2009年02月18日

【特集】頂点とその先へ 男子バスケ部 鈴木惇志選手

 今季、4年ぶり7回目の学生王者となった男子バスケ部。選手たちに充実の今季を振り返ってもらう。

 最終回の6回目はキャプテンとしてチームを日本一に導いた鈴木惇志選手(法4)。コート内外でチームを鼓舞し続け、1部昇格、日本一という大仕事を成し遂げた。

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 スポーツ推薦のない慶應とはいえども、高校時代のキャリアをもつ選手は多い。そんな中一般受験で慶應の門を叩き、インカレMVPを獲得するまでになった鈴木選手。
 どのようにして、今の鈴木選手が形成されたのか…バスケット選手を引退した今だからこそ語りつくせる、今までの軌跡を存分に話してくれた。

―バスケットは小4くらいからですか?きっかけは?
「うん、小4くらいから。(きっかけは)なんだったかなー、背でかかったからとかかな?」
―小学校の時どれくらいあったんですか?
「小6の時から170くらいあった気がする!たぶんでかい人だとさ、小中高のどこかでグンと身長が伸びたりするものだと思うんだけど、俺は昔からずーっとでかくて。中学の時もでかかった。」
―止まったのはいつぐらいですか?(笑)
「高1…高2のはじめくらいかな。」
―じゃあポジションとかも昔は違いましたか?センターとか…
「うん、ガードも…なんかミニ(小学校)の時の先生が超おもしろくて、その人は…その当時からでかかった俺にガードをやらせたがった。結果として、やっていてすごくおもしろかったんだけどね!ビッグガードって感じで!(笑)中学のときは逆にガチガチの…こわい先生で『お前はでかいんだからセンターやっとけ』みたいな。その時のバスケはつまんなかったけど(笑)小中で複数のポジションを経験したことは今に活きてると思う。」
―中学は強かったですか?
「まぁまぁ。全中は俺が2年生の時に一回。3年の時は県の…(ベスト)8くらいだったかなー。」

keio-sports-71215.jpgいつのまにかバスケットが中心に~高校時代~
―高校は、バスケではなく勉強で選んだんですか?
「そう。県で一番頭いい学校だったから。バスケは…もちろんやるつもりだったけど、トップのレベルでというよりは、勉強と両立しながら続けるつもりだった。」
―高校は強い…?
「なんかいい選手が偶然集まって。そんなに本気でやるつもりじゃなかったんだけど、結構強くなったから…そりゃ本気になっちゃって。あとその時は、いい先輩とか同期が多かった。顧問が不在だったり途中で替わったりもしたんだけど、そこで腐らず成長できたのは、当時の部員のおかげだったと思う。練習が終わっても、毎日2時間ぐらい残って1on1とか5on5してたからね。正直あの時が俺のバスケ人生で一番面白かったかもしれない。」
―高校時代はどういうプレーヤーだったんですか?
「一応3番だったんだけど、みんなそれぞれ好き勝手やってたから。フォーメーションとかもほとんどなくて。全員1対1みたいな感じ。それがめっちゃ楽しかったんだけど(笑)俺も常に45度でボールうけて1対1してた。」
―引退はいつくらいだったんですか?
「インターハイ予選で負けた後、国体のメンバーに選ばれていたんだけど、それも予選で負けちゃったから…8月、9月くらいかな?」
―慶應に入りたいと思ったのはいつ頃からですか?
「なんかね、インターハイ予選の決勝で負けて超悔しくて。それでさらにその後に東北大会で能代とやるチャンスがあって…その時の能代はインターハイとウィンターカップの二冠を獲ってるような代で。絶対勝てない、とか思ってたらそこですごくいい試合ができた。まぁ結局負けたんだけど、もっと続けたいって気持ちと、もっとやれるって気持ちの両方がそこで芽生えた。慶應は、大学ではバスケも勉強もしたかったし、頭のいいとこに行きたかったから。高校の先輩が慶應のバスケ部にいたっていうのもあって。」

