2008年06月20日
「哲学的志向のフットボーラー」を読んだ後輩のメール
いやー、ポルトガル・・・負けてしまいましたね。応援しているチームが、負けていくのは見ていて悲しいものがあります。あとは、オランダとスペインか・・・。イタリアもそうですが、グループリーグを抜け出してから、地力を発揮するといいますか、流れの中でうまく得点を追加できない時は、セットプレーで確実に得点してくる。ポルトガルは、右サイドからのセンタリングに正確性を欠いていました。あれだけ、右サイドでフリーになれていたから、もったいなかったですね。 さて、『サッカー批評』で連載している「哲学的志向のフットボーラー 西村卓朗を巡る物語」の第五回目が掲載されました。毎回読んでくれている、後輩のSさんのメールを今日は紹介しようと思います。 「西村さんの記事は、誰もが経験することで、《失敗することについて》だと思います。サッカー選手はこういう事も失敗したと感じるんだと知りました。退場なんて観ている側からしたら〈ふざけんな!!〉くらいにしか思わないけど、選手は人生を問うほどに考えるものなんですね。 個人的には、物語云々ではなく、一話を使って詳しくどのように自分を奮い立たせて、失敗を乗り越えていくのかを読みたかった、なんて思ったりします。選手が、一回一回、失敗したことを悩んでいたら、次の試合になど挑めない。練習、試合の日々で、悩む時間もほとんどないだろうし。ましてやサッカーから離れて、自分の事で悩む日常を過ごしている余裕なんてないんでしょうし。 何らかの答えはでなくても、次の試合のために気持ちも肉体も前に進めていかなくてはならない。そういった中で、選手は、どうやってメンタル部分を対処しているのか?パフォーマンスに大きく影響をもたらす運動選手が、どのように考えているのかは興味深いことだと思う。 僕自身、今は、悩み事を解決するよりも、如何にその悩み事にうまく付き合っていくのかが、大事なことなのかなあと思っています。問題は、すぐに解決できない。だから、それは悩み事になって自分のなかで消化できないまま、くすぶっていく。解決できないから、すべてがダメだとだんだんと考えるようになってしまう。 そんなことが、秋葉原の事件にもつながっているのかなあと・・・思います。」 Sさんは、第一回目からの読者なんですが、読んだら必ず感想をくれます。Sさんは、「ひきこもり」だったと以前、話してくれたことがありました。高校を卒業してから大学に入学して、やがて中退してしまう。そこからの数年間「ひきこもって」いたそうです。そして、しばらくしてから別な大学に入り直します。 「もう一度、やり直す」ということは、ものすごく勇気がいることだったと、僕は思うんです。自分の考えているように、物事が進むことは、生きていく中で、実はそんなにない。「思ったようになった」とか「思ったようにやれた」という方が、まれなんですよね。だから、考えているようにはいかないんだから、解決できないことがたくさんでてくる。そうしたことと、どうやって自分が付き合っていくのか。別に付き合わなくても、向き合わなくても、生きていくことできる。でも、それでいいのかということだってでてくる。 「何かをやり直す」というのは、見たくもない自分と向き合うということだと思います。だから、ものすごく勇気がいること。まず、一歩を踏み出してみる。それはとても難しことだけど。 自分の凝り固まった「思考」から一歩踏み込んで物事を見てみる。そうすれば、いつも見ている景色と今日の景色は、違って見えるかもしれない。見ている自分は、昨日と同じ自分でも、何か違ったもののように感じられることがあるかもしれない。たった一瞬でも。 「哲学的志向のフットボーラー」が、ほんの少しでもその人の生きる「何か」になれればいいと願っています。 次回のブログでは、あるお知らせがあります。 文/川本 梅花
posted by 川本梅花 |11:05 |
日常雑記 |
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