2006年07月10日
イタリアは優勝に相応しいチームだった。
決勝のヒーローはブッフォンだったが(ジダンを退場に追いやった意味でも)、大会を通じてイタリアは、勝つために必要な策を、惜しみなく披露してきた。
両サイドのポジションを高く保ち、中盤を厚くすることで、主導権を握った。守備偏重と言われながら、ディフェンス陣の押し上げを生かしたアタックは実に効果的。ザンブロッタ、グロッソを軸にサイドでポゼッションを奪い、カモラネージ、ガットゥーゾら中盤の汗かき役が、ピッチをところ狭しと駆け回った。
ベンチワークもアグレッシブだった。
ドイツ戦でのカードの切り方は、鮮やかの一言。どこからでも決められる攻撃パターンと、迅速な好守の切り替え。トッティやジラルディーノといった、個々のタレント性に頼り切らないチームとしての和が、完成度の高い「アズーリ」を甦らせた。
振り返ってみれば、大会前に期待されたスーパースターは、早々に姿を消した。
ロナウジーニョをはじめとする“カルテット・マジコ”はその能力を存分に発揮することができず、史上最強と謳われたイングランドも、連携がかみ合わず準々決勝で敗退。メッシやテベスなど若い個性が光るアルゼンチンも、大会を去るには早すぎた。
新たなスター選手の台頭も、かつて程は見られなかった。
理由は、「負けないサッカー」の傾向が強まった結果だと思う。数的優位で相手のストロングポイントを封じ、密集した中盤の中でタレントの個性は消された。ミドルシュートでの得点機会が増えたことも、ディフェンスラインを崩すアイデアを欠く要因となりかねない。
いかに効果的にボールを奪い、そして前へ運ぶか。結果的に「個」ではなく、「組織」で戦ってきたチームが、上位を占めている。
そうした意味で、決勝戦で戦うジダンは、最後のファンタジスタになるのではないかと思っていた。自身の活躍で花道を飾るのだろうと、期待を寄せながら見ていた。だが、思いもよらぬ形から、志半ばでピッチを去ることになった。
個人的には現代サッカーの傾向が、この大会を境に組織偏重へと進んでいくと考えている。その中で求められるのは、少ないチャンスを確実にものにできる点取り屋。絶対的なストライカーの待望論は、今まで以上に強まることだろう。
ファンタジスタ時代の象徴であるジダンの退場は、一つのサッカーシーンの幕引きだったように思う。
posted by katsu0531 |21:25 |
ドイツW杯 |
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