2007年07月09日

「飼い殺し」の現状

日本のプロ野球には「飼い殺し」という言葉がある。実績や実力のある選手を二軍にとどめ、一軍で起用しない、という状態を指す。多くの場合は、その選手と首脳陣とのそりが合わないとか、ひどい場合には監督やコーチの好き嫌いが原因になっている。例えばあのイチロー選手も、バッティングフォームについて当時の監督と意見が合わず、オリックスでの最初の2年間は一軍での出場機会が少なかった。

NPBには数々の問題点や制度不備があるが、中でももっとも重視されなければいけないのは、この「飼い殺し」問題である。なぜなら選手は一旦この状態に陥ると、一軍で自らの実力をアピールする機会を完全に奪われてしまい、特に中堅からベテランの選手であれば、解雇されればそのまま引退の危機に直結するからだ。1チームあたり70人という選手の保有枠がある以上、他球団も、一軍で直近の実績がない選手を獲得することは困難である。

逆に言えば球団は、気に食わない選手を引退させようと思えば簡単にできるのだ。30歳に近づいたら、何も言わずに2~3年、その選手を二軍において置けばよい。そして解雇してしまえば、よほど実績か実力のある選手でない限り、獲得する球団は現れないだろう。このように現在のNPBのシステムでは、球団が選手のキャリアを簡単に終わらせることが可能なのである。そして実名は挙げられないが、現在そのような状況に押し込められ、今オフにも引退の危機に面するであろう選手は、今も何人かいる。

MLBに目を転じてみると、球団による選手の「飼い殺し」を許さないよう、複数のセーフティネットがかけられている。まず、高卒入団で4年間、大卒入団で3年間、メジャー登録されなかった選手は、再度ドラフトにかけられ、他球団が獲得することができる。プロドラフト、あるいはルールV(ファイブ)ドラフトと呼ばれるもので、このドラフトで選手を獲得した球団は、一定期間、その選手を一段高いレベルでプレーさせなければならない。ドラフト前に2Aに所属していた選手は3A以上で、3Aにいた選手はメジャーでというように、他球団で眠っている若手選手を発掘するシステムが、MLBには存在している。更に、マイナーリーグで合計6年を過ごせば(この数字はプロ入り年齢や時期により差が出る)、「6年フリーエージェント」となり、希望の球団への移籍が可能になる。

MLBで登録された年数が増えると、ステータスが変わってくる。MLB登録選手である40人枠に入りながら、ベンチ入りの25人枠に入っていない状態を「オプション」と呼ぶが、この状態が3シーズンを超える選手は「オプション切れ」となる。つまり、チームは25人枠に入れるか、40人枠を外すか選択を迫られるわけだが、40人枠を外す場合はその選手は他29球団によるウェイバーにかけられ、獲得したい球団が現れれば移籍となる。もしウェイバーで獲得したい球団がなければ、その選手はそのままマイナーへ行くか、自由契約になるか、選択することができる。自由契約になった場合はそれまでの年俸は保証されないが、他球団からすればさらに安い金額で契約できる可能性があり、その選手のチャンスも広がる。

また、3年以上メジャーリーグでプレーをすると、選手は年俸交渉を「調停」に持ち込む権利を得る。選手の年俸が第三者で構成された調停委員会に諮られ、そこで年俸が決定される。つまり、3年以上のメジャーリーグ経験を有する選手に、球団が理不尽に低い年俸を与える事はできない。球団が調停での審議や、調停で定められた年俸の支払いを拒否する場合、選手は自由契約となる。そして、6シーズン以上メジャーで活躍した選手にはフリーエージェント権が与えられ、シーズンオフに移籍が可能になる。

このようにMLBにおいては、ある程度メジャーで実績があればその実績をリスペクトするのはもちろん、まだ開花しないマイナーリーグの選手の事も「飼い殺し」ができないシステムになっている。

