2007年12月24日

オシムジャパン最終章 オシムがくれたもの

『サンタクロースはいるの?』

と誰かに問わなくなってから、どれぐらいの年月が流れただろうか…。
今ではケーキを食べる事も、誰かとプレゼントを交し合うことも、もちろん親父の大きな靴下をベットにくくりつけて眠る事も全くなくなってしまったが、言葉にしがたい当時の高揚感だけは未だに忘れられなかったりもする。

結局は真夜中に薄目を開けて、父や母のゴソゴソと何やら動き回る姿を垣間見る事になるのだが、その翌年からは“受け取りたいモノとあげたいモノ”に齟齬が生じないように、事前にしっかりと言葉に出して要求する事で、僕の中のサンタクロースは幕を閉じた気がする…。まったく味気の無い幕切れだったが、今にして父や母という存在の喪失を知って、僕はその頃の輝かしさや幸福さ…というものを初めて知る事ができたと思う。
まったく、なんて幸せなクリスマスだったのだろうか…と思ったりもする。

僕はこのサンタクロースのように、僕の中のオシムの頁をここで閉じてしまわなければならない…とずっと思ってきた。そしてズルズルと40日間をここまで先延ばしにしてきてしまった。

さあ、決着をつけねばならない。
新しい戦いに、集中しなければならない。
その為にも、オシムについて書くことはこれを最後にしよう…と思う。


オシムがくれたもの…

それは『希望』である…と僕は思う。
それは決して現実と乖離した幻想の領域における『希望』ではなく、
それは決して机上というまやかしや虚構と手を結んだ肌触りの良い『希望』でもない。

風変わりなものでも、独創的なものでもなく、そこに到達するためのヒントや、道を踏み外さぬためのお守りやコンパスの類でもない。

彼が人生の最後に、命を掛けてこの国に伝えたかったもの、そして残したかったもの…その思いが、そこに凝縮された彼の、彼自身の挑戦が、オシムがくれたものであり、僕はそれを『希望』と名付けたいと思う。

そしてその希望の先にある未解の最終定理は、僕達自身の手でその鍵を見つけ出さなければ成らない。その為の近道など、もうどこを探しても存在しないのだろう。

…ある凍える夜に、僕らは薄目を開けて、あまり人相のよろしくない大男が汗をかきながらゴソゴソと部屋の中を動き回っているのを見た。
ある子供達はそれを泥棒ではないかと心配し、またある子供達は一途にトナカイに乗ってやって来たサンタクロースだと信じた。

男は大きな袋をその背に抱えているようにも見えたが、結局それで子供達のカラッポの靴下を膨らましてくれる事はなかった。

子供達は大男にこう尋ねた。

『あなたはここで何をしているのか?』

大男は子供達にこう言い残した。

『さあね、何だろうね…』


父や母と過ごした幼い頃のクリスマスのように、ずっとずっと先、この先何年かかろうとも、僕はこの“カラッポの靴下”というオチの無い物語に、きっと輝かしい幸福への“希望”が息づいていたのだと信じている。彼への言葉にならぬ感謝の気持ちと共に、僕は疑いなく、今それを信じている。

楽しいクリスマスを。

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posted by 桐谷 |09:55 | オシムJAPAN | トラックバック(2)
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2007年12月05日

試合は… 

『冷たくなければアイスじゃない』

オシムがオシムでいられた事を心から嬉しく思う。鹿島が勝った事に驚き、WCアジア3次予選のドローに関心を示していた…という。あれほど頑なに召集を拒んでいた鹿島の、最後の最後の踏ん張りをぜひ彼に見せたかったと思う。小笠原満男や岩政大樹の力強いパフォーマンスとその魂を、ぜひ彼に見せつけたかった…と思う。

きっとオシムは、日本代表監督を“勇退”したことをまだ知らない。

寝つきの悪い僕が、深夜いつもベッドの中で、目を閉じて11人の代表選手の選別と配置を頭の中に思い描くように、未だ彼もそんなことをしながら浅い眠りの中でチーム構想を練り続けているのかも知れない。