ブラックガム2000個食べてがんばりました(笑)~浪人時代~
―引退してから、受験勉強を…
「現役のときは、AO入試で受かると思ってたら落ちちゃった(笑)だからあんま勉強してなくて…落ちたのが12月のはじめくらいで。そこでいきなり受験モードの学生たちの中に放り出されちゃったわけよ(笑)それから頑張ったけど…そんなんで慶應に受かっても失礼でしょ(笑)残念ながら不合格ということで、もう1年やることになったんですよ。」
―なんか意外です!コツコツ勉強していたのかと思っていました。
「なんかね、勉強で高校を選んだはずだったんだけど、バスケが面白すぎて気付けばバスケしかしてなくて、勉強は全然してなかった(笑)いつの間にか逆転しちゃってた、自分の思い描いてた高校時代とは。」
―やっぱり慶應が良かったんですか?
「バスケやるならここしかなかったんじゃない。浪人で無名の俺でも受け入れてくれる環境があったし。前の年慶應1部に上がったっていうのも大きかった。やっぱりトップでやりたいじゃん。」
keio-sports-71216.jpg―なるほど。
「それに…結構意地になってたしね。浪人してでも慶應に入ってバスケをやってやるっていう。」
―浪人時代はバスケ全然できないですよね。
「夏まではちょいちょいバスケしてたけど、それ以降は全然…やる暇なかった。ほんとに思い出したくもないくらい辛かった(笑)予備校が家からチャリで5分くらいで…朝起きて飯食って予備校行って、そこでずっと勉強して、帰って飯食って寝るっていう…家と予備校しか空間がなかったんだよ(笑)まだ電車通学とかであれば…。超つらかった。頭おかしくなりそうだった(笑)」
―それはつらいですよね…
「うんうん、1日14時間とか勉強してさー。ブラックブラックガムとか買って(笑)何個食ったか計算したからね(笑)12個入りのハイパークールっていうのがあって。あれと麦茶をコンビニで買って目を覚まして。あれを1週間に3箱4箱くらい食べて…1週間で40個…1ヶ月160個食うわけだ(笑)で年間2000個とかでしょ。ブラックガム2000個食べてがんばりました(笑)」
―麦茶とブラックブラックって合わなさそう…
「甘いもん食べると眠くなっちゃうからさ。どうしても食わないように。」
―じゃあ朝食べてずっと夜まで食べなかったんですか?!
「うん、眠くなるからねー。夜もそんながっつり食べないし。だから超痩せた。今75くらいなんだけど、65くらいまで。」
―で、一般入試で…めでたく合格。
「2月くらいかな。法・文・経済と合格して、法に行った。その時は官僚になりたいという謎の野望があったから(笑)1年目くらいでバスケとの両立は無理だって気付きました。あと、慶應は法・文・経済と通ったんだけど、早稲田は教育と法学部受けて、2連敗(笑)早稲田には縁がなかったんだね。」

『ギャップ』に苦しんだ大学1・2年
―それで、入学して。はじめは体を戻すのが大変だったと聞きます。受験終わってからはバスケをしてましたか?
「そうそう、受験終わってすぐ高校とかでバスケはしてたんだけど、1年もやってないとね、ほんと体動かなくなる。まぁやってけば体自体は動くようにはなるんだけど、ボールの感覚とかシュートタッチっていうのはなかなか戻ってこなくて。慶應入ってきて、先生とかは意外に動けてるって言ってくれて。でもそうは言われてもシュートタッチとかが全然戻ってこなかった。高校時代は常に45度でボールうけて1対1してて…だからシュートもそこそこ自信あったんだけど、大学でなかなか(感覚が)戻んなくてあせりました。」
keio-sports-71219.jpg―じゃあ大学1年目は入った嬉しさもありつつも、シュートはいんないなぁ…みたいな
「シュートはいんねーなぁ、ボール手につかねーなぁとか。昔できてたプレーができなかったり…ここだったら昔ドライブ行けてたなぁとか。ミドルシュートもっとはいってたな、とか。スラムダンクのみっちーみたいに昔を美化してたっていうのもあるかもしれないけど(笑)」
―なるほど。
「でもその時はチームの中で試合に出れる人が少なくて。だから1年の時から俺も試合に出れる環境にあったんだけど、全然貢献できなくてほんと申し訳なかったですね。毎回泰滋さんに怒られてて。超こわかった(笑)俺もうまくできないし…ほんと苦しかったですね。」
―どういう怒られ方をしたんですか?
「すごく覚えてるのが、青学とのリーグ戦のとき。最後ファールゲームをしようって時に、やった経験がないせいか、俺がマッチアップの選手をうまくファールできなくて。その後泰滋さんが俺のとこ寄ってきて、3mくらいふっとばされた(笑)超こわかった(笑)」
―大学2年は?
「うん、大2のときは勝負の年で、優勝を狙える強いチームだったから。大祐も入ってきたし。試合に出る選手も5、6人固まっていた。だから俺はあんまり出てなかった。それはそれで辛かったよね。チームは優勝を狙える位置にありながら、自分はコートの外でそれを応援することしかできないっていうギャップがあって。」
―じゃあ大2も結構苦労の年という感じで。
「うん、チームはすごくいい雰囲気で、毎日楽しかったんだけどね。」