これらの制度は、何も選手ばかりを利するだけのものではない。球団にとってもメリットはある。シーズンが進むにつれ、プレイオフを目指して即戦力を補強したいチームもあれば、プレイオフの望みが薄く若手選手中心に切り替えたいチームもあるだろう。後者のチームは、メジャー実績の長い中堅からベテランの選手たちを放出したいし、前者のチームは、放出された選手をウェイバーや自由契約で獲得したいのである。一人の選手を媒介して二つのチームにメリットがあって、三者三様にハッピーという、優れた制度なのだ。

ちなみにトレードも選択肢の一つだが、両者の思惑をすり合わせるのが一苦労で、ウェイバーや自由契約のようにスピーディな補強ができない。

ひるがえって日本はどうかというと、ここで触れたMLBのような仕組みは全くない。どんなに実績があろうと、どんなに好調であろうと、首脳陣や球団の思惑次第で簡単に二軍に落とされてしまう。そこには実績のある選手に対するリスペクトは微塵も感じられない。

唯一、選手にとって活路があるとすればトレードだが、トレードは先述の通り、球団間の思惑が一致しなければ成立せず、ハードルが高い。また、選手自らが望んでも球団が断れば可能性はゼロであり、主導権は常に球団が握っている。そもそも日本ではシーズン中のトレードに消極的だし、さらにはシーズン中に同一リーグでトレードを行うことは非常に稀だから、実現可能性はほとんど残っていない。

NPBでは、他球団でチャンスのない選手を積極的に発掘しよう、という考えはほとんどなく、むしろ自分の球団にいた選手が他球団に移籍して活躍したらどうしよう、という不安のほうが先立つようだ。

さらに言えば、選手がトレードを望んだとしても、トレードを志願するような発言は、NBPではタブーとされている。トレード志願をした選手に対し、「わがまま」であるとマスコミや球団関係者がこぞってレッテル貼りをする。

だがよく考えて欲しい。キャリアも後半から終盤に差し掛かったベテラン選手になればなるほど、一軍での実績を出し続けなければならない。実績が出せなくなれば引退の危機だからだ。そんな中、今のチームでチャンスがないと思えば、他球団でチャンスが欲しいと思うのが自然であろう。MLBのように、実績のある選手をうまく活用するシステムがない以上、トレードしかないのである。

だいたい、トレード「志願」すら抑圧しようとする風潮が全く理解できない。あくまで「志願」であり、何かルール違反やマナー違反を犯しているわけではないのだ。一般社会に目を転じれば、転職の自由は常に保障されているし、社内でも配置転換の希望は、希望が通るかどうかは別として、希望すること自体は阻害されない。他方NPBでは転職の自由が全くと言っていいほどない。9年かけてフリーエージェント権を獲得したときだけ、転職の自由があるだけだ。それもNPB内で移籍すれば、移籍先の球団は元の球団に年俸の120%相当分を支払う、という制約がついており、FA権ですら完全な自由ではないのである。こんな環境では「飼い殺し」の危機に際してトレード志願をするのは、むしろ自然なことではないかと思う。

日本では近年、転職が急増し、転職を勧めるエージェント会社が多数存在している。これだけ転職が当たり前になった現代で、野球選手が転職を求めれば「わがまま」というレッテルを貼って袋叩きにする、というのはなぜなのだろうか。日本のプロ野球選手はつくづく抑圧されている。

付け加えておくが、一般社会と異なり、球団間(会社間)の公正な競争がより強固に担保されなければならないプロ野球界において、選手の移籍がある程度制限されることは、私も納得している。一般社会並みに移籍を完全自由化してしまえば、裕福な球団から順に高額選手を獲得できるということになる。もっとも、お金をかければよいチームが作れるというわけではないが、いずれにしても12球団の間で公正な競争を保つためにも、選手の移籍の制限はある程度は必要だ。ただし、現行のNPBのシステムは、移籍の自由を過度に制限していると私は考えているのである。

ただでさえ選手の寿命は短い。その上に「飼い殺し」で選手寿命を短縮されたら、アスリートにとってはこの上ない悲劇だ。そもそも野球界にとって選手は宝である。選手がいなければこの産業は成り立たない。もっと選手を大事に、大切に活用できるようなシステム作りが、今のNPBには急務である。そしてそのようなシステムの構築は、オーナー側の決断を待っているだけでは永遠に実現しない。本来は選手会が、そのようなシステム構築のために尽力すべき立場にある。私たちのような代理人事務所は非常に微力だが、そのようなシステム構築に協力する準備は常にできている。