岡田武史氏の代表監督就任を、僕は一方で歓迎しながら、また一方で複雑な想いにも囚われていた。
彼の人間性には非常に心惹かれる部分があるし、彼が昨年序盤の横浜マリノスで見せた強烈なプレッシングサッカーの原型は、華やかさには多少欠けるかも知れないが、個力で強国に及ばない日本にとっては、もっとも合理的なスタイルであると思う。来年2月からの、しかも前倒しで6月終了が噂される3次予選の日程を考えれば、あらゆる面において彼が適任である事は間違いないと思っている。

けれども…、

その交渉過程がなぜこうもメディアに漏れるのだろうか?
また、毎回毎回同じようなリークにより様々な不都合を生じながら、なぜ誰も処罰されることはないのだろうか?
意識回復の兆しがあったなら、11月まで待つ…と言いながら、なぜもう一週間待って彼にそれを伝えてから公表できなかったのだろうか?
そして結局誰が主導的に決めているのだろうか?
『2010年までの契約とし、オシムイズムを継承しなければならない』と川淵氏は言うが、それが技術委員の仕事でないとするならば技術委員達は何ゆえ存在し続けているのだろうか?

きっとこれでも、フランスWCの頃に比べればだいぶましな組織に変貌しているのだろう。少なくとも岡田さんは、そう思っているからこの難局において苛酷な試練を、そしてさほど報いが見込めずリスクだけが過大なこの職責を、引き受ける気になったのだろう。
僕は岡田氏本人への期待や信頼と、この協会の不透明な人事の在り方を、自らの思考と感情の領域できっちりと隔てて、それぞれを冷静に峻別してものを語るためにここまでこの問題に口をつぐんできた。

岡田さんなら、現チームの良い部分をうまく活かしながら、前でボールを奪う事、そしてそこから早く展開しゴールに迫る事…にも同時に取り組める指導者であるように思う。オシムの植え付けたスタイルを否定するところから、彼が戦術を構築してゆくとは僕はまったく思わない。まただからと言って、オシムイズムの継承などと彼に要求するのは、まったく筋違いな話であるとも思っている。

負けることも勝つこともあるだろう。
それはベンゲルだろうが、モウリーニョだろうが、クーペルだろうが、ブリュックナーだろうが、アリーナだろうが…同じ事である。
そしてオシムを失った以上、地に足つけて泥臭く今在るもので背伸びせずにぶつかってゆけば良いのだと思う。長い目で見れば、それこそがこの国の本来持つ“自力”であることに他ならないし、そこから出発して上を見上げて一歩一歩進んでゆくことこそ、本来あるべき姿なのかも知れない。

この状況で決心してくれた岡田さんに心から感謝するし、また彼と代表の今後を、その最後まで、厳しく愛情を持って見つめてゆきたいと思っている。


そしてオシムさん。

試合は…

試合は、まだ始まってもいないし、終わってもいません。
ピッチではたくさんの選手達があなたを待ちわびている…。スタジアムには数万のサポーター達が、あなたが来るのをずっと待ち続けている…。


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posted by 桐谷 |09:59 | オシムJAPAN | コメント(13) | トラックバック(0)
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2007年11月29日

たとえ誰が監督であったとしても

たとえ誰が監督であったとしても…

WCアジア予選を楽に通過できるはずなど無い。

結果だけを見ていては如何様にも見誤れるものなのかも知れないが、その1試合1試合の内容に目を向けてきたとするならば、これまでのどの予選も苦しい、本当に苦しい戦いの数々だったことが理解できるはずだ。

オフトの時のアジアはたった2枠だった。それが今では4.5枠である。日本が強くなったのは確かだが、アジアも同じように進化している。この3次予選の組分けを見てもその“アジアの進化”を強く実感する。中東勢の強力な底上げとオーストラリアのアジア転入が、このWC予選をより一層厳しいものへと変えたのは間違いない。

『概ねベスト4程度の実力はあるがアジアNo.1ではない…』

それがこの15年の“アジアにおける日本サッカー”の僕の中の評価である。幸運に恵まれた組分けもあったが、その内容を慮れば、常に五分五分の厳しい確率をすり抜けてきた。オシムが健在だろうが、その五分五分の確率がそう大きく変化するものではないと僕は思っている。

