2010年05月14日
ACL決勝トーナメント1回戦。
城南一和 3-0 G大阪 鹿島 0-1 浦項
これにより僕たちのJリーグクラブは、1つもベスト8にさえ勝ち残ることなく、アジアチャンピオンズリーグを敗退した。
2つのゲームを見れば、それぞれのゲームの敗因に微妙に異なる要素はあるのだろうが、どちらのゲームにしろ、負けるべくして負けたと云う、僕の印象に大差は無い。ホームとアウェーの違いはあれど、要するにどちらのゲームも、その内容を見る限り、勝つべきはKリーグクラブの方であり、その内容に対して妥当な結果が与えられた試合であった、と云うことである。
云い換えるならば、これはJリーグの、Kリーグに対する順当な敗北である。
まず最初に僕は、この現状認識を受け止めるところから始めたいと思う。
では、その原因は何か?
3つあげたいと思う。
1.昨年浦項がACLを制したことによる、Kリーグクラブの本気度の違い。
2.外国人助っ人の量と質の差。
3.Jクラブ、そしてJリーグの、国際試合に対する未熟さ、経験の無さ。
1.Kリーグクラブの本気度の違い
に関しては、CWCと云う大会の認知度にも関わってくる問題であろうと思う。韓国は、2006年アジアを制した全北現代が出場しているが、欧州や南米王者と対戦することなく、準決勝の前にメキシコのクラブアメリカ相手に敗れ、大会の盛り上がりの前に帰国している。
それが昨年、浦項スティーラーズが南米王者のエストゥディアンテスと準決勝1-2の接戦を演じ、バルセロナとの決勝戦まであと一歩……と云う、期待と興奮を味わったことで、このCWCに繋がるACLのステータスと、各クラブのモチベーションは、今回大きく様変わりしたように思う。これは丁度、2007年の浦和レッズから続く日本の状況に似ていると云えるだろう。
要するにKリーグも、昨年やっとJと同じスタートラインに立った……と云うことである。
2.外国人助っ人の量と質の差
に関しては、下記のデータを見比べていただければと思う。
2007 J1 得点ランキング
1 ジュニーニョ(川崎) 22
2 バレー(G大阪) 20
3 エジミウソン(新潟) 19
4 ウェズレイ(広島) 17
5 ワシントン(浦和) 16
6 レアンドロ(神戸) 15
7 大島秀夫(横浜FM) 14
7 大久保嘉人(神戸) 14
7 マルキーニョス(鹿島) 14
10 フローデ・ヨンセン(名古屋) 13
10 チョ・ジェジン(清水) 13
2010 J1 得点ランキング(5/10現在)
1 ジョシュア・ケネディ(名古屋) 7
2 渡邉千真(横浜FM) 6
2 香川真司(C大阪) 6
2 レナチーニョ(川崎) 6
2 前田遼一(磐田) 6
6 平井将生(G大阪) 5
6 鄭大世(川崎) 5
6佐藤寿人(広島) 5
6岡崎慎司(清水) 5
10田代有三(山形) 4
他 石原直樹etc
この円高にも関わらず、折からの日本経済の構造不況とJリーグ経済の頭打ち状況、それに加え、相対的なブラジル経済の堅調と中東諸国の金余り現象……。それらが相まって、今Jリーグに残るブラジル人助っ人は、一部の例外を除き、そのほとんどがKリーグ並みか、それ以下の選手達に成り下がってしまっている。そしてまた、Jの強豪クラブと云えども、その3+1の助っ人枠すら埋められないクラブが散見しはじめているのだ。
要するにこの時点で、実力的なJのKに対するアドバンテージなど皆無である。日本人選手対韓国人選手の比較であれば、これまでも歴史上、日本は一度も韓国の上に立ったことはない。それが僕の偽りの無い正直な認識である。
3.Jクラブ、そしてJリーグの、国際試合に対する未熟さ、経験の無さ
今回僕が一番失望させられたのは、もしかしたらこの部分だったかも知れない。
聞くところによれば今回のKリーグクラブは、直前のKリーグのゲームを捨てて、このACL一回戦に温存した主力を投入した、と云う話しである。
一方のJリーグクラブはどうだっただろうか?
GWの連戦、日中の暑さの中での連戦を“ベストメンバー”で戦いきり、ゲームを見る限りヘロヘロに疲弊した状態で、このACL1回戦、やり直しの効かないワンマッチに臨んでいる。Jリーグは、日本のサッカー界は、本当にこの大会に勝つ気はあるのだろうか?また、勝たせる気があるのだろうか?
一方では、Jリーグやナビスコカップ、天皇杯、さらには代表興行においてまで、スポンサーサイドの顔色を過剰にうかがい、自ずから主力選手達の疲弊と自滅を招いておきながら、さらにACLを勝て、クラブワールドカップのスポンサー様も満足させろ……とは、無謀な幻想である。
僕が云いたいのは、試合数の問題ではない。
『ベストメンバー規定』の問題なのである。ベストメンバー規定と、ベストメンバー(?)以外での公式戦を“非”とする、協会、そしてリーグの、不条理で硬直した価値観の問題なのである。そしてそれに飼い馴らされたままでいるクラブの問題なのである。
一刻も早くこれを廃止させ、各々のクラブへ対して、それぞれプロとしての“裁量”を認めるべきである。王者であり続ける、勝ち続ける……と云うことは、当然のように、そこでの難しい判断をも迫られると云うことである。これは現代サッカーの常識である。
そして実際のゲームに関してもひとつだけ云っておきたい。
幾度となく苛まれたレフェリーのあやふやなジャッジや時に不利な、不当な判定。そのこと自体に同情しない訳ではない。が、それはサッカーの現実の一部である。もっと云うならば、それも含めてサッカーであり、ACLである。これまでのACLの歴史においても、当たり前すぎるほど当たり前の現実である。
この世界中にありふれた、当たり前のサッカーの現実に、過敏に反応し、レフェリーに文句を云い、無駄なエネルギーや限られた時間を浪費してゆく選手達……。そのナイーブさに、僕はある意味失望した。これこそがJリーグの、そして日本人の、勝負や現実と云うものに対する、甘さ、生ヌルさ、未熟さ……なのだろうと感じた。文句を云って時計の針を進める前に、目の前の勝利の為に、もっと他にできることはあった筈だ。
あのピッチの中では、100%のチカラの99%では足りないのだ。その残りの1%たりとも、無駄に浪費していてはいけない。そして僕たちも、そんな選手達の“甘さ”を、いつまでも甘受し、見逃し、傷を舐めあっていてはいけない。
敗因はこの3つの要素だけではないだろう。
ゲームそれ自体にも、さらに無数の、夥しい敗因の要素が、そこら中に転がって見えたのも確かである。きっと、さまざまな意見があるはずである。いまこの時期だからこそ、それについて各々で考え、この“Jリーグの敗北”に対して、危機感を共有するもの皆で、意義のある的確な指摘をしてゆくことが大切なのだろうと僕は思う。
この“Jリーグの敗北”を受けて、近いうちに僕なりの発想と、改革案の骨子を提案するつもりである。
※関連エントリー
2009 ACL 鹿島アントラーズの終戦
最後にはケンカの強い方が勝つ
東アジアプレミアリーグ構想
クラブワールドカップ改革、最終案
Jリーグ いますぐ為すべき3つの改善
キリタニ文楽館
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2009年10月01日
ある意味で、いま現在の川崎フロンターレの限界が露呈したゲームではなかったかと思う。
Jリーグの優勝争いを演じながら、一方ではナビスコ、ACLの2つのトーナメントも同時に勝ち進む。関塚隆監督は、シーズン序盤からバックアッパーを含め計18名ぐらいの選手を、うまく使い分けローテーションしながらチームを回してきていたが、代えの効かない主力選手に疲労の色は濃く、ここ2~3戦は攻撃の厚み、爆発力と、土壇場での踏ん張りに欠ける試合が目立ってきたように思う。
またこの試合に関しては、前半27分の小川佳純のゴールから、自陣に引かれた相手を崩さねばならない…という望まぬ状況、不得手な状況を強いられたのも敗戦の大きな要因であろう。逆に言えば、あの小川の美しいゴールは、それぐらい大きな意味を持っていたし、これまでの117分間の流れを一変させる劇的なものだった。
これは川崎の、ある意味宿命でもあると思うのだが、彼らが悪くなる時は必ずジュニーニョの球離れが悪くなり、前後・攻守が分断されたようなサッカーになってしまう。相手DFラインが前へ出てくる展開、出てこざるを得ない展開であれば、速いカウンターで攻めきれるし、何も問題にはならないのだが、ひとたび引かれる展開、スペースのない展開となると、前だけのドリブルでのごり押しや一本調子の攻撃はなかなか成立しない。チームとしての持ち味やアドバンテージといったものが、そこでは活かせない、活かし難い。
