2010年07月09日

岡田ジャパンの総括 【キリタニ】

巷ではこのサッカーを“堅守速攻”と云うらしいが、僕に云わせれば確かに“堅守”ではあったが、残念ながら“速攻”ではなかった。しかし、現状の日本がただひたすら“結果”を求めにゆくのであれば、この戦い方以外になかった。

惜しむらくは、せめて“速攻”のカタチを設え、その為の適切な人選をした上で、大会へ臨んで欲しかった。が、あのドタバタの状況であれ、最後の最後にこの方向に踏み切ったのは、正しい判断であったと思う。


「1+1を3にも4にもする」

この2年半の間、岡田武史監督が幾度となく語った言葉である。しかし残念ながら、現実のサッカーがそのようなトライであったとは僕は思わない。

「2010×岡田武史が1998になった」

内容的に見れば、2年半の歳月を費やして、1998年のニッポン……12年前のニッポンに立ち返っただけなのではないか……と僕は思う。

結果が大きく異なったのは、対戦相手の質と状況、あらゆる展開において、大きな幸運に恵まれたことと、コンディショニングが非常にうまくいったこと。そして、選手たちがその幸運と好機をモノにし得る“質と経験と強い気持ち”を備えていた……と云うことがあげられるのだろう。

要するに、僅かながらでも日本の選手達は、あれから12年を経て成長した。しかし、一方でそれ以外の何かが進歩してきたのかどうかは疑わしい。岡田武史監督も、協会も、日本のサッカーの質も、メディアも、そしてそれを見守るファンやサポーターたちも。

日本のGL突破確率は20%~30%

今回この20%~30%の確率を引き当てた当事者は確かに岡田武史監督なのだろう。が、以前からしつこく云ってきた様に、僕はこの確率を、日本が本来持っている潜在的可能性の下限値に近いもので、岡田武史監督がこの2年半の歩みの中で掘り起こしてくれたものだとは思わない。

大会前の大転換で、彼は確かにこの妥当な確率の範囲内にチームを導いてくれはした。が、やはり僕は結果オーライで岡田武史監督の2年半を肯定する気にはなれないし、これを選択してきた川淵三郎名誉会長や小野剛元技術委員長、そして犬飼基昭会長の決断を賞賛する気には到底なれない。

「1次リーグを突破した場合は、日本協会として岡田監督に続投要請する考えがある」

との原博実技術委員長の岡田監督続投要請に至っては、開いた口がふさがらなかった。技術委員長としての彼のサッカーに対する哲学や理念といったものは、その程度のものなのだろうか。であれば、このポストの存在意義とは、いったい何なのだろう?


突破確率と共に、僕は今大会32カ国中、日本は28番目か29番目の国なのではないか……ということもここでさんざん語ってきた。

そして今ベスト16という結果を受けても、驚いたことにその思いにほとんど変化はない。逆に、結果GL敗退したとはいえ、ニュージーランドや北朝鮮、アルジェリアなどの思いも懸けぬ健闘を、それぞれ180分ずつ見てしまった後では、本当にかの国々よりも日本は強かった……と云えるのだろうか?質の高いサッカーをしてきたのだろうか?と首をひねるばかりである。

もし日本が彼らのグループに組み込まれていたとしたならば、彼らの示した以上の“内容”を、ピッチ上表現することはできただろうか……と。

自国開催以外のWCにおいて、GLを突破したこと。

これは確かに快挙であろうとは思う。しかしそれによって、『結果がすべて』の大号令に倣い、この4年間の歩みを肯定的に捉えてしまおうとする安直な思想がまかり通るとするならば、それは驕った権力者たちの増長を招き、むしろ退歩に繋がる禍根とも成り得るだろう。

僕は今回のWCのテーマを、事前に『真実のスタートライン』に辿り着くこと……であると述べた。実を云えば2002年から、ずっとそう思い続けてきた。しかし、その『真実のスタートライン』に辿り着くには、あまりに難解な地図、道標を、サッカーの神様に提示されてしまった気もするのだ。

この『GL突破』と云うひとつの結果により、愚かなJFA執行部は信認を受け、強化に繋がらぬ無意味な興行は、当面盛況の下に自省なく繰り返されることになるだろう。そして4年後の本田圭佑は、もしかしたら今回の中村俊輔のように、疲弊し消耗して、理不尽な悲哀を味わう羽目になるのかも知れない。その中で、秋春制などのJFAの利権に根ざした改革が、Jリーグの発展と事情を省みずに強行されることも考えられるだろう。

必然的にJFAとJリーグのパワーバランスは、改善するどころか、むしろ悪い方へ傾いたと云えるのかも知れない。勿論、選手達の功績を讃えることとは別次元の話ではあるが、本質を踏み外した解釈が為されるならば、この勝利は無駄な回り道、或いは退歩に繋がる可能性をも充分に秘めたものでもあることを、いま僕たちは自覚しなければならないのではないだろうか。


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2010年06月07日

コートジボワール戦とぼくたちの失敗【キリタニ】

あらゆる意味で、悲惨だった。

唯一の救いといえば、その“内容”ほどには悲惨な“結果”とならなかったことのみである。

もしドログバに痛ましい負傷が無く、コートジボワールが90分間フルに、全力で戦えていたとしたならば、本大会を直前に控えて、0-3や0-4程度ではすまない大敗を喫していたことだろう。

このコートジボワールの前半20分は、優勝候補に数えられる他国のテストマッチと見比べても、何ら遜色無い出来栄えであった。いや、むしろ現状では、最強チームの1つに数えられるのではないか……と思われるほどの迫力が感じられた。

だからこそまた、ドログバの骨折が本当に残念でならない。不幸な事故……といってしまえばその通りなのだろうが、流れからいっても、状況からいっても、あそこで足を振り上げる選択をせざるを得なかった闘莉王のプレー判断は、軽率の謗りを免れないのではないかと思う。ドログバ、そして今野泰幸の復帰を祈る。

残念ながら、ガチンコのコートジボワールであれば、ニッポンの誰が試合に出ようが、誰が監督だろうが、到底戦いになどならないだろう。どーしようもない……打つ手が無い……という力の差、なのだと思う。半月後、本気のオランダと戦えば、きっと同じようなことになることだろう。

身も蓋もない話をしてしまえば、このコートジボワールやオランダ相手ならば、得点することよりも、失点しないことを考え、ゲームプランを練り上げるべきであるし、共通認識を徹底させるべきである。現状では、事故かセットプレー以外に得点の可能性はほとんどない。

個で、コンビネーションで、ボールを繋いで、崩してゴール……。狙う事は可能だ。が、その1度のチャンスを創出する為に、3~5度の致命的な決定機を敵に与えることになるだろう。それが現実であり、力の差である。

であれば、むしろ守備ブロックをさらに5M引いて、より数的優位なところでボールを奪い、その奪ったボールを大切にしながら、90分間やり過ごして勝ち点1を得る、という覚悟が現実的であろうと思う。不幸にも開始15分で失点した……。それでもやはりその0-1の状況をキープしながら、勝ち点1への僅かな可能性を追う……。技術や力量の明らかに劣勢な中で、もし対抗し得る術があるのだとすれば、それは粘り強いメンタル面をも含めた知性しかない、と僕は思っている。そういう部分で敵を上回るしか現状では術がない。そしてこれは、僕たち自身にも同時に問われているものなのだと思う。

今更フォーメーションを変え、戦い方を変え、23名の選抜選手は頑として換えない中で、スタメン起用を変え、ポジションを換え……。相手と日本の実力差を正しく認識せぬままにここまできて、最後の最後にこのような“混沌”を産み出してしまった、岡田武史監督の責任は当然重いと思う。

「こういう相手に戦えない選手……」

と彼は云う。が、その選手とは、これまで岡田武史監督自身が、頑迷に拘り、偏執的に先発起用し続けてきた選手たちではないか。いま僕の目には、紛れもなくそう映っている。

しかし同時に、これを岡田武史監督の所為にばかりしていても、やはり無意味である。

そんな監督を選んだのはJFAの前会長であり、またその同じ人が、何事もなかったかのように、W杯後には、次の会長を選ぶつもりでいる。

そしてそんな彼らの好き勝手に、間接的に手を貸しているのは、ファンである僕たち自身である。僕たちが代表興行に消費する金こそが、彼らの権力の源泉なのだ。

さらにもうひとつぼくたちの失敗を付け加えておきたい。それはニッポンのサッカーファンそのものが、ニッポンの実力を、そしてサッカーの現実を、見誤ってきた……ということである。

ヤル気のない格上相手との、ほとんど本質的な価値の無い、親善試合での勝利を真に受けて……或いは多くの幸運によって為し遂げたアジアカップ連覇を……当たり前であるかの如くに思い上がって、ここまで攻撃的なサッカーを、テストマッチでの必勝を、常に良い内容の勝利を、求め続けてきたのではなかっただろうか?やがてこの現実に行き着く展望も思慮も無いままに……である。

「こういう相手に戦える選手、戦えない選手がある程度はっきりした」

僕はこの言葉を“今”ではなく“1年前”に聞きたかった。

1年前にこの状況を予見できなかった岡田武史監督の現実に対する不理解。己の金策にばかりかまけて、そんな現実にブチ当る状況を充分に設定してこなかった協会。そして、こんな生ぬるい環境をこれまでただぼんやりと眺めながら、いざ韓国に負けた途端に、にわかに悲憤慷慨し、ギャーギャーと喚き立てるファンやサポーター。三者三様、それぞれにその“責任”はあるのだと僕は思う。

もう二度と、絶対に二度と、同じ過ちを繰り返して欲しくない。日本のサッカー界と、すべてのサッカーファンに、今ここでこの惨状を、しっかりと胸に刻んで欲しいと心から願っている。大切なのは、その場その場での、勝った負けたではない……と、僕は思うのだ。

正しく前へ進んでいるのか?進歩しているのか?成長しているのか?

