2007年10月27日
ものすごい天候でした。
雨と風の中、今日の試合は大宮のプラン通りの展開でした。1対0で勝利したこの試合は、大宮が、降格圏内から少しだけ、ほんの少しだけ抜け出しそうな予感をもたせる試合でした。
試合前に、カズ選手と藤本選手がひそひそ話をしていました。そして、試合後に佐久間監督と藤本選手に話を聞くことができました。これらの「話」が、いったいどんなものだったのかは、『スポナビ』のコラムの方に書く予定です。
藤本選手が僕に気づいて握手をしたときに、ものすごく彼との心の距離が近くなった気がしました。こんな暴風の中、横浜と大宮のサポーターの声援には、胸を打たれるものがあります。スタジアムにいたサポーターの方々、ともかくお疲れさまでした。
文/川本 梅花
posted by 川本梅花 |21:05 |
大宮アルディージャ |
コメント(1) |
トラックバック(1)
2007年10月26日
藤本主税へのインタビューを申し込んだのは、先週のことだった。取材日が決定したのは、前日の火曜日のこと。もし彼への取材が無理ならばと考えて、別の選手にもアプローチしていた。大宮のスタッフから藤本の取材許可がおりて、どういう順序で話を進めようかというプランを何度も組み直した。彼は、いま大宮のキャプテンをしている。だから、他誌からの取材が一番多い。毎回似たような質問をされて、それに誠実に答える彼の姿をみていたので、僕は、別の角度からもっとディープな内容を彼に投げかけることにした。
取材が終わって、藤本は「変わったインタビューだった。んん、すごく面白かった。本当に面白かった」と呟く。その場に居合わせたスタッフは、「最近インタビュー続きで、同じ質問ばかりだったんです。彼が面白かったなんていうのは珍しいですよ」と話してくれた。
僕は、志木のクラブハウスを後にしてバスで駅まで向かう中で、録音した彼の肉声を聞いてみた。彼の返答を聞きながら、僕はなぜか涙が止まらなかった。どうしようもなく、泣けてきた。こうした内容を、彼が話した内容を、読者にどう伝えればよいのか・・・。
僕にとって、たぶんこの日の彼との会話は、生涯忘れることはないだろう。いや、僕がものを書く立場にいる限り、この日の感銘を忘れてはならないと思えるほどに、ものすごくインパクトがあったものだった。僕は、サッカーについて書くという立場にいて良かったと思えたのだ。
このインタビューの内容は、『スポナビ』で連載中の大宮アルディージャ「オレンジ色のラプソディー」に掲載される予定である。インタビューを単独で載せることはしないで、明日行なわれる横浜戦の観戦記事の中で記述したいと考えている。この連載の核は、ある一本の線で貫かれている。最初に、吉原の記事、次に藤本を取材した。今後に誰が取材されるかを見てもらえば、その核がどんなものか、感の良い読者ならばすぐにわかるはずだ。
では、三ツ沢で会いましょう!
文/川本 梅花
posted by 川本梅花 |13:20 |
『スポナビ』 |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2007年10月25日
スペシャルゲスト、『フットボリスタ』編集長の木村浩嗣氏を招いて
サンクチュアリを探し求めて 第三回
「とにかくブログを毎日更新してください」と後輩のS君は嘆願してきた。S君は、僕がもっているもうひとつのブログに登場するサンボマスター好きの男子だ。さらに「更新されたと思ったら・・・宣伝だし」と畳み掛ける彼。「何かを考えたり感じたりして書いた文章が読みたいんですよ。それに木村さんのインタビューの続きはいつなんですか?」と容赦ない。
今週は、選手と監督へのインタビューが続いた。まず、西村卓朗選手(大宮)と4時間30分の会話。藤本主税選手(大宮)と1時間。佐久間悟監督(大宮)と1時間。山根巌選手(柏)と1時間。どっぷりとサッカーに関わった1週間だった。それでは、木村さんへのインタビューの続きをどうぞ。
■スペイン代表のサッカーはロマンチックだ
――木村さんが考える良いサッカーとスペインサッカーは同じものですか?
敵地で八割以上はせめたい。だからラインを高くしないとダメ。自分の陣地を空けなければいけない。チームにタレントとか個人技がない場合は、集団で攻めるしかないんです。ぼくは、チームを作るのにバルサのサッカーを参考にしました。
――この間、バルサの指導者が日本に来て、少年サッカーの教室を開きました。その時に、通訳とコーチをされていましたが、日本の少年サッカーに関してどんなイメージをもちましたか?
