2008年03月29日
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「劇的に何かを変えるのはリスクが大きかった。 我慢してきたこともいろいろあった」
「これからは俺のやり方でやる。(敗戦は)高い授業料だったが、これで吹っ切れた」
現日本代表監督、岡田武史“さん”の言葉である。
僕はちっぽけな一サッカーファンとして、今こう言わせてもらおう。
『岡田さん、僕もこれで吹っ切れました』
『この難局を男気で引き受けてくれたあなたの“義”に報いるために、僕は就任以来あなたのサッカーにずっと我慢してきました。良い所をすくい上げ、不満なところには極力目を瞑るようにしてきた…。そしてやはりどうやってもこのサッカーは許容することができなかった…僕のこのサッカーに対する感性を、あなたへの“義”の為に裏切り続ける事はついにできませんでした』
『これからは言いたいことを言わせていただきます。思いのままに書かせていただきます。そして高い授業料でしたが、やはり“これ”を引き受けてくれたあなたの心意気には今でも感謝しています。最後に心からありがとう…と付け加えさせていただきます。そしてここから、僕は僕の書きたいことを書きます。思いのままに綴らせていただきます』
次のオマーン戦、敗れたら彼は潔くこの職を辞するつもりなのだろう。
が、責任論として極めて妥当なその筋道に対して僕には異論がある。
6月2日に敗れるか引き分けた時、もうその5日後には過酷なアウェイのオマーン戦が控えている。そしてその1週間後にはさらに過酷な酷暑のタイ戦が続く。まともな監督交代のタイミングなど6月には既に無いのだ。
もし緒戦で躓いた時、その求心力は保たれるのだろうか。この人に着いて行こう、このサッカーで闘おう…と選手たちは切り替えられるだろうか?
負ける…と言っているのではないが、そうなってしまえばチームは建て直しが効かない。そして協会が、技術委員会が、今ここで“動かない”というのであれば、それはこのサッカーと心中の決意を固めた…という事なのだと思う。そして結果は判らないが、その如何に関わらず、このシチュエーションにおけるその“決断”は、“誤り”であると僕は思っている。
バーレーン戦。ただ蹴り込んで来ると判っている相手に、自陣に攻め残りの敵をわらわらと残したままで、ボール奪取後、そのまま敵陣に蹴り込ませている。当然奪われてまた蹴られ、そのままの態勢で攻撃に転じられる…。きっと“逃げ”のサッカーをやりたかったのだろうが、戦術としても、また戦略としても、まったく合理に欠けた、“意味不明”の90分間であった。そしてこれだけは言わせてもらおう。
これはオシムのサッカーではない。むしろその“対極”に在るものである。
オシムの“思考”は決して死んではいない。
左半身に障害があったとして、さらに発声能力に不自由な部分があったとして、ユースの指導ができるまでに回復しているとするならば、せめて総監督という立場であっても指揮を取ることは可能なはずだ。オシムがそれを望んでいない…とは、どうしても僕には思えないのだ。
『やっていただけますか?』
と聞けば『ああ、いいですよ』と答える。きっとオシムは死ぬまでサッカーと共に在りたいのだと、僕は思っている。そして今の状況を一番歯がゆく思っているのは、やはりオシム自身である…と。
その医療スケジュールを把握しながら、眠りから醒めるオシムを恐れるかのように、そそくさとオシム路線の継承をうたい新監督招聘を決めたJFA川淵三郎氏と技術委員会。岡田さんの立場を思えばこそ、ここまで忍従に忍従をかさねてきたが、もう僕はためらわない。
彼らは“卑劣”である。
①オシム監督の土台を大切にそこから積み上げられる人物
②強烈な求心力、リーダーシップを持っていること
③コミュニケーションが取れること
これが技術委員長、小野剛氏の岡田武史氏招聘の3つの理由である。
僕がジャーナリストであるならば、今一度彼の自宅へ駆けつけてでも、これをもう一度復唱してもらうだろう。さあ、いま一度唱えてくれ!
知人から聞いた。小野剛さんが『オシムの代表監督復帰はない』と断言していたという。
WC予選は過酷過ぎるからだ…という事らしい。死なれでもしたら…困る、という事なのだろう。
が、果たしてオシムはその覚悟なくこの国に留まってきたのだ…と小野さんは思っているのだろうか?その覚悟無くして、オシムがここまで日本代表監督の職責を担ってきた…と本心で小野剛さんは思っているのだろうか?
