みも、未だ見えてきていないように思う。
攻守の切り替えの速さとプレス・ショートカウンター。
これは日本の武器であるとは思うし、岡田ジャパンのサッカーの基準地なのだと思う。それはこれからもベースにしてゆけばいい。しかし、それだけではWC本選での90分×3試合。270分のすべての状況に対応することは不可能である。さらにあと2つの様式、2つの武器が必要なのだと僕は思っている。それが、守りのポゼッションと攻めのカウンターである。それを手に入れて、やっと日本のサッカーはWC本選の、ガチンコのグループリーグ突破争いに、はじめて参加“資格”を得られるのだと思っている。WC本選とは、それぐらい厳しい舞台なのだと僕自身は認識している。その厳しさの一端を、もし僕らがこのゲームから感じとることができたのだとしたら、僕らにとってもこの試合は大きな意味があったのだ。
前線の玉田圭司、岡崎慎司、そして松井大輔の連動性の不足と、崩しの場面での動き出しの遅さ、気の利かなさには幾度となく失望させられたが、この問題とて彼ら固有の問題ではなく、岡田ジャパン始動以来の変わらぬ一貫したチームとしての課題である。アタッキングサードでの仕掛けは、未だ個々のイマジネーションに頼りきりで、チームとしてのオートマティズムに進化が見られない。であれば、やはりそれに相応しい個というものがあるのだと僕は思っている。
フォーメーション、召集メンバー、そして戦い方、チームとしてのスタイル。アジア仕様から世界仕様に向けて、いま躊躇わず舵を切るべきタイミングなのだと僕は思っている。小さな安定など破壊してしまえばいい。新しい可能性にチャレンジする為には、むしろそれは障害である。帰るべき場所はすでに拵えてあるのだから、今はリスクをとってトライすべき状況なのだと思う。日本に守るべきものなど何一つないのだから。
僕はいつだって、小さな成功よりも大きな希望の方がずっと尊いと思っている。
例え叶うことはなくとも、そっちの方がずっと尊い。サッカーが明日死んでしまうのでない限り、日本のサッカーには常にそうあり続けて欲しい。ここからの日本代表の1年を、おもしろくするのも、つまらなくしてしまうのも、その選択にかかっているのだと僕は思う。ここでの敗戦が良い刺激を与えてくれたのだとすれば、寧ろ幸いであったと思っている。
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許すということは、強さの証だ
posted by 桐谷 |11:23 |
2010WCアジア予選 |
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2009年06月11日
日本にとってむずかしい試合になるだろうことは理解していた。
ウズベキスタン戦を見れば選手達の疲弊は明らかであるし、あの激戦から中3日、長距離移動をはさんで迎えたゲームである。さらに好調を維持し、これまでチームを牽引してきた、長谷部誠、長友佑都らは居ない。尚且つ、こちらにとってはすでに消化試合である。ここで良い内容を見せろ…というのは、言うは易く行なうは難し…という要求である。また相手のカタールは、後がない勝負がかりの状況でもあったのだから。
“勝つ”という意志とコンセンサスは、終盤の闘莉王の位置取りや大木監督の選手交代からも垣間見ることができたが、逆にそれによって増えたチャンスよりも、敵に与えたチャンス、こちらにとってのピンチの方が目に付いた後半戦でもあった。
今後WCを目指し、さらに強いチームと闘っていくのが前提であるならば、むしろ僕はここでは熱く我武者羅に前へ出るよりも、勝負どころを見極めた上で必要な瞬間にキッチリとカタをつけに行くような冷静沈着な余裕のある戦いぶりも見てみたかったような気もする。多少攻めさせ、ボールを持たせてやることで見えてくる相手の隙。後半29分、同点に追いつかれるまでの1-0の状況、その70分間の攻防に、僕はそんな日本の大人びた知性と、成熟した試合運びを期待していた。残念ながらまだその域には達していないということなのだろう。
またPKについては単純に審判を批判するよりも、安易に手を使いがちなJリーグの常識自体を疑ってみる必要があると僕は常々思っている。これが本番であれば、あの1プレーで4年間の全てをふいにしてしまうかも知れないのだ。
この試合に関しても、良くも悪くも中村俊輔が目立つ試合だったように思う。
遠藤保仁が欠けてさらにチーム全体に縦に急ごうとする意識、前へ速く…という意識がうかがえるなか、中村俊輔が一人噛み合わぬリズムで孤立し、ボールを奪われるシーンが多かったような気がする。本調子で無いのは分かるし、今ひとつ周囲との連携や意志の疎通ができていないのもよく理解できる。けれども今の状況は、彼自身がそのプレーを変え、チームに順応していかなければ改善されないのではないかと僕は思っている。
要するに前で踏ん張る。シンプルにプレーしてリズムを崩さない…ということである。
この試合後半、中村憲剛がボランチの位置に下がり前線に配球したが、やはり僕はそうして中村俊輔のポジションを下げさせない方が、ボールは自然に回るのではないかと思っている。今の俊輔の最大の欠点は、後ろに下がって攻撃をスローダウンさせ、攻守のリズムを停滞させてしまうことである。本来ならば前でタメを作り、中盤と最終ラインを引き上げることで、厚い攻撃を演出してもらいたいのだ。また今の彼は少し押し込まれる展開になると、その位置に埋没してしまう。が、自陣深い位置でディフェンスを頑張ってもらうのならば、何も中村俊輔である必要は無いのだ。
『ジェラードのように…』
という中村憲剛への言葉からも明らかなように、岡田監督の目指すところはリバプールのスタイルに近いのだと思う。サッカー自体の好悪は別として、今後WC本選を目指す上でその志向は悪くないものであると僕は思っている。しかし、本来ならばカイトが入るポジションに、過剰すぎる裁量を与えられ自由奔放に動き回るリケルメが入ったとしたならば、果たしてリバプールのスタイルは成立するのだろうか?岡田イズム・スタイルと、現状の中村俊輔の使われ方を見ていると、僕はその部分にどうしても違和感を感じる。これは両者にとっての損…所謂ミスマッチなのではないだろうかと。ジェラードをやらせるのならば、寧ろ中村憲剛ではなく、中村俊輔なのではないか…と。最もそれがベストとも思わないが、今の中村俊輔の立ち居地よりは、前へという意識を持たせる上でも、遥かにベターなのではないだろうか…と。
次のオーストラリア戦はこのフォーメーションで戦うのだろうが、どちらにせよ僕は、この予選が終わったならば、少々思い切った変革がこのチームには必要なのではないかと思っている。岡田監督にはここで保守的な選択をして欲しくはいなし、またこの時期の変革を躊躇うことで、本選前の土壇場に、チームの根幹を揺るがすようなギャンブルもして欲しくもない。フォーメーションにしても今のカタチが本当に妥当なのかどうか、再考の余地は有るし、さらに主力選手たちといえども、常に厳しい競争にさらされて、その中で勝ち残らなければならないものだと僕は思っている。
今後目指すべき方向性と変革のポイントについては、オーストラリアとの試合の前後に自分なりの私見をまとめてみたいと思っている。今のままでは幸運による結果を残すことはあっても、自力による内容を示すまでには至らないだろう。それでは未来へ繋がる土台を創った…とまでは言えない。僕が望んでいるのは、そんな未来に対する手応えのようなものなのだ。
次回、『岡田ジャパンの可能性』というタイトルで、僕が望む今後のチーム変革の方向性について書き綴ってみたいと思っている。
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もうひとつの殺人
posted by 桐谷 |10:15 |
2010WCアジア予選 |
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2009年06月08日
選手にとって、監督やチームスタッフにとって、サポーターにとって、TVで見守った僕たちサッカーファンにとって、この試合は素晴らしい経験になったと思う。キリンカップのベルギー戦を何十回繰り返すよりも、この一試合には遥かに大きな価値がある。
問題はこの貴重な経験を、それぞれの立場でそれぞれが咀嚼し、しっかりと“これから”に活かしてゆくことができるのかどうか…。何よりもそれが問われているのだと僕は思う。
多くの人に、これだけは確認してもらいたい。このアジアにおいてさえ日本代表はまだスペシャルなチームではない。間違いなく強豪ではある。けれども図抜けた存在でもなければ、真の王者という訳でもない。
日本がもしアジアにおいてそういう存在であったとするならば、この試合UEFAチャンピオンズリーグ・ファイナルにおけるバルセロナのように、日本は鮮やかに勝ちきれたことだろう。日本が真にアジアを越えた…というレベルにまで辿りついていたとするならば、後半あそこまで押し込まれることも、冷や汗をかく事もなかっただろう。
集金目的の親善試合では決して垣間見ることの出来ない“現実”を見せてくれたアウェーのウズベキスタン。僕らがここでちょっとした“真実”に触れることができたのは、彼らが全身全霊をこめて、この日の日本戦に対して“本気”だったからである。