小学校から戦術を教えないというのが日本。ドリブルで抜こうとする。賢くないサッカーにしか見えなかった。まず周りを見えるようにして・・・それから個人技で抜いていけと教えた方がいい。日本とスペインはどちらが育成に成功しているのか? 20歳以下の大会で、実績を残しているのは日本よりスペインです。
ある少年サッカーの試合を見ていて、日本は、やみくもにドリブルする子が多いと思った。何百万の子供たちが、サッカーを楽しいと思って続けるためには、集団でプレーすることを学ばなければいけない。そういうサッカーを続けていくことが日本を強くすることになる。個別に、個人の上手い人を集めても、先はないと思います。
――スペインで少年サッカーを指導していたとき、子供たちの親は、何か言ってきますか?
親は、負けたときは文句をいう。でも「守りに徹してくれ」とは言わない。「引いて守っていればよい」とは言わないんです。「良いサッカーだった」と言います。「勝った勝った」というよりも、良いサッカーだったという。
――スペインでライセンスを取ろうとしたきっかけは?
友人からライセンスのことは聞きました。最初に、97年10月から98年5月までの講習期間でライセンスを取ったんです。次に、98年1月から99年5月でふたつ目の上の段階のライセンスを取った。最初のは、18歳以下のチームを教えられる。ふたつ目は、3部リーグまでの監督ができる。あとは年齢制限がないから。高校大学でも教えられた。試験は、筆記10科目。筆記で元選手は、だいたい落ちてしまうんです。実技は、サッカーボールを蹴るわけではなく、蹴らせるわけですよね。だから、俺が通ったのかもしれないんだけど(笑)。もちろん、自分で見本をみせなければいけばい場面があるから、最低限のことはやる必要がある。個人技の練習であっても、チームをまかされて組織化する。アビリティーをアップするための、10分間の練習メニューをそこで作る。グランウンドでの手本は、上手い奴にやらせればいいから。「お前とお前」と言って選んでやらせる。ちゃんとできなかったら注意して。それが戦術でもありフィジカルトレーニングでもあり、あとメトゾロフィアと言ってメソッドですね。答えを導きだしてやるやり方とか、あるいはこっちが答えを全部教えてやらせるやり方とか。
――その後は、どんな経過をもったのですか?
98年、99年のライセンスを取ったときに、「お前はかなり成績優秀だった」と話されて、「上のライセンス取らないか」と助言されました。それを受講するためには、どこかのチームに入っていなければいけないんです。それで、少年サッカークラブのコーチをやる必要があった。そこのクラブは、10―11歳を対象としていました。
――指導は、ボランティアですか?
ボランティアです。スペインの少年サッカーの監督は、ほとんどボランティアです。たまに何かの機会でもらえて、年間3万円くらいだったな(笑)。少年サッカーは、一年間教えなかった時期があって、それ以外は98年10月から去年まで続けました。
■「ぼくはダメ人間だったんですよ」
――ところで、木村さんスペインに行ったのはいつですか?
94年4月です。
――それはなぜですか?
仕事が嫌になっちゃったんですね。仕事は、「日経ホーム出版社」で編集者をしていました。『日経マネー』とか経済系の雑誌です。あそこはライターに原稿を依頼するのではなく、編集者自らが記事を書く会社なんです。
――じゃあ、「編集長」といういまの仕事に違和感がないですね。
そうですね。
――スペインに行ったのは、サッカーに関係していたんですか?
いや、サッカーとは全然関係ないですよ。ぼくは・・・仕事が、全然できなかった。だからもう嫌になって、海外に行きたかったんですよね。ぼくはダメ人間だったんですよ。
――木村さんがですか?
「どうにかして嫌な毎日を打破することはできないものか」と逃避のためにスペインに行ったんですよ。日本を脱出したいと思っていた。それに、ダメ人間だったから、人と会ったり話をするのが嫌だった。当時は原稿を書くのがヘタだったんです。ぼくは書くことにむかないと思った。仕事がちゃんとできない、ダメな自分が嫌になったんですよ。
――会社辞めて・・・それまでサッカーをやられていたんですか?
