2006年07月02日

成長を計る物差し

取材のスケジュールは、なかなか決まらなかった。はじめは決勝トーナメントの1回戦が終われば、ドイツを去ろうと思っていた。それを準々決勝まで伸ばしたのは、帰国前のトランジットの合間に行う予定だったセパタクローの取材が、前倒しになったためだ。

理由はそれだけでは、ない。今回の取材は、スタジアムに入場できるADパスが、僕にはなかった。自ら自腹でチケットを購入して取材する、いわゆる「チケット取材」である。そのため、行動範囲が狭まり、できる取材は多くないと思っていたのだ。

でも、そんなことはなかった。

スタジアムに入場できず、泣きながら「ママ」に電話で助けを求めていたイングランドの若者。エクアドルのサポーターは、開幕日の勝利に体中で喜びを表した。クロアチアの少年は、日本と引き分けたあと、いつまでも壁に寄りかかったまま泣き崩れていた。街を歩いているだけで「ナカタ! タカハラ!」と声をかけられ、列車で隣り合わせた外国人とは、サッカーの話題で気軽に打ち解けた。

スタジアムの周辺にだって、ワールドカップを取り巻く喜怒哀楽は、あふれるほどに満ちていた。

日本で代表チームの戦いを見守ってきた人たちにとっても同じことだろう。オーストラリア戦の敗戦に愕然とし、クロアチア戦の引き分けで細い糸ほどの望みをつないだ。ブラジル戦では、玉田のゴールで希望を膨らませ、終わってみれば、誰もが言葉を失った。そんな感情を心の中に抱き、日常のどこかで、サッカーが密接に絡んでいたはずだ。

母国の勝利に歓喜し、敗戦には悲哀の涙を流す。不当なジャッジに怒り、スーパーゴールに心を躍らせる。ワールドカップには、人が生きていく上で欠かせない感情のすべてが、たっぷりと詰まっていた。かけがえのない生きる悦びがそこにはあった。だからこそ多くの人が、この4年という周期を物差しにして自分の成長を計り、次なる大会へと思いを馳せるのだろう。サポーターの歌や踊りには、「生」への執着心が満ち溢れていた。

大会中に出会い、被写体としてカメラに収まってくれた子どもたちは皆、生き生きとした表情を見せてくれた。それが何より、僕にはうれしい。

2006年7月1日 ボンにて

※ドイツ取材は今日で終了です。帰国後は、サッカーのみならず、様々なスポーツの話題を更新していきます。今後もご贔屓くださいますよう、よろしくお願いいたします。

7月1日 フランスvsブラジル フランクフルト


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posted by katsu0531 |18:59 | ドイツW杯 | コメント(2) |
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