ほんとうに大切なのは、それを抜かりなく見落とさぬための審美の目であり、適切な批判であり、それを訴える、訴え続ける、情熱と勇気である。

すべてのサッカーファンが、その同じ認識でひとつになった時には、間違いなくこの国のサッカーは変わるだろう。一変するだろう……と、僕は思っている。今大会が、そのためのひとつの大きなキッカケとなってくれることを心から願っている。いや、必ずそうしなければならないのだ。


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2010年06月02日

残り20分の課題とニッポンの勝機 【キリタニ】

イングランド2-1日本

このゲームの日本のボール支配率は37%だったそうだ。印象からも妥当な数字である。やはりここからの相手は、これまでの相手とは違う。このような厳しいゲームの中から、日本はなんとかして勝ち点に繋がる可能性を手繰り寄せてゆかなければならない。

この37%という数値は、日本が開始6分で先制したことにも微妙に影響された数値であると考えるが、本大会で対戦する3つの対戦国とのボール支配率を予想すれば、

カメルーン 45~55%
オランダ  35~45%
デンマーク 45~55%

のようなところではないかと僕は想像する。残り20分の凌ぎ方……を考えた場合、この支配率の数値の上限か、それ以上を狙っていくことが、云うまでも無く定石となる。


皆さん忘れられているのかも知れないし、もしかしたら気付かれていないのかも知れないが、本大会での3つの試合において、日本には圧倒的に有利なことが1つだけある。

それは、日本に対して勝ち点1で良し……とする対戦相手などひとつもない、ということだ。これはどういうことかといえば、カメルーンはすでに1点ビハインドの状況でキックオフを迎えるに等しい、ということである。オランダ、そして最終戦のデンマークさえも、2連勝してくるのでない限り、きっとそうなるだろう。

要するに、ゲームの構造上、時間を進めれば進めるほど、敵は勝手に焦れてくれる。焦れて焦れて、自ずから前のめりに、バランスを崩してでも、リスクを犯して攻めにくるのだ。

僕が日本の監督ならば、間違いなくそのバランスを崩した時間帯のカメルーン、オランダ、デンマークと勝負する。その為には、この残り20分の勝負処を、『敵』ではなく『味方』にしなければならない。そして、だからこそこの最初の70分間は、どんなことをしてでも、無失点で守り通さねばならないのだ。でなければ、雌雄を決するその最後の20分を『味方』にすることはできない。

では、その最後の20分の為に、それまでの70分をどうやり過ごすのか?

一番大切な事は、『場』を正しく見極めること……である。誤解や曲解を覚悟で云えば、『場』が悪いと見なせば、得点への期待や可能性を捨てて、ゆっくりとボールを回し時間を浪費することである。敵とボールをできる限り、“小さく”ではなく“大きく”、前後左右に動かしながら……。

前の形勢が悪ければ、何もその悪い状況にボールを晒すことはない。ゴールキーパーを経由してでも、ゆっくりとサイドに展開して、自陣から敵陣へとまずは敵を追い払えばよい。カウンターのチャンスが無いと踏めば、何も無理をして中盤の選手たちを前へ前へと無駄に走らせることはないのだ。適正なポジショニングで、プレッシャーのないところ、薄いところにボールを動かしながら、結果的に相手の体力と時間を浪費させれば、オランダ以外に五分以上の支配率を確保するのは充分に可能である。そうすることによって、先に走り負けるリスクを軽減し、残り20分へのエネルギーを蓄積するのだ。

逆に敵が、ハーフラインよりかなり前からプレスしてくるような状況であれば、蹴る、繋ぐの判断を見誤らない限り、先にツブれるのはおそらく相手方だろう。あと2週間で、幾らかでも改善すべきは、その『蹴る』『繋ぐ』の判断であり、『賭ける』『降りる』の共通認識である。僕ならばそこに、指導の全てを注ぎ込む。

そして攻撃の終わりは常にシュートで終わることを徹底して欲しい。その為にも4-1-4-1のアンカーとCMF2人は、ミドル・ロングシュートの意識を最大限に高めて、ゲームに臨んで欲しい。一番やってはいけないこと。それは、アタッキングサードでの手詰まりから横パスをカットされて、MF以下の6人~7人が、全速力で帰陣を余儀なくされる……と云う、このチームに特徴的なボーンヘッドである。

そんな展開が続けば、どれだけ支配率で優位に立とうと、先に失点し、尚且つ走り疲れてしまうのはこちらの方である。重心が前にかかった時こそ、可能性はなくとも、シュートで終わる。それが、正しいリスクマネージメントの第一歩である。

そしてさらに采配について一言だけ希望を云えば、本番、4-1-4-1のフォーメーションで戦う場合、プレスの肝はアンカーと2人のCMFの運動量、特にアンカーの前でボールを追う2人のCMFの運動量である。ここが機能しなくなれば、敵のアタックは中央の太い幹を通って、自由自在にこちらの急所を突き、切り裂いてくる。

本来ならばここに小笠原満男や明神智和、そして細貝萌などが召集されているべきであったが、今在る選手それぞれの運動量とスタミナをしっかり見定めた上で、現有戦力の中から適切なタイミングで適切なカードを切って欲しい。

ベスト4云々の前に、このGLを勝ち抜くためには、攻める気持ち以上に、耐える覚悟と、勝負どころを見逃さない判断力こそが求められるのだ。そして誰よりもそれを必要とされているのは、監督、岡田武史である。

GL突破というのは、監督が誰であれ、選手が誰であれ、たいへんな困難を伴うタスクである。例え願いが叶わぬからと云って、その結果により、誰かが誰かを叩いたり貶したりできるような、容易い要求ではない、と僕自身は理解している。

日本がもしこのGLを勝ち抜くとすれば、それは残り20分を『敵』とした時ではなく、『味方』とできた時である。当然、机上の計算通りにはゆかないだろう。おそらく、それどころではない現実……が待ち受けているはずだ。岡田武史監督には、一旦、己の意地や妄想や、その誇り高き理想を捨て、ピッチ上の現実から、自らのなすべき仕事を冷静に考えて欲しい。

カメルーン戦、勝ち点1を拾えれば充分にチャンスはある。

そしてそのカメルーンのスロバキアとの試合を見る限り、その可能性は充分にあるのだ。残念ながら、23名の選手はすでに確定された。動かせぬ“事情”があると云うことなのだろう。であれば、後は今在る選手達で精一杯頑張ってもらうしかない。次戦コートジボワールとの試合、岡田武史監督のその決断と采配に注目したい。


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2010年05月31日

【親善試合】 vsイングランド 戦評 【キリタニ】

一度自陣に引き、守備ブロックを構築してから、ハーフライン手前でしっかりと連動してボールを追い込んでゆく。サイドバックとサイドハーフが、互いにつかず離れずの距離を保ち連携を取る。

『考えて走るサッカー』から、いつの間にか『考えなしに走らされるサッカー』へと変転して、いま日本代表はベーシックであり、尚且つシンプルモダンとも言い換えられる、現代サッカーの原点に回帰しつつある。この1年、迷走に迷走を重ねたが、本戦を間近に控えた土壇場でのこのイングランド戦が、もし本当にそのキッカケとなったのだとすれば、これはひとつの幸運であると云えるのかも知れない。

後はこの試合を、岡田武史監督がどう評価しているのか……。試合後のインタビューを見る限り、その点についてだけは、正直僕は不安である。

『テストマッチで守り切ってもしょうがないので、点を取りにいこうということだったが、相手の圧力で出られなかった』※以上スポーツナビ

例えテストマッチであったとしても、イングランド相手に最後まで守りきれたとしたならば、僕はまったく素晴らしい成果であったと思う。例え相手がトップフォームではなくとも、ここでの勝ち点1の為のシミュレーションには大きな意味がある。

監督ご自身は点をとりにいけなかったことがさぞ御不満のようだが、ゲームに対する僕の不満はそこではない。

このスタイルに対して、監督自身が適材適所の23名のタレントを招集しなかったことである。そしてまた、効果的な交代策で、足の止まった破綻寸前のディフェンスに、うまく手当てをしてやれなかったこと……この2点である。いずれも監督自身の問題である。選手たちはよく頑張っていた。後半の30分間、イングランドの本気を引き出したこの選手たちの頑張りには、僕は大きな価値があったと思っている。

例え一対一でこれほど差のある相手でも、しっかりとした守備ブロックを形成して、それぞれの持ち場で、気迫を込めてボールを追えているうちは、そうカンタンに破られるものではない。

勿論、0失点に抑えるためには、ニッポンのベストを尽くした上で、さらに幾つかの運さえ必要となる。しかし日本が自らの力量を自覚し、真摯に結果を求め、ベストを尽くして立ち向かえるのだとすれば、このような相手であっても10に1度は勝つこともできるし、10に2~3度は引き分けることだって可能だ。サッカーと云うゲームを、僕はそう云うものだと理解している。

そしてだからこそ問われるのは、本当にベストを尽くしたのか?……と云うことである。僕が絶えずこの国のサッカーに求めているのは、ただそれだけなのだ。

この日本の23名の中で、今現在辛うじてこのセカイと、なんとか見劣りせずに戦えているのは長友佑都だけだろうと僕は思う。日本は32カ国中の29番目か30番目の国。それを踏まえて今何を為し得るのか?今何がベストなのか?オシムと別れた後は、現実に立ち返って、真摯に今出来ることと向き合うべきだったのだと、今更ながらやはり僕は痛感するのだ。

ゲームそれ自体に目を向ければ、

後半27分、中央から右に流れたジョー・コールのプレーは、本戦でも必ず狙ってくるチームがあるはず。闘莉王のオウンゴール自体は責められないが、やはり中央のスペースをどう埋めてゆくかが問われるシーンである。チームとしてそこの手当ては事前にしっかりと演習しておくべきだ。

そしてこの試合もまた、速攻と遅攻の使い分けや判断が誤っているシーンが多々あった。縦に速く出すべきシチュエーションで、遠藤保仁の角度の無い横パスが、そのスペースと時間を食いつぶしてしまうシーン。或いは縦に行っても可能性のない、後ろで回すべきシチュエーションで、闘莉王が闇雲に蹴り上げてみすみす敵に攻撃機会を贈呈してしまうシーン。この二人で、幾度かの決定機に繋がるチャンスを逸し、幾つかのやらなくても良いチャンスや決定機を与えていたように思う。

