2009年07月26日

戦力と戦術を淘汰する猶予期間

 後半16分に縦パスに反応した遠藤を見た瞬間、「遠藤につけ!」と思ったが、大分のDFは誰もつかなかった。遠藤に一番近い位置にいた深谷は、シュートが恐かったのだろう。つかなかったことで遠藤に余裕を与えてしまい、精度の高いパスを出させることになった。日本トップクラスのMFにあれだけの余裕を与えれば当然である。あの場面、シュートとパスの選択肢がある遠藤を崩すには、遠藤につくことが唯一の方法だったと思う。

 あのシーンは試合を象徴していたシーンであった。前半から相手にプレッシャーをかけるのではなく、引いて守るやり方だった。G大阪の出来にも助けられて何とか凌いでいたが、あの場面でやられた。サッカーには偶然はなく、色々な要因が重なって必然となる。やはり、取られるべくして取られるシーンであった。

 試合内容には落胆した。微かな期待をしていただけに、結果に加えて内容の悪さに落胆した。ポポビッチの戦術を感じさせるシーンはなかったと思う。でも、それは無理もない。まだ始動して4日程度で、戦術を浸透させることが出来るわけがない。この点は、もう少し猶予を与えるべきである。ポポビッチには試合毎に出来たことと出来なかったことを見極めて、戦術を浸透させて欲しいと思う。と同時に、ポポビッチには戦力の淘汰も行なって欲しい。

 左サイドの坪内は戦力にならない。まさか先発で使うことはないだろうと思っていたが、ポポビッチはその選択をした。昨日のプレーを見て、ポポビッチは次から外すだろう。そして、ボランチの宮沢。浦和戦で惜しいシュートを放った印象があるけれども、戦力にならないことは既に周知済み。運動量の少なさは致命的であり、それを補うほどのパスもない。彼ら2人が途中交代となったことは必然であり、ポポビッチには若手の起用を望みたいと思う。その他にも、藤田、高橋、家長のパフォーマンスには不満があるが、ポジションを含めて戦力の淘汰を行なって欲しい。

 ”マジック”という言葉にはもう期待しない。それをやっては、シャムスカ体制の二の舞となる。ポポビッチには大分トリニータのサッカーを本質的に変えて欲しい。そのための猶予期間はまだある。残留という目先の目標はあるが、小手先のやり方ではその目標どころか本質すら変えることが出来ないと思う。ポポビッチが改革する姿勢を示してくれれば、僕はそれを支持したいと思う。

posted by keicalcio |08:39 | 大分トリニータ | トラックバック(0)
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2009年07月19日

僕らの目標はそこではない

 「連敗のあとに味わう勝利の味は格別だが、格別すぎるがゆえに、次の試合を忘れさせてしまうほどの魔力がある」

 サッカー解説者である金子達仁氏のコラムの一節である。(「大分はまず醜い勝利を!そして「次」へ」)

 昨日、やっと大分トリニータは格別の勝利を上げることが出来た。シャムスカを解任した大分は”変化”を求めた。そして、その”変化”に呼応するかのように、フェルナンジーニョの加入と深谷の復帰という2つの”変化”が化学反応を引き起こした。大きな賭けではあるけれども、やはり”変化”を求めることは重要だと認識した戦いであった。

 昨日の勝利は、間違いなく格別の勝利となった。勝利するということが難しく、どれだけ尊いものかと痛いほど実感できた。ただ、この1勝で全てが解決できるのであれば、大粒の涙を流して手放しで喜びたいと思う。でも、僕らの目標はそこではない。この勝利が格別すぎてはいけない。

 日付が変わって、もう終わったことである。次の戦いで結果を残さなければ意味はない。勝つしかない。

posted by keicalcio |09:21 | 大分トリニータ | トラックバック(0)
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2009年07月16日

僕らは盲目であったのだと思う…

 先日あるコラムのある一文に目が留まった。

 好きで盲目になるあまり、早期発見によって改善できるミスも見逃してしまう

 ”マラドーナ”ということが、冷静な見方を阻害しているといった趣旨のコラムであった。

 そして、これは大分トリニータに当てはまることであると思った。”シャムスカ”という存在に僕らは盲目であった。

 14連敗という重い事実を突きつけられても、大分サポーターはシャムスカを愛していた。シャムスカならば絶対にやってくれる。あの時のように大分を生き返らせてくれると、連敗が続こうとももう一回信じようと思った。僕もその一人であった。解任すべきという冷静な考えと常に同居して、シャムスカへの信頼があった。それは、盲目といえる愛であった。

 この盲目こそが、14連敗の大きな原因であったと思う。6連敗を喫したG大阪戦の後、僕はシャムスカを解任すべきだと書いた。サッカーの内容からして次に繋がるものはなく、劇的に変えるべきだと書いた。苦汁の決断だけれども今こそがその時期だと思い、何度も書き直してその記事をエントリーした。(「改革をすべき時である。そして、そこに聖域はない」)

 でも、あの時の大勢の意見は、シャムスカを解任すべきでないというものであった。「フロントが悪いから、怪我人が多いから、芝生が悪いから、はたまた通訳が悪いから」と言った意見が大勢を占め、シャムスカの采配や戦術への批判はほぼなかった。これは今年に限ったことではなかった。交代の遅さは昔からであり、シャムスカ推薦の外国人はことごとく失敗していた。それでも「シャムスカだから…」ということで大きな批判はなかった。なかったというより、目をつむっていたといったほうが正しいのかもしれない。僕もそうであった。

 僕らサポーターがクラブへ改革を迫れなかったのだと思う。シャムスカへの盲目的な愛が、事の本質をぼかしたのだと思う。その結果が14連敗となり、ようやく多くのサポーターが解任やむなしという空気を作り上げたのだと思う。

 何か問題が起きた時、一つの悪を人は見つけたがると思う。今の大分では、その矛先はフロントである。フロントの対応の遅さ、そしてブレがこの事態を悪化させたことは紛れもない事実である。絶対に責任を取らねばならない。ただ、それだけで良いのか?それでは、事の本質を見極めぬまま、終わってしまうのではないのか?

 「このタイミングでは遅かった」と声高に叫んでいるが、5月の時点ではそれらの多くは解任すべきでないという意見であった。シャムスカ解任から得るものは、僕らサポーターにとって少なくないと思う。解任から一夜明けてそう感じた。

posted by keicalcio |00:51 | 大分トリニータ | トラックバック(0)
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