一点先取してその後押し込まれるのはある意味致し方のないこと。互いの置かれた状況を考えても、必然的にそう成りうるゲームであったと思うし、それがサッカーの現実、日本の現実であると僕は思っている。
しかし、蹴ってきたウズベキスタンに対して多少押し込まれるまでは致し方ない部分があるとしても、セカンドボールを拾いきれず、やっと拾ったボールも繋ぐ体制が作れずに、中盤でぽろぽろと相手にプレゼントしてしまっていた部分は、今後の大きな課題である。さらにその頃には既に、蹴られているのではなく、しっかり繋がれながら攻めきられている。中盤でのプレスがまったく機能しない状態に陥っていたのだ。
ポゼッションは日本サッカーの生命線である…と言い、1-0の戦い方といった部分について口を酸っぱくして言及してきたのは、まさにその部分の日本の脆弱性に対する自分なりの危惧であり、危機感からの事である。これを中澤佑二をはじめとする、土壇場での一対一の攻防で凌ぎ切ったのは、確かにこのチームのチカラなのだとは思うが、WC本選に臨むに際し、今のままでは世界の強豪たちに対して、彼らが1-0の状況をモノにし得るとは思えない。ここから何か積み上げられるものがあるとするならば、或いはそれがすべてなのかも知れない…とすら、僕は思っている。
そしてもうひとつ、選手交代の部分について触れておきたい。
僕は監督采配というものは概ね五分五分で当ったり、当らなかったりするものであると理解しているが、その采配がロジカルなものであったか、或いはそうでなかったかについては、常に厳しく検証したい性質の人間である。
14 中村憲剛→ 13 本田圭佑(後半21分)
16 大久保嘉人→ 12 矢野貴章(後半24分)
10 中村俊輔→ 6 阿部勇樹(後半46分)
がこの日の岡田監督の選手交代である。しかし、もし僕が監督であったならばこれを、
10 中村俊輔→ 6 阿部勇樹(後半7分)*遠藤を前へ
15 長友佑都 → 5今野泰幸 (後半17分)*ジェパロフの動向により阿部とポジションチェンジ
16 大久保嘉人→ 12 矢野貴章(後半28分)
と最終的には4-1-4-1で撥ね返し、凌ぎ切るカタチに代えていただろうと思う。
長友佑都にしろ、中村俊輔にしろ、何よりも2枚目のイエローが怖かったし、本調子とはいえない中村俊輔の前へのパスミス、低い位置でのボールロストが、DFラインの押上げの障害となっているように見受けられたからである。(これは勿論全体の問題であり、意志疎通の問題でもある)
そしてさらにいよいよ選手の足が止まり、繋げない…という状況に陥ったら、後はセーフティーに裏へ走る矢野貴章にボールを蹴って、五分五分のボールをキープしてもらい押し上げるしか手がない。後半20分過ぎには、すでにゲームはそういう状況を迎えていたように思う。勿論、選手のコンディション面や内側の様々な事情は知りえないが、今回の試合に限っては、岡田監督の采配がピッチ上苦しんでいた選手たちを適正にサポートしていたようには見受けられなかった。本田圭祐の投入意図も分からなくはないが、あの状況においては無用なギャンブルでなかったかと僕自身は考える。やはりこの部分も苦しい1-0の状況に対する備えと共通認識の不足であり、今後強い相手を想定してゲームプランを考えてゆく中で、対処していかなければならない部分なのではないだろうか。
審判については、僕が知る限り、これが十数年来変わらぬアジアの現実である。もっとも僕は、彼が意図的に日本に不利な笛を吹いていたとも思わない。大久保の得点は副審の旗判定だったのだろうし、長谷部へのレッドは、彼の立ち居地からちょうど死角になっていた部分を憶測で裁いたものだろう。おそらくどちらも誤審には違いないのだろうが、もし本当にウズベキを勝たせたいのであったならば、セットプレー時に狙い澄ましたPKを取るチャンスも何度かあっただろう。
ホーム・アウェイの意識というものは、選手たちばかりでなく、レフェリーによってもその認識や判断基準に大きなブレがあるものである。また厳しく、少々ダーティーなボディコンタクトはまったく取らないが、敵に少し手をかけるそぶりをすると、すぐにカードが出てくる…という基準も、日本を離れると意外に多く目にする印象もある。そういう意味では、Jリーグの基準も少し検証してみるべきなのかも知れない。特に自陣ゴール前セットプレー時、大事なWCの本番で、手痛い痛恨のPKを与えてしまわないように。
当たり前の勝利のように見えて、やはり内部では、肉体的にも精神的にも厳しいWC予選だったのだと思う。これを勝ち取ってくれた選手・スタッフに心から感謝したい。
そしてその中でも、特に岡田武史監督へは、一度訣別さえ宣言した立場である…。いま深々と頭を下げて、ありがとうございましたという感謝の気持ちを表さねばならないと思っている。また隙を見て、いつでも手のひら返してぶっ叩けるように準備をしながら(笑)、今後の強化の行く末を、さらに厳しく見守ってゆきたいと思っている。
皆さんもほんとうにお疲れ様でした。
あと1年、楽しいことも悔しいことも一緒に味わいながら、来年の6月11日を共に迎えることができるよう願っております。
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もうひとつの殺人
posted by 桐谷 |11:22 |
2010WCアジア予選 |
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2009年03月31日
このブログを立ち上げた当初、盲目的オシム信者と認定された僕は、果たしていま反岡田ブロガーと見なされてされているのだろうか?或いは親岡田なのだろうか?
自分が書いているものが、読む方々にどう伝わり、どのように受け取られているのか、自分自身では意外に分からないものである。
それを白か黒かで答えるならば、きっといまの僕は親岡田なのではないだろうか…と、思っている。いまのジャパンは充分に、日本の実力・ポテンシャルを表現し得ている…と。
オシム体制において1速、2速、3速と徐々にシフトアップしてきたニッポンらしいサッカーを、昨年3・26、W杯アジア3次予選のバーレーン戦において、僕は突如クラッチも切らずにリバースギアにブチ込まれたかのような衝撃を受けた。挙句の果てにそれを前任者のせいか何かのように言われ、その時は狼狽し、はげしく憤ったりもしたものだが、しかし、今のこの岡田ジャパンのサッカーは、その言葉とは裏腹に、オシムが彼らに解放した、ニッポンらしいサッカーとよく和合し、そこにアクセントとしての前からの守備を付け加えたものであると前向きに理解している。
そしてこのニッポンのサッカーを、僕は嫌いではない。
むしろ今、ニッポンが進むべき正しき方向に向かっていると、高く評価している。
ここ1年ぐらいで数え切れないほどバーレーンのサッカーを見てきたが、僕は今回のバーレーンが一番歯ごたえのある怖い相手であったと考える。結局セットプレーの1点だけではないか…と悲嘆する向きもあろうかと思うが、それを僕は現実のニッポンの実力なのだと思っている。
結果自体は4-0の大勝もあれば0-1の惜敗もあるだろう。しかし、このサッカーを続ける限りゲームを支配し圧倒するのは、きっといつだってニッポンの筈だ。それが今現在の紛れもないバーレーンと日本の関係であると思っている。日本にとってのバーレーンは、いつでも3-0や4-0で勝たせてくれるような相手ではない。
言い換えるならばそれは、ただ日本が、ブラジルでもスペインでもない…というだけの話である。きっと韓国やオーストラリアだって同じことなのだ。
今の岡田ジャパンのサッカーは、ニッポンサッカーの底流に在る、正しき、美しき流れを捉えたものであると僕自身は思っている。幾度となくその底流の中で揉まれ、削られ、ゴツゴツとした違和感のある突起をそぎ落とされて、今自然に磨かれたなめらかな石のような、手触りが与えられつつあるのだ。これは昨年3月までのそれとハッキリ異なる姿であると僕は認識している。むしろ底流に逆らうのではなく、そのチカラを捉え、利することで、岡田監督の持つ本来の志向や哲学が、より有効に効率よく表現されるようになった。
60%をこえるボール支配率が、如実にそのバランスを表しているのだと僕は思う。このニッポンの武器とケンカするのではなく、それを上手に用いることによって、さらにもうひとつの、前からの守備…という岡田ジャパンの武器もまた活きてくるのだ。いまのジャパンに僕は85点をあげても良いと思っている。JFAという障害に、予め20点のハンディを与えられた中での85点である。岡田監督自身もこの間、充分に成長されたのだと思う。僕の中ではほぼ文句のない評価、満点に近い評価…ということである。
エルゴラを見ると、熊崎敬氏がとても的確な表現をされていた。
『Jリーグからブラジル人が抜けたらこういう試合になるだろう…』と。
僕もまったくその通りだと思っている。そしてやはり、日本代表にブラジル人はいないのである。だからこそ、このもどかしい現実の中で、どこに光明を見出し、トライしてゆくかが最終的に求められる部分なのではないだろうか?