サッカーにおける結果が、いつも正当にその実力を指し示すものであれば、浦和が愛媛に敗れる事も、FAカップにおいてど田舎のアマチュアチームが、予算規模の2ケタ異なるプレミアのトップチームを破る事も無いだろう。

誰が監督だろうが、負けるときは負ける…のだ。

だからこそ僕は、その結果に一元的に拘泥するよりも“4年後にどんな姿を残すか”そして“その後の未来に何を繋ぐのか”という視点を失ってはいけないと考えてきた。

だからこそ…オシムしか考えられなかった。


この国のサッカー観はある意味“分裂”している。

WCまであらゆる“結果”を手中にしたジーコが、最後のそのひとつの“結果”を受けて無能扱いされたり、ACにおいて望まれた“結果”を成し遂げられずに無能扱いされたオシムが、スイス戦の“結果”を受けて突然見直されたりする…。

その“内容”において、そのひとつひとつの“結果”は地続きのものであるにも関わらず、そこに目を向けずに“結果”に対する是非や優劣を断じ合う。どうしてそこに“内容と結果”に対するある程度の“理解と諦観”が育まれてゆかないのだろう。

そこが整理されて、はじめて“日本”は“日本”という国を知り、サッカーという“ゲーム”の本質を知り、そして“日本化”への本当の道を辿るのかもしれない。

オシムの言った“日本化”とは、具現化され得るスタイルを指すものではない…それは本質的なこの国に対する“理解”から出発し、絶えず“理想”を模索してゆく終わり無き旅路のことであると僕は思っている。そして日本は未だそのとば口にさえ立てていないのかも知れない。後任人事をめぐるメディア報道や少なくないファンの現実味を欠いた待望論を目にして、改めてそれを痛感させられた。


オシムが倒れてから、僕は次期監督は岡田武史氏で決まるだろうな…と思っていた。そして彼ならば、このような状況においてもそれを引き受け、苛酷な責務を背負って立ち向かってゆける人なのだろうな…と。

今はただその推移を静かに見守っていたいと思う。


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posted by 桐谷 |08:35 | オシムJAPAN | コメント(23) | トラックバック(0)
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2007年11月21日

ポストオシムと『日本化』への道

僕がオシムだったらどう考えるだろうか…

もし自分自身の記憶と思考が失われずに保たれ、それを伝える意思と言語を持ち得ていたとするならば…そして自由は利かなくとも、その戦いのピッチまで、這ってでも“自力”で辿り着く事ができ得るものであったとするならば…

日本代表監督を全うしたいと願うだろう。

心臓に爆弾を抱えていた彼は、おそらくは医者からもストレスから解放された平穏な日々を送る事を進められていた彼は、命を賭して、この日本に止まり4年間苛酷な任務を全うする意志を固めて、そのオファーへの承諾を決意したものと考える。
僕はそこに“どれだけ生きるか”ではなく“どのように生きたいのか”の彼自身の明確な意思を感じるし、僕自身またそのような価値基準の下に生きているつもりである。

現状、彼の病状を知り得ない以上、JFAにはできる限り彼の意識が覚醒するのを待って、この事態に対応して欲しいと強く願う。
自分自身の職責を全うできないと自らで悟れば、彼はその後の後任監督の人選や戦い方に関してはきっと何の注文もつけないだろう。僕はオシム本人ではないので、あくまで自分自身の物差しで推測しているに過ぎないが、彼のこれまでの行動や言動から、そして自分自身の価値観から、僕は今そう思っている。


そして12月の3日間の合宿に、今この状態でそれほど拘る必要は無く、中止にしてしまえば良いものと考える。
2月からのWC3次予選を考えれば、遅くともクリスマス前には次の体制を固めなければならないと思うが、今拙速に慌てて対処する必要性はそれほどない。
さらにその時期も難易度も異なる3次予選と最終予選は、必ずしも同じ体制で臨まなければならない訳ではないと僕自身は思っている。時間を有効に使える指導者も居れば、継続的な強化よりも即興でベストバランスを見出しチームをオーガナイズできるタイプの指導者も居るはずだ。この状況で、前者であればオシム自身の回復を望む以外に道は無いのかも知れないが、それが叶わないのであれば、現実的には後者の道が最も合理に適した選択となるのかも知れない。