この試合に関しては、レナチーニョの動きも良くなかったと思う。遅攻になった際の、両サイドの攻め上がりにも積極性が感じられなかったし、チーム全体の流動性や躍動感にも欠けていた。これは逆に言えば、名古屋が腰を引かず、繋ぐときにはしっかりサイドを使って展開していたのもその要因であったと思うし、田中隼磨の積極的な姿勢や圧力が功を奏したともいえるだろう。名古屋は右サイドの攻防において、この戦いを常にリードしていたように思う。
追いつかれる前に2-0となったことで、逆にゲームとしては大味になってしまった部分もあるが、僕はあの1-0の状況をしっかりと支配し、コントロールする名古屋を見てみたかったと思う。悪く言えば、2点目の得点は0.5点の価値しかなかったのだ。あの1-0の状況と2-0の状況の微妙な違いと、ある意味での同一性を、もう少し味わい見定める時間が欲しかったと思う。僕はそんな部分にこそ、王者への条件とそのための基準が見え隠れするものだと思っている。
そういう観点でいえば、前半終了間際2-1と追いつかれてからの、玉田の幾度かのドリブルでの可能性を感じさせないトライは、まったく不要だったと思う。知性の感じられないボーンヘッドだったと思う。幸い失点の危機には繋がらなかったが、日本代表の一員であり、すでにチームを引っ張るベテランであるからこそ、あの状況の危険性をよく理解してプレーを選択するべきであったと思うし、逆にチームをクールダウンさせる役割をも担ってゆかなければならないのだと思う。もう少し考えてプレーすること、視野を広くして周りの状況を理解し、最良の状況判断ができるようになれば、彼は未だ日本で最高のFWになれるチャンスがあると僕は思う。いまの状況に満足せず、さらにもう一歩選手として進化して欲しい。
川崎フロンターレに関していえば、これでJリーグに全力で立ち向かえる。ACLは確かに欲しいタイトルだったとは思うが、Jリーグを取ることを考えれば、この敗退はむしろ前向きに捉えて頑張るしかないのだと思う。彼らにとっては次の横浜Fマリノス戦が、今年一番大切な試合、彼らにとっての2009年の成否を決する試合になると思う。中村憲剛の疲弊しきったやつれた表情を見てしまうと、頑張って…と声をかけるのもファンやサポーターにとっては辛いところだろうが、この10月4日の試合をなんとしてでもみんなで勝ちとって、Jリーグ優勝への望みを繋いで欲しいところである。
そして名古屋にはここからの1/4の可能性を必ず掴み取って欲しい。アルイテハドは僕の知る限り、ここ10年のアジア最強クラブだと思う。彼らとアウェーで対戦できる。これはアジアにおける最高の舞台であり、経験であると思う。全力でぶち当たって欲しいところである。
ケネディを見ていつも思う。
FWは最終的にはあの位置へ居なければならないんだ…と。日本人のストライカー像を、僕は華麗すぎると思っている。求めすぎていると思っている。僕はそんな夢物語を追う前に、まずは日本人にも取れるゴールを見逃さないで欲しいと思う。いまできることを怠らずに、実践していって欲しいと願っている。
「歌詞が沁みるアーティスト」【自分編】
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2009年06月25日
カカー、C・ロナウドと、レアルマドリーがどういうカラクリで資金を集めているのかは分からないが、欧州サッカー界の経済が全体に萎縮してゆく最中でのこの獲得劇は、あらゆる意味で非常に興味深いところである。ちなみにミランもマンUも、ある意味大助かりであり、これで一息つけた…という部分もあるのではないだろうか。一方のJリーグでは、横浜Fマリノスが土壇場で中村俊輔を獲り逃した…との噂も聞く。どんな要求で機嫌を損ねさせてしまったのか気になるところだが、レプリカユニの売り上げだけを考えてもあの条件は(年棒約1億5千万円)は安いんじゃないかなという気がしないでもない。(2009.06.12)
オーストラリア代表5番ジェイソン・クリナのポジショニング、パスセンス、そして運動量と知性は、いつ見ても感心させられる。13番グレッラのような選手であれば、僕は別に気にはならないし、オーストラリアリーグにも二世候補がゴロゴロ発掘できそうな気はするのだが、クリナのような選手はまず居そうもない。ほとんどが欧州クラブ所属のオーストラリア代表の中で、このクリナは自国のゴールドコーストU所属であるという。ケネディが名古屋へ…という動きがあるようだが、ジェフかFC東京でこのクリナのプレーを見ることはできないものだろうか。(2009.06.18)
やっとJリーグ再開である。この一ヶ月ほんとうに寂しい思いをした。やっぱり週末はチョコパイに柿の種、茶豆の塩茹ででもつまみながら、コーヒー牛乳片手に、Jリーグ各試合を続けざまにがしがし見られる方が楽しい。少し代表の試合にも飽きてきたところだった。今週の目玉は、やはり俊輔復帰がカラ振りに終わった、横浜FMvs浦和レッズだろうか…。俊輔のことは残念だったが、これを楽しみにチケットを購入してくれたファンやサポーターの方々をガッカリさせない試合を見せて欲しいところである。個人的にはTBSが強引にどんな盛り上げを演出するのか楽しみに見守ってみたいと思っている。(2009.06.19)
名古屋グランパスvsジェフ千葉。ジェフにとっては今年最高のパフォーマンスだったのではないかと思う。FC東京戦、サンフレッチェ広島戦と2つ勝利してはいるが、どこか拾った勝ち点3という印象だった。この名古屋戦はプレーの質、ケーム内容ともに名古屋を圧倒した。問題は今後暑い中の連戦においてこの内容を継続できるか…である。ひとまずこの非常に手ごたえのある勝利を喜びたい。一方の名古屋は、アタッキングサードまでのボール運びはさすがに素晴らしいものがあるが、最後の局面で個人個人がバラバラに闘っている。今後も引いてくるチームにはしばらく苦戦するのかも知れない。(2009.06.22)
サンフレッチェ広島vsヴィッセル神戸。
毎度のことながら広島の試合にはヒヤヒヤさせられ通しである。失点はGKだけのせいではないが、もしここに他J1クラブのレギュラークラスが居たら少なくとも1シーズンで失点5は減らせるのではないだろうか…と思う。さらに楢崎正剛や菅野孝憲の日本代表レベルであれば失点10減らすことも可能なのかも知れない。得失点差が10違えば、勝ち点で10違ってもおかしくはない。であるならば最終的に、広島の順位はどれだけ違ってくるだろうか?FWと共につくづくGKとは大切なポジション。勝敗にダイレクトに結びつくポジションなのだと思う。中林の成長に期待したい。(2009.06.24)
~追記~ 2009ACL鹿島アントラーズの終戦
疲れからか、普段のJリーグではなかなか見られないミスが散見された。1点リードしながら、自陣左サイドでのやや強引なドリブル突破から、カウンターを食らって同点にされる。さらに得点にはならなかったとはいえ、前半終了間際のFCソウルのCKで、立て続けにニアで合わせられ冷や汗をかいたのも、らしくないといえばらしくない展開であった。
いつもの鹿島、Jリーグの鹿島ではない雰囲気は、前半の半ば頃から感じてはいたし、特に代表で疲弊していた内田は攻守に精細を欠いていたように思う。ただ一人好調時と変わらぬ動きと、敵の急所をつく鋭いパスを立て続けに前線に通していた小笠原満男が退場になると、あとはひたすら耐える時間が続いた。その中でも時折繰り出すカウンターとセットプレイで、FCソウルのゴールを何度か脅かしたシーンは、状態が良くないながらも奮闘した、彼らの勝利への執念を物語っていたと思う。
激しい当たりにはやさしく、手を使うプレーには厳しかった主審の傾向に、いち早く対応することができなかった部分の甘さ。直接ゴールに結びつく事はなかったとはいえ、あれだけの決定機を与えてしまったという守備の甘さ。そして決め切れなかったチャンスの数々…。大事なところで勝ちきれなかったという事実には、やはり相応の理由があったのだろう。
それらひとつひとつを噛み締めて、学んで、対応して、また来年、さらに逞しくなってこの舞台に立って欲しいと思う。チャンスは必ず巡ってくるはずである。
この悔しさはいつ以来だろう…