そして僕はそれを、やはりアタッキングサードにおける連動とスピードなのだと思っている。外以上に中央において、どうシンプルに仕掛け、連動してゆくのか?その為のさらに一歩進んだ挑戦が求められているのだと思っている。
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キリタニ100法 エントリー
第7法 国民政治献金法 (企業・団体・個人献金禁止法)
民主党へ、闘うジャーナリストたちへ
国策捜査と国策不捜査への疑念
高速1000円と定額給付金の欺瞞
posted by 桐谷 |10:29 |
2010WCアジア予選 |
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2009年02月12日
内容的にはほぼ完全なる勝利を手にした日本。
が、望んだ結果を手に入れたのは日本…ではなく豪州。
良くも悪くも、これが今現在のニッポンとオーストラリアの妥当な関係なのだと僕自身は思っている。
ノーマルなサッカーのカタチで組み合ってきたならば、日本にとっての豪州はそれほど怖い相手ではない。逆に豪州にとっての日本は、ほんとうに厄介でほとんど歯が立ちそうにない相手…ともいえるだろう。
だからこそ、彼らが本気で日本に勝つ気であれば、まともにサッカーをしていてはいけないのだ。トップの選手がゴールに背中を向けて、バックラインから繰り出されるハイボールを収め、両手でブロックしてモールを組むように潰れて、そこを起点にこぼれ球をかっさらう…。後半25分あたりからはじめたラグビーを、ケネディをターゲットにもっと早い段階で展開されていたならば、この試合の光景は随分違ったものになっていたかも知れない。
そういう意味では、ニッポンを助けてくれたのはある意味ピム監督と言えるのかも知れない。
この試合総じて戦えていなかった豪州選手たちの中でも、さらに一層闘争心の欠けた抜け殻のケーヒルを、1トップで孤立させたままに試合終了直前まで引っ張り、4-3-2-1の3と2で日本の両SBの攻め上がりに対処できぬまま試合終盤まで手を打つことができなかった。きっとこれが、オランダ人としてのピムさんの哲学であり、また限界でもあるのだろう。今にして改めてヒディンクの凄みを思い知らされた気分である。
前半25分あたりまでの膠着を解いて、日本に流れを引寄せたのは田中達也の二列目から両サイドに切れ込むキレ味鋭いフリーランニングの継続。これがチームとして狙い鍛錬したカタチなのか、それとも田中達也とパスの出し手たちとのひらめきの中でのアンサンブルなのかはTV画面から確証を得ることはできなかったが、豪州の中盤にとってこれが厳しかったのは確かであり、彼の飛び出しに引き戻されるようになって、パタリと前への、プレスへの活力を失い始めた。結局はフィニッシュのカタチまで辿りついた展開はそれほど多くはなかったが、田中達也のスピードと運動量こそが、ただでさえ劣勢であったオーストラリアの中盤にトドメを刺した…と言えるかも知れない。病み上がりのコンディションの冴えない状況の中、本当に素晴らしい奮闘だった。
全体的な流れを引寄せながら、さほど多くの決定機を作り出せなかった要因は、トップの起点へのサポート不足と、やはりそのゾーンでの連動不足にあるのだと思う。
良い意味でも悪い意味でも、このチームは中村俊輔のチーム。結局は彼がどこでやりたいのか、そして何をやりたいのか、コンディションはどうなのか…によって、チームとしての方向性と限界が決まってくる。遅攻なら遅攻で良いのだが、本当に得点のチャンスがあるシチュエーションはほとんどの場合速攻。その田中達也が切り拓いたファーストブレイクと、中村俊輔が司るセカンダリーブレイク・アーリーオフェンスとのはざまにある2秒から3秒の間とスペース。そこで潰えてしまうチャンスの芽をチームとしてどう考えるか…。
一時期のただ闇雲に縦へと急かされ続けた時期と比べ、中村俊輔が合流したことによって、速攻と遅攻のバランスはだいぶ良くなってきている。
あとはこのバランスや配分を保ちながら、少ない速攻のチャンスを見逃さずにどう得点に結びつけるか。その為の時間とスペースを損なうことなく、どう田中達也のスピードに絡んでゆけるか…が、ここから上の相手に得点できるかどうかの分かれ目になる。ここにどう手当てし磨いてゆくかによって、今のままの日本で終わるか、その先の世界を少しだけ覗き見ることができるか…の違いが生じてくるような気がしている。
ここ数試合の中東の国々との戦いに比べれば、ミスが少ないゲームだった。
危ないゾーンで集中の欠けたミスを連発していた豪州に比べて、この試合の日本は、失点に直接つながりそうな大きな致命的なミスはほとんど見当たらなかった。わりとプレスのきつかった豪州を相手に、集中してそれを封じ込められた部分を高く評価したい。この試合がここ最近の代表の試合と比べて見違えてみえたのも、質的に高いレベル、緊張感のあるものに見えたのも、それと無関係ではないと僕は思う。
相手の致命的なミスを、フィニッシュにまで結び付けられないのが、結局は一人で切り込めない日本の弱さ、拙さでもあるが、それは今日明日どうにかなる問題ではない。逆にWC本大会で対戦する相手にそれを与えてしまっては、かなりの確率で手痛い失点を喫する事になるだろう。
僕は岡田監督に何かをクリエイトすることはもう望まない。
中村俊輔や遠藤保仁、そして中村憲剛を中心に、極めて妥当な日本人らしいパスサッカーを、ただ許容してくれさえすればそれでよいと思っている。が、してはいけないミス、してはいけないゾーンを、その決まりごとを、今のうちに徹底して刷り込んでおいて欲しい。その上で、攻守のセットプレーの鍛錬にだけは充分な時間をあてて取り組んで欲しい。それこそが岡田監督の役割であると思っている。
今ある調和、混迷の果てにやっとたどりついたこの一定の回復と調和が、ちいさな躓きや、つまらぬ意地や功名心のためにまた振り出しに戻らぬことを祈っている。
この日本代表は悪くない。
一昨年のアジアカップ以来、僕は久しぶりに日本代表の試合に熱くなれた気がする。
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posted by 桐谷 |11:25 |
2010WCアジア予選 |
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2008年11月21日
ブルーノ・メツは、アジアにおいてもっとも過大評価されている指導者であると考える。
2002WC、セネガル代表を率いて成し遂げたベスト8の結果自体は確かに褒められてしかるべきものなのだと思うが、そのサッカー自体に、僕はまったく魅力を感じない。それはUAE代表を率いたときのサッカーも、現在のカタール代表のそれに対する評価も本質的に変わりは無い。これならば、戦略家としてのミラン・マチャラ氏や長年イラン代表で辣腕を振るっていたイバンコビッチ氏の方が遥かに怖いし、怖かった…と今でも思っている。
このおそらくは誰にとっても気持ちのよい快勝に、カタール側へのダメ出しから入るのはきっと僕の偏屈さゆえ…なのだと思うが、敵ゴールキーパーの拙さや、結局最後の最後まで、最終ラインとボランチのギャップを田中達也や玉田圭司に良いように使われ続けた無策。そして最終的に、攻撃への筋道をカタチづくる磐石な守備組織を構築できぬままに、このリーグ状況により、煮えきらぬまま前がかりの展開を迫られた境遇…。日本にとってこの日のカタールは、非常にくみし易い相手であったことも、わきまえなければならない。要するに、あまりに短絡的にこのアウェーでの快勝を評価するのではなく、相手あるゲームの中で、分析すべきところはキチンと分析し、冷静な評価がなされるべきである…ということである。
純粋に対戦相手としてみれば、そしてゲームとしてみれば、先日のウズベキスタンの方が遥かに骨のある相手であったし、厳しいゲームだった。この勝利によって、この最終予選、日本が優位に立った事は間違いないが、ここで弛緩してしまうのではなく、厳しい相手、ゲームであっても、アジアにおいては常に同じパフォーマンスで、敵を圧倒し得るチーム力を身につけて欲しい。このチームは、まだまだその途上に在るのだと僕は認識している。
このゲームを見て、僕が一番評価したいポイントは、ボール運びに“緩急”が見られるようになってきたことである。以前のただ何かに急き立てられるような無理筋の縦パス、無闇な前方への走りこみがだいぶ解消され、状況に合わせて“前、横、後ろ”という展開の余裕ができてきた。それによって安易なボールロストによる守備での消耗がずいぶん減り、余裕のあるゲーム運びが可能になったように思う。
ただ無闇に走らされる不自由さから解放され、賢く走る、無駄をせずに走る、という選択と自由を、フィールドの選手たちが愉しみ始めているように感じられる。その意識によって、ただぐちゃぐちゃに頑張りを求められるプレスへの負担を解かれ、それぞれのゾーン、それぞれの範囲が明確になり、フィールドに大きなエアポケットをつくることがだいぶ減ってきたのだ。
遠藤保仁、中村俊輔の“緩”。そして長谷部誠の“急”と献身的なポジショニングと逞しい球際での攻防。中盤の役割分担とそのバランスは非常に理に適ったものであり、両サイドバックとボランチの攻守における連携にも、だいぶスムーズさが出てきている。
厳しいプレスにさらされて、またこのサッカーが可能なのかどうかはやってみなければ判らないが、次戦ホームの豪州戦、そろそろお互いに緩む時期でもあり、そこでの内容がこの最終予選をこのまま何事も無く終わらせるか、或いは冷や汗をかかせられるのか…、その行方を決することになるのではないかと思っている。
試合前日、遠藤保仁はこんなふうに言っている。
『ガンバは相手に引かれたら無理に前に行かずにじっくりボールを回しながらチャンスをうかがう。しかし代表は、前へ、前への意識が強すぎるからリスクが生じてしまう』*日刊スポーツ
そして試合後、中村俊輔はこう言っている。
『オシムさんがやってきたことが今、いい方向に来ていると思う。チームとして(試合の)流れが読めるようにもなってきた』*スポーツナビ
小さな成功と挫折を繰り返しながら、やはりこの国のサッカーをカタチ作ってゆくのはピッチ上の彼らなのである。誰が監督になろうと、誰がどこでなんと言おうと、現実のサッカーをピッチ上に描いてゆくのは、彼ら自身でしかない。それがどんなものであれ、それがニッポンであることに変わりはない。それがニッポンである限り、それこそが紛れの無い、僕たち自身のサッカーであることに間違いはない。そしてそれが自然なものであるならば、勝とうが負けようが、僕は満足である。少なくとも僕自身は、それだけでもう充分に満足である。
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キリタニ100法*(ほぼ…)毎日更新中です。
『象のように死にたい…』
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posted by 桐谷 |11:41 |
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2008年10月16日
ホームでのオーストラリアとのゲームを、0-1でなすすべなく敗れたウズベキスタン。僕はそのたった1試合を見て、ウズベキの力を知ったつもりでいたが、この日の彼らはまったく違うチームだった。
きついプレスを前にして、それでも敢然と前へ突き進み、速く正確なボールタッチ、パス回しで相手ゴール前へと迫る…。
可能ならば、それが一番効率的である。
が、それが不可能なとき、チャンスよりもむしろピンチを産み出してしまいそうな状況の時はどうすればいいだろうか?