いや、中学、高校の体育だけですね。
――なんでスペインだったんですか?僕は明確だったんです。言語学者でソシュールという人がスイスにいたんです。彼は、存命中に自分の考えや言語理論を本にして世に問わなかった。『一般言語学講義』というソシュールの名前で出版された本があるのですが、それは彼の弟子がソシュールの没後に授業に出ていた学生のノートをまとめて出版したものなんです。ソシュールが出版を念頭にして残した草稿がジュネーヴ大学の図書館に保管されいていて、その資料を調べるためには、ジュネーヴ大学に行く必要があったんです。
僕も明確だったんです。ひとつは、欧州をずっと旅行していたことがあった。当時勤めていた会社からわがままを聞いてもらって八ヶ月休みをもらった。それは日経ホーム出版社に勤める前にいた小さな編集プロダクションだったんですが。その旅行で訪れたスペインの印象がとても良かったんです。人が優しいなと思いました。すごくやわらかい感じがして。ここだったら、外から人が来ても、受け入れてくれるんじゃないか、という漠然とした感覚をもちました。そのとき1ヶ月間滞在したんです。オスタルという民宿で1泊500円だった。
それにスペイン語が、言葉として日本で一番使えるんじゃないかと考えました。まあ、当時、行きっぱなしになるとは思わなかったですね。できればずっと永住できれば、とは思っていましたが。確かそれは、87年だったかな。8ヶ月旅行してこんな楽しいことがあるのかなと。
■二年間毎日11時間行なったスペイン語学習
――それまでスペイン語の勉強は?
NHKのスペイン語講座と、語学学校に半年くらい週一回通いました。
――スペイン語は、どれくらいのレベルだったんですか?
どのレベルかな・・・。自己紹介ができる程度。「私は、誰々です。仕事は何々をしています」程度かな。
――スペインで指導者のライセンスを取得するためには、相当のスペイン語力が必要ですよね。語学力はどのように身に付けたのですか?
僕は二年間毎日11時間勉強して。96年に公立のスペイン語の語学学校を卒業した。卒業すると、海外でもスペイン語の先生ができますという証明書がもらえる。文法はそれでいい。単語は辞書をそのつどひいて。会話は、続けました。学校が4時間ですね。厳しい語学学校に入ると宿題がとても多いんです。だから宿題に時間がとられる。家での7時間は、宿題をするのにかなりの時間が使われました。土日は、学校がないので映画を見る。僕は映画をそれで見るようになったんです。「フィルムセンタ-」という場所があって、そこに登録して毎日時間があったら映画を見ていました。
――最初からサラマンカに住んだのですか?
マラガに1ヶ月いました。語学学校に入ると、アパートをあっせんしてくれます。日本人は、一つの学校に7、8人いましたね。その頃ぼくは、32歳だった。現地では全然働かなかったです。貯金けっこうあったんですよ。それに当時は、年間100万円で生活できた。もちろん、外食しないで、アパートはシェアでした。雑誌『宝島』の仕事が入ってきて、スペインのカルチャーガイドを書いたりしました。それは、知り合いのイラストレーターの紹介だったんです。140頁くらい書いたかな。
――サッカーについて書くようになったのはいつからですか?
「トラベルジャーナル」の雑誌の仕事をしはじめて・・・「あっ、もの書いてもいいな」ってはじめて思ったんです。全部で200頁中で140頁書きました。25日間で朝8時から夜11時まで書き続けて。言葉が次から次へと湧き出てきたんです。スペインの文化とか風俗とかを書いていて、ひとつのテーマとしてスペインを語る上で、サッカーはかかせないと思うようになった。スペインサッカーに応援に行っているような人とか、サッカーの話をしている場所とか、サッカー周辺の環境とかそれが好きだった。2002年までは、「2002年クラブ」というWEBサイトがあって、2002年以降は「スポナビ」に書くようになりました。
■ある恋愛が自分を変えてくれた
――スペインに行った32歳の頃の自分といまの自分を比較すると、ずいぶん変わりましたか?
当時の俺がね、人間じゃなかったというか・・・恋愛に関してもちゃんと恋愛することを知らなかった。いま振り返ると、ちょっとむかしの自分が想像できない。文章もいまとは別人みたい。
――木村さんを変えたきっかけって何ですか?
変わったきっかけは、恋愛したことかな。『宝島』の仕事をしていたときは、ほとんど記憶がない。ちょうどプライベートでもいろいろあって・・・断片しか残っていない。どんな生活をしていたのかも、覚えていないんです。死んだような毎日だった。瞬間瞬間の記憶しか残っていない。そんなんじゃ恋愛なんてできないですよ。
恋愛。俺にとってはあの子が一番好きかな。彼女は俺を解放してくれた。ぼくは、人前でかまえるところがあった。だから、相手に自分を見せることができなかった。自分の弱さを見せたくないというか・・・。そんなぼくに彼女は、「自分をこうしてちゃんと表現するのよ」って教えてくれた。
――彼女に言われたことで、印象に残っている言葉はありますか?