いったいいつになったら、NPBから「飼い殺し」はなくなるのか。ただでさえ競技の選択の幅が広くなっている昨今、NPBが選手を大事にしないシステムを続けていれば、野球という競技を選ぶ若いアスリートは減っていくだろう。それはすなわち、野球という競技の存亡の危機となる。そのような事態になってからでは遅いのであり、今から手を打たなくてはいけないのだが。

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posted by kdn-agency |19:49 | from TOKYO | コメント(5) | トラックバック(0)
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2007年06月07日

ベテラン選手の活躍に思う

楽天のベテラン、38歳の山﨑武司選手の活躍が熱い。

6月7日時点で既に22本塁打。打点も52でリーグトップの目下二冠王だ。2004年のシーズン終了後、当時在籍していたオリックスから戦力外通告をされたとは思えない。野村監督は常々、「野球はエースと4番」が持論で、この2ポジションだけは育てることができない、とおっしゃっているが、少なくとも今年の4番は、外から補強せずに済んでしまったようだ。

山﨑選手は私たち(株)KDNエージェンシーが運営するBALLPLAYERS.JP(http://ballplayers.jp/)にも参加してくださっているので、仕事上でも接点が多い。性格は、一言で言えばファンの皆さんが描いている通りではないだろうか。豪快で、かつ気配りのできる親分肌、兄貴肌。私たちは選手のマネジメントをしているのだから、本来は選手にアドバイスをしなければならない立場だが、山﨑選手からは逆にアドバイスをいただいたり、元気づけられたりすることも少なくない。

日本ではアメリカと違い、最近まで独立リーグもなかったし、マイナーリーグのチーム数も極端に少ないため、一度戦力外通告を受けるとそのまま引退、というケースが大多数だった。山﨑選手は今、これだけ活躍して、野球界の話題を作り、世間の注目を集めさせているわけだから、野球界への貢献度は絶大である。つくづく、04年限りで引退などということにならなくて良かったと思う。

同じように野球界に貢献しているのは、オリックスの吉井選手だ。最近、残念ながら1軍登録を抹消になったが、やはり04年限りでオリックスを戦力外になりながら、翌年再びオリックスで復帰し、活躍している。大幅な減俸になりながら頑張っておられる姿はメディアでもしばしば取り上げられたし、パリーグ最年長投手としての話題性も高い。山﨑選手に同じく、野球界への貢献度は抜群である。

吉井選手のケースで特筆すべきは、一度戦力外になりながら、同じチームで復帰した、という点。これは今までの日本プロ野球では考えられなかったことであり、画期的な出来事だった。この吉井選手の事例を踏襲して、例えば坪井選手(06年に日本ハムを戦力外になり、07年同チームへ復帰)の例などもあるのではないか。戦力外になった選手の再活性化の新しい手段を、吉井選手が身を持って示された、ということが言えよう。

吉井選手も私たちKDNのクライアントで、BALLPLAYERS.JPにも参加しておられるが、いつも味のある文章をアップしてくださっている。最新の投稿では、

「世界中の野球チームにいらんって言われるまで、投げるぞ。」

とおっしゃっているが、代理人事務所としてとことんサポートするつもりである。

山﨑選手と吉井選手に共通しているのは、彼らを慕っている若手~中堅の選手が数多くいる、ということだと思う。経験豊富なベテランはただでさえ引き出しを多く持っており、若手が悩んだときに良いアドバイスを提供してくれる。コーチよりも近い存在であるベテラン選手のアドバイスは、時に指導者のそれよりも効果的なことがある。

このようなメリットを含めて、トータルでの価値を見出し、ベテラン選手を活用していくことが、今後の野球界に求められているのではないか。野球選手である以上、力がなくなれば現役を引かなければならないが、力が残っているのに引退せざるを得ない、というケースがあまりに多いのは残念だ。