僕が決定権を持ち得ると仮定して意見を述べさせてもらえるならば…

来年2月からの3次予選突破までは、現コーチングスタッフの中から代行者を定めて指揮を取ってもらう。
その間ある程度の期限をきってオシムの容体が回復しないか、また継続の意志が無いことが確認された段階で、後任監督との契約を交わし、代表選手の選定・スカウティングに時間と猶予を与える。

一番やってはいけない事。
それは今の段階で拙速に海外から後任監督を招く事…ではないだろうか。
2月からのWC予選を前にして、強化の継続どころか、代表選手の選定から抜本的にやり直し、チームを一から作り変えるリスクは、今絶対に負うべきではない。
それはもちろん技術委員会も重々承知である筈だ。

さらに付け加えるとするならば、一Jリーグチームから契約期間内にも関わらずこちらの事情で、強奪するようなカタチで指導者を引き抜く事。日本サッカー界の信義に照らして、そのような選択は二度と繰り返すべきではないと考える。

その上で…

城福浩、関塚隆、そして大木武、3氏の中のいずれかがまだ所属チームとの契約が調印前であるとするならば、その契約に対して“代表監督就任時は…”のオプションを付け加えさせてもらい、それをチームサポーターの方々に対して周知させておく事がベストであると考える。
そしてその場合、オシムイズム継承者…のような枷は、メディアや僕らサポーターの側も、決して無理強いしてはならないと思う。彼らは彼らの信じるサッカーを、現実のピッチ上に描いてゆけば良いのだと思う。
そしてそれこそが、オシムの意思を繋ぐ『日本化』に他ならないのではないだろうか…と今僕は思い始めている。


これは僕の今現在の想いである。
これについての反対意見と議論する気もないし、こうあるべき…等と強弁する気も全くない。そして、未だ僕はオシムの続投をこの心の中で求めている。心の中ではオシムの復帰を、未だ一心に求め続けている。


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2007年11月19日

Champagne Supernova

2時間前にスタジアムにつき、ピッチを見、ゴール裏の人々を見、ベンチのいつも彼が居た場所を見、そしてきれいに晴れ渡った青い空を眺めた。

不意に込み上げてくるものがあって、それを温かい紅茶で腹の奥に飲み込んでしまおうと口いっぱいに含んだとき、スタジアムにoasisの「Champagne Supernova」が流れて、それは抗ういとまさえなく溢れ出してしまった。

Where were you while we were getting high?


この3日間、僕の中の“サッカー”はフリーズしてしまったままである。

そしてそれが動き出すキッカケを、僕はまだこの心の中で彼自身に求めているのだ。以前、ここで『オシム信者』と呼称されることを拒み否定した僕は、それが読んで字のごとく“信ずるもの”であったとするならば、僕は彼を信じていた…と今になって自覚するし、また白状させてもらう。そしてきっとこれからも、自分以外の他者として、彼以上に“信じられる”対象を、僕は“サッカー”の中に見出す事はできないだろう。

僕はここで受け取った皆さんの気持ちを背負い、自分なりに精一杯の力を振り絞って、試合後スタジアムに残ったたくさんのジェフサポーターの皆さんと声を合わせた。嗚咽する人、目頭を抑える人、静かに感慨にふける人…そこにはたくさんの、そしてひとつの強い思いが込められていた。
そしてそれに負けないぐらい、大きな声で呼応したマリノスサポーターの姿。身の凍えるような寒さの中で、それはとても感動的で心温まるシーンだった。


満員のスタジアムから出て、駅までの冷え込んだ狭い通路を歩いていると、赤や黄色に色づいた街路樹の下で、両親や幼い兄姉に手を引かれた青や黄色のユニフォームを着た子供達が歩いている。『お父さん、おなかすいたよぉ』『カツサンド食べた~い』とそれぞれに微笑ましく並行して歩いている。青や黄色のユニフォームが、そんな情景をなんの違和感も無く包み込んでいる。

祖国や我が家を離れて、これほどにも長く日本という国に止まってくれた彼には、もしかしたらこの国のこんな風景がその胸に心地よく、そして懐かしかったのかも知れない…と感じた。

