2008年11月01日

ドラフトに思う

今日は、日本シリーズ初戦前で脳みそが野球モードなのでもう1本。
1本目はこちら。

昨日ドラフト会議の結果を眺めていて、ある記事に目が行った。
内容は、
「今のドラフトは選手の希望を反映することができない矛盾を孕んだ制度であり改善しなくてはならない」
「Aという選手はMLBに行きたいと表明しており、実際にドラフトで指名が回避されたため、今後MLBのどの球団とも自由に交渉できるが、Bという選手は、熱望する球団に入りたくて、1度他球団の指名を断ってまで今ドラフトに望んだのにまたも他球団に指名されてしまい、希望がかなわなかった」
「今後、国内では希望がかなわないから、はなからMLBを志望しようという選手が出てきてプロ野球界は危機を迎える」
というもの。

もともとドラフト会議は、従来の自由競争だと契約金が高騰することと、財力や人気のあるチームに選手の希望が偏ることによる戦力の偏在化を防ぐために始まった、いわば選ぶ側の都合のみにより立脚する選手無視の制度であり、そこに選手の希望など欠片も取り入れられてはいない。
それでも何とか希望球団に入りたいという選手の夢と、有力選手に対するくじ引きの当たり確率をすこしでも高めたい、あわよくば単独で指名したいという一部球団の思惑が絡まって始まったのが、いわゆる選手からの逆指名であり、進学や社会人野球への志望を隠れ蓑にした強行指名だった。
あろうことか、逆指名については何と逆指名制度として公式に取り入れられてしまい、自由獲得枠、希望入団枠と名前を変えながら2006年までドラフト制度を形骸化させ続けた。
しかも、高校生は適用除外という摩訶不思議な不平等ルールの存在や、人数制限があり一部の有力選手のみに与えられた特権という側面もあり、職業選択の自由などというお題目とは遠く離れた制度でもあった。

しかし、必然的に発生すると容易に想像できる、選手と球団の裏の繋がりが表面化したことにより、2007年より今一度原初に立ち返った矢先に出てきたのが、こうした論調である。

意味がわからない。
シンプルに考えれば、A選手には指名がなかった、B選手には指名があっただけのことで、B選手とお気に入り球団の相愛度が高いからと他の球団が回避したら、事実上自由競争になり、こんな話はでてこない。
MLBへの有望ドラフト候補選手の挑戦は、これだけ選手が移籍している中で、当然起こりうるケースとして早目の対応と制度作りをしてこなかった日本プロ野球の怠慢であり、ドラフト制度と短絡に結びつけるものではない。

繰り返しになるが、ドラフト制度には最初から選手の希望なんて要素は含まれていないし、ましてや高校生はダメ、一部有力選手以外はダメなんていう特例措置など入り込む余地は本来ない。
どうしても、選手の希望を反映できる制度を、というなら、FA制度や国際間での移籍ルールの再検討などをすべて盛り込んだドラフト廃止、自由競争しかない。
球界全体の反映を阻害するような、一部だけ制度を捻じ曲げるようなルール作りは、二度と願い下げである。

posted by |13:02 | プロ野球 | コメント(6) | トラックバック(0)
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2008年10月21日

点景 日本シリーズ

こんなブログを書いているのだから、当然のことながら野球大好きだが、特にお気に入りなのが日本シリーズ。
父親の薫陶により野球を理解しだした頃から昨年まで、テレビ(やむを得ない時はラジオ)、または生での観戦を欠かしたことはない。

CSなど形もない時代、日本シリーズこそがポストシーズンの全てだったため試合の緊迫感、選手の目の色も尋常ではなく、それに呼応してスタンド観戦の時はもちろんのこと、テレビ桟敷でも息を詰めて見入ったものだ。
そんな訳で、シリーズで見たこと、体験したことは、五感が覚えている。

1984年の対広島、第1・4・7戦に先発、371球を投じて3敗を喫した阪急ブレーブスの山田久志投手。
1点リードして迎えた初戦の8回裏2死、広島の長島がこすったように打ち上げたレフトへのフライに、確信を持ってベンチへ帰りかけ、線審のホームランジャッジに振り向いた時の表情は、何と表現すればよいのだろう。
広島市民球場の持つ不思議な磁場と理不尽に包み込まれた瞬間だったのだろうか。

1992年の日本シリーズ、西武vsヤクルトの第7戦での辻のスーパープレーも目に焼きついている。
同点の7回、1死満塁で杉浦が放った1・2塁間のゴロを好捕し、反転してホームで広沢を封殺しヤクルトの勝ち越しを阻止した一連の動きは、人間技を越えていた。