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posted by 小島 |20:45 | from TOKYO | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年02月09日

恩人

唐突なタイトルですが、今日はある野球人との思い出を書かせてください。

オリックス・バファローズのバッティングコーチに就任した、ジョン・ディーバス氏。あだ名は「ディボ」。実は私は2001年、彼の元で働いていました。

カリフォルニア州のとある大学で運動科学の学位を取得した私は、卒業が近づくにつれて、ストレングス&コンディショニング・コーチとしての修行を積む場所を探していました。一応、地元のトレーニングジムとは話が内定していたのですが、どうしても野球のチームで修行したいと思い、メジャー全球団と独立リーグのチーム約50球団へ手紙と履歴書を送付したのです。これでどこからも声がかからなければ、野球にこだわるのではなく、地元のジムへ行こうと思っていました。

履歴書は合計で80通ほど、いっぺんに発送したのですが、わずか2~3日ほどで電話してくれたのが、ジョン・ディーバス氏でした。当時彼は、エルマイラ・パイオニアーズ(翌2002年からは野茂選手らがオーナーになったチームです)という、ニューヨーク州にある独立リーグ球団の監督兼アシスタントGM。履歴書を送ったときはダメもとの気持ちだっただけに私は舞い上がり、とにかく熱意だけは伝えようと以下のような話をしました(と、当時のウェブ日記(現在は閉鎖)に書いてあります)。

「私は高校まで野球をし、大学でもプレイを希望していましたが、肩の故障によりそれは叶いませんでした。治療やリハビリもしたのですが、当時の私にはそれらの知識がなく、後に独学で勉強したところ、日本で私の治療をした医師やリハビリ指導者の意見は、アメリカでの常識とは全く異なるものだとわかりました。日本のスポーツ医学はアメリカより遅れています。私は今後、日本の若いプレイヤー達に私と同じ思いをして欲しくない。自分が知識・技術を身に付け、将来は母国で生かしたい。そのための修行の場を探しているのです。」

この話を黙って聞いた後、ディーバス氏は以下のような話をしてくれました(これも当時のウェブ日記によります)。

「私はドジャースの組織で選手10年、コーチや監督として10年を過ごした。その頃の大親友の一人に、アイク生原がいた。ドジャースという組織は外国籍の人材が多いところで、自分はそうした環境に慣れているし、何よりアイクは私にとってかけがえのない友人だった。いつか自分がこの野球ビジネス界で人を雇う側になったら、海外の人材を自分の組織に招きたいと思っていた。」

「実はアイクも、最初はアメリカのトレーニングを学びたいと言って、ピーター・オマリー(ドジャースの元会長)のところへ来たんだ。彼は英語も出来ないのにやって来て、マイナーリーグのクラブハウスマネジャーから、オーナーの右腕にまで登り詰めた。今回、君の手紙を見て、アイクがアメリカに来た頃とそっくりだと思ったんだ。アイクとオマリーの間柄のような関係が、君と私の間にも構築できるかもしれない、そんな気がしたんだよ。」

アメリカ野球界に憧れを持っている者なら誰もが知っているアイク生原氏。既に当時は故人でした。当然、当時の私もお名前は存じていたのですが、どんな経歴の方なのか、全く知識がありませんでした。ディーバス氏の言葉に驚いたと同時に、生原氏という大先輩のおかげで、自分にチャンスがめぐってきたという事実に、絶大なる感謝の気持ちを抱いたことは、今でも鮮明に覚えているし、もちろん今でも感謝しています。

MLBでは野茂英雄選手が、日本人メジャーリーガーの道を切り開き、今ではたくさんの選手がそれに続いています。こういった選手の皆さんも、野茂選手という先達への感謝の気持ちを、常に忘れないで欲しいと思っています。

また、MLBの選手たちも、これは2002年にストライキの可能性があったとき、強く感じたのですが、「先輩たちがこれまで築き上げてきたものがあるから、俺たちは恵まれている。次世代の選手たちのためにも今、俺たちは妥協しちゃいけないんだ」と常々言っていました。道を切り開いてくれた先輩への感謝の気持ちは大事だと、当時、再認識しました。