ひとつひとつは小さなミスかも知れないが、このひとつひとつを埋めてゆく作業こそが成長であり進化なのだ。そしてそれを指摘してゆくのが、サッカーの指導なのだと思う。ここが改善されれば、ゲームがもっと楽しく、そして楽になるはずだ。

更に細かいことをひとつ。
前半30分。多分グレンジョンソンだったと思うが、スパイクの交換の為に1分ほどピッチを出ていたシーンがあった筈だ。イングランドにとってみれば0-1で格下日本に負けている状況。じりじりとした焦りを感じ始める時間帯でもある。

しかし、彼らはこの1人少ない局面で、セーフティーにDFラインでボールを回し、グレンジョンソンの帰還を待った。しかもゲーム中瞬時に、その意思疎通と共通認識が成立していた。おそらく、現状日本の選手達にはできない判断であり、対応なのではないだろうか。この辺の冷静でスマートな状況判断・リスクマネージメントは、日本のサッカーに欠けている部分。ぜひこのような強者との対戦によって、これらひとつひとつを分析し、また会得していって欲しい。


最後に岡田武史監督への要望である。思いが届くことはないだろうが、非情を承知であえて書き記しておきたい。怪我や不調で本調子ではない選手を、今ここで切り捨てて欲しい。

明日6月1日の登録期限までに、少なくとも香川真司と石川直宏を、この23名の中に加えて欲しい。このサッカーをするならば、やはり彼らのチカラこそ必要になる。本田圭佑を中央に配置して、この国で最高のドリブラーをSHの位置に配するのが、このシステムにとって一番論理的であり、尚且つ正当な選択ではないだろうか。

そしてさらに、残りの2週間、それぞれのポジションでしっかりと公平な競争させ、しっかりと公平な決断を下して欲しい。戦い方は11人の選手みずからで選べる。が、11人の選手起用は監督にしかできないのだ。

このイングランド戦を見て僕は思った。
僕が見たいのは岡田ジャパンではない。ほんとうの日本代表が見たいのだ。別に強くなくてもいいし、美しくなくても構わない。勝つか負けるか……なんてことさえ、ここまできたらどうだっていい。ただ、あたりまえの日本代表が見たいのだ。

僕にとってこの試合は、ここ1年で一番熱くなれた試合だった。

選手達と気持ちを同じくして、一緒に燃えられた試合だった。ここからは妙な意地や固定観念に拘らずに、今現在、良いパフォーマンスを見せてくれている選手、ピッチ上激しい気迫を見せ、可能性を感じさせてくれている選手たちを、スタメンから起用して欲しい。

苦しい時、前線でロングボールを収められているのは、岡崎慎司ではなく本田圭佑であり、また一瞬のスピードと一対一での間合いに、より得点の匂いを感じさせてくれたのも岡崎慎司ではなく森本貴幸である。そしてロングカウンターの時、誰よりも機を逃さず前線に鋭い正確なボールを送れるのは、現状では遠藤保仁よりも中村憲剛ではないか。そしてこの押し込まれたイングランド戦の後半のような状況でこそ活きるのが、矢野貴章ではなかっただろうか。

この戦い方で、適材適所のコンディションの良い選手さえ揃え配置するならば、本大会においてもGL突破に向けて20%~30%の充分な可能性が引き出せるのではないのか?イングランドとのゲームを見ながら、改めて僕はそれを確信した。


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2010年05月28日

岡田JAPANへの最期の希望 【キリタニ】

一対一で勝てない。
中盤でボールが回らない。
前線にボールが収まらない。
よって、ディフェンシブな選手が自身の持ち場から離れられない。オーバーラップすることができない。押上ができない。攻めることができない。

相対的強者との戦いとは、云うまでも無く、当たり前のように、そう云うものなのだと僕は思う。どんな戦い方をするのか……それを選べるものこそが強者である。

アジアでできてきたことが、セカイではできない。妙な虚栄心に浮わつくことなく、その当たり前の常識を踏まえていたならば、やはり僕はW杯最終予選通過後、ただちに戦術のモデルチェンジと、選手の更新(世代交代含む)に、取り組むべきだったのだと思う。

自ずからフライングして、23名の選手を決定した後に、戦い方を考える、ゲームプランを考える、主力選手の交替を考える……この1年は、いったい何のための1年だったのか?

今疲弊して、故障を抱え、不要論が囁かれるまでにコンディションを落としてしまった主力選手たち。その原因はどこにあったのだろうか?度重なる、情け容赦ない、強欲な、JFAの代表興行と、バカバカしい自らの意地や面子の為に引きずりまわした成れの果てこそが、今の彼らの、この痛々しい姿なのではないのか?

現在の状況は、ある意味では北京五輪の反町ジャパンに似ていると思う。

ただし、反町康治監督は、最終的にはキチンとその状況を見据えた上で、批判を受けながらも、自らのゲームプランに基づいたメンバーを選考し、チームとしての型を整えて、本大会へ臨んだ。そういう意味では、1998のフランスW杯も、充分に最善を尽くして臨んだ大会であったと、3戦全敗の結果にも関わらず、僕は高く評価している。あの時確かに岡田武史監督は、日本の現実と向き合い、常識的な選択をし、日本に、そして己に、できることをやり切ったのではないか……と。

しかし今回の南アフリカへのアプローチに関しては、僕はまったく評価することはできない。指揮官が、現実を把握すること、きっとそれすらもできずに、ここからさらにチームとしてのスタイルを、チームとしての拠り所を、そして選手間の信頼を、和を、おそらくはなし崩し的に熔解させてゆくのではないだろうかと、今僕は危惧している。

そしてだからこそまた、選手達の自立に最後の望みを託している。

明後日のイングランド戦。どんなフォーメーション、どんな面子になるのかは判らないが、しっかりとした守備ブロックを作って、90分間それぞれの持ち場で、身体を張って、必死に守り抜き耐え抜く、気迫と根性を見せて欲しい。死に物狂いでゴールマウスを死守する……格好悪くとも、見栄えは悪くとも、或いは誰かに“後退”と罵られ、詰られようとも、その姿は、僕たちが失いかけている“何か”を、再び呼び起こしてくれるのかも知れない。サッカーとは“何か”と云うことを、再び僕らに問いかけてくれるのかも知れない。


~一言コラム~

今回のJリーグ勢のACLベスト16での敗退。ただ単に惜しいゲームを逃した……。運が無かった……。というのであれば、さほど大きな問題ではない。しかし、その1つ1つのゲーム内容を見れば、それぞれ点差は異なるが“力負け”だった。少なくとも僕の目にはそう映った。そこに危機感を感じるのである。日程や規定の問題。やろうと思えば短期で対処し得る部分もある。が、僕自身は構造的な問題を変革しない限り、ACLで常勝を目指すリーグになることは難しいと思っている。例によって自分なりの“腹案”を、近いうちにアップしたい。(2010.05.20)

日本サッカー協会は20日理事会を開き、7月に改選を迎える犬飼基昭会長(67)ら次期役員の選出方法を決めた。改選方法は前回とほぼ同様。理事の無記名投票で次期理事の候補者をリストアップし、【【川淵三郎名誉会長を委員長とする次期役員候補推薦委員会】】が会長ら役員の案を作成する。委員会は7月上旬と中旬に予定され、新理事による理事会の互選で会長らを最終決定する。[ 共同通信 ]★★まったくの予想通り。ここがテコでも動かない限り、日本のサッカー界が大きく生まれ変わる事はない。それぞれに出来ることを……しっかり考えてゆきましょう。(2010.05.21)

チャンピオンズ・リーグ決勝、インテル2-0バイエルン。
勝つべくして勝ったインテルの、おそらく歴史に残るだろう勝利だった。特に準決勝、バルセロナとの2つの試合は、鮮烈な印象を残した。今年のCLは本当に面白かった。無垢な夢を追うのも決して悪いことではないが、現実のサッカーとはそればかりでは済まないはず。日本のサッカー界が、このインテルの戦いぶりから学ぶ事はたくさんある。この国に欠落したサッカーのもうひとつの重要な要素を、モウリーニョとインテルが見せてくれた。MVPは主審。素晴らしいゲームコントロールだった。(2010.05.23)

必要なのは速攻なのか、遅攻なのか、のメリハリ、嗅ぎ分け、判断力、そして共通認識。それができていない。速攻でも遅攻でもない、サイドアタックもない、ただ中央中速での、利のない攻めになってしまっている。悪い方向にブレてしまっている。この悪い流れを変え得るタレントがいるとすれば中村憲剛である。そして最前線に森本貴幸。これはセットで起用してこそ意味がある。僕が見る限りその選択こそが、現状に対する唯一可能性を秘めた打開策のようにも見える。最終23名に石川直宏、香川真司を欠いたのが、今更ながら悔やまれる。(2010.05.25)

浦和レッドダイアモンズ代表橋本光夫様より【報告】
ペットボトルの投げ込み⇒2試合の入場自粛 管理エリア内への侵入・チームバス囲みの行為⇒2試合の入場自粛or入場自粛を勧告 差別的発言⇒引き続き事実関係の確認・調査 
なのだそうです。浦和レッズサポーターのスタジアム内での不法行為には、クラブによって『2試合もの入場自粛』が“受諾”あるいは“勧告”されるという事実が明らかになりました。微塵も危機感の感じられない対応であり、これがクラブとしての浦和レッズの“規範”なのだろう。失望した。(2010.05.26)


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2010年05月27日

岡田JAPANのメルトダウン 【キリタニ】

24日の親善試合、日本0-2韓国戦。

そのボール支配率は、日本の約49%であったらしい。この数値を、ある意味では好ましい“兆し”と捉えるむきもあるのかも知れない。日本の現状と実力に立ち返った、岡田ジャパンの、ある意味でのモデルチェンジ、妥当なリアクションサッカーへの傾倒を現した数値であると受け取れないこともないからである。

しかしもう一方で僕はこれを、“遅すぎた変節”である……とも認識している。

なぜ今更こうなるのか?

僕の思考では理解できない。そもそもつい先日のメンバー選出により、その可能性を打ち消し、その可能性を放棄したのは、岡田武史監督自身ではなかったか。

あの23名のメンバーは、これまで通りの戦い方を貫く……と云う、岡田監督から選手達への、そして岡田監督から日本のサッカーファン、サポーターたちへの決意表明であり、メッセージではなかったのか?その為に、多くの者が不調や故障を抱えながらも、それでもなお選出された23名の馴染みのメンバーたちではなかったのか?