僕は決して思わない。彼は死ぬ覚悟で、戦ってきた。その人生の最後に、この苛酷な戦いに挑んできたのだ。
僕ももう中年である。加齢臭漂う、立派なおっさんである。こんなちっぽけな人間であってさえ、人生の最後に何か成し遂げられるものがある…とするならば、今この命を捨てることなどいとわない。今すぐにでも、命を投げ打つ覚悟…を持って、僕はこの穏やかな日常を暮らしている。ちっぽけすぎるゆえに、僕はそう思うのかも知れない。が、男ならば、きっとみんな、少なからずそんな気持ちを抱きながら、生きているのだ…と僕は思っている。
不自由な左足を引きずって、彼はロッカールームからピッチへと続く通路をゆっくりと歩いている。頬はこけ、顔はすこし歪んでいるが、その瞳の奥には、邪気のない子供のような輝きが宿っている。大歓声のスタジアムの中、すでに試合は始まっていることだろう。介添え人の補助を断り、一言二言軽口を叩いた後で、杖に凭れ掛かるようにして彼は、一歩一歩自らの在るべき場所へと向かって、ゆっくりと歩をすすめる。その視線の先に…彼のサッカーがある。彼の…そして、ほんとうのサッカーがそこに在る。
その情景は、サッカーの感動を超えて、一人の闘う男のその闘争する魂の軌跡として、永遠に僕たちの記憶に刻まれる事だろう。サッカーの伝説として永遠にその命を生き続けるだろう。
僕はそんな情景に触れたい…と願っている。もし彼がそれを望むなら、そのサッカーに賭けた物語のラストシーンを、まっとうさせてあげたいと思っている。今再び、僕は心から、イビチャ・オシムの帰還を待ち望んでいる。
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posted by 桐谷 |18:30 |
岡田JAPAN |
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2008年03月03日
もし僕があの状況下、岡田監督の立場でチームを引き受けたのであれば、
まず第一に、現状のチームに混乱を生じさせない…という点に最大限留意したと思う。
岡田監督がオシムジャパンをどう評価していたかは判らないが、僕はオシムジャパンのベースは非常に期待値の高い、また拡張性に優れたものであったと考えるし、3次予選であればあのベースで充分に戦える…と考えた筈だ。であれば、まず何よりも、良い部分をいじらない、潰さない…という事に細心の注意を払ったものと考える。そしてその為にも“今は”新しいものを極力盛り込むべき時期ではない…と。
その上で、現段階では、弱点の補強、補修に留めて3次予選に向かった。端的に言えばそれはアタッキングサードでの失敗を恐れないシンプルなトライと、ゲーム終盤の攻めあぐねた局面でのパワープレーの鍛錬、そしてセットプレーの強化である。
現状、この後者に対しては、岡田監督は非常に良い手腕を発揮してくれていると考える。またディフェンスにおけるチャレンジングな前からのプレッシングへの傾斜も、非常に岡田武史さんらしい“色”であり、このチームの今後を見据える上で、とても重要なトライであるように思う。僕は非常に好感を持って、これらの“岡田色”を眺めている。
問題が生じているのは、ビルドアップとアタッキングサードでの硬直したボール回しからくる展開の“膠着”である。
岡田ジャパンのキャッチコピーとしてよく用いられる『接近・展開・連続』であるが、オシムの志向してきたそれが、“接近”と“展開”が一対のものとして連動してきたのに対して、今現在の岡田ジャパンのそれは“接近”の場面で停滞し、“展開”に至るまでに、ボールを失ってしまったり、大切な時間とスペースを浪費してしまっている感があるのだ。要するに自らで形成した“接近”から抜け出せずに、そこに“埋没”してしまう展開があまりにも多く見られる…ということだ。
“接近”と同時にそこからの“離散”という所作があって、はじめてパスコースが生まれ、ドリブルというもう一つの選択肢も得られる。そうすることによって、各々がDFを引き付け、局面での膠着を解き、はじめて縦にも横にも自在に選択可能な“展開”へ結び付けられるのではないだろうか?そこで活かし得るのが、最初の数歩で僅かでも先んじることができる日本人の持つ“アジリティ”という優位性に繋がって行くのだと思う。
僕はやはり“走る”という要素が足りていないのだと思う。
そしてどう連動し、それぞれがどのような動線を描いて、新たなスペースを創造してゆくか…という修練こそが、オシム後も引き続き求められる課題であり、そして日本が永遠に格闘してゆくべきテーマなのだと思う。
今はまだ、守備時における前からの圧力をもう少しセットバックして、それを攻撃時の走力に転換できないものだろうか?勿論、前からのプレスは決して否定されるものではないが、1対1で決して劣位ではないアジアでの戦いにおいては、守より攻へエネルギーを集約した方が、僕は合理的であると考える。
限定された局面での数的優位、前からのプレス、ショートパスでのダイレクトな展開…それらは、アジアを超えた先では必ず必要になる要素であるが、現時点で殊更に強調しなければならないものではないように感じている。
逆にそれを余りにも選手たちが意識し過ぎてしまった事で、ここまで築き上げた大切な財産を、今失いつつあるように思うのだ。きっとそれは岡田武史さんも大木武さんも重々気づいている事と思う。実際、タイ戦までの内容はあまり芳しいものではなかったが、東アジアでの中国戦あたりから徐々に“接近”下での停滞は、改善しつつある状況にあると思う。