「あなたはいつも白か黒よね」
「人生って灰色もあるのよ」
この言葉は、よく覚えています。彼女は別の場所で好きだった人がいた。俺は両方好きというのが嫌だった。俺なんかは、道徳的に嫌だと思った。だから相手を責める。そして自分の型にはめようとした。ぼくがスペインに一人でいて、彼女とは三年間くらいは付き合ったかな。ものすごく楽しかった。彼女が僕にしてくれたような「こうして自分をちゃんと表現するんだよ」ってことを、今度は誰かに伝えられるようになれればと思っています。
――読書家で映画好きの木村さんが、おすすめする作品は何ですか?
SF作品なんですが『すばらしい新世界』ハッスリー著(講談社)。これは何回も何回も読んでいます。未来の理想社会について書かれている。僕は、スペイン語訳で読んだんです。この作品で言えば、東京の生活はデルタくらい。ガンマというのが一番下。映画では、『ブレードランナー』かな。
――デルタという東京の生活は、久しぶりに味わってみてどう感じますか?
日本の生活は、豊かだと思わない。日本帰ってきてびっくりしたのは、ほんとうに貧しくなっていること。年収の面もそうだし、弱者救済も切り捨てている。そして休日を楽しむという考えがない。スペインの余暇という社会にありあえないことです。ぼくなんか仕事がなくなったら、生きていける気がしないもの。僕がいなかった12年の間にすごく変わったと思います。それに日本の犯罪は異常ですよね。スペインで起こる犯罪は、お金か肉欲、色恋沙汰しかない。つまり、人を殺すというのに外から聞かされても、目的がわかる。でも日本は、殺したいから殺したという事件がある。そんなものは聞いたことがない。
――最後にサッカーの話ですが、もし日本サッカーが強くなったという時代が、人々にもはっきりわかるようになるとすれば、それはどんな出来事が象徴するのでしょうか?
日本人が、欧州や南米のクラブや代表で監督をやるようになったら、日本は最強。それが日本サッカーが強くなったという最終の象徴かな。
この項終わり
posted by 川本梅花 |22:27 |
インタビュー |
コメント(0) |
トラックバック(1)
2007年10月19日
『スポナビ』で新連載が、今日から始まりました。タイトルは、大宮アルディージャ「オレンジ色のラプソディー」です。大宮の戦いを最終節まで追いかけます。第一回のゲストに吉原宏太選手を迎えて、今季の大宮をいろいろな角度から語ってもらいました。
記事の最初に置いた箴言は、「もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう」というものです。この言葉の出典に関して、「問い」があったので簡単にお答えします。
まずこの言葉は、誰が用いたのか。実は、はっきりしません。そこで僕は、「寺山修司」という仮説を立てています。僕がこの言葉を最初に見たのは、寺山の著書『ポケットに名言を』の中でした。寺山によれば、この言葉は「ゲオルグ・ゲオルギウ」のものだと記されています。では、ゲオルギウとは、誰なでしょうか。
実は、同じような疑問をもった人がいたようで、「ゲオルグ・ゲオルギウ」で検索するとこの言葉の発信者に関して様々な説が語られています。作家のC.Vゲオルギウから宗教改革者のマルティン・ルターまで何人かの候補者がいます。
問題なのは、話題の箴言のほとんどは「林檎の木を植える」になっていることなのです。そこで「林檎の種子をまく」という言い回しは、寺山の創作ではないかという仮説なのです。寺山の作品は、彼の詩でさえ元ネタがあって、そこから彼独自の言い回しを付け加えるというものがあります。したがって、寺山が元々あった箴言の最後の箇所を変えたのではないかという仮説のもとに「寺山修司」としました。
実際僕も、誰の名前で表記するか迷ったのですが、これも「面白いだろう」と思ってそうしました。
ところで、ここのブログは、『スポナビ』のコラムとは関係ありません。上記で話題にしたことに関してコメントしてもらったのですが、『スポナビ』のコラムに対して質問があった場合は、「スポナビ」の方に連絡してください。
ともかく、『スポナビ』のコラムを是非読んでください。
では明日、駒場スタジアムで会いましょう!