と、考えてみたら、昨年の同じく鹿島の、ACLアデレード戦の敗北以来であることに気づいた。その前はオシムさんのACかな…。サッカーを見ていて、悔しくて夜眠れなくなるような事は1年に1度ぐらいのものだが、それだけ熱い試合であったことも確かなのだと思う。あのPK戦、精一杯のゲームを見せてくれた選手たちと、ゴール裏に一塊になって声援を送ったサポーターの皆さんには心からお疲れ様と声をかけたい。
だから、来年こそは、勝手ながらこの僕の悔しさも一緒に晴らしてもらいたい(笑)。この雪辱のためなら、いっそソウルまで乗り込んでやろうかとさえ思っている。
休む間もなくJリーグである。次こそ本当の鹿島を見せてやれ、チンチンにしてやれ…と思いつつ、大分との対戦であることを知り思わず頭を抱えてしまう…。勝負の世界とは、本当に厳しいものである…。
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思い出の曲No.15 Desperado~Eagles~
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2008年12月24日
来日直前に南米最高のストライカーと契約を結び、ゲーム一週間前には来日して体調を整え、僅か2日ほど前に来て時差調整もままならないままの欧州王者を迎え撃つ南米王者。
ゲームとなれば、幾人かの熱い魂を持ったものと南米出身者以外は、あきらかにダレた様子の欧州チャンピオン。彼らに、ガチンコの南米が激しいチャージと闘争心で果敢に挑み、欧州王者の意地の前に、一人の男としての闘争心を呼び起こすことで、その戦いは徐々に熱を帯び、ヒートアップしてゆく…。
ずっとそれが、僕はこのTOYOTACUPの構図であったような気がする。
モチベーションに欠ける欧州王者の闘争心に火をつける戦い…。
勝ち負けは別として、僕の基準としては、そこまで辿り着いたときにこの大会は成功であり、辿り着けなかったときには、この大会は失敗であったと考えてきた。そして残念ながら、現在のこの構図にも限界が近づいてきているのではないかと思っている。
しかし、だからといってUEFAを除く“その他の世界”にとって、これは決して失ってはならない、失いたくない大会であることは自明である。では、どこでどう折り合いをつけてこの大会を存続させるのか。さらに実質を伴った、どちらにとっても価値ある大会にまで持っていけるのか…と考えたとき、僕は世界一決定戦というこの興行を、わずかな条件の下にそのままUEFAに預けるのが一番効率の良い、また可能性を秘めた方策であると考えている。
昨年の夏に僕は、
Jリーグへ その1 クラブワールドカップ改革
の中でそのラフなデザインを提示したのだが、これをさらに自分自身の発想と感覚で自由に企画できるものならば、僕はこの現状のCWCを下記のように改革したいと考える。
1.欧州チャンピオンとその他の世界チャンピオンの決勝戦1マッチ『世界クラブCUP』と、その他の世界チャンピオン決定トーナメント『世界チャレンジCUP』の2つの大会に分割する。
2.『世界クラブCUP』は、必ずUEFACL王者の本拠地にて開催する。興行収入・利益に関する権利はUEFA+CL王者クラブに譲渡する。
3.『世界チャレンジカップ』は現行のCWCから欧州王者を除き、各大陸持ち回り(オセアニアはのぞく)のFIFA主催で開催される。オセアニア代表は大会前にアジアorアフリカとの予備予選を義務付ける。
※実質3の興行を成立・存続させるのが一番大変な部分だろう。金銭的な利がのらなければFIFAのCWCに対する意欲も失われる。本来このような部分にこそJFAは尽力してもらいたいのだが…。
昨年この素案を書いたときも、『それでは欧州が有利すぎる』『公平ではない』『アウェーで勝てるはずがない』との意見を頂いたが、この国のサッカーファンにそんな価値観が根強いことも確かなのだろう。しかし、僕はこうも思う。モチベーションに欠ける欧州王者に勝つ事と、地元のプレッシャーと欧州LIVEの視線下で、負けられない彼らと、より“ガチンコ”に近い勝負ができること…。果たしてそのそのどちらが、ほんとうに価値あることなのだろうか?
これにはさまざまに異なる価値観が存在するだろうことは認めるし、あえて言及されるまでもなく理解するが、僕は欧州の“本気”を引き出し、そこに全力で挑める図式の方が、その他の世界にとっても遥かに価値のある試みであると考える。その有利を逆に捉えれば、欧州王者にとってはより“負けられない”状況を作り出すことに他ならないのだから。
そしてこれにより“その他の世界王者”決定トーナメントも、興行的価値はいくぶん損なわれるものの、その実質は今以上に公平で厳しく、また意義あるものに変革し得るはずだ。
このような図式にすることで、確かに欧州の有利は如何ともし難いものになることは間違いないが、しかし今の図式でCWCを継続して、もし仮にキトがマンUに勝っていたならば、キトは世界王者として世界に承認され得ただろうか?そこにこの大会の栄誉や権威、名声が育まれてゆくものなのだろうか?
僕はそこに大きな疑問と欺瞞を感じる。
欧州のサッカーファンに、その他の世界の存在とこの大会の意義を周知し、認知させ、また根付かせるためにも、僕はこの大会、決勝戦がCL王者の本拠地で執り行われる事を願ってやまない。そうすることでこの大会のステータス、そしてその利益は、将来的に大きな期待値を含むものとなることだろう。僕はそんな、構造上完全ではなくとも、ある程度の実質を伴った世界一決定戦の実現を夢見ている。
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posted by 桐谷 |11:38 |
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2008年12月22日
このCWC準決勝と3位決定戦。
異なる2つの試合において、異なる2つの対応を求められ、それを高いレベルで遂行し得たガンバは予想を上回るデキだった。今年後半の流れは、悪しきポゼッションの轍からの脱出がひとつのテーマとして追求されてきたようにも思うが、遅攻と速攻を高い次元で使い分けられるようになった今、このガンバのサッカーはさらに1歩前へ前進することができたのだと思う。
2人の強力なストライカーの加入が噂される来期が今から非常に楽しみである。遠藤保仁さえ繋ぎ止めることができれば、来年のアジアチャンピオンの最有力候補ともいえるだろう。厳しいスケジュールの中ではあるが、最後のACL出場権を手中に収める事ができるかどうか…。今後、天皇杯の行方にも注目してゆきたい。
昨年、浦和レッズがACミランに敗れた時、僕はこの場でこう語った。
~この試合の積極的か消極的かの議論や評価とは、両者のその現実を踏まえた上で、僕達それを見る者がいったい何を望んでいたのか…本質的にはその立場こそが問われるのだと改めて僕は思っている~
~少なくともあのACミラン戦においては、彼らはその攻められない、ボールを奪いに行けない状態を必死で耐え忍びながら、Jリーグ王者、そしてアジア王者として、勝つための最善の可能性に最後まで賭けていた…今もって僕のその評価はまったく揺るがない~
今年のマンUに対するガンバ大阪の攻める姿勢、点をとりに行く姿勢と、昨年の浦和レッズの守りの姿勢、点を取られないための姿勢は、ある意味サッカーのスタイルとしては対極に在るものなのかも知れない。しかし、より勝ち負けに対して切実なトライをしたチームがどちらで、その可能性を追求したチームがどちらであったのか…と問えば、僕はきっとそれは浦和であっただろうという感想を持っている。
しかしその一方で、大勢に迎合する訳ではないが、嗜好としてそのどちらのスタイルを僕が好むのか問えば、間違いなくガンバのそれを好むし、彼らがこんな戦い方をしてくれたからこそまた、少なくない人々に欧州とニッポンの間のその“隔たり”を、ありのままに認識してもらえたのではないかとも思う。
対比としては浦和の0-1とガンバの0-5の方が、より明確でまた鮮烈だったのだと思うが、幾つかの運にも恵まれ逆にそうならなかったことでのこの高評価なのかも知れず、だとすればこれをニッポンサッカー界の本質的なコンセンサスとは言い切れないものなのかも知れない。この3-5というスコアは、そう理解するにはいささか都合の良過ぎる“結果”であったといえるかも知れない。
僕は昨年のCWCのコメント欄において、こんなふうにも語っている。
~0-5で負けても前へ出て勝負を挑むのか?