大きなヤマ場は乗り越えつつある…と聞く。
今はただ、もうしばらくこの状況を見守ってから、僕は自分の中にあるフリーズしたままの“サッカー”を、再び解凍させる事ができれば…と思っている。


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posted by 桐谷 |07:27 | オシムJAPAN | コメント(16) | トラックバック(2)
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2007年11月17日

明日、すべてのスタジアムで 

TV朝日17時30分のニュースで、

現在、彼は意識の無い状態で集中治療室に居る

という事です。

病院には家族が付き添っていて、体温や脈の状態は“家族の希望で”公表できない…という田嶋理事の会見でした。田嶋氏の目は赤く、深い疲労を伺わせる表情をしていました。

追記…意識の無い状態はストレスをかけないようにあえて薬を使ってそのような状態にしているとの続報を付け加えさせていただきます(TBS/18時報道)


しつこいようですが、最後にもう一度だけ呼びかけさせてください。

明日、日本のすべてのスタジアムで『イビチャ・オシム』のコールを病床の彼へ届けられないでしょうか?

J1、J2すべてのチームサポーター/リーダーの方々に企画していただけることを、同じサッカーファンの一人として身勝手ながら期待させていただきます。
皆様、呼びかけをよろしくお願いいたします。

posted by 桐谷 |17:36 | オシムJAPAN | コメント(21) | トラックバック(0)
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2007年11月16日

“イビチャ・オシム”を叫ぼう

できることならば、もう一度オシムのジャパンを見たい。

もしそれができないとしても、日本の“これから”をもう少しのあいだ見守っていて欲しい。

そしてそれさえできない…というのであれば、彼を祖国まで無事送り届けられるいとまだけは与えて欲しい。

この先何があろうとこのサッカーを全うしよう。
この先何があろうとこのサッカーを信じて進もう。
このサッカーで、なんとしてでも南アフリカまで辿り着こう。日本サッカーの未来と共に、イビチャ・オシムの誇りとその人生を、共に背負い戦っていこう。

幸いにして“意識はある…”と聞いた。

だとしたら…日曜日のスタジアムで僕たちに何かできることはないだろうか?
全てのスタジアムで、皆が声を上げて病床の彼に届くように“イビチャ・オシム”をコールできないだろうか?
そうやって彼に僕達の思いを届けることはできないだろうか?

今度は僕達が、彼を叱咤し激励する番である。

みんなで“イビチャ・オシム”を叫ぼう




posted by 桐谷 |20:38 | オシムJAPAN | コメント(53) | トラックバック(10)
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2007年10月18日

エジプト戦 合せ鏡の一戦と日本の特性

日本の現在のFIFAランキングは34位である。

個人的には40位~50位ぐらいの評価が妥当だとは思っているが、ベルギー(60位)や南アフリカ(73位)に0-3で負ける可能性もあるだろうし、スコットランド(14位)やノルウェー(29位)に3-0で勝つ可能性もあるだろう。

ひとつだけハッキリしているのは、日本はこの日のエジプトのような高いDFラインを敷いてくる相手、裏のスペースを使わせてくれる相手に対しては非常に強い…ということである。
けれどもまた誤解してはいけないことは、これがWC予選のようなゲームであれば、彼らはこの日本の特性に対してキチンと対応してくる…という事である。そして実質的な強国になればなるほど、さらに懐の深い“戦術的な幅”を持ち合わせている…という事である。

ガチンコの試合で堅守速攻の布陣を敷かれれば、91位のカタールや99位のヨルダンにも苦戦は免れないだろう。それがFIFAランキング34位という一面の現実と合せ鏡の“もう一つ”の日本の現実である。

要するに日本の特性をさらに伸ばしながら、(あえてそう表現させてもらうが)弱者による“窮鼠一撃”の布陣をいかに打破してゆくかに、日本の今後の命運がかかっているのだと思う。ここを履き違えて親善試合での強豪相手に対する勝利とアジア本選でのランキング上の格下相手との苦戦とを、“実力”という浅慮で安直な基準で語る愚の骨頂を、僕らファンも繰り返していてはならない…。