この状況は指導者としてみれば非常にストレスも溜まり、また面白みにも欠けるものだとは思う。が、理に通じる岡田さんだからこそ、僕は今後も期待して見守ってゆきたいと思っている。そしてアジア後の世界へ辿り着いてはじめて、大木さん自身ヴァンフォーレ甲府で直面した課題…クローズのその先の世界へ、バレーの存在無くしてこの日本代表も立ち向かってゆかなければならないのだと思う。そしてそこからの戦いこそが、本当に長く険しい道のりであることも、僕らは充分に承知しておかなければならないだろう。
“岡田監督と大木コーチの間に微妙な距離感が感じられる。練習場でも試合中のベンチでも大木コーチの存在感、役割が見えにくくなっている…”
先日エルゴラッソで、カメラマン六川則夫さんのエッセイにそう書かれていた。常にサッカーのピッチ上の光景から、人間の情感を掬い上げる六川さんらしい視点だと深く感心しながらも、今チームの中に、岡田武史さんの中に生じている“迷い”や“焦り”を感じさせるその描写に、そして練習中リフテイングの一人遊びに興じてしまうという大木武さんの孤独な姿に、やはり日本代表というものの厳しさ、難しさと共に、とてつもない“重さ”をひしひしと感じる。
ここを乗り越えれば必ず良い循環が巡って来ると僕は信じている。
そして岡田武史と大木武の“融合”にこそ、僕は日本サッカーの未来への夢を託したい…と思っている。この困難な時期だからこそ、欠点を論うばかりではなく、長所も掬い上げて正当に評価してゆきたい。そして彼らを信じて、僕は見守ってゆきたい。
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posted by 桐谷 |11:28 |
岡田JAPAN |
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2008年02月29日
言うまでも無く実際のサッカー、ゲームというものは選手が行うものである。
ひとつひとつのプレーや選択、そのいちいちについて監督が関与している訳ではない。例えが正しいかどうかは判らないが、ユースやクラブチームの監督というものが馬の調教師のようなものだとすれば、代表監督のそれは羊飼いのそれに似ていると僕は思っている。限られた時間と関係性の中で、関与できることなど非常に限定された範囲のみである。そのたくさんの羊の群れを一塊に束ねて、意図するひとつの方向へ誘導するぐらいのことだと思っている。そしてそれは、あくまでもその個々の羊の能力があっての出来事である。
そういう意味で、オシムのそれは世界の潮流からいえば少し異質なものであったと思う。彼はその限定された短い時間の中で、羊飼いでもあり、また調教師であろうとしていた。そして実際非常に短い時間の中で、選手個々の能力を開眼させた部分があったと思うし、またこの群れを一塊にし、非常に良い方向へと導きつつあった。
僕は岡田監督の就任に当たって、このオシムが示した、正しき方向性と、その流れだけは失わないでもらいたいと思っていた。それは個性や趣向の問題ではなく、サッカーの普遍の原理を指し示した道であると思っているからである。その上で、彼なりのアレンジや修正を加えてゆけば、この素晴らしい土台に、オシムのように華美ではなくとも、堅固な城郭を築けるものと思っていた。
率直に言えば、オシムのAC時に比べ、そのチーム力が低下してしまったのは事実だろう。またその方向性やベースの部分が、様々な誤解や行き違いのもとに、そのカタチを喪失しつつある危惧も正直感じている…。が、あのアジアカップ当時も、ここで散々『優勝がノルマ』『ベスト4がノルマ』『でなければオシムの所為、オシム解任!』と騒がれたものだが、僕はあの時と同じように、たった20日や30日ばかりの実働期間で、強化段階のその一々の結果や内容で、監督としての能力の是非を断じられるものではないと思っているし、また一国の代表監督の選定というものが、そんなに“軽い”ものであって良い筈は無い…と思っている。例え選者の思惑がどのようなものであったとしても…である。
…正直に言えば、僕はなぜあの時、あと2、3週間ばかりの“時”をJFAは待つことができなかったのだろうか…という不満が未だに消化できずにいる。そしてなぜ、とりあえず“暫定”や“臨時”のカタチで事を進めることができなかったのだろうか…と。
が、オシム危篤のあの状況から、そしてあのJFAの対応から、このような道を選択した以上、今のこの状況は通過儀礼の範疇の出来事であると“理解”しているし、これこそが、ニッポンの自然な、ノーマルな姿であると思っている。そしてここから、少しずつ、一歩一歩、前へ進んで行かなければならないのだと思っている。
既に新しい道を歩き出した日本代表に、現時点でオシムという対案は存在し得ない。またこの状況で、日本人を率いてどんなサッカーができるものか皆目見当がつかない海外のビッグネームに賭けるギャンブルもナンセンスであるし、Jリーグのどこかから問答無用でクラブ監督を収奪するような、信義を欠く振る舞いなど二度と許されるものではない。それができなかった中で、考え得るベストの選択は、やはり岡田武史であったのだと僕は今でも信じている。
名誉ソムリエの栄誉を授かった川淵三郎さんの口はたいそう滑らかなようで、オシム監督時代には決して口に出さなかった選手選考や起用についてのグチや軽口が新聞紙上を賑わせている。代表戦視聴率の低下や観客動員減の面で、ジェフの無名選手を重用し続けたオシムの選手選考に、やはりこれまでだいぶ不満や危機感を募らせていたのだろう…。そうやって、望んだ未来は果たして満足いくものだっただろうか?欲しいものは手にできただろうか?