或いはどこまでも0-0を狙って、最後に力尽きて0-1で敗れるのか?
この状況の浦和にとって、そのどちらが正解であったのか?そして僕らの視線はそれをどう受け入れ、評価するのか?
僕達がそのどちらを望んでいるのか?
やはりその価値観に帰結してゆく問題であると僕自身は思っています~
ガンバ大阪はガンバ大阪として求められるサッカー、あるべき姿勢を貫き、浦和レッズは浦和レッズとして、求められるサッカー、あるべき姿勢を貫いた。要するにこれは両クラブとサポーターとで創り上げた文化であるとの見方も可能な訳で、そんな両極端な多様性がJリーグに併存することを、僕は一方でサッカー文化の進展であるとも思っている。ひとつのサッカー、ひとつのスタイルが支配するリーグなど、あまり楽しいものではないだろうから。
しかし、僕らそれを見るもの、見守り育んでゆくものとして、それぞれの愛するクラブに対する、代表に対する、明確な“定見”というものが求められているのではないだろうか?
世界の頂点を目指すこの途上で、いま同じように、どうせ敗れるにせよ、0-1のサッカーなのか、或いは0-5のサッカーを許容し得るのかどうか?
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2008年12月19日
まず最初に、僕は西野朗氏に謝らねばならない。
もう12年も前のことになるがアトランタ五輪“マイアミの奇跡”と呼ばれる試合から、或いはその前のアジア最終予選の戦いから、僕はずっとこの西野氏の監督としての力量を見縊ってきた…。その最後の土壇場における彼自身の、勝ち負けに揺るがぬ攻撃サッカーへの“覚悟”、“胆力”のようなものを、どこかで見縊ってきた気がするのだ。
このマンチェスターU戦を見て、そして今年のACLでの戦いぶりを見せつけられて、これまでのそんな印象を改めねばならないことがよくわかった。彼がいま、日本人最高の監督であることが理解できた。どれだけの揺るがぬ信念の元に、いま彼が迷いなくガンバのサッカーと格闘しているのかをガツンと思い知らされた気がした。
素晴らしいチャレンジであったと思う。
たとえ運に恵まれず、3-5ではなく0-6で敗れていたとしても…である。
怯まずDFラインを押し上げる事。絶えず前からのプレッシャーを与え続ける事。チャンスには躊躇わず前へ出る事。一対一を恐れないこと。アタッキングサードにおいてダイレクトの速いパス回しで勝負を仕掛け続ける事…。
言葉にすれば余りにも容易いが、これは本当の勇気なくしてできないこと。自信を持たずしてやりきれないこと。そして勝ち負けの次元を超えた“攻撃への信念”なくして貫けぬサッカーであったと思う。遠藤保仁をひとつ下げて、プレッシャーのないところから、縦に速い勝負のパスを繰り出させる。播戸竜二、山崎雅人の動きの質とスピードに手を焼いたマンUのDFラインは、3失点した後半よりも、寧ろリードした前半30分までの時間帯の方に、より大きな不安とストレスを感じていたことだろう。
この点に関して、マンチェスターU側の攻撃と守備の選手におけるガンバ大阪への印象は大きく異なるものなのではないだろうか。クリスチアーノ・ロナウドやテベスから見れば、ガンバDFはさほど恐れるに足りぬイージーな相手に思われたかも知れない。しかし、DFの選手たちから見れば充分に怖い相手であった筈だ。セットプレーからの失点は、ある意味致し方の無いものに思われるが、せめて前半を0-0で終えることができていたならば、また違う世界をのぞき見ることができたのかも知れない。
これが“本気”のマンチェスターUだったかどうか?
負けて即帰国できるレギュレーションではなく、もちろん勝ちに来た試合であったことは確かだと思うが、優勝を争うプレミアと同じだけの、或いはCLを戦うそれと同じだけのテンションで彼らが戦ってくれたのかどうか?と問われれば、僕はやはりそうではなかった。そこまでの“本気”は見えなかった…と、残念ながら思っている。もし彼らがそのレベルの“本気度”でこの試合に臨んでいたならば、あれほど遠藤保仁に自由を与える事はなかったと思うし、中盤のボール回しに余裕を与えてくれる事はなかったのではないだろうか。だからといってこのガンバの素晴らしい挑戦を讃える気持ちに変わりは無いが、Jと世界との“隔たり”については、なお冷静な認識を持ち続けるべきであると僕自身は思っている。
ではどうやったら彼らの“本気”を引き出す事ができるのだろうか?
きっとそれは選手たちの問題ではない。UEFAに対するFIFAの問題。UEFAに対する、その他の世界の今後の大きな課題。そしてFIFA主催CWCの宿命的な禍根なのだと僕は思っている。僕はこの大会の未来を楽観していない。どこかで抜本的に改革されねばならないものと考える。Jリーグにとって、そしてその他の世界にとって、決して失いたくない世界への扉であるからこそ、またつまらぬ利権に振り回される事なく、真の実質を追求する大会となってゆくことを望みたい。そうあるべきだと思っている。
最後にこの日のメキシコ人主審のジャッジを讃えたい。
PKがらみの難しいジャッジがいくつかあり、その全てが妥当であったかどうかはわからないが、これほどゲームに手垢をつけず、スムーズで気持ちのよい流れを作ったのは、両チームのスタイルばかりでなく、このレフェリーの貢献するところが非常に大きかったように思う。
たった15分の出場時間で、ガチンコの“本気”を見せてくれたルーニーのプロ意識とともに、この日の主審ベニト・アルチュンディアさんの素晴らしいジャッジに深く感謝したい。
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2008年11月07日
アデレードとしては、仮にこの試合を落としてもCWCへ出場することに変わりはない訳で、そのへんが準々決勝鹿島戦でのパフォーマンスと微妙に異なる部分であったのかも知れない。
特に37分にガンバに先制されてからの展開は、攻守の意思統一も見られず散々な内容となった。場合によっては0-1でも良し…とするリアリズムに根ざしたゲームプラン。或いは例え敗れてもこのアウェーで得点して帰る…という積極性。試合開始前から、或いは試合展開の中から、このゲームに対するそのような確たる意志が垣間見られなかったことは、少し残念な気がした。このチームの実力を高く買っていただけに尚更である。
一方のガンバ大阪は、西野監督の計算通りの展開、狙い通りの勝負どころで、持てる総力を見事に発揮し得た。佐々木勇人の起用とタテへの突破。二川孝広のヨコの揺さぶりとフリーラン。そして遠藤保仁の捌きといつになく積極的な活動量とゴール前への飛び出し。さらに彼らのスペースメイクから深いゾーンに滑り込んでくる両サイドバック。
今年ガンバの試合を見てきて、これほど胸のすく人とボールの連動を見たのははじめてである。特に4-2-3-1の3のタレント達の見せてくれたパフォーマンスは秀逸であり、“これがニッポンのサッカーである”と、胸を張って世界へ披露できる輝きとクオリティを有したものであったと思う。
本来アデレードはとても力のあるチームであり、ホームともなれば前からのプレッシャーもキツくなるだろうし、この日見せた気迫と運動量とは明らかに異なるものを見せてくれるだろう。そんな相手に対しても、怯まずこのサッカーでポゼッションし、敵ゴール前の堅い壁を打ち破る事ができるかどうか…。次戦こそが真価の試される一戦になるのだと思う。あまり消極的になることなく、1点取って試合を決める…という姿勢を見せて欲しいし、また今のガンバであれば、自ずからそういう展開に持ち込んでくれるのではないかと内心期待している。
3点目のセットプレーをのぞけば、それ以外の得点、ほとんどの決定機は敵のDF体制が整う前の“速攻”から導き出されているのがよく分かると思う。どれだけポゼッションを鍛え上げようと、それがサッカーの現実であることにここ何十年変わりはないのだ。そういう意味で、バレーやマグノを欠いた今の現状で、ガンバがここまでスピードある攻撃を見せられているのは、ひとつの大きな進化であり成長の証であると考える。バックアップを含め、素晴らしい編成がなされたチームであるし、現場のみならずフロントの健闘も大いに称えられるべき要素なのだと思う。
12日に行われる第二戦、ガンバ大阪の勇気ある挑戦と、それに対する正当な報いに期待しながら、この試合を見守りたい。