このエジプトは日本に非常に良く似たチームであった。

細かく速いパス回しの巧みさや敏捷で小回りの効く身体能力、個で仕掛けるタレントに欠けるアタッキングサードでの手詰まり感に至るまで、非常に日本の特性に酷似したチームスタイルであった。これにジダンやアルアハリのアブートリカ、ミドルスブラのミドなどが加われば、個のパワーで勝り、やはり日本より1ランク上のチームである事は間違いないだろうが、この1試合に関してはコンビネーションとゴール前での決定率の差で、その実力以上に大きな差がついてしまったように思う。


日本代表の個人に目を向ければ、やはり大久保嘉人のゴールへの意識の強さとその迷いのなさには、高原直泰と同じく“世界基準”のFWと同等のストライカーとしての資質を感じる。僕はオシムジャパンの理想として1人のターゲットマン+高原直泰がベストであると常々考えてきたが、大久保にはその高原を脅かす存在としてJリーグで常に輝き続けていて欲しいと願う。現状では彼だけが唯一、高原に代わりうる資質を有したストライカーであるように思う。

また巻誠一郎と共に、もう一つのターゲットマンのイスを争う前田遼一であるが、多くの決定機逸もありながら、8月のカメルーン戦に続き、この試合でも自らの持ち味を存分に出し切れていたと思う。
守備的タレントの阿部勇樹同様、攻撃的タレントとしてこの前田遼一は、日本において完全なる“基準”を網羅した特異なタレントであると考える。彼が代表においてそのポテンシャルの全てを発揮し得たとき、この日本におけるオシムのサッカーは完結するのではないか…とさえ僕は思っている。

前半36分のGKとの一対一のシーン。Jリーグではあまり見られないが、飛び出したGKがシュートを自身の股下に誘い込み、最後にその股下をペタンと閉めるのは欧州ではセオリーである。JリーグのGKであれば、必死でボール保持者の選択の幅を消す状況だが、欧州であればそこに“駆け引き”や“化かし合い”の要素がもう一つ加わる。
フィリポ・インザーギであればまず軽いフェイントで様子を見てから決断するか、浮き球で頭上を狙うかの状況だったと思うが、精神的余裕さえあればあそこで全てを選択し得る能力を持つタレントである以上、前田にはもう1ランク上のプレーを期待したい。あの状況こそが、FWとしての“非凡”と“凡庸”とを分ける大きな分かれ目であると考える。


ゲームを通して、中村憲剛の存在感の大きさが非常に目立っていたように思う。また彼に限らず、阿部勇樹、遠藤保仁、 加地亮、そして鈴木啓太…常に厳しいスケジュールの中で、 代表合宿や試合に真摯に取り組んできた選手達、クラブ、そしてクラブサポーターの皆さんには、今年一年の代表への貢献と協力に対して、一ファンとして心からのお礼を言いたい。

そして試合出場の機会がなかなか得られずとも、度々代表合宿に帯同させられてきた選手達…。山瀬功治、播戸竜二、今野泰幸、橋本英郎、二川孝広、そして坪井慶介…ジェフ時代からずっとオシムのチームを見てきて、僕には彼らこそがまさに“オシム好み”の選手達であるように感じられるのだ。しかし、試合に出すためにはオシムの中で“何らかの基準”が少し足りていない…或いはスタメンに比べて若干見劣りしているのだろう。

来年こそ、その“何か”をしっかりと掴み取って、自分の手でチャンスをもぎ取って欲しいと心から願っている。


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2007年09月12日

【三大陸】スイス戦 戦評

“速さ、強さ、そして厳しさ”

サッカーを構成する多くの要素で上回るチームに、アウェーの環境で勝利する事ができた。4-3はサッカーにおいて紛れの生じるスコアではないし、今日の試合に関しては日本の方が良い内容を示せた。これは誤解しようの無い事実であると思う。

ただし、前半20分過ぎには彼らは明らかにスローダウンしている。

それがその前の20分間のオーバーペースから生じたものか、或いは開始早々の2点リードによる気の緩みから生まれたものか、さらにたかが親善試合…という集中力の欠如からのものなのか…きっとその全てが影響しているのだとは思うが、やはりそこには“真剣勝負”とは微妙に異なる空気…が流れていたことを僕達はしっかりと認識するべきだろう。