相手のきついプレスの網には真正面から突っ込んでいくのに、蹴って交わされる事を半ば承知しながら、言われたとおりに前から追い込み、自ずから消耗し、攻撃への活力を失ってゆく…。要するにそんな“押し引き”を状況に応じて上手に使い分けられない部分は、このチームの拙さであると思う。日本のサッカーにメリハリがないのは、何も岡田ジャパンにはじまったことではないが、監督が岡田さんになってさらにその戦いぶりが“硬直化”しつつあるのは確かである。
僕ならば前半は中村憲剛を使い、ボールを走らせながらゆっくり攻めたかった。
そして後半相手の足が止まったところで、今度は選手交代を契機に人を走らせて速く攻めたかった。
とことん追い詰められた最後に、前線に闘莉王と巻誠一郎を並べてこぼれ球を狙う…。
それで勝てるとは言わないが、それで勝てないのであれば悔いはない。
しかし、様々な不満はありながらも、試合内容それ自体はさほど悪くなかったと考える。
最終予選すでに2戦2敗のウズベキ…と机上で解釈してしまおうとすれば、これは到底納得のゆかない結果だろう。が、ピッチ上の現実、この日の彼らのそのパフォーマンスをよくよく鑑みれば、相手が日本でなくとも、それが韓国であっても、オーストラリアであっても、充分に難儀させられるだけの内容は示していたと僕は思う。追い詰められた苦しい状況が、逆にウズベキ本来のサッカー取り戻させたのかもしれない。
もし16番シャツキフに変わって出てきたのが、あのスキンヘッド氏でなかったとするならば…試合はどうなっていただろうか?カシモフ監督にとっては痛恨の、そしてこちらにとっては非常に幸運な選手交代だった。
彼らが次の試合、またこの日と同じだけのパフォーマンスを見せられるかどうかは分からないが、それが可能ならばグループ1はまだまだ混戦になる。ここからの上がり目がさほど期待できない日本は、最後の最後まで苦しい戦いを強いられる事になるかも知れない。
チーム作りとは別に、岡田監督はこの試合でいくつかのミスをした。
結果論といえば確かにそうなのだろうが、ベストの采配でなかったことは事実だろう。
それは若い選手の抜擢であり、この日の中村俊輔への拘泥であり、巻誠一郎の不在であり、交代選手の選択であったかも知れない。
刈り込んだ芝がボールを走らせる訳ではない。
撒いた水が滑らすものは、必ずしもボールばかりとは限らない。
意識の矛先を少しばかり変えてみること。自身の立場に拘泥せず、時には物事を俯瞰し、自分自身を疑ってみることで、これまで見えなかったことも見えてくるものだ。ワン・イシューへの執着はニンゲンの視野を狭め、思考を死滅させる。窮屈なサッカーにこれ以上こだわる必要はないのだ。
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2010WCアジア予選 |
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2008年10月10日
「決めるときに決めてくれ。15日はちゃんと(ゴールを)決めてくれ」
犬飼会長のあまりにも当たり前の要求に、岡田監督は「その通りです」と答えるしかなかった。*スポニチ
台風や整備不良による航空便発着の遅延に際して、受付カウンターのお姉ちゃんに声を荒げてカミついている偉い人たちを時々見かけるが、これもその同類とみなしてほぼ間違いないだろうか。
問題の本質を問うならば、
“なぜこうなるのか?”
であって、その原因を追究し、対策を練り、プランを構築して、それを実行する、予算をつける…。それが犬飼氏の差配によって着実に為されてゆかなければならない仕事であるはずだ。ふんぞり返って欲求を振りかざすだけならば、そんなポストに何の意義があるだろうか。そこに給与や配当を割り振り、さらにはファーストクラスやスイートルームで豪勢にもてなすぐらいならば、たった数百円、千円たらずの子供たちの協会登録費や大会への参加費を減免して欲しいものだ。
試合の総評としては、ボール喪失時の素早いプレスがさらに磨かれ、この環境で、このクラスを相手に試合をする分には、その圧力によってほぼ何もさせないぐらいのレベルにまで近づきつつあるように思う。ハーフライン付近での攻防はその攻守において、やはりアジア最強レベルにあることを改めて証明してくれた。
しかし、同時にこの岡田スタイルを徹底すれば徹底するほど、中村俊輔という存在がミスキャストに思えなくもない。過酷な時差移動を含む彼自身のコンディションの問題もあろうが、チームが完成に近づくにつれて、戦術面からみる中村俊輔という存在はますますスポイルされてゆく懸念すらある。さまざまな“事情”を抱えながら、また岡田監督自身の内なる“理”と“利”に折り合いをつけながら、どのようなアレンジでこれから最終予選をこなしてゆくのか…。今後それをじっくりと観察してゆきたいと思う。
ゲーム内容からすれば3-0、4-0で勝てていなければならない試合だったと思う。UAEの個は、バーレーンのそれに勝るものだと思うが、チームとしてはまだまだ体を為していない。繰り返すが、この環境でこのクラスの相手と試合をする分には、岡田ジャパンの今現在のスタイルは素晴らしく理に適ったものである。きっと問題はその先にあって、今回の最終予選に際しては、このままのカタチで最後まで押し切れるのかも知れない。
後半、中村憲剛が入ってサッカーのカタチが変わった。
UAEから見れば、ボールの動きに小癪な“遊び”と“変化”が加わり、それによって疲弊した彼らは慣性の裏をかかれ、意表を突かれて、穴ぼこだらけの陣形を余儀なくされた…。
そしてこれがサッカーの皮肉な部分ともいえるのだが、失点はその中村憲剛が与えた攻撃への活力が生んだものと言えるのかも知れない。あのままダラっと終わっていれば、おそらくあの失点は喰らわずに済んでいただろう。
が、この親善試合、僕からみれば後半20分、中村憲剛が投入されてからの25分間にこそ、サッカーの楽しさがあるのだ。あの25分間の中村憲剛の躍動、それによって齎された果敢なチャレンジにこそ、僕の中のサッカーの喜びが在る。それによって失点はしたが、もしオシムがこの試合を見ていたならば、一方で怒りながら、一方でまたニッコリとほくそ笑んでいたのではないかと僕は思う。そしてこの一筋縄ではいかないサッカーの本質、ジレンマこそが、そこにプレーする者、観る者の魂や、人間臭さの彩を添える“魅力”なのかも知れない。そこには論理的な正誤の区別など無く、ただただ独りよがりな好悪と、理屈では語りつくせぬ狂熱があるだけなのかも知れない。
いま岡田武史氏は、僕らに充分な及第点、80点の答案を提示してくれているのだ。にも関わらず、それに満足しない人、したくない人たちも少なくない。
きっと僕もその中の一人なのだ…。
僕らはいつか観たサッカーのスリルに、取りつかれてしまっているのかも知れない。
あの場所に魂を、置き忘れてきてしまったのかも知れない。
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『世界恐慌を生き抜くために…』
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2010WCアジア予選 |
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2008年09月08日
結果を見れば3-2の接戦、或いは苦戦との評価も出来ようが、その内容に眼を向ければ自力の差は歴然としていたように思う。バーレーンというチームが、もしそこそこ日本と対峙できるようなチームであれば、ロスタイム含めた残り5分でキッチリ同点に持ち込めていたと思うし、それだけのチャンスは転がっていた。細かな技術の差、判断の差、組織力の差…と共に、あの勝負どころでの詰めの“甘さ”が、このチームの未熟を表していたと思う。
得点経過とともに自制や集中を失い、自陣ゴールのすぐ目の前でつまらないミスを連発するなど、ある面ではバーレーンの自滅…ともとれるゲームであったように思う。このアジアにおいて少しずつ地力はつけてきてはいるのだろうが、経験と蓄積によってしか満たされることのない“インテリジェンス”や“メンタリティ”といった部分に大切なものを欠いている。もっともニッポンとて、先の3次予選アウェーでの試合、そしてこの試合とも、同じような凡ミスで馬脚をあらわしている訳で、厳しい言い方をすれば、これも如何にもアジア的なゲームということになるのかも知れない。
良い事なのか、或いはそうとばかりも言えないのかも知れないが、やはり中村俊輔の存在感は際立つ。
両サイドの攻め上がりを自重したパスコースの限定された状況の中でも、これだけボールが持て、厳しいマークにもそれを失わず、流れの中でスペースを創造し、味方をそこに呼び込みながら、前を向いて組み立てられる…。さらにはFKの精度も良くそのバリエーションも多彩で、危険なシーンではサラリとファールで止めることもできる。トルシエにはじかれた際のあのひ弱さなど微塵も感じられない。アタッカーとして30歳に至るまで高い意識を持ち、小さな努力を積み重ね、いま本当に素晴らしい選手に成長した。ピッチ上に彼と遠藤保仁のある風景こそが、今ニッポンの最もニッポンらしい姿なのかも知れない。
さらにこの試合に関しては、田中達也の積極性と運動量を高く評価したい。
中盤が前を向く良い形を作れたのは、彼のムーブでありスペースメイキングが非常に効いていたと思う。前の動き出しから、すべての攻撃ははじまる。その攻撃のスイッチ役を、汗をかきながら丹念に務め上げてくれたと思う。そしてゴールに対しても積極さが現れていた。この日の中盤を支えたのは、田中達也であったと思う。
ボールを奪われたところから嵩にかかって奪い返しにゆく。そこに迷いも躊躇いもない。とにかく、奪う。
そんな岡田武史監督のスタイルが見事に功を奏した試合だったと思う。
一人一人のフィジカルは本当に強いが、足元を苦手とするバーレーンのディフェンダーたちにとっては、この前がかりの決死のプレスは相当応えた様に思う。また敵カウンターの基点となり得るサイドのスペースをしっかりと消させながら、リスクを限定した中央攻撃で、あくまで勝ちに行く姿勢を、点を取りにいく姿勢を、バランスよく引き出せたことに大きな価値がある。この試合は今後の最終予選におけるアウェー戦の良い指針となるのではないかと考える。再び、自ずから三次予選アウェーのバーレーン戦の時のような“愚”を繰り返さない限り、この中村俊輔を擁する岡田ジャパンのアウェー戦は計算できる。
むしろニッポンが苦しむとすればホームである…と僕は思っている。レギュレーションとリーグ構成をみる限り、アウェーで負けるか引き分けるか…以上に、やはりホームでしっかり勝ち点3を奪取できるかどうかが大きい。そこでどう崩すのか、あるいは中澤、闘莉王を用いたセットプレーでどう強引にこじ開けるのか…なのも知れないが、それができるかできないかで、この最終予選、難しくもカンタンにもなるだろう。次の相手が2連敗を喫した手負いのウズベキか、或いは1つ勝ってきたウズベキかによっても、その試合展開、相手の出方は大きく異なるだろうが、最終予選の流れ的にも、この序盤はニッポンにやや有利な風が吹いてきたようにも思う。
複雑な思いを抱えながらも、正直僕はこの勝利にホッとした。
終盤バタバタになりながらも、なんとか勝ち点3を確保したニッポンに、ホッとする自分を確認することができた。
そういう試合を見せてくれた選手に、そして岡田武史監督に、深く感謝したい。彼らは必死に頑張ってくれた…。
ニッポンは喜んでいるだろうか?
