2008年02月13日

『フットボリスタ』連載記事No.63

『フットボリスタ』に連載している、サッカーの映画と本の批評コラム「フットボールのアフォリズム」の第11回が、13日(水)の発売号に掲載されました。今回の映画は『フーリガン』、本は『エーコとサッカー』を取りあげました。

フットボリスタ
『フーリガン』のプロットは以下。

「主人公マットは、ジャーナリスト志望の大学生である。ある日彼は、寮の同室人が犯した麻薬売買の罪をかぶって大学を放校処分される。やがて彼は、姉を頼ってイギリスへ渡る。そこには義兄の弟ピートがいた。ピートは、フーリガン・ファーム(コアなサポーター)のリーダーであった。マットは彼らの仲間たちと親交を深める。物語は、FAカップでの対戦相手がライバルチームに決定した日から、加速度を増して終焉へと向かう」

『エーコとサッカー』の内容は以下。

「著者ピーター・P.トリフォナスは、トロント大学で倫理学や文化研究を講じる。本書では、イタリアの記号学者ウンベルト・エーコのサッカーに関する論述をもとに、著者が文化現象としてのサッカーとサッカーをめぐる言説を解読していく。サッカーという記号を通して、メディアや大衆が作り出す様々な“フェイク”を暴き出す。それは記号学者による“記号論的なゲリラ戦”と言えるものだ」

そして、今号で引用したアフォリズムは、イタリアの記号学者ウンベルト・エーコのものです。彼は「私はサッカーが嫌いなのではない。サッカーファンが嫌いなのだ」と表明します。“サッカー ファン”とは、自閉的なマニア主義へと陶酔する者と言います。人はサッカーを戦争になぞって語り、ただサッカーが行われているという一つの現実を、狂信的愛国主義から生じた別の記号に置き換えてしまう。「そこには嘘や虚偽がある」とエーコは主張するのです。

「私はある意味では、世界を衛生化してくれるのは戦争のみという未来派の主張に同意するのだが、ひとつだけ小さな修正条件がある。志願した人間だけが戦争をするのなら、ということだ。残念ながら、戦争は乗り気になれない人々まで巻き込んでしまう、したがって、道徳的な意味において、観るスポーツよりも下等なのである」(ウンベルト・エーコ『ワールドカップとその虚飾』)

是非、読んで下さい。

ところで、『フットボリスタ』編集長の木村浩嗣氏が、1月末から3月までの2ヶ月間、東京都府中市にある府中スポーツガーデンで、小学5・6年生を対象に「木村サッカー教室」を開いています。木村氏は、スペインサッカー協会の指導者ライセンスを取得していて、スペインのサラマンカに住んでいた時に、8年間、少年サッカークラブの監督をされていた経験の持ち主です。

初日の練習は、雪が降る中、行なわれたのですが、練習後に、スペインの少年サッカーの育成法や下部組織の構成、さらにはバルセロナとビルバオに見られる育成環境の違いなどの話をうかがいました。この模様は、『ジュニアサッカーを応援しよう!』(カンゼン)の3月発売号に掲載されます。発売日など詳しいことは、後日お知らせします。

文/川本梅花




posted by 川本梅花 |17:30 | 『フットボリスタ』 | コメント(0) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加