彼らから見れば日本という国はまだまだ“格下”であり、取るに足りない相手…という認識だろう。このような“恥辱・屈辱”をその鼻先に突きつけることによって、強化・親善試合における彼らの日本に対する“リスペクト”の観念も少しずつ変化してゆくことになるだろうし、日本も自らの実力でその道を切り拓いて行かなければならない。

前でのボール奪取を意図する厳しいプレスとボールへのアタック。
そしてそれと綿密な連携が計られたDFラインの小刻みな上げ下げと繊細なオフサイドトラップ。
攻撃時のダイレクトで無駄の無い展開と、常にトップスピードでスペースへ駆け込み、瞬時にしてマーカーを置き去りにするサイドアタック。
スイスのこのスピード感あふれるコレクティブなサッカーは、現代サッカーの最良の手本である。そして彼らも日本と同じように“前線で打開する個”の存在に欠けている。もしここにフレイと共に往年のシャプイザやスフォルツァクラスのタレントが加われば、彼らはいつユーロを制しても不思議ではないレベルに達する…僕はそう思っている。


スタジアムには欧州のスカウトもたくさん訪れていたと聞くが、このゲームにおいて彼らの目を一番引き付けたタレントは、日本で言えば遠藤保仁なのではないだろうか。“日本にはもう一人のピルロがいる”と彼らは思ったかもしれない。チーム事情からこのタレントをイレブンに組み込める欧州のチームはかなり限定される筈であるし、年齢的な条件にも制約を受けるだろうが、興味を持ったチームは少なくないだろう。
そしてもう一人は松井大輔。
最後は疲弊してしまったが、欧州レベルの“闘争”する魂を一番感じられたのが、僕にとってはこの松井大輔のプレーだった。PKは彼の“技術”によってもぎ取ったものである。それも含めて、このゲームにおいて彼は自分自身のクラスを見せ付けてくれたと考える。


前回のオーストリア戦、そしてACなどにおいて、日本の得点力不足を嘆き、悲しみ、悲嘆にくれていた人たち、そしてこのゲームの大量得点でその悲嘆を忘れかけている人たちに一言だけ忠告しておきたい。

点を取れたのは“スペース”があったから…だと。

2-0になって尚、彼らはゴール前を固めずに、ただ単に勝利という“結果”よりも“内容”を求めてきたからだ…と。

あなた達の嘆き悲しんだ問題は、この試合とはまったく没交渉に、今後もアジアにおいては日本の行く手を遮る根深い問題として在り続けるでしょう。そしてそれは日本ばかりではなく、サッカーの普遍の問題である…と。

サッカーは常に相対的な要素によって成り立ち、物語を形作るものだ。
ある試合での問題は、ある試合ではまったく問われない。その時々の状況と条件の中で、求められるものもまったく違ってくるものである。そしてそれは一試合のゲームの中でも、1分後には180度異なる解が要求され得るものなのだ。
0-2からの攻めるしかない状況での問題。3-2と逆転してからのたった2分間に凝縮されたサッカーの宿命的問題。すべての状況にあらゆるミスと問題が潜んでいる。それを一つずつ整理して解釈し、現実に対応していかなければならない。そこに求められるのは感情ではなく、あくまでも理知なのであると僕は考える。


今週末にはすぐにJリーグがある。さらに浦和や川崎の選手はその3~4日後にはACL決勝トーナメントが控えている。厳しい日程の中で負けられない試合が続くなか、どうかサポーターの方々には彼らの奮闘を、スタジアムで、自宅TV前で、精一杯の声援を送り、この厳しい時期を支えてあげて欲しいと思う。


サッカーを構成する多くの要素で劣勢でありながら、彼らがこの試合を勝つことができたのは、走り負けることの無かった運動量と、最後まで諦めない勝利への執念、この2つでスイスを圧倒し得たからだと僕は思う。これが1年半前に見失っていた日本サッカーの土台であり足場である。先祖代々受け継いだ土地であり、未来にわたって決して手放してはならない拠り所であると僕は信じている。