ニッポンはこの勝利に歓喜しているだろうか?
いつの日か雲ひとつ無い透き通る青空の下で、同じ夢を追おう。同じ勝利に歓喜しよう。
今はこの戦いが、その日その瞬間へと通ずる1歩であることを信じよう。それを信じて、この戦いを、必死で頑張る僕らの代表を、しっかりと最後まで共に見届けよう。
戦いは始まった。もうすでに始まったのだ。
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キリタニ100法『明らかな殺意~三笠フーズと農水官僚の殺人~』
posted by 桐谷 |11:41 |
2010WCアジア予選 |
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2008年06月23日
この日のバーレーンと、初戦アウェーにおけるバーレーンとでは、僕には違うチームに見えた。
お互いにとって消化試合。日本にとってはリベンジマッチの意味合いもあったのかも知れないが、彼らにとっては同等の重さを感じられる試合ではなかったのではないだろうか。初戦で見たメンバーの何人かも欠けていたようにも見受けられた。
ともかく自陣ゴール前だけは異常に強いが、これだけビルドアップに窮し、個人技にも、個々のタクティクスにも欠けるタレントたちを擁して、よくぞ日本に勝てたものだ…と、この試合そっちのけで、初戦のマチャラ氏の手腕とその功績に改めて敬意を表したくなるような内容だった。彼のような指導者ならば、果たしてJリーグにおいてどのようなチームを作り上げるのか…ゲーム中、ふとそんなことを夢想していた。
そしてこのバーレーンの自滅によってやっと勝ちを拾い面目を保ったニッポン。このブログ開設当初、“結果か内容か?”の水と油の議論に引きずり込まれて辟易させられたものだが、“結果”を唯一無二の拠り所としてサッカーを物語るのであれば、あの終了間際のバーレーンGKの大チョンボにこそ、この試合のすべての意義が集約され、またまごうことなき真実の価値が宿っていたのだろう。
この“内容”を受けて、来るべき最終予選を、僕は大きな不安を抱えながら暗澹たる思いで迎えねばならないが、同じくこの3次予選通過の“結果”を受けて、川淵三郎氏の『2010年南アフリカまで岡田監督続投』のお墨付きも得、チームはこのままの状態で“正念場”へと突き進んでゆくのだ。
それについてはもう今更何も言うまい…と思っている。
良くも悪くも、これがニッポンなのだ。
今のニッポンのありのままの姿なのだ。
川淵三郎氏らが、EUROやWC南米予選のその“内容”に目を向けてくれているかどうかは判らないが、アジア最終予選はもちろん、2010WCグループリーグ突破…までを、彼らがこの岡田ジャパンに期待する…とするならば、そこにはイタリアやスペイン、ブラジルやアルゼンチンには勝てなくとも、ロシアやトルコ、パラグアイやコロンビアあたりとならば、このニッポンも負けていない…という予断や憶測が、きっとどこかに存在するのだろう。アフリカ勢相手ならば、例え本気のナイジェリアやガーナであったとしても、互角に立ち振る舞い、勝ち点1だけは最低限確保できる…と。
だとすればこれだけは言っておきたい。キリンカップやコンフェデや親善試合の“結果”を受けて、ニッポンの実力を真に受ける前に、今こそEUROに、WC南米予選に、その一戦一戦の“内容”に、目を向けて欲しい…と。そしてこのバーレーンとの一戦…と、真剣に見比べてみて欲しい。
期待をかけるな…とは言わない。が、せめてその期待…が少し過大なものであるだろうことだけはその心に自覚していて欲しい。そして現実に突き当たった時に、それを2006年のドイツの時の様に、恥も外聞も無く誰かの所為にしてコキ落としたり、不当な災厄にあったかのような顔だけは誰にもして欲しくはない。それは関係者だけではない。この国のサッカーに集う、すべてのものたちが…である。
それではいつまでも前へ踏み出す事ができないから…である。
問題の本質は、事故や不運にあるのではない。その巨大な壁をブレイクスルーする為には、どれだけの強い意志と、大きな、抜本的な改革がこの国のサッカー界に求められているのか…その為の転換点、当たり前のスタート地点に、これ以上の寄り道をせず、一刻も早く辿り着くために…である。
もし今このニッポンのサッカーに、守らねばならぬ“誇り”というものがある…とするならば、それはどこかよその国に勝つこと…のはるか前に、この国の未来のために、今精一杯、それぞれの立場で自らと戦うこと…なのではないだろうか。
あの激しい雨の中、スタジアムに足を運んだ5万人とも言われるサポーターたち、そして視聴率が落ちた…と言われながらも、いまだTVの前で、ジャパンの試合を楽しみにしてくれている数千万のこの国のサッカーファンたちに対して、責任ある立場の者たちが誠心誠意応える事、応えようと身を削り続ける事…守らねばならない誇り…というものがあるとすれば、そういうものなのではないかと僕自身は思っている。それは観客動員や、TV視聴率、スコアシートにあらわされるものではない。あの現場で、サッカー生命を削りながら戦う選手やスタッフたちと同様、一分一秒みずからの心に問う、問い続けるべきものなのではないだろうか。
15年前、バングラディシュやスリランカとの試合でさえスタジアムに足を運んだ僕も、今では“代表戦”のチケットに手を伸ばすことは一切ない。もしキリンカップに、フルメンバーのイングランドが来ようとも、ブラジルが来ようとも、それは変わらない。それが“誇り”を欠いた現JFA体制が牛耳る“代表戦”である限り、僕は¥1のお金も支払わない。サムライブルーのユニフォームにも、サッカー日本代表関連の商品にも、15年前から一度も手をつけたことがない。今では一般のサッカー誌にさえ目を向けることもしなくなった。そこにジャーナリストとしての“誇り”が貫かれていないものならば、僕は同じようにボイコットしてきた。
サッカーが嫌いだから…ではない。
きっと、誰よりもそれが好きで、そして取り戻したいと願うからだ。
いつの日からか“均衡”を失い“逆転”してしまった。
守られるべき“意地”や“誇り”が、巨大な“利権”と或る個人の蒙昧な“価値観”に飲み込まれてしまった。
サッカーに限らず、世界のあらゆる国々で、あらゆるスポーツが、今同じ道を歩み始めている。もしそこに何者かが抗う“楔”を打ち込めるのだとすれば、その原点に在るべきものこそが“誇り”なのだと僕は思う。
僕はこれまでもそう思ってきた。そしてこれからも変わらずにそう思い続けるだろう。
ニッポンの敵は、ニッポン自身である…と。
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posted by 桐谷 |11:21 |
2010WCアジア予選 |
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2008年06月16日
こちらにとっては重圧のかかる“取りこぼしの許されない”試合となったが、一方のタイはといえば、すでに消化試合の趣でこの一戦に臨んできたようにも見受けられる。前半から厳しいプレッシャーもなく、どちらがホームで、どちらが先制されたチームなのかもゲーム展開から窺い知ることはできなかった。まずこの試合内容の評価の前に、この日のタイは、そんな戦意や闘争意欲に欠けた“やる気”のないチームであった事を前提にしなければならない。
アウェーで3-0の結果だけをみれば、立派な試合をしたようにも見受けられるが、上記を踏まえればその内容は決して褒められたものではない。前半にあくせくと一本調子に前から追い込み、後半にダラダラと流れや展開のない中で、出し手と受け手だけの可能性の見えないパス交換だけが続く。
この状態で最終予選に臨むとすれば、暑さの中での試合は消耗も激しく、良い内容で勝ち点を積み上げてゆくことはまず無理だろう。これまでにも涼しいホームでの試合と、暑さの中のアウェーでの試合は、その内容に明らかな落差がある。試合を取り巻く環境が異なり、相手も、目標とされる結果もおのずと異なる試合において、この岡田ジャパンはペース配分の考慮もなく、常に頭から同じスタイルを貫徹させるかたちでゲームを推し進めている。
それは寧ろ“自信”というよりも“不安”という衝動に突き動かされての融通の無さ、硬直性の現れなのかも知れない。この不自由さに、僕は選手、監督双方へのある種の痛ましさ…を感ずると共に、最終予選への拭いきれぬ危機感を抱き始めてもいる。
2007アジアカップにおいて、攻撃することに費やした攻め手たちのエネルギーを、今この岡田ジャパンはフォアチェックの徹底により容赦なく、余すことなく守備に投入している。二列目には眩いばかりのこの国の名手たちがオールスターで顔をそろえているにも関わらず、敵のプレスが無力化する前半30分過ぎには、すでに彼ら自身が疲弊してしまい、窮屈なスペースで、足元のパス交換のみで、どこまでも連動しない受け手の動きを見送りながら、さらに時間と体力だけを浪費している。