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2008年10月23日
ガンバ大阪の圧勝との見方もあるのかも知れないが、ガンバの2得点以降の内容に焦点をあててそれを誉めそやしてもあまり意味のある見方ではない。あの時点で浦和は戦意を喪失し、実質的にゲームは終わった。浦和は自らの先制点によりこのゲームに対する“スタンス”が曖昧になり、その曖昧さは、セットプレーからの失点によって1-1になったところでさらに増した。そこから延長を含め、時間を敵にし耐え忍ぶ70分ものゲームプランに対する“覚悟”がなかった。
ゲームに対する意思統一をかいた状況と左サイドでの混乱、前線のプレスが堤防としての機能を失った時、佐々木勇人、山崎雅人の華麗なフリーランと遠藤保仁に与えた自由により、その後はもう成す術がなかった。もしあの先取点がなかったならば…結果は違っていたのかも知れない。或いはもう少し冷静に前半をセーブしながら立ち上がれていたならば、後半のガス欠による自滅はなかったのかも知れない。そしてそれもこれも、選手やサポーターをも含めた現状に対する不信と、そこからくる忍耐力の欠如から生じる安易な蛮勇によるものだったのかも知れない。
信頼の欠如による、ディスコミュニケーション状態の混沌と非効率。そんなひとつになりきれない空しい奮起と消耗が招いた自滅だったように思う。
一方でオジェックは攻撃性の乏しさをその批判の主題とされた。それを受け継いだエンゲルスは、カタチの育めぬ状態の中で、攻撃への強迫観念だけに駆られて、ある意味無謀な蛮勇をふるわされた。指導者としての能力の限界といってしまえばそれまでだが、そこにはクラブ、選手、監督、そしてサポーターすべての立場に“理解”が欠けていたような気もするのだ。
オジェックならばこの戦力で勝ちきれただろうか?ブッフバルトならばこの戦力で勝ちきれただろうか?僕の答えはそのいずれもNOであると思っている。そしてだからこそここに、この戦力でも打ち立てられるサッカーのカタチを創造しなければならないのだと思っている。
今この状況、この窮地を、それぞれの立場で正しく理解して欲しい。
今、この瞬間、このポイントが、今後の浦和の10年を分かつ“原点”になるだろうということを、である。
浦和サポーターのお叱りを承知で言うが、僕はブッフバルト時代の栄光を、ある意味“幸福な誤解”だったと思っている。結果はあれど内容が伴わない…そしてそれはオジェック時代にも継承され、そして今の体制を迎えた。この間のフロントの無策・無能、現状に対する不理解は、非難を逃れ得ないものだったと思っている。あの時点で、浦和のサッカーなるものをキチンと定義し、それの実現のためのプランを練り、采配をふるってゆくべきだったのだ。勝ちながら…である。
それが監督人事ひとつとっても、常に場当たり的に流され続けてきた。まるでヘタなプロ野球チームの経営手腕を見せ付けられているかのようでさえあった。これでは絶対にいけない。もうこんなことを続けていてはいけない。
誰を監督にするか…ではなく、どんなサッカーをするのか…。そのビジョンを、クラブ、選手、そして地域とサポーターとで共有すべきである。その為の討論の場、情報公開の場、説明の場を、クラブ自ら積極的に設けてゆくことも必要なのだと思う。そして希望すべきところをお互いに希望し、我慢すべきところはお互いに我慢し、信頼によって結ばれ、ひとつの目標を目指す。浦和レッズだからこそ、そんなクラブ運営の理想像をぜひ実現させて欲しい。
エジミウソンの契約は3年で約9億円ともいわれる。オジェックとは何年契約だったかは知らないが、仮に1年契約だったとしても、開幕早々の解任でその年棒、約1億円ほどのクラブ運営費をドブに捨てたことになる。そしてさらにエンゲルスも2年契約である。その多くは、ファンやサポーターの¥2000の自由席チケットや千数百円のタオマフ1本1本の、クラブに対する愛情の集積である。その“重さ”をクラブは忘れてはいけない。そこには彼らが託した夢が込められている。それを全力で未来へ繋ぐのが、クラブ運営者の仕事であり、責任である。それができなければ、去るより他ないのだ。
今後監督人事やその他について、いろんな話が取り沙汰されてゆくだろう。
ブッフバルトの再任が最有力との話もあるし、福田正博…という選択もあり得るのかも知れない。いずれにせよここで受けたファンやサポーターの痛手を、未来への代償として意義あるものとするか、或いはただの痛み損にするかは、クラブフロントの見識とビジョン、そしてその覚悟にかかっているのだと思う。
自分が浦和レッズの現GMであれば、迷うことなく即座に辞任するが、もし新GMであればどうするだろうか…。
次回、もし時間がとれ、このモチベーションが損なわれなければ、そんな空想を書き綴ってみたいと思っている。
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『コメディ 』
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2008年10月09日
別に嫌味を言うわけではないのだが、ここ数年のJリーグを見てきて、審判のミスジャッジに関しては割と救われる展開のほうが多かった浦和が、この大事なACLセミファイナルでこれまでの幸運のしっぺ返しを喰らったような結果だったように思う。
試合展開をみれば、強いガンバが弱い浦和を終始圧倒したように映るかも知れないが、僕の見方はその逆で、早い時間の先制によって浦和ペースで、浦和の目論見どおりに、残り10分までガンバを追い詰めた…。しかし、おそらくは審判の誤審によって、初戦の貴重なアウェー勝利をすんでのところで掴み逃してしまった。浦和と浦和のサポーターにとってはほんとうに悔しい結果であっただろう。
そして、それにも関わらず、最後のところで破綻せずにゲーム終了まで戦いきった。何度も集中の切れそうになるところで、最後まで“ゲーム”に踏みとどまって次戦に可能性を残した浦和の王者らしい振る舞いは、他の経験の乏しいJリーグクラブの見習うべきところであると僕は思う。
数年前の彼らであれば、自ずからゲームを壊し、次戦への可能性すら握りつぶしてしまっていたかも知れない。これも偉大な経験を積んで、数々の痛みを知って、辿り着いた境地なのだと思う。
この今現在の浦和レッズとガンバ大阪を見ていてつくづく感じるのは、昨年の浦和VS城南と比較しての相対的なゲームの質、そのレベルの拙さ…である。率直に言えば、この今現在の2チームであれば、昨年の城南にまず勝てないだろうと僕は思った。また鹿島を打ち破った準々決勝時のアデレードにも、まず勝てないだろう…と。
もちろん疲れもあるだろう。またどちらのチームも外国人助っ人が不在か、機能しきれていないことの影響もあるだろう。けれどもこの日本を代表する東西両クラブの雌雄を決する戦いが、“この程度”の試合であることを僕は残念に思った。素直にそう言わせてもらおう。
そして、だからこそ両チームの次戦の奮起に期待したい。
東と西の両雄の、誇りと底力がぶつかり合う、凄まじい激戦を期待したい。
もしかしたらガンバの方が良い状態で次戦を迎えられるのかも知れない。けれども浦和の選手たちは、その背中を押す何十万ものサポーターたちの真っ赤な情熱は、そんなガンバの優位をものともせず彼らの前に立ちはだかり、そして圧倒してしまうのかも知れない…。
アジアの、ACLの歴史に残るような、そんな素晴らしい試合になる事を僕は願っている。
Jリーグのレベルは、今日本経済の不振と中東・旧ソビエト諸国の購買力からなる外国人助っ人のクオリティの低下、日本代表チームの牽引力不足からくる活力の低下によって、頭打ち…の状況を迎えつつある。ゆるやかな地盤沈下に向けて、拡大から縮小への質的な逆転現象が少しずつ露になってゆく局面を迎えたように思う。少子化とさらなる経済・財政状況の悪化がもたらすもののその深刻さを、根の深さを、今ここで真剣に考慮、議論し、適切で思い切った対策を施さなければならない。そこにはもう一寸の猶予もない…。
国が飢え、困窮し、疲弊してグダグダになった時にこそ、サッカーがこの国の人々を助けなければならない。子供たちの夢を繋がなければならない。サッカーには、そういう力があるのだと僕は思っている。