文/川本 梅花
posted by 川本梅花 |21:06 |
『スポナビ』 |
コメント(2) |
トラックバック(0)
2007年10月18日
-サンクチュアリを探し求めて- 第二回
スペシャルゲスト、『フットボリスタ』編集長の木村浩嗣氏を招いて
木村氏と待ち合わせたのは、夕方の表参道だった。「食事をしながら話しましょう」という設定で、僕らは日本蕎麦屋に入った。その店は、地下一階に店舗を構える質素でとても静かな場所だった。食事を終えてから店を移して、今度は日本茶専門のカフェに行った。終電間際まで、僕らの話は止まらなかった。僕が彼に何か質問する。彼は答えを探して少し沈黙する。彼の沈黙は、時間の経過を意識させない。会話をしている二人の間に沈黙が生まれ会話が途切れたとき、どこか座りが悪い感覚をもってしまうものだが、木村氏とのコミュニケーションの中でもたらされた沈黙は、逆に彼が何をこれから話すのかと僕の意識を集中させるものだった。僕は、たった数時間の彼との会話で、彼との距離感をとても近くに感じていた。
■『フットボリスタ』創刊一周年を迎えて
――『フットボリスタ』創刊の際に編集長として迎えるという話がきたときに、12年間住み慣れたスペインを離れることに迷いはなかったですか?
日本に帰ってくるのかどうか、相当に迷いました。ただ、『フットボリスタ』の発行元のスクワッド社から編集長で創刊に参加して欲しいと言われたときに、ちょうど住んでいたサラマンカの生活にマンネリ感があって、どこか別の都市に行って生活を変えようと思ったていた時期だったんです。サラマンカは、学生都市で、安全面でも安心できるし物価も安い。とても良い街だったんですが、自分の中で生活に対して何か変化を求めていた。そうした時期だったので、編集長で迎えてくれるという話は、そうあるわけではないので受けることにしました。
――創刊する雑誌で仕事をするというのは、かなり勇気がいることですよね。ましてや日本に帰国して仕事をするわけですから。「よし!やってやろう」と思った決め手というか、何か口説き文句が会社からあったんですか?
これは嘘か本当かわからないけれども・・・決め手となったのは「やる人は、木村しかいない」と言われました。「他の人にはお願いできない」と言ってくれた。「すべて任せる」と話され、ぼくは「方向性から考える」と答えました。
――サッカー専門誌はたくさん発売されていますね。当然、他誌の方向性や記事の内容など気になったと思うのですが、『フットボリスタ』自体の方向性には何かイメージするものがあったんですか?
日本で発売されているサッカー誌を読んで、いろいろ考えさせらるところはありました。ぼくは、はっきり言って既存紙に対する不満があったんです。サッカーをスポーツとして語らないで文化的に語るのが流行っているように思いました。すごく情緒的なスペインのレポートが多かったように感じましたね。そこには、「スペイン大好き」って書かれているわけだけど。その中には感動的な話があって……情緒的で感動的なお話を作って物語化する。それはそれでよいと思うんですよ。ただあれは、あきらかに話を作っているとぼくは思うんです。ああいうのは、テクニックがあったら書けるんですよ。感動的なストーリーって書こうと思えばいくらでも書ける。上手なのは認めますけども。中には本物もありますが、小手先のものがかなりあった。まあ、ぼくが読んだものがそうだったのかもしれませんが。
もうひとつ嫌だったのは、データーを詰め込んで、テレビゲームみたいな見方をするサッカー論は嫌いだった。そんなことはたぶん現実にはないと思うんです。
――確かに『ウイニング・イレブン』で遊ぶときの戦術データーに利用できるようなサッカー専門誌もありますね。ただ、実際にピッチでやられているサッカーを文字にする場合、戦術を語る際にデーターを重視するのは避けては通れないと思うんですが。
確かに、戦術を語る際にデーターは避けて通れません。きちんとしたデーターはあってもかまわない。ボール支配率とかシュートの数とかあってもいい。システムが[4-4-2]とかをきちんと示すデーターはあってもいい。ただし、インチキに近いデーターもあるんです。たとえば個人テクニックを数字化する場合。あれは恣意的なものですよ。数字は、確かに客観的であるのですが、恣意的に数字を利用している。
システム論で言えば、ぼくはサッカーの監督をやってみて思ったんですが、[4-3-3]だろうが[4-4-2]だろうが、本当は関係ないんです。並びなんて関係ない。大事なのは、守備ならばマンマークなのか、ゾーンなのかの違いです。それは大事だと思う。その試合とか状況とか相手によってシステムはどんどん変わるものです。だから、ぼくはいまだにシステム論はそんなに重要じゃないと思っています。
――スペインで少年サッカークラブの監督をされていましたが、たとえば子供たちにはマンマークとゾーンの違いをどんなふうに説明しますか?