僕は岡田監督就任当初からずっと懸念してきたのだが、強い相手にも弱い相手にも、暑い中も涼しい中も、さらに勝たなければならない試合も引き分けでいい試合も、すべてひとつのやり方、一本調子の進め方で、ゲームを戦わせるのは、この広いアジアを考えたときには“不合理”であると思っている。今後最終予選においてホーム&アウェーを戦うのであれば、これから先の相手では当然その戦い方も大きく変えてくる筈である。
この日の試合も、逆に勝気を見せないタイにある程度ボールを持たせ、様子を見るような余裕があっても良かった…と僕は思う。すくなくとも1-0からの展開では、ホームの手前、彼らも少しは攻める意志を見せなければならなかったはずだ。繋いでハーフまで出てくるような時には、日本にとっても充分なスペースが敵陣に広がっていたはずである。相手なりに戦況を考える。それぞれの状況において対応する。必要な場面で必要な分だけのエネルギーを費やす。そういう戦い方ができなくては、この広いアジアのH&Aに対応するのは難しい。
ワールドカップ本選にまで辿り着ければ、今の“フォアチェック”“前からのプレス”というチーム戦術が、日本にとってもっとも相応しいやり方である事は僕も否定しない。
なぜならば、リトリートしてボールを奪っても敵ゴール前まで運ばせてもらえないだろうし、蹴りこんだサポートの無い状況において、一人二人でフィニッシュまで持ち込めるようなスーパーなタレントもこの日本には居ない。そして何よりも自陣深いところで跳ね返すだけの力もこの国は持たないからである。要するに欧州や南米の強豪を前にすれば、日本はこの日のタイのように無力なのだと僕は思う。だからこそ、前後半60分勝気に走らずひたすら我慢して守り、残りの30分、相手も疲れて集中を切らすだろう前半残り10分、後半残り20分に死に物狂いで前から追わせて1チャンスに掛けるサッカー。僕であってもそうやって勝負に出たいと考えるだろう。
けれども今アジア相手にそれが相応しいだろうか?合理的だろうか?と考えるとやはり答えはNOなのだ。それではアジアにおける日本の優位、アドバンテージが活かせない。そしてひとまず2.5/5を争う最終予選で、前半の頭から遮二無二危なくも無いボールを追い、勝負を賭けて、足の止まった後半…という過大なリスクを背負う必要が果たしてあるのだろうか…ということなのである。
今回のように海外組を交えた場合、動きの連動やコンビネーションの問題は、もちろん一朝一夕で仕上がるものではないだろう。が、それ以前に二列目にあれだけのチェイシング、運動量を求めるのであれば、それに相応しいタレントを用いてみてはどうだろうか?或いはもし彼らにやはり日本の攻撃を任せたいのであれば、彼らに相応しい守備戦術や戦略も、流れの中でのもうひとつのオプションとして用意し、攻撃のみならず守備面においても、より自然な“中庸”の道を探ってみてはどうだろうか。
今ここで是正されなければ、あるいは修正が加えられなければ、中東のどこかの荒れた砂道にスタックして、ドツボに嵌り抜け出せなくなる事も考えられる。やる気の無い相手や環境に恵まれた花試合や消化戦を勝つことによって、ヘンな弾みがついてしまう前に、技術委員会やスタッフらによってしっかりと議論されることを望む。権謀と策略渦巻く中東と戦うこのニッポンが、自ずから暑さまでをも敵に回して戦う必要はないのだ。
技術委員会は2007アジアカップの再検証と再評価に、今一度真剣に取り組むべきではないだろうか?いかにしてアジアをくぐり抜けるか…?その成功への筋道と、時としてそれでも突き当たってしまう“現実”という厳しい教訓…。それら“すべて”があの戦いには詰まっていたのだから。
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2010WCアジア予選 |
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2008年06月11日
この6月、サッカーにうつつを抜かしている間に、東京秋葉原で痛ましい事件、そして絶対に許せない出来事が起こった。録画を見る前に、EUROの結果を知ってしまわないように、TVニュースや新聞・ネット報道を意図的に避けてしまっていたがために、事件の詳細を知るのがだいぶ遅れてしまった。そしてそれによって、今になって大きな衝撃と憂鬱に苛まれている。
今はひとつひとつのコメントに対応する気力が少し足りていないので、このエントリーがそれに対するレスポンスと認めていただければと思う。
以下にAWAYオマーン戦の要点をまとめたい。
後半に日本の攻撃が活性化したのは間違いないが、だからといって僕は、前半が評価できない…とはまったく思わない。むしろこの後半立ち上がりの猛攻のための前半であったとも理解するのだ。
ご存知のように酷暑の中、まだ昼の日差しが残る厳しい環境の中で、前半は始まった。しかも日本からオマーンへの気候も時差も異なる長距離移動含めての中4日の試合。もちろん90分攻め続けて気持ちよく勝ってほしい…という願望は判らぬでもないが、僕は正直ダラダラとした展開の中にも勝負の20分、25分という時間帯を定め、“メリハリ”の利いた試合運びを見せて欲しいと願っていたし、実際後半開始直後は“それ”を見事に展開してくれたと思う。
彼らの意識の中に、前半は少しセーブして後半勝負…のようなコンセンサスがあったのかどうかは判らないが、前半はしっかりと機能していたオマーンの自陣でのプレスが、後半は足が止まり綻びだらけになっていたことも考慮に入れなければならない。それも踏まえれば、後半は良かったが前半は悪かった…という評価は必ずしも当たらない。あの前半があって、後半があるのだ。この3次予選の経過があって、この試合があったように。僕はそこに3次予選の戦略として、この試合のゲーム運びとして、なんら誤算なかったと思う。ただ一点、前半の早い時間帯に失点してしまった…という事実をのぞいては。
海外のサッカーを引き合いに、僕は常々この場で書き記してきたが、日本のサッカーにはこの“メリハリ”が足りない。90分をゴール目指して、ただ猛然と攻めきるのが良いサッカーで、強いサッカーだと妄信し、思考停止している部分があるように思うのだ。そして見る側も疑いなくそれを要求する。日本のゲーム運びが、未だ中東と比較してさえ拙いのは、そんな僕ら見る側の視点の拙さでもあると考える。
イタリアやブラジルの試合運びを見れば判るはずだ。
彼らは90分の試合の10分、15分を勝負どころと定めてキッチリと仕留めにくる。そしてムダな“労力”は浪費しない。1-0で良い試合は1-0で良いし、0-0で良い試合は0-0で良いのだ。だからこそまた、厳しい過酷な条件、連戦に次ぐ連戦をくぐりぬけて、最後の栄冠まで辿り着くことができる。要するに彼らは“効率的”なのだ。
意識的か無意識かは判断しかねるが、この試合の日本は“効率的”だったと僕は思う。そしてまたオマーンも、日本相手にホームでカンタンに勝ち点3をくれるような貧弱なサッカーではなかった。歴然とした力の差はありながらも、彼らは“効率的”なサッカーで、しぶとく90分をしのぎ切る意地を見せてくれたと思う。
たとえオシムが監督であっても、結果がどちらに転んでいたにせよ内容的にはこれとほぼ同じものであったと僕は思う。2007アジアカップでの試合と比較しても、このAWAYオマーン戦は同じような厳しい環境の中、同等のサッカーが展開できていたと僕は考える。
また押し込みながら得点できないことに関して言えば、では、どうすればこのような引かれた相手に対して簡単に点が取れるだろうか?別にオシムや岡田さんだけではない。世界中のあらゆる強豪、名将たちが、あいも変わらずこの問題に直面している。クローゼやイブラヒモビッチ、トーニのような日本人がいれば、アジア相手に多少はやりやすいのかも知れない。クリスチャン・ロナウドやメッシが居れば、アジアレベルであればどうにでもなる話なのかも知れない。が、そんな日本人がいないのであれば、やはり前線から動いて、連動して、スペースを作り、それを使うしかないのだと思う。が、相手の力量によって、それは読まれたり、封じられたり、対応されたりする。そこで今度はその動きと連動に、さらにスピードと精度が求められるのだろう。
1年ちょっとの任期でそれはオシムに出来なかった、岡田さんにもまったくできていないじゃないか…の前に、ニッポン人に出来ていない事柄なのだと僕は思う。
サッカーの監督は手品師でも超能力者でもない。無いモノを突然にその手から生み出したりはできない。今在るものをよりよく調和させ、用途によってアレンジを加え、そして作り変えてゆくものだと思う。もちろんその技量に巧拙があり、その趣向に好悪があるのは当然のことなのだが、それはオシムの壁でもなく、岡田武史の壁でもなく、ニッポンの壁なのだと僕は思う。たまたまそこに岡田武史がぶち当たっていたとして、僕はそれを彼の責任であるとは思えないのだ。
そしてさらにはその先に“決定力不足”なるこの宇宙の普遍のサッカーの命題が聳えている。よくTVや新聞報道で『決定力不足が解消されず…』という文言を目にするが、それはあらゆる世界でサッカーがある限り根本的には解消されない問題なのではないだろうか。サッカーを語るに置いて、これほど不毛な文言は無いと僕は思う。
そして最後に、今の岡田ジャパンの実力はどれぐらいのものなのか?