だからこそ僕は、納得はしないが追認せざるを得ない……と、素直に理解した。だからこそまた、選ばれた一人一人の選手については、一言の文句も云わず祝福するつもりであった。

が、この韓国戦における日本代表の戦いの、その“変節”ぶりを見て、改めてあの代表選手選考の論理性の無さ、中身の無さ、内容の無さ、そのトンチンカンぶりに絶望した。最初からディフェンシブに戦い、カウンター戦術に勝機を見出そうと考えていたとしたならば、ここで選ばれるべきタレントは、大きく異なっていなければならなかったはず。岡田武史監督は、いったいなんの根拠があって、何を意図して、このメンバーを選んだのだろうか?

これまでとは異なる戦術で……およそ活きるはずのない持ち場、状況で、不調や故障を抱えたまま、ある意味明治維新後のブルーなサムライ達のように、あてどなくピッチ上を彷徨う主力(?)選手達の姿は、僕の目には気の毒にさえ映った。いったいこの状況はなんなんだろう?

『こういうインターナショナルマッチで、きれいに後ろからビルドアップして崩していけるというのは、本当に限られたことだと思います』『いろんな方法があると思います。そういう(守備的な)メンバーで前半やるとか、それをこれから、いろいろな可能性を考えていきたいと思います』※以上、スポーツナビ。

本大会での対戦相手は、すでにずっと以前から決まっていた。彼らのサッカーがどのようなスタイルで、日本とのチカラ関係から、どのようなゲームになるのかを想定して、ゲームプランを組み立て、その上で選ばれた23名の選手達ではなかったのか?

メンバーの発表と同時に、僕はもうこれ以上の批判を加えるつもりはなかった。岡田監督が覚悟を決めて選んだ選手達であり、覚悟を決めて選んだ戦い方である。あとは黙ってそれを見守るだけ……と、心に決めていた。しかし、今更こんな言葉が会見で飛び出してくるようであれば、いったい彼は何を根拠にこの23名のメンバーを選出して、それ以外を切り捨てたのだろうか?そもそも戦い方を変えるのならば、なにゆえこれほどの故障者、不調者たちに拘泥しなければならなかったのだろうか?

だとすれば未だ戦い方も定まらぬあの時点で、タイムリミットのはるか手前で、切り捨てられなければならなかった多くの選手達が、あまりに不憫である。また選ばれた選手達も、この変節に少なからぬ疑問や不信、そして葛藤を抱えながら、それでも本大会を見据えて今戦っているのだろう。日々やりきれない思いばかりが募る。が、本番はもうすぐである。

もしかしたらこの窮地が、選手達の自立心を育み、反骨心に火をつけることになるのかも知れない。僕はそれに一縷の望みを託して、この戦いを見守ることに決めた。いや、正直に云えば、もうずっと以前からそのつもりだった。呪縛から解き放たれた彼ら自身の270分間の戦いを僕は見たいのだ。そしてその中で、それぞれの、さらにニッポンの、サッカーのミライに繋がる何か……を、しっかりとその手に掴み取ってくれることを切に望む。

だからあえてこう云わせてもらおうと思う。

いっぱい苦しめ。もっともっと、苦しめ……と。


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2010年05月25日

韓国戦と岡田武史の責任 【キリタニ】

『一言でいえば、これがワールドカップ挑戦者と、参加者との違いである』
【【素晴らしい試合とサッカーの真実】】

今年2月、東アジアサッカー選手権韓国戦において1-3で敗れた時に記した言葉を、そのまま引用させてもらおう。一言で云えば、これがクラス(階級)の差、なのだと思う。

これまでだって韓国は日本より強くあり続けたし、常にアジアの中で一歩先を歩み続けてきた。

誰が監督をしようと、どんな選手が選抜されようと、その構図に大きな変化はなかった。まただからこそ2007年アジアカップ、中立国において、この韓国との戦いに引き分けたオシムジャパンが、あれほどの批判を受けた事は、僕には到底理解できなかった。僕が知る限り、あの日あの時こそが、日本が韓国に一番近づいた瞬間……であった。そしてこの2年半でまた再び、韓国と日本は、海峡一つ隔てた距離にまで引き離されてしまった。

ホームで2連敗。いずれも2点差の完敗。
それが今現在の韓国と日本の、妥当すぎる結果と内容である。

失点は個人のミス。采配のミス。選手起用の誤り……。なんて無邪気な幻想は捨て去ったほうが良いだろう。後半は日本が押していた……と云う、幸福なサッカー観があるのだとすれば、それも考え直したほうが良い。韓国は1-0のゲームを徹頭徹尾支配した。ただそれだけの話である。あの自力の差で、逆に日本が開始6分で先制したゲーム展開を想像してみるといい。その後の84分で、どれだけの辛酸を舐めさせられたか……。

日本にとっては、逆にその方が本大会での糧にはなったのだろうとは思う。しかし、であれば残存するその僅かな自信さえも、粉々に打ち砕かれていたのかも知れない。そういう意味でこの結果と内容は、不幸中の幸いであった……とすら云えるかも知れない。

そしてこの厳しい評価にさらに追い討ちをかけることになるかも知れないが、この韓国でさえも、現状のままではアルゼンチン・ナイジェリア・ギリシャと争うグループリーグの突破は相当厳しいだろう……と僕は思っている。個々の自力については、欧州セカンドクラスにギリギリ対抗し得るだけものはあるのかも知れない。が、戦術的には然したる成長や進化が見られないままである。

相変わらずビルドアップの部分に難があり、本番でもそこが改善されなければ、つまらぬミスを突かれて、思わぬ大量失点を喫する試合もあるだろうし、仮に先制しても、後半押し込まれるなか、息が保てずに自滅してゆく展開もあるだろう。あと1カ月でどこまでそれを誤魔化せるか……。本大会ではその部分にも注目してみたいと思う。

今更選ばれた23名の選手にケチをつけることはすまいと思う。この先は、選ばれなかった選手達の分まで、各々命がけで戦ってもらうより他にない。

ただひとつだけ苦言を呈するとすれば……

なぜすべての選手が、長谷部誠や長友佑都のように身体を張って、魂を込めて、戦えていないのだろうか?森本貴幸や大久保嘉人のように、負けてもケンカ腰で、立ち向かっていけないのだろうか?

勿論これには23名の選考方式もあるだろう。ここから1試合1試合数名ずつ振り落とされてゆく韓国の現実と、それぞれが故障と不調を抱えながらも、これ以上のケガさえなければ、南アフリカへの道が保証されている日本の現実。

この方式であれば、選手も監督も誰も傷つかなくて済むだろうし、レプリカユニフォームの販促にも好都合だろう。が、本当にこれで良かったのだろうか?少なくともこの試合を見る限り、その必死さ、懸命さの部分で、両国の選手の間に、大きな格差が見受けられたことは確かである。選抜方式を含めた、サッカーに対する甘さ、勝負に対する甘さ……。それこそが、韓国と日本の、この大きな格差を産む、見過ごしのできないひとつの重要な要素なのではないかと、僕自身は思っている。

本大会においても、11人の選手すべてが、強い気持ちで敵にブチ当ってゆくのでなければ、彼らは負ける以上に、戦うことすらできずに惨めに帰国することとなるだろう。

であれば、死ぬほどその舞台にあこがれ、そして選ばれることのなかった選手達があまりに不憫である。残念である。結果として負けることは仕方ない。が、選ばれなかった彼らに、そんなやるせない空しさを強いることだけは、してはいけないと僕は思う。それが、選ばれた者たちの責任である。

スピード、パワー、そしてスピリット。ゴールそのものも文句のつけようがないほど素晴らしかった。が、京都の朴智星が、なぜマンチェスター・ユナイテッドのJi-sung Parkと成り得たのか?

その答えは前半38分、長友佑都との競り合いに敗れた直後の、約30Mに渡る全速力での追走とボール奪取にこそあるのだと僕は思っている。誰よりも優れた才能に恵まれた彼が、誰よりもひたむきに走り、そして戦っていた。胸を打つ感動的なシーンだった。あれこそがパクチソンのパクチソンたる所以であり、証明である。日本が彼から、そして韓国から、学ぶべき部分は数限りなくある。

そして岡田武史監督。

ジャージ姿で最後の意地を張ってみせたのであれば、ヤケクソでもいい、その意地を最後まで貫いて、死ぬ気になって戦って、死ぬ気になってもがいてみせて欲しい。すでに自らで選んだ23名の選手達がいる。その23名の選手たちで、最後まで戦い抜くのが、選んだ者としての、そして選ばなかった者としての、避けることのできない責任である。もう後戻りはできないのだ。立ち向かう勇気を見せて欲しい。

頑張れっ。今更やめるなんて云うんじゃねぇ。


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2010年05月11日

選ばれた23名と潰えた夢について【キリタニ】

選ばれた23名の選手、その一人一人に対して、まったく異存はない。

彼らは度重なる日本代表の興行と、Jリーグの厳しいスケジュール、または欧州と日本の長距離移動の中で、時に体調を崩しながら……肉体と精神をすり減らしながら、ここまで歯を食いしばって頑張ってきた選手達である。その中で、岡田武史監督との間に築いてきた信頼関係と共通理解、そして年月の積み重ねは、ひとつの確かな評価基準足りえる……ものと僕も思う。

この23名の選出によって、従来の強者(?)の戦術から、対セカイ戦術への切り替え、と云う僕自身の個人的な期待は、予想通り、ものの見事に裏切られた訳だが、これもまた本音を云えば想定通りの結末であり、4年に一度の恒例行事である。

これまで2年半の戦い方で行く。誰になんと云われようとも、この戦い方とメンバーを貫く……と云う、岡田監督なりの揺るがぬ意志表明。ここまで来たら、僕もその結末を見てみたい。そして、しっかりとそれを受け止めなければならないと思っている。

若い選手をバッサリと切り捨てた……と云った印象もあるが、逆に云えば妥協無く結果にこだわった逃げ場のない選出とも云える訳で、この点については人それぞれの哲学なのだろう。僕のそれとは異なる。が、だからと云ってそれが、正当な批判の根拠に成り得るとも思わない。