話がそれましたが、ディーバス氏は見た目の豪快さとは裏腹に、照れ屋な一面も持っていました。一緒に働くようになって仲良くなると、「あの時はたまたま、お前の手紙が机の一番上にあったから、たまたま電話したんだ。そうじゃなかったら電話すらしなかったな(笑)」などと憎まれ口も叩いていました。シーズン中も来客があると呼ばれて、「タダでいいから働かせてくれ、と言っていたヤツが、今じゃ人並みに稼いで、携帯だって俺のより新型だ。来年あたり大統領にでもなるか?」と冗談を飛ばしながら、私を紹介してくれていました。

もちろん、実際には私のような末端の職員のことも気にかけてくれていて、仕事も徐々に増やしてくれたおかげでいろいろな経験が出来ました。どんなきつい冗談を言われても、実は気配りの出来るオヤジだとわかっていたので、シーズンを通じて信頼していました。

2001年のシーズン後、私は伊良部秀輝選手の通訳となり、2002年は同選手の通訳としてテキサス・レンジャースで働きました。一方ディーバス氏は2002年からドジャースの組織に復帰し、巡回コーチとして活躍していました。2002年からはお互い接点がなく、ほぼ音信不通になっていたのですが、昨秋、ディーバス氏のオリックス入りが発表になって、再び接点が生まれたのです。

2001年のシーズンが終わったある日のこと。地元メディア関係のお偉方を交えての会食で、ディーバス氏は私のことを紹介してこう言いました。

「こいつは本当にラッキーボーイだ。この冬(2001~2002年のオフ)はプエルトリコのウィンターリーグで伊良部秀輝の通訳だ。でも実は、こいつとの出会いに関しては、ちょっといい話があるんだ。俺がドジャースにいたころ、アイク生原という日本人がいて・・・。」

ディボ、日本でのお手並みをじっくり拝見させてもらいます。生原氏も天国から見ているぞ!

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posted by 小島 |12:23 | from TOKYO | コメント(1) | トラックバック(0)
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2007年02月08日

『交渉力』 団野村著

突然すみませんが、本の告知をさせてください!

私たちKDNエージェンシーの代表、団野村の本が発売中です。角川書店(角川oneテーマ21)の新書で、タイトルは『交渉力』。

20070208-00.JPG
14年目に突入した団野村の代理人稼業の中での、さまざまなエピソードを紹介しています。日本における、選手側から見れば理不尽な交渉のことはもちろんのこと、アメリカでのあっと驚く交渉の内幕や、ドミニカでの日本ならあり得ない経験談など、盛りだくさんです。 書店で目にしたら、是非ページをめくってみてください!


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posted by 小島 |20:37 | from TOKYO | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年02月01日

日本人ヘビー級ボクサーを知っていますか?

すっかりご無沙汰してしまいました。ご他聞に漏れず、代理人事務所が一番忙しくなるのは11~1月で・・・というのは言い訳です。これから自分だけでなく、スタッフ一同、更新をしますのでよろしくお願いします!

さて、2006年12月13日、ある日本人ボクサーが東洋太平洋タイトルのチャンピオンになったことをご存知ですか?そのボクサーの名前は高橋良輔。この日、東洋太平洋クルーザー級のタイトルマッチが東京・後楽園ホールで行われ、12ラウンドフルに戦った末、判定でチャンピオンになりました。

高橋は実は、ヘビー級のボクサーです。日本人ではほとんど選手がいないクラスで、デビューは1999年。当時私はアメリカにいたため彼の試合を見ることは出来ませんでした。初めて観戦したのは彼の14試合目となる2003年3月の試合。その後8試合観戦していますが、私が見た9試合では8勝1敗4KOと、素晴らしい成績を残しています。ちなみに通算では17勝4敗1分け(9KO)です。

私が見た1敗というのは、東洋太平洋ヘビー級のタイトルマッチでした。3ラウンドでKO負けし、そのときはまだチャンピオンの壁は厚いと、素人目にも思ったものです。しかしそれから1年半以上を経て、一つ軽いクラスとはいえチャンピオンになったのですから大したものです。怪我もあったし、年齢ももう若くはなく、トレーニングが年々厳しくなっているだろうことは想像に難くありません。よく頑張りました。