来月のバーレーン戦には召集されないようだが、きっとこれから中村俊輔も忙しくなるだろう。彼ももう若くは無い。欧州とアジアの、時差もあり気候も異なる過酷な移動で、体調を崩す事なく、セルティックでのシーズンを全うできるよう心から祈っている。そして願わくば岡田武史監督には、もうひとつの敵とも、怯まず、馴れ合わず、戦って欲しい。僕は彼の、そのもうひとつの戦いも、今後注視してゆきたいと思っている。
オシムさんがまもなく退院する予定だという。
きっと家族の反対もありながら、オシムさんは現場への帰還を望んでいることと思う。体調の回復が思わしくなければ、そのままサッカー界から身を引きボスニアへ帰るのかも知れない…が、リハビリの進展具合によっては、すぐに他国の代表チームや或いはACLを狙うようなアジアの強豪からのオファーがくるのかも知れない…。いずれにせよ、彼の望む未来が実現することを心から祈っている。
次回は、岡田ジャパンの中間評価 その2 で戦略・戦術的な部分について少し触れてみたいと思っている。
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posted by 桐谷 |11:28 |
岡田JAPAN |
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2008年02月25日
無骨さの中にも綿密なスカウティングに基づいた計算された戦略がある。決して驚くようなテクニックはないが、ストレングスの利点を活かした1対1、個のキープ力を充分に発揮した守備と攻撃がある。そしていつの時代も変わらぬ枯渇することのない豊富な運動量がある。これぞホ・ジョンムの、そしてこれぞ韓国のサッカーであり、昨年のアジアカップの挫折から見事に立ち直り、彼ら本来の地力が蘇生されつつあることを強く実感させられた。
いつの時代からニッポンの世論は、韓国を“格下”扱いでモノを語るようになったのだろうか…?僕自身は長い間日本代表のサッカーを見てきて、韓国が格下だと思ったことは一度も無い。この韓国に対して、結果ではなくその90分の内容で、キッチリと“強者”に値する日本の優位を見せられたゲームも、この二十数年の歴史の中で2度しか無い。(そのひとつは昨年のACである)
その韓国に引き分けた。
厳しいプレスに少々押されながらも、最後には敵陣に押し込んでほぼ互角の勝負に持ち込めた…。感情ではなく理性でこれを評価するならば、両者の今現在の実力に照らして至って妥当な結果であるし、また内容であったと僕は思う。
そしてオシムであれば勝てていた…とも僕はまったく思わない。
きっともう少し支配はできていたかも知れないが、それがこの試合の結果や内容に直結していたとは限らない。10戦すれば互いにほぼ互角の星を分け合うレベルであることは大きく変わってはいない。前回のACと今回の東アジアを比較するならば、相対的な日本のレベルダウンよりも、むしろ韓国のレベルアップの方がより大きく作用したものと僕自身は考える。
岡田監督も言っていたと思うが、局所局所での競り合いにおける優劣の集積が、最終的には非常に大きな負担となってしまう。またこの試合、韓国の厳しいプレスは日本の要所に的確に効いていたし、同点に追いつかれてしまえば、今度は自陣深くにデンと構えてはじき返し、そこからトップのキープ力でしっかりと腰の入ったカウンターに繋げる地力をも備えている。現状であればこの内容と結果を、僕は日本の善戦である…と認識している。願わくば、この韓国と“さかさま”の立場で戦ってみたかった。もし中国戦における田代の2点目が認められていれば、日本にとってはさらに過酷な試練の一戦になっていただろう。或いは先制したのが日本であったならば、その後のゲーム内容はさらに一方的なものとなっていただろう。そしてその場合の方が、日本の本質的な“弱点”がさらけ出されていたことだろうし、また得るものも大きかったものと思う。まあ、もっともそれで結果引き分けに持ち込めタイトルを得ていたならば、この“厳しい”世論は180度違う方向へ向かっていたのかも知れない。
岡田ジャパンへの評価。
それを一言で言えば、今はオシム喪失後のジェフにとてもよく似ている…と僕は思っている。
選手個々に走る意欲が無い訳ではないのだろう…が、“どう走るか”そして“どう連動”するかのコンセンサスを失ってしまった。そんな中で“無駄走り”であっても、とにかく“走る”という泥臭いメンタリティが、どれだけ大切で得がたい美徳であったのかを、この2つのケースから僕自身改めて強く認識させられた。
それは現代サッカーの潮流からは少し外れる非効率なものなのかもしれない。が、けれども現状の日本であれば、やはり“走る”ことでしかこの袋小路からは脱出できないのではないか…僕はそう思っている。
1トップもボールが収まれば効率よく内も外も自在に使えるだろう…、が、収まらなければこの試合のようにただただ弾き返されるばかりである。常に厳しいプレッシャーに晒されるポジションにおいて、カズも柳沢も充分すぎるほど苦しめられた韓国屈強のストッパー陣が、そう易々と日本の要所を自由にさせてくれる筈などないのだ。それを充分承知した上で、バイタルでいかにしてスペースを創るか、むしろそれを囮に使っての次のビジョン、次の次の仕掛け…そんなコンセンサスと連動、そして無駄走りを活かしてゆく“知恵”と“修練”がやはりまだまだこのチームには足りていないのだと僕は思う。