選ばれた選手達の多くにとっても、年齢を見る限り、これが最後のチャンス、最後のワールドカップになる。まずはこの23名が、ここから後の一ヶ月を、怪我無く乗り切ってくれることを祈っている。一人の脱落者も無く、6月14日を迎えること。そしてそこで、悔いの無い戦いをしてくれることを心から期待したい。

最後にひとつだけ言い残しておきたいことがある。

小野伸二は、兵働昭弘は、田中隼磨は、金崎夢生は、山岸範宏は、坪井慶介は、細貝萌は、柏木陽介は、田中達也は、曽ヶ端準は、新井場徹は、野沢拓也は、興梠慎三は、栗原勇蔵は、兵藤慎剛は、山瀬功治は、渡邉千真は、西川周作は、槙野智章は、山岸智は、佐藤寿人は、本間勲は、徳永悠平は、森重真人は、梶山陽平は、平山相太は、乾貴士は、家長昭博は、山口智は、加地亮は、明神智和は、二川孝広は、都倉賢は、北野貴之は、石原直樹は、水本裕貴は、そして柳沢敦は……。選ばれた23名に劣らない、Jリーグを代表する素晴らしい選手達である!と云うことである。

さらに小笠原満男は、香川真司は、前田遼一は、そして石川直宏は……。彼ら23名にまったく劣るところなど無い、Jリーグで、そして日本で、最高の選手達である!と云うことである。

一人のJリーグファンとして、最後にそれを書き添えておきたい。

W杯の舞台を夢見て、ガキの頃から、膝を擦りむき、足を挫き、血と汗を流しながら、サッカー一筋に打ち込んできた選手たち。ここでひとまずその夢は潰えるのかも知れない。彼らは口にこそださないだろうが、悔しいだろうし、やりきれないだろう。まったく納得などいっていないだろうし、今だって自分の方ができる、きっとやれる、と、そう思っているはずだ。

だからこそそれを、また明日から、Jリーグの舞台で証明して欲しい。彼らならば、きっとそれができる。ファンやサポーターたちは、彼らのその価値を知っている。その証明を願っている。

大切なのは、誰かが書き終えた物語ではなく、自らで書き進める物語であり、そこに込めた想いなのだ。

僕はこれまで以上に、ここからの、彼らの戦いに期待している。華やかなスポットライトが当ることは無くとも、一番大切なものとは、きっとそう云うものなのだろうと想うからだ。


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2010年05月07日

キリタニジャパン2010 最終決定 【キリタニ】

二度とやるつもりはなかったが、やっぱりやらずにはいられなかったキリタニジャパン……。これが僕の2010年南アフリカW杯岡田ジャパンのメンバー選考に対する最後っ屁である。


もし仮に僕が2010南アフリカWCを戦う日本代表監督だとして、グループリーグ3戦のプランを練るとするならば、

1.初戦のカメルーン戦と最終戦のデンマーク戦の2試合で、勝ち点4を得ることをテーマに、戦術と選手選考を考える。

2.その為にも2戦目のオランダ戦、あわよくば勝ち点1を……という姿勢で、DFライン以外はカメルーン、デンマーク戦とは異なるメンバーを用いる。敗れるとしても最少失点での敗戦を目標とする。

3.この大会で最低限為さねばならない事……それは、最終戦までGL突破の望みを繋ぐこと。2戦目で事実上の“終戦”とならないこと。その為にも初戦カメルーン戦で負ける訳にはいかない。勝ち点1はマストである。それがこの大会の成否を分ける。


上記のプランを踏まえて、戦術と選手選考を考える。

得点チャンスには、ペナルティエリア内果敢に3人侵入してゆくような、カウンターを攻撃のテーマとしながら、自らアップテンポに持ち込んで先に疲弊してしまわぬよう、“場”をしっかりと見極めた上でのポゼッションで時間を稼ぎ、相手を走らせるような狙いと共通認識が求められる。

相手にスペースを与えないポジショニングで序盤は我慢。そして終盤、焦れた相手がDFラインを上げて前のめりに攻めてくるところで、こちらも勝負を賭ける。以前、岡田ジャパンの可能性という3つのエントリーで述べた通りである。

敵の出方によっては、5バック(3バック)にも対応しなければならないし、4-4-1-1にも、4-3-2-1にも、或いは4-1-4-1にも、状況によってオートマティックに切り替えてゆかなければならないだろう。

その中で僕は、しっかりとした“特徴”を持った選手を優先的に選抜したただろう。

大舞台でも打ち出せる、“特徴”ある個としての力量を備えたタレント。それに、ポリバレントな能力で様々な状況に対応し得る選手を配合して、グループリーグ3つの試合へと挑んだ。下記のメンバーは、そうして導き出した23名の選手たちである。



           森本貴・興梠慎・(都倉賢)
          
                  前田遼・本田圭


松井大・香川真                     石川直・家長昭
         小笠原・中村憲  長谷部・稲本潤
                 

長友佑・槙野智                     加地亮・阿部勇
          闘莉王・今野泰  中澤佑・岩政大


               楢崎正・曽ヶ端



常に敵DFラインの裏を狙って駆け引きを繰り広げる森本貴幸・興梠慎三。そして終盤のパワープレー要員としての都倉賢。

前線の起点・攻撃のスイッチとなり、身体を張ってキープする前田遼一と本田圭佑。

両サイドには個で切り込める日本最高のドリブラーを配し、時間を稼ぐシチュエーションにおいては家長昭博のキープ力を最大限利用する。

ボランチ・CMFのポジションには、充分なスタミナとゲームメイク能力を持ちながら、身体を当ててしっかりと守備のできる3人と、中村憲剛を配する。

少し衰えを感じる部分はあるものの、中澤佑二、田中マルクス闘莉王の強いCBコンビとバックアップの岩政大樹。また今野泰幸は、状況によってMF・SBの位置でも活用できる。

両サイドバックはWBにも対応できる長友佑都、加地亮と、3バック、5バックの際には中でも活用できる槙野智章。そして中盤の充実も考え阿部勇樹を選出した。両サイドバックがオーバーラップして果敢に攻める……といった状況は、おそらく試合終盤、遮二無二得点を取りに行くビハインドの状況のみだろう。であれば、2列目サイドハーフの選手を活用できる。引いて我慢……の状況が6割を超えると思しきこの3戦で、守備力に不安のあるタレントを配置することに合理性を見出せなかった。

そしてGKは、説明するまでも無く、現状日本人最高と思われる二人を選んだ。


最後まで迷ったのは、川島永嗣、玉田圭司、佐藤寿人、矢野貴章、そして細貝萌であった。

ご覧の通り、中村俊輔、遠藤保仁の日本を代表するMF二人を外した。
理由は、このグループリーグ3試合では、彼らの持ち味が活きる状況はあまり見込めないだろうことと、ここ最近のパフォーマンスへの評価からである。また岡崎慎司を外した理由は、対戦相手を見る限り、彼の“特徴”は森本貴幸・興梠慎三の“特徴”以上に、戦術上の何かを齎す……とは思えなかったからである。トップに必要なのは、やはりスピードである。

サッカーとは、あくまで相手のある戦いである。Jリーグやアジアにおいての“それ”と、W杯本大会においての“それ”では、必然的に求められる要素は異なるのだと僕は思っている。

勿論、5月10日発表の岡田ジャパンの23名は、これとは大きく異なる選出になろうことは云うまでも無い。これはあくまで僕自身のお遊びである。


結局僕はサッカーそれ自体が好きなので、大会が始まってまで、ヘソを曲げ、ぶつくさと文句を云いながら、この4年に1度の祭典を見ていたい訳ではない。

5月10日、その23名のメンバーが岡田武史監督により読み上げられれば、後はそれぞれの栄誉を祝福し、彼らが少しでも良い結果を収められるよう祈り、応援するのみである。ひとまず僕の4年間は、その日ひとつの終戦を迎える。

あとはサッカーを愉しむだけである。


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2010年04月23日

監督・岡田武史への最終評価 【キリタニ】

プロなんだから結果が全て!

このブログのコメント欄に腐るほど書き込まれてきた言葉である。最近では東アジア選手権の折にも目にした。オシムジャパンのACにおいても同様であった。この言葉にどれだけの意味があるのかは判らないが、日本代表監督の解任を主張する時には、いつだって便利の良い言葉ではあるのだろう。

「いろいろなケースがあるから。(W杯4強の)目標達成ならば次もあるかも。彼としては、今はたたかれていて“もういい”と思っているかもしれないが、戦う前だからね。戦ってからだね」(デイリースポーツ)

と、犬飼会長は岡田武史監督の南アフリカWC後の去就について語ったようだが、もし岡田武史監督が南アフリカ本大会において、どのようなカタチであれグループリーグ突破を成し遂げた暁には、世のあらゆる“結果が全て!”派の論客たちは、岡田監督の留任を求めて、声を上げ、立ち上がる覚悟がおありだろうか?