ゾーンは、決められたゾーンの中でマンマークすること。マンマークは、すべてオールコートで監督があらかじめ決めた一人を追いかける。ゾーンに入ってくる人をマンマークするのか、あらかじめ決めてマンマークするのかの違いです。
■「サッカーゲーム」がもたらす「サッカー」への影響
――ボールを蹴ったことがなくても、サッカーゲームはやったことがあるという人はけっこういると思うんです。サッカーをやったことがなくても、サッカーは語れるし観たものを書くことができる。それはそれでいいんですが、サッカー雑誌を読む人の中には、サッカーゲームしかやったことがないという人もいるわけですよね。
具体的には、サッカーゲームとサッカーは違うことをちゃんと言いたかった。ゲームはゲームで面白いのですが、実際のサッカーとは違う。サッカーゲームで戦術を学ぶと、狭い戦術しか学べないんです。近いうちに人間の心理もゲームの中で表せるようになるかもしれませんが、サッカーゲームは、まだ人間の細かい心理までクリア(克服)していないと思います。サッカーを見るためには、現実に「どうだ」という判断力をつけなければいけないわけじゃないですか。それは、サッカーゲームみたいに明確ではないんです。モチベーションの上下は見えない。だから見えないものを読み解かなければいけない。それが勝った負けたにつながって、そっから「運」というものがあって、ゲームというものが成り立っているから。そういう難しいところをサッカーゲームは表現していないので、割り切れちゃうと思ってしまうのかなと感じます。
――本当に、サッカーの勝敗には「運」という要素が大きく左右しますよね。
運は、相当に大きい。それで展開が変わります。サッカーの勝敗を書くというのは、目に見えない「運」をいかに文章で表現するかにあります。そうしたことを文章できちんと表現して伝えるのが、ぼくらの雑誌だと思うんです。「あの試合は、中盤で数的不利になったから負けたんだ」と単純にライターには表現してほしくない。
「なんで負けたんだ」と人は言います。監督は、良いサッカーをやれば、つまり監督が志向するサッカーをやれば勝てると思って試合に挑みます。そう思わないと監督という職業はやっていられない。それでも、試合に負けることもあるわけです。ずっと攻めていても、一発のカウンターをくらって負けたりする。だから最後の最後に残るのは、「運」だと思います。監督は、「運」が悪かったと言って諦める。それで翌週に、気分をよくしてゲームに望もうとする。「ああ、あそこは運が悪かったよな、でもこことここは修正しなければいけないんだ」となる。監督は、いちいちへこたれてたらダメですよ。監督は、「運」で負けたと思っている人が多いと思います。
――勝ち負けで言えば、選手の「ミス」によって試合が決まる場合がありますよね。特に、現代サッカーでは、キーパーの飛び出しが頻繁に行なわれ、逆にそれによって失点する場面もあります。
今のキーパーは、前に出てなんぼですから。サッカーの理解が浅いと、キーパーが前に出過ぎて点を取られたことしか見えないんです。見ている人は、失点したのはキーパーが出過ぎたからだと思ってしまう。でも監督は、キーパーに「前に出過ぎだ」とは言わないと思う。前に出てくることで防いでいる場面がいっぱいあるんです。人は、ミスしたことで、ミスしか見ようとしない。「ミス」があれば、同時に「ミス」をしていない状況もあるわけです。さっきの話で言えば、「運」かあるなら「不運」の状況も想定できないといけないと思います。一方の方向から見る。それはダメ。逆の方向からも見ないと。
――キーパーのミスによる失点という話をしたのは、実はオシムのことをあるサッカー雑誌に書くので、オシム関連の書物をいま読み漁っているんです。その中に、オシムがドイツW杯のオーストラリア戦での川口能活が飛び出して失点に繋がった場面を話題にしている箇所あって、それを想定して話したんです。
ぼくね、あのプレーに関しては、川口のプレーはプラス・マイナスでいえばプラスだと思います。監督は、川口が「ミス」をしたけれども、彼を使って良かったと思っていますよ。しかし外から見ていると、プラス・マイナスという見方をしない。単に彼のミスだとしか見ない。ぼくは、川口は飛び出さない方が良い選手のタイプだと思いますよ。でも、人間の心理としてあのときの彼のプレーは非常によくわかる。彼はあの日、当たっていましたから。もしぼくが、キーパーだったら飛び出します。監督なら、プラス・マイナスでプラスだと判断します。でも一歩引いて、サッカー評論家やジャーナリストだったら、あれは「ミスだ」と話すと思う。そうしたいろんな見方を、誌面の中で読者に示せたらいいと思っています。
――創刊一周年になって、誌面作りで何か変化をもたせようかと考えていますか?