厳しいプレスでMFが引いてしまい、サポートの無いスペースで田代有三もよく気迫を見せたと思う。彼は日本を代表するターゲットマンであると思うし、非常に粘り強く体を張り“繋ぎ”もこなす。が、韓国の9番、11番は“繋ぐ”ばかりではなく、懐に“収めて”さらに“前を向く”パワーがある。この差は小さいようで非常に大きい。これ一事をとっても、やはり今後も韓国は日本の目の前に立ちふさがる巨大な壁であり続けるのだと僕は思う。そしてこれからも勝ったり負けたりを繰り返しながら、お互いに切磋琢磨してゆく良きライバルであり続けるのだろう。
選手たちは疲れを癒す暇もないだろうが、まずは体調を整えて、これ以上のケガ人なく無事Jリーグ開幕を迎えて欲しい。憂鬱な東アジアがやっと終わった…。鹿島の仕上がりはどうだろう?熾烈な浦和のレギュラー争いはどうなっているだろうか?そしてフッキとジュニーニョ、テセはどう融合してゆくのだろう?最後にもう一度“岡田ジャパン”についての総評をまとめてみたい気持ちも微かにあるが、ここからはJ開幕に向けて、この淀んだ気持ちを切り替えてゆきたい。
この東アジア選手権、いろいろ考えさせられる部分もありながら、最後の最後に中国人主審のフェアなレフェリング、そしてなでしこジャパンの素晴らしい勝利によって救われた思いがした。
佐々木則夫監督率いるこの“なでしこジャパン”、そして永里優季さん、宮間あやさんの成長ぶりには非常に頼もしい将来性を感じた。ぜひこのメンバーでさらに大きな仕事を成し遂げて欲しい。
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posted by 桐谷 |11:08 |
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2008年02月21日
この東アジア選手権に勝つか、負けるか…。
僕はそれが大きな出来事であるとはまったく考えていない。
勝つか負けるか…以前に参加するべきかしないべきか…、或いは必要か不必要か…の本質的な問題からJFAは抜本的に考え直すべきである…とさえ思っている。
けれども例えそんな大会であったとしても、日程を組まれてしまえば選手たちは闘わねばならない。勝つために全力で取り組まねばならない。そして瞬間、瞬間に、各々の選手生命をかけて、敵に、ボールに立ち向かってゆかなければならない…。
この大会の意義とはまったく別次元で、僕はこの試合における彼らに、心からの感動を覚えたし強くこの胸を打たれた。絶対に負けられない試合…というものがもし本当にあるとするならば、まさにこの試合であったと僕は思う。彼らは国の期待を背負い、サッカーの義を背負い、そして自らの誇りを貫くために命がけで戦い、そして勝利した。きっと僕だけではない多くの人たちの…冷めかけていた日本代表への思いにパチンっとスイッチを入れてくれた。この選手たちに心からの礼を言いたい。
前からの厳しいプレスと、ボール奪取からの1-2-3ですばやくフィニッシュに持ち込む鋭角な攻め。そしてそこに活路が見出せない場合の、落ち着いてサイドを丁寧に攻略するゆるやかな展開。田代有三の頑張りもあり、1トップに両翼2人のサイドプレーヤーというフォーメーションが運よく嵌った感もあるが、僕が見る限りここまでの岡田ジャパンにおいて、もっともクオリティの高い内容を示したと思うし、速攻と遅攻のバランス的にもベストな配分であったように感じる。
田代有三のターゲットとしての粘りと献身的なチェイシング、また遠藤保仁の絶妙なポジショニングと間、そして山瀬功治の個で仕掛ける姿勢、ボールを下げない姿勢が前線でうまく調和し、攻撃の多彩さとボリュームを形作っていたように思う。
そして中村憲剛のファーストタッチのアイディアとボディシェイプ、最善のバランスを見つけるカバーリングと機を捕らえた前線への進出…海外組みも含めて、彼こそが今現在日本最高のMFであると改めて認識させられた。きっとこの試合における彼のパス成功率は、鈴木啓太や遠藤保仁に比べても高いものではないだろう…。が、その選択は常に、得点機会の可能性とリスクマネージメントの狭間のベストバランスを追及して放たれる最良の“トライ”だった。通ってよし、通らなくてもまたよし…という的確な判断力と戦術眼。彼の持つサッカーセンスの奥深さに改めて感服させられた。今日の中村憲剛をオシムは見ていただろうか?だとすれば、きっとTVの前でニヤリとほくそ笑んでいた事だろうと思う。体調の優れない中、本当に素晴らしいパフォーマンスであったと思う。
また鈴木啓太の闘う姿勢、チームを鼓舞するその姿に、僕はこのチームの心の拠り所、闘争する魂の源泉…を見た気がした。キャプテンマークを誰が巻こうと、彼こそが常にこのチームの中心に在り、皆を引っ張ってゆく主体であるべきだと改めて感じた。
厳しいスケジュールの中、今年も浦和をCWCへ、そして代表をWCへと導いて欲しい。さらに、できることならばキャプテンマークを巻いて北京五輪のピッチへ立って欲しい…また立たせるべき選手である…と僕は思っている。
そして中国。
彼らがもし現状の力で日本に勝ちたいのならば、北朝鮮のように戦うことである。
そこに自覚が持てないならば、あくまで力でねじ伏せようと試みるならば、1対1で凌駕し得る完全なる“個”の水準を備えるまで、さらにもうしばらくの年月を要することだろう。逆に言えばこの試合における日本は、中国の状況、蒙昧な世論の欲求と、ベンチの無策に助けられた…と言えるかもしれない。冷静に評価すれば、彼らがサッカーにおけるリアリズムを踏まえて闘えば、日本にとってやはり先日の北朝鮮よりも1クラス手強い相手である事は間違いない…と僕は感じた。