非常に興味深いところである。

一方僕は、岡田ジャパンが南アフリカ本大会においてグループリーグ突破を果たそうとも、留任して欲しいとはまったく思わない。例えベスト8進出を果たそうとも、4強を成し遂げようとも、その思いに変わりはないだろう。僕の中では、ここまでの過程に対する評価によって、既に決着がついている問題だからである。

いま現在の日本代表監督に求められるタスクとは何だろうか?
僕は2つあるのだと思っている。

まず第一に、アジア予選を通過してチームをW杯本大会へ導く……と云うこと。10年前であれば、ほとんどそれが全てであった。しかし、今日では同時に、その先の手腕も求められているのだろう。要するに、アジアを乗り越えた先、セカイの舞台において、いったい何ができるのか?何を為し得るのか?と云うことである。

岡田武史監督は少なくともその1つ目、日本をW杯本大会に導く……という最低限のタスクは為してくれた。クジ運にも恵まれたとは云え、これは正当に評価せねばならないだろう。事前の打ち合わせがあった訳でも無く、急遽預けられたカタチで引き受けたこの日本代表監督の任務において、さほど大きな失態もなく、無事日本をW杯本大会へと導いた……。僕はそれだけでも及第点である60点の評価は与えてしかるべきであると思っている。

しかし、惜しむらくは、そのアジアでの戦いぶりと戦果に安住してしまい、まったく相手の異なる本大会の、所謂ガチンコのセカイとの戦いに、新たな展望もプランも提示してはくれなかった。アジアを乗り越えた先のこの1年、必要なモデルチェンジや選手の更新を怠り、ただただ彼の考える主力?を消耗させただけで、無為に過ごしてしまった。

僕はその原因を、おそらくは攻撃的サッカーと云うものに対する、或いはオシムに対する、彼自身のコンプレックスや強迫観念、或いはセカイへの不理解……から発した類の、ある意味での限界なのだろうと思う。常に興行最優先の協会支配へ対する従順さと共に、そこへの妄執や拘りを捨て切れなかった……僕はそんな岡田武史氏に失望したのだ。

今の代表のサッカーとは、1998フランスW杯の屈辱に対する、横浜Fマリノスでの攻撃サッカーの挫折に対する、そして世論のオシム礼賛と自らへの低評価に対する、反駁と居直りのサッカーであると僕の目には映るのだ。

アジアからセカイへ出る……と云うこと。
それは相対的弱者相手のヌルい戦いから、相対的強者相手の厳しい戦いへとステージを変える……と云うことである。これはゲームで云えば、0-1の状況と1-0の状況ほどの異変である。世界が180度変わるに等しい。

アジア最終予選からW杯本大会までの1年で、そのチーム戦術には抜本的な『変革』が求められていたのである。この1年に対応し得なかった岡田武史監督、少なくともこの10カ月、その必要性に対して何ら手を打つことのなかった岡田監督のチーム作り、その現状認識、プランニングを、僕は是認することができなかった。それが僕の中の、日本代表監督・岡田武史に対する最終的な評価であり、結論である。

結果が全てである!
とすれば、サッカーは難解でもなく、また或る意味論理的なのかも知れない。

しかし、僕にとって現実のサッカーと、そしてその結果との因果とは、往々にして、なんとも手応えのないあやふやなもの……である。その思いは日々、サッカーを知れば知るほど募ってゆく。だから僕は、単純に結果、それ自体を信じることはない。まったく疑わしいものであると思っている。

再度、ここに書き記しておこう。

「南アフリカにおけるGL突破の確率は20%~30%」

しかし、その結果がどちらに転んだとしても、僕の中での日本代表監督・岡田武史に対する評価は変わらない。なぜならば、例え本大会における270分の瞬間にどんな出来事が起ころうとも、この2年半の道程と過程を覆すほどの真実が、そこにあるとは思えないからである。結果は結果として受け止めはするし、それによって一喜一憂もするだろう。が、やはり僕にとっては、それが全て!でなど有り得ない。

次の一枚がスペードではなく、クラブでもなく、ダイヤでもなく、ハートである確率……。それは今現在の日本サッカーが保持する確率の、おそらくは潜在的基準値の下限に近いものであって、監督岡田武史がこの2年半で積み上げてくれたものではない。そしてまた、たとえこの2カ月でベストが尽くされたとしても、残りの2年4カ月の停滞を水に流せるものでもない。

やはり結果とは全体の一部に過ぎないのだ。
それはサッカーのひとつの断片に過ぎない……。僕はそう思っている。


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2010年04月09日

【キリンCC】 vsセルビア 戦評 【キリタニ】

セルビアの選抜チームが、たとえ2軍であろうと、3軍であろうと、100%のチカラで日本代表相手に挑んできたとするならば、まず勝てる相手ではないだろうと僕は思っている。

それは日本の選抜チームが2軍であろうと、3軍であろうと、タイやマレーシア相手にまず負けはしないだろうことと同じである。しかし、このような日程、状況において、半ば強引に執り行われる金策マッチの類であれば、まったく別の話である。現に日本代表は、これまでもそのような位置づけのゲームで、“仮想”強豪相手に度々勝ってきた。この試合の序盤も、出足が鈍くプレスの緩いセルビアの動きを見ながら、またそんな顛末が繰り返されるのではないかとの想像もできた。先取点如何によっては、まったく逆の結果になることも充分にあり得ただろう。

そういう意味では、セルビアが先取点を取ってくれたことは幸いであったし、前半の早い段階でさらに追加点をあげてくれた事は、これ以上ない幸運であった。この得点経過によって、セルビアは90分間集中を切らさずに勝ちに拘る試合をしてくれたし、日本は日本で、再び問題を問題として、再認識することができたのではないだろうか。

『ボールが動いても最終的に相手DFの裏を取らないとゴールになかなかつながらない』

『試合の前半から中盤にかけて、我慢する戦いというのも必要かな、ということが分かったというところだと思います』

『3バックとか、そういうことも考えていかないといけないのかなと思っています』

これはすべて岡田武史監督の試合後の言葉である。
今更ながら……であったとしても、この言葉・解釈に辿り着いたことには大きな意味がある。何も気付かぬまま、或いは気付かされぬままに、岡田監督、日本代表選手、メディア、そしてファンやサポーターが、本大会へ臨むよりかはずっと良かった。

当然のことながら、遅きに失した感は拭えないが、それでも性懲りの無い熱狂にうなされて、宴の後に、それぞれが予期せぬ災厄に見舞われたような顔をして、互いに責任の擦り合いをする茶番を繰り返すよりかはずっと良かったのだ。僕はそう思っている。

幸い、2つの点で、この試合は日本に大きなヒントを与えてくれたのだと思う。

この日のセルビアのように戦えば、例えボールは持てなくとも、強者に対して充分に勝負は挑めるのだ。勝ち負けの戦いを挑めるのだ。今の日本にも、それぐらいの潜在能力はある。

そしてその為には、速い攻めが必要になる。速い攻めの為のタレントが必要になる。例え確率は低くとも、個で挑める、切り込める選手が前線には欠かせない。この試合で、まだ万全とはいえない石川直宏が見せてくれた推進力、独力でフィニッシュまで持ち込む力、そして裏を取るスピードは、南アフリカでの闘いにおける、日本のひとつの光明となるはずだ。

さらにもうひとつ。
中村俊輔に何を期待するのか……?何を期待しているのか……?

岡田武史監督は、そこをしっかり整理すべきなのだと僕は思う。
中村俊輔は岡田武史の存在を超えて君臨しはじめているのではないだろうか?それはそれでひとつの選択であり、組織の有りようとも成り得るのだろうが、そこにチームとしての同意はあるのか?チームとしての整合性はあるのか?意識の共有は為されているのか?

その回答を、まず岡田武史監督自身が明確に定め、可能か否かを理解するべきなのではないかと僕は思う。

この一年、チーム力が少しずつ減衰していることは間違いない。
当然だろう。彼は彼自身の手で……或いは僕らには見えざる手やチカラの要求のままに、一部の主軸選手達に過剰なまでに執着することで、過酷なスケジュールを強い、ここまでの無理と消耗を強いてしまったのだから。

選手たちの自信もグラつきはじめていることだろう。求心力といった点でもすでに無いに等しいのではないだろうか。彼らはただ選手選考権・選択権に靡いているだけなのだろうと僕は予想している。大会がはじまれば、これまでと同じように、選ばれた彼らは彼らなりの戦い方をしてくれるのだろうと信じている。それで勝てるとは思わないが、その方がよほど身の丈にあった“日本らしい戦い”ができるのではないだろうかと僕は思っている。

要するに、岡田監督は時間を味方にしてくれる指揮官ではなかった。多くの人たちが、今さらながらでもそれに気づいたとするならば、それは2006年にはなかった、この国の“進歩”である。

岡田監督にしてみれば、確かに窮地なのだろうと思う。

しかし、日本サッカーの歴史の中で、今がその重大な転換点であると捉えるならば、やはりこれ以上のチャンスはない。またしても二度寝、三度寝を決め込むのであれば話は別だが、ここで覚醒できるならば、この窮地も決して無駄にはならない。そしていつかは必ず覚醒しなければならないのだ。それを為しえない限り、ニッポンのサッカーに明るい未来が訪れることはないだろう。

2ヵ月後の本大会において、僕達自身が、新たな、そして明確な、基準点を見出さなければならない。


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2010年03月04日

【AC予選】vsバーレーン 戦評【キリタニ】

試合を見ていて少々残念に思ったのは、バーレーンが日本に対して良いサッカーをしようとしてきたことであり、そして実際に、なかなか良いサッカーをしてしまっていたことである。

これでは本大会で当る3つの国との、3つの試合の、あらゆる状況の、シミュレーションになどなりはしない。ガチンコのバーレーンであれば、少なくとも日本にとっての0-1の状況、引いた相手に対して、なんとしてでもゴールをこじ開けなければならない状況における、ある程度の予行演習にはなったはずだ。

が、しかしこれも、東アジア選手権以来、ここ一月ほど代表や岡田監督に対する不信感やフラストレーションを溜め込んできたファン・サポーターのストレス解消、毒抜きの用は為したのかも知れない。寒い中、この消化試合の為に豊田スタジアムまで駆けつけてくれた4万人近いサポーターの皆さんも、概ね満足されているのではないかと思う。

良い試合だった。純粋に面白いサッカーだったし、面白い試合だった。

しかし、ひとつ釘を指しておきたいことは、ベネズエラ戦で出来なかったこと、中国戦で出来なかったこと、韓国戦で出来なかったこと、それらのことがこの試合でできていたからと云って、日本代表はそれを克服した訳でも、あの時点から成長した訳でも、やはり海外組みの方が力が勝る…という訳でもないのだと僕は思う。

異なる相手に、異なる状況で、異なる目的で、異なる戦い方を挑まれる、或いは挑む。
そんなてんでばらばらの各々のゲームを同一の視点で語り、

『何ができた、何ができなかった』

なんて同じ基準で、同じ要素を抽出しようとすることは無意味である。
死海の水はしょっぱいだろうし、それに比べれば摩周湖の水はさぞ清らかでクセもないことだろう。必要なのはその水が異なるという自覚であって、おいしく呑めたか呑めなかったか…ではない。