その為に、いま僕たちに何ができるのか、何をしなければならないのか…について、僕もサッカーに集う者の一人として考えてゆきたいと思っている。一人一人が、この国の権力者のように、或いはそれが為すよりもさらに深く、厳しい愛情を持ってこの難局に立ち向かう事によって、そこに新しい何かが生じることを祈っている。新しい時代が生まれることを祈っている。
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『世界恐慌を生き抜くために…』
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2008年09月25日
アデレードは強いチームだった。
豪州のチームにして、しっかりとポゼッションして押し上げられるし、守りに入る局面でもDFラインの判断に硬直した偏りが無く、繋ぐ場面、蹴る場面をきちんと使い分けられていた。カウンターの際にも、少し前が詰まればボールのアウトサイドをオーバーラップしてゆく腰の入った攻めを展開してくるし、0-0で良いこの試合にも積極的に点を取りに行くサッカーをしていた。
サッカーのスタイルとして、これまでのオーストラリア代表のそれを一段上回るクリエイティブな組織性を感じたし、このチームであればJリーグに入っても充分優勝争いに絡んでくるチームであると見受けられた。これもビドマーさんの手腕なのだろう。彼は本当に良いチームを作ったと思う。
一方の鹿島はこのところの不調により、チーム本来の実力が出し切れない状況でこのゲームを迎えてしまった。疲れもあるだろうし、小笠原満男や新井場徹の不在も響いていただろう。そしてやはり今年は、見ていて何か物足りないものを感じるのだ。そこにはやはりACLによる過密スケジュールもあるだろうし、チームとして乗っていかなければならない時期に、北京五輪によって内田篤人を欠いて戦わなければならなかったことも痛かっただろう。同じく北京五輪により安田理大を欠きながらACLのグループリーグを戦わねばならなかったガンバ大阪も同じように苦しんでいる訳で、このACLグループリーグを戦うクラブに対して、日程面含めたもう一ひねりのアイディアを、クラブチームは勿論、Jリーグ、そしてJFAも考えなければならないタイミングなのかも知れない。代表スケジュールも含めての包括的な施策を…である。
この試合に関していえば、やはり初戦同様中央を固めたアデレード守備陣のゴールをこじ開けるために、鹿島はPA内にもっともっと人数を割いていかねばならなかったような気がする。フォーメーション的な要素もあり、どうしても2トップの一人がサイドでのチャンスメークに回ると、中の勝負どころのゾーンに頭数が足りなくなる。それを補完する3列目の飛び出しに、積極性と勇気が欠けていたのかも知れない。最初から0-1で負けていた試合だったのだ。そういう認識で、1点取られるとしてもとにかく1点取るために、最初からロスタイム残り4分の気迫で遮二無二攻めるべきだった。もっとがむしゃらにゴール前、PAに突っ込んでゆくべきだった。見ていてそれが歯がゆかった。
浦和はやはりチャンピオンらしい気迫と執念を見せてくれた。
球際の1シーン1シーンに、この日の鹿島では及ばない“強い気持ち”が見受けられた。きっと彼らは、何よりもこのACLに賭けていたのだと思う。ここで勝つ事が、どれだけの意味を、価値を持つのかを知っているのだと思う。鹿島のようなチームであれば、Jリーグの優勝を狙うのは毎年でも可能だろう。が、ACLのGLを1位抜けして、このACLベスト4を争うゲームに進出できるチャンスは、その短い選手生活の中でいったい何度あるだろうか?
きっと選手たちは必死で戦ったのだろう。この試合に命を賭けたと言えるぐらい頑張ったのだろう。けれども浦和に敗れ泣きじゃくるアルカディシアの選手たちを見て、またボロボロに疲弊しながら、最後の最後まで、ぶっ倒れるまでボールを追い続けた浦和の細貝萌や阿部勇樹、坪井慶介や闘莉王の、その感動的なまでの戦う姿を見せつけられて…、僕はまだまだ鹿島の執念は足りていなかった…と思った。失礼を承知で、まだまだ甘い、ぬるかったのだ…と思った。その“気持ち”があれば勝てた…とは思わないが、それ無くして敗れた鹿島は、本当の鹿島ではない気がした。そして、だからこそ、Jを死ぬ気でもぎ取れっ!と言いたい。このままズルズルと敗れ去るな…と。
鹿島には、鹿島だからこそ見せ付けねばならぬ、貫かなければならぬ意地があると思う。
鹿島のここからの戦いを注視してゆきたい。彼らはいつだって強く在り続けなければならない。そういうクラブなのだと僕は思う。
アデレードは洗練された戦術を持つ素晴らしいチームである。そしてジーコの監督就任も噂されるクルブチも非常に強いチームであるという。浦和レッズ、そしてガンバ大阪、どちらが勝ちあがっても厳しい決勝戦となることだろう。次の準決勝2試合、この国の歴史に残る最高のゲームを、この両チームには期待したい。全アジアが熱狂するような、最高のゲームを。
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キリタニ100法『思い出の曲No.03』
posted by 桐谷 |11:44 |
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2007年12月21日
浦和はミランに対して攻めなかった…のではなく、攻められなかった。
ラインを上げてボールを奪いに行かなかった…のではなく、行けなかった。
それが浦和レッズ対ACミランの真実、Jリーグ王者対UEFA王者の現状におけるどうしようもない“現実”であったと僕は思っている。
この攻められない、ボールを奪いに行けない…という状態は、僕は決して選手の臆病や消極的姿勢から生ずるものではないと考える。少なくともあのACミラン戦においては、彼らはその攻められない、ボールを奪いに行けない状態を必死で耐え忍びながら、Jリーグ王者、そしてアジア王者として、勝つための最善の可能性に最後まで賭けていた…今もって僕のその評価はまったく揺るがない。
攻撃的スタイル…というものは、相手との力関係があって初めて成立し得るものである。それはオシムジャパンVSスイス戦の前半を見れば明らかであると考えるし、ACにおけるサウジアラビアの立場から、彼らの日本戦とその他の試合におけるそのスタイルの変貌ぶりを見てもまた明らかであると思う。
あの試合における浦和レッズとACミランをボクシングに例えれば、僕はストロー級の東洋チャンプと、ミドル級の世界王者との戦い…のようなイメージで捕らえている。ミランとボカとの差を、“2~3人で攻めきれるか、さらに1人2人のサポートを必要とするか…”の例えで描写したが、要するにしっかりとガードを固めた上での軽いジャブでKOし得るミドル級世界王者のミランと、その相手にガードを解き大きく踏み込んで、腰の入ったフックを渾身の力で打ち込み、それがミートした時に、初めてちょっとしたダメージが与えられるかどうか…というストロー級の浦和。
この試合の積極的か消極的かの議論や評価とは、両者のその現実を踏まえた上で、僕達それを見る者がいったい何を望んでいたのか…本質的にはその立場こそが問われるのだと改めて僕は思っている。
あの実力差であれば、彼らの一発のジャブを食らわずに、その固いガードを掻い潜り大振りのフックを3発4発と顔面に叩き込み、浦和がミランをKOし得ていたとは僕は思わない。また浦和は失点後、押し上げてゴールを狙いに行く局面も可能な限り形成していたと思うし、アジア王者として今出来る事に最大限トライできていたと考える。
そして敗因として検証すべきは、浦和の戦術や消極的姿勢…などの枝葉の話ではなく、もっと大きな幹の部分、国レベルでの戦略、そしてJリーグ自体の抜本的改革にこそあるのだと僕は思っている。要するにどうやって彼らと同じような苛酷な競争環境をこの国に形成するか、Jリーグのレベルを上げてゆくのか…という事である。その方がこの苛酷な現実に対して、遥かに利益のある議題になるものと考える。そこを変えて行かなければ、本質的な彼らとの差はますます開いてゆくばかりである。そしてこの国は、変われるのだと僕は信じている。
次にこのCWCの舞台にJチームが立つのはいつの事だろうか?