まさかこんなに立派になろうとは、高校でバカをやっていた頃(お互い様だろうけど・・・)は想像できませんでした。そう、実は高橋と私は高校の同級生です。タイトルマッチのときも初めての12ラウンド戦で最後はヘロヘロになったとき、本当に大丈夫かとハラハラしました。失礼だけど、こんなに頑張れるヤツじゃなかった。人間変わるもんですね。

今日はその良輔の誕生日です。34歳、チャンピオンとして迎える初めての誕生日に、心からおめでとう!

高橋良輔公式サイト
http://www.takahashi-ryosuke.com/

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posted by 小島 |22:39 | from TOKYO | コメント(4) | トラックバック(0)
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2006年11月11日

アジアシリーズ観戦!そして、

相変わらず日本滞在中、日本の妙な暖かさに戸惑いを隠せないほっしーです。四季のないロスに住んでいる自分にとって、日本の冬は楽しみで仕方ないんですが・・・。

日本シリーズ、日米野球が終了し、日本のプロ野球シーズンもいよいよ最後のイベントであるアジアシリーズに突入しています。去年から始まったこの「アジア一決定戦」ですが、まだ注目度としてはそれ程ではないようですね。当然、今年も日本代表である日本ハムファイターズの優勝を期待したいところですが、実は僕達KDNにとってはもう1つの楽しみがありました。台湾代表のラニュー・ベアーズです。

以前、小島さんがこのブログでもご紹介した通り、このラニューにはKDNのクライアントのケニー・レイボーン投手が所属しています。今シーズン16勝をあげ、エースとしてチームを台湾チャンピオンに導いた彼ですが、彼が金曜日に行われた日本ハム戦で先発をしました。

2005年シーズンの後半を広島カープでプレーしたレイボーンは、残念ながら広島との契約を更新する事はできませんでした。日本や韓国などアジアでのプレーを臨んでいた彼は、その後の行き先を探したのですが思わぬ苦戦を強いられました。結局、最後に決まったのは台湾のラニュー。当初、台湾行きを少し戸惑っていた彼ですが、迷った挙句に台湾行きを決意しました。

台湾出発の前日にロサンゼルスに立ち寄った際、レイボーンとは色々な話をしました。そして、台湾に行く事に不安を抱えているのは明らかでした。物静かに、あまり表情を変えずに話をする彼ですが、その不安を出さないように気を使いながら話をしているのがわかるようで、少し痛々しい思いをした事も覚えています。そして、そんな彼をロサンゼルスの空港で見送ったのが春先でした。

しかし、彼が台湾で実力を証明するまで、そう時間はかかりませんでした。投げる試合で次々に勝ち星を重ねる彼の活躍はネットでしか追う事はできませんでしたが、チームは前期、後期と優勝を重ね、台湾シリーズも4連勝で圧勝。そして、チャンピオンとしてアジアシリーズに乗り込んで来たわけです。

そして、今回東京ドームのマウンドに立つ彼の姿を見て、KDN一同感慨にふけってしまいました。ラニューのエースとして日本ハム打線に挑む彼の姿は自信に溢れ、闘争心むき出しの素晴らしいピッチングでした。残念ながら試合には敗れてしまいましたが、内容は賞賛に値するものだったと思います。

このレイボーンは日本ハムの守護神マイケルとは大の仲良し。大学時代を共に過ごし、奥さん同士も親友。この日もきっちり抑えを務めたマイケルでしたが、二人がどんな心境でマウンド上のお互いの姿を見ていたのか、ぜひ今度聞いてみたいと思います(笑)。

もちろん、レイボーンの活躍の99.9%は彼の実力と努力のたまもの。でも、そんな場面に立ち会えた事が、まさに「エージェント事務所冥利」に尽きると思います。

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posted by ほっしー |14:02 | from TOKYO | コメント(1) | トラックバック(1)
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