要するに前回のエントリーで、
オシムジャパン≧岡田ジャパン>トルシエジャパン>ジーコジャパン
を僕個人のカンカクで語った。議論すればこれはとても面白みのあるお題なのだろうが、ここでは自分の意見を述べるだけに留めておく。
この10年で日本は世界の先端からはさらに離された…と思うが、日本のサッカーそれ自体は大きく進歩したと思う。プレースピード、フィジカル、動きの効率性、そして球際の強さ、選手個々のタクティクス…それらすべてが少しずつ磨かれ、成長したと思う。
例えばいまトルシエに代表監督をお願いして、今現在の選手と、あの当時の選手の中から、好きな者を11名選べ…と言えば、2002年から選出されるのは、中田英寿と柳沢敦の2人だけではないかと僕は思う。楢崎正剛、中澤佑二、さらに中村俊輔、そしてもしかしたら明神智和、選ぶとしてもトルシエとて2002年の彼ら…ではなく、2008年の、今現在の彼らの方をチョイスすると僕は思う。それぐらい日本人選手はこのトルシエから数えても6年の間に大きく成長したと思うし、強くなったと思う。
岡田武史さんの能力がトルシエよりも高いかどうか、今現在の日本に合っているか、合っていないか…は別として、チームとしての2008岡田ジャパンは、2002トルシエジャパンを凌駕してもまったく不思議はない。少なくともあのバーレーン戦のような試合をしない限り、キリンカップ以降の状態で戦える限り、僕は岡田ジャパンの優位を予想する。
おまけに一言つけ加えれば、僕はこれまで世界のサッカーを“監督”に焦点をあててずっと眺めてきた者の一人なのだと思うが、僕も含めて“監督”の力を過信しすぎるニッポン人のサッカー観には少し違和感を覚えたりもする。一国の国代表監督の能力が強化やその結果に及ぼす影響力というものを過大に捉え過ぎているのではないか…と感じる部分もあるのだ。オシムのこの国の未来を見据えたやり方を僕は心から賞賛する。けれどもだからといって2010年の南アフリカで何かを成し遂げた…とも安穏と思えない。
例えばモウリーニョが日本代表監督になれば日本は1年で強くなるだろうか?モウリーニョに監督になって欲しい人はたくさん居るだろうが、ではチェルシーのサッカーと、ポルトのサッカー、どちらが本当のモウリーニョのサッカーで、日本はそのどちらかのように戦えるのだろうか?
僕から見ればキリンカップ以降の岡田ジャパンは、文句なく及第点をあげられるデキだと思う。
そして、むしろそれ以上に僕らが厳しく目を向け糾弾すべきは、スポーツとしての倫理と商業主義の横暴との間の均衡を保つどころか、財団法人としての公益を忘れ、営利の側に分別なく加担し迎合する、JFAのその立ち振る舞いなのではないだろうか?
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posted by 桐谷 |11:53 |
2010WCアジア予選 |
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2008年06月09日
日本、そしてオマーンともに、ワールドカップ予選に相応しい立派な戦いぶりを見せてくれたと思う。特にオマーンは僅か一週間足らずで崩壊状態にあったチームのメンタル、組織、そして戦術を見事に立て直してこのゲームに臨んだ。実質的に彼らは“敗れた”のかも知れないが、オマーンサッカー協会とこの日の選手たちが見せてくれたその“魂”は、この国の未来に必ず繋がってゆくことと思う。
特にFW9番サレハのストレングス、バランス、アジリティ、そしてスピードとその闘争本能には心打つものがあった。彼のようなプレーヤーを、中東から引寄せるJリーグであって欲しい。そしてまた一刻も早く、この国に彼のようなスピリットを持った“闘うストライカー”が現れて欲しいと切に願う。
試合の途中途中で、互いに打ち合わせでもしたかのように給水のブレイクが入る。レフェリーもそれを急き立てる様子はない。両国選手、そしてレフェリーにとっても、本当に過酷な“暑さ”との戦いだったのだと思う。
そんな中、決して地元オマーンに走り負けなかったニッポン。
ボールを追い、奪ったそれをよく良く回し、そしてさらに走った。特に後半開始直後からPKをもらい、そして奪われるまでの15分ぐらいの展開は非常に躍動的で、スペクタクルなものだったと思う。素早いボール回しと畳み込むフリーランニングからのサイドへの展開。内田篤人のいくつかのミスもあって実際の得点に結びつくことはなかったが、それはハーフタイム明けのやや弛緩したオマーンの集中力に対し、ピリっと引き閉まった日本チームの、ロッカールームのその雰囲気を印象付ける、好対照な出来事でもあった。
キリンカップからここまで、チームは明らかに良い方向に向かい始めている。
今となってみれば、バーレーン戦のあの衝撃的な内容こそ、チームがドラスティックに転換し得る良い契機になったと言えるのかも知れない。
現状の力をフェアに推察するならば、今日この1試合の岡田ジャパンであれば、僕はアジアカップ時のオシムジャパンとも均衡したシーソーゲームが可能だと思う。そしてジーコ時代より明らかに“強い”チームであると思うし、選手のクオリティからいってもトルシエジャパンをも凌駕し得るチームであると思う。あとはブレずに、如何にこの実力を維持し、このスタイルを貫いてゆけるか…である。そしてそれが、紛れのないニッポンの実力なのだと僕は思う。
ただし引かれた状態で何ができるのか?
これは強国の永遠のテーマでもあるのだが、その持ち得た選択肢をキチンと精査し、鍛錬を積んで、今後のアジアとの試合に臨んで欲しい。今の状態では、まだ闘莉王の存在を活かしきれていない…と僕は思う。それによってドン引きの相手にも得点できる…などといった短絡を吐くつもりはまったくないが、彼に自由を許す…というリスクは、この場合支払うべき正当な対価なのではないかと僕は思う。特にこの試合においては、後半1-1に追いつくまでの状況、もっともっとそのリスクを取るべきシチュエーションであったと考える。
PKの判定に関して言えば、与える必要の無いものに与えられ、真に与えられるべきものに与えられなかった…という印象が残った。それによってゲームの結果が左右された感は拭えないが、日本にとってはゲーム内容がその結果に報われなかった分、レフェリーがそれをサポートしてくれたと言えなくもない。内容的には日本が勝つべき試合だったと思うが、結果的にはオマーンの1-0で終わるのがフェアな姿であったのかも知れない。そしてそんな矛盾と混沌こそが、サッカーのサッカーたる所以とも言えるのだろう。
ただしひとつだけ日本選手に苦言を呈するとすれば、僕がレフェリーであったならば、この試合PKを与えたかも知れないシチュエーションは双方あわせて一度だけ、後半20分の山瀬と松井が絡んだPA右側(日本から見て)の状況だけである。確かに足が絡んでいたと思うし、50:50の判断を強いられもしただろう。けれどもきっと僕も笛は吹かなかった。なぜならば選手のその倒れ方に“作為”を感じただろうからだ。
ぜひEUROと見比べてみて欲しい。選手に乞われた笛を、レフェリーは吹かない。
同じくその前の玉田のリアクションにも僕はそれと同じものを感じる。これは紛れもなく“Jリーグ”が生み出し助長した弊害である…。モラルや美意識の問題としてではなく、実利に関わる問題としてJFAには早急に取り組んで欲しい。そしてこれを追認し看過する僕らの意識も、その根本から変革してゆかなければならないものと僕は考える。
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posted by 桐谷 |11:23 |
2010WCアジア予選 |
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2008年06月03日
技術、戦術、闘争心、そして結果…。
岡田ジャパン発足以来、最高のゲームができたと思う。
内容についてはすでに各所で語りつくされてもいるだろうし、今更僕が新たに書き加えられる視点などもないのだと思う。最終ラインから3列目、そしてトップまでが顔を出し、まずは丹念に繋ぐ。そしてアタッキングサードに至るゾーンでシフトアップし、中村俊輔、松井大輔が勝負のパス、仕掛けを繰り出す…。そんな折り目正しいポゼッションと攻撃への適正なシフトアップができて初めて、最終ラインからの勝負のロングフィードも有効となるのだ。岡田さんのコンセプトと選手達の習性と対応力がうまく調和された、素晴らしい内容と結果であったと思う。
バーレーン戦から2ヶ月、岡田武史さんも尋常ではない重圧とここまで戦ってきたことだろうと思う。ただ戦術を説き、それに選手を従わせるだけでは済まないこの日本代表監督というものの職責の重さ、その孤独さを、真に理解しながら、これを引き受けた勇気と、逃げずに闘おうとするその強い意志に、改めて心からの敬意を表したい。
『攻撃に関してはおまえらに任せる。…が、守備はこの前からのプレス、フォアチェックを徹底して追及してくれ』
岡田さんは否定するかもしれないが、この試合を見る限り、僕は彼から選手たちへあてた、そんな大人びたメッセージを読み取ることができた。これまでの日本の、ある意味未熟な選手たちは、その時々の指導者の方針によって“極から極”へと流れ、翻弄されてしまっていた感もあるが、ここへ来て自らの美意識、おぼろげながらもニッポンサッカーのアイデンティティを軸とした、成熟した“中庸”の価値観と行動様式を身につけつつあるのかも知れない。
岡田武史とこのチームが、この2ヶ月間の困難と苦しみを通し、そこから得たこの“調和”という合理、“中庸”という果実を、お互いのコンセンサスの上に今後更に実り多きものへと育んでいってくれることを願う。
特に3点目は、岡田ジャパンを象徴する、泥臭さと美しさが調和した、感動的なゴールシーンだったと思う。
またこの日のオマーンは、その実力も、そしてその戦い方も、非常に中途半端なチームだった。もし10人でゴール前を固めるようなベタな闘い方をすれば、そして日本の厳しいプレスの前に下手に繋ぐのではなく広いスペースに徹底してロングボールを放り込んでいたならば、この内容や結果も少しばかり違ったものになっていたのかもしれない。ある意味では、あのバーレーンVS日本戦が、彼らの現状認識やその判断を曇らせた…と言えるのかも知れない。そして彼らは日本の地力を見くびり、自らの実力を過信したとも言えるだろう。
ひとつの大きな山は越えたが、もうひとつアウェーの大きな山を越えなければならない。この戦い方でいく限り、そして相手の実力を推し量る限り、真の敵は、オマーンよりも“暑さ”なのだと思う。
当然対策を考え、ぬかりなく手当てして試合に臨むのだろうが、くれぐれもあのバーレーン戦のような策に溺れる試合にだけはして欲しくない。もしどちらかに“振る”のであれば、それはポゼッション側に“振る”べきだろう。そして何よりもボールを大切にし、前に急がず、敵に“走らせるサッカー”を見せて欲しい。
この試合を見ながら、オシムと闘ったアジアカップの日々を思い出した。
あの時、もし闘莉王が居たなら?