彼らを見て僕たちニッポン人も“理性”というものの何たるか…を充分にわきまえねばならないと改めて強く思う。薄っぺらなナショナリズムや独りよがりな感情を理性で制御できぬ人間としての愚かな品性が、傍目からどれほど醜悪で、またサッカーというスポーツにとって、どれほど有害なものかを、これを機に多くのニッポン人も重々承知するべきである。そして未来永劫、決してあのような品性に堕して欲しくないと僕は強く願っている。
そして最後に、これだけは付け加えておきたい。
1月1日まで天皇杯を闘った選手たちがいた。その僅か2週間後には代表の合宿、親善試合に借り出されるカタチで彼らは新シーズンのスタートを切らなければならなかった…。
こんなスケジュールをこのまま咎めなく放置していては絶対にいけない。この日の選手たちが、傷つき、疲弊し、ボロボロになってまでも国の為に、自らの誇りの為に精一杯戦ったように、Jリーグもこの選手たちの側に立ち闘うべきである。各クラブも一丸となって物言うべきである。そして僕たちも、微力ながらそれぞれのやり方で何らかの行動を起こすべき時なのかもしれない。
もし天皇杯の日程を大きく移動する事が困難であったとしても、せめて今生陛下ご存命のうちに12月23日をファイナルに設定する事はできないだろうか?そして最低でも代表選手含めJリーグ全所属選手にそこから1カ月の完全OFF期間を、来期からでも約束することはできないだろうか?そして少なくとも、JFAはWC、五輪予選をのぞくあらゆる代表召集を、1月、そして各クラブのシーズン前合宿中は行うべきではない…と僕自身は考えている。与えられた任務を全力で果たそうと命を削って奮闘している選手たち…そんな彼らに、無理を承知で際限の無い過酷を強いる現状のJFAの在り方を、僕はある意味中国の蛮行よりも危険であり、また卑劣であると思っている。
一番大切なのはお金ではない…。それは視聴率や観客動員でもないし、ましてやスポンサーや広告会社の顔色でもない。まずはじめに、それは信義であるべきである。サッカーそれ自体と、それをプレイし慈しむ者たちへの尊敬である。JFAは一度“原点”へ立ち返るべきである…僕はそう思っている。
もっとも大事なこの時期に、大切な選手たちをこのような大会へ供出させられたチーム、関係者、サポーターの気持ちを思えば本当にやりきれない思いが残る。ある者はここで傷つき、所属チームでの過酷なレギュラー争いに敗れ、その活躍の場を喪失してしまうかも知れないのだ。
傷ついた選手たちの一刻も早い回復を祈っている。
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posted by 桐谷 |11:45 |
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2008年02月18日
攻守の切り替えが速く、シンプルながらも前線での動きの連動が効果的だった北朝鮮に対して、その2つの要素で少し劣勢だった日本。1-1の得点の中身が、個の打開力によって崩されての失点と、相手GKの基礎的な素養に欠ける凡ミスが絡んでの得点だった事を考慮すれば、むしろ幸運な結果であったとさえ言えるのかも知れない。
北朝鮮との試合ではいつも感じることであるが、GKの基礎ができていない。いつもこの部分で彼らは驚くほど多くの、そして余分な失点を喫している。これだけの組織と運動量と当りの強さを持ちながら、その部分でいつも足を引っ張られる彼らの戦いぶりは見ていて非常に気の毒である。GKの養成は、現状では優れた育成ノウハウを持つ外国人スペシャリストに依存するより他無く、彼らの経済状況においては、きっとそれは非常に難しい事なのだろう。
北朝鮮のみに限らず、やはりアジア全体のGKの水準はまだまだ低いと感じる。そしてこの日本もその例にもれない。そんな中、川口能活や楢崎正剛を押しやり、この試合川島永嗣が貴重な経験を得たのは明るい兆しである。やがて西川周作や菅野孝憲らと共に今後10年の日本代表のゴールを守ってゆくだろう彼に、岡田監督だからこそ根気強くチャンスを与え続けていって欲しいと願っている。内田篤人もここへきてやっと“らしさ”が感じられるパフォーマンスを見られるようになってきた。岡田さんのここまでの“我慢”が早くも実りつつある予感を僕は感じている。
前回のタイ戦で苦言を呈したサイドで2対1を形成する…というオシムジャパンから引き継ぐべきオートマティズムも、多少窮屈なフォーメーションから中澤佑二や鈴木啓太の献身により幾度かトライする場面もあった。特に後半からは田代有三や羽生直剛のムーブによって、サイドの深いスペースをうまく使えていた。さらに、トップに楔を入れる際の動きの連動・オートマティズムが整理され、徐々に磨かれてゆくのならば、もっとシンプルにフィニッシュへと結び付けてゆくことができるようになるだろう。後半の攻撃には、今後の戦いに向けてわずかながらも明るい兆し…を感じ取ることができた。
この試合の一番の問題は、前半開始早々の北朝鮮の“前からのプレスに対する対応”にあったように思う。ここでオフェンシブなポジションから後方に顔出しさせてまで、丹念に、ある程度のリスクを背負ってまで“繋ぐ”のか、或いはセーフティーにまずはサイドに蹴り込むのか…その状況判断とコンセンサスにまだまだ曖昧で危険な部分があったように感ずる。