死海の水がしょっぱいのも、日本人にとってのキムチが少々辛すぎるのも、きっと大阪生まれの岡ちゃんの所為ではないと思う。岡ちゃんの生まれるずっとずっと前から、死海の水はしょっぱいし、韓国のキムチは辛い。

そういう前提を踏まえずして、どこまでも自身の欲求を基準にモノを云うのであれば、ヒディンクであれ、オシムであれ、オリベイラであれ、その時がくれば後ろ足で砂をかけ、ツバを吐き捨てるような非礼を、僕らはまた繰り返すのだろう。

中村俊輔には、エスパニョールにおける不遇の状況の中で、よくこれだけのコンディションを維持し、ゲーム勘を養ってきたものだと素直に感心させられた。相変わらずポジションは低く、右ウイング、或いは右SHとしては、ゴールへの意識が希薄に映る部分もあるが、少し引いた位置での30M、40Mの裏を突くパス精度は、他の日本人には真似の出来ないレベルにある。

しかし一方で、逆サイドの松井大輔、長友佑都の連携や、高い位置での絡みを見れば判るように、松井大輔があの位置に張って、あの位置で仕掛けてこそ、SBの自由を引き出す多彩で厚いサイドアタックが展開できる……という側面もあるのだ。

南アフリカで中村俊輔を使うならば、我慢をする状況ではなく得点を取りに行く状況。
しかも、一列下げて、右ではなく左。
僕が岡田監督の立場であれば、そういう選択になると思う。

また本田圭佑は、やはりこのチームの攻撃の核になるべきタレントなのだと再認識させられた。

厳しいプレッシャーの中に身を晒しながら、前を向いてゴールへ向う、そのゴールへ向うスピードの中で、1テンポ2テンポのタメを作り、敵を引き付けスペースを拵えた上で、限りなく100点に近いパスを事も無げに通す。呼応した松井大輔も見事だったが、日本が南アフリカで得点するとすれば、あの攻撃こそが最も可能性の高いカタチなのではないかと僕は思う。

願わくば右サイドにも、この日の松井大輔のように、本田圭祐のパスに呼応し得るタレントの起用を乞いたい。また森本貴幸には守備的な負担のないところで、自由にゴールを狙わせるべきなのだろうと僕は思う。TV画面にも何度か映った、敵DFラインとの駆け引きは、例えボールが出てくる事はなくとも、それ自体がひとつのエンターテイメントの体を為していたように思う。この試合、僕が一番興味深く見入ったのは、この森本貴幸のDFライン裏へ仕掛ける際の動き出しのスピード・俊敏性と、その駆け引きであった。

この試合で何かが変わった訳ではないし、東アジア選手権によって何かが変わった訳でもない。さらに云えばこの15年、日本のサッカーの世界における立ち居地に、何か大きな変化があった訳ではないし、何かが大きく変わった訳でもないと思っている。

僕の中での岡田武史監督に対する評価は70点である。
そして南アフリカにおけるGL突破の確率は20%~30%。
日本はアジアで3~4番目の国。
岡田監督解任…反対。

その時々の1試合、2試合の出来不出来によって、この評価が大きく変わることはきっとこれからも無いだろう。まあ、だいたい、そんなところである。


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2010年02月15日

素晴らしい試合とサッカーの真実 【キリタニ】

素晴らしい試合だった。

JFA、岡田監督、選手、そして僕達ファン・サポーター。これでやっと、それぞれが本当の意味でのスタートラインに立つことができたのだとすれば、これまでのどの試合よりも価値があった。僕はそう思っている。

一言でいえば、これがワールドカップ挑戦者と、ワールドカップ参加者との違いである。

この日の韓国のデキが良かったとは僕はちっとも思わないが、球際の勝負ひとつひとつ、それぞれの背中に背負った覚悟のようなものひとつひとつ、そしてチームとしての目的意識、プラン、それを実践するためのゲームインテリジェンス、それらすべての面で彼らのほうが上だったと思う。

たとえ相手がアジアの2流国であったとしても、敵が攻撃を放棄してディフェンスを固めてくる限り、または足が止まってしまわない限り、流れの中からゴールを奪う事など、日本はこれまでだってほとんどできてなどいない。敵の致命的なミス絡みでない限り、元気な敵を捻じ伏せるようなゴールなど、ほとんど奪えていない。なにもそれは、この東アジア選手権ではじまった話ではないのだ。

自国協会の金策のために、過酷なスケジュールと時差移動を強いられ、イヤイヤやってくる南米や、アフリカの名ばかりの代表チーム達とのテストマッチ、花試合の結果を、無邪気にそのまま真に受けて、勝った勝ったと喜んできたとすれば、この東アジア選手権、アジアとの『真剣勝負』におけるその結果と内容は、さぞかし不甲斐ないものと映るだろう。

が、少なくとも僕の中では、この結果と内容は、これまでの日本代表、岡田ジャパンの印象を、大きく裏切るものではない。むしろ妥当すぎるほど妥当なものである。だからこそ僕は、カウンターの鍛錬と実践、そしてその為の布陣と選手選抜……を、岡田監督に期待してきた。いつかはそれに気付き、切り替えてくれることを願ってきた。ところが彼は、そして彼らは、

“狙いはあるが、計算のない、独り相撲のサッカー”

に、未だ酔いしれ、拘泥し続けている。

相手が香港であれば、ダラダラと一本調子の、計算もメリハリもないサッカーを続けていても、後半60分も過ぎれば勝手に自滅してくれる。

相手が中国であれば、徹底したゲームプランも持たず、中途半端に守り、そしてまた中途半端に攻めてきてくれるが為に、独り相撲のサッカーをしていても、4度、5度の決定機は作れる。まあ、すべて外してしまっては得点は奪えないが…。

しかし、相手が韓国であれば……日本と互角以上の力を持った国であれば、こちらが漫然と、計算も駆け引きもないサッカーをしているうちは、自ら自滅してくれることなどまずない。90分間、ゲームプランを貫徹し、むしろ今の日本にはない、計算や駆け引きを駆使して、こちらの攻め手を封じてくる。それが現実なのだ。

後半、10対10になって以降、どれだけボールを保持し回そうとも、ほとんど日本は、決定機らしい決定機を作れなかった。それに引き換え韓国は、自陣に引かされたあの劣勢の中から、際どい決定機を、いったい何度作り出しただろうか?

このレベルの相手に、スローな攻撃からの得点などまず有り得ない。オシム時代ならばいざ知らず、前線の連動性を欠き、それぞれを勝手に動き回らせているだけの今の岡田ジャパンでは、あの構図からの得点は、事故とセットプレー以外は考えられない。

無理スジの攻めの為に、無駄なリスクを抱え込んで、ただただ一本調子に、90分間、体力の尽きるまで、前のめりのサッカーをしている。そんな計算や駆け引きのない、イケイケドンドンのサッカーを、これまでJFAも、ファンやサポーターの多くも、日本は強い…との幸福な誤解の元に、無自覚に、そして間接的に、後押ししてきたのではないだろうか?

ここでいつも言わせてもらっていることだが、今現在の日本代表は、アジアで3番目か4番目ぐらいの国であると僕は思う。今回は海外組がいないから……とのエクスキューズも成立しない。もし海外組を揃えたとしたならば、むしろ強くなるのは韓国の方である。たとえ長谷部誠が加わっても、中村俊輔もセットで加わるのであれば、攻撃はさらにスローになる。日本の攻撃を、むしろ停滞させてしまう可能性の方が高いだろう。

冷静に考えてみて欲しい。

日本にイ・グノはいないが、そのイ・グノが、海外組のいない韓国にあって、スタメンですらないのだ。
あなたがもし監督であれば、岡崎慎司、玉田圭司、大久保嘉人をイ・グノに優先して起用するだろうか?僕ならば絶対に有り得ない。それひとつとっても、チーム力の差は明確ではないだろうか?これが日本なのだ。

宿敵に敗れて悔しい気持ちは判るが、しかしこの現実を受け止めずに、僕達は真実のスタートラインにたどり着く事などできない。誰かが誰かの所為にして、罵詈雑言でやり込めてみたところで、この国のサッカーの未来に寄与するものなど何もない。それは、岡田監督も、協会も、選手も、僕達ファンやサポーターも同じことである。

今ここで、この試合によって、僕らがこの国のサッカーの真実に触れられたのだとすれば、辿り着けたのだとするならば、それはとても価値あること。この試合が、素晴らしいゲームであったということの証となる。

日本は弱い。強くない。ベスト4なんて到底無理。良くて1勝。おそらく全敗。
その認識で正しい、と僕も思う。

そして、だからこそ、今ここでどうするべきなのか?
何を考え、何について語り、何をすべきなのか?それを誰に伝えるべきなのか?どう伝えるべきなのか?何の為に伝えるべきなのか?そしてほんとうに目指すべきこの国のサッカーの姿、代表の在り方とはどんなものなのか?

今一度、この国のサッカーに関わるものすべてで、深く、真剣に、考えるべき時なのだと僕は思う。


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2010年02月12日

【東アジア選手権】vs香港 戦評【キリタニ】

まずはじめに、協会も、岡田監督も、選手も、ファンやサポーターも。
この東アジア選手権という大会をどのように位置づけているのだろうか?

事前に僕はこう考えていた。
本戦に比べれば相手の力量は多少劣るとはいえ、既定の試合の中では、相手が本気で臨んできてくれるだろう、ほとんど最後の試合である。ここでWC本大会に通用する攻撃の仕方、点の取り方、ゲームプランの組み立て、そしてバックアッパー・新戦力のテストを、しっかりとしておくべきである……と。

ところが実際はどうだろうか?

そんなこととはまったく違う次元で、協会も、岡田監督も、選手も、ファンやサポーターも、中国にしか通じない、香港にしか通じないやり方で、イケイケドンドンの派手な勝利ばかりを求めてしまっている。

岡田監督が残り4ヶ月の任期において集中すべきことは、WC本戦において如何に日本の良いパフォーマンスを引き出すか……である。そしてその為に必要な攻撃、ゲームプランとは、前掛りの敵に対するカウンターでの速い攻めと、敵がバテるだろう残り20分、15分にリスクを限定して総攻撃に出る戦い方なのだろうと僕は思ってきた。

要するにそれは、今ここで中国や香港に気持ちよく勝とうという戦い方の対極にあるのだと。

ところが、まるでこの期に及んで、この東アジア選手権が岡田監督是か非かの期末試験のような捉え方までされている。果たしてそれがこの大会の位置づけとして合理的なものだったのだろうか?