飛躍、そして大きすぎる後悔~大3~
―それで3年生になって。早慶戦から開花したという話をよく聞きますが。
「できるようになったのはもうちょっと前からだったと思うんだけどねー。春のトーナメントくらい?なんとなく、やるべきことがわかってきた。そういう時ってみんな必ずあると思うんだよね。大学1年のときから築いてきたものが、自分の中で消化できて…。」
keio-sports-71224.jpg―それが3年の春の早慶戦で結果が出た!
「うん、そうするとうまく説明がつくかな?(笑)苦労して、あーーと思ってもがいて頑張ってきたことが、形に表れてきたのかなぁと。」
―秋のリーグ戦は、試合には絡んでいたけど、チームとしてなかなか結果が出せてなかった感じで…
「なんていうのかな。そのときはたぶん色んな選手を試してはいたんだけど、どのパターンもうまくいかなかったような…。去年のリーグはすげぇ悔しくて。今でも覚えてるのが、日大とのアウェーの試合。結果延長で負けたんだけど、4ピリ残り10秒くらいで1点差で勝ってた。そん時にね、あんまみんな見えてなかったかもしれないけど、俺が判断をミスをしてしまって、ギリギリで追いつかれたっていう。そこで負けてなかったら入替戦に行ってなかったんだよね。最終的に5勝で星並んで入替戦だったわけだから。だからその試合は超後悔してる。それこそ今年勝ったから、良かったかもしれないけど。去年は最後の最後までそれをずっと後悔してた。」
―それで、インカレも日大に負けてしまって…。早い時期に新チームに移行しましたよね。キャプテンは全会一致で決まったと聞きましたが、1年のときからまとめ役をやってきたんですか?
「いや、してないと思うんだけど。どーなのかなー、あれは…もしかしたらほかに適任者がいなかっただけかもしれないし。1年のときとか2年のときは先輩についていくって感じだったから。3年生くらいから(まとめる)意識をもったかな…3年生っていうのはすごく大事な時だと思う。俺は1、2年と3、4年とで大きく分けて考えてるから。上級生になって4年生と一緒にチームをひっぱっていくっていう。そういう感じで。」
―3年生のときから意識していくんですね。
「タノとかもそうだったしね。俺はそれでいいと思ってるし。1、2年生の役割は先輩についていってのびのびやって、元気よくチームを盛り上げること。それでいいと思ってる。俺は昨シーズンよく1年生にもっと元気もってほしいとか言っていたけど、それはチームを盛り上げるのは下級生、ひっぱっていくのは上級生って思うから。そういう意味で今年の3年生はよくやってくれた。」
―キャプテンは今までやっていましたか?
「高校のときはやってないけど。小中はやっていたよ。」