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2007年09月08日

【3大陸】オーストリア戦 戦評

今のオシムジャパンの実力であれば、アウェーと言えども欧州のこのクラス(階級)と引き分けることはさほど難しい事ではない。

ただし、これに勝ちきるという事、1点をもぎ取るという事はとても困難な事であり、またこれがユーロ予選のようなガチンコの試合であれば、彼らは最後にもう一絞りのエネルギーと闘志で挑んできたはずである。それを成す為には、技術とはもうひとつ別次元の“闘争”する気迫であり、“勝利”へ対する逃げ場の無い飢餓感と共に“敗れ去ること”への勇気が同時に求められる。オール・オア・ナッシング(全てか無か)の状況判断と決断…ここに世界と日本の大きな断絶が横たえている。最終的にそれを得る為には、やはりこのような貴重な機会の中からそのマネージメント能力を学んでゆくしかない。
ヒディンクに率いられた2002の韓国代表が、同じくヒディンクに率いられた2006のオーストラリア代表が、アジア・オセアニアの枠を飛び越えて世界へ触れられたのは、僕はひとえにこの躊躇いのない状況判断と勇気ある決断の賜物であったような気がする。

世界の強国の、攻守…を分ける10段変則のギアシフトが、今の日本には3段の持ち合わせしかない。さらに正確にいえばそれは1速と5速と10速がある訳ではなく、3速と5速と6速がちんまりと並んであるだけなのだ。
日本のゲームを試合状況のキャプションやテロップの説明なく、その選手の動きやプレー選択のみを見ていれば、今がどういう状況であるのかが僕には分からない。1点負けていて残り5分なのか、3点勝っていて残り30分なのか、或いは引き分けでは全てが潰えてしまう状況での残り3分なのか…。

今後日本がその“全てか無か”の状況判断を迫られるとき、この部分の切り替えの甘さ、決断の曖昧さとその共通認識の希薄さが、大きな弱点として禍根を残しかねない。スキルの向上と共に、この部分の鍛錬も育成年代からの課題として、一刻も早く本腰を入れて取り組むべきものであると考える。


試合は予想通りの展開であり、ポゼッション能力に勝る日本が、欧州の強固なディフェンスを前に攻め倦む90分だった。スタメンもほぼ予想通りで、依然として2列目のゴールへ迫る動きが欠けているし、サイドでの思い切った仕掛けも不足である。ただし、ミドルシュートの意識は大分改善されたようで、つまらない横パスで危険な位置からの不要なカウンターを受ける機会は大分減ったように思う。徐々に課題が絞り込まれ、その中でこの相手に自らの戦い方を貫徹し、その試合内容で圧倒できた事は、オシムジャパンの確かな実力の証であったように思う。

中盤で見せた稲本の厳しい守備は、日本の選手達に対する何よりのお手本であると思うし、あの姿勢を誰よりも阿部勇樹に学んで欲しい。今回の彼の不在をつくづく残念に思う。そして松井大輔の“勝負”する気迫。それはゲーム中、見栄えのする華やかな輝きを放つ事はなかったかも知れないが、今の日本代表の攻撃に一番欠けている要素であったように思う。パスにしろシュートにしろ、有機的な攻撃はあの姿勢から湧き出てゆくものだと僕は思う。

前半終了後、そして後半終了後の、オーストリアの観客の耳をつんざくようなブーイングを耳にしただろうか。勿論それは、彼らの日本代表の実力に対する認識不足も多分に含まれていたかも知れないが、それよりもやはり彼らはこの試合における“内容”をしっかりと認識、把握しているのだと僕は考える。
一方、日本に目を向ければ“弱いオーストリア”に勝ちきれない、進化の無いオシムジャパン…との評価がまかり通る。僕はこれこそが、この国のもっとも危惧すべき潜在的な“弱点”であり“リスク”であると認識している。

次のスイス戦では、さらに現在のオシムジャパンの実力が顕在化するだろうし、またその弱点も暴かれる事になるだろう。この攻撃面での膠着を打ち破る“救世主”として、オシムには山瀬功治を今一度試してみて欲しい。最終局面において、ゴール前の人数とパスコースが足りていない事はオシムの目にも明白な筈である。


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posted by 桐谷 |10:25 | オシムJAPAN | コメント(55) | トラックバック(1)
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