東アジア選手権なんて、どうしても勝たねばならない大会ではなく、4カ月後のWC本戦の為に、頭から、徹頭徹尾利用してやればそれで良かったのだ。そもそも、あってもなくても、どっちでも良いレベルの大会である。そこで、これまで通りなんら変わらず、工夫も無く、対アジアそのままの構図の中、一本調子で戦っている。僕はそれを、一番残念に思っている。これでは、WC本戦にまったく繋がらない……と。

僕がこの2つのゲームに求めていたものは、強者にも通じるリスクを限定した上での素早く無駄の無いカウンターのテストであり、またポゼッションの優位によって、敵を縦横に揺さぶり、プレスを無力化してやった後に、内から外から、残りの20分、30分間で蹂躙してやる……といった、真綿で首を絞めてやるような狡猾な戦い方であった。であれば、この中国、香港ともに1-0のスコアで充分だと思っていた。

ちなみに、この香港戦において日本にカウンターのチャンスが巡ってきたのは5回。要するに香港の攻めが、こちらの1/3までボールを運んだ回数=カウンターのチャンスが5回である。それを、しっかりカウンターのカタチとして成立させていたのは、開始5分の遠藤のドリブルからのチャンス一度だけ。その他はアタッキングゾーンに進入する前に、つまらないトラップミスや、出し手と受け手との意思疎通のなさ、明らかなオートマティズムの欠如によってチャンスを逸していた。

要するに、WC本戦を占える攻撃のカタチが、この試合ではほとんど試されることさえなかったということである。ただ香港相手に、気持ちよく勝ちたい、大量得点で勝って安心したい、安心させられたい。そんな協会や、監督や、選手や、ファン、サポーターのナイーブすぎる願望によって、この1試合を浪費してしまった。もしこれを問題と捉えるならば、やはりこれは誰か一人の問題なのではなく、この国全体の問題なのだと僕は思う。

その一方で、香港は良いゲームをしたと思う。

充分に低い位置までリトリートして、攻撃に人数をかけてこない、いや前でキープできずに、実際には押し上げることも人数をかけることもできないのだが、その分だけ、逆に中国よりも守りは堅かった……と言える。

しかし、それができたのも90分のゲームのうちの60分まで。
前半の40分頃からは、危うげな体制から繋ぐ意識、攻撃への色気を出し始めて、低い位置で悉く日本にボールをプレゼントし、徐々に自らで墓穴を掘っていった。少なくとも前半は、遮二無二0-0で凌ぎ切ることだけに集中していたならば、さらにもう一段日本を苦しめ、追い詰めることができていた事だろう。

4-4-2の綺麗な3ラインでの守備も、後半15分、2トップの一人がサボリ始めるまでは本当によく機能していた。このゲーム内容を見る限り、僕の中の香港サッカーに対するイメージを、少し改めねばならないと感じている。今後各種予選、むしろ攻めを放棄してくるだろう、こちらのホームでの戦いにおいては、充分に心して臨まなければならない相手になってくるのかも知れない。セットプレーでの守備はまだまだ拙いが、キム・ボンゴン監督は規律ある良いチームを作り上げつつあるように思う。

次戦、おそらく中国に苦杯を喫した韓国は、この日の日本のように、ナイーブにも頭から勝ち気で攻めにくるのだろう。それをいなして、中国がやったようにカウンターを繰り出す。或いはリスクをかけずにボールを回しながら、70分間目が回るほど走り回らせてやり、残りの20分で地獄を見させる、計算づくでキッチリと仕留める。この東アジア選手権、来るべきWCの為に、1試合でも活かそう、活かしたいと、本気で考えるのであれば、僕はそんなゲームこそして欲しいと願っている。

いずれ世界と互角に戦いたいと願うのであれば、いつまでも対アジアの構図の中に埋没し、アジアの純真を謳歌してばかりもいられない筈である。それはきっとピッチの外で、それを見守る僕らにも突きつけられている課題なのではないだろうか。僕はそう思っている。

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2010年02月08日

【東アジア選手権】 vs中国 戦評 【キリタニ】

まず最初に断っておかねばならない事がひとつあると思う。

それはこの中国戦と、先日のベネズエラ戦は、ゲーム内容も、対戦相手のレベルも、その対戦相手の目的も、そしてその戦い方も、まったく異なるゲームであった、という事である。

前回のベネズエラ戦より攻撃は良くなった……という。
確かにチャンスの回数は増えただろう。が、その背景にあるもの、そしてその中身を見落としてはいないだろうか?

この中国は、ベネズエラほど組織だったプレッシャーをかけてきていただろうか?
この中国は、半ば攻撃を放棄してまで守備を固めてきていただろうか?
この中国は、WC予選アウェーでブラジルと引き分けられるほどのポテンシャルを持ったチームだろうか?或いは、ホームとはいえ、コロンビアに2-0で勝てるだけの可能性を有したチームだったろうか?

僕はそのどれもがNO!だと思っている。
要するに日本は、ベネズエラ戦に比べ、実力的にも、状況的にも、戦術的にも、組みしやすい中国と戦って、勝ちきれないばかりか、1点も取ることさえできず、PK献上で敗色濃厚なところを命拾いした。

もちろん、こういうゲームがあるのもサッカーだ。が、そういう位置づけの試合であったことは、このゲームへの評価の基準として、建設的に踏まえて議論されなければならないものと僕は思う。

この試合から僕が問題を抽出するとするならば、むしろそれは永遠の課題である決定力を欠いた攻撃……などよりも、ボールを奪われた際の速い攻めに対する対応の方である。もし中国の中盤が、まともな状況判断から、あとワンテンポ速くボールを運び、稲本の壁をすり抜けることができていたならば、日本は少なくともあと3、4度の決定機を中国に与えていたように思う。そういう意味では、日本にとってこの試合は、無用なリスクを負いながら、非効率な攻めに終始したレベルの低い内容であったと僕は評価している。

稲本潤一の迷いのない、積極的で、的確な、“つぶし”が、いったい何度日本のピンチの芽を摘んでくれただろうか。彼はこのチームにしっかり自分の活き場を見つけ、その能力とポテンシャルの高さを証明したように思う。彼と内田篤人、そして楢崎正剛の安定したパフォーマンスが、この悲観的な試合における、唯一の光明であったと僕は思う。

一方の中国は、サッカーに関してはこれまでとあまり変わらない。本質的には、未だ10年前、15年前の眠れる獅子そのままであると僕は思う。 17番ガオ・リン、 20番ロン・ハオなど、個々の能力に光るモノはあれど、相変わらず戦略性を欠き、また戦術的なバリエーションと柔軟さが足りない。そしてまた、勝負どころで“力押し”でくる強引さにも欠ける。これでは実力に勝る日本相手に、無闇にリスクを負いながら、鴨がネギ背負って戦っているに過ぎない。この中途半端さが、ゲームインテリジェンスの無さが、中国サッカーの進化を拒んでいるのだと僕は思う。本来ならば、この結果に喜んでばかりもいられないはずだ。

何よりも一番気になったことは、ひとつひとつのプレーに“視野を確保する”という意識が欠けていることである。ボールを保持してルックアップできていないし、またそのボールを受ける予備動作の中で、状況を認識する意識が欠落している。そしてそんな味方の状況に対する、ケアとサポートの意識も希薄である。ある意味これは中国人の文化的背景に由来する“個性”なのかも知れないが、この部分を育成年代からしっかり叩き込んでゆかなければ、サッカーの質を根本から変える事は難しいだろう。

しかし、逆にいえば、そんな基本を欠いてこれだけ球際に強く、個々のキープ力を発揮できるのだから、やはり日本人より個の潜在能力は高いといえるだろう。特に17番ガオ・リンなどは、うまく溶け込めればJリーグでケネディと同じだけの存在感を発揮できるタレントであると思う。中国からJリーグへ……という流れは、今このタイミングを逃してしまえば将来実現不可能である。長期ビジョンに立って、どこかのクラブがその先鞭を付けてくれることに期待したい。

後半37分のPK。
今後の日本にとって、あの結果が齎すものは幸運なのか?それとも不運なのか?
きっと議論の別れるところだろう。過去にもそんな場面は何度もあった。そうして、その度にちょっとした幸運、或いはもしかしたら不運によって、ここまでダラダラと流されてきたのである。

今から他の誰かに監督を代えよ……とは、僕はまったく思わない。また、1、2敗したところで代えてくるものとも思わない。

もしかしたら数ヶ月で、チームを変貌させてくれる人は確かにいるのかも知れない。しかしそれによって、日本がWC本戦で何かを成し得るものとも僕は思わないし、また、その付け焼刃が、様々な幸運によって何らかの奇跡を成し遂げてみたところでどうだろう?もしかしたらそれは、本質的な問題の先送りにしかならないのではないだろうか?Jリーグのクラブにも、そんな前例が数限りなくあるのと同じように。

一番真理に近いところの妥当な『現実』を僕は受け止め、それを噛み締めてみたいと思う。例え自らは死滅してしまおうとも、僕にとってより大切なものは、4ヵ月後の日本より、40年後の日本なのだ。

しかし同時に、現体制においても確実にベストは尽くされるべきであり、今更ではあったとしても、若干のフォーメーション修正と人選の変更はあってしかるべき、いや、無くてはならないものと僕は思っている。WC三次予選アウェーのバーレーン戦において、無様な敗戦を喫した岡田監督は、一度大きくチームを変えている。もしかしたら今回の中国戦も、その為の大きなターニングポイントになり得たかも知れなかった。いずれにせよ、今がこのチームを多少なりとも変革し得るラストチャンスであることは間違いない。このまま“大きな問題はない”と云って南アフリカに向うのか?或いは、日本の100%を出し切る為に“覚悟を決めて練り直す”のか?

後半37分のPK。
あの結果が齎すものが、果たして幸運なのか?それとも不運なのか?
あと4ヶ月の間、僕はそれを自分自身に、反問し続けることになるのかも知れない。

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