長友佑都が居たなら?
松井大輔が居たならば?
そして大久保嘉人が居たならば…?
その結果も大きく変わっていたのだろうな…と思ったりもする。そしてそれだけ、今の日本は強いのだ…と確信する。五輪予選を見ていても同様である。アジアにおいては、日本の地力もすでに相当なものなのだろう。
この先がどんなに険しくとも、遂にここまでは来れたのだな…とあらためて想う。
長沼健さんのご冥福を祈ると共に、今日のこの日の日本サッカーの勝利を心から祝福したいと思う。
あの日からずっと繋がっている。あの日の前のずっとその以前から繋がって、今のニッポンのサッカーが在るのだ。
在任中は様々なことがありながら、JFA会長の座を退いてからの、彼の日本サッカー界の未来を見据えたその苦言と、ハンディキャップサッカーの普及に一途に情熱を注いだその“晩節”に心からの敬意を表したい。彼らの功績と日本サッカーに対するその人生を賭けた挑戦が成し得た“奇跡”を今一度噛み締めながら、この6月のニッポンの戦いを見守りたいと思う。
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posted by 桐谷 |11:41 |
2010WCアジア予選 |
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2008年03月28日
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0-1の敗戦。
結果に関してはさほど驚きは無い。このバーレーンは決して格下ではない。実際のゲームを見れば、サウジやイランとなんら遜色ない実力を有したチームである事が確認できたし、むしろ日本のようなチームにとっては、サウジやイランよりもやり難いタイプの相手である。これにアウェーで勝つのは豪州や韓国にしても簡単な話ではない。AC時のオシムジャパンであっても、今回の条件であれば五分と五分の相手であったと思う。
しかし、結果が想定の範囲内であった事には間違いないが、この内容そのものについて、包み隠さず打ち明けるならば、僕にはその想定を超える“ショック”であった…。
そもそも岡田監督はこのゲームにどのようなテーマを持って望んだのだろうか?そしてそれは選手との間でしっかりとコンセンサスが得られていたのだろうか?僕にはそれが見えなかった。
僕はこの試合、敵に勝ち点3をやらないことが究極の目的でなければならなかったと思う。なぜなら最終予選の組分けを考えるならば、なんとしてでもこの3次予選1位抜けが求められるし、また事前に、このバーレーンがかなりの実力を有したチームである事は、スカウティングにより充分に把握できていた筈だからである。
『勝ち点3を狙う…』などのスローガンや体裁などより、どうやってボールを動かして敵を自陣から遠ざけるか、そしてそのボールをどのような連動でキープして敵の攻撃機会を減じるか…もし僕がこの試合をプランニングするのであれば、その2点を最重要のテーマとして取り組んだと考える。どうやって得点チャンスを伺うか…のプライオリティが、その上位にくるものではなかったはずである。
しかし実際にはそれとは真逆の、可能性の低い縦への執着やビルドアップを無視した前のめりのポジショニングによって、性懲りなく、中盤でまったく不必要なボールロスが繰り返されていたように思う…。
せっかく中村憲剛が良いカタチで前を向いても、そこからの組織的な崩しには結びつかない…。それはサポートやフォローもなければ、皆が前に急ぎすぎて、そこからの展開に顔出しする動きが稀薄だからである。展開に絡まずに前でノッキングをおこしていた山瀬功治、両翼はビルドアップに無関心で同じように縦へ縦へと動き出してしまう…。それでは憲剛には“前へ”の不確実な選択肢しかなくなってしまう…。
そしてそこでの度重なるボールロスによって無駄に大きな上下動を強いられ、単騎のカウンターに度々翻弄されながら、その体力のみを徐々に消耗させてしまっていたのだ…。
2007ACにおけるオシムのサッカーは死滅してしまった…と嘆く方々はきっとたくさん居ることだろう。僕自身やはりそれを痛感している。失ったのはポゼッションばかりではない。硬直化した前への傾斜と、そこでの非効率な上下動により、過酷なACにおいて、目を見張るばかりであった、あのオシムジャパンのオフェンスにおける連動性にプラスして、“走る意欲”と有効な“運動量”さえ、今失いつつあるように思うのだ。そしてさらに致命的とも思えるのが…選手のモチベーションに明らかな翳り…を感じることである。
僕はこの場で再三にわたって、遠まわしながら岡田監督の翻意に期待する気持ちを書き連ねてきたつもりである。やはりつまるところ、どうしても一つの大きな問題に行き着いてしまうのだ。
“ビルドアップ”を疎かにして、“前”に急ぎすぎるという、現状ではいささか不合理で解せない執着についてである。
岡田さんの理想は、或いは岡田さんの理想とすべきは、鹿島アントラーズの、オリベイラのサッカーなのだと僕は思っている。速攻と遅攻をしっかりと使い分けて、充分なリスク管理をしながら鋭く両サイドを切り崩すサッカーなのだと思う。けれども現状のそれは、接近・展開・連続とは言うものの、ラグビーとは似て非なるアメフトのそれを思わせるメカニズムに見受けられるのだ。ボールに関与する者はあまりにも少なく、インターセプトのリスクネージメントに対する考慮なく、単発のパスで、ブツ切れの非効率なオフェンスを繰り返しているのだ。
『ミスで負けた、不運な失点であり敗戦だった…』が、本心でこの試合に対する彼の総評であり見解であるとすれば、僕はその“感覚”に大きな違和感を禁じ得ない。この絶望に限りなく近い内容について、岡田監督はやはり正面から重く受け止めるべきだし、その根本から大きな変革と修正が求められているのだと僕は思う。
技術委員会もここでしっかりと本人に確認し、コンセンサスを得ておくべきである。
衝突を恐れず、抜本的な議論をすべきタイミングであると僕は思っている。実質的な任命権のない技術委員会であるならば、なおさらの事である。厳しいようだが、ここで役立たずして存在の理由などまったく無い…と僕は思う。
一度狂った歯車を、元に戻すのは決して容易くはないだろう。そして岡田監督がこのサッカーを突き詰めれば突き詰めるほど、アジアにおける戦いにおいては、この道の先に明るい展望が見出しにくくなっている…と僕は思う。
この2ヶ月の猶予をどう考え、そしてどう活かしてゆくのか…。技術委員長、小野剛さんが担うべき責任は非常に大きい。いずれにしてもこのままでは危ないし、このサッカーで結果すら得られないのだとすれば…いったい後に何が残るのだろうか…?
そしてもう一つこれだけは言っておきたい。
この結果は、ピッチ上の選手を含め、スタッフ皆が等分に背負うべきものである…ということである。
誰かの所為にして済まされる立場のものなど一人たりとて居るはずはない。
その球際の気迫で、彼らはバーレーンの戦士たちに大きく劣っていたことも間違いないし、如何に岡田監督の指針が現状オシムのそれの対極を指し示していたとして、現実のピッチで考え、選択し、状況に対処してゆくのは11人の選手たち自身であるはずだ。やはりそこに自立心が芽生えて欲しいと僕は思う。自らで打開してゆく知恵と勇気と行動力が必要なのだと思う。そしてあの状況でそれができないのであれば、オシムが命をかけて彼らに注いだあの情熱は一体何だったのだろうか?
余りにも早すぎた始動で、選手達のコンディションに狂いが生じているのも判る。…判り過ぎるほど判っている。けれども、例えそうであったとしても、WC予選とはやはり命がけの戦いである。あの日の選手たちには、まだその厳しさの部分が大きく欠けていた…と僕は思う。
あえて正直に告白したいと思う。
2つの相反する感情に僕も今苛まれている。
支えたい…という“義”と、再びオシムで出直して欲しい…という一度は捨て去った筈の“理”の間で…。
いずれにせよ、この岡田ジャパンは変わらなければならない。
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posted by 桐谷 |11:12 |
2010WCアジア予選 |
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