5年に一度位出られれば…とぼんやりと考えてきたが、今明らかにこれまでとは違った熱気と興奮が、この国に芽生え始めているのは確かである。この熱を、どうかJリーグ改革の機運へと繋げていって欲しい。これをキッカケに、クラブレベルでも明確に“世界”を意識したチーム運営に踏み出して欲しい。そしてその為の環境を、クラブとJリーグで徹底的に議論していって欲しい。そしていつか必ず、この巨大な壁をぶち破って欲しいと心から願っている。
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posted by 桐谷 |10:24 |
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2007年12月17日
試合後も鼓動の高鳴りがしばらく収まらなかった。
それは単純にサッカーの興奮や感動…であったかも知れないし、彼らに対する恐怖…だったのかも知れない。
浦和のACL制覇により、彼らは単なる理想や憧れの対象ではなくなった。いずれ打ち倒すべき“敵”のひとつとなった。日本は、そしてJリーグは、パンドラの箱を開けてしまったのだろう。ここから、もう後戻りはできない。浦和レッズにとって、鹿島アントラーズにとって、ガンバ大阪にとって、そして川崎フロンターレ、アルビレックス新潟にとって…ACミランはいずれ倒さねばならない敵となった。そして世界が…ここからは敵なのである。
勝敗を分けたポイントは何だったのだろうか…と考えれば、それはやはり“個”の持つパワーであったのだろうと僕は考える。
ミランにはカカがいた。ボカには14番パラシオがいた。この世界屈指の素晴らしい二人のドリブラーの明暗を分けたものは何だったのだろうか…と考えるとき、それはやはり“パワー”だったのだと僕は思う。
端的に言えば2人3人で攻め“きれる”ミランのパワーに対して、さらに1人か2人のサポートを必要とするボカのパワー。そのパワーとパワーの僅かな均衡を欠いたギャップが、現実にスペースとスピードというアドバンテージをミランに与えているのである。
ミラン2点目のネスタのゴールに繋がるFK前のシーンが、象徴的にそのパワーの差を表しているのではないだろうか?
サポートの無い1対2の状況を、ドリブルで突破しようと試みるセードルフの“パワー”。結局ファールで止められ、そのピルロからのFKが得点に繋がるのであるが、あの個のパワーの前に組織や戦術論はまるで無力である。
カカが一度前を向いて2、3歩の暇でトップスピードに加速してしまえば、それはもう組織や戦術うんぬんの話ではなくなる。このボカにして個のパワーにおいて、明らかな劣勢を強いられ、あらゆる局面において汗をかき紡ぎあげた数的優位をあんなにも容易く反故にせられてしまうのだ。
浦和戦における彼らが、フルパワーで戦っていたとは僕は決して思っていなかったが、このボカ戦を見るまで、これ程までもパワーをセーブしながら戦っていたとも、また思ってはいなかった。きっと浦和の選手達も、この試合を見てまざまざとそれを感じ取った事だろう。そしてまたきっと、新たな悔しさを味わっていることだろう。
最後にこの試合の主審、メキシコのロドリゲスさんだと思うが、彼の見事なレフェリングを心から讃え、公正で素晴らしいゲームを演出してくれた事に深く感謝したい。
ブラジル経済は成長を続けている。アルゼンチン経済の復興にも目覚しいものがある。中東産油国、ロシアのそれは言うまでもないし、EUのそれも磐石なものである。
これまでJリーグは、ブラジルの選手供給力によってそのクオリティを支えられてきた。が、これからはこの状態に胡坐をかいてなど居られない時代が来る。いや、それはすでに訪れているのかも知れない。セカンドクラスのブラジル人タレント達も欧州を目指し、ロシアや中東を目指し、そして祖国に安住する時代が来ているのである。
この“世界”と対峙してゆく為に何が必要なのだろうか?
どうやってJリーグの質を向上させれば、あのミランを捕らえ、そして抜き去る事が出来るのだろうか?
今一度、切実に考え、迅速な対応を検討してゆくべき必要に、待ったなしで、Jは迫られているのだと僕は思う。
今後はJリーグ機構そのものに、新自由主義(ネオリベラリズム)の概念、競争原理を速やかに持ち込んで改革してゆかなければならないだろうし、広くアジアに門戸を開き、質的向上の為のルートを多元的に確保してゆく必要もあるだろう。課題は数限りなくあるが、まずためらわずでき得る事に迅速に着手し、行動に移すべき瞬間である。
さあ、戦おう。
この心が冷めてしまわぬうちに…。
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posted by 桐谷 |11:49 |
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2007年12月14日
人にものを教える…という事は、さほど難しい事ではない。
教えたつもり…になれば良いだけの話だ。
が、人にものを覚えさせる…という事は、次元の違う困難を伴うものである。そして人間というものは本質的に“経験”からしか学べない…或いは学ぼうとしない生き物である。であるからまた、どんな格言や説教よりも、ひとつの実体験から得るものの方が、遥かに価値あるものであると僕は思っている。
この試合で浦和の選手達が体験したもの、苦しんだもの、見せつけられたもの、そして何よりも“悔しい”と感じたその気持ちは、何ものにも代えがたい彼らの財産となるはずだ。この大会が確かな権威を踏まえ、恒久的なものとして今後も継続されてゆくとするならば、いずれ日本はミランを倒すだろう。欧州を倒す時がくるだろう。ここで得た彼らの“経験”こそが、その根となり、土壌となって活かされる日が必ず訪れるだろう。
彼らの素晴らしい奮闘と、だからこそ得られたこの素晴らしい体験に、心からの拍手を送りたいと思う。
プレスゾーンをハーフラインより手前に揃えて、焦らず、勝気に走らず、慎重に守備ブロックを構築して、リアリズムに根ざした試合展開に持ち込めた。まさに浦和らしさを体現した、実直でステディーな戦いぶりだったと思う。球際で劣勢ながらも簡単に飛び込まず、粘っこい守備でパスコースを切りながら、プレスを掛けにいった阿部勇樹。そして彼をはじめ長谷部、鈴木啓太らの中盤での守備での頑張りは、本当に見事なものだった。
技術的な差異、考えるスピード、動き出しのスピード、そしてパススピード、強さ、激しさ…言うまでもなく全ての要素で、現状では埋める事のできない“格差”が生じているのは間違いないが、そんな中でも最も象徴的に際立っていたのは、ゲームの中での“メリハリ”のつけ方。90分の試合のどこに力点を置き、どこで流すか…という部分の、ミランの大人びたゲームプランニングとそのチームコンセンサスの在り様にあった。
一週間もの調整期間があったとはいえ、やはり大きな時差の生じる、これだけ長距離の移動に対して、彼らは非常にナーバスでもあり、また慎重にもなっていたと見える。前半40分までの立ち上がりを彼らは浦和の出方を見ながら、自らのコンディションを確認するかのようにローギアで“ならし”ているように僕の目には映った。それが前半終了間際の5分間で、前に重心を掛け一気に仕留めに来た。そしてそのスイッチを持続したまま、さらに後半20分までを勝負どころと見定めて、嵩にかかってゴールをもぎ取りにきていた。
この前半の終わりから後半の20分までの浦和のディフェンスの踏ん張りは、本当に素晴らしかったと思う。後半20分に差し掛かってくるとミランは明らかに疲れてきていた。徐々にスローダウンし始めていた。あと5分…守りきれていたならば、90分0-0の試合も可能だったのかも知れない。が、それにしてもミランの仕留めにきたこの25分間の重圧を跳ね除けた浦和の頑張りは、大いに讃えられてしかるべきものであったと思う。
ポンテと田中達也が不在で、そしてワシントンが本調子でないこの状況で、オフェンス面においても、でき得る事はすべて出し尽くせたのではないだろうか。本当に良いパフォーマンスを見せてくれたと思うし、この試合だけは手放しで評価してあげてよい試合であった…と、僕はそう思っている。
そしてそれでもなお、僕がアンチェロッティであれば、浦和よりトリノの方が怖い…と感じるだろう。浦和よりもカリアリとの試合の方がより困難である…と実感しただろう。
現状ではセリエAに留まる事は難しいが、Bで昇格争いにギリギリ絡めるぐらいの実力があるかどうか…非常に厳しい見方かもしれないが、あえて言及するならば、それが僕の偽らざる“感覚”である。
ミランとこれだけの内容のゲームを繰り広げられた…にも関わらず、次のエトワール戦も浦和にとっては非常に大きな壁であると僕は思っている。両チームのモチベーションがどれだけの濃度で絡み合うか…にもよるが、彼らはセントラルで10回戦えば、浦和に対して敗北より多くの勝利を積み重ねる実力を有したチームであると考える。