勿論、WC予選の真剣勝負とこのようなゲームとではその判断に異なる部分もあるだろうが、監督がどうのこうの…という問題ではなく、ピッチ上の選手たちが即座に判断、意思統一してそれを実行できるだけの“しなやかな対応力”といったものがそろそろ備わって欲しいと感じている。その為にも、次戦の“手負いの中国”との試合は非常に良いテストケースとなる筈である。きっと純粋にスポーツとしての側面ばかりではなく、そこでは様々な感情や悪意…といったものまでをも彼らは突き付けられることだろう。
そこでの彼らの“闘争心”+“冷静な判断力”、そして戦術的な意味での“しなやかな対応力”といった幾つかの要素を注意深く見守ってみたいと思っている。
敵ながらチョン・テセの素晴らしいパフォーマンスとゴールに拍手を送りたい。もしかしたら来年、彼は日本に居ないのかも知れない。川崎サポーターの皆さんには、チョン・テセと共に闘えるこの一年を精一杯楽しんで欲しいし、またここで初めて彼を見た…という方々には、ぜひ今年一年のチョン・テセ、そして川崎のサッカーを見逃さないで欲しい。
この北朝鮮は、非常に良いチームであることが確認できた。4番パク・ナムチョルと11番ムン・イングクの両サイドアタッカーも、この試合を見る限りJでやれるだけの充分な素養を保持していると見て取れる。もし最終予選に出てくれば侮れない相手となることは間違いなく、この機会にぬかりなく、充分なスカウティングも施しておくべきチームである。
最後に、あの環境の中で冷静に戦い、ラフなプレーで試合を壊すことのなかった両チームの選手たちに心から感謝したい。
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posted by 桐谷 |10:47 |
岡田JAPAN |
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2008年01月31日
FIFAランキング45位のチリに対して0-0。
同じくFIFAランキング51位のボスニア・ヘルツェゴビナに対して3-0。
スコアだけ見れば今回は『良くやった』という事になるのかも知れないが、それぞれの試合の内容を相対的に推し量れば、日本にとってはチリ戦の方がはるかに内容のある試合であったと思うし、テストマッチとして意義あるものであったように思う。
著しくコンディションやモチベーションの劣る相手に対して、プレッシャーの無い中でどのようなゲーム支配ができ、どれだけのゴールシーンを演出しようとも、僕はさほど意味あるものとは思わない。ましてやこのやる気の無い相手に、敵失がらみ以外のゴールを奪えなかった…。世の中の評価がどのようなものかは知らないが、相対的にこの2試合を見れば、厳しいプレスに煽られ続けたチリ戦での破綻の無いパフォーマンスの方がより上位であったように思う。
ただし、些か局所に固執しすぎたチリ戦でのボール運びに比べれば、空いたサイドにスムーズにスイッチする展開、前を切られてアウトサイドからボールを追い越して行く流れ、そういう状況に応じた“適切”なボール運びが、蘇生してきた部分もあり、おそらくは“誤解”の中に生じた選手たちの融通の効かない解釈が是正される兆しが見られたことは、タイ戦に向けての一つのポジティブな要素であったと思う。
この一事に“囚われ”やすい日本人選手たちのナイーブな習性は、サッカーにおいては大きな弱点となりかねないものである。いかに個々の自立心を育み、判断力・対応力を磨いてゆくか…。それも強化における重要な要素の一つであると考える。
僕はオシムの時代から、中盤の前にはパッサーではなくゴールへ向かう選手、山瀬功治や大久保嘉人のようなタイプのアタッカーを望んでいたが、アジア予選を戦うに際しては、今回の岡田さんのこのトライが良い結果に結びつくのではないだろうか…と期待している。1ボランチか2ボランチか…の議論もきっと各所でなされているのだろうが、その議論も“囚われ”の中の一つの現象であって、状況に応じてダイヤモンドにもボックスにもフラットにも柔軟に対応し得るのが僕は成熟したシステムの在り方であると考える。そういう意味でも、この試合における中村憲剛の攻守両面での貢献とその存在感は非常に輝いていたように思う。また中澤佑二と阿部勇樹の中央での守備は、見ていて非常に安定感もあり、このDFラインの位置でアジアと対峙するのであれば、失点に関してはオシム時代より明らかに減ることだろう…と考えている。
問題は攻撃…である。アタッキングサードでのある程度“落ち着きある”展開、ラストパスの精度と、フィニッシュへのシンプルな仕掛け。それをどう整理し鍛錬してゆくか…が、当面の課題であるように思う。
杖を突きながらもスタジアムまで足を運び、自らの健在をアピールしたオシム。僕はそこに、
『まだできる』
『もう一度やりたいんだ』
という彼の強い意志が込められていたように感じている。
時計の針を逆回りさせることは不可能だが、僕は“ニッポン人を率いて世界と闘う”彼のサッカーを、もう一度違ったカタチででも見ることはできないだろうか…と願い始めている。
アジアチャンピオンズリーグを、そしてクラブワールドカップを、ニッポン人を率いて闘うオシムのサッカー…。浦和でそれを成すことができるならば、もしかしたらマンUやアーセナルを、レアルやバルセロナを、インテルやローマを驚かせることができるのではないだろうか…?僕は飽くこと無く、未だそんなことを夢想している。
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posted by 桐谷 |11:41 |
岡田JAPAN |
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2008年01月28日