一番遠くに飛んだ打球を見たのも、日本シリーズだ。
ON決戦で話題を呼んだ2000年の巨人vsダイエー対決。
初戦の1回裏、松井秀喜が若田部から打った先制ツーラン、ではなく、その直前に放ったライトポール右上空に飛んだファールで、着弾点は壁の上、天井だった。
良い席が取れず、1塁側内野席とライト側外野席の狭間、しかも1番上という、いわば天上界から観戦していた自分は、まさかここまで飛ばす奴はいないな等と高を括っていたのだが、驚愕の打球は頭上はるか上を通過して、そのまま天井を支える鉄骨に激突した。
ごーん、という鐘を撞く音に似た衝突音は今も耳に残る。

間もなく、また日本シリーズがやってくる。
CSで価値が薄まるとか、本当の日本一ではないとか、いろいろな意見はあろうが、それでも日本シリーズは日本シリーズ。
あれやこれや考えずに、緊迫と極限の舞台を思うさま楽しみ、記憶に刻み、オフシーズンの糧とするのが自分流のシリーズ観戦法である。

posted by |21:34 | プロ野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年10月16日

ポストシーズンゲームに望むこと

牡蠣のうまい季節になり、日本プロ野球は佳境を迎える。
ここ数年は、CSとかアジアシリーズとか楽しもうと思えば楽しめるイベントが増えたが、つい最近までポストシーズンといえば日本シリーズ。
もはや、楽しめるのはここだけ、とばかりにファンはテレビにかじりついて固唾をのんだ。

最高の日本シリーズはと問われれば、1992・93年のヤクルトvs西武の14試合と答えるが、最も印象に残っているのは、1983年の巨人vs西武で、そこに忘れられないシーンがある。

巨人に、江川、西本、原、篠塚、中畑、レジースミス。
西武に、東尾、森、田淵、太田、石毛、テリーウィットフィールド。
役者揃いの両雄激突は、逆転やサヨナラの連続で、5戦を終え3勝2敗で巨人が頭一つ抜け出た。
第6戦も競り合いで9回表を迎え、西武が2-1と僅少差でリードするも巨人も粘り、2死1・2塁で打席には中畑清。
その時自分は、渋滞の中都内をトロトロ運転しつつ、全ての感覚を耳に集め聞き入っていたが、中畑が杉本のアウトコースを右中間に弾き返し巨人が3-2で逆転した瞬間、四方八方から大音量のクラクションに包まれ、無数のパッシングライトがあちこちの車から放たれるのを見た。
何が起きたのかと周囲を見回したが、興奮した巨人ファンが歓喜の勝ち鬨を上げて、一斉に他の車が呼応したものと気が付くまで多少時間がかかった。
そして、こんな騒ぎをもたらす野球の不思議な力を強く思った。
その後、西武が再逆転でサヨナラ勝ちした時は、道路が静まり返ったなぁ…。

個人的な感傷ではあるが、このような試合を見て、あれやこれや感じるために野球ファンをやっている。
なぜ地上波で中継しないんだ、と怒りで燃え狂うようなゲームを、残った5チームに見せてもらいたい。
多分それこそが、野球に対する支持再拡大の最も有効な手段でもあると思うから。

posted by |07:34 | プロ野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年10月15日

清原を、惜しむ…

お邪魔します。
秋も深まりポストシーズンゲームを残すだけとなった日本プロ野球。
あの日グラウンドで起こったことや、昨日今日の出来事について、見たまま、感じたまま綴らせていただきます。
よろしくお願いします。

清原和博選手が引退した。
歩くこともままならない膝の状態と報道される中、引退試合での最後の4打席。
おそらく、溜めも何も効かない中で打ったであろう、右中間ツーベース。
思えば十八番の打ち方で、良く試合を決めてたっけ。


自分の中での最初の脅威の清原は、1985年夏の甲子園、準々決勝の対高知商業、中山投手からぶっ放したホームラン。
余りの打球の速さに、あのNHKのカメラが追い切れず、右往左往した映像が映した着弾点は、左中間上段。
プロアマ問わず、甲子園のあそこへ打ち込んだ打球はほとんど記憶がない。
驚愕の1発だった。
1988年日本シリーズで中日小野から打ったナゴヤの場外ホームランや、1990年の開幕戦で、絶頂期の日ハム西崎のインコースストレートをしなるような振りぬきでレフトポール際の打ち込んだ美しい打球の軌跡。
あの頃の清原(自分の印象ではPLの3年から西武5年目位まで)のスウィングは、速く、柔らかく、しなやかで、懐が深くて…
あれほどの瞬発力を持った右打者は、長嶋さんや山本浩二さんの全盛期くらいしかお目にかかったことがない。

巨人に入って、不振を極めて、叩かれて、たどり着いたであろう肉体改造。
それによって作り上げられたバッティングは、強く逞しかったけど、硬くて直線的な感じがして、記憶の中の清原とはすこし違っていた。
2002年の日本シリーズで松坂から打ったドームの壁への直撃弾は美しかったけど。

規格外のスケールの大きさゆえ、芯を食えばオーバーフェンスを量産したけど、本質的には中距離型のクラッチヒッターだったと思う。

清原和博の引退を、惜しむ。




posted by |08:12 | プロ野球 | コメント(2) | トラックバック(0)
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