主将としてのやりがい
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―話は飛びますが、バスケをやっている上でのモットーとかありましたか?
「(しばし熟考)今年とかは特にそうだったんだけど、結果を出しても満足しないっていうのがあって。いくら活躍をして評価をしてもらっても、そこで油断しない、満足しないっていうのはいつも思ってた。モットーっていうか分からないけど。」
―キャプテンのキャラクターについてなんですけど(笑)チームメイトもみんな明るいって言っています。
「そうかなー(笑)あんまり怒ったり暗いことを言うのは好きじゃないけど…。」
―オフの時にはうまくリフレッシュをしていそうと他の部員さんが言っていました。
「いやー、オフは寝て終わりだよ(笑)でも今年はやっぱり部活のことばっかり考えていたかもしれない。」
―やはり最終学年になるとそうなるんですね。
「今年は本当に春に結果を出せたのが大きかった。今年まではあまり春の結果にこだわっていなかったっていうのもあるけど、やっぱりベスト4の壁はかなり厚かったと思うから。何気に(準々決勝の)東海戦は今季の中でも3本の指に入るベストゲームだったと俺は思ってる。春の段階では間違えなくベストゲーム!」
―内容が?
「勝ち方が良かった。全体的にあんま調子はよくなかったんだけど、3ピリでビハインドの状況から粘ってがんばってディフェンスして、流れがくるまで待って…で流れをつかんで逆転みたいな。流れがこない辛い状況でチームをがんばらせるのが主将の役割だと思ってるから。やりがいのある試合だったと思う。流れがきてる時には周りに好き勝手やってもらえばいいからね。」

後輩に伝えたいこと
―引退した時の気持ちは
「ほんと悔しかった。最後の試合はもっとできたと思うし、主将として何かもう一つこのチームに残して引退したかった。やりきったという思いは全くないです。」
―引退してから落ちつきますよね。どういう過ごし方をしていますか?
「ひたすら教習所行って、バイトしてって感じ(笑)意外に忙しい!全然遊んでない。でも未だに(オールジャパンの敗戦は)悔しくて。ファールトラブルとか、フィジカルの違いとかでいっぱいいっぱいの部分はあったけど。10分、20分と前半はどうにかがんばって…でも最終的に40分がんばるっていうのができなかった。」keio-sports-71226.jpg
―後輩に伝えたいこと…『プレー以外に何かがんばれることを見つけてほしい』って最後の試合のあとのインタビューで話してくれましたよね。
「うん、それぞれにどうすればチームが盛り上がって勢いがつくかっていうのを考えてほしい。性格上なかなかそれができない人もいると思うんだけど、自分のキャラクターを捨ててまで、ある意味、自己を犠牲にしてもチームのために働くことのできる人間になってほしい。例えば練習中のスクリメージで、ルーズボールがコートから出そうになって、それがどう考えても追いつかない位置にあるとする。そこで『追いつかないや』って諦めるか、取れなくても飛び込んでいくかっていうのは、結果が同じアウトオブバウンズでも大きな違いだと思う。例え相手ボールになったとしても、どんなにみっともなくても、その飛び込む姿勢こそがチームを盛り上げ、チームの流れを作り、最終的にチームを強くすると俺は思う。だからそういう盛り上げができるプレイヤーになってほしいな、って。」

―卒業後、バスケは続けないわけですが、将来バスケットに携わりたいと思いますか?
「思うねー。指導者になりたいという夢を漠然と抱いています。どうやってコーチの資格とかとればいいか全然分かんないけど(笑)会社も忙しいだろうし暇もあんまないだろうけど…4年間を終えてみて、指導者はすごく魅力的だと思う。特に大学の指導者は。将来的に慶應にまた戻ってこれたらいいな、とも思う(笑)」

 今季鈴木選手を中心とした4年生が残したものは日本一という結果だけではない。最後に語ってくれた『後輩に伝えたいこと』を自らが体現していたからこそ、チームは一つになった。後輩たちが鈴木選手から感じ取ったものは来季以降も再び日本一を目指すチームにとって確実に財産になっていくだろう。

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以上でバスケットボール部の今季の総括は終了となります。 バスケットボール部の皆様、関係者の皆様、色々とご協力いただき本当にありがとうございました。また、1年間、私どもの拙い戦評にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。来年度も今までと同様に暖かいご支援等をいただければと思います。今後とも慶應スポーツをよろしくお願い申し上げます。 


posted by 白田 有沙 |01:15 | バスケ | トラックバック(0)
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