狭い局面からのショートパスによる打開、それに前へのスピードを加える…というトライは非常に難易度が高いものの、尊い試みであると考える。
そしてそれには、必定“もうひとつの道”も同時に踏まえねばならないものと思っている。逆サイド、オープンサイドヘのスイッチ…である。
このチリ戦に関して言えば、彼らのマンマーク対応により手が合わない…という不運もあったが、その“もうひとつの道”への意識が全体に欠落していたように思う。が、このトライはオシムと彼の選んだ選手達がここまで築き上げてきたベースと、決して相反するものではない。むしろそのベースの上に頂くものとしては、至って論理的な試みであると考える。
WC本選で当たるような“本気”の欧州や南米の強豪に対して、これまで構築してきたポゼッション志向の遅攻スタイルではまず攻めにならないだろうし、持たせてもらえないだろう…とずっと思ってきた。
オシムが監督を続けた場合であっても、ある時点で“速さ”への、“スピードある攻撃”へのシフトに、踏み切らねばならぬタイミングは必ずあったものと僕は思っている。
が、同時にその“速さ”へのシフトのタイミングが“今この状況”でなければならない…とは、僕はまったく考えていない。
今はこのチームに沁み込んだホゼッションからのサイドアタックをベースに、いかにシンプルにフィニッシュに結びつけるか…を鍛錬する時期であり、また目前に迫ったWCアジア予選を踏まえれば、AC同様幾度となく出くわすであろう“勝ちきれない”“点を取りきれない”状況…に、その現実を知る岡田さんだからこそ、躊躇わず、恐れず、“残り5分のリアリズム”に指導者として正面から取り組むべきタイミングであると考えていた。
ベースとなるスタイル、立ち返るべき場所、それは必ず必要であるし、今在るもの、オシムとの1年で築き上げてきたきたそれは、とても理にかなった、今後10年通用するニッポンのベースであると思う。
が、相手も、そのタスクも、得点経過も、環境も異なるゲームの無限のシチュエーションの中で、それ一辺倒で事足りることはあり得ない。
オシム時代の日本のスタイルに非常によく似ていたこの日のチリのスタイルが、現実の試合経過の中で、そのポジショニングや戦術を2ひねり、3ひねりして変化させてきたように、日本のそれも状況に応じた幅と柔軟性、そして自立的な対応力を持ち得ねばならない。
ベタ引きで守らねばならぬシチュエーションも、バックラインからひたすらゴール前に放り込まねばならないシチュエーションもある。攻める意識を捨ててボールキープに、時計をすすめる事に全力で取り組まねばならぬシチュエーションもあれば、逆に危険なボールキープを捨てて安全な位置で相手にボールを預けなければならないシチュエーションすらある。
グー一辺倒の戦術…などといったものは成立せず、チョキもあり、パーもある。その状況に対する適正な対応の策やプランを持ち得て、はじめてそこに戦術や戦略と呼べる駆け引きが生まれ、サッカーのおもしろさが生じるのだと、僕は思っている。
このチリ戦の結果や内容については、僕はまったく悲観すべきものとは思ってはいない。なるほどFIFAランキングを見れば、日本の34位に対してチリは45位でしかないし、到底このメンバーがWC予選・本選を戦う主力メンバーでないだろう事も明らかだろう。が、現実のゲームに目を向ければ、日本の個々の選手は1対1で勝っていただろうか?キープ力や技術で勝っていただろうか?ストレングスやスタミナはどうだっただろうか?そして組織力は?コンディションは?
そのディテールを見れば、ほとんどの要素で日本はチリに劣っていた。その上で、この結果やゲーム内容について不平や不満を言ってみても何も始まらない。それら全てが、岡田武史さんや大木武さんの所為であると思い込めれば話は非常にラクなのだが、それを誰かの所為にしていては、ほんとうのサッカーには永遠に辿り着けないもの…と僕自身は思っている。
福士加代子さんのゴールを見ただろうか?
30kmを過ぎてからの、その戦い…を見ただろうか?
35kmを過ぎてからの、あの戦い…に、4度もの転倒に、血の滲んだ膝小僧に、その命を削った19位でのゴールに、一体どんな“実利”があったのだろうか?
そしてこれほどまでに心を打たれるのは、一体なぜなのだろうか?
スポーツには、勝敗を越えた感動…というものが確かにある筈である。それはもしかしたら、日本のサッカー界に、サッカーを取り巻く“気配”の中に、少しずつ失われつつあるものなのかも知れない。僕はもう一度、自分の内にそれを見出したいと思っている。きっとそれは互いが外に求め合うものではない。観客が選手に、選手が観客に、ただ一方的に要求し合うものではなく、それぞれがそれぞれに“持ち合う”“育みあう”べきものなのだと思う。戦う選手の、それを支える協会やクラブの、そしてそれを見守ってゆくサッカーに集う僕達すべての、内なる熱い思いが共鳴した時に、はじめてあんな感動に、僕たちは再び辿り着けるのかも知れない。
たとえ勝てなくても、敗れ去ったとしても、僕はもう一度日本代表のサッカーに、自分の内なる純粋な感動を呼び起こされたい…と願っている。そしてその為に、もう一度僕自身が、サッカーに熱く、今よりもさらに熱く、触れてゆかなければならないのだと思っている。
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posted by 桐谷 |10:56 |
岡田JAPAN |
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