いままでレビュー中心だったんですが、それをプレビューの方に力を入れようかと考えています。試合前に、「ここはこうで面白くなるよ」という知識をもってテレビを見てもらいたいなと。雑誌の中でいろいろなヒントを読者に与えて、『フットボリスタ』を手にしてテレビを観て欲しいですよね。そうした読者の理解の助けになる誌面作りをしていきたいです。雑誌自体は、最初の頃の誌面とは違うものになっていると思います。その理由のひとつは、ライターみなさんのスキルが上がったことが挙げられます。
■スペイン代表のサッカーはロマンチックだ
――木村さんはもちろんスペイン代表のサッカーが好みなんですよね。
好きなのは、スペイン代表とサラマンカのクラブですね。スタジアムに行くのが好きでした。まったく知らない人と話ができる。それが好きだったんですね。見るのはいつもゴール裏でした。
――スペイン代表のサッカーは木村さんから見てどう映りますか?
スペインでいう良いサッカーとは、ボールをポゼッションして、パスを繋いで、サイドからセンタリングをあげて崩すというもの。そうした基盤の上に、監督が戦術を決める。クライフが来る前のスペインのサッカーは、後ろに引いてカウンターサッカーだったと言います。でも、ぼくがスペインに行ったときは、もう引いてカウンターというサッカーではありませんでした。
スペインのサッカーは、有敵艦隊だとぼくはよく言うんです。夢を追いかけているサッカーであり、現実的では決してない。きれいに勝とうとしますよね。ロマンチックなサッカーだと言えます。ロマンで死ぬことができると思っている。おそらく日本の方が、スペインよりも先にW杯で優勝しますよ。ぼくはそう思うなあ。日本は、現実的なことを受け入れる国ですから。このままいったら、何十年かで日本は優勝します。間違いなくね。スペインは、国民性としてロマンチックなんです。それに、見栄を張るところがある。彼らは、自分たちがロマンチックだと自覚していると思います。それからもうひとつ言えるのは、自分を責めないで現実の方が悪いと話す。別な言い方だと、自分を甘やかす国民性だと言えます。スペイン人は、自分の生活自体を振り返って考えようとはしないんですよ。そうした姿勢は刹那的であるけれども、ロマンチックだと。「その日に生きる」ということですかね。
――木村さんが監督として考える良いサッカーとはどういうものですか?
(木村氏の返答は、次回につづく)
posted by 川本梅花 |02:36 |
インタビュー |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2007年10月15日
サンクチュアリを探し求めて 第一回
「サンクチュアリ」という言葉を最初に意識したのは、アメリカの文学者ウイリアム・フォークナーの著書のタイトルからだ。「サンクチュアリ」は「聖域・聖所」の意味。そしてこの言葉には、三つの意義が与えられている。
(1)鳥獣の保護区・禁猟区。
(2)中世ヨーロッパで、法律の力の及ばなかった寺院・教会など。
(3)敵の攻撃を受けない安全地帯。また、ゲリラの安全な隠れ場所。
「サンクチュアリ」という言葉に出会うたびに、僕は、自分がここまで積み重ねてきた勉強のことを思う。僕は、相当に勉強してきた。たくさん本も読んできた。そして勉強を続けるために、肉体労働までやったことがある。学部生の頃は、住み込みで学費を稼いで苦学生というものも経験した。勉強するということは、働く時間がなくなることを意味する。だから、勉強していたときは生活レベルも低く、ものすごく貧乏だった。あるときは、料理の本にあった写真を見ながら、現実世界のおかずを想像してお米を食べたことがあるくらい貧乏だった。まわりの人に「そんなに勉強が好きなら弁護士とか医者になればよかったのに」と言われたことがある。確かにあれだけ勉強すれば、それらの職業に就けたかもしれない。
こうして過去の出来事を振り返ると、僕にとって勉強することそのものが、「サンクチュアリ」であったと思う。つまり勉強が、僕の隠れ家だったという意味だ。僕は最近よく考えることがある。これまで経験したり学習したりしてきたことを、そろそろ世に問おうてみようかと。僕ははっきりいって、まわりの人々にたくさん迷惑をかけて自分勝手に生きてきた「ろくでなし」だ。そんな僕でも何かを書くことで、誰かに「サンクチュアリ」を示せたらと願ったりする。