今あらためて思うのは、浦和に対する感謝である。
世界の扉をこじ開けてくれた彼ら、そしてその厳しさを、今ありありと僕らの目の前に突きつけてくれた彼らのACLでの奮闘に、あらためて深く感謝したいと思う。
浦和レッズにとっての今年最後の試合、そしてこのメンバーで戦う最後の試合である。
ここまで一緒に戦ってくれたサポーター達にとっても、悔いのない誇れる内容をこの2007年の最後に置き残せるように…彼らの健闘を心から祈っている。
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【キリタニ100法】ニッポンの未来を築く100の立法
posted by 桐谷 |11:36 |
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2007年12月12日
たった10日足らずの調整期間でよくここまで立て直したと思う。
Jリーグ最終盤では、その疲労ぶりばかりに目を取られてしまっていたが、こうしてみると連覇への重圧といったメンタルの部分での負荷も決して小さな要素ではなかったように思う。積極的に前でボールを奪う意識と、ここまで秘められていた強い攻撃意識の解放を、今こうしてまざまざと見せつけられ、なんとか“ミラン戦に間に合った”この浦和のサッカーを、日本の代表としてとても誇らしく思う。
きっと報道で伝えられるようにセパハンの状態も良くなかったのだろう。ピッチ上を、広くボールが動く組織的な攻めの展開は相変わらず美しかったが、一次攻撃が頓挫した段階での二次、三次攻撃に繋げるいやらしさがなかった。ナビドキア不在の影響は攻撃面で大きく響き、またディフェンスにおいても球際の強さ、激しさ…といった部分で、浦和のそれにやや見劣りしていたように思う。
ACLで既にカタをつけたセパハンに、この時点でまたぶつかる…という大会運営上の不備も含めて、JFAには永年開催を目論むのならば“開催国枠”の返上を…或いはFIFAにおいては、あくまで“開催国枠”が興行上不可欠なものであるとするならば、2009年度以降の日本の継続開催を認めない…という、この大会の“権威”に対する“配慮と覚悟”を求めたい。
最終的にこの大会はUEFAチャンピオンズリーグの上に立つ大会に育ててゆかなければならない。その為に、いつまでもFIFAの一部とJFAの、既得権益の為の玩具にしていてはいけない…と考える。
この大会の為に欧州王者が一週間も前に来日して調整する事は間違いなく“異例”である。UEFA内、そしてミランの側にどのような力学が生じていたのか…欧州事情に疎い僕には判然としないが、ある程度の高いモチベーションを持って、ミランがこの大会に臨んでくれたことは間違いないだろう。
であれば…浦和のサッカーがいかにトップフォームを取り戻したとしても、両者の間にあるこの実力的な“断絶”は、両国の代表チーム同志のそれを、さらに上回るものなのかも知れない。
それほど“速い”攻めは見せないミランの攻撃を、ピルロとセードルフに前を向かせない守備である程度守れた…としても、こちらの攻撃に際しては、中盤を作りながら攻める事をミランのプレッシングは容易く許してはくれないだろう。またワシントンといえどもロングボールを収めてくれる事はそう何度も期待できず、内容的にはひたすら“我慢”を強いられる90分になるものと考える。
そしてその中で、彼らがこの数年の間に身につけたサッカーにおけるリアリズムをどう発揮してゆくのか…。その片鱗をどこで見せ、どのようなカタチでミランに一泡吹かせるのか…。そんな部分に注目しながら、僕はこの試合を見守りたいと思う。
果たして、浦和はセリエAのプロヴィンチャに足る実力を保持しつつあるのか?或いは、やはり未だその途上にあるのか?
Jリーグが初めて世界に“コンタクト”する瞬間…
その厳しさの中から、何を学び取り、そして何を未来に繋げるのか…。
浦和レッズの健闘を心から期待したい。
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【キリタニ100法】ニッポンの未来を築く100の立法
posted by 桐谷 |10:26 |
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2007年11月15日
サッカーを見ていていつも思う事がある。
“強さ”の本質とは、戦術が破綻し、動力が枯渇し、もうこれ以上打つ手がない…という状況に陥って、初めて見えてくるものである…ということである。
そこで試されるものは“知恵”なのかも知れない。そこで試されるものは“自信”なのかも知れない。そこで試されるものはチームとしての“意思の疎通”なのかも知れないし、やはりそれは“気持ち”なのかも知れない。
そしてこれは、もしかしたら社会のあらゆる事柄にあてはまる普遍的な原理なのかも知れない。僕達の強さも弱さも、きっとそんな時にこそ明らかになるものなのだろう。浦和レッズに、昨日改めてそれを教えてもらった。
僕達日本人は、もっともっと強くならなければならないんだ…と。
2つの得点は、そのどちらも息が上がり、押し込まれた苦しい時間帯に生まれたものだった。
この試合はあまりサイドに流れず、押し込まれた局面でのバックラインからの危機回避のロングボールに、積極的に絡む事がなかった永井雄一郎だったが、2つのゴールシーンでは的確なポジショニングで、ゴール前にフリーの状況を築いている。大きな舞台に強い彼らしいパフォーマンスだった。
前回の試合で左サイドのネネのゾーンを突いてきたのと同様、この日のセパハンも浦和の左サイドに照準を絞って組み立ててきた。そこからバイタルのナビドキアに戻して勝負をかけさせるか、さらに逆のフリースペースに振らせてPAに持ち込むか…。どちらにせよバイタルでナビドキアに自由を与えない守備が求められたが、現実にそのゾーンを支配していたのは、前回の試合同様、ナビドキアであったように思う。
セパハン側から見れば、惜しむらくは最終局面を“個”で仕掛けられるタレントがいなかった。日本やサウジや韓国のトップチームにいるような、最後の場面を“個”で切り裂けるタレントの不在が、やはりゴール前での成否を分けてしまったように思う。
現代サッカーにおいてその“内容”を作るのは中盤であることは間違いないが、その“勝ち負け”を別つのはやはりゴール前でしかない。
その現実が明らかにされたゲームになったように思う。
言うまでもなく、ナビドキアはJにおける遠藤保仁や中村憲剛に比肩する実力の持ち主である。同じようにFW20番リダ(イラク)も、Jの助っ人として水準の実力を有するタレントである。彼らのような才能が、Jに活躍の場を得て共にアジア制覇を目指す事ができればどれだけ素晴らしいことだろうか。
今以上にアジアに目を向け、そして名実ともにアジアをリードするJリーグになることを僕は強く望む。
以前“Jリーグへ”というJ改革私案の中で、僕はTV放映権の自由化などを謳った“格差奨励”のアイディアを紹介した。
『地方チームの生存権を奪う』『半数以上が潰れてしまう』『浦和やガンバだけでJが成立しているのではない』『これ以上の格差を認めれば地方チームは優勝の可能性を失う』『どんなに努力しても地方はキツイ』
大多数が反対意見だったように記憶している。
今改めて思う。
『甘えるな…』と。
浦和レッズは、昔から今の浦和レッズであった訳ではない。
国見や市船より弱いと揶揄された浦和が、あらゆる力を結集して“今”を築いたのだ。そこにはたゆまぬ努力の継続が、厳しい自己改革の繰り返しがあった筈だ。将来を見据えた的確な知恵や決断と、厳しい現実を受け止めながらもそれを必死で支えてきたサポーター達の情熱があった筈だ。
どこよりも厳しく自己を追い込んだからこそ、僕は浦和の“今”があるのだと思う。僕達は、今華々しいスポットライトに照らされた彼らの影に、そこ秘められた身を切るような“努力”の歴史があったことを決して忘れてはいけないと思う。そして華やかな過去のスター選手たちと共に、この長い歴史の中で、人知れずチームを去っていった選手達の、その敗れ去ったすべての戦いに、僕は今、心から拍手を送りたいと思う。
創ったのは彼らである。彼らが人生を賭けて立ち向かった苛酷な戦いが、今のこの浦和を築いたのだと僕は思う。
横浜FCは浦和レッズになれる。
ヴァンフォーレ甲府も浦和レッズになれるのだ。
戦いの果てに、必ず辿り着ける。
でなければサッカーはつまらない。
僕はサッカーを信じている。
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【キリタニ100法】ニッポンの未来を築く100の立法
posted by 桐谷 |08:00 |
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