ところで僕には、引っ越し癖がある。日本で学生をしていたとき(大学1年生から大学院の博士課程までの約10年間)、六回は引っ越しをした。ひとつの所に腰を据えていられないという訳ではないのだが、しばらくするとその場所に飽きてしまう。ひとつのやり方が定まってくると、そのマンネリ感に変化を加えたくなる。僕は、今年の春に始めたばかりのブログを別の場所に持っている。だから今回開設されたこのブログは、以前のブログから引っ越してきたことになる。僕の引っ越し癖は、ネットの世界でも直りそうにない。
木村浩嗣を招く前に読むべき序文
木村浩嗣氏は現在、海外サッカー週刊誌『フットボリスタ』の編集長をしている。この雑誌は、今月末で創刊一周年を迎える。海外サッカー専門の情報誌が週間化されたことは当時、相当に画期的な出来事であったと思う。画期的とは、海外サッカー雑誌を週間化するという試みのことを指す。それは、誰もやっていないことであったから、まさにチャレンジであり無謀な試みであると理解した人々も多かったことだろう。
『フットボリスタ』は、僕にとってとても意味深い存在である。ずっと住んでいたジュネーヴから帰国した昨年、僕は、ある人から突然メールを受け取った。彼はA君といって、現在『フットボリスタ』の編集部で働いているのだが、彼とはいち面識もなかった。彼は、『フットボリスタ』創刊にあって僕をライターのいち候補として考え、木村氏と面談してもらいたいといってきた。彼によれば、この雑誌を創刊する話が持ち上がった時に、まず僕の存在を思い出したという。
僕は、2002年から2003年にかけて『スポナビ』、『Jスポーツ』、『サポティスタ』にサッカーそのものやその周辺の出来事を寄稿していた。しかし色々な事情があって、2003年春にサッカーについて書くことを中断してしまう。中断というよりも、サッカーに関して書かないと思ってサッカー関係の仕事はすべて辞めてしまった。もっと言えば、僕はサッカーについて書く意欲をなくしていた。だから2006年に日本に帰国しても、サッカーの書き手になることは考えていなかった。でも、ただひとつ気がかりなことがずっとあった・・・。それは、大宮アルディージャに所属する西村卓朗選手のことだった。彼には、個人的な思い入れがあり、彼と僕とのやり取りを文章化したいという願いは消し去れないでいた。けれども、僕にはもう書く力がないだろうという考えの方が強かった。
そうした中で僕は、木村氏と会うことになる。彼は、『スポナビ』でスペインサッカーのコラムを書いていたので、面識はなかったがどんな文章を書くのかだけは知っていた。そこでの彼への印象は、試合を「予想するのが好き」だが、彼の「当たった予想」を見たことがない、という程度のものだった。
最初に彼と会った印象は、「自分の見せ方を知っている人」というものだ。たとえば、着ている服装や掛けているメガネひとつを取っても、自分がどういう格好が似合うのかを知っている人という印象だった。それからこれは僕にも言えるのだけれども、「感情的」で「頑固者」という印象を受けた。「感情的」で「頑固者」と聞けば、あまり好意的なイメージを持てないかもしれないが、僕が「感情的」で「頑固者」という場合は、「自分の意見をはっきりと持っている人」のことを指すのである。外国に長く住む日本人は、ほとんど「感情的」で「頑固者」といっても過言ではない。またそうでなければ、外国での生活は無理。つまり「感情的」で「頑固者」という共通項から、僕と木村氏は、同じ匂いのする「話しが合う」人間同士かもしれないと感じたのだった。
僕は、『フットボリスタ』で今年1月末から連載を始めている。サッカーの映画と本の批評をしたもので、タイトルは「フットボールのアフォリズム」。今日からスタートするスポナビのセレクトブログと同じタイトルである。僕は、このブログを開設するにあたって最初の投稿を木村氏との対談で始めたいと考えていた。その理由は、先述した『フットボリスタ』創刊一周年を迎えるにあたって、このブログを使って木村氏に雑誌を大いに宣伝してもらおうという意図があってのことだ。けれども僕ら二人の会話は、雑誌の話だけに留まらずあらゆう方向に散らばっていく。
こうしてブログに彼との談話を載せることで、ひとつの雑誌の責任者である編集長がどんな人物で何を考えて雑誌を作っているのかを読者に伝えることができれば、それによって雑誌を読む人の楽しみ方が増えて、多くの人が『フットボリスタ』を手にしてくれたらと考える。それは、創刊一周年を迎える木村氏への僕のリスペクトでもあり、サッカーをもう書かないと思っていた僕に書くという場所を提供してくれて、僕の眠っていた書くことへの意欲を引っ張り出してくれた彼への感謝でもあるのだ。
(次回、木村氏へのインタビューを公開。)
文/川本 梅花
posted by kbaika |12:19 |
インタビュー |
コメント(1) |
トラックバック(0)